はんがーのっく日誌

はんがーのっく日誌・タイトル

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2000冬
1999秋
セビリアへの期待   往年の女体育教師
スポーツを遊ぶ   10年に一度の名選手   スポーツの季節感
科学的トレーニングと薬物その2   科学的トレーニングと薬物   スポーツの価格
1999春
1999冬
1998秋
1998夏
1998春
1998冬

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《8月号》


08/14(sat) セビリアへの期待

 21日からセビリアで陸上の世界選手権が始まる。国際大会ではいつも過剰な期待をかけられる日本人選手だが、今回も早くからマスコミが騒ぎ立てている。しかし、はっきりとメダルが期待できるのは女子マラソンの高橋くらいなものである。
 しかしそんな中で、私は活躍を期待している選手がいる。ハンマー投げの室伏広治選手である。
 彼は言わずとしれた、アジアの鉄人・室伏重信の子どもであるが、父が成し得なかった世界レベルの大会での入賞を果たすかどうかに期待がかかっている。彼の持つ日本記録(78m57cm)は世界ランクでは20位程度で、常識的に考えれば決勝に進むことすら困難である。
 彼の体は鍛え込まれていて、187cm/91kgでありながら脂肪はきわめて少なく、プールの底をまるで大サンショウウオのように歩き回ることができる。
 しかし貧弱なおやじからは羨望の的であるその体も、100kgをゆうに越す巨漢揃いの、世界のハンマー投げ界では、もっとも小さい部類に入る。

 一見ただの力比べにみえるハンマー投げは、実は高度な技術が要求される、メンタルでスリリングなゲームだ。第一、体力必要とする種目で身体の大きい人が勝っても、面白くないし、体格的に多くを望めない我々おやじの夢を砕くことになる。
 日本人のもっとも苦手とする投てき種目でなんとか入賞し、スポーツは体力がすべてないことを日本のスポーツおやじに示して欲しい。

父からすばらしい力を受け継いだ室伏だが、幸い頭のてっぺんは遺伝しなかったのだろうか...(^^;)   


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08/04(wed) 往年の女体育教師

 少し前の朝のことである。早朝ランニングをしているとき、老人用の乳母車を押した老女に出会った。すれ違いざまに”おはようございます。”とあいさつをして、もう一度その老女の顔を見直した。
 彼女は、確かに一見みま違うほど老けていたが、高校時代のH先生であった。
 H先生は、円盤投げでオリンピックの候補にまでなった(惜しくも世界は第2次世界大戦へと突入していったため候補に終わってしまった。)ほどで、また非常に厳格な先生でその名前は校下の中学校にまで鳴り響いていた。
 その厳しい指導のため、卒業式には逆恨みした生徒達が、校庭の池にH先生を放り込むという愚行に走ったため、私たちが高校に入学したときには、その池には網が張りめぐらされていた。
 女子生徒の体育を中心に教えてみえたので、直接授業を受けたことはなかったが、すれ違っただけで背筋に物差しをつっこまれたような気分になる先生であった。

 ただ一度だけ陸上競技の指導を受けたことがあったが、高校生の私からみると単なる古い指導法にしか思えなかった。しかし私たちは、その指導方法に素直に従った。彼女の指導には、その道一筋でやってきた者だけしかもちえない説得力があったのである。

 その、先生が乳母車を押して歩く姿を見たのは、ショックであった。なにか、この先自分が走っていく道が、どんどん先細りしていくような気がしてきた。

 しかし、先日偶然に、そのH先生から職場に電話があった。
”あ〜、私は○○のHだが、○○が○○になって困っている、早急に対処して欲しい。”
 当時と全く変わりない元気な声を聞いて、また私の背中に物差しが差し込まれた...

