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近況メモ(令和2[2020]年)

 

 

令和2(2020)年8月4日(火)猛暑

 サイトを再開しました。安倍政権のウィルス対応についてを掲載しました。

 

令和2(2020)年8月14日(金)酷暑

 お盆の季節ですが、愛知県豊田市周辺は酷暑が続いています。今年も、今月初めに池からヤゴは這い上がって家の壁の下部で孵化しました(写真左)。 また、金木犀の木には例年通り、セミの抜け殻もいくつか見られました(写真右)。生き物たちの営みはいつもと変わらず行われています。

     

 

令和2(2020)年8月23日(日)晴れ時々曇り

 この夏はプールに通っています。実家にいるときは、近くのスイミング・スクールの開放日に、西国分寺の家にいるときは、国分寺市営プールに行っています。今年は入場制限があるなど、やや窮屈ですが、それでも真夏にプールで泳ぐのは楽しいものです。どちらのプールの帰り道にもセミが大合唱していますが、実家の豊田市ではクマゼミが圧倒的に多く、西国分寺では、アブラゼミとミンミンゼミの混声合唱です。時折ツクツクボウシの声も聞こえます。プールからの帰り道に、エックス山というちょっとした広葉樹林があり(写真)、日曜日ともなれば親子連れの虫取りたちが網と籠を手に散策しています。

 さて、8月22日の日経新聞の書評欄に「死の快走船」大坂圭吉という推理小説が紹介されていました。大阪圭吉は、小生の高校時代に、国語のS先生が研究しておられた推理小説作家です。懐かしい名前を見つけました!今になって(今でも?)創元推理小説文庫の一冊として出版されているのですね! S先生が知ったら喜ぶかもしれません。フェイスブックに投稿したところ、高校時代の同級生のМTさんがS先生に知らせに行きます、との書き込みをしてくれました。楽しみです。

 

令和2(2020)年8月25日(火)晴れ

 残暑は厳しいですが、空の色が少し深くなってきたような気がします。もう旧暦では七月の秋に入っています。今年は、妻の亡父が残してくれた朝顔の種を妻が熱心に育てたので、よく咲いてくれました(写真)。朝、朝顔が満開の花の群れを見せてくれると、今日も一日がんばろうという気になります。

 さて、この八幡さんのコメントを強く支持します。朝日新聞はじめ大手マスメディアは、反安倍で凝り固まって物事を公平に見られなくなっていますので、彼らの安倍政権への評価などは全く参考になりませんが、ネット上の「識者」の中には、公平に偏見なく安倍政権の評価をしている人もいます。この八幡氏の評価も公平だと思います。ポスト安倍の条件についてのコメントも適切だと感じます。次期首相の条件は、一にも二にも外交・防衛をきちんとこなせること。石破氏のような外交センス・経験がなく、それを磨こうともしていない人は日本国首相には不適格だと思います。次期首相は、日本の二十一世紀の運命を左右する重要な人物です。自民党員でなくとも、関心を寄せたいところです。

 

令和2(2020)年8月26日(水)残暑厳しい

 武漢発コロナウィルスで恐怖を煽るマスメディアと馬鹿知事どもの呪縛から解き放たれる時がようやく近づいたようです。公明党の山口代表の「Go To キャンペーンに東京を加えるべし」との意見表明とともに、この指定感染症2類の見直しは、正常化への大きな前進です。 今は第2波などとたわけたことをぬかしてきたマスメディアや自称「専門家」の連中は自身の言論にどう責任をとるのか?

 東大の児玉龍彦名誉教授のように、ひたすらPCR検査を増やせと言い募り、7月16日の国会で「このままでは日本は来月には眼を覆うようなことになる」と発言した御仁は、当然、指の一つも詰めるか頭を丸めて出家なさるのでしょうな。よく見ておこう。この児玉という東大名誉教授は、左翼経済学者の金子勝との共著もある。医学分野にも左傾した学者はいくらでも生存しているのだ。

 

