BCJフォーラム(15) [02/09/11〜]


ご意見・ご感想のコーナー
BCJファンの皆様からお寄せいただいたご意見やご感想などを集めてみました。内容をできる限りBCJのみなさんにもお伝えして、お返事などを頂けましたらあわせてこのコーナーでご紹介していきたいと思っています。是非こちら[makoto-y@mxi.mesh.ne.jp](または[ニフティID:DZE01555])までご意見等をお寄せ下さい。特に投稿フォームは設けませんが、お送りいただいたメールの内容をこのコーナーで紹介させていただこうと考えておりますので、掲載をご希望されない場合は、その旨お書き添えいただけますようお願いいたします。(ご意見・ご感想No.269〜)

*ご意見・ご感想の中の太字表記は、当ホーム・ページの制作者によるものです。

283 《フーガの技法は、確かに完結していたのでした。》

 1月19日、下北沢でフーガの技法を聴きました。今まで有名なばかりであまり聴く機会のなかったこの曲を鈴木さんがどのように演奏されるのか、待ち切れない思いで会場に向かいました。
 演奏が始まり、半音階的ファンタジアに続いてフーガの技法に入り、鈴木さんの冒頭から繊細な網目が次第に複雑さを増してゆくバッハの音の世界に幻惑される思いでした。第7曲のフランス風序曲からは演奏に一段と熱がこもり複雑な各声部の動きが明快に弾き分けられ、そしてクライマックスの10曲と11曲の三重フーガに至って精妙な音のレースと大胆な半音階によるまさに宇宙的としか言いようがない響きに酔いました。言葉や感情を厳しく排除した無限の音の秩序。こんな宇宙的な壮大な響きを我々はどこまで聴き取ることが出来るのか呆然とするうちに、最後のカノンの不思議な静寂と安堵に満ちた長い終止和音で全曲が終わりました。世間の通念とは逆に、この曲は確かに完結していたのでした。

 私も含め今日の鈴木さんの演奏を聴いた全ての人は、今までこの曲を知らなかった、今回初めてこの曲の凄さと真価を知ったことを悟ったに違いありません。演奏後に鈴木さんは、バッハは自然界の美の法則の発見者としてニュートンに例えられると言われましたが、今日まさに此の場でバッハの美が再発見されたのでした。本当に感動的な演奏会でした。

 一つ疑問が残りました。このように見事に完結した作品を、なぜバッハはさらに手を加えようとしたのか、この作品のどこが不満だったのか、そして最後はどんな作品に仕上げようとしたのか。しかし焦ることはない、きっといつの日にか鈴木さんはさらに新しい解釈でこの疑問に答えて頂けると確信した次第です。

(玉村 稔様)   (03/01/22)

282 《「フーガの技法」に感謝!》

(前略)雅明さんの紡ぎ出された結晶のかたち、美しく奥深く、力強く、心優しい響き!
氷晶の響きは永遠のフーガを奏で、その余韻は 今も、あるべきかたちを心に刻んでいます。                 
おかげさまで、また素晴らしい時を共に過ごせましたこと感謝いたします。

(Akiko Suzuki様) (03/01/19)

281 《「フーガの技法」名古屋公演にいってまいりました。》

矢口 真様 こんにちは!(中略)昨年は松蔭で心に残る素晴らしいバッハを堪能させていただき、今年は早くも鈴木雅明氏のチェンバロ演奏にもでかけることができました。この度は、名古屋で!鈴木雅明氏のチェンバロで!しかも「フーガの技法」が!これまた初稿によるものが!聴けるということは、この中部圏内に暮らすものにとっては晴天の霹靂というべきか奇跡にも近い恩恵でした。
とはいえ、私のような素人が聴きに行っても良いのだろうか?という不安がないわけではありませんでした。ところがいざ始まってみると、「フーガの技法」についてのお話も、ご自身の学生のころのエピソードなど交えて、何回か笑いも巻きおこったほどなごやかでわかりやすく、すっかり緊張がほぐれました。また鈴木雅明氏ご自身のものという、黒とクリーム色の聡明な貴婦人のようなチェンバロは想像以上に音が華やかで清冽でした。
「フーガの技法」の深淵で学術的な部分については恐ろしいほど?何もわかっていない私ですが、演奏のあいだはきらめいて溢れる音色にさらわれるようで、どこか別の次元にいってしまいそうでどきどきしました。これは自宅のCDで聴いているときには、思いもよらなかった感覚でした。しかも聴き終えた後のあの爽快感!これはいったいなんなのでしょう?

コンサート後のサイン会は長蛇の列で、あれこれ感激を申し上げるのもはばかられ「どきどきしました」とだけ辛うじて口にしたナサケナイ私でしたが、「僕もどきどきしました」とおっしゃったのには、吹き出してしまいました。サインは「バッハからの贈りもの」にしていただきましたが、このご本、またしても私のような素人には・・といぶかっていたところ、ホームページで内容紹介してくださっていたおかげで素人なりに十分楽しめそうと判断できて、さっそく購入できました。まだ読み切ってはいないのですが、少しはバッハを聴いているのだけど専門的学術的なことはゼロの状態で、にもかかわらずこの広大なバッハの世界はどうなっているの?と入り口でうろうろしている私のような人間にも、この本はまさにうってつけです。矢口さん提供のお写真もいっぱいですね!

この春は今回と同じコンサートホールに、オーケストラ・リベラ・クラシカも初登場とのことでとっても楽しみです。
それではまずは昨夜の感動とお久しぶりのご挨拶まで。これからもますますのご健闘をお祈りいたします。

(椙山妙子様) (03/01/16)

280 《松蔭良かったようです。》

矢口様こんにちは。私は結局いけなかったのですが、和歌山の串本から(これって東京からより時間的には実は遠いのです!)いつも通っておられる、矢倉様の報告ですと、プレトーク(松蔭では演奏の合間ではなかったようです)が一時間弱にもおよび(2:35〜3:20)、雅明氏も非常に熱が入っていたようで、演奏も良かったようです(残念)。しかし、入りが4割強くらいで、今回「フーガの技法」の録音は無いとのことでした。
ゼロビートはその点で、雅明氏のチェンバロが演目の時はマカも良いですが、松蔭はCDの音が生で聞けて穴場ですよ。
松蔭は不思議な音響で、チェンバロのみの時は、あのライブ・残響が正の方向、プラスに働くのです。不思議なものです。

以上、ショート報告(しかも又聞きですが)でした。

(松田信之様) (03/01/15)

279 《名古屋でのメサイア》

みなさんこんにちは。先日名古屋元BCJソプラノの鈴木さんが出演されたメサイア公演がありました。
名古屋で鈴木さんのメサイアが聴けるのは「去年が最初で最後か」と思っていただけに、喜びもひとしおでした。

私の気に入っている「Rejoice」は今回、CDと違った抑揚をつけ、他は直線的に歌われるなど技巧をこらされていて、はっとしました。
ハレルヤ直後のゆっくりしたアリアがまさに圧巻で、満場息を忘れて聴き入るという状況で、後で思わずため息が出ました。
男性が歌っておられた「But Thou didst not leave・・・」もCDの様に鈴木さんで聴いてみたいです。
ただ今回、どうも違うと思ったらオルガンだけでチェンバロが無く、やはりバロック音楽には後ろでズンズン鳴っているチェンバロがあるといいですね。
また来年も名古屋に来られるよう、楽しみにしています。

(miura様) (02/12/12)

