1922年のソ連とソ連共産党年表
ボリシェヴィキ不支持者・政党の排除・浄化データ
『ロシアの20世紀−年表・資料・分析』より
稲子恒夫編著(宮地抜粋・編集)
〔目次〕
飢餓。レーニン病む。教会と野党の弾圧
見世物裁判。知識人の国外追放。
刑法典,民法典,労働法典,土地法典
ソビエト社会主義共和国連邦結成
〔関連ファイル〕 健一MENUに戻る
『はしがき、あとがき』 憲法制定議会の武力解散もクーデタ
『1917年コラム』 十月革命は選挙運動中のクーデタ
『1918、19年、ボリシェヴィキ不支持者・政党の排除・浄化年表』
『1920、21年、ボリシェヴィキ不支持者・政党の排除・浄化年表』
『1922年、ボリシェヴィキ不支持者・政党の排除・浄化年表』
『20世紀社会主義を問う−レーニン神話と真実1〜6』ファイル多数
他党派殲滅路線・遂行の極秘資料とその性質
レーニンがしたこと=政治的民主主義・複数政党制への反革命クーデター
『「赤色テロル」型社会主義形成とその3段階』レーニンが「殺した」ロシア革命勢力の推計
『レーニンの大量殺人総合データと殺人指令27通』大量殺人指令と報告書
『聖職者全員銃殺型社会主義とレーニンの革命倫理』レーニン・スターリンで約70万人殺害
『「反ソヴェト」知識人の大量追放「作戦」とレーニンの党派性』
梶川伸一『レーニン体制の評価について』21年−22年飢饉から見えるもの
山内昌之『革命家と政治家との間』レーニンの死によせて
1、1922年前半年表 (大正11年)
飢餓。レーニン病む。教会と野党の弾圧。見世物裁判。知識人の国外追放
刑法典,民法典,労働法典,土地法典。ソビエト社会主義共和国連邦結成
〔1月〕
1.1 不眠症のレーニン,21.12.31の政治局決定により,モスクワ郊外のコスティーノ村での6週間の休暇に入る.クループスカヤによると.「ひどい不眠症で苦しんでいた.朝はいつも調子が悪く,それから眠ったが,眠りは悪かった」.レーニンは党中央委書記局の許可がなければ,モスクワに行くことができず,1日に1時間重要問題についてだけ電話をすることが許された.レーニンは指令と手紙を何度も送り,メンシェヴィキーとエスエル,教会と信者の弾圧などを強硬に主張した.3.22モスクワ郊外のコルジンキノ村に移り,3.25モスクワにもどる
1.2 (極秘) 教会財産一掃の全ロシア中執委幹部会決定
1.3 (極秘) ヴェチェカー(全ロシア非常委員会)報告によると,サマーラ県では「人びとは墓地から食用に死体を取ってくる.子どもの死体は墓地に運ばず,食べるために残している」.→3.4
1.12 (極秘) レーニン,政治局への手紙で「人民委員会議がボリショーイ・オペラ・バレー劇場維持のルナチャールスキーの実にくだらない提案を採択したと知った.その取り消しを提案する.それは純粋に地主的文化のかけらだ.これに対し争うことなど,だれもできない」と書く.→11.1
1.13 南ロシアの地方紙が,新年とクリスマスのあとの炭鉱の欠勤率が,ドネーツクで30%,元タガンローグ会社で75%と報道
1.17 レーニン,上映の映画を娯楽映画と宣伝映画に分け,両者の比率の維持と検閲を教育人民委員部に指令
