はんがーのっく日誌

はんがーのっく日誌・タイトル

1998年・冬(1997/12-1998/02)
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2000冬
1999秋
1999夏
1999春
1999冬
1998秋
1998夏
1998春
スキーはファッション   雪辱と新たな挑戦   早朝ランニングと少年
日本サイクルロードレース事情   スポーツ後進国・日本   走る楽しみと記録
早田俊幸と福岡国際マラソン

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《2月号》

02/23(mon) スキーはファッション?

 岐阜県の奥美濃地方もスキー場は、年末年始こそ雪不足で、不安なシーズンインを迎えたが、1月中旬の本格的な降雪以降は、過去最高(週刊アスリートおやじ推測)のスキーヤーやスノーボーダーで賑わっている。
 増加の理由を私なりに分析してみると、まず第一に東海北陸自動車道が、各スキー場の、20〜30km 手前まで延長されたことがある。それに、長野オリンピックによる渋滞予想のため、長野県下のスキー場をさけたスキーヤーのハンドルが、岐阜県へ向けられたものと思う。それに年末年始にスキーがほとんどできなかったことなどが、重なって今までにない混雑を引き起こしている。
 渋滞をさけ夜中のうちにスキー場へ到着し、スキー場では、30分以上のリフト待ち。食堂も大混雑で、トイレも順番待ち。さらに、帰りは大渋滞に巻き込まれ、渋滞の列の車の中は、ドライバーはもちろんのこと、助手席や後部座席まで疲れ切った顔で埋め尽くされる。さらに渋滞を避けようと、ところかまわず地域の生活道路までも入り込んでくる、スキーヤーのマナーのなさが、トラブルを引き起こす場合もある。

 こんなに苦労しても、いっこうに減らないスキーヤー達の熱で、雪も解けてしまうのではないかと心配してしまう。
 夢中になるということは、スポーツをする上では、非常に意味のあることではあるが、毎年繰り返される、このちょっと異常な状態を見る度に、私は逆にスキーはスポーツであるという認識が薄れていく。
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02/12(thu) 雪辱とあたらな挑戦

 ただ今、長野オリンピックの真っ最中である。スピードスケート500mで清水選手が、待望の金メダルを獲得し、スキーのモーグルで里谷選手も予想外といっては失礼だが、大健闘し冬季オリンピック女子初の金メダルを手にした。
 今日の新聞の一面にも、当然”里谷”、”大殊勲”の字が躍るが、本来マスコミが予想したシナリオは、日の丸飛行体の活躍であったことは間違いないだろう。4年前のリレハンメルの、ジャンプの団体の翌日の朝刊の。”日の丸・・失速!”の見だしは、記憶に新しい。もし、モーグル陣の活躍なければ、また”失速”の文字が紙面を賑わかしたのではないかと余計な心配をする。インタビューに応えていた、原田選手が、1回目のジャンプの後も2回目の後も、変わることなく明るかったことが、逆に彼の追いつめられた心境を印象づけてしまった。
 しかし、大会前のインタビューで、”今回は雪辱に燃えていますか?”という、少し意地の悪い質問に、彼は、”雪辱じゃありません、あたらな挑戦です。”と応えていたところに、彼の気持ちが伝わってくる。もちろん本人が気にしていないということはないだろうが、前回の結果を必要以上に引きずっているのは、マスコミとわれわれ観客なのではないだろうか。
 原田選手がんばれ!
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02/02(mon) 早朝ランニングと少年

 夜はどうしても決まった時間が、取りにくいので、私は、早朝にランニングしている。朝から走っている物好きは田舎町では、そんなにいるはずもなく、出会うのは、日本人としての健康体の見本のような、黙々と散歩する老人と、自転車に乗った新聞配達の少年ぐらいのものである。

 最近のニュースで、”キレル”中学生が話題になっている。確かに、中学生の子を持つ身でありながら、今の子ども達の考えることが理解できないでいる。
 朝走り始めたときも、こちらは新参者だからと、出会う人には進んであいさつをした。お年寄りはほぼ例外なく、あいさつを返してくれるのだが、新聞配達の少年達は、自分が挨拶の対象だと気づかないのか知らん顔をしていたり、めんどくさそうに小さい声であいさつを返す子が、多かった。
 そうすると始めは、”新聞配達をしている感心な少年たち”と思っていたのが、”あいさつもできない子どもたち”と、みんなまとめて勝手な”色”をつけて、さらにこちらからあいさつをするのまで面倒に思うようになる。
 しかし、そんなときにかぎって、こちらがあいさつもしないのに、向こうから”おはようございます”と、元気な声をかけられることがある。そんなときは、無性に申し訳なく逆にこちらが小さな声であいさつを返すというなんとも情けない状態になる。