278 《新たな発見に満ちた《ヨハネ》を思わせる劇的な《メサイア》》

12月20日(金) 19.00-22.00 神戸新聞松方ホール

初めて行く松方ホールは下で聴くのと,休憩後に移動した上では音がかなりの違いがあり,座った位置のせいもあるとは思いますが特に独唱,トランペット,オーボエがよく聞こえるようになりましたし,合唱の迫力が違いました。
オケの配置は,いつものバッハとは異なって,夏のヘンデルと同じくオーボエが第2ヴァイオリンの後ろにいて,弦に重ねるだけでソロはありませんでした。オルガンの鈴木優人さんは今回初登場でしょうか?
弦は比較的多いレガート気味の表現が耳を引きます。ティンパニはトレモロをしませんでした(第47曲での入り忘れはご愛敬)。コントラバスはlow Dで(最初からだったかどうかを確認しませんでしたが)。
合唱は5-4-4-5 (第30曲の女性は3-3-3)。夏のDixit Dominus, Laudate pueriを思わせる力強さ!特に第7, 11, 15曲, 第2部と第3部全般で。第25曲では53小節で弦と同じくhigh Cに!途中テノールに疲れのせいか少し乱れも。
独唱は(順不同),テノールの櫻田さんは円熟が一層増して余裕も感じさせ,バスのマクラウドさんも浦野さんも堅実,アルトの波多野さんはオレンジの衣装も相まって華があり語りかけるよう,カウンターテナーのホワイトさんは全体に突っ込み気味なのが気になるところ,ソプラノの野々下さんは調子が万全ではなかったような気がしました。
版はダブリン初演版ながら,後のロンドン初演版なども混ぜたもの。
第34曲は,私も初めて聞くアルト2重唱合唱が続くロンドン初演版で(ベーレンライター版第34曲),実に面白かったです。その代わりに第35曲がありませんでした。
驚いたのは,第1曲などで付点四分音符+八分音符の組み合わせを,複付点四分+十六分で演奏しなかったこと!オリジナル主義の場合に当たり前だと思っていたことを再考させられました(管弦楽組曲やカンタータ61番などでも八分のままですが)。
第1部では,第9,10曲の暗闇の表現,第11曲でのFatherの強調,第15曲でのand peace on earthのテヌート気味の強い表現。
第2部からは《ヨハネ受難曲》を思わせるようが劇的な表現が。「嘲笑」(第24曲)「あざけり」(第25曲)「謗り」(第26曲)の激しさ,第27曲の悲しみから第28曲の途中で喜びへの変化,第39曲でのGodの強調,最高潮でのKing of Kingsでのアクセントとテヌートが印象的。
第3部では,第41曲でのアカペラの美しさと劇的な表現,第47曲での合唱の見事さ。
秀美さんが歌われるのはいつものことですが,今回櫻井さんがよく歌っておられて演奏もノッておられたように感じました。
意表をつくアンコール!英語圏ではよく知られる"Twelve Days of Christmas"の楽しいアレンジのものをBCJの合唱だけでソリストも兼ねながら。やはり恐るべき合唱力です。

(竹内茂夫様) (02/12/21)

277 《「鈴木さんのクラヴィコードはショックでした。」について》

矢口様、はじめまして。
VIVA! BCJのホームページは、BCJ公式ページが出来る以前からずっと楽しみに拝見させて頂いています。

感想コーナーの玉村様の「鈴木さんのクラヴィコードはショックでした。」についてですが、私も当日、会場で同じようにショックを受けました。

一番大きかったショックは、想像以上に音が小さかったことですが(笑)

「クラヴィコードの音は小さい」というのは知識としては知っていても、あそこまで小さいとは思わず、微かな幽幻な響きに耳を傾けていると、どことなくリュートを思い起こさせ、いわゆる「リュート組曲」が本当にリュートのために書かれたのか論議されたのも判る気がしました。
その繊細な表現は「平均律はチェンバロで弾くべきか、ピアノで弾くべきか」という答えのない議論に、強烈な一石を投じるものにも思えました。

ただ、やはりクラヴィコードに奏楽堂は広すぎでしたが、その分、聴衆がそれまで以上に息を潜めて緊迫感が漲り、終わった時の解放感は格別なものがありました。もっとも、フーガに続くかと思ったものの、プレリュードだけだったのが少々残念でしたが。

私は前半は下手側バルコニーにいたので、クラヴィコードを弾く様子は背中しか見えませんでしたが、チェンバロを弾く様子は堪能しました。
半音階的幻想曲も素晴らしかったですが、冒頭で弾かれた、プログラムに無い「ゴルトベルク変奏曲のアリアのバスによるカノン」(すみません、今、手元に資料がないので正確な呼称が判りません)も、このような特別なコンサートでなければ(実演では)滅多に聴くことが出来ないもので、興味深かったです。

このコンサート・シリーズは4回とも聴くことが出来ましたが、通常のコンサートとは一味違った、このような企画を是非また、と期待しています。

(五味 守様) (02/11/22)

276 《コンサートのご案内》

矢口真様、冬将軍の足音もそろそろ聞こえようか、という季節になりましたが、お元気でお過ごしのことと思います。ご無沙汰してます、ボローニャの櫻田です。いつもいつもBCJの応援ありがとうございます。来る12月BCJのマニフィカトメサイアで4回の出演を予定しております。マニフィカト変ホ長調版メサイアダブリン初演版を参考に、ということで、どんな変更が・・・と思ったらテノールはあまり変わりがなさそうなので、ほっとしているところです。

さて僕のイタリア滞在6年目に突入し、演奏活動の方もますます充実してきました。これまでにアカデミア・ビザンティーナ、イ・マドリガリスティ・アンブロジアーニ、ラ・プティット・バンド、スイス・ラジオ・イタリア放送合唱団など、イタリアを中心にヨーロッパの声楽アンサンブルやバロック・オーケストラとの共演、CD録音など、様々な経験を積むことができました。来年はイル・ジャルディーノ・アルモニコなど素晴らしい演奏家たちとの共演があるので本当に楽しみです。

そこで、いままでイタリアで経験したことを日本の皆さんに少しでもご紹介したいと思い、今回の日本滞在中に小さいながらも2つコンサートを自主的に企画しました。ひとつはフランチェスコ・カヴァッリの宗教曲、もう一つは17世紀はじめのイタリア・カンタータのプログラムです。以下に日時、共演者など詳しく記しますので、ぜひとも矢口さんのホームページでご紹介下さいますよう、よろしくお願いします。

それでは来月日本でお目に(お耳に)かかるのを楽しみにしています。季節柄お体をご自愛下さい。

櫻田 亮


その1:
フランチェスコ・カヴァッリ生誕400年記念コンサート 〜宗教曲の夕べ〜

日時:12月12日(木)19時開演
場所:池袋、自由学園明日館講堂(JR池袋駅徒歩5分、目白駅7分)
曲目:Nisi Dominus, Laudate Pueri, Ave Maris Stella, Salve Regina, Sonata a 3, Magnificato 他
出演:小池智子(ソプラノ)、穴澤ゆう子(メゾ・ソプラノ)、青木洋也(カウンターテナー)、
    櫻田亮(テノール)、春日保人(バリトン)、小田川哲也(バス)、
    益田弥生/星野麗(バロック・ヴァイオリン)、
    懸田貴嗣(バロック・チェロ)、長久真実子(オルガン)
チケット:前売3500円、当日4000円
問い合わせ:ミット・プロデュース 03-5496-3731 
フランチェスコ・カヴァッリ(1602年クレモナ郊外クレーマ - 1676年ヴェネツィア没)

ヴェネツィアの聖マルコ大聖堂を中心に、歌手、オルガニスト、またオペラ作曲家としても活躍し、モンテヴェルデイに次いで、この時期ヴェネツィアの主導的人物であったカヴァッリの、今年生誕400年を記念して、演奏される機会の少ない彼の宗教曲をお送りいたします。


その2:
La Cantateria イタリア・カンタータ・シリーズ 第1回
〜17世紀初期のカンタータ ヴェネツィア編 1〜 カンタータの産声

日時:1月27日(月)19時開演
場所:新大久保、日本福音ルーテル東京教会(JR新大久保駅徒歩5分)
曲目:G.P. ベルティ/おお、どれほどの愛らしさで
    P.ポッセンティ/ああ、羊飼い達、フィッリはここにいる
    C.モンテヴェルディ/ああ、私は倒れてしまう
    M.ペゼンティ/愛の神よ、なんという間違いか
    N.フォンテイ/リッラとリディオのディアーロゴ、他
出演:小池智子(ソプラノ)、櫻田 亮(テノール)、芝崎 久美子(チェンバロ)、
    竹内 太郎(キタローネ&ギター)、太田 光子/篠原 理華(リコーダー)
後援:イタリア文化会館
チケット:4000円
問い合せ:オフィスアルシュ 03-3952-8788/arches@wk9.so-net.ne.jp
イタリア・カンタータ・シリーズ 

バッハやヘンデル、ヴィヴァルディなどの作曲で知られる“カンタータ”と呼ばれるジャンルは、彼らが活躍した時代より80年ほど前にイタリアで誕生しました。それ以降イタリアでは多くの作曲家が世俗、宗教をあわせ、たくさんのカンタータを書き残しています。L.ロッシは291曲、G.カリッシミは170曲、B.ストロッツィは82曲、A.ストラデッラは161曲、A.スカルラッティに至っては600曲という数を作曲し、“カンタータ”はイタリア・バロックの代表的分野のひとつとなりました。それらは一口に“カンタータ”と呼ばれていても、時と所により様々に形が変わります。そして、それらの膨大な楽譜はイタリアをはじめヨーロッパ各地の図書館に眠り、十分な研究がなされず、日本はもちろんヨーロッパでも演奏される機会はあまりありません。私たちはこのイタリア・バロックの“カンタータ”たちを少しでも日本に紹介してゆきたい、と考えています。
La Cantateria(ラ・カンタテリーア)

イタリア語の「カンタータ Cantata」と「商店、製造所」を意味する接尾語の「〜eria」を組み合わせた造語。例えば、書店は「Libreria」、文房具店は「Cartoleria」、お菓子屋は「Pasticceria」、ピッツァ・レストランは「Pizzeria」、という具合にイタリアの街並みには色々な「・・リーア」があります。私たちも選りすぐりの品(曲)揃えでお客様を満足させたい、との願いを込めて名付けました。