1.18〜19 (極秘) この日のヴェチェカー内務軍日報によると,ウファー県では代用食,鳥,小家畜の貯えがなくなり,大家畜もなくなりつつある.いくつかの郡では飢餓率が95%,死亡率が30%にたっしており,人肉食いまである.◆1921〜22年のヴェチェカー内務軍日報は,同じような各地の飢餓の実態を多数記録している
1.30 (極秘) レーニン,モーロトフ(党中央委書記)に,メンシェヴィキーの弾圧を強化し,それを裁判所にやらせることを指示,翌日ヴェチェカー(全ロシア非常委員会)のウーンシュリフトに,裁判所がメンシェヴィキー弾圧強化の技術的手段をとることを指示.→2.20
1._ (極秘) レーニン,元皇帝らの宝石,貴金属の財宝を国家保存庫(ゴフラーン)に収納し,外貨獲得のため利用を指令.1920年代後半にロンドンなどで競売,多数の至宝国外流出
〔2月〕
2.1 最初の公私合弁会社として,コジスィリョー(ロシア皮革資源会社)の定款承認される
2.1 モスクワで極東民族会議開会.片山潜,高瀬清,徳田球一ら参加
2.4 反宗教宣伝の党中央委通達.宗教的偏見をこわす作業を系統的に行うことを党地方組織に指示
2.6 全ロシア非常委員会の廃止,捜索,押収,勾留規則(全ロシア中執委決定).ヴェチェカーを内務人民委員部付置国家保安局(ゲペウー)に改組.1922年ウクライナ,ベロロシアのチェカーをゲペウーに改組.1926年ザカフカースのチェカーをゲペウーに改組.→23.11.15
2.10 (極秘) 党中央委員会組織局決定.ゲペウー政治監督部に検閲諸機関を監督する権限
2.16 (極秘) 飢餓救援のため教会聖器物収用の全ロシア中執委決定.→2.26
2.18 内務人民委員部規程(全ロシア中執委・人民委員会議決定)
2.19 ティーホン総主教,礼拝に使用していない聖器物を飢餓救済に寄付を許可.→2.23,2.26
2.20 (極秘) レーニン,司法人民委員クールスキーへの公開禁止の覚書で,「経済の分野はすべて公法的なものである」と主張し,民法典で「私的な関係への国家の干渉の拡大」の制度化を指示
2.20 (極秘) レーニン,司法人民委員クールスキーへの手紙で,「ソビエト権力の敵とブルジョアジーの手先(とくにメンシェヴィキーとエスエル)に対する弾圧の強化」と,そのためモスクワ,ペトログラードなどでの「見世物」裁判を指示.この手紙でレーニンは,「国家的問題についてある賢い作家は,一定の政治目的実現のため,一連の強硬措置をとる必要があるときは,それをもっとも精力的に,またもっとも短期間に行わなければならない.なぜなら強硬措置が長期間つづくことに,民衆は耐えられないからだと記している」と書く、「ある賢い作家」はマキアヴェリ(1469−1527)のことで,該当する個所は,マキアヴェリ『君主論』池田廉訳,中公文庫,1995年,57頁.マキアヴェッリ『君主論』河西英昭訳,岩波文庫,1998年,71頁』.→3.19
2.23 信者集団が使用の教会聖器物の強制収用手続きの全ロシア中執委布告
2.26 聖器物の緊急強制収用が必要との人民委員会議決定.飢餓救済の穀物の緊急輸入の資金にあてるため,礼拝に使用中のものをふくむ教会の聖器物を強制収用
2.28 ティーホン総主教が2.23の布告は涜神と抗議
2.27 (極秘) 文学出版の分野の小ブルジョア・イデオロギーとの闘争報告について,党中央委組織局決定
2月 大学の自治の否定に抗議してモスクワ工業大学教授ストライキ.
