いま、なぜ「武士道」か

 

 健全な社会をつくり、美しい自己を確立しようとするとき、もっとも必要とされるものは何か。

それは「かくあるべし」とする意思の力である。その行動を裏付ける論理的な信念である。意志とは、平たく言えば「やる気」である。どれほど他の条件がそろっていようとも、この「やる気」がなければ何事も実現しない。

 かってその意思力を「自立心」という徳に高め、「かくあるべし」という気概の精神をもって行動の美学とした精神があった。それが武士道である。

 武士道などといえば、いまの人には右翼的とか封建時代の遺物とか否定されようが、果たしてそうか。たしかに武士道は日本の長い封建社会の中で、特権階級の武士が守るべき道徳律として誕生した。だが、その崇高なる精神は時代の変遷とともに、武士だけではなく広く一般庶民にも広がり、日本人の普遍的な“人の倫”となったのも事実である。

 なぜなら、武士道の根底をなすものは儒教であり、その儒教は人が人として守るべき精神として「仁・義・礼・智・信」の五つの徳を説いた。そしてそれが“人の倫”の徳目として尊ばれるようになると、人間としての“人の倫”に武士も町人も区別がないように、心ある人々の高尚なる道標となっていったからである。

 たとえばクリスチャンであった新渡戸稲造は、近代日本の明治を迎えたとき、その伝統的精神である武士道を見直し、世界に向かって『武士道』という本を書いたが、その冒頭は次の文章で始まっている。

「武士道は、日本の象徴たる桜花にもまさるとも劣らない、日本の土壌に花開く華である。それは我が国の歴史の本棚におさめられているような古めかしい美徳ではない。いまなお私たちの心の中にあって、力と美を兼ねそなえた生きる力である。それには手に触れる姿や形はもたないが、道徳的な雰囲気をかもしだし、いまも私たちに力強き支配の元にあることを自覚させてくれる。

 武士道をはぐくみ、育てた、社会的状況は消え失せて久しいが、昔あって今あらざる遠き星が、なお私たちの上にその光を投げ掛けているように、武士道は今なおわれわれの頭上に光を注ぎつづけている」

 本書はこの新渡戸博士の『武士道』を根底に、あらゆる武士道論をまとめて私なりの現代解釈をしたものであるが、武士道の精神とは一言で言えば、

「高き身分の者にともなう義務である。」

 すなわち武士は、直接的な生産に従事しない支配階級に属していたがゆえに、「正しい人の道」

ともいうべき倫理道徳を身につけ、庶民になり代わって社会の平安と秩序を守り、「民の模範」となるよう、それを実践して生きることを義務づけされたものだったのである。

 現代風にいうなら、今日の日本をリードする指導者層の立場にある人々が保持しなければならない“上に立つ者の義務”、つまり「ノブレス・オブリージェ」のことである。

 それゆえに武士は、支配者階層の一員として、自らを律し、正義をモットーとして、利欲に走らず、ひとたび約束した以上は命懸けでその言葉(約束)を守り、不正や名誉のためには死を持ってあがなうことが義務づけられたのであった。厳しい掟を守ったからこそ武士は「民の模範」となり得たのである。

 さて、今戦後の五十余年を振り返るとき、われわれ現代人が忘れてしまった最も大事なものは、こうした日本人たる精神のバックボーンではなかったのか。徳に不甲斐のなさを感じる、かっての武士階級にあった今日の指導者層にいる人々には、日本人のノブレス・オブリージュを描いたこの武士道の精神の想起してもらいたい。

 

 かって日本は美しい国といわれてきた。

 かって日本人は礼儀正しい美しい民族といわれてきた・・・・・・。

 その「かって」と「いまも」の現在形に変える為にも、日本人の文化遺産ともいえる武士道の精神を今一度、再認識してほしいものである。

 

以下この本の概要を記しておきます。

 

序 章 いま、なぜ「武士道」をみつめなおすのか

 

   今日本は第二の敗戦状況下にある。

   戦後のツケを象徴した「一九七五年」の出来事

  「オウム信者」と「援助交際」を招いた真犯人は

  「武士道」こそ日本人のアイデンティティー

 

