1920、21年のソ連とソ連共産党年表
ボリシェヴィキ不支持者・政党の排除・浄化データ
『ロシアの20世紀−年表・資料・分析』より
稲子恒夫編著(宮地抜粋・編集)
〔目次〕
ポーランド戦争。白軍との内乱終り
農民戦争拡大。極東共和国
経済管理の軍事化。戦時共産主義の完成
飢餓始まる
あいつぐ反乱。ソビエト政権存亡の危機
新経済政策への急転換。反乱鎮圧
野党弾圧。共産党内分派禁止。飢餓始まる
〔関連ファイル〕 健一MENUに戻る
『はしがき、あとがき』 憲法制定議会の武力解散もクーデタ
『1917年コラム』 十月革命は選挙運動中のクーデタ
『1918、19年、ボリシェヴィキ不支持者・政党の排除・浄化年表』
『1920、21年、ボリシェヴィキ不支持者・政党の排除・浄化年表』
『1922年、ボリシェヴィキ不支持者・政党の排除・浄化年表』
『20世紀社会主義を問う−レーニン神話と真実1〜6』ファイル多数
他党派殲滅路線・遂行の極秘資料とその性質
レーニンがしたこと=政治的民主主義・複数政党制への反革命クーデター
『「赤色テロル」型社会主義形成とその3段階』レーニンが「殺した」ロシア革命勢力の推計
『レーニンの大量殺人総合データと殺人指令27通』大量殺人指令と報告書
1、1920年前半年表 (大正9年)
ポーランド戦争。白軍との内乱終り。農民戦争拡大。極東共和国
経済管理の軍事化。戦時共産主義の完成。飢餓始まる
〔1月〕
1.12 (極秘) 全ロシア労組中央評議会の共産党フラクション会議で,レーニンが演説し,食糧調達のとき,「われわれは数千人を銃殺するのをためらわなかった.今後もためらわないなら,この国を救うだろう(拍手)」と語り,トローツキーが前線で死刑を広く,断固として適用していることを賞賛し,「われわれは1万人の白衛軍の将校を片づけることで,数万人の最良の共産党員を寝つかせ,それにより国を救った」と語る(この演説はソビエト時代に秘密とされていたが,レーニン『知られていなかった文書.1891〜1922』(1999年)で公表).
この会議でトローツキーが,国民経済のいくつかの重要拠点に「突撃大隊」を派遣し,「みずから手本を示すとともに,弾圧に訴えて生産性を向上させ……,強制的措置が必要であり,突撃(緊急)分野では戒厳を施行しなければならない.そこでは軍事的方法により,労働義務制を実施すべきである」と訴える.→1.15
1.17 最高刑罰処分(死刑)の適用廃止の全ロシア中執委・人民委員会譲決定(1.15参照).この決定で赤色テロ終わるの説があるが,赤色テロはつづいている.1.6参照.5.19死刑復活
1.17 白衛派文献の国立図書館での保管と利用のため,教育人民委員部への引き渡しの人民委員会議決定.11._ 教育人民委員部政治総局(局長クループスカヤ)設置,その「図書館の浄化」の通達の記すリストにより図書を回収.→23.10.6.◆多数の文献が回収,閲覧禁止になり,あらゆる文献目録から抹消
〔2月〕
1〜2月 サマーラ県,カザーン県,ウファー県で3万5000人以上の農民反乱.軍が鎮圧,反乱側の死者3000人以上.農民の主な武器が農耕用の大熊手だったので,別名「大熊手の乱」
〔3月〕
3.29 (極秘) ヴェチェカー特別部,ルビヤーンカの庁内に取り調べ中の「特に重要な反革命犯とスパイ」用の拘禁室の設置を決める
3.29〜4.5 第9回ロシア共産党大会.経済管理の軍事化を決定,戦時共産主義の完成へ.民主的中央集権派が過度の中央集権と権力乱用を批判.4.2レーニン「良き共産党員は同時に良きチェキスト(非常委員会勤務員)」と語る.4.3経済建設の当面の任務の決定.労働組合とその組織問題の決定.協同組合の方針の決定.