2._ (極秘) レーニン,スターリンとカーメネフに「20〜40人の教授をかならず解任する」ことを指示
〔3月〕
3月から 教会の聖器物の暴力的収用キャンペーン.モスクワ,ペトログラード,スモーレンスク,シューヤ,カルーガ,キーエフその他で聖職者と信者が抵抗.以下3.5以後に主な教会聖器物強制収用事件だけを記す.→11.1
3.3 (極秘) レーニン,カーメネフヘの覚書で「ネップがテロを終わらせると考えるのは,とんでもない誤りである.われわれはまたテロにもどるし,経済的テロにもどるだろう」と,私企業弾圧の必要を書く
3.4 『法と生活』誌によると,この日,「第2区人民取調官は,イリャクリヴィーンスク郡の市民エニクーロヴァの告発により,殺人および食料のための人肉消費事件をハティル・ジアザディノフに告訴したが,取り調べが終結せず,被疑者が拘束されてなく,取調べと裁判から逃れ,その非行を続ける可能性があることを考慮して,次のことを決定した.食べるための殺人事件の被疑者サミグル42歳とサティラ57歳を,取り調べと裁判から逃れることの防止処分として,第2類強制作業用ベレペーフスキーの家に勾留する」.飢餓が深刻なヴォルガ地方で人肉食いが多発
3.5 ペトログラード府主教ヴェニアミーン,教会はすべてを飢餓救済に提供する用意があるが,暴力的収用は涜神と声明.→3.15
3.9 (極秘) 政治局,武装勢力の者,武器所持の刑事犯,常習犯を現場で制裁し,無政府主義者と左派社会革命党員をアルハーンゲリスクに流刑し,そこに拘禁するという国家保安局(ゲペウー)次官ウーンシュリフトの提案を承認.→10.16
3.11 (極秘) 政治局,トローツキーの提案で教会聖器物強制収用特別委員会設置を決定.トローツキーは聖器物強制収用で中心的役割を果たしたが,彼の自叙伝はこれにふれていない
3.13 貿易の全ロシア中執委布告.貿易の国家独占の確認.→10.16
3.14〜15 ヴラディーミルのウスペーンスキー大聖堂からの教会聖器物強制収用に多数の住民が抵抗
3.15 (極秘) 例外として教会聖器物のかわりに同量の金,銀その他の製品の強制収用を認める全ロシア中執委幹部会決定
3.15 イヴァーノヴォ・ヴォズネセーンスク県シューヤで,教会聖器物収用に反対の聖職者と群衆を赤衛兵が弾圧.死者4人,負傷者10人.シューヤ事件.→3.19,3.25,3.28,5.2
3.15 ペトログラードのカザーン大聖堂からの聖器物収用に聖職者と群集が抵抗.府主教ヴェニアミーンが抗議声明.3.16ペトログラードのセーンナヤ広場のスパースカヤ教会からの聖器物収用に群集が抵抗.→5.29
3.15 (極秘) ゲペウー報告によると,チュメーニ県では,「イシームスク群で住民50万人のち26万5000人が餓えている.飢餓が広まりつつある.収穫良好の郡でも人口の30%が餓えている.イシームスク郡とペトロパーヴロフスク郡の境の地域ではコレラが拡大している.北部では天然痘と発しんチフスが荒れ狂っている」
3.16 (極秘) 国家保安局(ゲペウー)規程(全ロシア中執委幹部会承認)
3.17 (極秘) レーニン,政治局員への覚書でメンシェヴィキーとエスエルを「白衛派の事実上の危険な共犯」とし,彼らとの容赦なき闘争を要求.→3.20,3.22
3.17 農産物の統一現物税の全ロシア中執委・人民委員会議布告
3.18 国際革命闘士救援組織(MOPR)設立.1947年解散
3.19 (極秘) モーロトフの名で,党中央委が教会聖器物収用の一時停止の暗号電報
3.19 (極秘) レーニン,政治局員への覚書で,「飢餓地域で人を食い,道路に数千とはいえないが,数百の遺体が積み上げられている」今こそ,狂ったように断固として教会の財宝を収用し,弾圧へのどんな抵抗も残らないようにし,その際,賢い作家が「国家的問題について一定の政治目的実現のため,一連の強硬措置をとる必要があるときは,それをもっとも精力的に,またもっとも短期間に行わなければならない.なぜなら強硬措置が長期間つづくことに,民衆は耐えられないからだと記している」と書き,聖職者を迅速に容赦なく弾圧することを指示(「賢い作家」については2.20参照)
3.20 (極秘) 政治局,トローツキー提案の「教会聖器物収用の指令」を一部修正して採択
3.20 (極秘) 政治局,ゲペウー(国家保安局)次官ウーンシュリフトの報告「労働組合,労働人民委員部,協同組合,経済組織の機関からのメンシェヴィキーとエスエルの排除」を検討し,同意.→3.22
3.22 (極秘) 政治局,「協同組合組織,経済組織付置ゲペウー協力ビュロー」設置を決定.ビュローの任務は,あらゆる種類の勤務員の政冶思想の調査,ゲペウー秘密部作成の基準によるエスエルとメンシェヴィキーの摘発,示された全項目についてのゲペウーへの報告,ゲペウーの指示と指導のもとに疑わしい分子とメンシェヴィキーの監視など.→5.15
3.23 (極秘) 党中央委の県委員会への電報で,教会の聖器物強制収用のための秘密委員会設置を指令
3.25 レーニン,モスクワに戻る
3.25 (極秘) 党中央委総会,レーニンの提案でシューヤ事件を党大会の議題にしないことを決定
3.27〜4.2 第11回ロシア共産党大会.3.27レーニン,政治報告で「われわれは1年間退却した.われわれは今日党の名でもう十分だと語らなければならない.退却により追求した目標は達成された.この時期は終わろうとしているか,終わった.今日,目標とされているのは,別のことであり,力の再編成である」と語る.
