泉鏡花『日本橋』- 姉の身代わり人形
( 旧稿名:鏡花、人形、『日本橋』)


日本橋 あらすじ

 雛祭りの翌日の夜、葛木晋三は一石橋から栄螺と蛤を放す。その振る舞いを怪しむ巡査の尋問にあうところ、現れた芸者お孝がその場をとりなす。雛に供えたものを放生することは葛木の姉の志であった。
 姉は、親を早く失った貧しさからひとの妾となって葛木が医学士となるのを援助、今はしかし弟を避けて失踪している。
 姉を求める葛木は姉そっくりの芸者清葉に思いをよせるが、旦那のいる清葉は色々な義理があるため葛木の恋を退ける。
 お孝はこれまで清葉が拒んだ男なら、まさに清葉が拒んだという理由からすべて自分のものにしてきた。葛木に横恋慕をしたお孝は、ために赤熊という男を捨て、葛木もまたお孝に心を移す。
 熊皮の上着の毛の中に沸く蛆を食うような男である赤熊からお孝と切れてくれと懇願されると、葛木は失踪した姉を探すために僧形となり、姉の思い出のある京人形を携えて旅に出る。葛木に去られたのち気がふれるお孝。
 時うつり、たまたま葛木が日本橋に舞戻ってきた日に、清葉の芸者置屋が出火。その騒ぎの中、赤熊はお孝を殺そうとするが、誤ってお孝の妹分の千世を切りつける。お孝はその刀で赤熊の口と咽喉をえぐって殺し、自ら硝酸(毒)を仰いだあと、清葉に葛木のことを託して死ぬ。この急展開は能などの序破急の終わり方を思わせる。
 清葉は焼失した自分の置屋をお孝の置屋のあとに移して再興、葛木は留学してドイツに赴く。清葉の家には美人芸者十三人
 [1914年 大正 3年 9月『日本橋』(千章館)初出]

五行要約
・『日本橋』は花柳界小説のふりをした人形小説
・人形さながらの身代わりのテーマの氾濫
・葛木は人形愛の男 お孝は人形の女
・お孝は清葉になりたいのです
・末尾 清葉の家の芸者13人とは13体の雛人形でもある


 泉鏡花は『草迷宮』や『高野聖』のような異界小説の他に、芸者の世界を舞台にした『婦系図』のような小説も書いていて、むしろ鏡花といえば一般に後者を思い浮かべるひとも多いかもしれません。はたしてこちらの傾向の小説は現在どれくらい読まれているのでしょうか。鏡花にいくら根強い人気があるといっても、いわゆる花柳界小説までが読まれているのかどうかよく分りません。まあどちらかというと異界小説の方が好まれているのではないかと思いますが、あまりそれらを区別する必要はないし、同じ泉鏡花が書いた作品なのだから、同じ読み方で読めばよいと思っています。『日本橋』は大正3年、鏡花40歳の時の作品で、その花柳界を舞台にしています。

 義理や世間のしがらみの中で誠実に生きる清葉という芸者と、清葉にライバル意識を燃やす奔放な芸者お孝。そして旦那のいる清葉への思いを断ち切ってお孝の横恋慕に心を移す葛木晉三という医学士。その葛木という男が現れたためにお孝に捨てられる通称「赤熊」なる怪人物。これらの人物が織りなす四角関係のはてに、気のふれたお孝が赤熊の口に刀を突き差してこれを殺し、自らも硝酸(毒)を飲んで死ぬ……。完膚なきまでに単純化すればこのようになるかもしれない『日本橋』という小説には、しかしもうひとり重要な人物がいます。それは葛木の姉であり、失踪中の、つまり現在は不在の登場人物であるわけです。