◆トローツキーが,経済指導の軍事的指導は社会主義建設の全時期にそなわるものであり,労働の軍事化は郡市と農村の経済発展の普遍的な常時の手段であるとし,「経済建設の当面の任務の決定」草案に労働忌避者に対する計画的,体系的,根気強い,仮借ない闘争,とくに忌避者の懲罰リストの公表,忌避者のための懲罰隊設置,そして集中収容所への収容」が必要と語る
3._ (極秘) ヴェチェカーと特別部への党の広範な援助について,県党委と陸海軍の政治部への党中央委通達.軍を監視するヴェチェカー特別部への常時情報提供者であることを,コミサールと軍内の党員の義務とする
〔4月〕
4.16 収用と没収の人民委員会議布告.「とくに深刻な社会的需要があるばあい」住民から食糧,経営用具,家庭用品を収用(没収)し,金製品,鉄製品.宝石は1人につき1種類,1点を残し収用.兵士と学者に授与の勲章類も対象とし,返還は人民委員会議の特別決定による.この布告により生理学者パーヴロフはノーベル賞をふくむ5個の金メダルを取り上げられる
〔5月〕
5.11 24県に戒厳実施の全ロシア中執委・労働防衛会議決定.農民反乱地域をふくむ次の各県.ペトログラード,ノヴゴーロド,チェレポーヴェツ,オロネーツク,トヴェーリ,ヴォログダー,アルハーンゲリスク,北ドヴィーンスク,コストロマー,ヤロスラーヴリ,イヴァーノヴォ・ヴォズネセーンスク,ヴラディーミル,ニジェゴーロド,モスクワ,カルーガ,トゥーラ,リャザーン,シンビールスク,ペーンザ,タンボーフ,ヴォローネジ,サラートフ,オリョール,ブリャーンスク,11.26ツァリーツィン県を追加.→5.19
〔6月〕
6.14 (極秘) 中央機関の特に責任が重く,人事移動がまったくない勤務員のための特別配給規定(小人民委員会議決定).クレムリンの特別食堂,人民委員,党中央委員に食糧,たばこ,マッチなどの特別配給の特権
6.16 革命軍事評議会議長トローツキー,投降を相談する者,ろくでなし,軍服などを売る者すべての銃殺を命令
6.22 (極秘) 政治局,トゥルケスターン共和国の情勢を検討し,ロシア人のクラーク(富農)をトゥルケスターンからロシアの集中収容所に移すことを決定
〔7月〕
7.6 食糧人民委員部,割当供出未実施のシベリアなどにも穀物,飼料の割当供出実施を宣言.→7.20,8.27,9.3,21,1.31
7.13 貴金属,貨幣,財宝,医薬品の収用と没収の人民委員会議決定
7.13〜9.6 サマーラ県で赤軍第9騎兵師団(2500人),第一真実軍と名乗り,「割当食糧供出反対,自由商業万歳」のスローガンで反乱(サポーシコフの乱),サラートフ県,アーストラハン県でも赤軍と戦闘
7.19〜8.7 第2回共産主義インタナショナル(コミンテルン)大会.7.24プロレタリアート革命における共産党の役割のテーゼ.「共産党はもっとも厳格な中央集権の原則で建設されなければならない.内乱の時期には自己の隊列に軍事的規律を確立しなければならない」.8.4共産主義インタナショナル規約.各国共産党に民主的中央集権の名による「もっとも中央集権的な」組織を強制.1990年にソ連共産党,民主的中央集権を捨て民主的統一を採用(90.7.18参照).8.6共産主義インタナショナルへの加入条件.トローツキー起草の大会宣言,ソビエト・ロシは全世界ソビエト共和国連邦の環の一つとする
7.20 トゥハチェーフスキー,ポーランド戦争で.「われわれは諸君の銃剣で勤労人類に幸せと平和をもたらす.西欧へ」と命令.→7.23
7.20 (極秘) レーニン,コミンテルン大会で各国共産党代表から闘争の発展を聞き,ポーランド情勢がヨーロッパ革命の展望を開くと見ていたので,赤軍のワルシャワ進攻作戦が順調に進んでいるとの報告を受け,ハーリコフのスターリンへ,「コミンテルンの状況はすばらしい.ジノーヴィエフ,ブハーリンそして私も,今やイタリアの革命を奨励すべきだと考えている.私の個人意見だが,ハンガリーを,たぶんチェコとルーマニアをもソビエト化しなければならない」との暗号電報を送る.→7.23
7.20 ソビエト機関,社会的施設,企業,組織による市場での物品購入禁止の人民委員会議布告.市場経済の廃止へ.→10.11
7.20 シベリアの余剰穀物収用の人民委員会議決定.→9.3
7.31 (極秘) 政治局,レーニンの提案で『共産主義インタナショナル』誌第12号に掲載のゴーリキーの論文には.「まったく共産主義的なものがなく,多くの反共産主義的なものがあるから,同誌がこれをとくに巻頭に掲載したことは,きわめて愚かと認める.今後は同紙にこの種のものの掲載を禁止する」と決定
7.31 (極秘) 政治局,「チチェーリン同志(外務人民委員)に,政治局,組織局,党中央委総会での討議,とくに個々の中央委員の投票と発言を,いかなる場合も,外務人民委員部審議会員をふくむいかなる者にも,決して伝えないことを説明する」と決定
〔8月〕
8.6 [英国] 対ロシア経済封鎖を再開
8.8 タンボーフ県で農民反乱(アントーノフの乱)始まる.スローガンは「食糧割当供出反対」.「自由商業万歳」など.反乱はヴォローネジ,サラートフ,ペーンザの各県,ヴォルガ中流地域,ドン,クバーン,ウクライナ,西シベリア,トゥルケスターンに波及.→8.13,11,4,21.6.11
8.10 (極秘) 革命軍事評議会命令により,住民の意向を知るための郵便検閲がヴェチェカーの職務に.以後カゲベー(国家保安委員会)にいたるまで,国家保安機関が郵便を検閲し,電話を盗聴