令和2(2020)年8月27日(木)湿度高い残暑

 この甘利さんの「国会リポート 第411号」は、政治家として、いい発言だと感じます。特に、最後の、中共としっかり対峙しようする姿勢がいいです。甘利さんは、月刊「WILL」10月号でも、市場として、或いは供給網として、依然中共と付き合おうとしている日本企業に、目先の利益ではなく長期的な企業の命運を考慮して行動するように、強く注意を呼び掛けています。5G絡みの大規模な現地への投資を意思決定した松下や燃料電池車の技術を供与しようとしているトヨタの最近の動きは、小生も非常に気になっています。日本を代表する企業の経営者と株主には、目先の業績ではなく、よくよく世界史的、戦略的、地政学的な思考をしてほしいものだと思います。

 

令和2(2020)年8月30日(日)厳しい残暑

 写真のように、空の色はだいぶ深くなってきましたし、夜は秋の虫の音も少しばかり聞えるようになりましたが、残暑が厳しいですね。ここ東京郊外の国分寺あたりも最高気温35度予想の熱暑です。

 さて、安倍首相が辞任表明し、様々な論評がなされています。週刊ダイヤモンド・オンラインの本日付けに掲載された白川司さんの安倍政権回顧は比較的公平に書かれていると思います。白川さんも述べていますが、特に安倍政権の外交は、歴史的快挙です。初代首相の伊藤博文以来、欧米諸国の首脳から日本の首相が「頼りにされる」のは安倍氏が初めてだろうと思います。ただし、任期の最後の方に、習近平を国賓として呼びたいなどと言い出したのはなぜなのでしょう?軽薄なそろばん勘定しかできない経産省出身秘書官の影響力なのでしょうか?

 また、財政タカ派である小生は、消費税を約束通り上げたことは高く評価する一方、武漢発ウィルス対策で国民の恐怖を煽るマスメディアと馬鹿知事どもに遠慮して経済優先にもっと早く舵を切らず、事業者や国民にカネのバラマキを繰り返したことは評価しません。その辺りは白川さんと意見を異にしています。小生の見解については、安倍政権のウィルス対応についてもご笑覧ください。

 一方、産経新聞電子版に昨日付けで掲載された細谷雄一氏とトーマス・シンキン氏のコメントは、安倍政権の外交の成果を公平に評価しています。特に、細谷先生の言われるように、歴代首相と異なり、安倍氏の優れていたところは、日本外交の明快で適切なヴィジョンを示したことです。安倍氏の唱えた「自由で開かれたインド太平洋」構想は、いまや米国、豪州、インド、東南アジア諸国など(中共と朝鮮半島以外)が共有しつつあるヴィジョンと言えます。

 以下は細谷先生のコメントからの引用です。「安倍外交が小泉外交と決定的に違うのは、外交のビジョンを示したことだ。ビジョンを示して日本が世界でイニシアチブを発揮し国際秩序を形成していく。「自由で開かれたインド太平洋」構想は、米欧や東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟国など世界の多くの国が支持している。同構想は、明治以降、日本が国際社会の舞台に立ってビジョンを提示し、それを国際社会が幅広く受け入れた最初の例だろう。」

 

令和2(2020)年9月2日(水)初秋の晴

 昨晩は夏の名残の無花果(イチジク)をデザートにおいしくいただきました。わが故郷の愛知県三河地方は無花果の産地なのです。さて、今回からドストエフスキーの主要な著作についての所感を少しずつ載せていきます(写真は「作家の日記」の文庫本の一部)。ドストエフスキーの著作は、現代の私たちに、人生とは何か、生きる意味は何か、人間を超えたものを介在させない近現代の「神なきヒューマニズム」は必然的に人間を「悪」に導くのではないか、といったテーマについて真摯な示唆を与えてくれます。今回は「ドストエフスキー読書日誌」の「序」として、私がなぜドストエフスキーに憑りつかれたかを書いたものを載せます。ご笑覧いただければ幸いです。

 さて、これは、日経新聞にしてはよくできた記事です。10年前、中国漁船が海上保安庁の巡視船にぶつかってきた事件の顛末から学ぶべし、と。中共の非道な体質は現在もっと露骨になっています。当時の日本の民主党政権の対応は話になりません。今になってもなお、立憲民主党の福山哲郎氏は「事なかれ主義ではなく、日本の司法手続きを貫徹した」と弁解。こういう稚拙な対応を反省し領土領海を守り抜くという強い意志を持とうとしないから、野党は国民から信頼されないのがまだわからないのでしょうか。

