道教と仙学 第4章

 

 

2、内丹の修練法の原理と効用

 

 

 内丹仙学は古代の学者たちが探究してきた宇宙法則と人間の生命科学に対する重要な学説の一つである。伝統的には天地と交わり、日月と同じくし、造化と契り、自然の大道に返ることを目標とした。つまり煉丹というのは「天人合一」の道や「後天と先天を合する」道を修めることであり、道を広く及ぼして道に復帰することである。内丹は、人体の秘密を探索する実験手順でもある。内丹家は、性は心、命は腎にあると考えている。性と命というのは神と気のことであり、性と命の両方を修めることができると、本に返り元に還り、道を体とし真に合し、絶対虚無、永久不変の仙人の境地に到達できると言われる。

 内丹仙学では、人体は一個の小天地であり、それは全宇宙の大天地の縮図であると考えられている。天地が存在する以前、全宇宙は「道」の特徴を備えた永久不変な虚無の絶対的な状態だった。その後、道は虚無の中に道気(またの名を真一祖気)と呼ばれる先天の気を自ら生み出した。宇宙は、まだ鴻蒙[天地開闢以前の混沌とした天地の状態]もはっきりせず、陰陽も分かれず、動と静もない混沌状態だったが、やがて虚は極まって静を篤くし、先天の気は静を極めて動きだし、陽が浮いて天となり、陰が降りて地となり、ついに陰陽交合して人間が生まれた。

 人間が生成するときの規則も天地が生成するときの規則と同じである。初めに父と母が交わり、恍惚の中で先天の一気が合成され、人体の生命が生み出される。母の腹の中で育っていく胎児の姿は人の姿に似てくるがまだ完全には整っていない。神と気もまだはっきりせず、人道の「第1変」と呼ばれる。胎児がさらに育っていくと、心と腎が生み出され、神と気が分かれ、性と命がはっきりしてくる。十カ月を過ぎると、胎児は胎を脱して出てくる。この時、先天の気は臍の中にあり、後天の気は口と鼻にあって呼吸となる。先天の神は心の中にあるが、それから後天の思慮の神が起こる。これが人道の「第2変」と呼ばれる。人間はさらに成長していくと、陽が生じ陰が消え、16歳になると精・気・神は全盛期に達する。この時が十二消息卦の乾()卦に相当し、人道の「第3変」である。内丹家は人体の精・気・神を先天の元精・元気・元神と後天の淫[自由きままなこと]の精・呼吸の気・思慮の神(識神)に区別している。人は出生すると、次第に先天の元神が退いて後天の識神が用いられ、生命を維持するために呼吸の気に頼るようになる。16歳以後、年齢を重ねていくと、情欲が芽生え、邪念は止まず、男女交感して有形の精を排泄し、陰が増えて陽は消えていく。64歳になると、元陽は消耗して尽きる。この時、十二消息卦では坤()卦に相当し、人はやがて衰えて老いそして死んでいく。

 内丹学家は、宇宙の万物にはすべて生成から死滅への過程があり、虚無だけが唯一永久不変不滅のものであることを知っていた。虚の中に物はなく、質も象もないから天地が崩壊しても虚だけは崩壊することがない。虚無は道である。道から先天の一気が生じ、一気から陰と陽が生じ、陰と陽から天・地・人の三才が生じ、それから宇宙の万物が派生するというのが宇宙の「順」方向の変化である。内丹学家は、道に取り組んで真と一つになることを追求し、宇宙の変化は可逆であると考え、それを逆に進めようとした。内丹仙学の基本原理は、人間は修練によって後天から先天の永久不変の虚無の状態へと「逆」方向に進むことができるということである。それによって道と交わり一体化できるのである。内丹家は、宇宙の変化を「逆」方向に進める。つまり、順に進むと人を生み物を生むが、逆に進むと仙に成り神に成るというわけである。彼らは内丹を修練することによって人体の潜在能力を開発し、エントロピー反応を食い止め、人間の精・気・神を一つに凝結させて高度に秩序だて、胎児と同じ先天の状態に変える。内丹学ではこの人体実験の過程を「三関修煉」と言う。「百日関」(初関)は人の精と気を凝結させては精と気が合したものの名称である)に変え、精をと神に変えてしまう。これが「三帰二[三から二に帰る]」の過程である。「十月関」(中関)は「二帰一[二から一に帰る]」の過程であり、を煉って神に変える。「九年関」(上関)は神を虚に戻し、内丹の最高の境地に到達する。内丹の修練の過程では、人体も逆の方向をたどって人道の「第3変」から「第2変」に返り、さらに「第2変」から「第1変」に返り、最後に「第1変」から虚無に返り、内丹は完成する。《唱道真言》には「道の要は、虚に過ぎないが、虚は万象を含む。世界は壊れることがあるが、虚だけは壊れることがない。道経に言っているように、形神倶妙[肉体も意識も絶妙]であれば、道と交わって真と一つになる。道は虚以外のなにものでもない。形神倶妙であるということは、形神倶虚[肉体も意識も虚]である」と書かれている。逆の方向に進めば本に返り元に還るという発想から、「順は人を生み、逆は仙に成る」という原理が生まれた。この原理をよりどころにして、宇宙が逆方向に変化する過程を人体内で模倣するのが丹道の要旨である。性と命が虚霊である元神に帰りそして宇宙精神に溶け込み、「道」の境地まで昇ってゆく。これが内丹仙学の基本思想である。