 一人の少年が良いことをしても、すべての少年がそうだとは思わないのに、一人の少年がなにか悪いことをするとすべての少年が同じだと思ってしまう、大人のエゴにとりつかれている自分が恥ずかしさをこえて腹立たしいほどである。
 よく考えてみれば、寒い朝は、帽子に眼鏡さらに風邪でもないのにマスクまでしたおじさんが、ハアハアヒイヒイ言いながら、暗闇から走ってくるのである。普通に考えれば挨拶する心のゆとりはないだろう。

 あまりにショッキングな事件の連続で、どうしても悪い方ばかりに目が向いてしまうが、少なくとも”今の中学生は・・・”と、なんでも十把一絡げにしまうことはだけはさけたいと思う。
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《1月号》

01/27(tue) 日本サイクルロードレース事情

 前の日誌にも少し書いたが、ヨーロッパで人気が高いのになぜか日本ではあまり人気のないスポーツがある。その一つにサッカーがあったのだが、近年Jリーグの人気は、落ち着いてきたものの(私は、下降ではなく一時の異常な盛り上がりから、本来の姿に落ち着いた結果だと思っている)こちらの方は、ヨーロッパのそれに近づいてきたと思う。
 もう一つのスポーツは、自転車のロードレースで、こちらはなぜか日本では全く人気がでない。ヨーロッパでは、ツール・ド・フランスやジロ・デ・イタリアと言った、20日間以上にわたり、開催国を一周するレースが、国中の注目の元開催される。その熱狂ぶりは、各種報道機関や web からも伝わってきて、同じ競技であること自体、不思議なほどである。

 この違いを生み出しているものの一つに、交通事情があると思う。道路を使用してイベントを行うことに携わったことのある人ならわかるだろうが、開催までには一言では語れない苦労がある。
 公安との協議やバス等の路線変更から地元の理解まで、イベントの準備の半分以上は道路使用のために費やされると言っても過言ではない。
 ツール・ド・北海道という、日本で唯一のステージレース(数日間にわたって開催されるロードレース)があるが、昨年は、片側走行という規制を厳守できなかったということで、50名近くが失格になると言う事件が起きた。また、過去には箱根駅伝で谷口浩美がセンターラインオーバーで、区間記録が公認されなかったことがあった。

 スムーズな交通や通行の安全を図ることは、確かに大切なことではあるけれど、ランニングや自転車といった、クリーンで自然にも人にも優しい移動手段が、区間や時間を区切ったイベントと言った限られた中でも、確保されないと言うことは、人間本来の力を否定することにもなりかねない、憂うべき出来事だと思う。

# なお、日本とヨーロッパのサイクルロードレースについては、土屋朋子さんの著書「グラーニ・ギア」を、是非読んでいただきたい。自転車の魅力や楽しみ方はもちろん、日本での自転車というスポーツのあるべき姿まで考えさせられる、とてもすばらしい内容で、自転車に乗る人すべてに、お薦めしたい本です。
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01/14(wed) スポーツ後進国・日本

 日本ではスポーツの最高の大会と言えばオリンピックであり、最も注目されるスポーツ選手は、野球選手とオリンピックメダリストである。変な比較だが、世界選手権の金メダリストより、オリンピックの銅メダリストの方が評価されるのが日本である。しかしヨーロッパは逆で、オリンピックはあくまでアマチュアスポーツの祭典であり、真の王者を決定するのはそれぞれの競技の世界選手権(やそれに相当する大会)であると考えられているらしい。
 プロのスポーツ選手が、野球と相撲ぐらいしかいなかった日本では、アマチュアスポーツの第一人者は、イコールそのスポーツの頂点で、早くからスポーツ選手のプロ化が進んだアメリカなどとは、スポーツの楽しみ方に対しても相当な意識のズレがある。
 最近は、W杯やNBN等の中継もテレビで見られるようになったが、長い間、日本でのスポーツ中継と言えば、相撲と野球ぐらいであった。
 スポーツは上級者のプレイを見ることが、その楽しみ方を覚える最も優れた方法であるから、当時の子どもの夢が、野球選手であったことも至極自然だったと思う。
しかし増えたと言っても、依然、ゴルフや野球といった視聴率のとれるスポーツ中継が中心であることは変わりない。ことスポーツの楽しみ方に関しては、日本はまだまだ後進国であると言わざるを得ないだろう。
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01/06(tue) 走る楽しみと記録

