はんがーのっく日誌

はんがーのっく日誌・タイトル

1998年・春(1998/03-1998/05)
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2000冬
1999秋
1999夏
1999春
1999冬
1998秋
1998夏
アウトドアスポーツの危険   ハードディスクのクラッシュ
さくら道の話し   学校体育とスポ根マンガ
自転車の鍵と盗難   花粉症とドーピング   スポーツで体力に不安
1998冬

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《5月号》

05/25(mon) アウトドアスポーツの危険

 前日とても悲しい出来事があった。私の中学2年生になる子の同級生のお父さんが、釣りに行っていて不幸にも事故で亡くなったのである。親戚の家でバーベキューをやることになり、釣りの腕に覚えのあるこのお父さんは、山奥深くへ朝早くから一人で出かけ、釣り場を求めてガケを下りているとき、足を踏み外して不幸に遭ったらしい。
 その家族とは、親同士が同級生でもあり町内も同じなので、早速お悔やみに行った。突然の出来事にその家族はもちろんのことであるが、こちらもかける言葉を失いただうろたえるだけであった。
 その中でも辛かったのは、お父さんを失った子ども達と会ったときだった。そばで、言葉にならない声で泣く姿を見ていると、本当に胸が張り裂けそうなほど辛かった。特に長女から”...でも、お父さんは釣りが大好きで...その釣りをしているときに死んだのだから...”と、泣き声の間から絞り出した言葉に、思わず体が凍りついてしまった。

 お父さんは好きなことで命を落としたのだから、諦めようもあるが、子どもにこんな思いをさせたり、こんなけなげな言葉を言わせてはいけない!
 全国のお父さん。山道など人の少ないところはできるだけ一人では走らないようにして、必ず行き先と帰りの予定時刻を告げてから出かけましょう。また自転車は必ずヘルメットをかぶり交通事故には充分注意しましょう。
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05/14(thu) ハードディスクのクラッシュ

 先日、自宅のパソコンのハードディスクがクラッシュした。見る見るうちに状態は悪くなり、ついには DOS でも全く読めなくなった。どうもハード的な問題らしく、内蔵ハードディスクを切り離して、増設HDをスレーブからマスターに切り替えて、ハード的には問題は解決したのだが、ソフト的な復旧が大変だった。特に、メールソフトの設定やブラウザーのブックマークの復旧、パソ通の IDやパスワードを探すのが大変で、未だ元通りになっていない。せっかくこのページへいただいた、励ましや批判のメールやアドレスもすっかり消えてしまった。(励ましのメール下さい...(^^;)
#しかし現在もハードディスクを CD-ROMと誤認識しているらしくまだ動作がおかしい。
 ともかくすべてを一からはじめるのは、かなり面倒である。

 ”アスリート”の名にふさわしく、ちゃんとトレーニングしようと考えてはいるのだが、すぐ怠けしまう。一度怠けると、今までの苦労が水の泡となって消えたような気がして、ますますやる気が失せていく。しかし考えてみれば、いくらサボったところで、パソコンのクラッシュのように一瞬でゼロになることはない。
 ”おやじ”の名にふさわしく、細くしぶとく続けていこう。
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《4月号》

04/17(fri) さくら道の話し

 日本海と太平洋を桜のトンネルでつなぐという夢を実現しようとして努力したが、志し半ばで倒れた、佐藤良二さんというバスの車掌さんがいた。この車掌さんにちなんで、”さくら道ウルトラマラソン”というイベントが行われる。
 この大会は、名古屋から金沢の 270kmを走るという、一般的には想像もつかない内容であるが、マラソンランナーの端くれである、私も大きな声では言えないが、いつかは出場したいという夢は持っている。
 ところが、昨年からこのウルトラマラソンの自転車版が開催されるになった。ランニングは無理でも、サイクリングなら何とかなるだろうと、今年は思い切って申し込んでみた。

 そして、郡上にいながら、佐藤さんのことはあまり知らなかったので、佐藤さんの住んで見えた白鳥町の記念碑を訪ねた。大体の場所は、白鳥町のホームページで調べたのだが、そのあたりをつけたところに、記念碑らしき物は見あたらず、近所のおばさんに聞いてみた。
”あぁ、佐藤さんの石碑?あんまり知らんけど、そら(あっち)の方の、脇道を登って行きなれ。確かそんなようなものがあったに。”という返事であった。
全国でも有名な佐藤さんのことを知らないのでは、と、少しうろたえたが、よく考えてみれば、佐藤さんは普通の人なのである。佐藤さんは知っていても、その偉業や石碑までは知らなくても不思議なことはない。
 公共事業で行っても大変な事業を、その普通の人が、誰に知られるわけもなく夢の実現に向けて努力する。考えてみれば、これほどすばらしいことはないだろう。
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04/03(fri) 学校体育とスポ根マンガ

