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チコのほのぼの日記特集

落語編
1998.11.02. 雀さん(桂雀三郎)がDJをやってた「こんばんは米朝事務所です」のテープを、東京にいる雀三郎ファン(唄う天文学者さん)に聞かせてあげようと送ったら、その人がCDに編集・焼き付けてくださった。「へえ〜、こんなことも出来るんですか!」と驚き。もちろん非売品だが、自分の記念になる。さっそく雀さんと後援会の事務局長にプレゼントした。
その中の雀さんの言葉をパソコンで録音して「桂雀三郎のファンでんねん」に載せた。「特派員ほうこく〜っ」「定吉っとんからいただきました」あぁ〜、なつかしいなあ。
1998.11.14. 「桂雀三郎一門会」に行って来ました。一門総出演で、筆頭弟子の雀喜さんと、(オイオイ弟子は一人しかおらへんやんか)師匠の雀三郎さんの二人(これを総出演というか?)でした。今日のお目当ては雀三郎さんの「G&G」です。テレビで見たんですが、本物を一度見たくてネ。高齢者問題に真っ向から取り組む異色作!聞いて怒る人いないか心配だったのですが、みんな笑っていたのでほっと一安心。
今年は例年よりたくさん雀さんの落語と歌をを聞くことができた。1月/茨木の独演会・東大阪のドリーム寄席、2月/摂津後援会の雀三郎を囲む会、4月/雀三郎を枚方で楽しむ会、6月/摂津の独演会、8月/摂津後援会主催ライブ・守口おやこ劇場例会、11月/ワッハ上方の独演会・雀三郎一門会。こんなにたくさん行けた年は今までになかった、が、重要ポイントをはずしている。3月のサンケイホール独演会と5月のバナナホールライブ。それとトリイホールでの毎月の落語会。平日はどうしても都合がつかないので、涙を呑んであきらめた。えっ?これだけ行ってるんやから、ぜいたくやって?まあ、そうですねん。次は来年1月の茨木独演会でしょうね。
1999.03.08. 今日、新着WEB紹介のメールで、次のようなページを見つけた。
● 「雀さん spa」です。いつもいっしょ!
みんな知ってる「雀さん」の可愛いスクリーンセーバーのダウンロードが出来ます。
みんな知ってる「雀さん」(じゃくさん)……いつもいっしょ!……スクリーンセーバー(動くんだもんねえ)……わあ、ステキ!!!
よろこんで接続してみたら・・・ガーン!!!(-_-;)
「すずめさん」の絵が描いてありました・・・トサ。
そうか・・・、普通の人には「雀さん」は「スズメさん」と読めるんや。「雀」の字が「スズメ」とは思わなんだ、私がバカだったのねえ!
桂雀三郎さんを「雀さん(じゃくさん)」とみんな呼ぶんでね・・・。
1999.04.20. 「19日午前3時1分、桂枝雀師匠が亡くなられた」ということを20日夜中のラジオニュースで聞いた。言葉がみつからないほど、私にはつらい。枝雀ファン掲示板があり、同じような気持ちの書き込みがたくさんある。インターネットで連帯を感じあい、励ましあっている。枝雀師匠の舞台の袖ではいつも奥様が三味線を弾いておられた。また本であれこれエピソードを読んだりしているので、奥様やお弟子さんやお仲間に与えるショックを考えると、「みんな元気にしてるかなあ」と心配になる。幸い桂南光さんは今朝のテレビにお元気そうに出演しておられ、「仕事をちゃんと勤めるのが師匠の意向に添うことになりますので、今日も仕事しています。」とコメントされた。たぶん、他のお弟子さんもそうだろうと思うが。私は桂米朝ファンから桂枝雀ファン、そして桂雀三郎ファンとつながっている。雀三郎さんもどうしてるかなあ。
1999.04.23. 枝雀ファンの方が作られたWEBpageがある。
「松本留五郎」
そこの掲示板には枝雀さんの訃報を聞いて驚き、ショック、ガックリ、涙・涙の全国のファンからの書き込みが寄せられている。1ヶ月前はカウンターが3000くらいだったのに、とんだことで、今は8000を突破している。反響の大きさにおどろくが、枝雀ファンが思い出など語り合うことで、徐々にショックから立ち直ってきている様子がうかがえる。まさにインターネットのおかげ・・・。
1999.04.28. 枝雀さんのご逝去に伴い、まだ余波が続いている。掲示板に毎日書き込みに行ったり、追悼番組の情報をそこでもらって、ラジオやテレビの録音・録画のセット。掲示板で知り合った人とのメールでの情報交換などなど。