第一章 外国人に誇りうる美的精神像

 

   武士道は過去の異物か

   外国人に誇りうる美的精神像

   ブロードウェイを行進した武士たち

   日本人は貧しくとも高貴な民族

   武士道に惚れこんで永住したイギリス人

   高き身分の者にともなう義務(ノブレス・オブリージュ)

   現代人が受け継いでいる武士道の残燭

   内村鑑三「代表的日本人」に見る武士道

   西郷隆盛こそ「武士の最大なるもの」

   『南州翁遺訓』に見る西郷隆盛の思想

   福沢諭吉が擁護した西南戦争

   福沢が西郷を高く評価した理由

 

 

第二章 新渡戸稲造らが唱えた「明治武士道」

 

   武士道を体系化した新渡戸稲造の『武士道』

   私が『武士道』に魅かれた理由

  「お札」になった三人の肖像

   札幌農学校とクラーク博士

   プロテスタンティズムと武士道の類似点

   新島襄と中村正直

  『武士道』は、なぜ英文で書かれたのか

  「真勇は法に似たり」の山岡鉄舟の功績

   鉄舟武士道

  『鉄舟二十訓』とその死に際

   福沢諭吉が『痩我慢の説』で訴えたこと

   徹底的に批判された勝海舟の態度

   武士道こそ日本人のアイデンティティー

 

第三章 武士道の誕生とサムライたち

   自立心こそ武士道の根幹

   武士道の源流「神・仏・儒」の思想

  「命より名こそ惜しけれ」の戦国武士道

  “遅れて来た青年”宮本武蔵

  「修己冶人」の朱子学の教え

   石田三成の「正義の戦い」

  「信義」のために戦った大谷吉継

  「恩義」に報いて死んだ宇喜田秀家

   なぜ『忠臣蔵』武士道の華と言われるのか

   赤穂藩士を教育した山鹿走行の「志道」

   泰平の世の「武士の本分」とは何か

  「人間の芸術品」として描かれた河合継之助

  「それでも日本男児か」

 

第四章 武士道の支柱「義」「勇」「仁」「礼」

 

  「義」とは人としての正しい行い

  「義」は武士道の支柱

  「義」より「打算」まさる現代人

  「義」を貫いた上杉謙信

   なぜ、武士道は「義」を支柱に据えたのか

   会津武士道の誉れ

  「なよ竹の心」と「死出の山道」

  「義をみてせざるは勇なきなり」

   黒澤映画の『七人の侍』に見る勇の美学

   真実の「勇」は怯に似たり

  「仁」は儒教の根本「王者の徳」である

   江戸時代は明治時代より平和だった

   意外と呑気だった武家社会の暮らしぶり

   花を愛した江戸の人々

  「権あるものには禄うすく、禄あるものには権うすく」

  「武士の情け」に込められた「仁」の精神

  「礼」―― 徳を表現した思いやりのかたち

   礼儀を失った経済大国ニッポン

   太宰春台が唱えた「礼」の真骨頂

 

第五章 「誠」「名誉」「忠誠」こそサムライの真髄

 

  「誠」はサムライの至高の徳

   歴史にみる卑怯者としての末路

   武士道と商人道の違い

  「名誉」とは人間の尊厳としての価値

  「名誉の戦死」は名誉ではない

   本阿弥光徳が死守した一族の名誉

  「忠義」――― 人は何のために死ねるか

  『葉隠』に記された武士の死生観

   殉死は忠義の表れなのか

   サムライの真の「忠義」とは何か

 

第六章 武士の教育と現代の教育

 

  “援助交際”がまかり通る理由

  「山高きが故に貴からず」の江戸の教育

   なぜ武士の教育から「算術」がはずされたのか

  「人」は教育で人間となる

   教師とは「人間をつくる職業」のはず

  「修身斉家治国平天下」の教え

  「公人」たる義務を遂行した勝手の武士たち

 

終 章 武士道は日本民族の文化遺産である。

 

   日本人の知性と道徳は武士道の所産

  “人の倫”を教えない不思議

  「仁の心」と「義の心」のある社会を

   二十一世紀の日本人へ

 

いま、なぜ『武士道』か    致知出版社   発売中より