参院選議席倍増と赤旗連続大量減紙との反比例

 

軒下・一時的雨宿り共産党からの永続的離脱

 

13年7月度H5411部減・N22204部減、8月度H904部減・N6271部減

 

(宮地作成)

 〔目次〕

   1、2013年都議選・参院選議席倍増と有権者投票行動の性質

      1、2013年都議選・参院選議席倍増結果

      2、有権者投票行動の性質−共産党への軒下・一時的雨宿り

   2、33年間赤旗連続大量紙と読者の永続的離脱の性質

   3、2013年議席倍増と12・13年赤旗連続大量減紙の反比例

      1、2013年都議選・参院選の議席倍増データ (表4、5)

      2、12・13年赤旗連続大量減紙データという反比例データ (表5、6)

   4、国政選挙なし3年間の赤旗少数拡大→大量減紙パターンの見通し

      〔パターン1〕、赤旗読者への新規対象者ほぼ皆無

      〔パターン2〕、「国政選挙まで短期間、再度、赤旗を買ってくれ」スタイルのほぼ壊滅

      〔パターン3〕、腐敗−支部長・機関紙係・専従が行う自腹買取、または虚偽申請

 

 〔関連ファイル〕      健一メニューに戻る

    『共産党参院選5回結果と2013年結果・評価』議席15→5→4→3→3→8

      比例代表5人当選順位−7、16、26、35、46

      アベノミクス批判有権者激増受け皿政党自滅・分裂批判票選択肢2つ

      ()政治不信と棄権投票率5.31%激減()共産党への軒下・一時的雨宿り

      志位〔アキレス腱3つ〕と16年への空想的願望

      7月度H5411部減・N22204部減、8月度H904部減・N6271部減

      参院選13年結果 総務省 yahoo 読売 朝日 毎日 産経 時事

    『都議選4回結果と2013年都議選結果・評価』

 

    (日本共産党との裁判)

     第1部『私の21日間の“監禁”「査問」体験』「5月問題」

     第2部『「拡大月間」システムとその歪み』「泥まみれの拡大」

     第3部『宮本書記長の党内犯罪・中間機関民主化運動鎮圧、粛清』

     第4部『「第三の男」への報復』警告処分・専従解任・点在党員組織隔離

     第5部1『宮本・上田の党内犯罪、「党大会上訴」無審査・無採決・30秒却下』

     第5部2『上田耕一郎副委員長の多重人格性』

     第6部『宮本・不破の反憲法犯罪、裁判請求権行使を理由とする除名』

     第7部『学者党員・長谷川正安憲法学教授の犯罪加担、反憲法「意見書」』

     第7部・関連『長谷川「意見書」』 『長谷川「意見書」批判』水田洋、中野徹三

     第8部世界初革命政党専従の法的地位判例』

 

 1、2013年都議選・参院選議席倍増と有権者投票行動の性質

 

 〔小目次〕

   1、2013年都議選・参院選議席倍増結果

   2、有権者投票行動の性質−共産党への軒下・一時的雨宿り

 

 1、2013年都議選・参院選議席倍増結果

 

 東京都議選の議席結果は、19→14→13→26→15→13→8となっていた。議席変動が激しいが、1997年議席26ピークである。この理由は、1996年社会党崩壊により、共産党が最大の受け皿になったことである。

 

    wikipedia『社会党』1996年社会党崩壊=社会民主党に改名→党勢力激減

 

 以後、共産党は、3連続惨敗をしている。1997年以降の12年間、衆院選は3連続惨敗、参院選も3連続惨敗だった。国政選挙は、得票率も合わせ、6連続全面惨敗中である。1997年都議選26議席躍進の原因は、一時的受け皿=共産党への軒下一時的雨宿り現象だったことを証明している。

 

 2013年都議選結果共産党8→17議席の議席倍増は、1997年受け皿に次ぐ、2度目になった。それは、アベノミクス批判有権者激増受け皿政党自滅・分裂を原因とし、共産党だけが政党間力関係現象により、ほとんど唯一の受け皿に急浮上したことによる。もう一つ、みんなの党受け皿となり、躍進した。

