2025(令和7)年の5月から改正戸籍法が施行され、全国民の氏名のふりがなが戸籍に登録されることになります。そのふりがなは戸籍法13条で、
「一般に認められているものでなければならない」
と定められました。
このことから世の中では、「キラキラネームが規制される」というふうな話題が広がっています。でもこれには多くの誤解があり、やや過剰な反応もみられます。大切なことはまず「新しい制度はよくわからない」と正直に感じとることでしょう。それによってキラキラネームとは別の、もっと大きな問題がみえてくるのです。
手続きそのものはあまり心配はいらない
● すでに使っている読み方はほとんど大丈夫
ふりがなの登録は、まず本籍地の役所のほうから私たちに通知が来ます。そこには、住民基本台帳にのっている私たちの氏名と、そのふりがなが書かれています。「この読み方を戸籍にのせる予定ですよ」ということです。
ほとんどの人は「ああ、これでいい」と思う
もしそれとちがう読み方を登録したいと思ったら、希望の読み方を届けることになります。常識的に読める場合は問題ないですが、特殊な読み方を届けたときにどうなるか、です。
その場合も、その
つまり私たちのほとんどは、手続きでとくに大きな問題はおきないものと思われます。
● これから生まれる子の名前については何もわからない
問題は、あらたに生まれた子の出生届に書くふりがなです。特殊な読み方の場合は、「なぜそういう読み方なのか」という説明書を提出させられることもあります。
ただしどういう読み方、どんな説明ならOKなのか、明確な基準は決められていませんから、審査の結果はわかりません。これが新しい制度でだれもが困ることなのです。
ただし法務省のHPや、法務省から出された「一問一答・戸籍法」(非常に複雑でわかりにくい書物で、一般のかたが読むことはおすすめしません)を見ますと、審査はあまり厳格なものではなさそうな印象をうけます。ハッキリいけないと言っているふりがなは、つぎのものだけです。
■漢字の意味と反対の意味になる読み方(高をヒクシ)
■読み違い、書き違いかどうかわからない読み方(太郎をジロウ、サブロウ)
■漢字の意味や読み方との関連性をおよそ又は全く認めることができない読み方
(太郎をジョージ、マイケル)
■別人と誤解される読み方(鈴木をサトウ、佐藤をスズキ)
本当は出生届を出す人は、審査が通るかどうかなど心配するのではなく、「だれにも読めない名前をつけて本当に良い名づけになるのか」が大切であるはずです。
なぜ話が混乱するのか? 誤解の整理と本当の問題点
● ふりがなの登録とキラキラネームとの混同
まず、私たちの氏名のふりがなを戸籍に書くことと、どういうふりがなが適切か、ということはもともと別の話なのです。これをごっちゃにしますと話が混乱します。
そもそもキラキラネームとはどういう範囲の名前のことか、定義もありませんし、平成の時代に流行したいわゆる珍奇名前は、永年野放しになっていて、今ごろ規制などと言っても意味がありません。今回のふりがなの登録も、珍奇名前の防止のためではありません。行政の効率化のためです。
たとえば2007(H19)年の「消えた年金問題」では、当時の社会保険庁のずさんな業務で、何千万件という年金の記録が不明になってしまいました。その要因の一つに、人の氏名の読み方が複数あるための入力ミスや、漢字で書かれたリストでは個人を検索しにくい、ということもありました。
また2020(R2)年に、コロナ感染拡大にともなって10万円の給付金が支給されたとき、本人確認に使われる免許証や保険証が漢字で書かれていたのに対し、預金口座の名義がカタカナなので照合しにくく、業務が大幅に遅れました。またマイナンバーカードのない人も多く、あわてて申請する人が役所に殺到して日本中の役所が大混乱しました。
それやこれやで行政の効率化は国をあげての課題になりました。公共機関、金融機関、電話会社、病院などがすばやく情報のやりとりができるようにしないと、もはや国民も行政も負担に耐えられず、国が立ち行かなくなる、ということで、氏名の読み方も一つに確定し、公証することが急務となりました。
2020(R2)年の12月、政府は「デジタル・ガバメント実行計画」を作り、戸籍における読み仮名の法制化を決めました。
2021(R3)5月には「デジタル社会の形成を図るための関係法律の整備に関する法律」が作られ、「氏名のふり仮名を戸籍の記載するために、一年以内に具体的な方策について検討する」ということが盛りこまれました。その年の末に法務省の法制審議会がスタートし、2023(R5)年の6月に改正戸籍法が成立して公布されました。
