「お父さん、ウタダヒカルって、知ってる?」と、娘が聞いてきた。
「うん、知ってるよ。藤圭子の娘だろ」
「そうそう、いやあ、すごくうまいんだよ。ちょっと聴いてみる」
「イヤいいよ、聴かなくても…」
「いいから、聴いて見なさいよ。もうね、アムロもコムロも超えちゃったんだから」
そういって、娘はウォークマンのイヤホーンを無理やり、ぼくの耳にねじ入れようとする。仕方なく、聴いてみる。
「どこがいいんだ?」
「うん、つまり、サザンやユーミンと一緒なんだよ」
日本人が作った和製アメリカンポップス(英語音楽)の中で、日本語の歌詞と歌唱方法を初めて成功させたのがサザンオールスターズやユーミンといわれる。(それくらいのことは、ぼくも知っている。何かの本で読んだことがある)
宇多田ヒカルは紛れもなく日本人だが、生まれも育ちもニューヨークである。当然アメリカの音楽にどっぷりと浸って暮らしてきている。その彼女が作詞・作曲して歌う歌は、もはや和製ポップスではない。これは米国生まれの日本人が作曲し、日本語の歌詞を付けて歌う、米国製ポップスである。
そこが新しいのだ、と娘はいう。「ふーん」と、娘の話を聞きながら、
ぼくはこの宇多田ヒカルの母親のことを考えている。
宇多田ヒカルの母…藤圭子は、
1960年代末、日本の歌謡界に彗星のように現われ、一世を風靡したスター歌手だった。「新宿の女」「圭子の夢は夜ひらく」などのヒット曲がある。
その頃のぼくは三畳間のアパート暮らしをしている学生で、テレビもなく、もっぱら行きつけの定食屋の煤けた14インチの白黒テレビで、魚フライ定食などを突っつきながら藤圭子の歌を聴いていた。
横顔が高校時代に好きだった女の子に似ていて、藤圭子がブラウン官に出てくると、ちょっとときめきを覚えたものである。
彼女の売りものは「不幸の味」だった。
貧乏な生い立ち。不仕合せな家族。その家族を支えるために過ごした辛い少女時代。そうした暗い過去のエピソードが週刊誌をにぎわし、それが増幅して藤圭子のイメージを作り上げた。
「十五、十六、十七と、わたしの人生、暗かった…」(「圭子の夢は夜ひらく」)
彼女が歌う歌は「怨歌(えんか)」といわれた。つまり彼女自身の暗い過去の怨念を一身に背負って歌う「怨み節」というわけである。
しかし藤圭子の歌い方は、歌詞にのめりこんで、思い入れたっぷりに歌い上げるという演歌歌手独特の歌い方ではなかった。直立不動に近い姿勢で、むしろ観客を突き放すようなふてぶてしい面構えで、この「怨歌」を歌ったのである。観客(聞き手)に対する媚びや卑屈さもなかった。そこがぼくは好きだった。
そして藤圭子は突然、同業の演歌歌手と結婚し、離婚し、「不幸の味」を残しながら、いつのまにかぼくらの視界から消えていた。「どうもアメリカへ渡ったらしいよ」という消息が聞こえてきたのは、ずっと後になってからだった。
20世紀末の日本で、突然、巻き起こった「宇多田ヒカル」現象には、その母親がデビューしたときのような「不幸の味」はもちろんない。「怨歌」などという日本的情念の世界ともまったく無縁である。
元・藤圭子ファンとしては、そのことをとてもうれしく思う。
その娘のまさにボーダレス・エイジの最先端を突っ走るようなコンテンポラリーな登場の仕方に「うーん」とうなりながらも、その背後で多分「幸福の味」を噛み締めているであろう藤圭子に対して、ぼくは「やったね!」と快哉を叫びたくなるのである。
「ところで…」と、ぼくは娘にひとつ気になる質問をしてみた。
「あの前かがみ姿勢で、足をフラフラさせる歌い方は、いったいなんなの?」
「ああ、あれは黒人のストリート・ミュージックから生まれたヒップ・ホップのダンスなんだよね」
「そうか、ブラックミュージックか…」
ぼくは音楽の専門家ではないので詳しくわからないが、アメリカ南部の黒人たちに対する人種差別の悲哀や最下層の奴隷生活から搾り出された音楽が、つまりブラックミュージックだった。日本流にいえば「怨歌」である。ジャズやR&Bやヒップホップも、そうしたアメリカ黒人音楽を源流として生まれた。
ここで宇多田ヒカルと藤圭子を結びつけるのは無理なこじつけかもしれない。
彼女の最初の日本語曲である「Automatic」に展開されている歌詞は、極めて現代っ子風の明るいラブストーリーである。
ただ宇多田ヒカルがその身を揺すりながら歌い上げるハスキーな声に、ぼくは藤圭子の血を感じるだけである。
藤圭子がスター歌手だった時代から30年近い歳月が流れ、ぼくも一人の父親になった。根っからの演歌人間だったぼくとは相反して、わが娘はアメリカンポップスに夢中になっている。
ここでぼくはまた、一人の黒人歌手の名を思い出す。
「ビリーホリディーって知ってる?」
「何ホリディー?」
マイケルジャクソンやホイットニー・ヒューストン世代の娘には、ビリーホリディーの名は美空ひばりよりも遠く、淡谷のり子(ほとんど知らない人)のようなものである。
「ま、いいか…」。
(1999・4・21 By Dennou-Tabigarasu)