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近況メモ(平成17[2005]年11月〜12月)

 

平成17(2005)年〜「色づく木々」から「冷え込む年の瀬」へ

 

11月6日(日)雨

  旧暦では神無月(十月)に入り、明日は立冬です。いよいよ冬が来ました。街を歩いていると、木々が黄色や朱色や様々の色に色づいているのが目に付くようになりました(左写真は、靖国神社内の紅葉)。金沢時代の知り合いの方から、兼六園の雪吊りがされたことや蟹がもうすぐ解禁になることなどのお知らせをいただきました。兼六園の雪吊りはちょうどニュースで見てとても懐かしく感じました。蟹の解禁といえば、加賀の橋立港と越前の三国港でいただいたズワイ蟹は一生忘れられない贅沢でした。ズワイより小さいですが繊細な味わいの香箱ガニも美味しかったですね。

  さて、小生の風邪の症状はほとんどなくなりましたが、喉の痛みだけがなかなか直らないので、念のために耳鼻咽喉科に行って診てもらったところ、咽頭の奥のアレルギーかもしれないとのことで、抗アレルギー剤や漢方薬やらの薬をもらいました。この国立(くにたち)の耳鼻咽喉科の先生は我が娘が幼児の頃から今に至るまでお世話になっている女医さんで、娘は風邪を引いた時など、このお医者さんにかかると直りが早いようです。かかりつけのお医者さんがいると、いざという時安心感がありますね。



  先週は、4日(金)夜に、小生が習っている能の流派である宝生流の能楽堂へ初めて行きました。水道橋の東京ドームのほど近くにある宝生能楽堂までは、小生の職場から歩いて15分ほどで行けます。この日はチケット予約のために行ったのですが、たまたま当日「都民劇場能」という催しがあり、能「蝉丸」が演じられるとのことだったので、衝動的に入ってしまいました。「蝉丸」は、金沢にいた時、藪先生の社中「篁宝会」の大会で、どなたかがご夫婦で演じられていたのを拝見して、その悲しい風情が心に染み入ったことがあったので、機会があればまた拝見したいと思っていた次第です。この演能の感想は「私の能楽メモ(二〇〇五年)」に「悲しき姉弟」と題して記しましたのでご覧ください。余談ですが、この日の地謡の中に中所宣夫さんという能楽師がいらっしゃいました。このお名前、どこかで聞いたことがあるな、と思い、あれこれ調べてみると、何年か前の東京西部の多摩地方のタウン誌に、国立や国分寺の喫茶店で「能ライブ」をやっている能楽師がいるという記事があり、それが中所さんでした。今でもそんなライブをしておられるなら見に行ってみたいものです。

  さて、3日(木)に、このHPでもご紹介した政治家の大原一三氏が81歳で亡くなりました。政策通で小泉内閣の政策についても積極的に発言しておられた大原氏の著作は小生の愛読書でしたので残念です(大原一三氏―敬愛すべき政治家をご参照ください)。ところで、第三次小泉内閣は国内外でおおむね好評を以って迎えられているようです。内政では、誤魔化しの無い真の「小さな政府」を実現してほしいと願いますし、外交では、目先の友好を取り繕うよりも本音で物を言える近隣諸国との関係を築いてほしいと思います。その外交に関連して、最近、屋山太郎「なぜ中韓になめられるのか」(扶桑社)と山野車輪「嫌韓流」(晋遊舎)という二つの本を読みました。両書とも、タイトルは扇情的で好ましくありませんが、中身は至って冷静で全うな論議を展開しています。日本の今後の外交で最も重要かつ困難なのが、中国、韓国、北朝鮮、ロシアといった大陸諸国との付き合い方です。中国、韓国、北朝鮮は反日感情が強く政府がそれに依存している国々ですし、ロシアは北方領土を占領したままのしたたかな外交大国です。屋山太郎「なぜ中韓になめられるのか」(扶桑社)と山野車輪「嫌韓流」(晋遊舎)の両書は、中国や韓国の反日状況を真正面からとらえ、これに日本としてどのように理論武装してつきあうべきかを、冷静かつ勇気を持って考えています。面白いのは、山野車輪さんの漫画本「嫌韓流」が、もとはインターネットから出たベストセラー本であること、何と30万部も売れているそうです。ところが、今までの日本の政治家やマスコミの韓国への「へりくだり姿勢」からするとこの本はあまりに内容が刺激的だというので、主要な出版社はすべて出版を断り、マイナー出版社からようやく本になった経緯があるそうです。しかもこの本がベストセラーになっていることをどのマスコミも一切報道しません。日本人の意識は確実に変化しています。客観的な歴史事実を踏まえた日本の主張が必要なことを国民は強く感じています。だからこそこの本が売れるのでしょう。この本がベストセラーになっていることすら隠そうとする大マスコミの「事なかれ主義」や「隠蔽体質」では、韓国との本音での対話など及びもつきません。参考までに、アマゾンのHPに記載されたこの本についての読者の書評のひとつを転記します。