8.11 (極秘) 県チェカーが課する刑罰処分,チェカーの機関と革命裁判所との相互関係のヴェチェカー命令
8.14 革命軍事評議会議長トローツキー,白衛派ポーランドと戦闘の部隊にワルシャワ総攻撃を命令.8、16〜17ワルシャワ総攻撃失敗し.8個師団全滅,10万人が捕虜となり,うち半分以上が収容所での非人道的処遇と飢えのため死亡,残り約3万人が消息不明.ヨーロッパ革命の夢くずれる
8.16〜20 モスクワで戦略センター事件裁判.法廷では同センターは組織も規約も綱領もないことが確認されたが,公訴人クルイレーンコが次のように主張.「ある社会階層があり,彼らは革命的社会主義の代表者がずっと前から考察していた社会生活をしている.この層は今後も存在するだろう.…いわゆる知識人である.…‥この訴訟でわれわれはロシア知識人の活動に対する歴史の審判,彼らに対する革命の審判をすることになる.被告人28人は会って,たがいの見解を知り,ソビエト体制崩壊後の国家体制はどうあるべきか,意見をかわし,話しあった.……ここにいる被告人がなにもしなかったとしても,この時期に,どういう体制が崩壊まぎわのソビエト権力に替わるべきかと,茶飲み話に話しあうことも反革命行為である.‥…内乱のときは,あらゆる作為が犯罪であるだけでなく,不作為でさえ犯罪である」.判決は銃殺,ただし内乱終了まで集中収容所拘禁
〔9月〕
9.3 西シベリアの農民反乱始まる
9.21〜9月末 トームスク県で1〜2万人の農民反乱
9.22〜25 第9回ロシア共産党全ロシア協議会.労働者反対派のシリャープニコフが党幹部の特権と指導部の労働者階級からの遊離を批判.協議会は党指導部を対象とする中央監督委員会(いわゆるクレムリン監督委員会)の設置を決める.ただし中央監督委員会はその役目をはたさず.1934年廃止,かわりに党員の党規律違反を処理する党監督委員会が党中央委員会に付置.◆中央監督委員会(Tsentral’naya kntrol’nayakomissiya)は中央を監督する委員会であり,中央が統制する委員会ではない.「中央統制委員会」は誤訳
〔10月〕
10.2 レーニン,コムソモール大会で現在,15歳の生徒は「10〜15年後に共産主義社会で暮すだろう」と演説
10.25 工業製品輸入の外貨獲得のため,大量の美術品を国外で売ることの人民委員会議決定.以後外貨獲得のため美術館の名画,ロマーノフ王朝の財宝,個人から没収の美術品,教会から没収のイコンなど大量に国外に売る.→11.19,28.11.6.34.4.25.⇒貴重な美術品の流出.293頁
10.28 全タタール非常委員会,カザーンとその郊外の住民組織である家屋委員会の委員長に,ブルジョア階級の代表を監視するため次の者の名簿作成を命令.元裁判院(高等裁判所に相当)の院長と判事,検事,検事補佐,地方裁判所の所長と判事,司法取調官,県知事,副知事,県庁幹部,区域長(zemskii nachal’nik),弁護士,元警察官,工場経営者,大小地主,商人,国有化された大家屋の所有者
〔11月〕
11.8 赤軍,マフノー軍とともにペレスコープを攻略,クリミアに入る
11.11 ヴラーンゲリの南ロシア軍,クリミアから撤退開始.11.16まで約14万5000人の白軍将兵と民間人,126隻の船でコンスタンチンノーブルへ脱出.11.14赤軍,セヴァストーポリ占領.→11.17
11.12 [日本] 日本軍ハバローフスクから撤兵開始.12.12撤兵完了
11.15 自由剥奪の刑期終了後も懲戒処分としての拘禁延長を認める司法人民委員部通達
11.15 [極東共和国] 臨時政府議長クラスノシチョーコフ,レーニンへの電報で「食糧割当供出はパルチザンの反乱をまねく」と警告.12月末新経済政策を先取りし,現物税実施を宣言
11.17 赤軍クリミア全域占領.その前からクリミアで捕虜の白軍将兵の大量銃殺始まる.ケールチで860人銃殺,セヴァストーポリで11.16〜23に8000人,11.28に1634人,11.30に1202人,別に撤退の白軍艦船への貨物積込みに従事の港湾労働者約500人銃殺,アループケで赤十字の医師と職員272人と看護婦17人銃殺,ヤルタの軍病院で第一次大戦で毒ガスで負傷し治療中の兵士全員銃殺.セヴアストーポリに残されていた極秘文書によると,1920〜21年にクリミアでの赤色テロの犠牲者は約9万6000人.知識人の3分の2が犠牲となる.
これに対し1918〜20年の白色政権時代のクリミアでの逮捕者1128人,銃殺281人
11.27 政治局,メンシェヴィキーにソビエト大会での審議権をあたえないことを決定
11〜12月 労働組合をめぐる論争,労働者反対派がトローツキーの労働組合の「国家化」論をはげしく非難
〔12月〕
12.1 金属工業軍事化の人民委員会議決定
12.10 プロレトクーリトの党中央委書簡.「プロレタリア文化は,プロレターリアートや文化活動家が自主的に配慮するのは無意味であり,それは党の仕事である」として,プロレトクーリトの自主性に終止符
12.15 繊維工業突撃集団の工場の労働者,職員と繊維工業総局,その地方機関職員の軍事化の労働防衛会議決定
12.20 (極秘) ヴェチェカーに外国部(INO)設置の全ロシア非常委員会命令
12.22〜29 第8回全ロシア・ソビエト大会.戦時共産主義体制による経済再建を決める.メンシェヴィキーと社会革命党の代議員が発言できた最後のソビエト大会.12.28重工業の決定,戦時共産主義体制による工業復興.12,28農民経営と農業の強化,発展の措置の決定.