ふりがなの戸籍への登録はこうした流れで出たものです。国はキラキラネームなどにカケラも関心はなく、目的はひとえに行政のデジタル化であり、その中心に位置するのがマイナカードの普及です。マイナカードは、作っても作らなくても自由だったはずですが、すでに健康保険証も発行されなくなり、事実上「マイナカードをもち歩きなさい」という強制に近い状態になっています。
そうなると私たちにとって切実な問題は、
家に置いてあるキャッシュカードですら、他人に渡してしまう事件はあとをたちません。すでにマイナカードの偽造による被害も出ており、本当にしっかりした安全管理ができるのか、それが今後の私たちに共通する大きな課題であるわけです。
● 法律そのものが私たちとちがう感覚で作られている
さらにいろいろ話が混乱する根底に、法律の作られかたと、私たち一般市民の意識、感覚とのズレがありはしないか、と感じられます。
今回改正された戸籍法は、「氏名の読み方は一般に認められているものでなければならない」という、意味のわからない法律がさきに公布され、あとから「どういう意味にしようか」と解釈を考えているのです。
一般に認められているとはどういう状態をいうのか、明確に説明できる人がどこにもおらず、いずれ通達で基準が示される、と言われているだけです。
こういう法律の作り方ももちろんあります。たとえば名前に使える文字も、戸籍法50条で「常用平易な文字でなければならない」という原則を決め、施行規則60条で具体的な文字の範囲を定めています。
ただ今回の「一般に認められている」という表現は日本語として何とも奇妙です。氏名というのは、本人が名乗ったらほかの人は賛成も反対も言えるものではないのです。人の名字や名前に、認められている、いない、という区別などありません。
しかもこの条文は、だれに適用するのかも吟味されておらず、漠然と私たち全国民の氏名が対象にされています。
でもひとことで氏名と言っても、私たちの名字、そして私たちが社会で使っている名前(実在名前とよぶことにします)、そして今後生まれる子や、帰化する人のあらたな名前(新規名前とよぶことにします)は、区別しないといけないものです。
また私たちがすでに使っている実在名前もそうで、いきなり規定を作って審査するなどもってのほかです。それは名前に使われる漢字を考えてもわかります。
名前に使える漢字の範囲がはじめて決められたのは1947(S22)年で、その時に当用漢字1850字の範囲と決められました。もちろんその範囲外の漢字を使った名前も世の中にたくさんありましたが、でもその人たちが名前の字を変えさせられたわけではありません。
実在名前は、行政が「いけないよ」などと力づくで変えさせてはならないものです。「いけないなら、名前がつけられる前に言ってよ」ということになります。
つまりあらたな規定を作るなら、まだこの世に実在しない新規名前だけが対象であり、その規定はだれにでもわかる明確な基準でなければなりません。
このように名字、実在名前、新規名前はちがうもので、混ぜて考えることはできません。でも今回の法改正はこの3つが区別されないまま、意味のわからない規定が全体にかぶせられているのです。
● 名字と実在名前は規制などしてはいけない
ではなぜ名字、実在名前、新規名前の3つが区別されなかったのでしょうか?それはもしかすると、これまで氏名の読み方が戸籍に書かれていなかったので、みな正式に存在しないものだ、と同じようにあつかわれのかもしれません。
でも私たち一般市民の常識としては、氏名の読み方はたとえ戸籍に書かれていなくても、まちがいなく社会に実在し、多くの人に使われているものです。
私たちは自分の氏名のふりがな(よび名)を耳で聞くことで、「あ、私のことだ」と反応しています。つまり私たちにとって、よび名は自分を象徴するものです。
そのよび名は、出生届に書いた時はだまって受けつけられ、本人も、周りの人もずっと使いつづけ、預金通帳、診察券、パスポートをはじめ、保険契約やいろいろな申込書など、多くのところに書かれています。また役所も住民基本台帳にのせて、いろいろな事務処理に使ってきました
そのよび名を、戸籍に登録するために届けたとたんに、役所が「一般に認められていませんからダメです」と言ったらどうなるでしょうか?
