志位・市田・不破が民主集中制を手放さない理由

 

分派禁止規定は、トップ自己保身目的のみの党内犯罪武器

 

民主集中制放棄の拒絶によるじり貧的瓦解→共産党自然死の展望

 

(宮地作成)

 〔目次〕

   1、イマジン−民主集中制・分派禁止規定を放棄したら何が起きるか

   2、分派禁止規定は、トップ自己保身目的のみの党内犯罪武器

   3、レーニンの分派禁止規定=歴史上最悪の党内犯罪遂行組織原則

   4、悲観的イマジン−犯罪的組織原則を手放させる党内勢力の死滅

   5、民主集中制放棄の拒絶によるじり貧的瓦解→共産党自然死の展望

 

 〔関連ファイル〕       健一MENUに戻る

    『スターリンは悪いが、レーニンは正しい説当否の検証−レーニン神話と真実』ファイル多数

    『レーニンによる分派禁止規定の国際的功罪』

       1921年クーデター政権崩壊危機とレーニン選択の4作戦

       分派根絶・一枚岩統一功績と党内民主主義抑圧犯罪の二面性

       レーニンがしたこと=少数分派転落・政権崩壊に怯えた党内クーデター?

    『日本・フランス・イタリア共産党と民主主義的中央集権制』ファイル多数

    『なぜ民主集中制の擁護か』党内民主主義抑圧の党内犯罪事例

    『ゆううつなる党派』民主主義的中央集権制の4システム

    『コミンテルン型共産主義運動の現状』ヨーロッパでの終焉とアジアでの生き残り

    イタリア左翼民主党の規約を読む』添付・左翼民主党規約

    『フランス共産党の党改革の動向と党勢力』「進歩のための統一協定」運動とその結果

 

 1、イマジン−民主集中制・分派禁止規定を放棄したら何が起きるか

 

 このファイルは、いきなり、民主集中制・分派禁止規定を放棄したら何が起きるのかをイマジン(想像)することから始める。もちろん、現在の志位・市田・不破らと、党費納入25万党員との党内力関係の実態から見れば、その放棄は、実現不可能な空想になる。しかし、以下は、イタリア共産党やフランス共産党において、放棄により実現した党内民主主義の諸事実に基づくイマジンでもある。

 

 民主主義的中央集権制Democratic Centralismとは、分派禁止規定と一体のレーニン型前衛党組織原則である。なお、このファイルでは、Democratic Centralism()民主主義的中央集権制という正式訳語とともに、()日本共産党式の欺瞞的略語=民主集中制とを併用する。

 

 〔小目次〕

   1、党中央の絶対性・上意下達システムが崩壊し、党員権は飛躍的に向上する

   2、垂直性組織原理の放棄後は、全党員間・全党組織間の水平的横断的交流権が確立される

   3、下部および全党による指導部統制という原理が規約に明記される

   4、複数の異なる意見の潮流が合規約となり、横断的に賛同者を募り、党大会議案の提出権が保証される

   5、水平的横断的交流権は、指導部の民主的交替を可能にする

 

 1、党中央の絶対性・上意下達システムが崩壊し、党員権は飛躍的に向上する

 

 まず陰謀的秘密結社時代、非合法時代、武装蜂起、赤色テロル等の暴力革命時代に適合性を持ち、一定の必要性もあった党中央指令の絶対性=党員権軽視・無視の原理が、時代錯誤的なものとして逆転する。暴力革命路線のときのような軍事的指令部は要らなくなる。

 

 現在の日本共産党は合法政党であり、議会主義の路線をとっている。その暴力革命放棄路線に適合した党員権優先、党員主権の権利義務関係が第一義的に打ち立てられる。()党員権の拡充とともに、()人権という憲法に基づく市民権を優先させた党内原理こそ、党活動をもっともいきいきとさせ、自律的で多様な運動を展開する組織的保障となる。

 

 もっとも、2000年11月第22回大会は、規約全面改定において、義務→権利条項を、権利→義務順序に変更した。しかし、その後、判明した党内外排除・除名・除籍ケースは、党中央が党員権侵害を続けていることを証明した。

 

 今まで党中央官僚による党員権抑圧・侵害が横行していたことに対し、今後でも党機関による恣意的侵害が発生する可能性があるという見通しの下に、「党機関による党員権侵害、人権・市民権侵害に対して徹底してたたかう」ということが党員の義務条項の中に入れられる。

 

 2、垂直性組織原理の放棄後は、全党員間・全党組織間の水平的横断的交流権が確立される

 

 垂直性組織原理とは、暴力革命路線時代において、敵権力側の党破壊・スパイ工作からの防衛措置として必要だった。横の連絡・交流を全面禁止にしておけば、国家権力によって、党員・党組織が芋ずる式に逮捕・破壊される危険を防止できた。

 

 しかし、その原理は、それとともに、他の一面として、党中央トップの自己保身目的のために、支部を超えた横の連絡を絶ち、党中央批判勢力が多数派にならないようにする最高の党内犯罪武器の役割も果たしてきた。批判・不満意見を持ち、その水平交流をしようとする勢力にたいし、分派レッテルを貼り続ければ、党中央トップの自己保身は完璧になる。全党員間・全党組織間の水平的横断的交流権「分派」の呪縛から党員を解き放ち、党内民主主義を完全に保障するものとなる

 

 ただしその場合、分派による混乱を防止するに足る政治的文化的成熟、節度ある論争レベルの確立が必要条件になる。

 水平性の主張は、うぬぼれた前衛党思想、一枚岩思想否定に基づく。それは、党内での意見の不一致、対立、多様性は常時存在し、たえず再生するという観点を根底に持つ。

 

 水平的交流権の具体的内容としては、(1)少数意見・異論の普及権を承認し、そのための集団的・横断的宣伝権を認める。そして党機関はそれに対し、党事務所の提供義務、党機関紙誌への意見掲載義務を負うものとする。地区党会議、都道府県党会議、党大会への個人・集団による議案提案権は当然の権利として保証される。(2)、各級機関役員の立候補と推薦運動、各級党会議代議員の立候補、推薦運動を横断的に行うことができる。(3)、党機関による党員権侵害犯罪を根絶する制度的保障の一つとして、規律違反処分・専従解任措置に対する横断的な異議申立権を確立する。

 

 3、下部および全党による指導部統制という原理が規約に明記される

 

 国家権力であろうと、政党、大衆組織、会社等の組織権力であろうと、人間は権力の魔力には弱い、権力者は腐敗するという権力観・人間観に基づき、下部および全党による指導部統制という原理が規約に明記される

 