 しかしこういう事態は今日でもいつ起きてもおかしくありません。現代の日本も、レアメタルや在中日本人以外にも「人質」にとられかねない弱みをたくさん持ったままです。食料、医療品、供給網、来日観光客などなど中共依存は多岐に亘っています。逆に日本が「人質」にとれる材料は何か。こうした非常時に備えた駆け引きについて頭の体操をしておくことが肝要だと思います。あとは中共依存からの官民挙げての脱却を進めること。これは21世紀の日本の最重要課題と言えましょう。

 

令和2(2020)年9月7日(月)台風の影響で雨と風強し

 台風10号が九州西岸を通過中です。皆様のご無事を心からお祈り申し上げます。さて、西国分寺の我が家の朝顔は、まだ元気に咲き誇っています(左、中央写真)。一方、種の収穫もぼちぼち始めています(右写真)。こうして花が咲く季節が過ぎ、種を採っていると、しみじみと、聖書『ヨハネ福音書』第12章のイエスの言葉「一粒の麦もし地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、死なば多くの実を結ぶべし」を思い起こします。一世代の花は散ることによって次の世代を育んでゆきます。種採りをしていて自然の摂理を愛おしく感じました。

 さて、ドストエフスキー読書日誌、第2回目の今回は、ドストエフスキーの処女作「貧しき人々」について記しました(「ドストエフスキー読書日誌 貧しき人々」)。ご笑覧ください。ドストエフスキーを読むにあたり、非常に参考になったのが、小林秀雄、松原正、勝田吉太郎、小川榮太郎の各氏のドストエフスキー論です。今回の感想文で出てくる小川榮太郎さん、松原正さんについて、ご紹介しておきます(文中の脚注にも記してあります)。

 小川榮太郎さん(1967年〜  )は、文藝評論家、一般社団法人日本平和学研究所理事長。大阪大学文学部美学科(音楽学専攻)、埼玉大学大学院修士課程修了。専門は近代日本文學、19世紀ドイツ音楽。SNSを通じて、政治の動向や時事問題に対してぶれない正論を訴えるのみならず、実際の政治にも潔くコミットしています。現存の知識人の中では、唯一の小林秀雄、福田恆存の系譜に直接連なる存在と言えます。彼の生き方自体が現在の論壇やマスメディアや政治の世界では滅多に見られない「真っ正直」な生き方で、私も深く敬愛しています。主要著書に『フルトヴェングラーとカラヤン――クラシック音楽に未来はあるのか』啓文社書房(2019年)、『徹底検証「森友・加計事件」――朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』月刊HANADA双書(2017年)、『小林秀雄の後の二十一章』幻冬舎(2015年)など。

 松原正さん(1929年〜2016年)は、早稲田大学名誉教授、評論家、劇作家。早稲田大学卒業、出版社勤務、高校勤務を経て、早稲田大学文学部教授となる。もともとは英米演劇を專門とし、翻訳家、戲曲家、演出家として活躍。1980年代以降は評論を執筆。一貫して日本の近代化、西欧化の問題を採り上げ、現代日本人の生き方を根本から問う鋭利な考察をしてこられました。師である福田恆存の葬儀では弔辞を読んでおられます。小林秀雄の葬儀では福田恆存が弔辞を読んでおり、松原さんは、まさしく小林秀雄、福田恆存の系譜に連なる人です。既成論壇からはみ出した存在でしたが、一切の妥協なく本質的な議論だけを徹底的に行う姿勢は潔く、少数だが熱心な読者を持っています。私もその一人です。主要著書に、『人間通になる読書術――賢者の毒を飲め、愚者の蜜を吐け』徳間書店(1982年)、『戰争は無くならない』地球社(1984年)、『夏目漱石〈上卷〉』地球社(1995年)、『夏目漱石〈中卷〉』地球社(1999年)などがある。また圭書房より『松原正全集』が刊行中であり、第一巻から第三巻が既刊。

     

 