(櫻田 亮様) (02/11/21)

275 《鈴木さんのクラヴィコードはショックでした。》

10日、上野奏楽堂のオルガン+αの最終コンサート「バッハの思い出」に行きました。オルガン・ソロありソプラノ・アリアあり・フルート・ソナタありの盛り沢山なプログラムでしたが、当日会場で鈴木さんがクラヴィコードを弾かれることを知り、驚きました。

実演では初めて聴くクラヴィコードでしたが、鈴木さんの弾かれた平均律の、極端に小さな音ながらもデリケート極まりない響きには息を呑みました。ハ長調プレリュードの単純な和音の連鎖が、かくも豊かな表情をもって演奏されるとは!残念ながら今回の演奏はプレリュードだけでしたが、もしフーガが演奏されればさらに豊穣な世界が展開されたに違いありません。

鈴木さんの演奏にはこれまで誰の演奏からも思いもよらなかったバッハの生々しい息遣いまで感じられ、平均律という曲の概念を根底からひっくり返されるような強烈なショックを受けました。30年前に初来日したレオンハルトの情念的?なバッハに接した衝撃も忘れ難いものがありますが、今回の鈴木さんはレオンハルトをも超える新しいバッハ演奏の可能性を明確に示されたと思います。クラヴィコードの小さな音では、おそらく通常の演奏会で聴くことはまず不可能でしょうが、いつの日にか鈴木さんが「バッハが最も慈しんだ」この楽器で、平均律全曲を感動的に弾かれる機会を期待したいと思います。   

(玉村 稔様)   (02/11/15)

274 《18世紀、行ってきました!》

矢口さん 竹内です。お久しぶりですがお元気ですか。

さて,18世紀オケの京都公演(5番6番)に行ってきました!
オランダがとても懐かしくなる音でした。
良かった一方,お客の少なさなど気になったこともありますが,またレビューを書きますので,ご笑覧くだされば幸いです。
(この間のレビューに矢口さんのコメントが未だないのが寂しいです(笑))

来月はBCJのメサイア(神戸)に行きます。

最近,あれほど苦手だったモーツアルトハイドンを,猛烈に集め始めています。
理由は,そう,OLCのせいです(笑)。オリジナル楽器でやると格段に良いですね!
オリジナル楽器での演奏はコープマンなども有名ですが,最近ではコープマンの盟友で今は分かれてしまったテル・リンデン(Brilliant Classics)のモーツアルト交響曲全集が非常に面白いと感じています(メンバーは結構18世紀っぽいですよね)。その他,パウル・ドンブレヒトのがあったり,色々買い集めてえらいことになっています。

でも,秀美さんも亮さんも,そしてテル・リンデンもそうですけど,バロックで弦をやっている人が,古典に行ったり初期ロマン派に行ったりする傾向があるんだなー,と思う今日この頃です。

BCJの松陰公演は来年2月までありませんけど,その時には矢口さんともまたお目にかかれるでしょうか。

寒さも増してきました。ご自愛ください。それでは!
 
P.S .土曜日は,私がやっているブルーグラスというジャンルのバンドで,ゴスペルのライブにトリとして出ます!来週も別のところで出番があるかもしれません。秋冬は音楽活動で忙しい竹内でした(笑)。http://www.biwa.ne.jp/~ohmi-efc/ZION/

(竹内茂夫様) (02/11/14)

矢口さん、竹内です。お元気でしょうか。師が走る12月が間近なので,とてもお忙しいことと思います。かく言う私も他人事ではありません(苦笑)。
(中略)私も現在多忙なので18世紀のことがなかなかまとめられていないのですが,気が付いたことをいくつか追加させていただきます。

0. ブリュッヘンはオランダでも2度聞きましたが,その時と同じく黒のダブルでオランダ人らしく質素に現れました。彼はタキシードを着ないのでしょうか。ヘレヴェーヘが必ずタキシードなのはさすがにベルギー人ですね。コープマンはどうだったか?
1. きっとクラリネットの名手がいたからフィーチャーされているのかなと思われる第6番で,クラリネットを吹いていたエリック・フープリヒが大変に良かったと思ったので,彼がソロを吹いているモーツアルトのクラリネット協奏曲のCDを手に入れました。いやいや,良いですね!(ちなみに,Hoeprichの名前は,もしオランダ語読みならこんな感じだと思うのですが,日本語版では英語読みで「ホープリッチ」となってます。本当はどちらなのかは解りませんが)
2. 以前18世紀のコンマスだったルシー・ファン・デールが先日の演奏会でもモーツアルトのCDでも弾いていませんので,離れたんでしょうか?あ,メンデルスゾーンの《夏の夜の夢》でも弾いていませんねぇ。《マタイ受難曲》では弾いていますが。
3. トラヴェルソは名手ヒュンテラーですが,彼は音が大きいというかなぜトゥッティでトラヴェルソが聞こえるの?みたいな感じで,ちょっと音が立ちすぎるようですね。それにしても音量のあるトラヴェルソです。オーボエは名手でデン・ハーグでも厳しい教授として知られるク・エビンゲ,セカンドのトップのストゥーロップ,チェロのトップのファン・デル・メール,コントラのウッドローは不動のメンバーでしょうか。
4. 楽しみのティンパニのファン・デル・ファルクさんもニュアンスあふれる感じで面白かったですが,聴き方によってはズレているとも聞こえるくらいのタイミングで叩くのですね。
5. 音量の違いが出にくい木管楽器と,違いが出る弦楽器の対比がとても印象的でした。木管楽器で指定されている当時のpというのは,現代楽器での音量の違い以上に,ニュアンスの違いが重要だなということを改めて感じました。
6. 日本人では我らが(?)夏美さんが2列目舞台側で弾いておられたのと,その1列後ろで山縣さんが,そしてピッコロでもオガワ・タカシさんという方が吹いておられました。セカンドのワタナベ・ケイコさんと,ヴィオラの我らが(?)森田さんはおられませんでした。
7. 懸念の京都コンサートホールの客数ですが,最初の第6番では1階13列目だったので「ポーディウムとバルコンが空いているなー」というくらいであまり気が付かなかったのですが,休憩後空いている上手バルコンに移動して見ると,何と,1,2階合わせて半分くらいしか入っていないじゃないですか!これはオケが入って来た時にちょっと意外そうな顔をしていたわけです。直前まで新聞などで宣伝もしていましたし。
ということで,一口メモ…の割に長くなってしまいました(笑)。

それではまた

P.S. そうそう,今日CD屋さんで見たサイトウ・キネン・チェンバースによる《ブランデンブルク》に,我らが(?)三宮さん尾崎さん山岡さんが参加されているなー,なになに「バロック奏法とモダン奏法の融合」か,と思ってみていたら,音楽監督が何とヴァルター・ファン・ハウヴェじゃないですか!これはリコーダー吹きなら聴かないといけない(笑)と思ったのでした。今日はグッドマンの《ヨハネ受難曲》のDVD (例の第2版ですね!)を買ってしまったので買いませんでしたが。

(竹内茂夫様) (02/11/23)

矢口さん、竹内です。きっとお忙しいことと思います。
OLCの方はいかがでしたでしょうか?きっと楽しまれたのではないかと思います。

私の方は,今日はベーレンライター新版のシューベルト交響曲全集のスコアを買ってしまいました。これは,今まで知っている楽譜の風景と,かなり違いますね。《グレート》なんか,このダイナミクスで弾けるの?みたいな(苦笑)。

さて,先日勝手に(笑)お送りさせて頂きました18世紀の詳し目のレビューですが,私のサイトの方にまとめて載せました。よろしければご笑覧くださいませ。
http://bakkers.gr.jp/~atake/muziek/OAEBeethoven6-5.html

ではまた!