 党中央指導部は、政策・方針の集約・決定・執行を全党から一定期間委任されただけであり、多選禁止などの任期期限制が導入される。さらに一部の指導者専制に対して横断的なリコール運動権が認められる。党中央統制委員会は、()宮本議長が改悪したような中央任命の下級組織への統制機構ではなく、()再び党大会選出に戻され、党中央委員会、幹部会、書記局への統制、監視が第一義的な任務となるよう改組される。

 

 こうすれば重層的指導体制などという指導者専制をごまかす新造語が生まれる余地もなくなる。党指導部は各地方の運動や各分野の運動の政策・方針の調整機関として、その調整能力分だけの中央集権権限の限定的保有が許される。

 

 官僚的軍事的中央集権制としてのDemocratic Centralism・分派禁止規定の否定・廃棄と、うぬぼれた排他的イデオロギーしての前衛党概念放棄は、同時に国家権力奪取型社会主義の理念、綱領をも根本的に変更させる。それは、各組織の構成員主権・市民権が確立した自律的で民主主義的な政党を生み出し、他党派との連合形成能力を飛躍的に伸ばす。

 

 4、複数の異なる意見の潮流が合規約となり、横断的に賛同者を募り、党大会議案の提出権が保証される。

 

 党内に複数の意見相違とその潮流が存在することは当然となる。それは、水平的交流の活発化によって、いくつかの潮流に収斂する。インターネットを通じても、横断的に潮流への賛同者を募ることも可能となる。それらは、レーニンによる党内民主主義を抑圧する分派禁止規定の反民主主義体質根絶する。共産党員は、「分派」レッテルの呪縛から解き放たれる。

 

 大転換前のイタリア共産党や、現在のフランス共産党は、党内における複数の異なる意見の潮流の存在を認めた。その複数潮流は、党大会に向けた複数決議案となり、多数決採決をされた。2党は、レーニンの分派禁止規定とその実践を犯罪的組織原則だと断定し、党大会で放棄宣言していたからである。

 

 5、水平的横断的交流権は、指導部の民主的交替を可能にする

 

 指導部やトップ批判に関する意見公表も、規律違反とならない。党大会に向けた大会議案提出権だけでなく、各潮流は、別個の中央委員リストの作成と提出が認められる。役員選挙という名を騙った上意下達式の党役員任命システムは崩壊する。批判・異論などの少数派意見は、党中央路線・方針と異なる潮流結成権によって、多数派に転化できる機会が保障される。かくして、役員候補者の複数リスト、または、委員長・議長リストが党大会において争われ、党中央指導部の民主的交替が実現する。

 

 これらは、イタリア共産党やフランス共産党が、Democratic Centralism・分派禁止規定という犯罪的組織原則放棄する前からも、党内力関係によって、一部行なわれていた。放棄後、以上はほぼ全面実施された。

 

    『イタリア左翼民主党の規約を読む』添付・左翼民主党規約

    『フランス共産党の党改革の動向と党勢力』「進歩のための統一協定」運動とその結果

 

 

 2、分派禁止規定は、トップ自己保身目的のみの党内犯罪武器

 

 〔小目次〕

   1放棄した資本主義国共産党の党内犯罪総括と放棄経緯−イタリア、フランス

   2、放棄しない日本共産党のトップ自己保身目的のみによる党内犯罪実態とカラクリ

 

 1、放棄した資本主義国共産党の党内犯罪総括と放棄経緯−イタリア、フランス

 

 レーニンは、誤った路線・政策・赤色テロルによって、10月クーデター3年5カ月後、早くも政権崩壊危機に直面した。そこで、1921年3月第10回大会で、分派禁止規定を決定させた。それらの党内外経緯は、別ファイルで詳細に検証した。さらに、彼は、1922年3月第11回大会において、あらゆる異論と不一致の表現党に対する最も重大な犯罪とみなすよう宣言し、指令した。それによって、ソ連共産党だけでなく、世界のコミンテルン型共産党各国支部すべてを、党内の批判・異論重大な犯罪とみなす反民主主義政党変質させた。

 

 レーニンが遂行した党内犯罪のカラクリを認め、分派禁止規定と一体化した犯罪的組織原則を放棄した共産党はどう総括したのか。

 

 ()、イタリア共産党は、1989年に放棄した。放棄理由は次のように言明された。民主主義的中央集権制はたしかに派閥主義的堕落を阻止した。しかし、さまざまな思想や綱領の自由な表明を行うために常に不可欠指導部を統制のもとにおくという点において大きな限界を持っていた。

 

 ()、フランス共産党は、1994年に放棄決定をした。そして、民主主義的中央集権制は、統一と画一性を混同し、誠実な共産主義者でも意見が異なれば、これを打倒し、隔離すべき敵であるかのように扱った自己批判し、分派禁止規定と一体化した誤りと認め、放棄宣言をした。党大会は、放棄に賛成1530人、反対512人、棄権414人という採決結果だった。

 

 〔イタリア共産党やフランス共産党における放棄主張派の残存と活躍〕

 

 イタリア共産党やフランス共産党は、なぜ、とのような経緯で、レーニンのDemocratic Centralism・分派禁止規定功罪研究し、その犯罪的組織原則側面認識し、放棄に至ったのか。

 

 その基本的政治背景は、共産党員・支持者が、東欧・ソ連10カ国の否定的データ前衛党犯罪情報の大陸地続き大量流入によって、共産党という犯罪政党に見切りをつけ、離党・投票拒否に出たことにある。両共産党とも、党員数・機関紙読者数・選挙得票数がじり貧的瓦解となり、あらゆる面で共産党からの離脱テンポが急ピッチになった。

 

 このままでは、共産党が、反民主主義の犯罪的組織原則政党と見なされ、党組織そのものがじり貧的瓦解→崩壊してしまうという強烈な危機感で、党中央レベルの認識が一致した。党中央は、共産党員による党内外への批判・異論発表禁止をやめた。それでも、歯止めのないじり貧的瓦解を食い止められなかった。もはや、レーニンのDemocratic Centralism・分派禁止規定という犯罪的組織原則完全放棄しか、共産党が生き延びる道はなくなった。

 

 レーニンは、1920年後半から21年3月にかけ、単独権力奪取クーデター3年から3年5カ月後二月革命以来ロシア革命・ソヴィエト勢力である労働者・農民・兵士の総反乱に直面した。彼は、一党独裁クーデター政権崩壊の危機感にさいなまれ、分派禁止規定という緊急避難的な犯罪的組織原則第10回大会最終日急遽提案し、採決させた。

 

 レーニンは、労働者反対派民主主義的中央集権派など、レーニン・トロツキーの誤った路線・方針を批判する分派廃絶し、批判・異論党にたいする犯罪と見なさなければ、ソ連共産党が崩壊し、かつ、クーデター政権も崩壊してしまうと、党治国家権力者側であるボリシェヴィキ代議員の認識の一致を強要したからである。

 