 いまの子どもは別にしても、私たちの年代が子どものとき、いわゆる”スポーツ”に始めて接したのは、ほとんど例外なく学校体育だろう。その後もほとんどの人が、学校の中での授業やクラブ活動が=(イコール)スポーツとなる。この”学校の授業(部活動) = スポーツ”というところが問題で、本来は”学校の授業、部活動”と言うものは、”スポーツ”の一つの形式にすぎないはずである。

 私は勉強が嫌いだったので、給食と体育の授業を楽しみにしていた、当時の典型的な男の子だった。しかしそれも机で授業を受けないのが魅力だったに過ぎず、体育の”授業”が特に好きだったというわけではなかった。
 確かに、試合(ゲーム)になると楽しかったが、それまでのルールを覚えたり基本的な動きの練習は大嫌いだった。さらに、罰として課されるランニングや、腕立て伏せ、モモ上げ運動は、”スポーツは辛くて楽しくない。”という感覚を私に身につけさせた。
 またそのころテレビでは、”巨人の星”、”柔道一直線”、”アタックNo.1”など、スポ根マンガが、次から次へと放送された。ここでは、プロや一流を目指す一部のエリートのスポーツ(の取り組み)をメインにしていたが、繰り返される涙と汗のシーンに、またもや”スポーツは辛い”というイメージは深く刻み込まれていくことになる。

 本来スポーツとは、楽しいものであり、マイペースで取り組めば全然辛くないものだが、私たちはむしろ特殊な形であるものを、スポーツであると思い込んでしまった。だから、”マラソンしています。”とか、”○○峠を自転車で上りました”と言うと、”好んで辛い目をみたがる変わり者”というレッテルが貼られる。

 学校体育とスポ根マンガ...この2つがスポーツに対して与えた罪は重い。
#注:私はスポ根マンガは大好きです。
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《3月号》

03/23(mon) 自転車の鍵と盗難

 先日、某ホームページの伝言板に、自転車が盗難にあったメッセージが載っていた。ゲートで封鎖された林道で、MTBをおいて沢に下りていった間に2台のMTBの姿は消えていた。幸いこの自転車は無事持ち主の元へと戻ってきたが、封鎖された場所で、限られた人間しか入ってこないと考え、鍵をかけていない状態での出来事であった。最近は、警察へ行っても、”鍵をかけていないあなたが悪い”と言われることが当たり前で、相手を盗む気をおこさせてしまった方に責任があるという考え方が世間の流れである。

 しかし、どう考えても盗まれた方が悪いというのは、納得できない。今、世間を騒がしている少年のナイフ事件も、規則で縛ってさらに持ち物検査を行うことで解決しようとしている。だが、規則で縛って規制することは簡単だが、それでは自分で考える力は育たない。
 人を傷つけたり人のものを盗ってはいけないと言うことは、誰でもわかることだが、自分で考えて理解していなくては意味がないと思う。単に規則で縛ることは、始めから答えが書いてあるテストをするのと同じことである。たとえ分かりきった答えのテストでも自分で考えて自分で書かなくては、考える(判断する)力は育たないと思う。
 自転車泥棒さん、鍵の付いてない自転車はあなたの”良心のテスト”なのですよ。
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03/13(fri) 花粉症とドーピング

 私の住む山間地では冬の間は、雪と寒さのためどうしても外で走る機会が少なくなる。しかし最近は温暖化のためか3月になるとホントに暖かくなる。しかし暖かくなっても、私には外に出たくない理由がまだ存在する。それは”花粉”である。この時期ばかりは、抜けるような青空が恨めしいほどである。

 この花粉症というのは、本来、寄生虫などに反応していた抗体が、暇になって花粉に反応するようになったことが原因であるらしい。そこで、寄生虫を飲むとその抗体が花粉に反応する暇がなくなり、ウソのように治るのだそうだ。しかも寄生虫というものは体にも害のないものが多く、出したいときには薬ですぐに出せるのだそうである。予防薬としては理想的であるのに、花粉症に悩んでいる人にその話しをしても、残念ながら誰も試そうとはしない。

 一年で一番気持ちよいこの季節に、思いっきり外を走り回ることができるのなら飲んでみようか?しかし、あのミョーな姿をした生物が体の中をはいずり回るのは、どうにもいただけない。なにかドーピングに手を染めるオリンピック選手の気持ちを垣間見るようである。

# 花粉症とドーピングは少々無理なこじつけだが、ホントに花粉症って憂鬱です。頭の中まで(花粉がかかったように)ボーとしていて考えがまとまりません。
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03/03(tue) スポーツで体力に不安

 総理府の調査によると、1年間のうち運動やスポーツをした人は 71.7%、また週3日以上の人も、25.5%と調査開始以来最高の数字となっているらしい。しかし、逆に”体力に自信がある”と感じている人は 13.8%で過去最低、”不安がある”人が 21.4%で過去最高と対照的な結果となっている。
 この一見逆に思える結果を新聞では(体力に自信がもてないので)健康への関心や懸念の高まりが、運動する機会の増加にもつながった”と分析している。

