はんがーのっく日誌 |
1998年・春(1998/03-1998/05) |
04/17(fri) | さくら道の話し |
---|---|
日本海と太平洋を桜のトンネルでつなぐという夢を実現しようとして努力したが、志し半ばで倒れた、佐藤良二さんというバスの車掌さんがいた。この車掌さんにちなんで、”さくら道ウルトラマラソン”というイベントが行われる。 この大会は、名古屋から金沢の 270kmを走るという、一般的には想像もつかない内容であるが、マラソンランナーの端くれである、私も大きな声では言えないが、いつかは出場したいという夢は持っている。 ところが、昨年からこのウルトラマラソンの自転車版が開催されるになった。ランニングは無理でも、サイクリングなら何とかなるだろうと、今年は思い切って申し込んでみた。 そして、郡上にいながら、佐藤さんのことはあまり知らなかったので、佐藤さんの住んで見えた白鳥町の記念碑を訪ねた。大体の場所は、白鳥町のホームページで調べたのだが、そのあたりをつけたところに、記念碑らしき物は見あたらず、近所のおばさんに聞いてみた。 ”あぁ、佐藤さんの石碑?あんまり知らんけど、そら(あっち)の方の、脇道を登って行きなれ。確かそんなようなものがあったに。”という返事であった。 全国でも有名な佐藤さんのことを知らないのでは、と、少しうろたえたが、よく考えてみれば、佐藤さんは普通の人なのである。佐藤さんは知っていても、その偉業や石碑までは知らなくても不思議なことはない。 公共事業で行っても大変な事業を、その普通の人が、誰に知られるわけもなく夢の実現に向けて努力する。考えてみれば、これほどすばらしいことはないだろう。 |
12/23(tue) | 早田俊幸と福岡国際マラソン |
---|---|
マラソン・駅伝のシーズンまっただ中である。日本人の駅伝好きは、近年ますます高まっているようで、毎週のように、テレビで駅伝大会の中継がある。 もちろんマラソンも人気が高く、一般的には駅伝より注目度は上である。 しかし、実業団では違うようで、マラソンより駅伝の方が優先されるらしい。 早田選手の突然の鐘紡退職アコム入社は、そう言った企業の事情と彼のマラソンに打ち込みたい気持ちとの葛藤の産物らしい。マラソンを目標とする早田と駅伝をメインに考える実業団の話し合いはついに接点を見ることなく、現在も早田は実業団登録ができない状態である。しかし、先日の福岡国際マラソンの結果は、彼の近年の不調を吹き飛ばす、気持ちの良いものであった。 早田選手は、東海北陸自動車道の各務原IC〜美濃IC間開通記念マラソン大会の時、世間にデビューした。その大会で注目されていたのは、高校生の実井謙二郎で、この大会も彼のための大会だと言われていた。しかし、そのゴールテープを真っ先に切ったのは、全く無名の高校生、早田俊幸だった。 選手と企業や陸連の関係については、色々な意見があるだろうが、今の日本は、選手が自分の実力を試すための充分な条件がそろっていないことは確かである。 福岡では、まずまずの結果を出した早田選手だが、さらに重要なのは次回の走りである。ひとりで歩み始めた、早田選手の次に期待したい。 |
ハンガーノック日誌 |