秘境 - 日肥線・くま川鉄道 -

村所(むらしょ)というところに、以前から行きたいと思っていた。その理由は、もう10年以上も前の話だが、「国鉄バス」を取り上げた鉄道雑誌の特集にこんな下りがあったことだ。

村所は宮崎県の最西部、九州山地の東の中腹に広がる人口約2千人の山村-西米良村の中心地。一ッ瀬川と板谷川が合流する狭い山峡に数十軒の家並が肩を寄せ合ってひっそり息づく静かな集落だ。その一角、国道219号線に面して村所駅があり、妻・人吉・日向折戸・大河内 (下ノ原) の東西南北4方面へ中・小型のかわいらしい国鉄バスが日に十数本、思い出したようにスタートしてゆく。

[引用 : 鉄道ジャーナル1984年6月号・第2特集「国鉄バス1984」つばめはきょうも南国の山里に…, 竹島紀元, 鉄道ジャーナル社]

五ヶ瀬(ごかせ)椎葉(しいば)とならび西米良(にしめら)は九州の三大秘境と呼ばれる。まあ、バスで行けるようなところを「秘境」と呼ぶには語弊がありそうなので、「奥地」なのかな。いつかは行ってみたいものだと思いつつ、JRバスも廃止された現在まで機会を逸していたが、くま川鉄道に行くのであれば、人吉〜湯前の折り返しではなく村所を通っていきたい、とは決めていたのだった。


国鉄湯前線 (人吉〜湯前 : くま川鉄道) と妻線 (佐土原〜杉安 : 廃止) の間は、国鉄バス妻営業所所管の日肥本線が結んでいた。路線の中核であった村所からの支線も含めてJR九州に引き継がれ、妻線廃止・湯前線の第三セクター転換後も営業が続けられたが、本線ですら超閑散区間ということもあり、1997年3月末に全線廃止となっている。代替は西都(さいと)〜村所が宮崎交通、村所〜湯前ほかは村営バス。

JR肥薩線・吉都線の急行なき後 宮崎〜熊本のルートは、実質的に九州・宮崎自動車道に限定される。宮崎〜西都〜西米良〜湯前〜人吉、というルートは上記の通り国道219号線として存在するわけだが、実用に値しないと言ってよい。公共交通機関を使う場合はなおさらで、日着できるのが熊本→宮崎で2本、宮崎→熊本に至ってはわずか1本しかない。高速バスが12往復も走って3時間で結ばれているのに、わざわざこちらを選ぶ人は相当な物好きであろう。特定地方交通線の代替バスでも地図から消えた路線が多い中、時刻表にまだ載っていることが不思議なくらいだ。


博多 22:50-(5091M:ドリームにちりん)-6:51 宮崎 …… 宮交シティ 8:46=(宮崎交通バス)=9:53 西都バスセンター 10:20=(宮崎交通バス)=11:47 村所

「おはようございます。まもなく延岡です」

まどろんでいた身に突然降りかかった自動放送、思わずバネのように飛び起きた。8月15日、晴。日向灘に昇る朝日を見ながら軽い朝食を取った。

〔ドリームにちりん〕を宮崎で下車し、まずは大淀川に向かって歩く。朝は涼しいと思っていたが、あっという間に汗が噴き出てくる。川原で何枚か撮ってみた。本当は午後のほうがよかったらしい。

JPEG 15KB
「ハウステンボス」カラーの〔きりしま1号〕が大淀川を渡る (宮崎-南宮崎)
[Nikon F5, AF Nikkor 35mm F2D, RDPIII]

南宮崎駅の近くに宮崎交通のバスターミナル「宮交シティ」がある。たいていのバスはここを通り、西都ゆきのバスもここから乗る (宮崎駅には寄らない)。だが実際には始発ではなく、看護大学という所から直通しているのだった。

8時46分に発車した中型のバスは、繁華街を通り、宮崎神宮に寄って、住宅地を過ぎ、やがて郊外に出た。田んぼに稲穂が見えない。ここは超早場米の産地で、既に稲刈りが済んでいたのだった。妻線跡のサイクリングロードが寄り添ってくるとまもなく西都。宮崎から1時間で西都バスセンターに到着した。近くには西都原(さいとばる)遺跡がある。都万神社という社もあり、これが「妻」の由来か。

JPEG 15KB
妻駅遺構。線路跡はサイクリングロードに (西都)

妻線という名前は憶えのある方も多いだろう。前述の通り佐土原〜杉安を結んでいたが、特定地方交通線の指定を受けて1984年12月に廃止となった。ここも宮崎交通が代替しているが、宮崎方面への連絡が主ということもあり、時刻表からは消えた。