 

(表1) 97年〜13年東京都議選結果−42選挙区・定数127

投票率

議席

得票数

得票率

立候補

議席

増減

得票数

増減

得票率

増減

1997

40.80

26

13

803376

21.33

44

2001

50.08

15

11

748085

55291

15.63

5.7

44

2005

43.99

13

2

680200

67865

15.57

0.06

43

2009

54.49

8

5

707602

+27402

12.56

3.01

40

2013

43.50

17

+9

616721

90881

13.61

1.05

42

 

 09年選挙における得票数27402票増加は、投票率43.99%→54.49%と、投票率10.5%アップによる有効投票総数の大幅増加を原因とするものである。実質的には、差引で、13万2110票をも減らした選挙結果だった。

 

 13年の投票率は、10.99%激減した。投票率激減受け皿政党自滅・分裂などを原因とし、()議席8→17へと議席倍増、()得票数−90881票激減()得票率12.56%→13.61%へと+1.05%増えた。ただし、()得票数激減により、有権者比=絶対得票率6.8%→5.9%に激減した。

 

    『都議選4回結果と2013年都議選結果・評価』

        アベノミクス批判有権者激増受け皿政党自滅・分裂批判票選択肢2つ

        ()政治不信と棄権投票率10.99%激減()共産党への軒下・一時的雨宿り

    高木桂一『小躍り共産・志位委員長“ひと夏の経験”?!』6月30日

    菅原琢『2013年東京都議選の簡単なデータ分析』中盤−共産党倍増のメカニズム6月24日

 

(表2) 参院選議席・得票数・得票率と比例代表増減

年度

議席

得票数

得票率

選挙区

比例代表

選挙区

比例代表

選挙区

比例代表

増減

増減

増減

1998

7

8

875.9

819.5

15.66

14.60

2001

1

4

-4

536.3

432.9

386.6

9.87

7.91

6.69

04

0

4

±0

552.0

436.3

3.4

9.84

7.80

0.11

07

0

3

-1

516.4

440.8

4.5

8.70

7.48

0.32

10

0

3

±0

425.6

356.3

84.4

7.29

6.10

1.38

13

3

5

+5

564.5

515.4

159.0

10.64

9.68

3.58

議席増減は、改選数=6年前比例代表当選数にたいする増減

比例代表投票率は、07年58.63%→10年57.92%→13年52.61%で、5.31%激減

 

 参院選の比例代表得票数増加2回は、投票率アップによるもので、実質的には、2回とも得票数を減らしている。04年実質的得票数は数万票減、07年17.7万票減だった。減少2回データを合わせれば、得票数も4回連続惨敗政党になった。

 

 選挙区・比例代表の合計当選議席は、15→5→4→3→3と減り続け→13年8へと議席倍増した。参議院議席非改選との合計は9→7→6に減った。13年11議席に増えた。

 

 これで、日本共産党は、この13年間に、国政選挙8連続惨敗をした。()2000年6月総選挙、()2001年参院選、(3)2004年参院選、()03年11月総選挙、 ()07年の参院選、()09年総選挙、()10年参院選、()12年総選挙における連続敗北・後退である。東京都議選3回敗北を合わせれば、選挙11連続惨敗政党になった。13年で+5議席=11議席になった。

 

    参院選13年結果 総務省 yahoo 読売 朝日 毎日 産経 時事

 

 2、有権者投票行動の性質−共産党への軒下・一時的雨宿り

 

 この性質にたいし、多くの人が的確に指摘している。

 共通する基本的な見方は、次である。アベノミクス批判有権者激増受け皿政党自滅・分裂批判票選択肢2つ()政治不信と棄権投票率5.31%激減()共産党への軒下・一時的雨宿りだった。

 

 次は、『日本共産党・民青同盟悪魔の辞典』の8月25日に載った記事である。ただし、共産党京都府委員会は、後に共産党HPから、下記箇所を削除してしまった。

 京都民報 経済問題への提言で有名な浜矩子同志社大教授インタビューなのだが。これはすごい!