1920年末の赤軍の総兵力 550万
1920年の農業生産高 戦前の67%.作付面積20〜25%減
1920年末のルーブルの価値 1913年の1万3000分の1
1920年の反革命犯罪 刑事責任を問われた者6万5751,勾留6万5751.判決:自由剥奪(収容所などへの拘禁)不明,死刑(銃殺)1万6068.
3、1921年前半年表 (大正10年)
あいつぐ反乱。ソビエト政権存亡の危機。新経済政策への急転換
反乱鎮圧。野党弾圧。共産党内分派禁止。飢餓始まる
〔1月〕
1.3 私人,私的団体が保管の財宝,医薬品の収用と没収,これらの教育人民委員部,税関,陸海軍機関,郵便電信機関による収用,没収権の行使の人民委員会議決定.金貨,銀貨,プラチナ貨,貴金属,通貨の役割をはたす有価証券などの没収
1.8 ヴェチェカー(全ロシア非常委員会)命令.ブルジョアジーの弾圧強化を指令し,ブルジョアには刑務所,労働者と農民には教育作用と,政治犯と一般刑事犯を差別
1.19 [極東共和国] 憲法制定会議選挙.議席総数382,内訳は農民多数派(主にパルチザン)183,農民少数派44,ボリシェヴィキー92,エスエル18,メンシェヴィキー13,プリヤート人代表13,無党派民主主義者8,シベリア・エスエル6,人民社会党.無所属1.→2.12〜4.2
1.31 西シベリアで武力による食糧割当供出反対の農民反乱始まる.3.6人民反乱軍.シベリア住民への呼びかけ.3.15トボーリスク農民市ソビエト規定.「共産主義者なしのソビエト」を要求.反乱地域はチュメーニ県,オームスク県,エカテリンブールグ県と,モスクワ,極東地方間の電信とシベリア鉄道が一時中断.3月大半の地域で反乱鎮圧.12月完全鎮圧→6.2
1月 モスクワで金属労働者協議会,言論の自由を要求しソビエト政権の崩壊を予言
1〜2月 ペトログラードでパン配給削減に抗議の集会,ストライキ,デモ広まる.→2.21
〔2月〕
2.5 『プラウダ』紙に.レーニンが書いた「教育人民委員部の体系に勤務する共産主義者への中央委員会指令」,大学に旧専門家を勤務させるが,「一般教育科目,とくに哲学,社会科学,共産主義教育の内容は共産主義者だけが決定する」.→3.8
2.8 (極秘) 政治局・農業人民委員部次官オシーンスキーの報告を聞き,食糧調達政策の転換を記すレーニンのメモ「農民テーゼの予備的草案」に同意.出席政治局員はレーニン,カーメネフ,スターリン,クレスティーンスキーの4人.
2.17 『プラウダ』紙に,ソコローフ,ローゴフ「割当供出か税か」,新経済政策を予告
2.21 ペトログラードの93工場,燃料不足で月末まで操業停止.労働者総会が民主主義への移行を決議.2月下旬ペトログラードのいくつかの工場で「騒動」とストライキ.→2.24
2.22前 (極秘) レーニン,クレスティーンスキー(政治局員,財務人民委員)への覚書で,緊急措置作成のため秘密委員会を作り,ひそかにテロを用意し,人民委員会議を通すか,別のかたちでの決定を提案.◆この文書には日付がないので,これを最初に公表した米国のパイプス編『知られていなかったレーニン』(英文,1996)は,緊急措置,テロという言葉から,18.9.5の赤色テロの人民委員会講決定に関係するものとして,18.9.3または4のものと推定した.しかしレーニン『知られていなかったレーニン.1891〜1922年』(1999年)は,この覚書が委員会のメンバーとしてあげている者が,「経済部門人民委員都の活動への秩序導入の人民委員会議決定」草案の作成委員会(20.10活動開始)の主要メンバーであり,21.2.22人民委員会議が経済部門人民委員都合同委員会の報告を聞いているので,この覚書は22.2.22前のものとしている.レーニンは委員会の仕事がはかどらないので,秘密委員会を作って事態を打開するよう指示したのだろう.