「新世代に期待」,2005/10/29 ,評者=カスタマー氏(国籍:日本)
「日韓で対立している問題点を、日本人の主人公が、冷静に検証し、在日韓国人&反日平和団体?の主張を、ことごとく論破していく内容。某掲示板での議論をコンパクトにまとめたような感じで、すっきりと読みやすい内容。小・中学生にもぜひ読ませてみたい。決して、韓国叩きとかナショナリズムの高揚とか、そういう次元ではない。驚いたのだが、この手の日本側の主張を論じた文献はかつてないというのが衝撃だった。」

 

11月12日(土)冬晴れ

  新規業務や新規顧客の開拓という今の小生の業務を遂行するに当たって、これまでの人脈をたどっていろいろな人たちとお会いしているのですが、ありがたいことに、何人かの方から、「こんな人と会ってみたら」とか、「こんな情報があるよ」とかのご紹介をいただいております。人とのご縁がいかに大切なものか、強く感じさせられるこの頃です。

  さて、小生の娘は、将来の進路のひとつとして、教職も考えていますが、しばらく前にミニ教職研修の機会があり、いくつかの学校でコーチをさせてもらっていました。彼女のブログに記された次のような中学校の現場の難しさには、小生も考えさせられました。

  「この間、ワークショップで川崎市内の中学校に行ってきました。実際の子どもたちを目の当たりにして思ったこと。1.基礎体力がない…。とりあえず机につっぷしてる。休み時間も。2.鉛筆持たない、筆箱出さない…。3.先生に対してキレまくり。4.エロ本情報交換を堂々とやる(私も話を振られた…)。中学校が大変、って言われる理由がよくわかりました。目の下にクマできてる子もいて、それで、ず〜っと授業中寝てる。話しかけても、「うん」しか言わないとか。「とりあえずダルい」が口癖で、いいのかなあ、って思いました。教職の授業で、「基礎体力の低下」って習ったけれど、本当だったんだ。

  でも、「じゃあ、まずペン持って、一個印つけるとこからやってみよう」って具体的に言えば、きちんと行動することはできるし、夢だって持ってます。それを、どうやって引き出すか、が先生の仕事なのかな。でも、先生たちも、生徒を「席に着かせる」ところからはじめなきゃいけないのは、本当に大変で、疲れると思う。かといって、命令口調で全て指示するのは…。聞いてて辛かったです。大学に入って、みんな当たり前のように教職資格とると思っていたけれど、出会った先生によって、「先生」のイメージなんて違うんだよね。私は偶然、中学でいい先生にめぐり合えてよかったと思います。