参考 ⇒ 陰陽学説
参考 ⇒ 五行学説

 内丹の修練法には、薬物・鼎炉・火候という三大要件がある。

 薬物。  参考 ⇒ 許進忠《築基参証》より 「第1篇 第1章 薬物」 参考 ⇒ 李遠国《道教と気功》より 三宝について

 内丹家は、人間の生命には精・気・神という3つの基本要素があると考え、それらを「三宝」と呼ぶ。内丹では先天の元精・元気・元神を薬物、つまり煉丹の原料とする。先天と後天は本来密接に関係しているので、後天の精・気・神を煉ることから始めなければならない。交感の精を漏らさず、呼吸の気を微かにし、思慮の神を安静にすることで、先天の薬物を生み出すことができる。内丹の初関では、神を主宰とし、気を動力とし、精を土台とする。人体の中の元精は本来形も質もないが、交感の時には形と質を備えた濁精に変わって外へ流出する。丹家は静を極め陽を動かす時に蓄えたり吸収して生成した真精を丹田に入れる。これは採薬と呼ばれる。初めに生じる時には精と呼ばれるものが、採煉の時には薬と呼ばれる。また精・気・神が集中する程度によって丹功の段階は外薬(小薬)・内薬・大薬に区分される。外薬は先に生じてから採ったものであり、活子時[功を煉るのに入静した際、体内に初めて真機が生じ、一陽が発生し始める時]に採った元精は外薬である。内薬は採ってから生じ、丹田の中で採った(「神[意識]」が入ることを「採る」と言う)元精を集中させて煉って生成したものである。小周天が完成し、さらに内薬と外薬を凝結して、大周天に進むと、大薬が生成する。

 鼎炉。  参考 ⇒ 許進忠《築基参証》より 「第1篇 第2章 鼎器」

 鼎炉は薬を煉る場所のことで、内丹家が外丹の術語を借用したものである。鼎炉の総称が鼎器であり、精を煉り、気を煉り、神を煉る本拠地である。神と気が昇るところが鼎であり、起こり止むところが炉である。煉功の段階によって大鼎炉と小鼎炉の区別がある。精を煉りと化す段階では大鼎炉を用いる。この鼎は泥丸宮であり、炉は下丹田である。まず外薬を督脈に沿って上昇させて乾首の泥丸宮に至らせ、さらに任脈に沿って下降して下丹田(土釜、炉)に至らせ、そこで凝結させる。薬を頭頂まで運び停止させることを去砿留金[鉱物を除き金を残す]といい、河車を転じて下降することを送薬帰炉[薬を炉へ送り帰す]と呼ぶ。を煉り神と化す段階では小鼎炉を用いる。この鼎は黄庭宮であり、炉は下丹田である。大薬を二穴の間に充満させて、循環することなく河車を運転し、静かに見守って、集中させて丹を生成する。大鼎炉の役割は昇降させることで、小鼎炉の役割は凝集させることである。内丹家は人体の丹田穴を安炉立鼎の処とし、神とを煉り凝らす土台とする。


炉の一例

炉とは、本来は金属などを加熱する装置の総称である。

   



鼎の例

鼎とは、本来は食物などを煮るのに用いる金属製の容器のことである。

 

 火候。

 「火」というのは神のことで、煉丹の過程では人の意念のことである。「候」は意思の加減のことである。つまり火候とは、精・気・神を体内で運行させる過程の各段階における意念の用い方のことである。丹を煉る時には、意念は火で、呼吸は風である。精と気を体内で運行させるには、内にはそれぞれが依存し合うように真意で助ける必要があり、外には呼吸で推し動かすことが必要である。だから、火と風は周天を運転する動力である。火には真火と凡火の区分があり、文火と武火の別があり、進陽火と退陰符の機があり、生火と止火の訣がある。真神は真火を生じ、真火は真丹を煉る。自然なものが火の技法として優れている。火候は丹家の秘密である。真正を掌握しよく運用するには、真の師に教示してもらい自分の体で悟る必要がある。