3.28 新経済政策の状況での労働組合の役割と任務の決定.4.2財政政策の決定.農村での活動の決定.党の強化と新しい任務の決定
3.28 『イズヴェスティヤ』紙に,3.27全ロシア中執委採択の教会の聖器物強制収用にともなうシューヤ市事件の政府公報
〔4月〕
4.3 党中央委総会,中央委の内部機構の決定を採択し,書記長のポストを新設,カーメネフの提案で書記長にスターリンを選ぶ.スターリンは政治局員内の最初の党専従幹部.⇒書記長と首領215頁
4.22 ゲペウー(国家保安局),スパイ容疑でジャーナリスト大庭柯公に逮捕状.(1)チター日本の特務機関の送別宴に出た,(2)モスクワで帝政時代の知己と交際した,(3)秘密の通信を朝日新聞京都支局に送ったなどで,親ソを装った破壊分子の容疑.7.25「犯罪容疑はないが,政治的危険分子として国外追放」とゲペウー決定.10.21中央住民送還局からゲペウー東方支部へ「11.16に祖国へ送還」と電報.以後情報なし.92.10.21名誉回復.著作(1)大庭柯公「露国及露人研究」1951年,朝日新聞社,(2)「露国及び露人研究」中公文庫,1984年.以上2点の書名は同じだが,内容は別
4.25 (極秘) 現地にゲペウーの機関「協力ビュロー」設置のゲペウー命令.すべての企業,施設,大学に設置.ビュローは三人から構成,その任務は専門知識によるゲペウーへの協力,反ソ的現象の体系的収集,反革命分子の摘発.11.14ゲペウー命令,秘密協力者を外から観察工作員,情報員,通報者に区分
4.26 商業の開業と営業の許可手続き廃止の人民委員会議布告.商業の自由
4.26 モスクワ革命裁判所,教会聖器物の暴力的収用に抗議の聖職者と信者54人の裁判開始.→5.4,5.8
4.27 (極秘) 武装勢力との闘争でゲペウーに非常権限の政治局決定
4.27 (極秘) 政治局,極東の各国共産党向け予算10万ルーブルから,日本軍兵士扇動に5000ルーブル支出をコミンテルンに提案を決定
〔5月〕
5.2 (極秘) 政治局,3月シューヤ事件についての革命裁判所の4.25判決の11人銃殺のうち,2人の司祭の死刑の取り消しというカーメネフの提案を否決、判決承認4票(レーニン,トローツキー,スターリン,モーロトフ),減刑1票(ルイーコフ),判決取り消し2票(トームスキー,カーメネフ).5.5全ロシア中執委幹部会,特赦申請を却下
5.4 (極秘) 政治局,聖器物強制収用のモスクワ裁判について,ティーホンを裁判にかけ,聖職者に最高刑(銃殺)を課するという裁判所への指令を決定.裁判についてモスクワの新聞に積極的に報道させる仕事をトローツキーに委任.→5.8,5.19
5.7 (極秘) レーニン,司法人民委員クールスキーへの手紙で,刑法典(5.26)の反革命宣伝扇動に,国外追放の刑を定めることを指示.→5.15,5.19
5.8 政治局の指令にしたがい,モスクワの聖職者,信者裁判で11人(内聖職者8人)に銃殺判決.
同日 (極秘) 政治局,銃殺を2人にかぎるカーメネフの提案を否決,反対4票(レーニン,トローツキー,スターリン,ジノーヴィエフ),賛成3票(カーメネフ,トームスキー.ルイーコフ).5.14モスクワ革命裁判所6人の銃殺取り消し,5人だけ銃殺に判決変更.