令和2(2020)年9月14日(月)初秋の晴れ

 きょうはめっきり空気に冷気を感じる一日でした。そろそろエアコンなしで過ごせそうです。実家の裏庭に植えたコスモスも順調に育っています(写真)。先日訪れた勤務先大学のキャンパスの一角では、アキアカネ(赤とんぼ)の群が乱舞する姿も見られました。さて、放送大学は、小生も修士課程でお世話になりましたが、今も、BS放送で2系統のテレビ授業番組を朝から晩まで放送しているのを、時々拝見しています。今年見た中でとても興味深かったのは、2014年から開講されている「歴史と人間」という科目です。「歴史と人間」のシラバスは放送大学のウェブに記載されています。全15回の授業の中で、「西行と定家」、「北条泰時」、「豊臣秀吉」、「モンテーニュ」、「孫文」などは、人物の知られざる一面や歴史上の役割などを講師の先生が巧みに表出していて、楽しく拝見しましたが、小生がとりわけ感動したのが杉森哲也先生の講ずる「津田梅子」の生涯でした。この授業の感想を「津田梅子が活躍した明治の偉大さ」として記しましたので、ご覧ください。

 さて、ドストエフスキー読書日誌、第3回目は「地下室の手記」について記しました(「ドストエフスキー読書日誌 地下室の手記」)。この文章の最後の【規格化された「人生のモデルケース」への疑問】が、今回、小生が主張したかったことです。なお、今回参考にしたのが松原正氏、勝田吉太郎氏のドストエフスキー論です。松原正氏については前回紹介しましたので、勝田吉太郎氏について、紹介しておきます(文中の脚注にも記してあります)。

 勝田吉太郎(昭和3(1928)年〜令和元(2019)年)は、京都大名誉教授、元奈良県立商科大学長、元鈴鹿国際大学長。京都大学博士。専門は政治思想史、特に近現代ロシアの政治思想や共産主義思想、アナーキズムの研究で知られています。1970年代以降は保守系メディアで時局についての論評も活発に行いました。主要な著書に、『近代ロシヤ政治思想史―西欧主義とスラヴ主義』創文社(一九六一年)、『現代社会と自由の運命』木鐸社(一九七八年)、『甦るドストエフスキーの世紀―現代日本への警鐘』ミネルヴァ書房(二〇一〇年)など。小生も学生時代に勝田先生の「政治思想史」の授業を受講しました。今改めてご著書を拝読すると、ドストエフスキーの現代性に早くから着目しておられたのがよくわかりました。

 

令和2(2020)年9月23日(水)曇り

 大学の後期授業も始まりました。さっそく、通勤途上の道端で立派な稲穂を垂れていた田んぼの景色と研究室の窓から写した日没の写真を載せてみました。実は、田んぼにはアキアカネ(赤とんぼ)が乱舞していたのですが、写真には写りませんでした。前期授業はずべて遠隔授業だったので、1回生にとっては初めての大学構内での授業になりました。目を輝かせて待ちに待った大学の授業を聞く有り様はとても初々しく、初めて学友同士で会話を楽しむ姿も生き生きとしており、やはり、大学生活はキャンパスに来なければ、と強く実感しました。

 さて、ドストエフスキー読書日誌、第4回目は「死の家の記録」です(ドストエフスキー読書日誌から「死の家の記録」(1/3))。ドストエフスキーのシベリアの監獄での暗澹たる生活を活写した作品で、ここには後年の傑作小説群のエッセンスが凝縮されています。感想文が長くなったので、「監獄での人間観察」「庶民体験」「信仰の蘇生」の3つの論点に分けて掲載します。今回私が最も言いたかったのは、最後に書いた【冷笑主義に凝り固まった貴族:現代の写し鏡】の部分です。

  

 

令和2(2020)年10月3日(土)快晴のち曇り

 10月に入り、季節は秋を深めつつあります。実家に植えたコスモスの黄色い花が咲き、路傍の赤い彼岸花も目を引きます(左2つの写真)。研究室から見える山科盆地の空も天高く、来年度から新設される工学部の校舎の建設も進んでいます(写真右から2つ目)。授業にはフェイスシールドで臨んでいます。マスクで教員の顔が隠れては学生たちの集中力が保てないと思われるからです。このフェイスシールドは、麻生太郎大臣が記者会見などで着けているもので、なかなかスマートだなと気に入っています(写真右)。

 さて、ドストエフスキー読書日誌、第5回目は「死の家の記録」の続きです(ドストエフスキー読書日誌から「死の家の記録」(2/3))。今回は、監獄でロシアの庶民たちと直接深い関わりを持った「庶民体験」が、ドストエフスキーの人生観、世界観に大きな影響を与えたこと、それは同時代のトルストイやツルゲーネフのような大地主で貴族階級の文学者には決してなかった経験であることを紹介しています。

   

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