★☆★映画「ドグラ・マグラ」のビデオをレンタルGET!★☆★

この映画は1988年制作で、すでに絶版になっているので、近くのレンタル店に行った・・・が、古いので置いてなかった。さらに何店か行ってみたが置いてない。もう、ダメか・・・と心が萎えるところを勇気をふりしぼり尋ねてみた5軒目のレンタル店でようやく置いてあった!!ふうぅ〜。
あまりの喜び方に店の方も驚かれた様子で、「どんな映画ですか?だれが出ておられるんですか?」など話かけてくださった。「このビデオ、貴重品ですよ。この近くでは全然置いていないんですから、ずっと置いといてね!」と頼んでおいた。
一般的には明るい元気な高座での姿しか知られていないが、映画「ドグラ・マグラ」は桂枝雀を語る上で欠かせない重要ポイントとなっている。
1999.05.02. 桂枝雀師匠のご逝去に伴うパニックは、やや落ち着いてきたようだ。掲示板への書き込みが少し減ってきていることと、内容が落語のネタに関すること・・・○○はどのCDに入っていますか・・◇◇のCDと◆◆のCDでは少し違いますね・・などに変わってきている。でも、まだ「ショックでビデオをよう見ません」という人や、関西に住んでない人は「今ごろ知った!!」と大ショックの書き込みがあったりする。
留さんのページは、枝雀ファンが当然ながら自分の楽しみで始められたのに、今ではたくさんの人が頼ってきて集う場所となっており、これからは枝雀師匠の詳しい情報が一覧できるような重要サイトとなりそうな雰囲気である。私はそこで知り合った人とメールを交換したり、追悼番組を見られなかった人にテープを送ってあげたり、いろいろ忙しいが、その方が気が滅入らないですむのがありがたい。

私も雀三郎ファンとはいえ、元々枝雀さんの落語を聞いていたから雀三郎に出会ったわけで、たくさんの枝雀落語を聞いていた自分に、今更ながら驚いている。
1999.05.10.

若いころは「しょうがない」という言葉が嫌いだった。「そんな諦めたようなこと言わんと、自分ががんばったらどうにかなるもんや!!」という、結構やる気満々の自信家だった。ところが、年を重ねるうちに、本当にどうにもならんことが起きてくる。自分ががんばることと関係ない時もあることが分かってきた。そんなときやっぱり「しょうがない・・・」という言葉しか浮かんでこない。

仏教では「煩悩」という言葉がある。「思い煩う」とか「欲望」とかいう意味のように思っていたが、ラジオでちょっと聞いたところでは、インドの何語か知らんが原語では「どうにもならないこと」という意味らしい。なんか、ストンと胸に落ちていった。そういえば、長谷川きよしのCDに「アコンテッシ」というのがあるが、この「アコンテッシ」という意味はブラジルでは(ポルトガル語?)「宿命的に生じること」という意味で、割と日常的に使われているらしい。肯定的にも使うようだ。つまり、キリスト教では神の意志が行われると考えられているので、起きてしまったことを受け入れる時の考え方だと思う。

枝雀さんが亡くなられたことで、「別れ」を受け入れることが人生か・・・と思いをめぐらせた。死だけではなく、いろんな別れがあることを、受け入れなければ「しょうがない」のだと。