西都バスターミナルのすぐ近くに、その妻駅の遺構が残っている。JR九州バスの妻営業所もここにあった。今は宮交の駐車場になっているが、なぜかバス停と待合室だけは残っている。村所ゆき4本の時刻は今と変わっていなかった。10:20発の村所ゆきは「始発 兼 熊本方面への最終バス」である。


JPEG 15KB
村所の「目抜き通り」

西都から村所までの道は、一ッ瀬川に沿って走る山間の小径。杉安駅の跡とおぼしき空き地の見える杉安バス停を過ぎ、杉安橋から自由乗降区間となる。途中にある一ッ瀬ダムは九州最大のアーチ型ダムで、瓢箪淵(ひょうたんぶち)という変わった名前の集落から、バスはぐんぐん登りだした。ダムで水位線が変わっているのだ。

それにしても、谷はひたすら険しく、道は細い。こんなところに本当に鉄道を通すつもりだったのだろうか? そりゃ今だったら長大トンネルでぶち抜いてしまうところだろうが……。

……(国道) 219号線は、湯前から標高千数百メートルの険しい九州山地の山峡をぬい、峠を越えて、秘境米良荘(めらのしょう)から一ッ瀬川上流の峡谷を下り……

……山並みの彼方、直線距離にして約40kmの杉安まで九州東岸から妻線のレールが延びているが、60年も昔に計画された九州南部の横断鉄道は着工されることもなく、ついに「幻の鉄道」に終わった。……

[引用 : 同上]

高森〜高千穂は建設途上にあったが (国鉄再建計画を受け凍結→放棄)、ここにはそのような工事の様子はみじんも感じられない。

西都から約50kmの道のりを走り続けること90分。西米良村の中心、村所に到着した。当時の写真とほとんど変わっていないようである。往時の国鉄バス村所駅 (駅!) は、建物はそのまま村の交通兼物産センターとしての役目をつとめている。

一ッ瀬川に降りてみた。水遊びに興ずる少年たちに、川釣りをする大人。水は清らかで冷たい。ちょうど昼時、正午を告げるサイレンが山谷に鳴り響く。そういえば今日は「8月15日」でもあるのだが。


村所 12:58=(西米良村営バス)=13:39 湯前 13:43-(14D)-14:27 人吉 14:33-(1268D)-15:52 八代 16:00-(5354M)-16:32 熊本 16:40-(1044M:有明44号)-18:03 博多 18:25-(2035M:ソニック35号)-19:02 黒崎
JPEG 15KB
村所に集うローカルバス。村営の支線バス(左)、
同湯前ゆき(中央)、宮交・西都ゆき(右)

西米良からは湯前の方が近い。そんなこともあって、県の違いを超え、村所は湯前と交流が多いのだそうだ。JRバス廃止後、西米良村が湯前-村所線も引き受けている。JR九州からライトバスを譲り受け、支線にマイクロバスを使用している。

ライトバスはフロントエンジンながら中型並みの車体を持つ。座席定員約20名。しかし、その席が埋まることはまず無いであろう。この便も途中の荒谷付近で降りた地元の人と、私だけ。そういえば、先程湯前から着いたバスには、宮崎方面へ向かうとおぼしき人がひとり。ということは、今日ここの横断ルートをたどったのは二人ですか。

そんな具合であるから、車内放送は省略。山道が突然新道に変わると県境の横谷トンネル、抜けると熊本県である。バスは良く整備されたバイパスを、人吉盆地へ一気に駆け降りてゆく。

湯前でくま川鉄道に乗り継ぐ。なんだかこちらはどうでもいい気分であるのだが……人吉からさらに肥薩線で球磨川下りをした。本物の「球磨川下り」もちらりと見えた。


JPEG 15KB
815系。その駿足ぶりはかなりのもの (八代)

八代まで着くと先も見えて安心である。やってきた銀水ゆきは815系。2両でワンマンでロングシートという、どこぞの会社を思い起こさせるものなのだが、異様に大きい色つきガラスの固定窓と、駅ホームのベンチに座ぶとんを乗せたような座席が特色。しかしながらその足は大したもので、複線の良好な軌道をかなりのスピードで飛ばしてゆく。乗車区間で計算すると表定速度66.3km/h、いくつかの特急を差し置いて、今回の全行程で普通列車のトップに立った。

熊本〜博多は20分おきに特急が発車する「特急街道」だ。座席の確保もそう難しくはなかろう、ダメなら1〜2本待てばいいだけ、と思った。接続する〔有明44号〕には若干の余席があった。