2.22 (極秘) 中央委員会,新経済政策準備の作業グループの報告を承認.→3.8
2.22 リャザーン,カルーガ,オリョール,トゥーラ,ツァリーツィンの各県住民の飢餓救済委員会設置の全ロシア中執委幹部会決定.国外での食糧買い付けに1000万金ルーブルを計上
2.24 ペトログラードに非常事態宣言
2.28 (極秘) 反革命との闘争強化のヴェチェカー命令.「エスエルとメンシェヴィキーが,きびしい生活状況に対する労働者の自然の不満を利用し,ソビエト権力とロシア共産党に対するストライキ運動を呼びかけ,それに組織的,全ロシア的性格をあたえている」とする
2.28 共和国統一建設計画の人民委員会議布告.戦時共産主義による経済復興計画
2.28 食糧と日用品の国外買い付けに100万金ルーブル割当の労働防衛会議決定
2.28 クロンシュタートの反乱始まる.→3.2,3.18
2月 鉱山労働組合協議会(代議員の60%が共産党員),商業の自由化を要求
〔3月〕
3.1 戦艦ペトロパーヴロフスクとセヴァストーポリの乗組員集会,ソビエトの即時・自由な改選,言論と報道の自由,全政治犯の釈放,没収の中止,商業の自由,買出取締隊の廃止などを決議
3.1 クロンシュタートでメンシェヴィキーと無政府主義者の代表からなる臨時革命委員会設立
3.2 クロンシュタートにおける社会革命党,白衛派の反乱の政府公報
3.2 レーニンとトローツキーが署名の労働防衛会議決定.3.1の乗組員集会の決議を「黒百人組・社会革命党的」と呼び,指導者とその一味を「法律の外」におくと宣言
3.8 トゥハチェーフスキー指揮の赤軍,クロンシュタートを攻撃,失敗
3.8 高等教育機関の共通必修科目新設の人民委員会議布告.社会科学分野では史的唯物論とプロレダリア革命史が必修となる
3.8〜16 第10回ロシア共産党大会.農民反乱とクロンシュタートの反乱のなかで新経済政策決定,政治の民主化は拒否.新経済政策(NEPネップ)への急転換
3.15 割当供出の現物税へ変更の決定.
3.16 党内のサンジカリスト・無政府主義的偏向の決定.党の統一の決定(党内分派禁止第7項(分派活動の発起人は厳罰)は秘密とされ,1924年に公表).労働組合の役割と任務の決定
3.17 執行機関に単独責任制実施の人民委員会議布告.人民委員部審議会の決定権を否定し,人民委員の責任明確に
3.18 クロンシュタートの反乱の鎮圧終わる.3.20臨時トローイカ(3人委員会),戦艦ペトロパーヴロフスク乗組員167人の銃殺を決定,刑即時執行.3.21同艦で32人銃殺.3.24同艦で27人銃殺.夏まで反乱参加者銃殺2103人,刑務所拘禁,流刑計6549人,のち全員銃殺.⇒1921年春のクロンシュタート市の事件についてのロシア連邦大統領令(94.1.10).200頁
3.21 食糧,原料の割当供出から現物税への変更の全ロシア中執委布告
3.23 全農民への全ロシア中執委・人民委員会講の呼びかけ.食糧割当供出廃止,現物税への移行を告げる
3.28 食糧割当供出廃止県の農産物の交換,売買の自由の人民委員会議布告
3.29 利権供与契約(外資導入)の基本原則(人民委員会議承認)
第1四半期(1〜3月) (極秘) ヴェチェカーの活動総括によると,銃殺4300人(クロンシュタートをのぞく).中央12県の農民反乱を鎮圧,とくにヤロスラーヴリ,サラートフ,サマーラ,カザーン,クールスクで大量銃殺.モスクワでは1月だけで347人銃殺.エカテリンブールグで集中収容所から6人脱走,他の者の教訓のため元将校25人を選んで銃殺.オリョールでギムナジウム生徒27人を裁判,5人銃殺
3.30 労働部隊についての労働防衛会議決定.5月に労働軍を労働人民委員部に移管
〔4月〕
4.4 (極秘) 地方党組織への党中央委書簡,県委員会と県非常委員会は一体になって反革命行動に対する警戒と防止を指示
4.6 (極秘) 政治局,赤軍50万人削減にともなう復員に鉄道利用の余裕がないので,徒歩による復員を決定
4.12 (極秘) 政治局,ウフター(現コーミ共和国内)に集中収容所設置を承認
4.20 (極秘) 政治局,元有産階級の住居に他人を住まわせ,事情により住居を生活必需品とともに没収を決定
4.21 (極秘) レーニン,ゼルジーンスキーにヴェチェカーによる次の措置の計画作成を指示.(1)社会革命党の絶滅,彼らの監視強化,(2)メンシェヴィキーも同様,(3)共産党の浄化,ぐらついている共産主義者は失せろ,(4)サラートフ.サマーラ両県の浄化,(5)特別任務隊の浄化(19.4.17参照),(6)地方の軍学校生徒の浄化,(7)農村の国家権力機構の浄化.→6.4
4.21 『プラウダ』紙に,トローツキーのアッピール「共産主義インターナショナル,全世界革命の赤軍万歳! 世界革命とプロレタリア・ソビエト共和国(複数)の国際的連邦万歳!」
4.21 穀物,じゃがいも,油用種子の現物税の人民委員会議布告
4.21 東方勤労者共産主義大学(KUTV.クートベ)開学.KUTVはロシアの少数民族の幹部養成のために民族問題人民委員部に設置.1922年外国人部設置.1923年日本人部設置.1924年KUTV,ソ連中執委付置になる.1936年外国人部はコミンテルン執行委付置民族植民地問題研究所に改組.38.9.23同研究所廃止.KUTV卒の日本人は70人以上,大半は帰国直後に逮捕.戦後に日本共産党の幹部になった者はごく少数.帰国しなかった者はスパイ容疑で弾圧.その一人ナガイ・ニイチは1939年逮捕,8年の自由剥奪になり,1946年釈放後に帰国せず,1990年代に死亡