1999.05.15. 桂春団治・小春団治親子会の落語会に行ってきた。たぶんちゃんと聞くのははじめてだと思う。やはり米朝一門とは雰囲気が違う。春団治さんの出て来られたときの会場のざわめき・ときめき・そしてすぐに静まり返って言葉を待つ・・・この雰囲気は圧倒された。白髪頭の小柄な方。静かな口調で始まる落語。「え〜っ???こんな人が笑わせるの???」っていうくらいおごそかなんだけど、ちゃ〜んと面白いんだよねえ。不思議だなあ。真面目そうに見える春団治さんでも、やっぱり茶目っ気があるのかな?
1999.05.16. 連続で出かけているけど、今日はなんてったって!!雀三郎withまんぷくブラザーズのライブだもんね!!!やめるわけにはいかないで〜す!あのノリはいつものことながら、すごいもんです。きのうの春団治さんとは両極端に位置するんじゃないかなあ。まあこちらも年齢層は高いんですが、マリオネットの場合は女性ばっかりなのに、雀三郎さんは男性女性問わず、まさにローニャク・ニャンニョの面々で会場が熱気むんむん!ファンが熱狂的なので、知らずに来たとか連れて来られた人とかは目を白黒させるか、馴染んでしまうか・・・まあ、二つに一つ、「そら、あたりまえや」。私もよう騒ぎました!
1999.05.24. 雀三郎さんの楽しいライブを見て、「枝雀さんが亡くなられて落語家さんもつらいのに、笑って舞台を勤めるのって、芸人さんはしんどいなあ」と言ってくれる人がいた。うん、まあ一般的にはそう思うでしょうね。でも、私はそんな感じはしない。ニュースを聞いた直後とか、お葬式なんかで気持ちの整理がつかない時はそりゃあ、しんどいし仕事なんかしたくないと思うでしょうけど、やや整理がついて来た頃には舞台をやってる方が一時(いっとき)でも忘れていられるので、かえって落ち込みの中に没頭しなくて済むのがありがたいのではないか。舞台で気を紛らすというかねえ。ほっと一人になったときにふと思い出すこともあるでしょうけど。この間の雀三郎さんのライブでも、暗黙の了解という雰囲気で、誰もが「枝雀」の名を出さなかった。それが思いやりというものだろう。
1999.06.19. 今日はなぎさの会の若手落語会で、落語と落語の間でパントマイムを披露した。落語もパントマイムも好きな私にとっては、ほとんど違和感がないのだが、落語を演じる仲間も、お客さんもパントマイムは全く見たことがない人ばかり。そのため、「落語もパントマイムも同じですよお〜!」ということを知らせたいという思いで、できるだけわかりやすく作った・・・つもり。題は「はしご酒」。内容は長くなるのでムチャクチャはしょって、『もう一軒飲みに行こうやあ』と誘う男がみんなに断られ、一人淋しく自動販売機のビールではしご酒・・・という話。そのマイムに三味線で落語に使われている曲や、擬音を入れてもらってBGMにした。生演奏でのパントマイムは私にとってはじめての“ぜいたく”な試み!!

落語とパントマイムの大きな違い:
落語はざぶとんの上にすわり、移動しない。言葉で描く。
パントマイムは移動し、舞台全部を使う。身体で描く。
共通点:
人間の喜怒哀楽、人情などを描き、演者と観客との共感を楽しむ。

1999.07.13. 「桂雀三郎のファンですねん」のページの壁紙(背景)がきれいになったんです!!「やまちゃんのページ」がちょっとかっこよくなりすぎて、師匠以上に目立ちそうでどうしたものかと思っていたら、「ヨーデル食べ放題」のkitaさんが作ってくださったんです。「ヨーデル食べ放題」とは雀三郎さんを応援する同志のページ。両方を読んでいただくとより雀三郎さんのことがわかるように細かくリンクしている。だから、私のページもかっこよくなってバランスがよくなった。うれしいなあ。それと「特派員報告」もUPしたので見てね。