5.22 (極秘) 政治局,カーメネフの提案で銃殺判決取り消し
5.8 農具,農業機械,種子その他の農業用生産手段の分配ならびに商業の国家独占の廃止の人民委員会議布告
5.9 [ベロロシア] (極秘) ロシア共産党中央委ベロロシア・ビュロー,ポーランド人の神父を聖器物強制収用への抵抗で裁判にかけることを決定.5.26 (極秘) 党中央委ベロロシア・ビュロー,判決は死刑1人,死刑,ただし執行せず1人.刑務所拘禁1人と決定.5.29裁判開始(以後の経過は保存の極秘文書に記録なし).⇒カトリック教会の弾圧.217頁
5.12 反宗教キャンペーンの一環として,ペトログラードのアレクサーンドル・ネーフスキー大修道院で,聖アレクサーンドル・ネーフスキーの棺の蓋を開けて公開検査.『ペトログラード・ソビェト』紙によると,棺内には不完全な頚骨2本と肋骨,頭蓋骨,鎖骨だけで,信者を落胆させる.銀の棺はエルミタージュ博物館へ移され,遺骨は大修道院内に埋葬
5.15 (極秘) レーニン,司法人民委員クールスキーへの手紙で,「私の意見では,死刑の適用範囲をメンシェヴィキー,エスエルなどのすべての活動形態に広げるべきだ.国外追放という新しい刑罰を考えるべきだ.これらの活動形態と国際ブルジョアジーと結ぶ表現を考えだすべきだ」と指示.→6.4,6.8
5.17 (極秘) レーニン,司法人民委員クールスキーへの覚書で,刑法典に「テロ(銃殺)の本質と正当性,その必要,限界を示す,原則的で政治的に正しい(単に法律的にせまいものでない)規定」を入れることを指示し,「原則的に,明白に,偽りや誇張なくテロに根拠をあたえ,それを適法なものとし」,「革命的法意識」と「革命的良心」だけが,規定をできるだけ広く適用する条件をつくるよう条文化するように書く
5.19 ロシア正教会総主教ティーホンを聖職者の活動を組織の理由で逮捕.ティーホン事件.政治局は最高革命裁判所の公判,死刑を決めたが,国外からの非難のため公判廷期.→23.6.16
5.19 (極秘) レーニン,ゼルジーンスキーへの手紙で,「反革命を助ける作家と教授」の国外追放のため,彼らの著作を読み,批評を書くことを政治局員に提案.→8.17
5.20 レーニン,療養のためモスクワ郊外のゴールキに移る.10.2モスクワに戻る
5.20 レーニン,ゴールキから電話で政治局あて手紙『二重の従属と適法性』をスターリンに口述し,検察の中央集権を主張
5.24 (極秘) 政治局,4月の全ロシア医師大会でカデートとメンシェヴィキー支持者が多数を占め,新聞発行を決めたことを重大視.→6.8
5.25〜26 レーニン,脳梗塞で倒れ.右半身不随になり,言葉も不自由に
5.26 刑法典(全ロシア中執委決定).26.11.22刑法典.⇒レーニンと刑法典第58条の起源.219頁.
5.29 ペトログラード総主教ヴェニアミーン逮捕.→6.9
5月 全国の餓死者100万以上
〔6月〕
6.3 (極秘) 知識人の中の反ソ集団について,ゲペウーが政治局へ報告.新経済政策がブルジョア,小ブルジョア勢力の結集の危険を作ったとして,大学,各種団体,官庁主催大会,協同組合,トラスト,商業施設,宗教問題での反ソ知識人の活動,私的出版社の活動を報告
6.4 (極秘) 政治局,県,州党委員会へ「メンシェヴィズムとの闘争措置」の通達.メンシェヴィキーの活動に接する党員に,その活動の全情報をゲペウーに知らせる義務を課す.→6.28,23.6.4
6.5 国立銀行,戦前の金兌換10ルーブルに対する5〜6月の公定相場1250万ルーブルと決定.5月のモスクワの中級労働者の最低賃金は1830万ルーブル