 インターネットのホームページや掲示板でも、また、パソコン通信やメーリングリストでも、1月になると新年のあいさつとともに、今年の抱負が書き込まれる。
 一流のアスリートなら、タイムや順位が目標となるのであろうが、おやじを筆頭とする一般のアスリートの多くのメッセージには、大会名が並ぶことが多い。”来年はフルマラソンで 3:30 を切るぞ!”とか”乗鞍で Bクラス10位以内に入るぞ!”といった、メッセージはどちらかと言えば、ランニングや自転車を始めてあまり間がないアスリートに多く、ベテランになるほどタイムに対する執着心は薄くなるようである。これを、ベテランと言われるアスリートは年齢も高くなり、タイムの向上を望めないからだど、結びつけてしまうにはちょっと単純な気がする。

 スポーツの楽しみのひとつには、記録や順位の向上があることは確かで、大会で自己記録を更新すると、疲れなど吹っ飛んで、”よし次の大会も”と意欲がわいてくるものである。また、チームやクラブの人と勝った負けたと順位を競うもの、楽しいもので、ライバルがいるからこそ 42.195km も走ったり、標高差で1000m以上もの坂を自転車で上ったりできるのだと思う。
 しかし、結果というものは努力なくしては、多くを望めないもので、さらに多くの犠牲を払ったからと言って、必ずしも報われるものではない。したがって、単に結果を求めているだけでは、どうしても無理が生じてくることとなる。

 それでは、ベテランアスリートはどうして走っているのだろうか、私なりに考えると、走ること自体を楽しんでいるのだと思う。”どうしてパソコンを使っているのですか?”と言う質問に、”パソコンが好きだから”は、ぼんやりとした的を得てない回答となるが、”どうして走るのですか?”と言う質問に対して、”走るのが好きだから”と言う回答は、実にすばらしい答えだと思う。
 その手の本によくある、”スポーツはは自分への挑戦”とか、”ランニングによる自己の再発見”とかいうものは、あくまで付加価値で、最初からそんなことを考えて走っているアスリートはいないだろう。走るという動作は実に単純なものである、その単純なことをするのに複雑な動機は必要ない。
 スポーツの楽しみは、タイムや順位と言った”目標”ではなく、参加することや楽しむこと、といった、”目的”だと言うことを、一番よく知っているのがベテランアスリートなのである。
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《12月号》

12/23(tue) 早田俊幸と福岡国際マラソン

 マラソン・駅伝のシーズンまっただ中である。日本人の駅伝好きは、近年ますます高まっているようで、毎週のように、テレビで駅伝大会の中継がある。
 もちろんマラソンも人気が高く、一般的には駅伝より注目度は上である。 しかし、実業団では違うようで、マラソンより駅伝の方が優先されるらしい。
 早田選手の突然の鐘紡退職アコム入社は、そう言った企業の事情と彼のマラソンに打ち込みたい気持ちとの葛藤の産物らしい。マラソンを目標とする早田と駅伝をメインに考える実業団の話し合いはついに接点を見ることなく、現在も早田は実業団登録ができない状態である。しかし、先日の福岡国際マラソンの結果は、彼の近年の不調を吹き飛ばす、気持ちの良いものであった。
 早田選手は、東海北陸自動車道の各務原IC〜美濃IC間開通記念マラソン大会の時、世間にデビューした。その大会で注目されていたのは、高校生の実井謙二郎で、この大会も彼のための大会だと言われていた。しかし、そのゴールテープを真っ先に切ったのは、全く無名の高校生、早田俊幸だった。
 選手と企業や陸連の関係については、色々な意見があるだろうが、今の日本は、選手が自分の実力を試すための充分な条件がそろっていないことは確かである。
 福岡では、まずまずの結果を出した早田選手だが、さらに重要なのは次回の走りである。ひとりで歩み始めた、早田選手の次に期待したい。
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