 

 日本共産党が躍進した要因と、今後期待することはありますか。

 

 「アベノミクス」を真っ向から批判し、憲法改正や原発推進をすすめる自民党政治に対し、明確な反対姿勢を貫いたことが集票力の高まりにつながった。日本共産党という党がなければ、反自民票の確たる受け皿が何もない。そんな危機的な政治状況の中での選挙でしたね。つまり、「他に投票するところがないから入れた」という層からの集票だったということです。

 

 今回の選挙では「まさか自分が共産党に投票するとは考えてもなかった」という人が悩みに悩んだ末、絶望のはけ口のような形で共産党に投票したケースもあったと思います。

 

 そのような側面から日本共産党は目をそらしてはいけない民主党は自分たちの敗因をしっかり見据える必要がありますが、共産党も自らの勝因を誤解しないようにしなければいけない。真価が問われるのはこれからです。変に舞い上がって冷静さを失わないようにしてほしい。政治に関する責任の重さは与党も野党も同じです。鋭い切り口と広い視野をもって政策批判を展開していく。それが仕事です。

 

    『共産党参院選5回結果と2013年結果・評価』

      共産党議席15→5→4→3→3→8 比例代表5人当選順位−7、16、26、35、46

      今後3年間=2016年までの展望−国政選挙なし?

      志位〔アキレス腱3つ〕と16年への空想的願望

      7月度H5411部減・N22204部減、8月度H904部減・N6271部減

 

 

 2、33年間赤旗連続大量減紙と読者の永続的離脱の性質

 

(表3) 30年間連続減紙政党=読者大量離脱政党

80

82

85

87

90

94

97

00・9

04・1

061

10.1

大会

15

16

17

18

19

20

21

22

23

24

25

HN

355

339

317.7

317.5

286

250

230

199

173

164

145.4

内H

54

50

40

35

(30)

(28)

(25)

内N

232

200

190

164

(143)

(136)

(120)

増減

16

21.3

0.2

31.5

36

20

31

-26

-9

-18.6

1980年とは、東欧・ソ連の経済停滞・人権侵害犯罪情報で、ヨーロッパ共産党全体が

党員数・読者数・国政選挙結果で全面後退開始→日本共産党も同じく、赤旗ピーク終了

1990年とは、89年〜91年東欧・ソ連10カ国と前衛党のいっせい崩壊中→減紙数激増

 

 宮本・不破・志位らは、赤旗部数増減の長期データを発表したことが一度もなく、隠蔽している。せいぜい、前回国政選挙比か前回党大会比しか言わない。それらは、でなく、すべて減っている。1980年ピーク以降、30年間で、HN355万部−145.4万部=209.6万部・59.0%読者が、日本共産党を支持できない誤った路線・反民主主義体質の政党であるとして大量離脱してきた。

 

 その後、2013年8月末まで大量連続減紙になっている。これらのデータは、日本共産党が、()33年間大量連続減紙政党であること=()赤旗読者が永続的に大量離脱する組織になっていることを証明している。

 

    〔根拠2〕30年間、かつ、09年都議選後4年間の大量連続減紙傾向 (表10〜14)

 

 第22回大会までは、HN総部数とともに、日刊紙H、日曜版Nの個別部数も報告していた。しかし、第23、24、25回大会は、HN総部数しか報告しなくなった。()( )は、従来のHN比率に基づき、私が推計したものである。増減数は、前大会からの減紙を示す。

 

 

 3、2013年議席倍増と12・13年赤旗連続大量減紙の反比例

 

 〔小目次〕

   1、2013年都議選・参院選の議席倍増データ (表4、5)

   2、12・13年赤旗連続大量減紙データという反比例データ (表5、6)

 

 1、2013年都議選・参院選の議席倍増データ

 

(表4) 09年→13年東京都議選結果−42選挙区・定数127

投票率

議席

得票数

得票率

立候補

議席

増減

得票数

増減

得票率

増減

2009

54.49

8

5

707602

+27402

12.56

3.01

40

2013

43.50

17

+9

616721

90881

13.61

1.05

42

 