 薬物、鼎炉、火候のほかに、内丹家が重視しているものに人体の関竅がある。関竅というのは、真気を運行させたり集中させたりするとき鍵となる人体の部位のことである。そのなかで重要なものに上丹田(頭頂の泥丸宮)、中丹田(臍の上の黄庭中宮)、下丹田(つまり正丹田、またの名を穴、臍内一寸三分)、危虚穴(またの名を陽、会陰にある)、三関(尾閭関、夾脊関、玉沈関)などがある。

 しかし、内丹の修練方法の中で最も重要な関竅は玄関一竅である。この竅は活子時にはじめて開く関竅で、呼吸往来の祖であり、陰陽闔闢の宗である。この竅が開くと百の竅はすべて通り、後天の気功は先天の功(内丹)へ転化することになる。玄関一竅は丹家の秘であり、師から口授によって伝えられるべきものである。無心であればよいが、求める心があっては駄目で、長い間心を静かにすることを習うと、この玄関一竅を見ることができる。この時薬物、鼎器、火候は真であり、これにつれて先天の三宝が著しく生じる。入静して万象咸寂[万象がすべて静かであること]に至り、一念も生じないでいると、天地人我[天と地、他人と自分]の区分のない純粋な虚無の境界に達し、混沌虚無の中で、動きそうで動かず、発していないが発しそうであるという玄関一竅の様相が現れるのである。内丹家が、「玄関を見知っていることは仙である」と説いているように、玄関一竅が出現すると、内丹仙学の修練は、格段に進歩する。

 内丹仙学はもともと社会に普及していた養生の方法ではなく、知識界で代々伝えられてきた術によって道を体得するという学問である。内丹家の見方によると、内丹仙学の効用の一つは、修行者の人生観を変え、行為様式の改変を促すことである。修行者は、世間と交わっても争わず、自然超俗で、自由気ままな思考をするという老荘の道家学派を受け入れなければならない。そうしてはじめて「道を載せる器」であることができ、内丹の法訣の伝授を受けることができる。もし天性が淡泊で道を好む「上根利器」と呼ばれる人であれば、丹を煉ることは比較的容易である。反対に、名声や金に心を迷わせ、陰謀をめぐらせ腹黒く、抜け目なく立ち回り成り行きまかせのひとは、内丹の法訣を受けることはできない。内丹仙学を信じ修める人と丹道を信じない人では、往々にして実生活での考え方や生活の態度が異なる。一人の人間であっても内丹の修練法を修める前と後ではまるで別人のようである。これらはすべて、人々の行為様式の改変を促進する内丹仙学の作用である。

 内丹仙学の二つ目の効用は、人間の気質を変化させ、自身で情緒を制御できるようになることである。内丹の重要な関竅は人体の内分泌線の集まった場所にある。内丹の修練方法はこれらの器官(性腺、松果体、脳下垂体、肝臓、胆臓、膵臓、前立腺など)の内分泌を活発にすることによって、神経系統を調整し、全身を非常に調和のとれた状態にする。修行者が内丹仙学の修練するということは、一つの手順に沿って人体の奥深くを立て直すということである。この手順はどちらかというと「一得永得[まれに浮かぶよい考えを持ち続ける]」といった着実な方法である。修行者はこの手順を自分の心身に適用して自我を制御し、そして自己の気質を変え、自身で情緒を調整できるようにする。内丹功法を修練していて「活子時」が到来した時は特別である。この時、人体の内分泌系統が新しい変化を起こし、いくつかの関竅部位がモルヒネのようなホルモンを分泌する。体は酔ったように力が抜け、我を忘れ魂が抜けてしまったような快感を感じ、人間の生理と心理状態に実質的な変化が生じる。かくして、内丹を修習した人は荒々しい気性や良くない性格を改変し、冷静で、明朗な気質を形成する。日常生活での良くない刺激にも適応し、それを楽しむという意欲を持ち続けるようになる。