 そう、たしかに不在なのですが、姉によく似た京人形というのが、姉の身代わりの役で出て来ます。人形とはそもそも誰かの身代わりをするものでしたね。そして『日本橋』とはいわば「人形」をめぐる小説であるのです。白状すれば、いかにこの小説に人形さながらの「身代わり」のテーマが氾濫しているか、拙文が言わんとするのはほぼそのことに尽きます。東京の日本橋がその領域内に人形町という土地を持つことを微かに意識しつつ、この身代わりのテーマの氾濫ぶりをいくつか拾い集めてみると……。

・葛木は早くに両親を失い、貧しい幼年時代を過ごします。姉はひとの妾になる決心をしたある晩、京人形を俎に載せて包丁で首を刎ねようとします。その人形は姉に活き写しだったわけです。妾になることが、死に値するというわけでしょう。姉と人形が同一視されるのですが、もちろんそれ以前に姉は母の身代わりでもあるわけです。姉のおかげで葛木は医学を学ぶことができます。

・妾となった後の姉は葛木に一切会おうとせず、葛木が医学士になってからは何処かへ失踪してしまいます。姉を求める葛木は姉そっくりの芸者清葉に恋をします。清葉は姉の身代わりです。清葉には決まった旦那がいて、いろいろな義理に縛られているために、葛木の思いを受入れることは出来ません。

・お孝はこれまで清葉が拒んだ男ならすべて、まさに清葉が拒んだ男であるという理由で自分のものにしてきました。赤熊という男もそうでした。そしてこんどは葛木が赤熊にとって代わるというわけです。通常のライバル意識ならば、むしろ清葉の旦那をこそお孝は征服すべきはずなのに、少し妙です。お孝は清葉に憧れているのでしょう。清葉になりたいのですね。

・清葉を諦めた葛木に対し、お孝は清葉の身代わりになろうと申し出ます。お孝が葛木を誘惑するときの口説き文句は「人形が寂しい事よ」というものでした。お孝は自分を人形になぞらえるのですが、どことなく淫らなものを感じさせます。お孝は自分が清葉の身代わりであり葛木の姉の身代わりであるだけでなく、人形そのものにさえなろうとしているかのようです。

・葛木は清葉からもお孝からも遠ざかるために、そして失踪した姉を探すために、僧形となって旅に出ます。彼はこの旅に携えて行く姉の京人形を、預けておいたお孝から返してもらいますが、お孝はその時「清葉さん、----然(さ)ようなら」と人形にささやきます。お孝は葛木という男のエロスを正確に理解しているようです。

・たまたま葛木が日本橋に舞戻ってきた日に、清葉が店を張る「瀧の家」という芸者置屋が火事になり、その騒ぎの中、赤熊はお孝を殺そうとします。しかしお孝の妹分の千世という抱妓(かかえ)が、お孝と同じ着物を着ていたために人違いで切りつけられてしまいます。千世はお孝の身代わりになります。

・葛木に去られたのち気がふれていたお孝は、赤熊を殺して自ら毒を仰いだあと、清葉に遺言を残します。その内容はよく分りませんが、ただ清葉がそれに対して「身に代えまして、清葉が、貴女に成りかわって」とこたえます。結末の部分にはこう書かれています。

葛木が生理学教室に帰ったのは言うまでもない。留学して當時獨逸にあり。瀧の家は、建つれば建てられた家を、故(わざ)と稲葉家のあとに引移った。一家の美人十三人。

稲葉家というのはお孝の持ち物であった芸者置屋です。清葉の置屋が火事で焼失したため、お孝の置屋に移ってそこを瀧の家とした、つまり最後にいたって清葉がお孝のいた位置を占めることになるという結末であり、葛木のことを「身に代えて」引き受ける、ということであるのです。それがお孝の遺言なのに違いありません。身代わり願望の女であったお孝が死んで、身代わりの身代わりを奇しくも清葉が引き受けることになります。

 以上です。身代わりのテーマがいかに多く出てくるか、お分りいただけたと思います。『日本橋』の登場人物には、だから多かれ少なかれ人形臭さが付きまとうのですが、これは鏡花には人間が書けてないという、いかにもリアリズムの側から出そうな批判とは何の関係もありません。人間を書くふりをしながら、こっそり人形に置き換えて見せる鏡花の黒いユーモアなのであり、過剰な人形のテーマが氾濫しているという事態がここにあるばかりなのです。

