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チコのほのぼの日記特集

チコの昔話
1998.09.06 【チコの昔話:パソコンへの道】
私は高校2年・3年の2年間英文タイプを習いました。理由はそろばんがマッッッタク出来ないので、就職に有利なようになにか技術を…という事で。高校を出てから7年間英文タイピストとして働いていました。(今日は意味がわからんという人はおいていきますよ。)昔は電子計算機・いわゆる電卓がかなりの貴重品で、しかもキャスター付きのテーブルにのせてあるほど大きく、課に一台しかありませんでした。当時の女性の最先端の仕事に”キーパンチャー”という職種があって、コンピューターに読ませるためにプログラムのとおりにカードに穴をあけるのが、彼女たちの仕事でした。私も友達に教えてもらってちょっと使わせてもらったこともあります。

私の息子が小学3年生の頃はファミコンが売り出された頃で、ずいぶんねだられましたが、「ファミコンは親指しか使わへん」という理由で買いませんでした。ゲーム機がほしいという息子の押しに負けて、小学6年生の頃MSX2を買いました。MSX2を買うに先だって、キーボードに慣れるために子供達に英文タイプで遊ばせていました。ゲームソフトも買いましたが、ゲームのプログラムをBASICで書いてある本がたくさん売っていたので元英文タイピストの腕を役立てて、自分でプログラムを打ち、ゲームを楽しんだりしていました。
この辺が私のパソコンの原点でしょうか?電源を入れる順序・切る順序を間違えないこと。プログラムを立ち上げる時に"LOAD"・保存する時に"SAVE"。―― 一度これを間違えてね、 "LOAD"と書くべき時に"SAVE"と書いて、プログラムが全部消えたことがあるのです。―― 少しはBASICも勉強しなくちゃと思いましたが、なかなか難しくって、5行くらいのプログラムを自分で作って動かせた時は大喜びでした。それでもパソコンはああいう英数字の命令で動いているのだという知識は得られました。MSX2の次はMSX2+。プリンターも接続して、住所録を作ったりしましたが、すごく不便で。そのあと、あまり活用することもなく、空白の年月が。今から4年くらい前に普通のワープロを買い、今はパソコンを使ってる…というにはおこがましいですが。しかし、まあ、キーボードに抵抗がないというのはパソコン入門の第一段階クリアって感じ…かな?
1998.11.15. 【チコの昔話---私と落語】
雀三郎さんに教えてもらった本「落語と私」(桂米朝著・文春文庫)を読んだ。その中に「落語とはサゲにいたるまでの過程を楽しむ長い物語」という一文があり、それで思い出したことがある。
息子が小学校3年生ぐらいだったか、NHKテレビで桂枝雀さんの落語が夜8時〜8時45分のゴールデンタイムで放送されたときのこと。今から13年前ぐらいかなあ。まだそのころ私は、落語の題名に注目して聞くほど通じゃなかったので「枝雀さんの落語」を聞くという認識しか持っていなかった。子供二人もテレビの前に座らせて聞いていた。小さいのに40分以上の長い落語をおとなしくずっと聞いていた息子だったが、たった一言「おかあさん・・・」と口を開いた丁度その瞬間が、ナント!サゲとかぶってしまったのだァ〜!(=_=)/″(激怒!!)「落語はなあ!サゲがわからへんかったら、今までの時間が水の泡やねんで!」・・・今思うとなかなか正しいこと言ってる・・・
それから3年ぐらいして、私の誕生日に何かプレゼントをくれるという息子に「なんでもエエから落語のテープ買って」と頼んだ。息子も何の知識もないので選ぶ基準なんてものは持っていないのに、買ってきたテープを聞いて驚いたの驚かないのって。(いや、驚いたんですヨ)あの事件の落語だったのだ。題名は「質屋蔵」、サゲは「また流される・・・」でした。「あんた、きっちり責任取ったなあ〜」(;o;)/~(感動!)偶然にもあの時の落語を手にとるなんて、まさしく“世にも不思議な物語”じゃあ〜りませんか。
1999.02.25. 【チコの昔話---ビートルズ世代】
きのう、何気なくつけたラジオでビートルズ特集をやっていた。無意識に身体がワクワクし、歌詞をところどころではあるが口ずさんでいる自分に気が付き、「やっぱりビートルズ世代なんだなあ〜」と感心した。
私は中学3年生の卒業式の日にはじめてビートルズの“Please Please Me”を聞いた。卒業式のあとのクラスでのパーティーで誰かがレコードをかけてくれていて、誰かの先導でみんなで踊っていたのを覚えている。高校生の3年間は年代的にもはまっているのか、ビートルズの歌はかなり聞いていた・・・のだが、不思議なのはほとんどそれが無意識のインプットだったことだ。今の若者とは違い、レコードを買うこともほとんどないし、ましてやレンタル店なんていうのもなかったのだから、記憶にあるのはFMラジオで聞いていたことかな?FMラジオは音楽の重要な情報源だった。録音テープも、私の家にはオープンリールデッキがあったが、世の中にまだカセットテープは存在しなかったのだから、う〜ンと・・・CDだ、MDだと言ってる今からは想像できないかもしれない。ビートルズのレコードは33回転の小さいレコードで、1枚に4曲入っているのを、2枚持っているだけなのに、なんでほとんどの曲を『知っている』のかが自分でも不思議!!
それにしても、ビートルズの出現は音楽界に大きな変化をもたらしたのは、私が言うまでもないが、音楽の作り方というかコード進行というか画期的だったし、私も今までとは全然違う音楽に出会ったことを身体で覚えている。
ついでに変な苦労話をちょっと。会社で働いているころ、ラジオでよく流れていたある曲が気に入ってレコードが欲しかったのだが、題名がわからなかった。街のレコード屋でその曲がかかっているのに出くわした。今は見かけないがジュークボックスのような形をした、大きなプレーヤーが店頭においてあって、蓋が透明なのでレコードがグルグル回っているのが見える。私はレコードの回転(45回転)に目を合わせ、グルグル回る字を追いかけ題名を読むのに成功した!ギルバート・オサリバンの「Alone Again」だった。もちろん!すぐに買った、そのレコード店で。あとで聞いた話、オサリバンはビートルズのポールに認められたとか・・・。気に入ったわけに、ナットク。
1999.05.08. 【チコの昔話---枝雀さんに楽屋で会った話】

