我が家の小さな庭に2本の山茶花の木がある。
晩秋から初冬にかけて、1本は赤い花を咲かせ、もう1本は白い花を咲かせる。
赤い花のほうがひと月ほど早く咲きはじめ、みごとに赤く咲きそろった頃、白い花(正確には薄紅色をしている)がおもむろに花弁をつけ始める。
だからこの2本の山茶花の木は冬の間中、我が家の庭の景色に華やかな彩りを添えてくれるのである。
いまこの山茶花の木は若葉が芽吹き、初夏の光にゆれている。
この若葉の季節の山茶花を眺めるのもぼくは好きだ。
ただ問題がひとつある。
暖かくなってくると、毛虫がつくのである。
正確には知らないが毒チャガ(毒ガチャ?)ともいうらしい。
つまりあまりありがたくない虫で、その毛に触れるとかぶれるのである。この家は実は借家で、ことし3年目の夏を迎える。
借りるとき、大家さんがこの山茶花の木には毛虫が出るので、もし困るようなら切ってしまってもいいですよといってくれたのだが、マンション住まいから庭のある家に引っ越してきた身としては、木を切るなどということはとても出来ない。
そこで園芸屋さんに相談すると、
「この薬を木の根元に撒いておけば大丈夫ですよ」といって、ある粉末の殺虫剤のようなものをすすめた。で、いわれたとうりに、五月の連休の頃にその薬を撒いたのである。(本当は、こういうことはしたくないのだが・・・)
それが効いたのかどうか、その年の夏は毛虫を見かけることはなかった。
ところが2年目の夏(去年)、
隣の娘さんがかなり興奮して我が家に駆け込んできたのである。
我が家と隣の家はブロック塀で仕切られているが、赤い山茶花の木が隣の家の庭先にその枝葉を伸ばしており、そこに毛虫がびっしりと付いているという。
「風の強い日には、もう毛虫が家の方まで飛んで来ちゃって。
父なんか、ひどくかぶれちゃってるんですよ!」
それで、なんとかして欲しいというわけである。
最初から毛虫問題に不安を抱いていた我が家の娘も、
「この際、スッパリ切ってしまおうよ」という。
「そうね、でも冬にはきれいな花が咲いてくれるし…。お隣の庭に伸びてるところだけでも、切ったらどうかしら…。」と、これは妻の意見。
九州の田舎育ちのぼくにとって、毛虫が出たくらいで木を切るなど、言語道断である。それでなくても、都会の自然は少なくなっているのだ。
ぼくの田舎の家にはお茶畑があり、そこには山茶花の木の何百倍もの毛虫がうじゃうじゃと付いていた。それでもぼくらはお茶摘みの手伝いをやった。毛虫にかぶれることなど、日常茶飯事だった。
家の周りには毒蜘蛛やムカデがうろついていたし、田んぼの畦道ではマムシが散歩していた。山には毒性を持った無数の虫や小動物が五万と棲んでいた。そういうところで、毎日走り回って遊び、暮らしていたのである。文字通り、それは自然との共生だった。(もっともその頃、自分たちの暮らしを<自然との共生>などと誰も意識していたわけではなく、それがあたり前の生活だった…)
こんなことを娘に話しても、
「お父さんね、いまはお父さんがそだった時代や環境とは違うの!」
と、一蹴されてしまう。
「だからね、庭先に毛虫がいるということは、まだこの街にも人間が生きてゆける環境が残っているということなんだよ。救いがあるということだよ。毛虫が住めなくなったら、人間だって住めなくなるんだよ・・・」と、いっても、
「でもあたし、虫嫌いなの!」で、終わりである。
翌日、ぼくは小さな剪定バサミを持って、山茶花の木の前に立った。
隣の奥さんが出てきて、「ここですよ、ここ!」という。
なるほど、ほんの数十匹の固まりが山茶花の小枝にしがみついている。
「去年は出なかったんですけどねえ」と、ぼくがいう。
「出ましたよ、毎年出てますよ」と、奥さん。
(この奥さんは、毎年、毛虫の季節になると目を光らせて、この山茶花の木をチェックしているに違いない)
「あ、そうですか。気が付かなかったなあ…。園芸屋さんにいわれたとおり、薬を撒いたんですけどね」
「あんなものでは効き目がないですよ」
「そうですか…」
ぼくは毛虫が付いている枝先を用心深く左手で掴み、剪定バサミを持った右手でその枝の根元を切り落とし、すばやくゴミ袋に閉じ込めた。
「大家さんのうちに行けば、もっと大きな剪定バサミがありますよ」
(大家さんのうちも実はすぐ隣りで近い)
と、奥さんが親切そうにいってくれる。
「あー、そうですか。でも大丈夫ですよ」
ぼくはまた同じような要領で、毛虫が付いている別の小枝を切り落とした。
「これで大丈夫でしょう。もう、いないでしょう?」
「以前、ここに住んでいたご主人が全体的にばっさりと、枝を払い落としたことがあったんですけどねえ…」
「………」
ぼくは隣のご主人から紫陽花の鉢植えを貰ったことがあり、この奥さんにもそれほど悪い印象は持っていない。しかし、「山茶花と毛虫」の問題に関しては、これ以上の会話をつづけたいとは思わなかった。
ことしもまた毛虫の季節が訪れている。
そしてことしも毛虫が元気に山茶花の木に張り付いていることを、ぼくは知っている。お隣りからは、まだ何もいってこない。
(1999・6・10 By Dennou-Tabigarasu) |