(表5) 10年→13年参院選議席・得票数・得票率増減

年度

議席

得票数

得票率

選挙区

比例代表

選挙区

比例代表

選挙区

比例代表

増減

増減

増減

10

0

3

±0

425.6

356.3

84.4

7.29

6.10

1.38

13

3

5

+5

564.5

515.4

159.0

10.64

9.68

3.58

 

 2、12・13年赤旗連続大量減紙データという反比例データ

 

 下記()は、2012年1月〜13年8月末までの赤旗「日本共産党の活動ページ」公表の毎月末HN差引データである。赤旗は、()毎月末の拡大数・()減紙数を公表したことがなく、()差引数のみである。具体的部数に沈黙し「後退」としただけの月もある。減紙は、赤字のみ−記号を付けない。拡大数はにした。

 

(表6) 12年1月〜12月末までの赤旗公表毎月HN差引データ

1

2

3

4

5

6

7

8

9

10

11

12

年差引

後退

後退

2123

20

79

1036

1431

532

259

598

1276

5725

 

後退

後退

8865

1369

397

4557

8314

1026

701

2129

5188

28760

 

HN

後退

後退

10988

1389

476

5593

9745

1558

960

2727

6464

34485

27051

11月拡大数は総選挙直前の「1カ月間期間限定読者」→12月大量減紙

志位は、6中総において、2012年の年間HN減紙部数が、差引3万部と報告

ただ、12年1・2月後退部数を加えれば、3万部になるか?

 

(表7) 13年1月〜8月末までの赤旗公表毎月HN差引データ

1

2

3

4

5月

6

6月末計

7

8

9

10

11

12

1896

364

1145

119

778

595

1913

5411

904

 

 

 

 

10390

2906

7958

3039

4277

4664

10783

22204

6271

 

 

 

 

HN

12286

3270

9103

3158

5055

5239

12696

27615

7175

 

 

 

 

7月度H5411部減・N22204部減、8月度H904部減・N6271部減

 

 09年7月12日都議選と10年1月第25回大会における赤旗部数は6カ月間差がある。それをほぼ同じとして推計する。

 党大会後〜13年7月21日の参院選後の8月末まで、3年8カ月間ある。その間、どれだけ赤旗HNが減ったのか。

 

 10年1月〜12年10月末までに19万1767部減紙+12年11・12月差引2万8021部減紙+13年1月〜8月末差引4万7486部減紙3年8カ月間合計26万7274部減紙

 

 ただし、正確なHN部数公表は、参院選後に行われる第26回大会における志位報告になる。

 

 ()13年都議選・参院選における議席倍増結果と、()これらの赤旗大量連続減紙とは、まさに反比例の関係にある。赤旗部数に示される大量連続減紙データからは、都議選・参院選における議席倍増結果は生まれない。議席倍増の主要原因は、「自力」でなく、都議選と同じく「他力」しかありえない。

 

 「他力」とは、アベノミクス批判有権者激増受け皿政党自滅・分裂批判票選択肢2つ()政治不信と棄権投票率5.31%激減()共産党への軒下・一時的雨宿りだった。

 

 

 4、国政選挙なし3年間の赤旗少部数拡大→大量減紙パターンの見通し

 

 2013年参院選結果から、国政選挙は3年間ないと言われている。その場合、共産党の赤旗拡大パターンはどうなるのか。そのいくつかを推定する。

 

 〔小目次〕

   〔パターン1〕、赤旗読者への新規対象者ほぼ皆無

   〔パターン2〕、「国政選挙までの短期間、再度、赤旗を買ってくれ」スタイルのほぼ壊滅

   〔パターン3〕、腐敗−支部長・機関紙係・地区専従が行う自腹買取、または虚偽申請

 

 〔パターン1〕、赤旗読者への新規対象者ほぼ皆無

 