6.6 文献,出版総局(Glavlit,グラヴリート)規程(人民委員会議決定).既存の検閲機関を統合したグラヴリートを教育人民委員部に付置.グラヴリートの任務は,マルクス主義と革命への敵対的攻撃,民族的,宗教的狂信の宣伝,虚偽情報とポルノグラフィーの流布の監督による予防と弾圧.30.10.9教育人民委員部文献出版総局(グラヴリート)に改組.グラヴリートはその後の検閲機関の改組にもかかわらず.検閲機関の略称として使われた.⇒検閲の歴史.216頁
6.7 モスクワ・ソビエト,帝政の遺産と宗教との闘争の一環として,モスクワの477の街路名の変更を承認
6.8 モスクワの労働組合会館の列柱の間で,スターリン時代前の最初の見世物裁判,社会革命党(エスエル)幹部34人に対する全ロシア中執委付置最高革命放判所の公判始まる.欧州各国で活発な救援活動.→6.20,8.7
6.8 (極秘) 政治局が5.24にひきつづき全ロシア医師大会問題を検討し,知識人のなかの反ソ集団について決定.あらゆる大会はゲペウーの許可を必要とするものとし,ゲペウーが新聞に危険思想がないかを点検し,大学入学のときの思想検査を強化し,ゲペウーに登録されない創作家団体・専門家団体の新設を禁止し,反ソ知識人を国外追放することを決める.→6.22,8.10
6.10 ペトログラード音楽院ホールで,革命裁判所による教会聖器物の強制収用に抵抗の府主教ヴェニアミーンら聖職者と信者,被告計87人の大見世物裁判始まる.一→7.5
6.20 『プラウダ』紙で,ジノーヴィエフ「もしわが国の人民が,どこに友人がおり,どこに敵がいるかの埋解を完全に学んだとしても,なにも驚かないだろう.エスエル(社会革命党)裁判は,都市と農村の広範な大衆の政治教育の大きな歩みになるべきであり,なるだろう」
6.20 モスクワで社会革命党(エスエル)裁判について大デモ,公式発表によると参加者30万人.スローガンは「プロレタリア裁判所万歳! エスエルに死を」.職場紙がエスエル攻撃の詩,スローガンを争って掲載
6.22 最初の刑事訴訟法典.→23.2.15刑事訴訟法典(全文改正)
6.22 シャリャーピン日記 →6.29
6.22 (極秘) 政治局,ゲペウー次官ウーンシュリフト提出の危険思想の医師のリストを検討し,リスト掲載の者を次の三つに分けることをウーンシュリフトに指示.(1)逮捕,即時居住地追放.(2)逮捕,非合法文献の配布を取り調べ.(3)逮捕,身辺整理の余裕をあたえ1週間後に居住地追放.→8.10
6.28 (極秘) 都市とその周辺の浄化のゲベウー決定.ペトログラードから反革命白衛派,その政治集団の分子,エスエル,メンシェヴィキー,ペトログラードとペトログラード県の経済機関,個々のトラストなどに勤務の彼らの協力者,労働組合,プロレタリア大衆団体のメンシェヴィキー,エスエルのメンバー,彼らの積極的協力者,反革命的活動を思動的政治的に仕上げ,反非命的事業に全面的積極的に協力できる自由職業の者,反革命的学生を市外へ移すため,逮捕,孤立化,流刑の手続きで市を浄化.→8.17
6,29 (極秘) 政治局,シャリャーピンに国外公演のため3ケ月の国外滞在を許可.しかし出国後帰国しなかった.シャリャーピンの回想「私は没収された金も,両首都の家も,田舎の土地も望まなかった.悲しませたのは,ロシアの風景であり,ロシアの農民であり,洗練された人たち(知識人)が事態がどれだけ悪いかと語っていることである」.38.3.12パリで死亡.→27.8.22
〔7月〕
7.5 ペトログラード革命裁判所,6.10に開始の裁判で聖職者と信者59人に有罪判決,内ペトログラード府主教ヴェニアミーンら10人は銃殺.内4人は8.12.13夜に刑執行.残り6人は自由剥奪に減刑
7.15 〔日本〕 日本共産党.コミンテルン支部として創立,初代書記長に荒畑寒村
7.17 (極秘) レーニン,スターリンへの覚書でカデート,人民社会党,メンシェヴィキーの数百人の知識人を急いで逮捕し,理由を告げず国外追放し,ロシアを永遠に浄化することを指示.→8.10.