2000.09.20.
「桂雀三郎のファンですねん」と「ヨーデル食べ放題」が合併して
Official Web「歌う落語家・桂雀三郎」となりました。

1999.08.04. 桂枝雀さんのご逝去以来、落語関係の掲示板をあっちゃこっちゃウロウロするようになり、当然のことながら友達も爆発的に増え、情報も入ってくるようになった。また落語を聞くことも、一時はおだやかなカーブを描いていたのに、再燃という感じでいろいろ聞き返し、右肩上がりのカーブを描いている。そして、「ああ、昔はよう聞いていたんやなあ」と自分に驚いている。
さて、最近は以前よりは経験も豊富になったせいで、落語を聞いて単に「ああ、面白い」では終わらなくなり、その芸の深さに改めて驚かされている。残念ながらパントマイムはまだそこまでの歴史がない。たぶん芸の質によるのだろうが、パントマイムが「古典」となる時は来ないような気がする。つまり、落語もクラシックの音楽も同じ作品をた〜〜〜くさんの人が演じ(演奏し)ていて、鑑賞する側も、何度となく同じ作品を聴きながら、「あの人はどう・・・」だとか、「この人の方が好きだ」とか言って「アーティスト」を選んで鑑賞している。この不思議さ・・・。
音楽なら、「カバー曲」といって人の作品を違うアレンジで楽しむことは現在もしているが、漫才のネタを違う芸人さんがやることはないし、新作落語も誰々のための作品といった感じが強い。パントマイムもその部類で、作品と演じ手が密着しているため、なかなか広がらないような気もする。
これも反対の意味で「不思議・・・」。まだ考えのまとまらないチコでした!
1999.08.20. 枝雀追善の米朝一門会に2日間行った。落語会に合わせてはじめての“オフ会”というものを開いたので、まあ、よう遊んだこと!枝雀ファンの掲示板で知り合った、年令・職業・地域もバラバラな11人が集まり、落語という共通の話題で4時間くらいしゃべりまくり。趣味が同じというのは一番楽しいね。
1999.09.14. デジカメを使った初めてのページをUPしたという話。
桂雀三郎さんがいつもよく行かれる串カツの「やぐら」という店が、都市開発の影響で立ち退きになってしまったのだが、ファンはその事を知らずに大阪・京橋をウロウロと探していたりする。特に転勤などで大阪を離れてしまった人には情報が入らず、無駄足を踏ませてしまう結果となってしまったので、デジカメも買って…もらったし、(な!…【誰にもの言うてんねん!業務連絡でした】)“取材”という大義名分もあることだし、「やぐら」を訪ねた、つまり、呑みにいったということなんやけど。
串カツ「やぐら」情報はこちらです!
1999.10.07. あ〜〜〜、よく遊んだぁ〜〜〜!!
9月中は桂雀三郎さんの「25日間連続落語会」があったので、自分の用事以外はほとんど落語会に行っていた。25日中12日というとやっぱり驚かれてしまうかな???毎日通った人が4人おられるそうだ。落語が50席聞けるのはやっぱり魅力だ。こういう生の舞台はよく言われるように「一期一会」だから、また聞ける・・・と思うものの、今しかない演技があるのだから。雀三郎さんもなかなかよくノッテいて、いい落語が聞けたと思う。25日間あるといっても、やっぱり来られない人もいるので、その全容を記録に残すべくデジカメで写真を撮ってきて、ページにUPした。臨場感があると結構評判がよいので、落語に興味がない人も、デザインなど見てくださいね!!
1999.10.19. リピート山中さん・・・あ、雀三郎ファンでないと知らないか・・・「ヨーデル食べ放題」の作者(わかるかなあ?)が、去年、JR京都駅ビルのマスコットキャラクター「スカーラ&テット」のテーマソングを作詞作曲したのです。話は前から聞いていたけど、比較的我が家には近いところですが、京都駅にはあんまり行く機会がなかったのでずっと見に行ってなかったのです。たまたま通る機会に恵まれたので、デジカメもあることだしィ〜、って感じで取材に行って来ました。「スカーラ&テット」のお人形を作ったのではないですからね!テーマソングを作ったのですよ!! また、本物を見に行ってくださいね。

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