1991年6月17日、大阪・朝日生命ホールでの「枝雀・べかこ・雀三郎三人会」でのこと。落語会が終わって、すでに雀三郎ファンに転身していた私は、花束を雀三郎さんに渡したかったのです。なんとか楽屋への道をすり抜けましたが、いざ、楽屋に入るには勇気が要ります。たまたま知らない男性がスッとドアを開けて入られたので、私も続いて入りました。

中では4人掛けのソファーを勧められて、前に枝雀さん、べかこさん(現・南光さん)、となりに知らない男性・・・どうも、私はその男性のつれと間違われたらしく、ニコニコして缶ビールもすすめてくださった枝雀さん。「先日はごちそうになりまして・・云々」とその男性にお話なさりながら、“つれ”にみえる私にもついでにニコニコして下さるので、私もペコリ。(^_^)

枝雀さんは落語会が終わるとさっさと帰ってしまわれると聞いていたので、楽屋におられたのが不思議だなあと思っていました。たぶん、その男性を待っておられたのでしょう。

楽屋は雀三郎さん以下お弟子さんが勢揃い。まるでテレビの中にもぐりこんだような不思議な気分でした。とりあえず、花束を雀三郎さんに渡したのですが、もう、途中で帰るのもおかしいので、その男性が席をたたれるまで、一緒にすわっていました。おかしいとわかっていたのは雀三郎さんだけでしたが。

帰るとき、その男性にお聞きしましたら、どこかの大学の先生だとか。なんか、えらいド・アツかましいことやってしまったなあって、思ったのは後の祭り。

枝雀さん、だますつもりはなかったんですよ、すびばせんでぇ〜。でも、1回でも会えてよかったなあ。もう時効かなって思うんだけど、どうでしょう?


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