 鏡花はこの作品をみずから戯曲化していて、それには小説にない重要なシーンがあります。お孝が自分のために新調した長襦袢を千世に着せる、次のような場面です。

お孝 似合ったよ。(と云いさま倒すが如くお千世を膝へ横抱きに)お孝――
千世 …………
お孝 葛木さんとお呼びよ、……私をさ。(と笑う。)
千世 ほほ、葛木姐さん。
お孝 いやだ。おいらんのように聞こえるじゃないか――唯葛木さん……とさ。
千世 葛木さん――
お孝 あい、――じゃない……むむ、お孝、我ままをたんと言え。

 そう言ってお孝は千世を抱きしめます。どういうことかというと、お千世にお孝の役を演じさせて、お孝自身は葛木に変身しようというわけですね。他愛ないといえば他愛のないごっこ遊びですが、お孝の秘められた同性愛的傾向とともに同化願望があらわれています。生身の肉体を使ったユーモラスな人形遊びの中に、お孝のエロスがほのみえています。(鏡花の『山海評判記』には、また別の趣の、肉体による人形遊びが出てきます。)

 「人形」には魔性があります。誰かの身代わりになることが出来るという人形の機能とはいったい何によるのか。恐らくそれは、人形が誰でもないことに由来するのでしょう。人形の魔力はその無名性によるのです。どんな名前も受け入れる底無しの無名性。だからそんな人形の中に虚無を一瞬かいま見て、たまらなく恐ろしくなり、それを魔性と呼ぶのです。

 お孝は「人形」の女です。彼女は自分が人形のように誰かに変身出来たらと思う。愛する誰かに変身すること、身代わりになること、同化すること、それが彼女のエロスです。切れば血の出る人間にそんなことができるわけがありません。だからお孝は必然的に人形の魔性にみずから敗れざるをえません。それが彼女の狂気となります。

 お孝にとって男たちは人形のエロスを達成するためのいわば触媒にすぎません。葛木にしてもひとつの触媒である点では同じです。清葉がその向こう側にいるからこその葛木という存在でもあるわけです。ただ他の男たちと違うとすれば、彼が人形愛の男であることでしょう。葛木のエロスとは、ひとりの生身の女をそのままに愛することができなくて、つねに誰かの身代わりの「人形」であるような女としてしか愛せないというものです。そのような葛木の人形愛的エロスがお孝の人形のエロスを激しく刺激したのです。

 お孝と葛木というペアはまさに理想的な結合であるかに見えます。しかし、お孝と切れてくれという赤熊の頼みを、葛木はなぜか訊き容れて旅立ってしまいます。べつにこのことは意外でもなんでもないわけで、彼の人形愛が姉の不在によって支えられている以上、そのエロスは浮遊し放浪することを余儀なくされます。いつまでもお孝のもとに留っていることは出来ないのです。お孝から姉の人形を受け取って姉探しの旅に出る葛木の姿はいかにも象徴的です。『日本橋』とはいわば姉と清葉とお孝が合体して作りなされる「人形」をめぐる小説であるわけで、男はついにその人形に操られる人形であるような存在でしかありません。

 さて、お孝なきあと、清葉はお孝の置屋を引き継ぐことにしました。世間の義理にがんじがらめになっていた清葉が、とにかくもお孝の身代わりの役を演じ始めるわけです。美人芸者が十三人という所帯を治めるようになる清葉にどのような変化があらわれるのでしょうか。お孝の身代わり、葛木の姉の身代わりを演じつつ清葉自身ともなりうるとすれば、それは人形の属性をもつ女であるはずですが、むろん作者は黙して語りません。しかし……、