 両分派の党大会代議員も、一党独裁権力者側の立場から、その崩壊を避ける手段として、分派禁止規定に賛成した。それだけでなく、彼らは、党大会直前から始まったクロンシュタット事件の水兵・労働者14000人皆殺しにせよというレーニン・トロツキーの指令にも全員が賛成し、代議員としてクロンシュタット鎮圧作戦参加し、皆殺しに加担さえもした

 

    『1921年クーデター政権崩壊危機と政治の逆改革』ファイル多数

 

 イタリア・フランス両共産党中央において、放棄主張派は死滅していなかった。レーニンのケースとはで、資本主義国の両共産党中央は、分派禁止規定という犯罪的組織原則放棄しない限り、共産党が崩壊してしまうと一致した。残存していた放棄主張・党内民主主義拡張主張派中央委員たちが、放棄に向けて活躍した。両党トップは、日本共産党の宮本顕治・不破哲三の手口と違って、彼らが党中央委員会内部で、批判・異論を公然と唱えていても、規律違反とせず、排除・除名などの処分をしていなかった

 

    『コミンテルン型共産主義運動の現状』ヨーロッパでの終焉とアジアでの生き残り

 

 2、放棄しない日本共産党のトップ自己保身目的のみによる党内犯罪実態とカラクリ

 

 日本共産党における分派禁止規定の執行実態は次である。宮本・不破・志位らは、以下の分派活動の容疑に基づく査問という党内犯罪を数百件遂行してきた。

 

 分派とは、党内において、党中央とは異なる路線を公然、または秘密裏に掲げ、それに基づいて集まるグループ、党内派閥のことである。かつては、ソ中両党による干渉の影響の下で、ソ連派・中国派などの分派があった。現在では、そのような明確な路線を掲げていなくても、単に党運営での()官僚主義的党運営批判、()党勢拡大や大衆運動問題批判、()国政選挙6連続惨敗の欺瞞的総括めぐる党中央批判にまで、その分派概念が拡大解釈、拡大適用され、2人以上の党員が党中央批判を話し合えば、それは分派活動と恣意的に認定され、査問の対象になる。

 

    『ゆううつなる前衛』、その粛清と査問システム

 

 分派活動の規律違反容疑のケースは、ほとんどが監禁査問の形態をとる。

 

 批判・異論者に分派活動の疑いをかけたら、監禁形式で査問(=党機関による調査審議)をし、その間あらゆる党員権はく奪する。監禁形式での査問とは、一党独裁国前衛党による粛清機関留置所、強制収容所での勾留、監禁と同じである。その態様は、日本共産党中央委員会事務所、あるいは、県・地区委員会事務所の一室または別の監禁場所で寝泊まりさせ、逃亡、自殺予防の見張り要員つき、三度の食事もその部屋でさせ、査問通告した瞬間から、家族との直接の電話連絡禁止する。長期になれば下着の着替え差し入れだけは認めるという前衛党式調査スタイルのことである。

 

 その監禁査問期間は、各ケース、分派容疑程度によって異なる。1972年、「新日和見主義分派」容疑での、川上徹への監禁査問期間は、13日間だった。著書『査問』にあるように、彼の父親が、監禁をやめなければ人権擁護委員会にすぐ訴えると、党中央に電話通告しなければ、もっと長引いていたであろう。

 

    川上徹『査問』(筑摩書房、1997年)

 

 川上査問の5年前1967年5月、「愛知県5月問題」の分派・グループ活動容疑では、数十名が査問され、そのうち私たち十数名監禁査問された。それは、党勢拡大の極度な一面的追及、党内民主主義を踏みにじる指導での箕浦一三准中央委員・県副委員長・地区委員長への、1カ月間にわたる、地区党内あげての批判運動を、逆に切り返され、分派・グループ活動ときめつけられたものだった。私は、名古屋中北地区常任委員・5つのブロック責任者(=地区分割により、現在では5つの地区委員長)として、その分派・グループ的批判活動の首謀者と見なされ、21日間にわたって、監禁査問された。この詳細は、別ファイル『私の21日間の監禁査問体験』で書いた。

 

    『私が受けた「監禁査問」21日間の壮絶』24時間私語厳禁、トイレも通院も監視つき

    『私の21日間の監禁査問体験』批判活動の経緯と逆転の監禁査問

 

 このような査問スタイルを前衛党がするとはとても信じられないと思われる方が多いであろう。しかし、分派容疑査問の対象者は、その査問決定時点から、もはや同志ではなく、党破壊者・反党分子・スパイなどの憎むべき階級敵という扱いに転落する。よって、査問をする側にとっては、敵に対する当然の、正しい措置となる。

 

 分派禁止規定違反の査問とは、ある党規律違反の容疑に関して、事実・真実を、客観的に調査審議することとは、まったく異なる。党機関が、ある党員を分派容疑で査問すると決定したことは、()その党員になんらかの排除・粛清・抹殺項目のいずれかを適用することを前提とし、()その粛清手続きとして査問をするということである。()査問招集前に、その党員の排除、粛清レベルは決定ずみなのである。

 

 その問いただす・問責・尋問の態様は、資本主義国の刑事裁判と比較すれば、弁護士はいなくて、検事と裁判官が一体となった党側査問委員会が、分派犯罪事件被告人たる排除・粛清決定ずみ容疑者に、分派メンバーの人数とその言動を、粛清できるだけ吐かせるためのスタイルになる。一党独裁国においては、これがブハーリンたちのモスクワ粛清裁判チェコのスランスキー粛清裁判のような見せ物裁判の態様もとった。

 

 それは、三権分立をブルジョアシステムと軽蔑・廃棄したレーニンのクーデター政権の一貫したスタイルである。レーニンがしたことは、政治的民主主義・複数政党制・三権分立を、ブルジョアシステムと軽蔑・廃絶させた反革命クーデターだったと規定できる。その検証は、別ファイルで詳細に行った。

 

    『レーニンが追求・完成させた一党独裁・党治国家』

    他党派殲滅路線・遂行の極秘資料とその性質

    レーニンがしたこと=政治的民主主義・複数政党制・三権分立への反革命クーデター

 

 この規定は、日本共産党の一枚岩的統一を維持する上では、一定の効果があった。しかし、それは他の一面として、党内民主主義を、査問という武器で刺し殺すという、諸刃の刃だった。スターリンは、レーニンが新設してくれた、その分派禁止規定武器を、過激に、大規模に使って、共産党員百万人被除名の共産党員百万人を、分派禁止規定違反で銃殺した。その『犠牲の規模』については、別ファイルで載せた。

 

    塩川伸一『スターリニズムの犠牲の規模』現・元共産党員200万人銃殺

 