  話を戻して。先生=命令口調、だったら、きっと自分は先生になりたくないって思っちゃう。どんなことでもそうだけど、「楽しい!」って感情を伝えていくことが一番大事だと思う。どんなに寝てなくても、どんなにお金なくても、どんなに大変(であるように見えて)も、周りの人に「楽しい!」が伝わったら、場の雰囲気は変えられると思う。今の自分は、「楽しい!」って気持ちを伝えることができてるかなあ。」

  もっとも娘は、この後、自分が卒業した中学と同じように、生徒がきちんとしている「普通の」学校にも行き、すべての中学校が無気力状態なわけではなく、むしろ大多数の学校は健全であることも学んだようです。自分の過去を振り返っても、思春期前期の中学生というのは、本当に物事に感じやすい年頃で、その鋭敏さを良き方向に向かわせれば大きな力と自信を身に着けることもできますし、逆にひねくれた若者に堕してしまう可能性もあります。マスコミや教育学者は学校のことばかり言い募りますが、おそらく家庭環境が一番大切なのだと思います。子どもは親の生き方を写す鏡だと我々親たちが肝に銘じることが必要でしょう。

 

11月20日(日)冬晴れ

  先週末は、我が家からほど遠からぬ国立(くにたち)の一橋大学に二度ほど出かけました。ここの広々したキャンパスやグランドは、週末、市民の格好の散歩やジョギングの場となっており、我が家も昔から時々くつろぎに出かけています。今回は、大学構内にある兼松講堂での催し物が目当てで出かけたものです。兼松講堂は、築地本願寺や明治神宮を手掛けた近代建築のパイオニア・伊東忠太が設計し、1927年に建設されたロマネスク様式の講堂です。総木材張りの床やアーチ型のドームなどの効果によって独特の柔かな音響が素晴しく、チェコ・フィルが演奏会を開くなど、隠れた名コンサートホールとなっているそうです。

  まず土曜日は、ここで、一橋大学の観世会の皆さんが能「小鍛冶」を演っていました。学生のクラブ活動の発表会といって馬鹿にしたものではありませんでした。囃子もしっかりとしており、シテの学生さんの動きもきびきびとメリハリがよく効いて爽快でした(残念だったのは、男女混声の地謡の音程が揃っていなかったことです)。一橋大学観世会は、11月6日の近況でご紹介した能楽師・中所宣夫さんが指導しておられます。中所さんは小生より二歳ほど年下で、我が地元の多摩地方にお住まいです。何と一橋大学の卒業生で、親の反対を押し切って能楽の道に入られた方とのこと。能には知性と美意識を兼ね備えた人を虜にする魅力が潜んでいますから、一橋大学出身者が能楽師になっても不思議ではありません。この日の学生能でも中所さんは後見として舞台に登場されました。今後も一橋大学観世会を育て、また、多摩地方の能の愛好者を増やして、能楽の裾野を拡げてくださることでしょう。

  また日曜日には、兼松講堂で、渡邊順生さん率いる「ザ・バロックバンド」の演奏会がありました。曲はバッハのブランデンブルグ協奏曲集からの四曲でした。渡邊順生さんについては、私の音楽鑑賞メモ(一九九六年〜二〇〇〇年)の最後に、「再現芸術」と題して、ラルキブデッリとの共演のことを書いたことがありますが、この日も実に即興性に富んだ音楽づくりに魅了されました。特にブランデンブルグ協奏曲第五番の第一楽章の長大なカデンツァの渡邊さんのチェンバロ独奏は、引き締まったテンポで生き生きしており、このカデンツァがこんなに華やかに聞こえたのは初めてでした。この五十歳代半ばの油の乗った音楽家である渡邊さんがまた一橋大学の出身なのです。そういえば、チェンバロや古楽器の演奏もまた、能楽と同様に、知性に裏付けられた美意識が求められるジャンルです。一橋大学というと商業や経済系の人材養成学校というイメージが強いのですが、中所さんや渡邊さんのように、能楽師やチェンバロ奏者といった異能も輩出しているのは興味深いですね。きっと校風が自由闊達なのでしょう。