 清葉の家の美人芸者の人数である13という数は、ひと組の雛人形の数と明らかに関係があります。とはいえ、雛人形の数にとくに規格があるわけではなく、内裏雛2、三人官女3、五人囃子5、随身(左右大臣)2、使丁3、という組み合わせは大震災後に百貨店が始めたもののようです。この組合わせだと合計15体。内裏雛を除けば13体となり、美女たちの数に一致します。しかし、ここは鏡花自身の別の作品にあたってみなければなりません。それによると、

「十軒店で近頃出来合の品物じゃあないんだそうで、由緒のあるのを、お夏さんのに金に飽かして買ったって申しますがね、内裏様が一対、官女が七人お囃子が 五人です、それについた、箪笥、長持、挟箱。御所車一ツでも五十両したッていいますが皆金蒔絵で大したもんです。」 (「三枚続」・二十八)

 内裏様が2、官女7、お囃子5で、つごう14体が鏡花の雛人形です。つまり、ドイツに留学中の男雛1体(葛木)を除けば、残りが13体で、清葉を含む置屋の美人たちの数になります。

 花柳界小説のふりをした人形小説の末尾で、こっそりと雛人形を並べ、ひとりほくそ笑む鏡花……。

 「春で、朧で、御縁日。」雛祭の翌日の一石橋という重要なシーンを持つ『日本橋』には、「雛祭」という人形たちのお祭の夜の華やぎと妖しさがすみずみにまで染みわたっています。けれどもそこに、泉鏡花の不吉な悪意を汲み取ることもできるのではないでしょうか。

 『日本橋』は岩波文庫とちくま文庫で読むことができます。


 1998.02.03/2016.11.29(debug)



