正岡子規のページ
一、正岡子規の新派俳壇結成史 『春星』連載の中川みえ氏による。
この連載の経緯は、「平成三年八月、父松本正氣の没する十日ばかり前のことであった。和田克司先生のご都合で子規に関するご研究が暫時掲載不能になったので、私の旧稿をピンチヒッターに宛てたい旨父から話があった。急なことであったが、「春星」を案ずる病人の依頼であったので了承した」ものである。
「『正岡子規の新派俳壇結成史』という題名は、第二部の旧稿執筆の折に楠本憲吉先生より提示されたものである。本稿の連載に当って、全て一から資料を調べなおし全く新しい構想のもとに全文を書き上げたが、題名だけは旧稿そのままを用いて、自らの青春を懐かしんだ」という。
「小日本」新聞研究(1〜48)
「昭和二十八年十二月末に提出した私の日本女子大学国文学科の卒業論文で、その一部は「春星」(昭和四十年九月号他)に掲載した。卒論仝文を楠本憲吉先生の個人誌「国文学ペン」に順次掲載する予定であったが、同誌廃刊のためその一部を近代作家叢書「正岡子規」(楠本憲吉著、明治書院 昭和四十一年刊)に所収した」ものである。
「二葉集」から「新俳句」へ(49〜75)
「『二葉集』から『新俳句』へ」は、日本女子大学国文学料の機関誌「国文目白」(昭和四十年)に掲載された」ものである。
「獺祭書屋俳句帖抄」(76〜100) のうち81から100
「『獺祭書屋俳句帖抄』上巻」は、楠本先生の配慮で「俳句研究」(昭和四十一年)に執筆した」ものである。
二、子規の俳句
三、子規の俳論・俳話 中川みえ氏により『春星』連載。
5(33〜40)
(その他)
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長瀬誠之洞の分類に準拠したが、都合で一部異なったものもある。
第一回蕪村忌写真
二列目中央 正岡子規
明治三十年十二月二十四日 於根岸草盧
後列左より 原右衛門、折井愚哉、大谷繞石、下村為山、田中胡堂、河東碧梧桐
栗田木罔、石井露月、内藤鳴雪、正岡子規、梅沢墨水、佐藤紅緑、青木森々
小林里平、坂本四方太、竹村秋竹、山本東洋、弘光春風庵、直野碧玲瓏、高浜虚子
ホトトギス誌表紙
第一巻(松山版) 第二巻 第三巻
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