 33年間、赤旗読者は永続的激減になっている。どの支部にも、新規対象者はほぼ皆無である。共産党系大衆団体人数も減り続けている。そこにも、拡大新規対象者はいない

 

 2013年都議選・参院選において、日本共産党への投票有権者はたしかに激増した。彼らを新規対象者にできないか。志位・市田・不破の皮算用と拡大指令はそこにある。しかし、彼らは、支部・党員の「支持者マイカード」に入っていない。探しようもない。

 

 激増有権者とは、浜矩子同志社大教授が指摘した人たちだからである。反自民票の確たる受け皿が何もない。そんな危機的な政治状況の中での選挙でしたね。つまり、「他に投票するところがないから入れた」という層からの集票だったということです。

 

 今回の選挙では「まさか自分が共産党に投票するとは考えてもなかった」という人が悩みに悩んだ末、絶望のはけ口のような形で共産党に投票したケースもあったと思います。

 

    京都民報 経済問題への提言で有名な浜矩子同志社大教授インタビュー

 

 その証明が、7月度H5411部減・N22204部減、8月度H904部減・N6271部減結果である。

 

 〔パターン2〕、「国政選挙までの短期間、再度、赤旗を買ってくれ」スタイルのほぼ壊滅

 

 2013年現在、党費納入党員実数は、志位和夫のウソ31.8万人もいない。彼が都道府県委員長会議で秘密報告したように、21.5万人である。その内、赤旗拡大にいつも取り組む忠誠派赤色信者は、常幹のいくつかの秘密報告データを見ても、約8万人だけである。

 

 忠誠派党員は、国政選挙が近付くと、元読者「国政選挙までの短期間、再度、赤旗を買ってくれ」と頼み込むしかない。元読者は、()義理でやむなく、()読みもしないのに、()カンパのつもりで、日曜版月800円を2〜3ヶ月間払う。国政選挙が終われば、100%減紙になる。

 

 多くの党員が、33年間このスタイルを続けてきた。しかし、このような賽の河原の石積み拡大の繰返しに疲れ果てた。もう、うんざりだ忠誠派赤色信者約8万人以外の党費納入13.5万人は、赤旗拡大運動に全面不参加党員に変質した。

 

 2013年参院選後、2016年まで国政選挙はたぶんない。衆参同日選挙になる可能性が高い。忠誠派党員といえども、元読者「国政選挙までの短期間、再度、赤旗を買ってくれ」スタイルでと頼み込むことは、3年間近くできない。

 

 ただ、(1)自治体各中間選挙や(2)2015年4月の統一地方選挙はある。また、()第26回大会が開かれる。それらは、()国政選挙と比べ、赤旗拡大への動機や圧力が違う。約2年半は、赤旗大量連続減紙が続くことになる。

 

 〔パターン3〕、腐敗−支部長・機関紙係・地区専従が行う自腹買取、または虚偽申請

 

 33年間において、支部・地区専従の活動は、()赤旗拡大と()選挙支持者拡大のみにどんどん矮小化されてきた。年がら年中、2つの成績数値だけに追いまくられてきた。その中で、赤旗拡大運動において、地区からの一面的成績点検・追及を原因とし、党腐敗現象がさまざまな形で表面化した。

 

 1、支部長・機関紙係が行う自腹買取

 

 拡大月間や拡大大運動では、日報が義務づけられる。毎日成果が挙がるはずもない。2週間前後も成果0なら、地区からの成績点検・追及の圧力・叱咤が日毎に厳しくなる。そのとき、支部長・機関紙係の逃げ道はあるか。

 

 離党、支部解党の決断をすれば、赤い呪縛から解き放たれる。しかし、共産党になお未練があれば、赤旗日曜版800円の自腹買取の道が残されている。「1部増やしました」と報告すれば、地区の成績点検・追及はいったん和らぐ。カンパのつもりで、2ヶ月間日曜版1600円払えばよい。この腐敗実態は、全党的に発生してきたが、表面には出てこない。

 

 2、支部長・機関紙係・地区専従が行う虚偽申請

 