 はたしてそうなのであろうか?前回まで、”体力に自信がない”と答えた人が、今回の”スポーツをした”へ流れているのならそうなのだろうが、そこまでの分析はなされていないようだ。しかし、よくわけの分からない健康食品や、根拠不明のダイエット法が次から次へと流行る日本で、体力に自信のない人がそう簡単にスポーツを始めたとは思えない。

 私なりに考えると、一つ目は、スポーツをしていなくても体力に自信のある人が減ったことだと思う。昔は、スポーツしていなくても日常の生活の中で、体力を保つことは容易であったのが、現在では特別に体力づくりをしなくてはそれを保持できない状態にある。2つ目は、その結果、スポーツしてして体力に自信のある人と、スポーツしていなくて体力に自信のない人が、はっきりと2分化されてきたことだと思う。そしてこの傾向は、これからますます強くなってくるだろう。
 未来では民族の垣根は取り払われるだろうが、そうするとスポーツマンと非スポーツマンの2種族に分類されるようになるかも?
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01/06(tue) 走る楽しみと記録

 インターネットのホームページや掲示板でも、また、パソコン通信やメーリングリストでも、1月になると新年のあいさつとともに、今年の抱負が書き込まれる。
 一流のアスリートなら、タイムや順位が目標となるのであろうが、おやじを筆頭とする一般のアスリートの多くのメッセージには、大会名が並ぶことが多い。”来年はフルマラソンで 3:30 を切るぞ!”とか”乗鞍で Bクラス10位以内に入るぞ!”といった、メッセージはどちらかと言えば、ランニングや自転車を始めてあまり間がないアスリートに多く、ベテランになるほどタイムに対する執着心は薄くなるようである。これを、ベテランと言われるアスリートは年齢も高くなり、タイムの向上を望めないからだど、結びつけてしまうにはちょっと単純な気がする。

 スポーツの楽しみのひとつには、記録や順位の向上があることは確かで、大会で自己記録を更新すると、疲れなど吹っ飛んで、”よし次の大会も”と意欲がわいてくるものである。また、チームやクラブの人と勝った負けたと順位を競うもの、楽しいもので、ライバルがいるからこそ 42.195km も走ったり、標高差で1000m以上もの坂を自転車で上ったりできるのだと思う。
 しかし、結果というものは努力なくしては、多くを望めないもので、さらに多くの犠牲を払ったからと言って、必ずしも報われるものではない。したがって、単に結果を求めているだけでは、どうしても無理が生じてくることとなる。

 それでは、ベテランアスリートはどうして走っているのだろうか、私なりに考えると、走ること自体を楽しんでいるのだと思う。”どうしてパソコンを使っているのですか?”と言う質問に、”パソコンが好きだから”は、ぼんやりとした的を得てない回答となるが、”どうして走るのですか?”と言う質問に対して、”走るのが好きだから”と言う回答は、実にすばらしい答えだと思う。
 その手の本によくある、”スポーツはは自分への挑戦”とか、”ランニングによる自己の再発見”とかいうものは、あくまで付加価値で、最初からそんなことを考えて走っているアスリートはいないだろう。走るという動作は実に単純なものである、その単純なことをするのに複雑な動機は必要ない。
 スポーツの楽しみは、タイムや順位と言った”目標”ではなく、参加することや楽しむこと、といった、”目的”だと言うことを、一番よく知っているのがベテランアスリートなのである。
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《12月号》

12/23(tue) 早田俊幸と福岡国際マラソン

 マラソン・駅伝のシーズンまっただ中である。日本人の駅伝好きは、近年ますます高まっているようで、毎週のように、テレビで駅伝大会の中継がある。
 もちろんマラソンも人気が高く、一般的には駅伝より注目度は上である。 しかし、実業団では違うようで、マラソンより駅伝の方が優先されるらしい。
 早田選手の突然の鐘紡退職アコム入社は、そう言った企業の事情と彼のマラソンに打ち込みたい気持ちとの葛藤の産物らしい。マラソンを目標とする早田と駅伝をメインに考える実業団の話し合いはついに接点を見ることなく、現在も早田は実業団登録ができない状態である。しかし、先日の福岡国際マラソンの結果は、彼の近年の不調を吹き飛ばす、気持ちの良いものであった。
 早田選手は、東海北陸自動車道の各務原IC〜美濃IC間開通記念マラソン大会の時、世間にデビューした。その大会で注目されていたのは、高校生の実井謙二郎で、この大会も彼のための大会だと言われていた。しかし、そのゴールテープを真っ先に切ったのは、全く無名の高校生、早田俊幸だった。
 選手と企業や陸連の関係については、色々な意見があるだろうが、今の日本は、選手が自分の実力を試すための充分な条件がそろっていないことは確かである。
 福岡では、まずまずの結果を出した早田選手だが、さらに重要なのは次回の走りである。ひとりで歩み始めた、早田選手の次に期待したい。
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