4.27 (極秘) タンボーフ県のアントーノフ武装勢力一掃の政治局決定.→6.11
4.29 かんばつ対策の労働防衛会議決定
〔5月〕
5.6 ドイツと臨時通商条約
5.10 (極秘) 政治局,ボリショイ劇場の歌手シャリャーピンの公演のための出国を検討し,ヴェチェカーが帰国を保証すれば再検討とする.5.31(極秘)政治局,ルナチャールスキーの要請で出国を許可.1922年前半に2回国外公演→22.5.10
5.14 (極秘) 政治局,ヴェチェカーに最高刑(銃殺)の権限を決定
5.17 20.11.29企業国有化の最高国民経済会議決定の執行を停止する人民委員会議布告.中小企業の私有を認める.ただし5.17前の国有化は有効
5.28 トゥハチェーフスキー指揮の軍,タンボーフ県の農民反乱平定作戦開始→6.11
夏〜1922年 飢餓.地域は人口の20%,3000万人が住む地方(ヴォルガ沿岸,中央黒土地帯,ウクライナ,西シベリア,北カフカース,カザフスターン)→7.18,7.21,8・21
〔6月〕
6.2 西シベリアの農民反乱最後の拠点オブドールスク(現サレハルード)陥落.反乱なおつづく.→8.27,9.17,10.1,11.8以前,12.22
6.4 (極秘) ゼルジーンスキー,4.21のレーニンの指示によるヴェチェカーの作戦計画を政治局に提出.レーニンの決済は「秘.アルヒーフ(文書室)へ」
6.4 (極秘) 政治局,メンシェヴィキーの反革命活動の取り締まりの強化をヴェチェカーに指令.→12.8
6.6 詩人グミリョーフら「ペトログラード戦闘組織」メンバー逮捕.→8.24?一31
6.11 (極秘) タンボーフ県の農民反乱鎮圧の全ロシア中執委全権委員会命令.
6.12 (極秘) トウハチェーフスキー,タンボーフ県の農民反乱鎮圧に毒ガス使用を命令.6.24アントーノフ死亡.6.24アントーノフ軍壊滅.→8.16
6.11 [極秘] 党中央委組織局通達.党員は地方党委員会の承認がなければ逮捕されないと,党員に不逮捕特権.→22.1.8廃止
6.13 労働者と農民への全ロシア中執委幹部会の訴え.食糧と燃料が不足するペトログラード救援を呼びかけ
6.22〜7.12 第3回共産主義インタナショナル(コミンテルン)大会.6.23トローツキー「われわれは最終目的の世界規模での権力獲得,世界革命が目前に追っていないと,今日見て感じたばかりだ」と語る.世界革命の夢破れる.7.9戦術のテーゼ,「大衆のなかへ」のスローガンをかかげる
6.22 民間の全ロシア飢餓救援委員会の活動禁止→7.18
〔7月〕
7.6前 (極秘) 党中央委員会ユダヤ人課中央ビュロー,赤軍によるゴーメリ県とミーンスク県のポグロームをレーニンに緊急報告し,調査委員会設置を提案.レーニンの反応は文書に「アルヒーフ(文書保存室)へ」と記すだけ
7.11 ティーホン総主教とゴーリキー,ロシアの飢飢救援を世界に訴える
7.18 全ロシア中執委付置飢餓被害者救接委員会の全ロシア中執委布告.民間の全ロシア飢餓救援委員会(名誉委員長に作家コロレーンコ)の設立許可.7.21委員会設立,外国に飢餓救援を訴え.→8.27,8.31
7.19 全商業の開業,運営手続きの通達,その監督規則(人民委員会議布告)
7.21 『プラウダ』紙に,共産党の全党員と全組織に飢餓救援を訴え.これによると凶作はサマーラ州,ウラル州,タタール共和国,アーストラハン州,ツァリーツィン州,ドイツ人・コミューン,チュヴァーシ州,ペーンザ,オレンブールグその他の州の一部.飢えている人の総数は3000万人
7.26 営業税規程(人民委員会議布告)
7.26 [ドイツ] ドイツ政府,外国政府として最初にロシアの飢餓救援を発表
7.30 (極秘) レーニンとモーロトフ,県党委員会の全指導者に,「現物税取立て機関が党の権威と全懲罰機構を活用する」ことを要求
〔8月〕
8.1 レーニン,ミャスニコーフヘの手紙で,「報道の自由は,ブルジョアジーとそのもっとも忠実な下僕であるメンシェヴィキーと社会革命党の政治的組織の自由」と記し,検閲廃止を拒否
8.5 トローツキー,「ロンドンとパリへの道はアフガニスタンの都市,パンジャブ,ベンガル経由だ」と,インド遠征の準備を赤軍に命令
8・11 (極秘) ヴェチェカー命令,軍事検閲を軍からヴェチェカーに移管.→10.13
8.16 トゥハチェーフスキー,タンボーフ県などの反乱鎮圧を党中央委に報告.⇒1918〜22年の農民反乱の名誉回復についてのロシア連邦大統領令(96.6.18).200頁
8.24〜31 「ペトログラード戦闘組織」または「ダガーンツェフ陰謀」事件のペトログラード非常委員会の秘密裁判.ソビエト政権の崩壊がありうるとして,共産党のない将来のロシアを話し合ったにすぎない詩人グミリョーフら61人に銃殺の判決.のちに別の2グループも銃殺,銃殺合計87人.91.9.20ロシア連邦最高裁刑事部が判決を取り消し.◆『イズヴェスティヤ』紙(2001.8.25)は,グミリョーフはペトログラードのオゲペウー司法部の判決により銃殺されたとし,2001.8.24に死後80年追悼ミサがペトログラードで行われたと報道したが,オゲペウー(統合国家保安局)はヴェチェカー(全ロシア非常委員会)の誤り.この記事によると,秘密裁判は61人の犠牲者を一人づつ呼び出し,判決を言い渡す方法で行われた