(竹内茂夫様) (02/11/29)
 竹内さん、こんにちは。18世紀オーケストラの来日公演に関しての詳しいお便り&レビュー、ありがとうございました!お便りをいただいてからもうずいぶんと時間が経ってしまいましたが、今回の18世紀オーケストラのベートーベン・チクルスを味わい直す大きなチャンスが間もなくやってきます!今回の一連の演奏会で演奏された9曲のうちの4曲がNHK-BS2によって放映されるのです!BSハイヴィジョンではすでに放映済みのなのですが、チクルス初日(11/7)の1番&3番4日目(11/10)の8番&5番の演奏が、明日、2月7日(金)の深夜(2/8早朝)の24:45より約170分間に渡り放送されます!放送の詳しい情報はこちら。お見逃しなく。改めて演奏を受け止め、当日感じたことや放送はされなかった日の演奏についても含め、またこの欄にご報告できればと思っています。それでは、また。(矢口) (03/02/06)
 18世紀オーケストラによるベートーベン・チクルス全曲FM放送のお知らせです! こちらNHK-FMの番組案内によれば、来る3月3日(月)〜7日(金)にかけて、昨秋話題を呼んだブリュッヘン/18世紀オーケストラによるベートーベン交響曲全曲演奏会の模様がオンエアされる模様です。私はその5夜に渡る演奏会にすべてうかがいましたが、先日の1,3,8,5番のBSでの放送に続いてもう一度今回の演奏を深く味わうチャンスを得られたことは大きな喜びです。実演を聴いた印象では6番がベスト。次が2番、4番という偶数どころでした。これらの曲は残念ながらTV収録はなし。しかし、その響きを聴くことが出来ることになりました!楽しみです。 (矢口) (03/02/26)

273 《「きものdeカーネギー」》

矢口 真さま こんばんは 伊藤康子です。
今日は、「きものdeカーネギー」のことについてメールさせていただきました。
http://www.kimono-bito.com/020811kimono-de/ca.htm

「きものdeカーネギー」って私が勝手に付けた名前なんですが、カーネギーホールでバッハを聴く旅という内容で、実はBCJのおっかけツアーとも言えるものです。

思い起こせば2年半ほど前に、鈴木環さんから「カーネギーホールに招聘されたのよ」とお聞きしました。あれは西野式呼吸法の道場で心身ともに自由でわくわくしている最中でした。
仲の良い素敵な環さんとBCJが、あのカーネギーホールで演奏するなんて何とすばらしいことでしょう。私はすぐに「私、応援に行くわ!聴きに行く〜」と言ったのです。
そして10分後、対気のために並びながら「そうだ、きもので行こう!」「でも1人じゃ寂しいから誰か誘おう!そうだツアーを組もうかな?」と思いました。
だってそれは3年先の事とお聞きして、準備時間は十分有ったはずなのです。

それに私はそれまでの仕事を辞め、全く方向転換してネットの中にきもの屋を開店したばかりでした。きものがネットで売れるのか?というのはかなり苦しい挑戦にも感じられました。だからすぐに、「3年有れば何とかできる。それまでにしっかりしたお店を作ろう」と思ったのです。つまり3年後を私自身の目標点と位置づけたきものdeカーネギーでも有りました。

ニューヨーク・カーネギーホールでバッハ演奏のためにきもの姿で参加するとはきものにとっても最高の出番なのです。
きものって、着て輝くための最高の衣だと思います。
その方の個性を洋服の何倍も表現します。だから個性を捉え間違うと野暮になるのですけれどね。(笑)
自己確認、自分探しや癒しの役割もします。

演奏なさる方が最高レベルなら、こちらだって最高に楽しむための演出をし、その時間をしっかり意味づけたい!なんて思いました。

その3年後が実は2年後となって来年4月に実現します。
読売旅行社さまの募集で下記のように具体化しつつ有ります。

 旅行期間:4月5日(土)〜10日(木)の6日間
 旅行代金:約298,000円(未確定)
 募集人員:20〜25名
 日本人ガイドさんが付きます。


時はちょうど4月で、ワシントン・ポトマック河畔で桜の女王祭りも開催されますから桜鑑賞とBCJの演奏会を堪能し、メトロポリタン美術館自由の女神観光なども織りませた内容のツアーとなっています。

それから着物でなくてはいけないの?と思われるかもしれませんがもちろんそれは自由ですし、男性の方も大歓迎なのです。

また、きものにご興味がおありの方は、11月に浦和で開催します「千年の恋」の催しにお越しいただければ、平安時代のかさねの色目のおきものや吉永小百合さん監修のきものなど1000点以上をご覧いただけます。
http://www.kimono-bito.com/020820sennen/1.htm

BCJのカーネギーホールでの演奏を聴かれる方は、ご一緒に行きませんか?
どうぞ宜しくお願いします。

(伊藤康子様) (02/10/30)
伊藤様、こんにちは。BCJの演奏会場で何度かご挨拶を差し上げたことがありますが、今回はお便りをいただきうれしく思っています。ありがとうございました。
来春のBCJアメリカツアーのハイライト、カーネギーホール公演きもの姿で参加しようという企画、素敵ですね!時期が時期だけに私は仕事が忙しく、参加できないことが残念でなりません!! 是非素晴らしい体験のお話をお聞かせいただければ、と思います。
きものといえば、今から10年以上前、夏のザルツブルグ音楽祭に行った時、盛装の紳士淑女に混じって、日本人のご婦人が見事にその場にマッチしたきもの姿で会場にいらっしゃったことを思い出します。ザルツブルグ音楽祭では、開場の時間になると劇場入り口に多くの人が集まり、演奏会やオペラを聴きに来る観客のファッションを楽しむという風景が繰り広げられていました。まさに客席の聴衆もアーティストの一員なのだな、と思った出来事でした。
さて、そのBCJ初のアメリカ・ツアーですが、大規模な企画であるだけに経済的にも大きな負担ともなっているようです。「きものdeカーネギー」に参加してエールを送るのも一つのサポートと思いますが、BCJ事務局では今回のツアーにあったて海外公演支援の募金を募集しているそうです。私もすでに志を納めさせていただいておりますが、よろしければ皆様もご賛同いただき、BCJの活動の一層の充実に一助をお願いしたいと思います。BCJ海外公演支援募金の詳細について、是非こちらをご覧ください。
伊藤様、11/17〜19「千年の恋」の催しのご成功もお祈り申し上げております。是非またお便りをお寄せください。
(矢口) (02/11/07)
米英軍によるイラク攻撃開始からもう9日が経ちました。戦いはますます悲惨さを増しているように思います。そんな戦いの当事国にBCJはまもなく旅立ちます。現在全国のチケットぴあ、ホール、音楽大学、レコード店、楽器店などで配布されているクラシック音楽情報誌『ぶらあぼ』4月号に、開戦前の状況下のものではありますが、「BCJ初のアメリカ・ツアーに備える鈴木雅明、“平和への希求、今ふたたび”」という記事が掲載されています。そのインタビュー記事の最後の部分に、「今、《マタイ受難曲》が問いかけるもの。」という問いに対する以下のような鈴木雅明さんの言葉があります。
「戦争が問題になっているアメリカで、『マタイ受難曲』を演奏するというのは何か摂理のようなものを感じますね。『マタイ』が日本で初演されたのは1937年で、まさに日本が戦争に向かっていく年だった。当時、東京音楽学校で教鞭を執っていたクラウス・プリングスハイムが、反ナチだったためにドイツに戻らなくてはならなくなり、その帰国直前に日比谷公会堂で指揮したのが『マタイ』だった。彼がこの作品を選んだのは、平和への希求というのが絶対にあったと思いますね。キリスト教的な観点で、人間の罪、宿命的な罪は否めないということ。それに対してどのように向き合わなければいけないのか示唆していたんじゃないでしょうか。今の情勢を考え合わせると、作品を通じて何か不思議なつながりを感じます。」(『ぶらあぼ』誌4月号、p98より)
情勢はますます厳しさを増しているわけですが、BCJは順調に彼の地での演奏への準備を進めているとのことです。是非バッハのメッセージを通じて確かな“何か”をアメリカの人々の心に残して来て欲しいと思います。
・・・で、上記のお便りにある「きものdeカーネギー」ですが、こちらは諸般の事情に鑑み、残念ながら中止になったそうです。(「女将の日記」3/6の記述による)、伊藤さんの「世界が平和であることを祈っています。」との言葉の通り、平和のありがたさを改めて感じさせてくれる出来事となってしまいました。一日も、いや一秒でも早い戦いの終結BCJの皆さんの無事なご帰還を心から祈りたいと思います。 (矢口) (03/03/29)

272 《BCJのブランデンブルク協奏曲(2002)山形テルサホール》

拝啓 クネヒト・矢口様 仙台の大川です。(去る仙台公演後の親睦会でお会いした)
昨日(10/19) のBCJのブランデンブルク協奏曲(2002) 山形テルサホールでの報告をいたします。

 まず、ホールのことからいわせてもらえば、木をフンダンに使った柔らかい響きをもった1,2階合わせて700席くらいの室内楽にふさわしいホールでした。東京のホールでいえば、サントリーホールとトリフォニホールを足して2で割って、オルガンを除いて中小ホールにコンパクトにした感じです。
 宮城県には、県北部の中新田町にバッハホールが1981年にオープンして、室内ホールとして日本の先駆的な事として、全国的に注目されました。真に”雛には稀な”「何で新幹線も通らない田舎町に!」との批判もありましたが、こうして20年以上経ってみると時のバッハ大好き町長の卓見とおもわれます。当初は地元では「バカホール」と揶揄されたともききますが・・・・・。

 前置きがながくなりました。主に2000年6月の仙台公演との比較を中心に報告いたします。(記憶が定かでない 部分もありますが・・・)
簡単なポイントと感想をのべます。

