とても素敵な「瀕死の白鳥」の映像があります。当時まだ30才前半という若さの大塚礼子が1984年に第1回日本バレエフェスティバルで踊ったもので、「瀕死の白鳥」は彼女にとって初体験だったそうです。
大塚礼子は、当時谷桃子バレエ団所属でしたから、この踊りは、おそらく谷桃子の振付によるものと思います。
「瀕死の白鳥」はもともとはミハエル・フォーキンがアンナ・パブロバの為に振り付けたものです。
湖面で静かに死んでいく可憐な白鳥の姿に託して、命ある者、必ず死を迎えるという運命の悲劇を描いたものです。
この作品以降、バレエは観客を楽しませるだけでなく、人に感動を与えるもの、人の心に深く深く入り込んでいく芸術だとまで言われるようになったということです。
プロポーション抜群の大塚礼子は、インタビューで「チュチュ姿がとても映える」と言われたように、クラシック・チュチュ姿がとても良く似合っていて、
自分でも「チュチュを付けるとシャキッとする」と嬉しそうに語っていました。
「瀕死の白鳥」でダンサーは観客に背を向けて登場します。この時の柔らかく波打つアームスとトゥの先で刻む細やかなブーレの美しさがバレリーナの最初の見せ所と言われています。
スラッと伸びた足、ほっそりとした美しい体型の大塚礼子は、白い髪飾りも可愛らしく、
「瀕死の白鳥」を踊るに相応しい後姿で登場しました。でも、アームスもブーレもやや堅く、くるっと回って正面を向いてからの踊りも、
何となくゆとりがないような、
ぎこちなさを感じましたし、顔の表情はこわばっているように険しかった。
当時、大塚礼子は、「白鳥の湖」で谷桃子に似た純日本的なオデットと定評がありましたが、
「瀕死の白鳥」はこれが初体験だったそうで、そのためか、このときばかりは振りをこなすのに精一杯だったのかもしれません。
踊り終わってのレベランスでは安堵の表情こそ見せましたが、笑顔はありませんでした。
日本バレエフェスティバルという大舞台での初めての「瀕死の白鳥」、相当緊張していたのでしょう。
私は、10年以上も前に、奇を衒わず気品溢れた渡邊順子の「瀕死の白鳥」に惹かれて以来、彼女の舞台をずっと見続けてきましたが、
大塚礼子の白鳥は、渡邊順子のそれに比べると、技巧的で異質に思えたところがありました。
「瀕死の白鳥」には、死に至る白鳥がもう一度飛び立ちたいと願いを込めてたアラベスクやアチチュードのバランスが組み込まれています。
このバランス、通常2〜3回なのですが、大塚礼子は、これを何と10回も繰り返したのです。
全体で3分位の小品ですから、平均18秒に1回バランスをしたことになります。
終盤近く大塚礼子の額や背中には汗が光っていて、肉体的にも精神的にも相当過酷なステージだったことが伺えます。
でも、トゥで立って他の足を垂直に挙げた姿勢を最後まで崩すことなく、全てのバランスのポーズを失敗無くやり遂げたのは流石です。
おそらく指導者の谷桃子は、大塚礼子の人並みはずれたバランス能力をアピールしようと、
こんなに多くのアラベスクやアチチュードのポーズを組み入れたのでしょう。
これに応えて、大塚礼子は、過度の緊張の中でも、わずか3分程10回ものバランスを成功させるという、並々ならぬ技術の高さを証明したわけですから、
これはこれで大成功だったと思います。
でも、私の個人的な好みからすると、「これが本来の瀕死の白鳥?」と考えてしまいました。私はコレクションしている「瀕死の白鳥」の映像をかたっぱしから再生してみました。
アラベスクのポーズは、プリセッカヤ、アナニア・シヴィリ、マカロワは3回、ロバートキナと渡邊順子は2回、酒井はな、草刈民代は1回といったところで、
大塚礼子の10回は飛び抜けています。
私は「瀕死の白鳥」の見所は、美しい波のようなアームスと細やかなブーレの動きがベースになった、静かで叙情的で、かつエレガントな表現に魅力があると思っているので、
あまり派手なアラベスクを多用するのはどうかと思います。
クラシックバレエはトゥで立って踊りますが、片足のトゥで立ったアラベスクは、やりすぎると曲芸のようになり、気品が損なわれてしまいます。
バレエは曲芸ではなく芸術ですから、「瀕死の白鳥」のアラベスクのバランスは、せいぜい2〜3回位に留めておく方がよいような気がします。
大塚礼子が10回もアラベスクを成功させた技術は凄いですが、本当に「瀕死の白鳥」でこれほどたくさんのアラベスクを組み込むことが必要だったのか・・・・と、思ってしまいました。
とはいえ、汗が滲むほど懸命に「瀕死の白鳥」を踊りぬいた大塚礼子の姿には感動です。
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