 この腐敗の現存について、地区専従体験がない党員は、とても信じられないと思われる。私は愛知県専従を13年半やった。これも、表面には出てこない。虚偽申請とは、自腹でなく、まったく虚偽の申請スタイルである。

 

 党中央からの機関紙代金請求は、毎月末の部数である。月途中の変動は、請求されない。虚偽申請のからくりは、月途中に赤旗拡大虚偽申請をし、月末までに秘かに減紙申請を出すことである。赤旗拡大は、虚偽申請でも、地区専従の点検・追及の圧力・叱咤は和らぐ。機関紙係が支局に出す減紙申請はほとんど目立たない。

 

 正確なからくりデータは、全党にもない。古いが、私と名古屋中北地区委員会の1968年度()しかない。それを載せる。ただ、文章は、「です、ます」→「である、いた」に変える。

 

    『先進』北守山ブロックと大量虚偽申請のからくり

    (日本共産党との裁判)

    第1部『私の21日間の“監禁”「査問」体験』「5月問題」

    第2部『「拡大月間」システムとその歪み』「泥まみれの拡大」

 

 ところが、この『先進・北守山ブロック』には、驚くべき“虚偽拡大のからくり”が隠されていた。

 下記の表は、1968年「党中央提起・10、11月拡大月間」での2カ月間における、地区党内・県党内・東海地方局内で、高く評価され、普及された『先進ブロック』拡大実態である。ただ、このデータは、組織実態が明らかになりすぎるとの、党防衛上の理由で、地区委員会総会にも公表しなかった。これを知っているのは、名古屋中北地区常任委員10数人、愛知県常任委員10数人、党中央関係者10数人だけである。

 

 このファイルでの公表も、30数年前のデータとはいえ、問題があるが、あえて『情報公開』する。この公開なしには、“准中央委員の成績主義党内犯罪”を具体的に証明できないからである。このデータと分析内容は、「北守山ブロック問題調査委員会報告書」に基づいている。

 

(表8) 先進・北守山ブロックの虚偽拡大からくりデータ

1968年10、11月2カ月間

守山居住細胞

A経営細胞

大曽根地域

北守山細胞計

北守山ブロック計

1、公表部数

  月間始期

  公表拡大数

  月間終了時

 

1074

+605

1679

 

371

+434

805

 

107

+231

338

 

6209

+2825

9034

2、実態

 1、始期未固定紙

 2、架空申請

 3、担当専従虚偽申請

 4、二重申請

  虚偽申請計

 

276

124

30

 

430

 

80

57(9回)

 

 

170

 

 

70

 

 

180

 

17細胞

7細胞

専従4人

 

1658

343

70

93

2164

3、結果

  始期からの減紙

  1969年5月残部数

  紙代滞納額(万円)

  経営細胞崩壊

 

−815

259

125

 

−99

272

50

 

15細胞

 

 

11細胞

 

−4366

4668

 

()、空白個所は、調査時点で不明のものである。未調査細胞もある。

 

 この「先進・からくりデータ」の結論は、以下である。ブロック全体数字は、分局帳簿により正確である。

 )まず、月間始期6209−始期未固定紙1658=始期実部数4551部となる。その未固定紙1658部も、それ以前から『先進的拡大実績』として高く評価してきたものである。

 )1969年5月残部数4668−始期実部数4551=拡大実部数117部となる。

 

 )月間中増やしても、月間後すぐ減紙になった読者数、それ以前の読者の減紙数を入れても、せいぜい実質拡大したのは1000部未満の数百部で、公表拡大数+2825になるはずがない。

 )となると、2、3、4の虚偽申請数は、表合計506部だけでなく、2000部近くになる。

 

 )ところが、箕浦氏と北守山ブロック担当常任委員は、+2825部拡大報告を、『泥まみれの拡大』成果として、大々的に宣伝し、その数字を基準として、他細胞、他ブロック、愛知県党内他地区委員会を批判した。

 

 3、地区常任委員・私の指導の誤りと個人責任−1968年時点

 

 1、『5月問題』後、箕浦指導方針に一度も反対せず

 