 宮本・不破・志位らは、トップ・党中央指導部への批判・異論党員数百人にたいする政治的殺人犯罪を重ねてきた。現在の志位・市田・不破ら共産党トップの自己保身目的にとって、これほどありがたい、かつ、21世紀世界政党史上最強の党内犯罪武器はないであろう。

 

 なぜなら、トップや指導部にたいする批判・異論を、レーニンが1922年3月第11回大会において明白に断定したように、あらゆる異論と不一致の表現党に対する最も重大な犯罪とみなせば、党内下部において、それらが多数派になって、トップ・指導部が交替させられることは絶対に起こりえないからである。彼らが、この犯罪的組織原則を絶対に手放さない理由は、現在の議会主義路線において、他にありうるだろうか。その理由は、まさに彼らトップの自己保身目的以外にない。

 

 

 3、レーニンの分派禁止規定=歴史上最悪の党内犯罪遂行組織原則

 

 〔小目次〕

   1、第10回大会、「党の統一について」決議−1921年3月

   2、分派禁止規定の歴史的功罪−レーニンからスターリンへ

   3、第11回大会、レーニン発言―1922年3月

 

 1、第10回大会、「党の統一について」決議−1921年3月

 

 「党の統一について」決議は、もともと大会の議事日程で予定されていなかった。それは、1921年3月16日大会最終日の会議で、レーニンがいわば緊急動議のかたちで提出したものだった。それだけでなく、フラクション禁止の第7項は、まさに前衛党そのものを変質させる根本的誤りだった。レーニンは、その7項目規定によって、党内での批判の自由党内民主主義実質的抑圧に決定的な一歩を踏み出した。あまりに誤った非常事態規定だけに、レーニン自身が、その第7項だけを、大会以外への公表を禁じ、秘密条項とするよう提起した。

 

 秘密第7項の内容は、「党内に、また、ソヴィエトの全活動のうちに厳格な規律を打ちたてるため、また、あらゆる分派結成を排除して、最も大きな統一を成し遂げるために、大会は、規律の違反とか、分派の発生や黙認とかの場合には、党からの除名をふくむあらゆる党処罰の措置をとる。また中央委員については中央委員候補に格下げするとか、非常措置としては党から除名さえする全権を中央委員会に与える」とするものだった。これは、党組織の歴史における転換点だった。党大会で選出され、したがって大会でしか格下げ、除名できない中央委員にたいする処分権を中央委員会に与えるという非常事態規定である。

 

 2、分派禁止規定の歴史的功罪−レーニンからスターリンへ

 

 これらの規定によって、レーニンは、党内民主主義を抑圧する道スターリンに先駆けて、切り開いた。スターリンは、3年後1924年、レーニン死後、秘密条項を解禁した。それによって、この規定を公然とした恒常的規定に格上げし、ライバル排除に全面的に活用した。それだけでなく、スターリンは、レーニンの教えを、忠実な弟子として受け継ぎ、それをエスカレートさせた。党大会だけにある処分権の一部を剥奪して中央委員会に全権移譲させることから、さらにスターリン支配下の書記局に全権を集中させた。それは、スターリン・側近グループの私的分派独裁に必然的に移行した。スターリンにとって、レーニンは、この党内民主主義抑圧の党内犯罪路線における偉大な教師だった。

 

    『スターリンの粛清』ファイル多数

 

 分派禁止規定は、クーデター政権が崩壊危機に直面した時点において、たしかに党内の4分派を解消し、党内分派固定化の回避党の一枚岩的統一を固めた。その面では、分派禁止規定決議の効用があった。しかし、それは同時的半面として、党内民主主義抑圧し、レーニン主流派・トロツキー「労働の軍事化」推進派にたいする批判・不満発表全面禁止となった。それだけでなく、レーニンは、その4カ月後他2分派党員を狙い撃ちにし、約20〜24%もの大量除名を強行した。分派禁止規定によるその功罪2面性をどう評価するのか。

 

 レーニンが、()1921年3月分派禁止規定と、()その4カ月後・夏前後における異様な規模の大量除名事件によってしたことは、彼が少数分派転落・政権崩壊に怯えた党内クーデターだったと規定できるのではないか。()()は、従来、切り離されて、ばらばらに位置づけられてきた。

 

 しかし、ソ連崩壊後における極秘資料の発掘・公表によって、()()連結した事件として捉えられるようになった。それは、レーニン最高権力者分派・トロツキー「労働の軍事化」分派という主流2分派が、反主流2分派党員全員を除名したという恐るべき党内クーデター犯罪だったのではないか。そうなれば、1921年ソ連史・ソ連共産党史認識の180度逆転換が成り立つ。その疑惑については、下記の別ファイルで詳しく検証した。

 

    『レーニンによる分派禁止規定の国際的功罪』

       1921年クーデター政権崩壊危機とレーニン選択の4作戦

       分派根絶・一枚岩統一功績と党内民主主義抑圧犯罪の二面性

       レーニンがしたこと=少数分派転落・政権崩壊に怯えた党内クーデター?

 

 3、第11回大会、レーニン発言―1922年3月

 

 レーニンは、1年後1922年3月第11回大会においても、ネップの「後退、退却」観を堅持していた。R・ダニエルズ『ロシア共産党党内闘争史』を、そのまま引用する。一九二二年の三月末から四月はじめにかけて開催された第一一回党大会は、レーニンの指導下における最後の党大会であった。更にいっそうの団結と規律というのが党指導者の考えた主要なテーマであった。

 

 レーニンは時を移さず、党の団結を維持するには無慈悲さが必要なのだと断じた。「もし人々が狼狽をもちこむならば―こういう瞬間には、どんなわずかな規律紊乱も、厳重に、手ひどく、容赦なく罰する必要がある」。ネップは一種の退却であるから、党の隊列における秩序はそれだけますます必要である。本物の軍隊にこのような退却が行なわれるときは、機関銃をすえる。そして正常な退却が無秩序な退却になっていくときには、「射て!」という命令がくだる。しかもそれは正しいのである。

 

 レーニンは反対派活動の弱まりを認めたが、代議員たちは分派主義を根絶するために倍旧の努力を献げるように要請された。「党全体とその地方諸組織の全権力をあげて、党の組織を分裂させるあらゆる種類の現われと決定的な闘争を行なわねばならない。…党全体が、あらゆる異論と不一致の表現党に対する最も重大な犯罪とみなさねばならない。」(P.131)

 

    『レーニン「分派禁止規定」の見直し』1921年の危機、クロンシュタット反乱

    大藪龍介『党内分派禁止と反対政党の撲滅。民主主義の消滅』1921年

 

 

 4、悲観的イマジン−犯罪的組織原則を手放させる党内勢力の死滅

 