   


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《7月号》

07/28(wed) スポーツを遊ぶ

 なぜだかわからないが、ある日、突然キャッチボールがしたくなった。

 はっきり言って、私は野球が嫌いである。ランニングと自転車が好きなことから、きっと球技は苦手なのだと思われるだろうが、実は球技は大好きだ。バスケットボール・サッカーからテニス・卓球まで、ボールを扱うスポーツは、見るのもプレーするのも好きだ。
 しかし、なぜか野球は嫌いだ。やるもの嫌いだが、見るのもあまり好きではない。一つひとつのプレーに連続性がないのと、攻撃と守備がはっきり分かれているのが、個人的にはどうも好きでない。

 しかし、子どもの頃はよく野球をして遊んだ。クラス対抗や町内対抗からひいきの球団対抗。人数が集まると野球であそんだ。人数が足りなくても、三角ベースやキャッチャーなし(打たなければバッターが球拾いをする...(^^;)で遊んだ。

 でも、結局、野球は好きになれなかった。今考えてみると、当時の野球は、あくまで”遊び”で、スポーツとしての野球とは全く異質のものだったと思う。
 前述の三角ベースもその一つだが、ルールにはかなりローカル色が色濃くでていた。
 狭い広場?で遊ぶときには、打球が川の中へ落ちたらバッターがアウトにんなるとか、(場外へ打たないために)フライは打ってはいけないとか... 他にも高学年の子は左打席で打たなければならないとか、小さい子はフライで走ってもアウトにならないとか、フォアボール無しだとか、盗塁なしだとか...
 その時々で、ルールは変わっていったが、全然混乱もなかったし、第一その方がずーっと楽しかった。
 もちろんサッカーやバレーボールもやったが、ルールも知らない指導者もいない状態で、自分たち流にアレンジしたゲームは、最高の”遊び”だった。

 最近の子ども達は、指導者のもとでちゃんとしたスポーツをする機会は増えた。しかし、”遊び”としてのスポーツを生き生きと楽しんでいる姿を、空き地で見かけることはなくなったのを寂しいと感じるのは私だけだろうか...

   


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07/15(thu) 10年に一度の名選手

 スポーツの世界では、”10年に一度の名選手”とか、”100年に一度の天才”と言う言葉がよく使われる。確かに超人的なプロ選手のなかでも何年かに一人は、さらに頭一つ抜け出たような圧倒的な強さを誇る選手がでてくる。
 最近は、”10年に一度の名選手”の現れるサイクルが、なぜか少し短くなったきもするが、ここは言葉どおり 10年とすると100年の歴史のあるスポーツでは、10人の超プロ的選手が存在することになる。しかも、その選手たちは(その間は一人なので)当然全盛期では対戦していない。
 そこで当然、
”もし対戦したらどっちが強い!”

ということが気になってくる。

 結論からいえば、単純にいけば最近の選手が強いということになるだろう。
これは、タイムや距離など絶対的な数値で比較できる競技を見ればあきらかで、以前は限界と思われた記録でさえも、近年はどんどん更新されていく。
 これはひとえに、ドーピングのおかげ・・・ではなく(冗談にしても趣味が悪いですね...m(_._)m )、科学的なトレーニングや高性能な機材の賜物である。

 では昔の選手が今と同じトレーニングを積んだらどうなるのか?
これは、もう考えるだけで楽しい。

 もし、ザトペックとアベベと谷口が福岡マラソンを走ったら、コッピとメルクスとインデュラインがツールを走ったら、スザンヌ・ランランとクリス・エバートロイドとマルチナ・ヒンンギスがウィンブルドンで戦ったら...

#もし、そんなことが実現するなら...誰が勝っても、文句ないですね...(^^;)
   


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07/08(thu) スポーツの季節感

 日本俳句協会が現代俳句歳時記の見直しを行った。今までは旧陰暦が元になっていたため、現代の季節感とズレがあったのだが、たとえば七夕が秋の季語だったのが、今回夏の季語となり、イメージと一致してきた。

 スポーツにも季節感がある。スキーや水泳は言うに及ばないが、他のスポーツにも独特の季節感がある。

 春といえば、野球である。大部分のスポーツがOFFとなる、冬季をすぎてまず一番に TVで放送される、ビッグスポーツイベントが春の甲子園である。
 夏の甲子園もあるじゃないかという声が聞こえてきそうだが、子供の頃、4月になるとクラス替えや進級があって、遊ぶメンバーが変わる。すると、新しいメンバーで初めに計画するのが、草野球の対抗試合だった。その結果によって、広場の利用率が変わったりもした。
 若かりし頃のおやじにとって、春の野球は一大イベントであった。