〔8月〕
8.4〜9 第12回ロシア共産党全ロシア協議会.反ソ的政党と潮流の決定,社会革命党とメンシェヴィキーを短期間に完全に一掃することを決める.新党規約,入党条件をきびしく.一党制の確立へ
8.10 (極秘) 政治局,ウーンシリフト(ゲペウー副長官)提出の国外追放すべき反ソ知識人のリストを承認
8.10 (極秘) 敵対的知識人の国外追放の全ロシア中執委決定
8.10 行政的居住地追放の全ロシア中執委決定.→24.3.28.◆居住地追放(vysylka)は住んでいた都市など大都市での居住禁止,類似の流刑(ssylka)は指定の僻地への強制移住.ともに当局の監視下で生活.帝政時代の流刑,居住地追放復活へ
8.17 全ロシア中執委付置最高裁判所,社会革命党幹部に判決.12人に死刑,残り32人に2〜10年の禁錮.死刑執行されず.24.1.14禁錮5年に減刑
8.17 モスクワ,ペトログラードなどで知識人(考える人)の逮捕始まる.レーニンの5.19の提案にしたがい,哲学者ベルジャーエフ,プルガーコフ,フラーンク,フロローフスキー,社会学者ソーキン,法哲学者イヴァーン・イリイーン,歴史学者メリグノーフ,評論家イズゴーエフ,大学の学長,学部長,文学研究者,ジャーナリスト医師,農業専門家ら160人を逮捕.9.2船(いわゆる賢者の船)に乗せて国外追放.1974年2月ソルジェニーツィン国外追放の先例.→8.31
8.28 すべての男性共和国国民の兵役義務の全ロシア中執委・人民委員会議布告.勤労分子だけに兵役義務,「搾取階級」の代表には労働の義務
8.31 『プラウダ』紙の論説「最初の警告」,文化の分野での反革命分子との決定的闘争の必要を説き,ブルジョア知識人の一定の層がソビエト権力と和解せず,大学,ジャーナリズム,文学,哲学,医学,農学,協同組合が反ソ活動の拠点になっているとし,もっとも積極的なブルジョア・イデオローグ160人の国外追放を伝える.実際の国外追放は9.23.→9.4.◆1922年に,レーニンの強い主張により国外追放された知識人の総数は不明,200人説もあり,このほか同年多数の知識人が亡命
〔9月〕
9.4 (極秘) ゼルジーンスキーのウーンシュリフトへの指示「全知識人をグループに分ける必要がある.たとえば(1)小説家,(2)評論家と政治家,(3)経済専門家(次のサブ・グループに分ける必要がある.(a)財政専門家,(b)燃料専門家,(c)運輸専門家,(d)商業,(e)協同組合など,など,(4)技術専門家(やはり次のサブ・グループ,(a)技師,(b)農業技師,(c)医師,(d)参謀本部員など),(5)教授,大学教員など,など.われわれ(ゲペウー)のすべての部が情報を集め,これを知識人部に集中させなければならない.知識人一人ひとりの調書を持たなければならない」
〔10月〕
10.1 作家プリーシヴィンの日記.「社会主義は,資本主義の個人否定の原則に対する生きた個人の熱烈な抗議により生まれたのに,自分はその技術生産集団の中で個人を窒息させるのか」
10.2 レーニン,ゴールキからモスクワに戻る
10.16 国家保安局(ゲペウー)の権限拡大の全ロシア中執委布告.武装行動の者,強盗の犯行現場での銃殺をふくむ刑罰権をゲペウーにあたえる.→23.11.15
10.16 (極秘) ゲペウーの勤務員の職務犯罪の審理とゲペウー審議会による裁判によらない判決権をゲペウーに付与の全ロシア中執委幹部会決定.ゲペウーの活動の機密を守るため
10.31 民法典(全ロシア中執委決定).法案作成のときシェルシェネーヴイチらが作成の1905民法典草案が利用されたが,レニンの強い要求で私的関係に国家が介入できる条文が入った.私的所有権の対象を限定列挙し,その限りで私的所有を保護し,私企業の組織形態として株式会社などを認めた.私的所有権,私企業の条項は1920年代末から守られなくなり空文化した.61.12.8ソ連と連邦構成共和国の基本民法
〔11月〕
11.1 前日までの教会聖器物強制収用の成果(全ロシア中執委幹部会の政治局への報告)金33プード32フント(551トン),銀2万3007プード23フント(3万7865トン),ブリリアント型宝石3万5670個,その他の宝石7万1762個,真珠14プード32フント(252トン).金貨3115ルーブル,銀貨1万9155ルーブル,各種物品52プード307ント(252トン).合計推定価格465万810.67ルーブル,別に価格査定が必要な骨董品964点,教会から強制収容の貴金属などは,飢餓対策の穀物輸入ではなく,コミンテルンを通しての外国共産党への接助などに使われた.→12.7
