Virtual / Real - 岩徳線 -
福山 13:25-(117A:ひかり117号)-13:54 広島 14:15-(1353M)-15:02 岩国
山陽本線1353Mで福山に戻った。ここで「周遊きっぷ」再開。この電車はずっと乗っていると岩国まで連れて行ってくれるが、時間稼ぎのため広島までは新幹線で行く。
〔ひかり117号〕が到着。ここで〔のぞみ9号〕を待避するので、先頭でその瞬間を捉えようと思ったが、カーブしているから……と油断したのが失敗であった。
キューン……ドン!! 「うわっ!!」
右側は列車が塞いでいるので音を頼りに判断するしかないのだが、500系は想像以上のスピードで飛び出してきた。あっけにとられるというより、もう笑って見送るしかない。
〔ひかり117号〕到着。もう300系は〔ひかり〕の顔である | 500系は想像以上に速かった! (福山) |
乗車した〔ひかり117号〕は、今回の全行程で最も混雑していた列車だった。自由席区画は座席は当然、デッキまでいっぱい。東京9時台発と時間帯の良い、それも博多ゆき「ひかり」で、帰省ラッシュの真っ只中だからしかたないか、と撤去の決まった冷水機で喉をうるおす。広島までは30分の辛抱だ。
広島〜岩国は結構な距離があるが、列車はすべて各駅停車。西条や呉には快速があるのに、この区間に無いのはなぜだろうか。などと考えつつ、103系は見送って115系3000番代の転換クロスシートに座った。辛抱の道中を思ったが、疲れてうつらうつらするうちに大竹を発車していた。次は終点、岩国。
岩国 15:20-(1843D)-16:33 徳山 16:41-(631A:こだま631号)-17:40 小倉
岩国〜櫛ヶ浜は岩徳線に乗る。ここは山陽本線を経由しても運賃・料金の計算は岩徳線経由となる特定区間。これまで新幹線や山陽本線を使って、「きっぷの経路上」は何度も通過しているはずの路線だが、実際に身体が通るのはきょうが最初だ……あれ、最後かもしれない?
こんな、と言っては失礼だが、通過直通列車もない山間のローカル線を尊重し続けているのは、戦中の一時期、「距離が短い」という理由でこの線を山陽本線として扱ってきた歴史的経緯もあろう。1〜2両のワンマン気動車には不釣り合いなほど構内が広いのも、その名残りである。
山陽新幹線は岩徳線に近いルートを取るが、並行しているのは周防花岡付近にとどまる。新岩国駅も川西から錦川鉄道で一つ入った御庄が最寄り駅だ。
徳山でホーム対面に待っていたのは、岩国を4分後に発車し、21.7kmも余計に走った下関ゆき563Mだった。いくらショートカットしていても、単線非電化vs複線電化の対決は後者に軍配が。
〔こだま631号〕到着。短区間の利用も多い | 0系最後の大窓車となったQ2編成の22-141と21-141(最後尾) (徳山) |
ラストスパート。徳山から〔こだま631号〕で小倉へ向かう。東海道から姿を消した0系、山陽区間ではまだまだ頑張っているものの、すでに〔ひかり〕からは実質的に撤退。源流の「大窓車」もついに2両となった。残る車両も100系の東海道撤退が加速されることもあり、この先予断を許さない。
0系の流線形は優しい表情を見せる (厚狭) [Nikon F5, AF Nikkor 50mm F1.4D, RDPIII] |
小郡で後続の〔ひかり189号〕に乗り換えれば小倉へ先着するが、さっきのような混雑も考えられる。この〔こだま〕も6両がほどよく埋まっているくらいだ。面倒だし、そのまま乗りつづける。続いて停まった厚狭は1999年に新幹線ホームを新設した駅で、本線との間に高架橋の側壁が残るなど、「取ってつけた」感じがよくわかる。16両分のホームはあるが、〔こだま〕しか停まらないので屋根は6両分しかない。
35年の歳月は新幹線の顔をこんなにも変えてしまった。高速化・環境適応へのたゆまぬ努力の成果 ([左]厚狭 [右])新下関) |
厚狭でその「グランドひかり」を、続いて新下関で「700系のぞみ」(15号)を待避した。新関門トンネルを抜け、今までずっと進行左側にあった海がただ一回右側に見えると小倉。何回来ても懐かしいと感じずにはいられない。