1番(BWV1046):中央にオーボエ3本、それより一段高い台座両ウィングコルノ1(会場側から見て)左、コルノ2が右、が印象的。効果は冒頭のファンファーレ部分よりあり、またフィナーレのトリオ(オーボエ、コルノ ・ダ・カッチャ)は抜群。要するに、ヴィヴァルディのコンチェルトの呼び名風にいうと、「3つのオーボエ、2つのコルノ、そしてヴィオリーノ・ピッコロのための大協奏曲」ってな感じですね。今回の演奏の主役はコルノとオーボエ、とくにコルノの牧歌的雰囲気がよかった。         

2番(BWV1047):ここでは、あれ!、ドラえもん・島田氏のトランペットが2000年の時のライヒェの肖像画風のカタツムリ型で「牛乳の正しい飲み方」方式が、今回はトロンボーンタイプに変わった。島田さんの演奏もあまり調子が良くなさそうで、三楽章の冒頭もソロをはずして寺神戸亮氏も思わず目を向いてしまった。演奏が終わった後も特に島田さんを特に引き立てることなく、4人のソロイストの一人として挨拶したところを見ると、BCJ内でも、「島田さん、今日は調子あまりよさそうじゃないね」って雰囲気、島田さん自身の表情も心なしかあまり冴えないみたい。やはりトランペットは難しい!ブランデンブルク協奏曲(全曲)で指揮者の悩みの種が2番のトランペットってのはわかります。私の後部席の、カップルが、男性が「イヤー、この曲のトランペットパートは本当に難しい、大変なんだよ」と彼女に説明、島田さんに代わって弁解・弁明しているようで、きっとブラスをやってた人だろうなあと思いました。島田 さん、メゲズニ頑張って!

3番(BWV1048):前回の公演と大きな違いはないみたい。寺神戸氏のリーダーシップと森田芳子氏のヴィオラ が印象にのこりました。

休憩20分をはさんで、後半。

4番(BWV1049):ここでは寺神戸氏の安定したソロの充実ぶり。そして第二楽章のコンチェルティーノの3人がステージの左奥に引っ込み、まるでたき火にでも当たるようにこちらに背をむけて、円陣を組むように演奏していました。山形でも結局後ろ向きに、そして左奥後方よりエコー効果を出していたわけです。N.アーノンクールの録画VTRで、2人のリコーダー奏者が、螺旋階段を昇り、エコー効果を出して、三楽章のプレストの時に急いで駆け降りフーガのソロに間に合う場面を連想させてしまいました。ヴィヴァルディのエコーヴァイオリンとヴァイオリンの協奏曲のエコーVnがステージ裏で演奏したバロック版バンダがありました、今回の演出は、ソロとリピエーノがエコー関係にあることを視覚的に、バンダ効果を聴覚的示し たこととおもいます。

5番(BWV1050):仙台公演でBWV8の冒頭のトラヴェルソでひと目惚れ、一聴惚れの前田りり子氏 濃紫のシックなドレス姿で登場。フレンチ・ピッチのせいか、5番の華やかなイメージとはちょっと異なる、イタリア、フランス風というより、しっとりしたドイツ風なしっかりした演奏。こういう5番もあるのか・・・と新たな発見。

6番(BWV1051):最後は渋い編成の6番。今回の配置は、左側にヴィオラ2、チェロ 中央チェンバロを挟んで 、右側にヴィオラ・ダ・ガンバ、ヴィオローネという ヴァイオリン族(今回はVnは欠席だけど)ソロ群が左、ガンバ族、リピエーノ群を右に配置。2年前では、2つのヴィオラをソロ群、他を低音群として配置したと思ったけど・・・・・。ここでも寺神戸氏のリーダーシップが光った。

以上、BCJのブランデンブルク協奏曲(2002) 山形テルサホール報告をおわります。(中略)仙台の大川より

(大川淳雄様) (02/10/21)
 大川さん、こんにちは。9月の仙台公演の時の懇親会では楽しいひとときをご一緒させていただき、ありがとうございました。そして今回はBCJのブランデンブルク2002山形公演のレポート、ありがとうございます!
 山形のホール、ブランデンブルクを贅沢に楽しむにはうってつけなホールのようですね。今回のツアーでは比較的大きなホールでの公演も多かったのでうらやましいです。1番から6番までのポイントを押さえたご報告に、私も自分がうかがった演奏を思い出しながら、感想を書いてみたいと思います。
まず第1番ですが、レポートのとおり、後方に一段高くしつらえられた壇上に離れて配置されたコルノの対話が非常に効果的でした。ただ、私がうかがった3公演(横浜、所沢、調布)では、いずれも客席側から見て右に1番、左に2番コルノが配置されていましたが、山形では逆だったのでしょうか。いずれにせよ、各楽器群の対話が楽しめました。私がうかがった中では響きの豊かな所沢のホールでの演奏が一番楽しめました。
次に第2番。これはレポートにもある、Tpの島田さんの調子次第という感じでしたね。横浜ではかなり不安定な感じで心配だったのですが、所沢ではなかなかの出来映え。そして最後の調布公演ではほとんど完璧! でした。私がうかがわなかった佐倉公演でも“100発100中”の奇跡的な演奏だったという評判を聞きましたので、20日を境に調子をつかまれたのではないかと思います。今回の楽器選択がどのようになされたのか、興味深いところです。いわゆるバロックトランペット型の楽器で右手があたる位置にいくつかの穴があり、操作されていたようです。唇の変化によるベンディング奏法のみでなく、ホール操作を交えたことでの苦心もあったことでしょう。島田さんのHPの掲示板に「いずれ、今回の奮戦記はまとめようと思います。お楽しみに!」とありますので、楽しみに待ちましょう!この曲では、島田さんの神業とともに、比較的すっきりした響きの会場で、リコーダーもよく聞こえた調布での演奏が印象に残りました。
そして第3番。これはどの会場でも素晴らしかった。あえてあげれば、響きのゴージャスさで所沢での演奏でしょうか。2楽章の鈴木雅明さんのソロもとても美しいものでした。今回もチェンバロのソロをヴァイオリンのソロが引き継ぐ形でしたが、調布での寺神戸さんのソロは、無伴奏ヴァイオリンのソナタなどを思い起こさせる、重音も使った印象的なものでした。
後半の第4番。話題の2楽章でのエコー効果ですが、私がうかがった3公演と佐倉公演では、ソロの3人がその場でうしろを向くという形だったので、さらに舞台の左奥に行くというのは山形公演だけの試みだったようです。いずれにせよ、大変おもしろい演出でしたね。アーノンクールのビデオは私も見ましたが、ヴァイオリンのソロは3楽章で割合早く登場するので、エコーには加わらなかったのでしょうね。この曲ではやはり初めてこのエコーの演出を体験した横浜公演が印象に残りました。
第5番りり子さんのトラヴェルソ夏美さんのヴァイオリンのソロ、そして雅明さんのチェンバロソロの競演が見物でした。フレンチピッチのトラヴェルソは確かにカンタータでうかがった響きとちがうものでしたね。太く、暖かい響きで楽しませていただきましたが、りり子さんにうかがったところ、とてもたくさんの息が必要で大変でしたとのことでした。この曲ではその暖かな響きを豊かな響きでより一層つややかに聴かせてくれた所沢の演奏が印象に残ります。また、雅明さんのカデンツァのソロは、初日の横浜でのシンプルかつしなやかな演奏が大変心に残りました。
最後は第6番。レポートの通り、中央のチェンバロの左にソロのヴィオール属のビオラ&チェロ、右にリピエーノのガンバ属が配置され、対話と響きの対比の面白さが存分に味わえました。この曲も残響の多めの所沢の演奏が印象に残りましたが、横浜での第2楽章の美しさも特に心に残っています。
 全体に2000年に比べ、良い意味で力が抜け、アンサンブルの愉悦感をじっくり堪能出来ました。CDの2000年の演奏も美しいものですが、やはりライブでの楽しみに勝るものはないということを再確認させてくれる楽しいコンサートでした。来年度は管弦楽組曲の演奏会がありますが、また機会をみて、名曲「ブランデンブルク協奏曲」もまた聴かせていただきたいものです。
大川さん、是非またお便りをお寄せください。お待ちしております。 
(矢口) (02/10/28)
 大川さんから再びお便りをいただきました!
・・(前略)・・さてブランデンブルク協奏曲1番(BWV1046)のコルノの第1と第2の左右の配置ですが、あまりスコアリーヂィングしていなかったので、未確認のまま、オーボエの1〜3番の配置通り、左に第1、右に第2と先入観できめつけてしまいました。両方とも外人演奏家だったので、区別がつきませんでした(笑)。 ただ矢口さんの御指摘どおり、右翼のコルノのほうがより高くソリスチィックなパートを受け持っていたことから推察すると、頭の禿げた(失礼!)奏者が右側を受け持っていたことから、右翼に第1コルノ、左翼に第2コルノの可能性が大だと思います。
 また第5の前田りり子氏のトラヴェルソ,フラウトもいつもとは違う響きであったことも矢口さんの指摘でよくわかりました。
 とりあえず、1番のコルノの配置について。未確認のまま報告したことに深謝いたします。