 〔小目次〕

   1、党中央レベルにおける放棄主張・党内民主主義拡張主張派の早くからの死滅

   2、犯罪的組織原則という認識に至った党費納入拒否15万人=党内離脱党員化

   3、不破綱領を読む気もしない9万党員=党勢拡大・選挙運動サボタージュ党員化

   4、不破綱領読了16万党員=党中央への忠誠者+自主的思考・サボタージュ党員

 

 1、党中央レベルにおける放棄主張・党内民主主義拡張主張派の早くからの死滅

 

 1980年代から90年代における日本共産党を取り巻く情勢は、イタリア共産党・フランス共産党とほぼ同じである。歯止めのないじり貧的瓦解データやテンポも似ている。ただし、東欧・ソ連10カ国の否定的データ共産党犯罪情報の大陸地続き大量流入という条件は、ヨーロッパと東方の島国とでまったく異なる。それによって、スターリンは悪いが、レーニンは正しいという「レーニン神話」残存度合も根本的に違う

 

 ヨーロッパの共産党は、レーニンの犯罪的組織原則放棄生き残りを図った。それにたいし、不破哲三は、1994年と1997年宮本顕治脳梗塞2回再起不能というチャンスに恵まれた。そこで、彼は、まず、()宮本顕治の議長引退強要と、()宮本秘書団私的分派全員解体の党内クーデターを謀り()不破・志位・市田の新体制を確立した。そして、()宮本私的分派体制からの脱却の証明として、2000年規約全面改定をし、2004年綱領全面改定をした。これによって、不破哲三のアイデンティティーを確立できたとし、Democratic Centralism・分派禁止規定というレーニンの犯罪的組織原則放棄しなくとも、歯止めのないじり貧的瓦解から転換し、画期的な飛躍を勝ち取りうると打算した

 

    『不破哲三がしたことと体質』ファイル多数

 

 しかし、彼の生き残り・飛躍作戦は、2005年総選挙・2007年参院選において連続惨敗し、国政選挙6連続惨敗結果をもたらした。彼は、それに懲りないで2007年9月5中総以来、不破綱領を語る大運動を提起し、316地区・47都道府県委員会週報・月報を指令し、不破綱領を語る会の回数・参加人数を報告させている。

 

    『綱領全面改定における不破哲三の四面相』選挙6連続惨敗脱出のバイブル化

 

 日本共産党中央における放棄主張・党内民主主義拡張主張派は、宮本顕治の最高権力者39年間で、すべて排除・任務変更・除籍・除名などの粛清によって、一人もいなくなっている。不破・志位・市田らも、宮本の党内犯罪手口を見事なまでに踏襲してきた。それら党中央における死滅によって、現在の志位・市田・不破体制において、民主集中制・分派禁止規定という犯罪的組織原則放棄せよと発言する勇気を持つ中央委員・幹部会員・常任幹部会員は一人もいない。死滅させられている。

 

 その結果、現在の中央委員・常任幹部会員らは、水田洋が指摘しているように、自主的思考停止幹部に変質させられている。その思考停止状況について、筆坂秀世が『日本共産党』(2006年)において、幹部会・常任幹部会の会議は、不破議長のお話を聴くだけの場になっていると、常任幹部会員・党中央政策委員長だった会議体験に基づいて証言した。

 

    水田洋『民主集中制。日本共産党の丸山批判』自主的思考停止人間

 

 ヨーロッパの共産党や支持者・左翼は、Democratic Centralism・分派禁止規定が犯罪的組織原則である(だった)という事実認識に基づいて、ポルトガル共産党以外が、それをすべて放棄した。その世界的に認知された犯罪性を、日本共産党が認めず、放棄しない理由は何か。いまや、志位・市田・不破らは、党内民主主義を抑圧する反民主主義政党のトップである。

 

 どの犯罪にも、どの党内犯罪にも、必ずなんらかの犯行動機が潜む。志位・市田・不破らと中央委員全員が、犯罪的組織原則を手放さない犯行動機は、何か。それは、暴力革命路線廃止の議会主義政党段階において、自己の地位・特権を奪われたくないという自己保身しかない。日本政治の民主化のため、党のため、主役の支部のためなどでなく、自己保身だけが唯一の執着動機である。

 

 なぜなら、分派禁止規定を放棄しようものなら、ほとんどの党員・党組織から、志位・市田・不破批判横断的水平的交流権活用を通じて噴出する。彼らは、自分たちの党内犯罪責任追及を受け、現在の地位・特権剥奪されることが自明だからである。彼らにとって、分派禁止規定放棄とその後の展望などは、恐怖のイマジン=妄想でなく、現実に起こりうる悲劇的想定だからである。

 

 2、犯罪的組織原則という認識に至った党費納入拒否15万人=党内離脱党員化

 

 志位和夫は、2007年9月5中総で、党費納入率が63.0%に激減したと、共産党内部瓦解の危機感を込めて報告した。党中央が、党費納入率を公表したのは、日本共産党史上初めての歴史的出来事だった。第24回大会は、2006年1月で、公表在籍党員404299人だった。党費納入拒否の党員37.0%とは何か。その内訳は、()行方不明・長期未結集党員と、()党機関による離党届受付拒絶による党費納入拒否党員である。その合計は、404299人×37%=149571人になる。これらは党員名簿だけに存在する幽霊党員である。

 

    共産党『5中総』07年9月 『幹部会』12月

 

 日本共産党は、資本主義世界の共産党で唯一、()行方不明・長期未結集党員の党員名簿削除→除籍措置拒絶や、()離党届提出党員・口頭離党表明党員党機関が再度復帰説得指令→実質的な離党受付拒否をする政党になってきた。なぜ、イタリア共産党フランス共産党がしているように、事務的に離党受付実務をしないのか。なぜ、党費納入党員数だけで、党大会報告をしないのか。このようなやり方は、組織離脱拒絶という閉鎖的犯罪組織スタイルである。それは、昔の陰謀型秘密結社、テロ組織、カルト集団や暴力団にしか存在しない。

 

 これら()()党員の共産党からの党内離脱理由は様々である。ただ、共通する要因として、党内民主主義を抑圧し、上意下達式の党運営にたいする強い批判・不満がある。その内訳は、犯罪的組織原則という明確な認識からの離脱者と、漠然とした批判・異論者とがある。しかし、実態としての官僚主義的中央集権制我慢がならないという怒りがくすぶっている。しかし、彼ら15万人党費納入拒否の党内離脱党員なので、犯罪的組織原則を放棄せよとの党内発言権はない。

 

 イタリア共産党フランス共産党のように、その党大会年度の党費納入党員数だけで、各党大会報告をすればすっきりする。離脱・離党拒絶する悪弊は、宮本顕治が最高権力者39年期間で確立した負の遺産である。現在の志位・市田・不破らも、その宮本のマイナス母斑・呪縛から抜け出せないでいる。

 