 内丹仙学の三つ目の効用は、人体の潜在エネルギーを目覚めさせ、脳の奥深くに眠る智慧を開発することである。内丹の修練法において入静する時には「顕在意識」(つまり識神、人の正常な思考の活動)の活動を抑えるだけでなく、「潜在意識」を直接制御し、さらに奥深い所にある「無意識」を開発することが必要である。内丹の修練法では、潜在意識の中に煉丹の手順を取り入れて、ネガティブな潜在意識が生み出す好ましくない心境、劣悪な情緒、様々な欲望やふらついた思考、雑念を排除し、煉丹過程で現れる「真意」によって「無意識」を開発する。内丹家は、内丹仙学でいう元神が顕現すると、頭は非常にはっきりしているのに全く思慮のない状態が現れると言っている。つまり元神は潜在意識より更に奥深い「無意識」から現れるのである。このように、心理学の角度から内丹仙学の理論を組み立てることもできる。人間の意識は、顕在意識(日常で認知される層)、潜在意識(フロイトの研究した層。各種の欲望、夢を誘発する。内丹の過程での様々な「魔」境も潜在意識が起こしている)、無意識の三層に区分できる。我々が基礎にしている内丹仙学の理論はこのようにも解釈できる。無意識は、人間の長い進化の中で蓄積された億万年の記憶である。それは神経系統の位置でいうと、ほぼ人の脳の旧皮質にあり、動物の進化の中で取り残された部分である。人間は36億年(特にこの2.3億年)の生物進化の中で、頭の脳の中にこのなお開発されていない情報の宝庫を残してきた。ここに巨大な可能性が秘められていることは間違いない。内丹の修練法は、実は、心理的な手順の一つである。それは人間の心身系統を制御・調節し、顕在意識を排除し、潜在意識を浄化し、無意識を発掘していくのである。内丹仙学によって出現する「六通の験」は、人体の潜在エネルギーを活性化し、人間の脳の奥深くに眠っていた智慧を開発した結果である。

 内丹仙学の四つ目の効用は、体質を改善し、病を取り除いて身体を健康にし、人間のバイタリティー(生命力)を奮い起こすことである。内丹術の基本的なやり方は、「取坎填離[坎から取って離に充填する]」と言われるものである。丹家は離()と坎()の二つの卦を男と女に例え、後天の離と坎の二つの卦は先天の乾()と坤()の二つの卦の真ん中の陰と陽の二つの爻が交換されて出来たものであると考えている。離と坎は、心と腎、火と水、汞と鉛、龍と虎、日と月、烏と兎、神となどの代表でもある。内丹仙学では離を乾に変え、坎を坤に変え、後天を先天に戻す。丹功の修練は、坎卦の真ん中の陽爻を抜き取って、離卦の真ん中の陰爻の位置に充填し、先天の乾卦の純陽の体に戻ることを要求する。内丹家はそれぞれ「取坎填離」、「抽鉛添汞[鉛を取り出し水銀を添える]」、水火既済[水と火が助け合う]、還精補脳[精を還し脳を補う]などと呼ばれる基本功法を行い内丹の工程を実践する。坎卦の真ん中の陽爻は「嬰児」と呼ばれ、離卦の真ん中の陰爻は「女」と呼ばれる。嬰児は腎にあり、女は心にあるので、坎と離が交わることは心と腎が交わることである。これを現代の言葉で説明すると、内丹の修練法によって人体の性腺を間脳のフィードバック機能と協調させ、腎機能を強化して脳機能を改善し、性ホルモン、成長ホルモン、甲状腺ホルモンなどの内分泌系統を調整して神経系統を調和のとれた状態にするということである。その結果、バイタリティーを増進させることができるのである。内丹功法を修習した人は、顔が少年のようで、いつまでも若く、身体は力強く、脳の働きは緻密で盛んである。内丹仙学には、老いを返上し童に還るという効果がある。

 内丹仙学の五つ目の効用は、寿命を延ばし、さらには生死を超えてしまうことである。孫思、葉法善、呂洞賓、陳搏、劉海蟾、石泰、張三などの歴史上有名な道士はみんな非常に長寿だった。つまり、内丹仙学には人体の寿命を延ばす効果があるのである。丹家は「もし不死であろうとするならば、死ななければならない」と言っている。そのため、大薬を得る段階には、「大死七日」という現象(実は動物の冬眠状態の模倣で、この種の状態にあると人間の新陳代謝は最低まで落ちる)がある。そして、最後には、集まれば形を成し、散じればと為り、さらには生死を脱し超えるという「虚空粉砕」という仕上げの段階に到達する。この丹功の最高の境地は、チベット密教の無上ヨーガの功法の虹化現象とも似ている。しかし、人間の生命の限界を超越するということは、まだこれからの人体科学の研究課題である。内丹功法は人体の秘密を探索する実験手順であり、人体科学の研究の一つの道である。これが内丹仙学の本来の価値の所在であると言うことができる。

 

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