8.27 (極秘) レーニンの提案で政治局,民間の全ロシア飢餓救済委員会が外国へ食糧援助要請の代表団を決定したことは「反革命活動」であるとして,委員会のメンバー(共産党員をのぞく)の逮捕決定.8.28飢餓救済民間委員会解散の全ロシア中執委決定.幹部逮捕され,陰謀,スパイ罪で銃殺判決を受けるが,国際世論の圧力で死刑判決取り消し.8.30〜31レーニンの提案で救済委員会中傷のキャンペーン.「飢餓をもてあそぶ者」『プラウダ』紙,「やつらは飢餓で大もうけをねらっている」『共産主義労働』紙,「反革命的な救援委員会」『イズヴェスティヤ』紙
8.27 チチェーリン外相とナンセン国際赤十字代表が,ヴォルガ地方飢餓救援の組織原則の協定
8.27 (極秘) チュメーニ県非常員会(チェカー)報告,県内各地で依然として農民反乱.→9.17
8.29 外国人の国外追放手続きの人民委員会議布告
8.28 ウクライナのマフノー軍の残存勢力ルーマニアへ,マフノーはドイツに亡命
8._ 党中央委,宗教とつながりをもつ者が指導的ポストにつくことを禁止
〔9月〕
9.17 (極秘) チュメーニ県非常委員会(チェカー)報告.県内の情勢依然として良くない.→10.1
9.21 (極秘) レーニン,ヴェチェカーのウーンシュリフトに覚書をおくり,チェキスト(チェカーの勤務員)が飢えて,裸でいるとし,給食・衣服の改善を指示.折り返しウーンシュリフトがチェキスト10万5000人の制服のため,435万6690金ルーブルの支出を要請→11.20
9.22 労働防衛会議が最高国民経済会議と食糧人民委員部に所属企業の商業採算制移行の停止を提案
9.26 (極秘) 新経済政策にともなうヴェチェカーの諸機関の当面の任務のヴェチェカー指令.次のヴェチェカー通達を添付.(1)食糧業務の県チェカーの活動の通達.(2)協同組合についての県チェカーの活動の通達.(3)貿易問題の県チェカーの活動の通達.(4)財務人民委員部の機関の監視の県チェカーの活動の通達.(5)(国有財産)違法領得と投機との闘争の県チェカーの活動の通達.(6)農業分野の県チェカーの活動の通達
〔10月〕
10.1 (極秘) チュメーニ県チェカー報告,県内の情勢に改善なし.→11.8以前
10.1 [米国] ロシアで米国援助局(ARA)活動開始.23.6.1まで穀物,豆類,粉ミルク,砂糖,油,医薬品,衣類総額1億3700万金ルーブルを援助,全国に給食所,配給所1万5760を設置,児童417万人,成人626万人に食糧援助.1923年ソビエト政府が金でドイツから武器を買入れ,穀物を輸出していることが判明し,ARAの援助打ち切り
10.13 ヴェチェカー軍事検閲規程(人民委員会議決定).「ロシア連邦共和国の政治,経済,軍事的利益のため,新聞,郵便電信,放送に検閲実施
10.15 (極秘) 政治局.「政治局の特別決議なしに.金フォンドからいっさい支出してはならない」と決議.◆この決議はソ連共産党の崩壊直前まで守られ,国有の多くの金が政治局の極秘決定で,外国共産党への援助などの政治目的に使われた
10.15 国立出版社の活動に対する教育人民委員部の監督権の人民委員会議決定.検閲機関として教育人民委員部に政治部設置
10.17 レーニン,政治教育大会で「共産主義への一跳び」の失敗を認める
10.17 私人,私的会社の財産の収用,没収手続きの人民委員会議布告.収用没収の新手続き
10._ 司法人民委員部中央懲罰部を中央矯正労働部に改称.→22.7.25
10._ ゴーリキー,国外へ去る.1929年一時帰国しソビエト中央執行委員に選ばれ,1931年スターリンの要請で永住帰国
10月〜1922年5月 党の「浄化」により,約20%の党員を除名
〔11月〕
11.3 1922年発行通貨の人民委員会議布告.平価切り下げ.新1ルーブル=旧1万ルーブル.→12.25,22.10.24
11.3 大赦の全ロシア中執委布告.対象は白衛軍とクロンシュタート反乱の一般参加者.→24.6.9
11.5 レーニン,論文「現在と社会主義の完全な勝利後の金の意義について」で,遠い将来ソビエト政権は金製の便所を使うが,今は貨幣を廃止できないと書き,貨幣なき共産主義経済の破綻を認める
11.8以前 (極秘) チュメーニ県の1921年10月の状況についてのチュメーニ県執行委管理部政治報告.県内の状況8,9月とほとんど変らず.各種政党の影響はほとんどない.全住民が無関心.住民の好ましくない気分は大量には見られない.工場労働者のあいだに個別的な暴発はあるが,広範囲でない.4〜5日の欠勤にかぎられている.主な原因は食糧支給の遅れと家族への食糧配給の中止である.このため市の工業の生産性は1カ月でゼロに落ちた.農民の気分は無関心である.都市の貧乏人は楽に,つまり投機と盗みで稼ごうとしている.全企業でイタリア式ストライキが起きた.原因は食糧の支給が適時にないこと.(農民の)武装行為ががつづいているが,増大していない.8,9月の報告の水準である.