 3、不破綱領を読む気もしない9万党員=党勢拡大・選挙運動サボタージュ党員化

 

 志位和夫は、2008年3月幹部会において、綱領と現在の情勢とが響き合っていると断定した。ただし、党員の綱領読了率がまだ39.9%と報告した。2004年1月不破綱領決定の4年2カ月後になっても、60.1%党員が綱領を読まない政党、読もうとしない党員の実態をどう考えたらいいのか。

 

    共産党『幹部会』08年3月

 

 綱領読了党員は、公表在籍党員で見ると、404299人×39.9%≒161315人しかいない。党費納入63.0%党員で見ても、不破綱領を読了していない、読む気もしない党員が、約25万人−約16万人≒9万人もいる。

 

 この党員数9万人の内訳は、()実質的な半分未結集=党費は納入し、赤旗は読むが、支部会議にほとんど出席しない党員、または、()志位・市田・不破らの路線・方針に批判・異論を抱き、その批判意見書を出しても握りつぶされた経験を持つ自主的思考党員からなる。彼らは、離党の意志表明まではいかないが、党勢のじり貧的瓦解データ知り国政選挙6連続惨敗結果とその欺瞞的総括強烈な不満を抱える。

 

 彼らは、志位・市田・不破らが強制する不破綱領を語る大運動方針や、党勢拡大・選挙運動などやっておれないと、サボタージュ党員に転化してきた。「意見書」を握りつぶされた党員は、二度と、民主集中制・分派禁止規定という犯罪的組織原則を放棄せよとの「意見書」は出す気になれない。

 

 4、不破綱領読了16万党員=党中央への忠誠者+自主的思考・サボタージュ党員

 

 2008年現在、日本共産党員の実数は、志位和夫が明白な証言をしたように、在籍党員中で、党費納入をしている63.0%・約25万人じり貧的瓦解をしている。しかも、不破綱領読了党員は、志位報告によれば、161315人しかいない。よって、不破綱領を語る大運動や、党勢拡大・選挙活動に積極的に取り組む党員の実数は、16万人だけに、一段とじり貧的瓦解をしてきた。

 

 ただし、不破綱領の読了率点検運動4年2カ月間掛けても、読んだと曖昧な返事をしただけの党員を除けば、実際の実働実数は、24000支部の忠誠派約10万人しかいない。読了していないのに読んだという曖昧な返事という実態と比率は、私の専従13年間における読了率数字点検・追及活動の実体験に基づいている。

 

 ()有権者・赤旗読者の共産党からの大量連続離脱・逃散と、()共産党員の大量党内離脱党費納入拒否15万人や、()不破綱領を読む気がしないという党勢拡大・選挙活動サボタージュ党員9万人が続けば、国政選挙の6連続惨敗は当然の結果だったと言える。

 

 その中で、不破綱領読了16万人は、2つの内訳を含む。

 ()党費納入をし、不破綱領を一応読んだが、党中央批判の自主的思考党員16万人側にも含まれる。彼らは、計画的党勢拡大路線は誤りとの認識に到達し、党勢拡大サボタージュ党員化している。また、国政選挙6連続惨敗の欺瞞的総括責任を取ろうとしない鉄面皮な居座りにも強烈な不満・憤りを抱き、国政選挙へのサボタージュ党員ともなっている。

 

 ()24000支部の忠誠派約10万人の実働党員だけが、自分の頭による党中央路線・政策・選挙総括の正否判断をやめ、党中央はつねに正しいとし、なんの疑い・批判も抱かないで、志位・市田・不破らに忠誠を誓う。彼らは、21世紀に、東方の島国においてのみ、なお残存する赤き信仰者である。彼らは、水田洋が規定する、日本共産党の戦後責任として形成された自主的思考停止党員に当てはまる。

 

 これら実働実数の忠誠派10万人は、志位・市田・不破らが、自己保身目的だけから、民主集中制・分派禁止規定という犯罪的組織原則を手放さないという秘めたる情念にたいし、その秘密を疑いもしない。もちろん、その理論的背景として、スターリンは悪いが、レーニンは正しいとの欺瞞的宣伝の歴史的刷り込みそのままの保持がある。そこから、ソ連崩壊後に発掘・公表されたレーニン批判データや文献を一切読まない。そして、日本共産党のじり貧的瓦解データを読む気もしないし、信じようともない。国政選挙6連続惨敗という真実・原因への思考を閉ざす

 

 それら忠誠派党員10万人は、不破綱領内容や志位・市田・不破らの路線・方針・選挙総括にたいし、なんの批判・不満も感じないので、民主集中制は最高の組織原則と思い、分派禁止規定は党の統一を守る基本原則だとし、党中央に忠誠を誓う。民主集中制・分派禁止規定を放棄せよと発言する党員がいれば、反党的意見と敵視し、党機関に密告さえする。私にたいする査問2回は、2回とも他の忠誠者専従による密告が原因のケースだったので、この密告をする忠誠党員タイプの存在は、他の実例多数を含め空想でない。

 

    『ハーシュマン理論「離脱・発言・忠誠」』衰退過程政党における党員の3テーマ

    『日本共産党との裁判』密告2回による査問2回の体験

 

 

 5、民主集中制放棄の拒絶によるじり貧的瓦解→共産党自然死の展望

 

 〔小目次〕

   1、民主集中制・分派禁止規定放棄の拒絶によるじり貧的瓦解データ

   2、イタリア共産党大転換で分裂した共産主義政党が国政選挙議席で消えた現実

   3、日本共産党が自然死=国政選挙で議席が消える展望

 

 1、民主集中制・分派禁止規定放棄の拒絶によるじり貧的瓦解データ

 

 1989年〜91年東欧・ソ連10カ国と前衛党いっせい崩壊後、党内における異なる潮流の承認は、民主主義政党としての当然のあり方となった。それへの大転換拒絶し続けるかぎり、イタリア共産党やフランス共産党に現れたような、党員数・機関紙読者数・選挙得票数における長期低落傾向から抜け出すことはできない。日本共産党の歯止めのないじり貧的瓦解傾向は、別ファイルで検証した。

 

    『イタリア共産党・フランス共産党における功罪と放棄の背景・理由』

 

 今後とも、トップ自己保身目的・反民主主義・党内犯罪である分派禁止規定を手放さない日本共産党が、国政選挙・赤旗部数において躍進する見込みは絶無である。下記の2008年4月イタリア総選挙結果は何を証明しているのか。それは、従来の共産党・共産主義政党支持者たちも、それら共産主義政党の体質が、レーニンの誤り・犯罪路線の呪縛下にある反民主主義の左翼反動政党であることを明確に認識してきた結果である。

 

    『じり貧的瓦解4段階経過と第5段階への転落方針』次回総選挙の展望

 