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『日本橋』 青空文庫

           その若い妓は、可愛い人形を抱くように、胸へ折った片袖で、面を蔽 :41/2195
                  「……雛に、雛壇に供えたのを、可哀相だから放した :647/2195
               「……雛に、雛壇に供えたのを、可哀相だから放したんです :647/2195
                  「誰が雛を飾ったのですか。」           :680/2195
ではなかったか。……大学、病院の宿舎内で、雛を飾って遊ぶのですな。栄螺、蛤を供うるで :684/2195
じゃありませんか――御姉さんの志だって、お雛様に御馳走なすった、お定りの(栄螺と蛤。 :734/2195
、栄螺も蛤も活きていますわ。中でもね……お雛様に飾ったのは、ちらちら蝋燭の煮えます時 :736/2195
り焼いたり出来ますかって貴下――おまけにお雛様んでしょう――この方の心意気は、よく分 :738/2195
桃の花片そこに散る、貝に真珠の心があって、雛を懐う風情かな。             :743/2195
      「そうね……姉さんの御志で、お雛様の栄螺と蛤を、一石橋から流すと云うのに :791/2195
        「(同じく妻。)だわ。……雛の節句のあくる晩、春で、朧で、御縁日、同 :872/2195
の姿は、爺さんの目には、背後の蔵から昨夜の雛が抜出したように見えて、あっと腰を抜いて :1027/2195
慮は要らない、で直ぐに、あの、前刻のあれ、雛の栄螺と蛤の新聞包みを振下げて出た。が、 :1132/2195
て、土産じゃない、汐干では時節が違う。……雛に供えたのを放生会、汐入の川へ流しに来た :1209/2195
えたのを放生会、汐入の川へ流しに来たので、雛は姉から預かったのを祭っている……先祖の :1209/2195
い、ずっと以前――今夜で言えば昨夜だね――雛の節句に大雪の降った事がある。その日、両 :1233/2195
錻落しの長火鉢の前へ、俎と庖丁を持出して、雛に飾った栄螺と蛤をおろしたんだ。     :1242/2195
―一重桜の枝を持って、袖で抱くようにした京人形、私たち妹も、物心覚えてから、姉に肖て :1243/2195
                  重代の雛は、掛物より良い値がついて、疾に売った。 :1243/2195
、疾に売った。有合わせたのは土彩色の一もん雛です。中にね、――潰島田に水色の手柄を掛 :1243/2195
と蛤を旧へ直すと、入かわりに壇へ飾ったその人形を取って、俎の上へ乗せたっけ……」   :1244/2195
ように見えた――俎に出刃を控えて、潰島田の人形を取って据えたその話しの折のせいであろ :1266/2195
優しい眉が凜となって、顔の色が蝋のように、人形と並んで蒼みを帯びた。余りの事に、気が :1270/2195
妹には代々の位牌を、私にはその一組の雛と、人形を記念に残して観音様の巡礼に、身は亡き :1316/2195
ると、妹には代々の位牌を、私にはその一組の雛と、人形を記念に残して観音様の巡礼に、身 :1316/2195
生会をなすった品があるんです。――昨日はお雛様のお節句だわね――その蛤と栄螺ですって :1373/2195
われる玩弄品です。大人の手に遊ばれる姉さま人形も同じ事。」              :1419/2195
栄螺が乗って、下に横にして供えられた左褄の人形を、私とは御存じないの。」       :1421/2195
       「そんなに姉さんが恋しいの。人形のお話は、私も聞いて泣いていました。ほ :1480/2195
                    「人形が寂しい事よ。」            :1516/2195
        栄螺と蛤、姉の志と云うて、雛にそなえたを汐に流す、――そんな事が。私 :1575/2195
験の為に、云うて、その室で飾ると云われた、雛を見せて貰うたです。           :1601/2195
がら卓子の上に並べられた。一銭雛じゃね、土人形五個なのです。が、白い手飾の、あの綺麗 :1602/2195
莞爾々々しながら卓子の上に並べられた。一銭雛じゃね、土人形五個なのです。が、白い手飾 :1602/2195
薬の香のする室の空間を顫動させつつ伝って、雛の全身に颯と流込むように、その一個々々が :1602/2195
て、ちょっとうつむいた、慄然するような、京人形。……髪は、」             :1603/2195
  「貴方、貴方のその髪と同一に髪を結うた人形じゃがね。」              :1605/2195
      「あの、潰島田でございます、お人形さんの方は結構でしょうけれども、これは :1611/2195
       「貴方、その潰島田に結ったお人形さんですわ。」             :1629/2195
ったためじゃろうか、医学士が生理学教室で、雛を祭る、と云うは信じなかった。――吹く風 :1636/2195
私は没分暁漢の一巡査であるが、生理学教室に雛を祭ることにおいて、一石橋の朧月一片の情 :1643/2195
輝いた時、彼はそこに、姉を思った。潰島田の人形を思った、栄螺と蛤を思った、吸口の紅を :1758/2195
ちらと流れる水面の、他の点燈に色を分けて、雛の松明のごとく、軸白く桃色に、輝いた時、 :1758/2195
て、はっと吐こうとした唾を、清葉の口紅と、雛の思出、控えて手巾を口に当てた。     :1888/2195
           「済まないがね、――人形を忘れたから。」            :1968/2195
寝た、緋の長襦袢に、葛木が姉の記念の、あの人形を包んだのである。           :1970/2195
しぼは、鱗が鳴るか、と地に辷って、潰島田の人形は二片三片花を散して、枝も折れず、柳の :1973/2195
量が掛って、前へ突伏すがごとく、胸に抱いた人形の顔を熟と視た。            :1982/2195
た旅僧が、胸に掛けた箱の中には、同じ島田の人形が入っていたのである。         :1988/2195
の我児を、大肌脱の胴中へ、お孝が……葛木に人形を包んで投げたを拾って持った、緋の長襦 :2039/2195
って、病中ながらかねて抱主のお孝が好いた、雛芥子の早咲、念入に土鉢ながら育てたのを丁 :2122/2195
。あたかも甚平の魂のごとくに挫けて、真紅の雛芥子は処女の血のごとく、めらめらと颯と散 :2123/2195
中にも旅僧は何をトッチたか、膝で這廻って、雛芥子の散った花片の、煽で動くのを、美しい :2178/2195


 佐藤和雄(蟻) / 泉鏡花を読む