表は最近の男女それぞれのベスト30です。
昔は男性の名は4音(タカヨシなど)、女性の名は3音(カズコなど)が主流でしたが、いまは男の子は3音、女の子では2音のよび名が人気です。
使われている漢字を見ますと、昔は、信、孝、学、徳、正、義、清、敬、行、忠、礼、誠、貞など、道徳や心がけをあらわす字が好まれましたが、いまは樹、菜、陽、梨、羽、花、陸、海、翔、蒼、駿、翼、莉、月、楓、葵、芽、咲、など自然界や動植物にかんする字が多く使われています。
順位 |
よび名別人気名前 | 文字別人気名前 | ||
(男の子) | (女の子) | (男の子) | (女の子) | |
1位 | そうた | え ま | 大翔 | 楓 |
2位 | はると | しおり | 樹 | 莉子 |
3位 | ゆうと | り お | 悠真 | 凛 |
4位 | はるき | は な | 翔 | 美月 |
5位 | けんと | ほのか | 湊 | 杏奈 |
6位 | ゆうき | あかり | 蓮 | 陽菜 |
7位 | こうき | ゆ い | 悠人 | 詩織 |
8位 | り く | はるか | 悠斗 | 碧 |
9位 | ひろと | め い | 新 | あかり |
10位 | そうすけ | り こ | 颯太 | すみれ |
11位 | いつき | み お | 瑛太 | 結衣 |
12位 | はやと | さ き | 大和 | 美咲 |
13位 | ゆうせい | かのん | 陸 | 杏 |
14位 | こうた | かんな | 陽太 | 咲良 |
15位 | ゆうま | あやか | 蒼太 | 芽衣 |
16位 | かいと | か ほ | 陽翔 | 玲奈 |
17位 | けいた | さ な | 駿 | 葉月 |
18位 | たくみ | あんな | 隼人 | 愛莉 |
19位 | みなと | さ え | 悠太 | 結月 |
20位 | ゆいと | みのり | 悠翔 | ひかり |
21位 | りくと | いちか | 陸斗 | 千尋 |
22位 | えいと | ゆ う | 颯 | 美羽 |
23位 | そうま | さくら | 陽 | 遥 |
24位 | そ う | な お | 海斗 | 澪 |
25位 | ゆうた | ゆうな | 陽斗 | 花音 |
26位 | あきと | り ん | 翼 | 華 |
27位 | りょう | ひ な | 瑛斗 | 芽依 |
28位 | か い | あいり | 奏太 | 莉緒 |
29位 | けいすけ | なつき | 柊 | 結菜 |
30位 | りょうま | かえで | 翔太 | 怜奈 |
上のリストは、命名相談で出された候補のお名前を集計したものですが、あきらかに読み方のまちがった名前や、男女をまちがえる名前は、人気はあっても、マネをする人が出ないように削除してあります。
● いまの名前は音やイメージからつくられる
最近の名づけで、非常によい傾向があります。それは、音や映像の文化の中で育った人が多くなったため、名前も音やイメージから出発して作られるようになったことです。
お子さんの名前は毎日「音」で呼ぶのであり、名づけも音、そして音につながるイメージからはいりますと、ご自分のホンネが正直に出せて、好みの名前がえらばれ、あとからふりかえっても充分ナットクのいく名づけになります。
★ ほしいのは視野と想像力
人の名前は、広い社会の中で何十年にもわたって使いつづけるものです。厳粛な場で、大勢のまえで呼ばれることもあれば、緊急のときに知らない他人が読まなければならないこともあります。
名づけはそのような大きな視野で、人生のいろいろな場面を想像しながら考えなければなりません。
最近はさすがに悪ふざけのようなギャク名前はつけられなくなりましたが、しかしたとえば、人に読めなくてもかまわない、男女をまちがえてもかまわない、といった感覚で名づけをしますと、広く大きな社会、お子さんの長い人生でのさまざまな場面が想像できない、ということになり、視野のせまい名づけになってしまいます。
それがただちに悪い結果につながるわけではなくても、やはり社会生活で混乱をおこし、他人にも迷惑になることですので、そうした想像力、気づかいもぜひもっていただきたいものです。
★ 自分を見失わないこと
名づけは、どういう名づけをしたいのかという親自身の発想がとても大切です。また自分でいくつか名前をつくってみることも貴重な体験で、これをしてはじめて自分の本当の好みというものがわかってきますし、自分で名づけをしたという実感もわくのです。出版物やネットで提供される情報はあくまで参考であり、主役は親自身なのです。
しかし自分自身の発想、体験をとびこして、スマホばかりいじりまわしたりしますと、それはネット上に大量にばらまかれた名前を、質の良しあしも考えずにひろい歩くだけの作業になります。そうなると「考える自分」「感じる自分」がなくなって、自分がどこに居るのか見えなくなり、名づけという「体験」を味わうことがなくなってしまうのです。
名づけはあくまで「自分」が主体であり、自分が答を決めるもので、スマホの中に答があるのではありません。名づけは自分自身の体験として行ってこそ、意味があり、重みのあるものになるのです。