 夏は、ちょっと当たり前すぎるが、自転車である。坂が好きなおやじは、ヒルクライムのイメージに反してがんばるのは嫌いだ。
 某バイリンガルレーサーが、追い込まないクライマーなんて、考えられない。といっていた。確かにそれも、一理ある。しかし、夏は特にがんばらなくても、汗が滝のように吹き出てがんばっているように見える。だから、夏は自転車だ。
 それに、真っ青な青空の色に、サイクルウエアはぴったりだ。

 秋は、テニスだ。さわやかな秋の風には、純白のテニスウエアがふさわしい。一時のブームはすっかり去って、今頃テニスだなんて恥ずかしくて大きな声で言えないけど、やはりテニスの優雅さは無視できない。
 それに日差しが柔らかく涼しくなってくると、テニスおばさんの圧化粧も少しは薄くなってくる。
#うぅ、よけいなこと思い出した。

 冬といえば、駅伝である。これはもちろん自分でやるのではなく観戦の方であるが、冬になると毎週末テレビ放送されるので、TV&VTRを独占するおやじは家族から白い目で見られる。
 個人を殺してチームのためにひたすら走る姿が日本人は大好きである。国際駅伝はスポーツ的には、面白いのかもしれないが、チームよりも個人がめだってしまう外国人の駅伝は日本人的には全然面白くない。
 そういえば、冬には日本人の大好きな、”忠臣蔵”もテレビで放送される。

 季節ごとに楽しむスポーツを変えるのも大変だが、季節感が薄れている今、少しでも季節を感じながらスポーツを楽しみたいものだ。
   


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《6月号》

06/27(sun) 科学的トレーニングと薬物その2

 前回の、続きですが...
(ある年のマウンテンサイクル乗鞍の大会前日のこと)
 走る白衣の山賊? 某 Uさんが怪しげな錠剤をちらつかせ、
”やまだくん、これ飲むと、乗鞍 70分で上れるよ!”
 と、耳元でささやいた。おやじは、のどをゴクリと鳴らせて、一瞬にしてあたりを見渡し人気がないのを確認すると、それをそっとポケットに忍ばせた...


 プロを引退した選手は、そのまま趣味としてその競技を続ける人は少ない。ほとんどの人が、もうあの辛いトレーニングをしなくてもよいと、ウエアを着替えることさえないそうである。それほどまでに、質の高いトレーニングをプロはこなしている。
 プロになる人は当然、素質の面でも普通の強い人・上手い人からさらに頭一つ飛び出している。その希な素質を、さらに高度なトレーニングが磨きをかけ、一握りのプロ集団ができあがる。
 しかし、どんなに素質があっても、どんなに効果的で辛いトレーニングを行っても、記録は必ずしも伸びるものではない。必ず勝てるものでもない。スランプというものもあるし、相手がそれ以上の素質を持っている場合やそれ以上のトレーニングをしている場合もある。

 トレーニングをしっかりやっていればいるほど、その場合の焦りは大きくなる。
 死にそうなほどのどが渇いてる前に、ジュースを差し出されれば、そのジュースがどんなに毒々しい色をしていても、甘ったるこい飲み物を飲めば、益々喉が乾くと知っていても、飲んでしまうのが人間である。
 これを飲んだら、強くなれる(トレーニングの効果が発揮される?)といわれれば、多少のリスクがあっても、それに手を染めるのは、心情的には理解できる。(どのくらいが多少かが問題であるが...)

 スポーツのトップ選手が、健全な精神は健全な肉体に宿るスポ根マンガのように、正直でまじめで不正を許さない正義の味方だとは、もう誰も信じていないが、その肉体さえ信じられないような、極めて情けない状態ではあるが...
 100年の歴史を持つ、素晴らしいスポーツイベントは、こんなことで白けてしまうほど柔ではない。スーパーサイクリスト達の巻き返しを期待したい。

   