             
国立駅前から真っすぐに伸びる目抜き通り                通りに色づく木々                  一橋大学・校内の森


             
一橋大学・兼松講堂の入り口            兼松講堂の中から中庭を臨む            兼松講堂で演じられた学生能「小鍛冶」の様子

 

11月27日(日)冬晴れ

  東京は穏やかな冬晴れの日が続いています。さて、近頃、娘のボーイフレンド(?)T君と話をする機会がありました。家内の所属しているママさんコーラスの発表会があり、その受付係を娘と彼が手伝っていたので、発表会が終わってから、二人を慰労すべく食事に誘ったのです。T君はとても純粋な青年でした。九州・宮崎の田舎の出身で、隣家まで何キロもあるような大きな家で生まれ育ち、薪でお風呂を焚き、夏は清流で遊ぶような生活だったそうです。高校まで片道二時間かけて通学し、生徒会長もやったようながんばり屋で、ボーリング部で全国大会に出たスポーツマンでもあります。ボーリングの練習には12キロ先のボーリング場まで通っていたそうです。今は東京でお兄さんと二人暮らしですが、お兄さんの分まで彼が自炊しています。この日の受付係でもよく動き回り、気配りも人一倍していたようです。大きな瞳が印象的なスラリと背の高い礼儀正しい若者です。平成の日本において薪で風呂を沸かすような生活環境は稀有ですし、そんな環境で育った純粋な青年が眼前に現われたことは小生にはとても新鮮で驚きでした。でもT君自身は、東京の水や人に馴染めないことも多く、将来は母校の先生として故郷に帰りたいと言っていました。娘によれば、彼は大学の仲間から浮いてしまうことも多いそうです。すれっからしや遊び人の若者も多い東京の大学ですから、さもありなん、と思います。娘自身は「彼はボーイフレンドじゃないからね」と言うのですが、東京での学生生活に戸惑うT君の話を彼女がいろいろ聞いてあげたりしたことから親しくなったようです。小生は、T君への共感と愛情を込めて、「清流に棲む天然記念物、オオサンショウウオのような子だね。」と、娘に言っておきました。

  さて、先週金曜日には、金沢から我が謡と仕舞の師匠、藪俊彦先生が東京に出てこられた機会に、東京在住の先生ゆかりの人たちを集めて宴席を催しました。先生ご夫妻に宝生流宗家に住み込み修行中のご長男・克徳さんも駆けつけてくださり、東京在住者5人が加わった和やかな会になりました。その中には小生も初めてお話しする方もおられ、改めて藪先生のお弟子さんや関係者が各地に幅広くいらっしゃることを知りました。藪先生は、この日、東京芸大の先生と、来年3月に予定されているオーケストラ・アンサンブル金沢との「能とオーケストラの共演」について打ち合わせをされたとのこと。ますますご活躍です。住み込み修行中の克徳さんも、先日はNHK・FM放送の「能楽観賞」に出演されたり、水道橋の宝生能楽堂での演能にいろいろな役回りで加わっておられ、徐々に頭角を現してきています。東京でまた謡や仕舞の稽古ができる日が来ることを楽しみにしています。

  先週は、ほかにも、上野の国立博物館へ「北斎展」を見に行ったり、虎ノ門の「JTアートホール」へオーボエ奏者・宮本文昭さん率いる管楽器合奏団の演奏を聞きに行ったりしました。「北斎展」のことは巨匠・北斎を堪能と題して本文に記しましたのでご覧ください。「宮本合奏団」のことは来週アップする予定です。

               
冬晴れの国立博物館                                   北斎展のポスター     

 