 2、イタリア共産党大転換で分裂した共産主義政党が国政選挙議席で消えた現実

 

 2008年4月、イタリア総選挙が行われた。イタリア共産党は、左翼民主党→左翼民主主義者になり、さらに他党と合併し、民主党になっていた。この総選挙において、民主連合は、ベルルスコーニ率いる中道右派連合による政権奪還を許した。ただ、民主党は、上下両院とも、33%前後の得票率を獲得し、かつて、イタリア共産党最盛期の得票率に匹敵する前進をした。

 

 小原耕一は、『葦牙34号』(2008年7月)において、「イタリア総選挙の結果を考える」との論評を載せた。彼は、元赤旗記者・イタリア駐在員で、現在グラムシ研究者でもある。彼は、総選挙の全体結果とともに、イタリア共産党大転換で分裂した共産主義政党の総選挙結果も分析した。結果に関する分析箇所はかなりあり、日本情勢との比較も含め、興味深いが省略する。次の結果箇所だけをそのまま引用する。

 

 今回の選挙結果の最大の特徴はなにか。それはなんといっても、左派勢力を結集した左翼「虹」連合が両院ですべての議席を失ったことだ。文字どおりの「惨敗」である。「虹」はうたかたのごとく消えてしまった。イタリアの政界再編は「左翼」抜きの二大政党制へと大きく旋回した感はいなめない。

 

 前プローディ中道左派政権を支えていたオリーブ連合の屋台骨、左翼民主主義者(旧左翼民主党)は昨年一〇月、旧キリスト教民主党左派マルゲリータ(ひなぎく)と合同して元ローマ市長ヴェルトローニ率いる民主党を新たに発足させたばかりだった。そして、今回の選挙では左翼連合勢力とは一線を画し「価値あるイタリア」と独自の連合を組んで選挙戦にのぞんだ。

 

 新たな民主党結成の動きに異をとなえた左翼民主主義者内の一部左派は離脱して「民主左翼」を結成した。この「民主左翼」は共産主義再建党(以下再建党)を中心に「緑の党」イタリア共産主義者党など左翼小会派とともに左翼「虹」連合を組んで選挙戦にのぞんだが、惨敗を喫したわけだ。民主党の側から見れば、今回の選挙戦をつうじて「左翼色」を名実ともに払拭することに成功したことになる。

 

 共和制成立(一九四六年)以降六三年間のイタリア政治において「左翼」を名のる政治勢力が、地方議会は別として、国政ではすべての議席を失った。三二年前(一九七六年)の総選挙でユーロ・コミュニズムの旗手ベルリングェル率いるイタリア共産党は三三・三%の支持率をえて、当時の最大与党キリスト教民主党にいま一歩のところまで迫ったものだった。筆者は一九七六年から八一年までの五年間、イタリア政治とユーロ・コミュニズムの生成・消長過程を現地でフォローした経験をもつが、そのころのことを考えると今や隔世の感がある。

 

 「ソ連崩壊」を前後して、「社会民主主義」への脱皮を模索していたイタリア共産党は解党し、党内多数派左翼民主党−左翼民主主義者−民主党へと衣替えし、民主党結党を機に「社会民主主義」から「自由民主主義」へとさらに大きく右へ舵を切った。少数派共産主義再建党、イタリア共産主義者党、その他へと離合集散をくりかえしてきた。そして再建党の前党首ヴェルティノッティ(前下院議長)率いる左翼「虹」連合は、今回の選挙の結果、国政では完全に「蚊帳の外」にはじきだされてしまった(P.196)

 

 下記(表1)は、在ローマ・ジャーナリスト茜ケ久保徹郎の評論『イタリア中道左派政権の復活と左翼の惨敗』(労働運動研究所・復刊20号、2008年8月、P.52)に載った()の一部を引用した。イタリア左翼は、2008年4月総選挙において、国政選挙議席で消えた

 

(表1) イタリア左翼政党の自然死=国会議席で消滅

イタリア左翼政党

上院

下院

議席数

得票率

議席数

得票率

2006年、共産主義再建党、イタリア共産主義者党、その他

28

11.6

113

10.2

2008年4月、左翼「虹」連合

0

3.2

0

3.1

 

 3、日本共産党が自然死=国政選挙で議席が消える展望

 

 〔小目次〕

   1、加藤哲郎が提起する日本社会主義の自然死という課題

   2、総選挙4回結果から見た次回も減少シミュレーション

   3、次回総選挙の11ブロックでの当落シミュレーション

 

 1、加藤哲郎が提起する日本社会主義の自然死という課題

 

 加藤哲郎は、HPファイル『日本社会主義運動の現在』において、現在までを歴史的に分析している。その末尾で、日本社会主義の展望と言いつつも、その内実として日本共産党の展望自然死について、次のように結論付けている。社会主義を日本共産党置き換えて読めば、そのまま当てはまる。

 

 「現存した社会主義」の歴史的教訓の一つは、思想の自由・文化的多元主義が、社会主義にとって不可欠だということであった。それは、社会主義の定義そのものにも適用されねばならない。「何が社会主義であるか」をも、後世の歴史の審判に委ねる、思想的寛容が必要である。その意味で、日本の社会主義はいったん自然死し、新たな名前で再生することが、課題となっている。

 

    加藤哲郎『日本の社会主義運動の現在』末尾の自然死

 

 2、総選挙4回結果から見た次回も減少シミュレーション

 

 議席・得票数・得票率という選挙の3基準から見ると、2005年9月総選挙の比例代表結果をどう評価できるか。そこから、次回総選挙のシミュレーションはどうなるのか。

 

(表2) 5回目総選挙の議席シミュレーション

議席

小選挙区

比例代表

小選挙区

比例代表

得票数

得票率

得票数

得票率

96

2

24

26

727万票

13.08

710万票

12.55

00

0

20

20

735万票

12.08

663万票

11.23

03

0

9

9

484万票

8.13

459万票

7.76

05

0

9

9

494万票

7.25

492万票

7.25

前回比

±0

±0

±0

+10万票

-0.88

+33万票

-0.51

5回目予想

(0)

(7)

(7)

(減る)

(減る)

(減る)

(減る)

 

 ()、比例代表得票数の05年増加は、投票率の6.66%大幅アップ=比例代表の有効投票総数約871万票増加を原因とするもので、支持者比率が増えたというレベルではない。もし、前回レベルの投票率だったら、得票数も前回比で減っていた。というのも、+871万票×共産党比例代表得票率7.25%≒+63万票が増え、522万票になったはずだった。それが、+33万票留まりということは、-30万票に等しい得票数減少で、429万票に減ったことを意味する。それは、得票率−0.51%減少データが証明している。

 

    『共産党の総選挙、参院選結果データ分析』(1970〜2007参院選)

 