 でも、私も初めてだったのですが、今回の公演で山形テルサホールはなかなか適切なホールだと思いますよ。次回には中新田のバッハホールでBCJの演奏会が開催されることも密かに期待しています。

P.S.1番では堂坂氏のFg が、木管、金管を鈴木秀美氏のチェロと供に、マイルドに支えていたことも特筆に価しました。地味ながら見逃せない名演奏でした。

以上

(大川淳雄様) (02/10/29)
 ブランデンブルク協奏曲1番のコルノについて、お書きいただいたようなお姿のように並んでいらしたのなら(笑)、右側の方が1stのトーマス・ミューラー氏ですね。ミューラー氏は昨年の今頃はロ短調のコルノ・ソロで活躍されていた方です。そうそう、1番での堂坂さんのFg、いい味出していましたね!ファゴットの登場が1番だけとはもったいないくらいでした。
 BCJの地方公演は、各地のホール関係者の皆様のご理解とご協力で実現しているとうかがっています。ただ、今回の「ブランデンブルク協奏曲」や「マタイ受難曲」のような、よく知られた曲でないとなかなかお声がかからないようです。山形テルサホール中新田のバッハホールのように地方にも(いや地方にこそ、と言ってもいいかもしれません!)素晴らしいホールがあるのですから、BCJの神髄であるカンタータのコンサートなどももっと多くの地域の皆様に楽しんでいただきたいものです。(その点、先のBCJ仙台公演は画期的な成果だったのではないかと思います!) 97年の暮れに「クリスマスオラトリオ」公演が催された札幌香川などでも是非またBCJのコンサートを持っていただきたいものですし、2000年の「マタイ」福岡公演で初めてBCJの音楽が鳴り響いた九州でも是非また開催していただきたいものです。基本的にはそのホールの企画担当の方が興味を持ってくださるかどうかがまずお話のきっかけになると思いますので、皆様がそれぞれの地元のホールに「BCJのコンサートを!」という要望を寄せてくださると「BCJコンサートの輪」がより大きく広がっていくかもしれません!皆さん、是非地元のホールにアプローチを!! 
大川さん、お便りありがとうございました。またご感想のお便り等をお寄せいただける機会が来ること楽しみにしております!  
(矢口) (02/11/04)

271 《9月14日のカンタータコンサートの感想》

矢口さん、こんにちわ。
先日、調布でのブランデンブルグ協奏曲のレクチャー「バッハの人と音楽と」でお目にかかった時に「どうぞ、送って下さい」と言って下さったので、遅ればせながら感想を送ります。

今回は、神戸の松蔭チャペルに行かれて、いつも詳しいレポートを送って下さる竹内茂夫さんのレポートを読みながら、リリング(BWV33、133)とヘレヴェッヘ(BWV8)でたっぷり予習をして、コンサートに行きました。

113番のアルトのコラールは、リリングは合唱でやってたんですが、今回ソロで聴けてと〜っても良かったです。ヴァイオリンやコンティヌオの動きにコラールの旋律が乗っかるようなブレイズさんの歌唱はみごとでした。コラールをまっすぐ正確に、その上大変美しく、しかも決して飽きさせない味わいをキープして歌ってしまうのは、さすがロビンだと思いました。5.アリア(テノール)の前田りり子さんのフルートには息をのんでしまいました。美しい調べに身をまかせて、このままずーっといたいなァ・・・と思いながらも、運指の速さにはもちろん圧倒されましたが、近くでブレスを観察するのもなかなかおもしろかったです。あんな短い一瞬にどうやってブレスするのだろうと不思議で・・・と、その横で歌ってるゲルト・テュルクも素晴らしかったです。”Dein Suend ist dir vergeben”と力強く歌うところは、魂に真の希望と平安を与えて下さる様子を連想させる響きがあったように感じました。仙台では、このアリア(他のアリアも106番も!)を水越啓さんが歌ったんですねぇ。仙台には聴きに行けなくて本当に残念でした。でも、仙台公演前日の15日に芸大祭水越さんの歌ったカンタータ147番のソロは本当に素晴らしかったですよ!(はい、聴きに行ったんです!)野々下さんとロビンのデュエットは、二人の声がみごとに良く合っていて、コラールを歌ってだら、パッと切り替えて”Wormit ich deinen…”とアリアに入っていくところなんかは、とても魅力的でした。

この日のプログラムで一番印象に残ったのが、カンタータ33番の最初のコラールでした。特に秀美さんのチェロは本当にカッコウ良くて、テノールとバスのデュエットの時とかも、気付くと秀美さんばかり見ていました。一つの曲の中で、チェロの旋律やその動きを耳で追うのはとてもおもしろくて、最近は、かなりチェロの動きに耳がかたむくようになってきてるのですが、それで一層バッハの曲の素晴らしさを噛みしめています。ピツィカートと溶け合うようなロビンのアリア”Wie furchtsamwankten meine Schritte”は本当に綺麗でうっっっとりしました。このアリアになった時、ホールの空気ががらっと変わったように感じました。

カンタータ8番はよく聴いていて一番馴染みがあったので、とっても楽しみにしていました。最初のコラール、「テンポが速めで躍動感があるなァ・・・秀美さんと櫻井さんの腕の動きは、ピツィカートの休符の時も美しいなァ・・・」などと思いながら聴いてました。ソプラノが入ってきた時はあまりにもキレイで、例の如く鳥肌が立ちました。本当にBCJの合唱は最高です!予習のために聴いていたヘレヴェッヘのCDでもバスがペーター・コーイだったので、今回BCJとやるのとどう違うだろうかと楽しみにしていたのです。テンポはほとんど同じでしたが、私は個人的にBCJとの歌い方が好きでした。最後のコラールを聴いていても思いましたが、BCJの合唱を聴く時はいつも、言葉一つひとつの持つ美しい響きや力、歌詞の内容が、非常に鮮明に伝わってきます

ロビン・ブレイズ氏が夫人の出産のため、来年の2月に来られないというお知らせがありましたが、ロビンさん、赤ちゃんが生まれたら、できるだけ赤ちゃんといたいでしょうけど、ちゃんと日本にも続けて来て下さいね。1726年のカンタータシリーズの公演で、ぜひブレイズ氏で聴けるといいですね。

とうとうブランデンブルグが始まりましたね!!11日のレクチャーは本当に「行けて良かった」と思う内容でした。第1番では宮廷への敬意を表している、とか、第3番の3×3という聖なる数字の象徴の説明等がありましたが、私は特にこの第3番が好きです。私は23日に聴きに行くのですが・・・う〜ん、楽しみ!!!


(k.k.Witmer様) (02/10/18)
Witmer Kristenさま、私のリクエスト(?)に応えて9月のカンタータコンサートの感想をお送りいただき、ありがとうございます! ご感想を読んでいると、あの素晴らしいひとときがよみがえってきます。実に充実した一夜でしたね。あわせて仙台公演での名演も思い出されます。
前田りり子さんのトラヴェルソ、お見事でした。現在公演中のブランデンブルク協奏曲の第5番でも今度はフレンチピッチの楽器のまろやかな響きで美しいソロを披露してくださっています。23日、お楽しみに。テノールの水越さん、仙台ではゲルトに代わってこれまた素晴らしい歌を披露してくださいました。時にはゲルトとはまた違った美しさを感じさせてくれる瞬間もあり、是非今後もソロを聴かせていただきたいと思います。芸祭のコンサートも素晴らしかったでしょうね! 33番の5曲目、バスとテノールのデュエット・アリアでは、オペラシティでのゲルトとペーターが並んで歌っていたのに対して、仙台での水越&ペーターの時はチェンバロを挟んで離れて立っての歌唱で、このアリアの掛け合いの妙が大変見事に聴き取れました。
ロビンの歌声とはしばしのお別れですが、106番のアリアをロビンで聴くことができたことも素晴らしい経験でした。
8番のはじめのコラール、ソプラノの美しさももちろんですが、私はこの曲でのコルノ(ホルン)の存在感の大きさに圧倒されました。東京ではややキズもあった島田さんの演奏でしたが、仙台では神業かと思うほどの完璧さ。まさに鳥肌ものでした。CDでうかがうのが本当に楽しみです!
秀美さんを始めとした器楽陣の活躍はブランデンブルク協奏曲で再び味わうことができます! 3番の3つのグループが競いつつアクセル全開でアンサンブルする様は、まさに見もの聴きものです!ブランデンブルク協奏曲のご感想も是非またお寄せください!
(矢口) (02/10/21)

270 《バッハからの贈りもの・感想》

矢口様、皆様こんにちは。松田@大阪です。

雅明氏の新刊【バッハからの贈りもの】の感想を書いてみましたのでよろしかったらお読み下さい。

先ず、第一に言えることは、あくまでも演奏者・指揮者の視点で書かれている(語られている)ところがいろんな所にちりばめられていて気付かされることが多かったということです。
それと、「語りおろし」という形式により、雅明さんの口調が見事に再現されていて(もちろん校正等もあるでしょうが)、ご本人とお話ししたことがある人にとっては正に雅明さんが肉声でしゃべっているように感じられたのではないでしょうか。

・第1章から第6章までは、上記のように演奏者の視点で気付かされること(特に鍵盤奏者としての雅明さんの視点、指揮者としての雅明さんの視点で)が多く、ひとつひとつ取り上げることは出来ませんが、大変勉強になりました。

・第7章はオルガンについてですが、私自身はバッハは声楽以外も聴くのですが(他の作曲家の場合どうしても合唱をやっていた物で、合唱曲、声楽曲に偏りがちです。オペラは基本的には聴きません・・・食べず嫌いです)、オルガンの曲にどうしてもなじめず、挑戦中(CDで)だったのですがp265にあるように、「やはりオルガンは足を使わないとわからない、とつくづく思いました。」と書かれているのを読んで、なるほどその通りだと思いました。今年はオルガンツアーが中止になりましたが、いつか参加したいものです。矢口さん行かれたんですよね?