11.9 フランスに出張中のヴェルナーッキー(自然科学者)の日記.「現在の反動は−右に−動いているという.だが“右に”どこへ行くのか,科学的に創造する自由な人間個人の観点からすると,さらに実際の反動に行く.今日,言論と報道の自由がなく,科学研究の自由がなく,自治がなく,政治的権利だけでなく,市民的権利さえない.個人の尊重と保障の要素がない」
11.9〜12.5 第4回共産主義インタナショナル(コミンテルン)大会
11.20 レーニン,モスクワ・ソビエト総会での生前最後の演説で,「自分たちの党という,ごく少数の人びとがおり,彼らが建設に取り組んでいる.この先は,ロシアの勤労大衆のなかの,ほんの一粒である.この一粒は,すべてを作り変える課題を自分に課し,そして作り変えた」といい,新経済政策について次のように語る.「われわれはあるジェスチャー,ある運動をしている.いまは後退し,いわば後退している.われわれがこれをしているのは,後退し,それからはずみをつけて,これまでより強く前へ跳ぶためである.この条件でだけ,われわれは新経済政策の実施のときに後退した」.『プラウダ』紙(22.11.21)は演説全文を掲載したが.『レーニン全集』は『プラウダ』紙が「要旨」を報道として,その「要旨」をのせる.演説全文は,レーニン『知られていなかった文書』(1999年)に収録
〔12月〕
12.7 (極秘) 政治局,国家的必要めため穀物5000万プード(819トン)の輸出決定
12.16 レーニン,2度目の脳梗塞で倒れる
12.18 党中央委総会,貿易の国家独占の決定.レーニンの支持を得たトローツキーの要求で10.16布告を修正し,貿易人民委員部が貿易を独占し,他の機関,国有企業,協同組合が貿易を行うことを禁止.貿易の国家独占については21.頁参照
12.18 医師の示す安静規則をレーニンが守ることの監視が,スターリンに委ねられる
12.23〜26 病床のレーニン「大会への覚書」(いわゆるレーニンの遺書)を口述.一→23.1.4−6
12.30〜31 病床のレーニン,「民族問題または『自治共和国化』の問題について」を口述.彼はウクライナなどを自治共和国としてロシアに編入するスターリン案(9.22)が,すでに撤回されていることを知らなかった
12.30 全ロシア中執委付置最高裁判所軍事部,ティーホン総主教の刑事責任を問い,刑法典(5.26)の定める犯罪により取り調べ開始を決定.→23・6・16
1922年 イルクーツク県,ザバイカール地方,アルタイ地方で.1918年以来の農民反乱つづく
1922年の反革命罪 刑事責任を問われた者6万2887,勾留6万2887,判決:自由剥奪(収容所などへの拘禁)2656,死刑(銃殺)1962
1922年の有罪者(政治犯罪,労働犯罪,軍事犯罪をのぞく)ソ連108万9503,その内ロシア101万5102
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〔関連ファイル〕
『はしがき、あとがき』 憲法制定議会の武力解散もクーデタ
『1917年コラム』 十月革命は選挙運動中のクーデタ
『1918、19年、ボリシェヴィキ不支持者・政党の排除・浄化年表』
『1920、21年、ボリシェヴィキ不支持者・政党の排除・浄化年表』
『1922年、ボリシェヴィキ不支持者・政党の排除・浄化年表』
『20世紀社会主義を問う−レーニン神話と真実1〜6』ファイル多数
他党派殲滅路線・遂行の極秘資料とその性質
レーニンがしたこと=政治的民主主義・複数政党制への反革命クーデター
『「赤色テロル」型社会主義形成とその3段階』レーニンが「殺した」ロシア革命勢力の推計
『レーニンの大量殺人総合データと殺人指令27通』大量殺人指令と報告書
『聖職者全員銃殺型社会主義とレーニンの革命倫理』レーニン・スターリンで約70万人殺害
『「反ソヴェト」知識人の大量追放「作戦」とレーニンの党派性』
梶川伸一『レーニン体制の評価について』21年−22年飢饉から見えるもの
山内昌之『革命家と政治家との間』レーニンの死によせて