 上記地区全体で発生した細胞・幹部破壊にたいし、私は地区常任委員として、その誤った方針に賛成し、遂行したことで、全面的個人責任がある。

 

 たしかに、1967年『5月問題』で、1カ月間にわたり箕浦氏の一面的拡大方針に批判活動をした。しかし、21日間の監禁査問後は、2年間いつも、『先進・北守山ブロック』(虚偽拡大)との比較で、批判され自己批判を強要されていたが、その『泥まみれの拡大』スタイルに反対したことはない。

 

 ただ、『こわれる』発言は、私の現状認識、潜在意識下の危機意識が、おもわず口に出たものである。しかし、それを箕浦分派グループが“過剰反応”したようには、『5月問題』に続いて、再度私が“たった一人の反乱”を再開するだけの勇気がなかった。その選択肢もあったであろが、そこで『こわれる』発言を正式に主張していたら、多分、間違いなく、専従解任になっていたでしょう。

 

 率直に言って、専従を首になるのを怖れて、誤った方針に賛成するだけでなく、地区全体と名西ブロック全細胞に重大な損害を与えた責任を免れない。

 

 次の第3部でものべるように、宮本・不破幹部会“口頭伝達・秘密指令”『党中央批判は、一般党員には許されるが、専従には許されない』とする専従社会の鉄則と施行の前には、専従4000人内では、党中央批判の自由が完全に剥奪された組織運営実態になっていた。

 

 弁明になるが、私は、『先進・北守山ブロック』虚偽拡大からくりのスタイルをしなかった。

 

 1、名西ブロックでは、あのような虚偽申請を指導していない。

 

 箕浦氏、北守山ブロック専従4人、主要細胞長数人、「喫茶店グループ」全員は、『拡大は申請書に書いてから初めて成果だ』『未固定・減紙と拡大との相殺は許さない』『減紙でなく、未配達だ。その減紙申請を認めない』などとする“共謀虚偽拡大スタイル”だった。私は、未固定・減紙が出れば、拡大成果との相殺を当然のこととして認めていた。

 

 したがって、「調査書」で判明した結果では、名西ブロックは、北守山ブロックより拡大実数は同等か、上だったのに、「月間」「2日きざみの拡大」申請数では、いつも下で、自己批判を強要されていた。

 

 2、打撃的思想批判は、細胞にたいしやらなかった。

 

 北守山ブロック担当常任は、拡大成果が出ない細胞長にたいして、上記守山居住細胞長にしたように、『敗北主義、日和見主義』批判をし、箕浦氏と彼は、私にたいしても地区常任委員会でも同じ思想批判を浴びせた。私は、『拡大の遅れ原因は、思想問題だ』とする彼らの認識に反対で、『5月問題』での箕浦批判をしたのである。

 

 “わずか21日間の監禁査問で釈放”したので、箕浦氏は、私の認識を変えられなかった。

 

 私の考えは、『もっと綱領など理論武装、情勢認識を高めることこそカギ』として、「月間」中も、ブロック独自で「綱領」「赤旗・評論員論文」などの学習会を、私が講師で開いていた。箕浦氏にとって、それも“宮地の抵抗行動”“懲りない男”と映ったのかもしれない。

 

 3、紙代滞納細胞は一つもなかった。

 

 私は、紙代を、分局と共同して積極的に集めていた。北守山ブロックの実質滞納額は、数百万円になる。その一方で、平気で『先進』報告を発表していた。彼らの“暗黙の虚偽拡大共謀”事実もひどいものである。しかし、それを『先進』成果として、地区活、県活で何度も発表する神経の異様さは、今でもよく理解できない。

 

 2、細胞、党員にもたらした損害

 

 とは言っても、細胞から見れば、私は、一面的拡大方針を押し付け、連日深夜の点検会議を招集し、職場・自宅へも目標と成果の点検電話をかける地区常任委員の一人にすぎない。名西ブロック細胞からの担当常任宮地への批判は根深くある。

 

 1、元経営細胞LC婦人党員

 