12月3日(土)冬晴れ

  旧暦では昨日から霜月(11月)に入り、冬本番です。今週北陸地方へ出張で出かけましたが、越後湯沢のあたりはもうすっかり雪が積もり、好天に恵まれた一昨日は、冠雪した立山連峰が荘厳な姿をくっきりと見せてくれました。今日は、近所の内科に出かけ、インフルエンザの予防接種を受けて冬本番に備えました。アジア各国で鳥インフルエンザが問題になっていますが、こんなものが人から人に移るようになって大流行することが無いよう願いたいですね。関係当局も正確な情報を早めに私たちに伝え、かつ、必要な対策を講じておいてほしいものです。疫病に油断してはいけません。

               
        我が家の近所の紅葉                               国立(くにたち)で見かけたトナカイのイルミネーション

 

12月10日(土)冬晴れ

  東京は冬晴れが続いています。昨日福井市に出張しましたが、羽田空港まで行くのに、今回は、南武線で府中本町から川崎へ出て蒲田から羽田へ入りました。羽田空港は多摩川河口に位置していますので、多摩川に沿って走る南武線が我が家からは直線距離で一番近いのです。朝六時半ごろ家を出ましたので、多摩川に照り返す朝の爽やかな太陽の光がまぶしく新鮮に感じられ、川辺の薄の群れが銀色に照り輝いていました。南武線は「分倍河原」とか「稲田堤」とか「宿河原」とか「向河原」といった、川に沿って走る線らしい駅名が出てきます。多摩川周辺からは太古からの遺跡が数多く発掘されますが、昔はこの川は命の泉であり生活の場だったことでしょう。「調布」などという地名からは、多摩川に布をさらす古代人たちの姿が髣髴としてきます。その多摩川も、今では、電機・電子機器メーカーやその関連企業が数多く集積するハイテク地帯であると同時に、堤防はサイクリングやジョギングや散歩にふさわしくきれいに整備され、人々の生活に潤いを与えてくれる場でもあります。多摩地域に住む人間として、もっと多摩川に関心を持ちたいものだと思った次第です。

  さて、羽田を飛び立った飛行機が一時間弱で小松空港に到着すると、そこはさすがに北国、どんより曇った空から今にも雪が散らつきそうです。小松空港から福井までの山道では、北陸地方特有の大粒の霰(あられ)が車窓にパラパラと吹きつけます。今週初めて降った雪が道路脇にまだ残っています。勝山などの山間部では既に30pくらいの積雪があると聞きました。しかし、福井市内の平野部に入ると、霰も普通のしとしとした雨に変わり、懐かしい北陸の湿気のある冬です。小生は、関東平野のからからに乾燥した冬よりも北陸の湿った冬の方が喉に優しくて好きでした。

  今週木曜日には、娘が昔教わっていたピアノの先生を中心とした室内楽の演奏会に、上野の東京文化会館へ出かけました。演奏された曲の中で、ブラームスのピアノ四重奏曲・ハ短調(作品60)の第三楽章は小生が昔から愛して止まない一節で、冒頭のチェロの独奏が始まり、やがてヴァイオリンとチェロが掛け合うあたりの叙情豊かな旋律は胸に染みます。ところで、演奏会場の東京文化会館小ホールの作りは、コンクリートの打ち抜きのような構造で、一種の前衛的な様式なのでしょうが、今となってはいかにも古臭い昔日のモダンアートといった感じがします。こんな無機質で金属的な環境の中で開かれる演奏会は落ち着かないことこの上ないのですが、これが作られた当時は最新流行の様式だったのでしょう。流行りものを追いかけていると却って時代に取り残されることを示す好例だと思いました。

               
上野の文化会館ロビーから見上げた半月(半月には写っていませんが(^^;)              夜の上野公園にて:ライトアップされた噴水

 