・この本で、「ああ雅明さんがこのことに音楽の本で触れられるのは初めてだな」と思ったのは「西野式呼吸法」を実践されていることについてです。西野さんの本には寄稿されたりしていますが、それ以外では初めてではないでしょうか?

「西野式呼吸法」(以下西野式と略)には思い出があります。 ひとつは、BCJの演奏会にぽつぽつ通い始めるようになった時(CDはまだ出ていなかった頃でしょうか)、この団体を、BCJを信じて良いのかどうか迷っていた頃があります。私は演奏団体は最終的には指揮者がすべてと思っているので、上記の問いは雅明さんを信じるか信じないかという問いになります。
 そんなときに西野式の本の中に雅明さんの文が載っていたので、大阪ですから帝塚山にあるのですが、西野式に通うことにしました(まあ、こんな輩(やから)も珍しいとは思いますが)。私自身は「瞑想」「座禅」等もしますのでそんなに西野式に通うことには抵抗はなかったです(ちなみに当時、瞑想と言えば変な目で見られましたが、最近は少しはましになりましたですね。でも瞑想・座禅等は習う人を間違えると確かに良くないです。また、私自身は薬剤師ですので、そんなオカルトチックな人間でもないです)。 そんなわけで、西野式を始めたのですがこれは本物でした。西野先生にはキャラクター的についていけないところがありますが(^^)、(ちょうど前オリックス監督の仰木さんみたいな感じの方です(怒られるかな))、とにかく「西野式呼吸法」は本物だと思います。結局それが決定打となって雅明さんを強いてはBCJを信用することにしましたし、出来ました。 「演奏を聴いて判断できないか」という意見もあると思いますのでその時点でのBCJの状況をおはなししますと、はっきり言って、これからあがるのか下がるのかわからない段階でした。「良い演奏会だなあ」と思って次の演奏会に行くと「おいおい、これは演奏会か?ゲネと違うで!(大阪弁です)」というような具合です。
 西野式はその後何ヶ月か通って今はしていません。この本には書かれていませんが「指揮している時は、まさしく聴衆と「対気」を(背中で)している感じです」と雅明さん自身どこかに書いておられました。これはまさしくその通りで、東京でもカザルスの時はよくわかったと思うのですが、今は松蔭の特権でしょうか。それがよくわかります。加藤さんのあとがきp419で「「きもちがいい」という理由で、BCJの定期会員になっている人もいる」とありますが、これは雅明さんの背中から出ている気による物だと思います。おそらく松蔭の大きさだとその気が「充満する」と思いますし、実際、半径5メートルの距離位からですと雅明さんの背中から気が出ているのがわかると思います。敏感な方だと15mくらい離れていてもわかるのではないでしょうか。
 今までの演奏会で一番強く「気」を感じたのは、鈴木兄弟の父上が亡くなられた当日の松蔭の「マタイ」です。演奏会前に雅明さんがそのことについてマイクでアナウンスされました。演奏者・ソリスト・雅明さんがステージに登場の所までは、何ともなかったのです。ちなみにこのときは最前列の中央から3番目と4番目の座席で雅明さんとは2メートルくらいの距離でした。指揮台の楽譜から顔を上げてさあ振り出そうと準備した瞬間にわたしと隣に座っていた妻の目から涙が「ぼろぼろ〜」と止めどなく流れたのでした。もちろん音はまだ出ていません。おそらく、雅明さんが楽譜から顔を上げて、振り始める直前の瞬間に凄い気が出たんだと思います。それから3時間演奏会が終わるまでその状態が続きました。ちなみに妻は、この手のことに興味は無く、信じない質(たち)なのですが、さすがにこのときには信じたようです。だって音が出ないうちに二人同時に泣き出したんですから(^^;)。西野流をやられてる方はBCJのなかに他にもおられますので、よりいっそう「気」が強かったのでしょう。 
 少しだけ注意書きを入れておきます。この西野式の「気」という物に感情があるのかどうかはわかりません。つまり悲しみの「気」という物があるのかどうか私にはわかりません(私の修行不足なだけで、わかる人もいるのかも知れませんが)。おそらく西野式の「気」自体にはそれはなく、それを受け取った側の状態で、いろいろな反応が起こるんだと思います。
 
・第9章 BCJの音づくり には合唱をやっていたので内容的にはあまり珍しいことはありませんでいた。「何か特別なこと(秘密)はないかなあ」と期待していたのですが。リハーサル風景と書いてありますが、リハーサル=ゲネですので、正確にはオケ合わせでしょうか。ロ短調(このときはCT)は歌ったことがあるので、その時のことを思い出します。
ちょうど合唱の話が出てきたので、本のページは少し戻りますが、p312の「5.拍節感と言葉」は大変(歌う上で)示唆に富んでいて目から鱗です。具体的には、「ドイツ語の場合、母音の長さと子音の長さはだいたい半分ずつだと思っていればいいんです。」というところです。なんだそんなことも知らなかったのかといわれそうですが、「子音は音符の前に入れる!」ということは指摘されるのですけれども半分ずつとは!感覚的な領域ですが、すごく歌いやすくなりました(今は歌ってないですが)。そういう耳でBCJのCDを聴くとレチタティーボの時はそんなに感じませんが、アリアの時は日本勢と海外勢では確かに差がある、日本勢の方が子音の入れが遅いのでその結果、走り気味になるようです(上記の記述はBCJのマタイのCDでの印象で ここ最近のCDでは修正され、進歩しています)。
 p346の 5.理想的な楽器としての合唱も面白かったです。アルトにCTを入れる理由とか最近はその都度説明しなくてもよくなってきましたが、こうして書籍のなかでの説明はありがたいです。それと日本における合唱の位置とか、日本の音大の声楽科の問題、海外の(古楽系)ソリストがアンサンブルが上手い理由等、勉強になります。
 p377に「バッハを演奏するためには、プロ、アマを問わず、ある一定の水準が要求されるのです。つまりバッハの合唱音楽は、プロフェッショナルな訓練を経た高度に声楽的な技巧がないと、望むべき表現に到達できないものなんですね。」とあります。まさしくその通りです。
 ここで、その一定の水準を満たした合唱団が、11月に東京公演をしますので少し宣伝を(^^)。
それは私が(かなり前ですが)所属していた大阪Hシュッツ合唱団です。東京の第一生命ホールで行われます(今年で9年目です)。
雅明さんもこの合唱団の指揮者、当間さんをご存知ですし、以前、東京まで私がついていった際に、BCJの合唱団のメンバーも何人か聴きに来られてました。東京では、木下牧子さんの演奏でよく知られています。とにかく合唱がすごいのです。
今回は、ヴェスプロ(通奏低音版)があり、出演者も合唱団のコアをなす室内合唱団のみですので、よりいっそう充実した響き・演奏になると思いますので是非どうぞ!!!
http://www.collegium.or.jp/html/tokyo9.html

・最後にエピローグについてなんですが、これは感想書くのがつらいです。
それまでは、言葉のひとつひとつに、ちょうどカメラのオートフォーカスの様に「ピシッ!」「ピシッ!」と焦点・ピントが合っていたのですが、p396くらいから合わなくなります。宗教上のことなので仕方がないのかも知れません。クリスチャンでもない私が今まで、バッハの音楽を聴く、あるいは演奏するよりどころとしていたのは、礒山雅先生の「J.S.バッハ」講談社現代新書のp118「信仰は必要か」の項で「バッハの音楽は、キリスト教を信じていないとわからないのでしょうか?」という質問に対して(以下引用)、

だが、私なりに様々な経験をへてきた今、私はきわめて明瞭な結論へと到達している。私の答えは、こうである。
「信仰に関係なく、かならずわかります。人間の問題、人生の問題をまじめに考えている人ならば。バッハのメッセージは、教会の内外を問わず、人間に広く及ぶものであるからです。歴史上のイエスが、民族や宗教を超え、世の人に広く訴えかけたであろうと同じように・・・・・。」
 引用終わり。