 県選対部へ任務変更になって、中間選挙では、いつも、はり付きで応援していた。ある時、候補者と私が、連れ立って、「赤旗」読者の家へ選挙支援活動要請にまわっていた。ある家で、以前担当細胞のLCが出てきたとき、彼女は、いきなり、『箕浦とあんたの顔なんか見たくない。帰ってください』と言って、戸をばたんと閉めてしまった。

 

 2、元中村民商細胞機関紙係

 

 裁判での除名十数年後、ある研究集会で、たまたま、その機関紙係の人と会った。彼は、私の連日追及の中で、耐えかねて、『日曜版100部を1カ月間買取る』と「決意申請」した。箕浦氏は、その行為を「拡大の先進英雄」と、地区活で高く評価し、宣伝した。その100部分の紙代は、中村民商細胞か彼個人の自腹を切ったものだった。

 

 それを承知で、私はその「拡大申請」を受け取った。その研究集会討論のみんなの前で、彼は『宮地君の点検はとてもひどかった。あんたの家に放火してやろうかと思ったほどだ』と発言した。

 

 3、大学新卒・転籍党員

 

 彼は、ブロック内の機械工業会社に入社し、「転籍書」がきた。そこに党員はいなかったので、他の点在経営党員と一つの細胞を結成し、彼を細胞長にした。ところが、「月間」と「各種選挙」が年中続くなかで、私は、連日のように、新入社員の彼を点検会議、地区活に呼び出し、職場へも拡大の点検電話を入れた。新入社員に連日、私用電話が入れば、職場の雰囲気もおかしくなる。

 

 彼は、半年ほどで、会社も辞めて、蒸発してしまった。細胞も崩壊させてしまった。これは、文字通り、私の指導、点検との関係で発生させたことだった。

 

 こうして、私は、『泥まみれの拡大』2年間の名西ブロック内細胞指導においては、地区常任委員の一人として、箕浦准中央委員と基本的に同じ誤りを犯していた。これらの誤りは、箕浦氏による陰湿な報復継続という事実があったとしても、免罪されるものではない。

 

 これらの個人責任内容については、次の(日本共産党との裁判)第3部『愛知県指導改善問題』のときに、地区委員会総会や地区党会議で、私の自己批判として発言した。

 

 1967年〜68年の(1)名古屋中北地区委員会を中心とし、(2)愛知県党全体を総決起させた「指導改善運動」2年間の性質は、一面的赤旗拡大にたいする一種の党内民主化運動だった。宮本顕治は、当初、党中央役員を介入させ、支援した。

 

 しかし、党中央の赤旗拡大一面化路線批判が向き出すと、一転して民主化運動の全面弾圧に乗り出した。彼はその党内犯罪を全党に広げた。その結果として、赤旗拡大数値は、1980年ピークまで12年間続いた。

 

    第3部『宮本書記長の党内犯罪・中間機関民主化運動鎮圧、粛清』

    第4部『「第三の男」への報復』警告処分・専従解任・点在党員組織隔離

 

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 〔関連ファイル〕

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    『都議選4回結果と2013年都議選結果・評価』

 

    (日本共産党との裁判)

     第1部『私の21日間の“監禁”「査問」体験』「5月問題」

     第2部『「拡大月間」システムとその歪み』「泥まみれの拡大」

     第3部『宮本書記長の党内犯罪・中間機関民主化運動鎮圧、粛清』

     第4部『「第三の男」への報復』警告処分・専従解任・点在党員組織隔離

     第5部1『宮本・上田の党内犯罪、「党大会上訴」無審査・無採決・30秒却下』

     第5部2『上田耕一郎副委員長の多重人格性』

     第6部『宮本・不破の反憲法犯罪、裁判請求権行使を理由とする除名』

     第7部『学者党員・長谷川正安憲法学教授の犯罪加担、反憲法「意見書」』

     第7部・関連『長谷川「意見書」』 『長谷川「意見書」批判』水田洋、中野徹三

     第8部世界初革命政党専従の法的地位判例』