 よって、総選挙結果は、3回連続得票数・得票率とも実質的減少というじり貧的瓦解をデータとして証明にした。よって、5回目も、リストラ転換方針にもかかわらず、むしろ、赤字新聞社経営破綻リストラによる当然の結果として、共産党の得票数・得票率は実質的に減るとのシミュレーションが出てくる。

 

 ()、05年比例代表議席は、実質的に30万票減少だったが、9→9となり、前回議席を維持した。しかし、それ以前の連続惨敗から抜け出すことができなかった。07年参院選比例代表は実質的に17万票減ったため、ドント式議席決定システムにより、改選4議席目が定数48以内に入れず、落選した。最近の03年・05年総選挙とも比例代表票は実質的に減った。それは得票率の3回連続減少が証明している。その傾向が、次回総選挙も続けば、東北ブロック近畿ブロック3人目落選する。次回比例代表議席は、24→20→9→9→()というシミュレーションになる。

 

 3、次回総選挙の11ブロックでの当落シミュレーション

 

 衆院選比例代表は、定数180人を全国11ブロック選挙区に分け、ドント式の当選者決定システムにより、各ブロックの定数以内に入れば当選できる。よって、全国でなく、ブロック別に当落シミュレーションをする必要がある。11ブロックの()で検討する。ただ、落選の確率が高い東北・近畿という2ブロックについては、後に別ファイルの()詳しくシミュレーションをする。

 

    総選挙05年結果 総務省 朝日 読売 日経 共同 JANJAN wikipedia

 

(表3) 11ブロックの05年総選挙結果と次回立候補数

ブロック

定数

立候補

当選

得票数

得票率

当選順位

次回立候補

北海道

8

2

0

241371

7.47

5

東北

14

3

1

325176

6.24

13位 最下位の一つ上

37

北関東

20

4

1

477958

6.64

12位/20

7

東京

17

4

1

586017

8.84

9位/17

4

南関東

22

5

1

566945

6.84

12位/22

9

北陸信越

11

3

0

293045

6.73

6

東海

21

3

1

502501

6.32

13位/21

6

近畿

29

8

3

1051949

9.66

81929位 最下位

88

中国

11

2

0

247073

5.90

7

四国

6

2

0

175994

8.19

4

九州沖縄

21

3

1

451158

5.80

15位/21

10

180

39

9

4919187

7.25

73

96

00

03

05

次回

53

66

47

39

73

24

20

9

9

7

710

663

459

492

12.55

11.23

7.76

7.25

 

 

 

 

東北、近畿−落選?

 

 

 

 

当選7

 

 次回5回目の比例代表立候補者数73人は、かつてないほどの異様な数字である。志位・市田・不破らは、53人→66人→47人→39人→次回73人にした。それは、05年39人の187%という激増方針への転換である。この性質は、基本路線戦略転換一つもしないままで、数量的な立候補者の小選挙区162激減・比例代表激増という二面的戦術転換である。その転換に当たって、彼らはどのような皮算用をしているのか。

 

 有権者は、嫌いな政党比率第一位を一貫して共産党としてきた。嫌われる最大要素の一つ閉鎖的な組織体質=民主集中制である。民主集中制・分派禁止規定とは、()その建前と裏腹で、実態が党内民主主義を抑圧する犯罪的組織原則である。かつ、()志位・市田・不破ら常幹トップが下部からの批判交代させられないという世界政党史上もっとも完璧なトップの自己保身・特権保障という犯罪システムである。世界中の有権者・左翼から嫌われた犯罪的組織原則をなおも手放そうとしないのは、日本共産党とポルトガル共産党の2党だけになった。

 

    『なぜ民主集中制の擁護か』党内民主主義抑圧の党内犯罪事例

    『ゆううつなる党派』民主主義的中央集権制の4システム

 

 志位・市田・不破らは、民主集中制・分派禁止規定放棄という基本路線戦略転換拒絶したままで、じり貧的瓦解を食い止めようとしている。姑息な数量的戦術転換だけで、比例代表得票数・得票率が激増するはず、比例代表当選者が9→9→10数人に飛躍するはず空想的な赤い皮算用をしているのだろうか。それは、有権者の共産党批判視点にたいする考慮をまるで欠落させた新たなじり貧的瓦解段階への転落方針である。

 

 日本共産党は、すでに、じり貧的瓦解の4段階を経過し、次回総選挙において、そのじり貧的瓦解第5段階に転落する。その果てには、何があるのか。国会衆参議席が一段と泡沫化し、さらには国会議席ほぼなしの政党になり、自然死を迎える。

 

    『じり貧的瓦解4段階経過と第5段階への転落方針』

 

 というのも、今後10年間の見通しをシミュレーションすれば、よく分かる。2018年までの10年間で、総選挙は、2008年10月末から11月上旬までの次回を合わせ、3回ある。参院選も、次回2010年を入れて、3回行われる。国政選挙6連続惨敗中の共産党が、さらにそれら6回で連続惨敗をし、国政選挙12連続惨敗をすれば、日本共産党は、2008年総選挙におけるイタリアの共産主義諸政党のように、国会議席ほぼなしという自然死となる。

 

 しかも、民主党は、選挙マニフェストにおいて、衆議院比例代表定数180を、100議席に減らす公約している。自民党も一部が、比例代表議席削減の主張をしている。もし、政権交代が起き、比例代表定数80議席削減法案が通れば、国政選挙の選挙協力拒絶政党で、比例代表の11ブロックでしか当選できない日本共産党議席は、ドント式議席配分システムによって、それだけで半減する。志位・市田・不破らが、民主党を「オール与党」規定→「自民党と同質・同類政党」規定をし、敵視し、政権交代拒絶路線を採り続けるる理由の一つに、比例代表定数80議席削減法案マニフェストにたいする恐怖と敵意が潜む。

 

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 〔関連ファイル〕

    『スターリンは悪いが、レーニンは正しい説当否の検証−レーニン神話と真実』ファイル多数

    『レーニンによる分派禁止規定の国際的功罪』

       1921年クーデター政権崩壊危機とレーニン選択の4作戦

       分派根絶・一枚岩統一功績と党内民主主義抑圧犯罪の二面性

       レーニンがしたこと=少数分派転落・政権崩壊に怯えた党内クーデター?

    『日本・フランス・イタリア共産党と民主主義的中央集権制』ファイル多数

    『なぜ民主集中制の擁護か』党内民主主義抑圧の党内犯罪事例

    『ゆううつなる党派』民主主義的中央集権制の4システム

    『コミンテルン型共産主義運動の現状』ヨーロッパでの終焉とアジアでの生き残り

    『イタリア左翼民主党の規約を読む』添付・左翼民主党規約

    『フランス共産党の党改革の動向と党勢力』「進歩のための統一協定」運動とその結果