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06/16(wed) 科学的トレーニングと薬物

 世界最高のスポーツイベントのひとつ、ジロ・デ・イタリアで総合優勝を目前にしたマルコ・パンターニが、ドーピング検査でヘマトクリット値(赤血球の値)が基準を上回り、失格となった。
 昨年のツール・ド・フランスでのドーピングのスキャンダルに続いて、プロロード界に大きな衝撃が走ることとなった。ツールでは、前半戦で大量の失格者がでたということで、ショックであったが、今回は、総合優勝をほぼ手中に収めた選手を、レースからの除外するという裁定であり、より大きな衝撃となった。

 今回、問題となったヘマトクリット値とは、血液中の赤血球の割合で、赤血球が多いほど自転車やマラソンなど持久力を競うスポーツでは有利だとされている。
 ヘマトクリット値を上げるためには、高地トレーニングでも可能であるが、手っ取り早いのは、自己血液輸血または、EPO等の薬剤を使用することである。だがこれらの方法は、使用されたかどうかを体内への残留薬物という形で測定するのが困難であるため、血液中のヘマトクリット値を測定して、判定することとなる。つまり、状況証拠に頼っているわけである。

 このヘマトクリット値は住んでいる環境により差があり、脱水症状などによっても上昇する。またその測定結果にある程度の誤差があるのが常識らしい。
 今回パンターニの血液が示した 52%という値は、UCIの規定値(50%)を越えているので、失格となったわけであるが、この 50%という数字は正常な人間もなりうる範囲であり、これが妥当であるかどうかについても、大きな疑問符がつく。

 ドーピング検査は当然その薬物の量や効果には関係なく、使用すること自体が NG であるはずだ。基本的に体内に少しでも使用痕が見つけられれば、失格の対象となるはずである。(カフェインなどふつうの生活でも摂取する可能性があるものはのぞいて...)
 しかし、EPOについてはヘマトリット値を 50%以内に押さえることができれば事実上容認されていることになる。さらに競泳の規定は 53%ということなので、52%であっても何のおとがめもない。
 体に悪影響を薬物の使用は論外としても、現在のプロスポーツでは、科学的なトレーニングを無視して勝利することはあり得ない。私たちホビーレベルでさえも、ハートレートモニターの使用や、カーボローディングやマフェトン理論に基づいてトレーニングすることが当たり前になっている。
 アマチュアレベルの大学や高校でも、乳酸値の測定や高地トレーニングなど、一昔前のTOPプロの特別だったトレーニングメニューが取り入れられている。

 スポーツをやるからには強くなりたい、強くなるには効果的にトレーニングしたい。効果的にトレーニングするのみには、科学的に分析・実行しなくてはならない。

 しかし、薬物にまで手を染める、今のスポーツ科学は、もはや完全に方向性を見失っているとしか思えない。

#今回の記事の、基礎知識のほとんどを浦田さんのアスリートおやじ伝言板への書き込みから引用しました。


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06/05(sat) スポーツの価格

 シドニーオリンピックの開会式のチケット代が、アナウンスされた。その金額はなんと!11万円!!!
 しかもその、その高額チケットが一般分の大部分を占めるという馬鹿なことになるらしい。
 シドニーオリンピックの開催が決定したときには、家族で観戦できたらなどという、夢をえがいていたのだが、どうやらそんな夢を見させてくれるスキさえ与えてくれない様子である。

 年々膨らむ開催費用に対して、資金繰りが難航し、そのしわ寄せが入場料アップという最悪の形で現れたいうことである。
 
 スポーツがお金に結びつくことは否定しない。すばらしいプレーに代償として入場料を払うことも、ごく当たり前のことだと思っている。 しかし、経費から逆算された入場11万円には納得できない。

 名門オペラハウスのひっこし公演には、5万円以上もの値がつくらしいが、芸能の分野は、昔から、”家元”とか”大衆演芸”という言葉が示すように、ある種のランク付けがなされてきた。(これは、芸のレベルによるランクでなく、あくまで対象や形態(会場や演出等)によるランクだと私は考えている。)
 しかし、スポーツは逆にレベルの違いこそあれ、対象や形態では、差がないはずだと思っているが近頃はそうではないらしい。

 スポーツは、みんなで楽しんでナンボのものである。


#”芸能もスポーツと同じで、元来大衆のもので、今の料金体系がおかしい。”という考え方ももちろんありだが、アーティストおやじのページではないので、ここでは深く掘り下げない...(^^;)


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