という部分です。
それに対する雅明さんの答えは以下にあります。(略しているところが多いので、ゆがみやひずみが生じる可能性があるので必ず原書を参考にしてくださいね)

p396からその話に入っているのですがp397より

5.キリスト者として
鈴木:ところが、バッハを理解するためには、キリスト教の信仰が必要か、と問われたら、ぼくの立場からは、ぜひとも必要ですと応えるしかないんですね。僕自身のバッハ理解を自分の口からいう以上、僕はキリスト教の立場でものを見ていますからね。(中略)”知る”かどうかではなく、問題は”信じる”かどうかだけです。前から言ってきていますように、そもそも問題は知識ではないんです。
                    ↓
p403より・・・あくまでもキリスト教的なものであって、ユダヤ教的ではない。そういうあたりでユダヤ人たちがなんとなくバッハはユダヤ人のためにもこれを書いたような(キリスト教のためだけではなくて)人類全般のために書いたものだと言いくるめるのは詭弁だと思うけど、日本においても考えてみれば、これが人類全般へのメッセージとして受け取られているわけですからね。そこが、しかし、バッハの普遍性なのか、あるいはキリスト教の普遍性なのか、議論は分かれるところでしょう。
                    ↓
p405
鈴木:バッハを理解するには、宗教を乗り越えてとか、宗教は無関係とか、そんなことを言うのは簡単だけど、それはやはりウソだと思うんです。だから、あなたがクリスチャンになればいいんです、といえばいいけれど、バッハの音楽のためにクリスチャンになるのも、これも又へんですから・・・。
加藤:理解するというとき、ほかにどんな可能性があるのでしょうか。
鈴木:もちろん、それにはいろんなレヴェルがあります。レヴェルというか、それより人間です。人によってどういう理解の仕方をするかそういう問題です。結局はもっと広く言えば、バッハが語りかけることは、一人一人に別のことであってそれこそ同じ《マタイ》を聴いても、(中略)それはもう、千差万別なんですね。

                    ↓
p406
鈴木:(中略)バッハの自筆譜の最後に必ずこう書かれている。全くその通りです。
「Soli Deo Gloria(ただ神にのみ栄光あれ)」


と、ずいぶん大雑把ですが論理的な展開はこういう感じです(くれぐれも、略してありますので、原本をご覧下さいね)。

正直な話、とまどっています。
p399に雅明さんの言葉で「たとえばの話、ぼくはバッハがこんなにも好きなのになぜドイツ人ではないのだろう」とありますが、それを言葉をそのまま借りますと「私(筆者)はどうしてクリスチャンじゃないのだろう」ということです。

もしこの私が今、示した論理的な展開が間違っていたらぜひとも教えてください。また、その解釈は間違っている、あるいはこういう風にも解釈できるのではというようなご意見も大歓迎です。

私としましては、p405の「もちろん、それにはいろんなレヴェルがあります。レヴェルというか、それより人間です。人によってどういう理解の仕方をするかそういう問題です。」という箇所に光明を見いだそうとしています。

ここのところ「マタイ」を聴いて、はたして自分がどうなのかを見つめ直しているところです。

長くなりましたが以上です。


(松田 信之様) (02/09/15)
 松田さん、大変率直な『バッハからの贈りもの』のご感想、ありがとうございました!鈴木雅明さんの初めての本格的な著書となるこの本、好評を得て、重版が決まったそうです。おめでとうございます!鈴木雅明&BCJの真の姿を知るのにふさわしいこの書物が広く受け入れられていることに、喜びを感じずにはおれません。
 「西野式呼吸法」の“気”については、当HPのTopページに掲げさせていただいている雅明さんの文章にも登場しています。私はオペラシティでも充分雅明さん&BCJの“気”を感じていられると思っていますが、確かに松蔭で“気”が充満するという感じでしょうね。あの2000年4月の松蔭「マタイ」は私もうかがっていましたが、尋常ならざる何かが確かにありました。ただ私にはそれは“涙”ではなく、“浄化”されたといった感覚だったことを思い返します。いずれにせよ得難い体験でした。
 11/4(月・休)大阪ハインリッヒ・シュッツ室内合唱団のコンサート、楽しみです。都合が合いましたらうかがいたいと思います。確か大阪ハインリッヒ・シュッツ合唱団は柴田南雄さんの作品もよく演奏されていましたよね。よくカザルスホールでの演奏会のチラシを拝見した記憶があります。(そうそう、今日[9/30]が実質的にカザルスホール最後の日になってしまいました。残念ですが、是非あの素晴らしいアーレント・オルガンを含め、広く活用していってもらいたいと、新オーナーの日本大学さんにはお願いしたいと思います。個人的にはカザルスホールのすぐ横のお茶の水スクェアにあるヴォーリーズ・ホールが建物ごと解体されてしまうらしいということを悲しく思います。ヴォーリーズ・ホールは一時期古楽の主要な演奏会場にもなっていましたので。かつてフジTVで深夜に放送していた「音楽の正体」のMC部分を近藤サトアナのナレーションで収録していたのもヴォーリーズホールでした。)今年はもうカザルスが使えないので第一生命ホールでの公演なのですね。
 「エピローグ」における、信仰の問題についてですが、当HPの「Q&A」のQ46「人間、鈴木雅明を追って」へのお答えとして鈴木雅明さんからいただいたコメントをご紹介しておきたいと思います。

「・・・バッハに限らず、神の言葉を乗せて歌う音楽は、ただひたすら、その言葉自身が生きて働くからこそ意味があるのだと思います。ただ、その言葉がどのように働くかは、受け取られる方によって違います。単なる「美しい音楽」として作用するか、生ける「神の言葉」として作用するかは、ひとりひとりによって異なってくるものだと思います。演奏家としては、その音楽を、言葉に奉仕するものとして、より美しく、よりよく作用する、よりよく働く音楽として提供することが使命です。
私自身の信仰は、もちろん演奏に大きく関与しているのでしょうが、そのような個人的な信仰の具合(あるいは不具合)ににわかに影響されないほど、バッハの作品は堅固なものだと思います。バッハの音楽のあるべき姿を、あくまでも音楽として追求していけば、必然的に「信仰と音楽」の関連性について自問することになりますが、この関連を断ち切って演奏することは、あまり楽しくない作業なのではないか、と想像しています。」


 演奏する立場としてはやはり信仰をよりどころにして、その音楽の持つメッセージをよりよく働くものとして提供していくが、それがどう受け止められていくかはその人による。まさにどう働くかは“神のみぞ知る”ということなのではないでしょうか。BCJの音楽の受取り手としての私たちは、その働きをそれぞれの状況に応じて素直に受け止めることでよいのではないかと思っています。
 松田さん、来年は是非オルガンツアーでご一緒したいですね! (矢口) (02/09/30)

269 《新大久保でのBCJ特別例会?》

 8月30日、BCJメンバーの懸田さん鈴木さんが歌われたクープランの演奏会に行きました。会場の後方に陣取られたBCJの諸先輩方が暖かい声援を送られ、まるでBCJの特別例会のようななごやかな雰囲気の中でお二人が歌われたルソン・ド・テネブレ3曲とモテット2曲は実に見事で、クープラン独特の神秘で秘儀に満ちたフランス・バロックの夢幻の世界に陶酔する思いでした。その数日前に行われたウイリアム・クリステイ―=ワークショップで、同じルソンを歌われた懸田さんを絶賛したクリステイ―氏は、「クープランの歌は常に空に浮かんでいなければならない、大地に触れてはいけない」とアドバイスされましたが、その言葉どおりのまさに夢幻の境地を浮揚するような感動的な演奏でした。バッハとクープランは殆ど同時代に活躍しながら、こんなにも異なった世界でいずれ劣らぬ見事な音楽を書いたということは驚くべきことではないでしょうか。現代の頽廃の極みのような新大久保で、このような静謐で感動に満ちた演奏会を聴けたことを感謝したいと思います。

(玉村稔様) (02/09/11)
 玉村さん、素敵なコンサートのレポート、ありがとうございました!ご紹介が遅くなってしまったことをお詫びいたします。
クープランの「ルソン・ド・テネブレ」、実に美しい音楽ですね。私もクリスティーのワークショップにもうかがったので、あの時の野々下さん&懸田さんのデュエットに魅せられたクチです。8/30の『BCJ特別例会』には残念ながらうかがえなかったのですが、先日(9/21)、芸大での「オルガン+α第3回、ヴェルサイユの愛憎 〜クプラントとド・ラ・ランド〜」で再び野々下さん&懸田さんのデュエットで「ルソン・ド・テネブレ」をうかがうことができました。ロウソクが意味深く消されていく暗闇に浮かぶ歌声、実に神秘的な美しさに満ちた時間でした!フランスものもイイですね! (矢口) (02/09/30)

 


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