11.8以前 (極秘) チュメーニ県内の状況についての第169狙撃兵(歩兵)旅団作戦報告.各地で「徒党」が依然として活動しているが,チュメーニ・トボーリスク地区では一部鎮圧.→12.22
11.18 (極秘) 政治局,文学者グループの無党派新聞発行の申請却下
11・20 (極秘) ヴェチェカー総務局命令,ヴェチェカーの定員を9万,「予備」を1万5000と決定
〔12月〕
12.5 割増年金(usilennye pensii)の人民委員会議決定.特権的な功労年金(personal’nye pensii)の前身
12.6 レーニン,病気療養のためモスクワ郊外のゴールキに移る
12.8 (極秘) 政治局,工業中心地でのメンシェヴィキーと社会革命党の政治的影響を根こそぎにするため,彼らを地方に追い出し,広範な大衆と接触する権利を奪うことを決定.→12.17
12.9 革命軍事評議会命令.20県とバシキール自治共和国での野戦軍使用権をヴェチェカーにあたえる.22.2.13ゲペウー機関野戦軍使用手続規程
12.14 図書館に閲覧禁止書の「特別書庫(スペツフラーン)」制度実施.23.10.6図書館への党の支配確立.1990年廃止
12.17 (極秘) 政治局,ヴェチェカーにメンシェヴィキーの指導者を僻地に追放,流刑2年を科することを指令
12.22 (極秘) 沿ウラル軍管区司令官臨時職務執行者のチュメーニ県の各部隊司令官への命令.反乱が完全に絶滅と記し,事後の活動を指示.⇒1918〜22年の農民反乱の名誉回復についてのロシア連邦大統領令(96.6.18).200頁
12.28 ヴェチェカーの決定.ヴェチェカーのゲペウーへの改組と権限縮小,革命的適法性の強化を決定
12.30 労働軍再編の労働防衛会議決定
12.30 10人の作家グループが国立出版社による検閲について,教育人民委員ルナチャールスキーに抗議の手紙.そのうちベルジャーエフらは1922年に国外追放か亡命
12.31 レーニンが出席の政治局,レーニンの6週間の休暇を決定
12._ (極秘) ゼルジーンスキー,ヴェチェカー副議長ラーツィスへ次の指示.「教会は解体する,これにはわれわれの手助けが必要であり,刷新された形式であれ,教会を複活させない.だからヴェチェカーが教会解体政策を行わなければならず,これは他のいかなる機関にもまかせられない.党と司祭どもとの公式または非公式の交渉は許されない.勝ち目は共産主義にあり,宗教にはない.司祭どもの解体という唯一の目的のため舵を取れるのは,ヴェチェカーだけである.他の機関が司祭どもとなんらかのつながりを持つことは,党に汚点をもたらす.これは危険なことである」
1921年対1913年比 作付面積20〜25%減.農業生産高67%,工業生産高7分の1
鉄道人民委員部統計部によると,鉄道裁判所の判決により旅客,鉄道員1759人銃殺
1921年の反革命罪 刑事責任を間われた者9万6584.勾留9万6584.判決:自由剥奪(収容所などへの拘禁)2万1724.死刑(銃殺)9701
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〔関連ファイル〕
『はしがき、あとがき』 憲法制定議会の武力解散もクーデタ
『1917年コラム』 十月革命は選挙運動中のクーデタ
『1918、19年、ボリシェヴィキ不支持者・政党の排除・浄化年表』
『1920、21年、ボリシェヴィキ不支持者・政党の排除・浄化年表』
『1922年、ボリシェヴィキ不支持者・政党の排除・浄化年表』
『20世紀社会主義を問う−レーニン神話と真実1〜6』ファイル多数
他党派殲滅路線・遂行の極秘資料とその性質
レーニンがしたこと=政治的民主主義・複数政党制への反革命クーデター
『「赤色テロル」型社会主義形成とその3段階』レーニンが「殺した」ロシア革命勢力の推計
『レーニンの大量殺人総合データと殺人指令27通』大量殺人指令と報告書