12月17日(土)冬晴れ

  今週、横浜そごうの美術館で開催されている「大アンコールワット展」を見に行きました。古代から14世紀に至るまで、トンレ・サープ湖の畔に栄えたクメール王朝が築いた壮麗な大伽藍がアンコールワットですが、今回はその祠堂に安置され崇められてきた神々や仏たちの彫像が82点ほど日本で展示されているものです。それら石造の神や仏たちは、おおむねインドに起源を持っていますが、土着の信仰・風俗とも融合して独特のクメール美術を形成しています。小生は、20年ほど前、通産省(現在の経産省)に出向していた頃に、ビルマ(現在のミャンマー)、タイなど東南アジア各国に出張したことがあり、それ以来、この地域の歴史や文化に興味を持つようになりました。その時はまだカンボジアの政情が不安定だったので、アンコールワットには行けなかったのですが、今回こうした催し物があるのを知り、さっそく出かけたものです。でもやはり、こうして彫像だけを取り出して展示されるのを見るのでは、料理の匂いだけをかがされたようで、これら彫像の美を味わいつくすには、やはり現地で大伽藍の中に置かれた姿で拝見したいものだと思いました。

  小生がこの日見て特に印象に残った彫像をいくつか挙げると、まずは写真左から二番目の「ジャヤヴァルマン七世の頭像」です。ジャヤヴァルマン七世は、東のチャンパを撃退し、クメール王朝の版図をインドシナ半島全域にまで広げた偉大な王です(この辺のカンボジア史については、本文の「東南アジアの民族と歴史」を是非ご覧ください)。また国内各地に壮麗な寺院を多数建築したばかりでなく、灌漑貯水池や道路や宿駅などを整備しました。王の像は、仏教を厚く信仰したこの人らしく、目を閉じて瞑想している姿です。じっと眺めていると、王の無類の意志の強さやたくましさが慈悲深い瞑想の背後から伝わって来て、実にいい顔です。これを作った工人の王への尊崇の気持ちが伝わってくるような素晴しい彫像でした。その右の写真の「ナーガの上に坐るブッダ像」は、均衡感に優れた像で、表情も美しく穏やかです。さらにその右の「アスラの頭部」は、興福寺の阿修羅像と同じインド起源の神を描いたものです。クメールのアスラと興福寺の阿修羅とでは、表現方法は全く異なっていますが、怒りや苦悩を持ちながらもどこか柔和な表情をしていることは共通しています。クメールの工人も日本の工人も、この神の性格の本質を捕えて、それぞれの文化様式に従って表現していることに大変興味を覚えました。

   
アンコール・ワット遺跡       ジャヤヴァルマン七世の頭部        ナーガの上に坐るブッダ像(部分)       アスラ(阿修羅)の頭部

 

12月24日(土)冬晴れ

  冬至を過ぎ、今年の年の瀬は近年に無く冷え込みますね。ニュースを見ると、各地で12月としては記録的な積雪となっているところも多いようです。東京も朝夕の冷え方が厳しく、日中の外出にもコートが必要です。我が家のあたりでは最低気温は氷点下のようです。天皇誕生日の昨日は、DVDデッキを家電量販店に買いに出かけたり、娘のクリスマス・プレゼントにブーツを買いに行ったりしました(例によって大きなサイズ専門の靴屋で買いました)。夜は、ケーブルテレビを見ていて発見した、富山湾のネタを直送で仕入れている府中駅前の「紋屋」という料理屋に家族三人で出かけ、かの地の銘酒「銀盤」を賞味しながら、久しぶりに日本海の海の幸を味わいました。「のどぐろ」の塩焼きも懐かしい味です(写真右がその「お頭」です。見た目はグロテスクですが、小振りでおいしい魚です)。先週の土曜日には宝生能楽堂で催された「五雲会」という能会に出かけました。能四番という長丁場でしたが、けっこう楽しめました。その感想は「年の瀬の能を楽しむ」と題して記しましたので、ご覧ください。

  さて、今年もこのサイトにお付き合いいただき、ありがとうございました。来年も変わらずお越しくださいますよう、お待ちしております。では良い新年をお迎ください。

     
冬の庭先―散り行く紅葉                  冬の庭先―ナンテンの赤い実      北陸の冬の味覚「のどぐろ」の頭(府中「紋屋」にて)

 

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