これは読み方が適切かどうかとは別の話です。あとから作った規定をふりかざして、すでに使っているよび名を変えろと言ったら、正気の沙汰ではありません。
言われた人は、免許証、証明書、カードなど、いろいろなところに書かれた読み方をすべて変えなければなりません。学校や職場、そして親戚、友人、知人すべての人によび名が変わったことを知らせたあげく、「役所によび名を変えさせられた人」という目でみられます。これは本人にとって大変な屈辱、負担になるばかりか、社会の秩序をこわし、大混乱をまねくことです。一人でもそんな人を出してはいけないことくらい、誰が考えてもあたりまえのことでしょう。
そもそも実在名前の読み方の審査というのは不可能なのです。たとえば平成の時につけられた紅玉(るびー)、夢追(ろまん)、大熊猫(ぱんだ)というような読み方をいけないと言ったなら、ではどう変えれば一般に認められている読み方になるのか、答はどこにもないのです。珍しい字の組み合わせの名前は、どんなふりがなにしようが人に読めないことは同じです。
そこで実際の手続きでは、「一般に認められていないような読み方でも、すでに使用している読み方を尊重します。届出はできます」というあつかいにはなります。ただ人の氏名を「一般に認められていない読み方だ」などと分類し、預金通帳を見せれば許してつかわすというのは、実在名前にたいする規定を作って審査をしていることに変わりはありません。
● 新規名前には明確な基準が絶体に必要
世の中には名前で苦労している人も多いのです。名づけは親が勝手に何をしてもいいものではありません。
規定を作るときは、世の中で多い意見に耳をかたむけることが大事です。今回、法律の改正案が作られる過程でも、いろいろ意見がよせられました。中でも多かったのは「辞書にのっている音、訓、名乗り、熟字の範囲だけを認めよう」
じつに現実にそった明快なもので、すぐに国民が共有できる基準です。そしてこれにはつぎのような理由が述べられていました。
まさにその通りで、つぶされたといえ、これが世の中に多いまともな意見なのです。
なまじ意味不明のいいかげんな規定を作りますと、役所は読み方の審査義務だけ生じて実際の審査はできません。どんなでたらめな読み方でもヘリクツでも言った者勝ちになり、「役所で通りました」というお墨付きだけを与えることになります。これではキラキラネームの防止どころか、公認になってしまいます。
たとえば「海」という名は、圧倒的にカイと読む男性の名ですが、キラキラネームの話などでマリンと読ませる女性の名前もよく例にあげられます。これも漢字と読み方が無関係ではないので、いちおう説明はつくのです。
でももしマリンという読み方を公式に認めたら、シーもオーシャンもいいではないかという話になり、また英語だけを認めるのは不公平になります。
関連があればいい、リクツがたてばいい、ということになれば、もはや人の名前は名前としての役目をはたさず、遊び道具でしかなくなります。読めない名前をあふれさせて、はたして暮らしやすい世の中になるのでしょうか?
やはりどこかで歯止めが必要なのです。そして読み方の規定を作るなら、やはり漢和辞典を基準にするのが、だれもがナットクできる、わかりやすい決め方です。