『長谷川「意見書」批判』の手紙、メール

水田洋、「大統領」、中野徹三、高橋彦博

 

()これら4通は、私(宮地)の裁判に共産党側から提出された『名古屋大学法学部憲法学教授長谷川正安意見書』への批判です。私のHPに載せることについては、それぞれ了解をいただいています。『長谷川意見書』にたいする私の批判は『日本共産党との裁判第7部』で詳しくのべました。

 

〔目次〕 水田洋、 「大統領」、 中野徹三、 高橋彦博

 

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    『長谷川意見書』

    『日本共産党との裁判第7部』

     第8部・完結世界初革命政党専従の法的地位「判例」

 

水田洋名古屋大学名誉教授

 

 『尾行の件はまえにも読みましたが、なぜそうする必要があると考えるのか心理も論理もわかりません』。『「長谷川意見書」はひどい論旨です。しかし、彼は“三百代言”だったので、以前から上から言われればその通りにするのです』。

 ()「広辞苑」での「三百代言」説明、『@、明治前期、代言人の資格がなくて他人の訴訟や談判を引き受けた者、また弁護士の蔑称。A、転じて、詭弁を弄する人

 

 (水田洋ファイル)

     『民主主義的中央集権制。日本共産党の丸山批判』

     『社会思想史研究の60年 1939〜99』

     『市民運動は民主主義の実践』インタビュー

 

「大統領」メール

 

 『私、ばかよね〜♪  『日本共産党との裁判第7部』で、「一体なぜ学者党員である長谷川正安教授が」と述べられていますが、ふと、アイヒマンを連想しました。彼は裁判で『自分のやったことがユダヤ人を非常に苦しめたことは認めながらも「上官の命令を実行しただけの自分に責任はない」と主張』(スペシャリスト・自覚なき殺戮者、by K.Hattori)します。長谷川正安教授は2000年3月23日、衆議院の憲法調査会で「私がまさか90年代になってソ連が解体するとは思わず、あんなことを書いていたのは」「私もばかだったということは認めないことはありません」と述べながらも「スターリンの言ったことは今でも憲法論としては正しい」と述べています。あごがはずれそうです。

 

 (大統領ファイル)

     『党大会に見る情報公開・非公開傾向』

     『民主「的」集中制および党組織論』、他

 

中野徹三札幌学院大学名誉教授

 

 長谷川正安氏の――まさに党御用“学者”としての三百代言ぶりのひどさについて。とくに“結社の自由”権の歪曲した独断的解釈について

 

 “結社の自由”は、本来“国民”(むしろ人間一般――日本国民だけではない)が、自由に相互に、ある団体を結成しうること、こうした人間のもつ普遍的な人権の一部であって、日本共産党がいうような、こうして生まれた「結社」がその外部からの批判や「介入」を排除しうると称する、ある「結社」のもつ自由ではない。日本国憲法でも第三章国民の権利義務の第二十一条集会・結社・表現の自由は、国民の権利の重要な一部として示してあり、その内容は、集会や言論、出版の自由と並んで、諸個人が自由にある集会を開き、結社をつくり、言論を発表する権利として提示していることは誰が見ても明白である。

 ところが、日本共産党とその御用学者は、「結社の自由」をある団体が外部から干渉を受けない「私的自治」の権利として解釈する。長谷川意見はまさにこの一例である。

 

 私は、自著『マルクス主義の現代的探求』(青木書店)の『政党と国家との無原則的な混同』(P.305〜308)で、次の宮本顕治氏の理論を批判した。

 宮本氏は、「結社は、綱領、規約を認めたものを適当ならば入党させるということを決めることができる。また、この党の綱領規約に反する行動をとるものを結社から除く権利、これも結社の自由に属するものであります。だから現代社会の中における結社、政党というものが、そういう約束事で運営されても、それは『結社の自由』の枠内のことで、こと共産党にかんしては分派活動をやって除名されたものが党のほうがけしからん、反民主主義だという筋合いはないわけであります。もともとその約束事で入ったわけで、むりに強制して入れたわけではありません。だから、われわれがいま『自由と民主主義の宣言』でいっているような、ああいう民主主義は社会、国家にそれを実現しようとしているものであって、党のあり方とは区別される」(『前衛』1979年1月号、27〜28ページ。傍点――引用者)としている。

 

 宮本氏はここでは、具体的には、党の組織原則としての民主主義的中央集権制のありかたを説いているのであるが、その内容は、分派活動の禁止、綱領規約に反するものの除名などの措置の正当性であり、そしてその根拠は、そもそも結社なるものは、その結社の一定のルールを承認して自発的意志により加入したものからなるのであるから、このルールに反したものを除くことができる、という、ここでいうところの「結社の自由」の論理である。

 

 しかし、これは前衛党や結社一般にだけ通用する論理ではない。「生れながらにして」日本国民となったものも、民主主義的社会では――社会主義的民主主義のもとではなおさらのこととして――みずからが生まれ、育ち、生活する社会の「ルール」の創造とその民主的改革に参加し、その主体となる権利を生まれながらに得るとともに、このルールに違反した場合には(みずからがそのルールの作成に参加し、是認したルールでないにせよ)、除名どころか、法にもとづく処罰を受け、市民権を奪われたりもするのである。このように、共通のルールと、それにもとづく制裁の存在は、けっしてここでの自由意志的結社に限定されるものではない。

 

 先の引用からもわかるように、前衛党(ないし結社一般?)の組織原則と社会・国家における民主主義とをはっきり区別しようとする宮本氏は、前衛党ないし結社の構成員が負う義務と、結社によるその処罰権の正当性を強調する。まず注意さるべき問題点は、宮本氏は「この党の綱領規約に反する行動をとるものを結社から除く権利、これも結社の自由に属するものであります」と述べているが、このような団体の自己規律権(これも自由意志的結社に限らない)を、自主的団体を設立し、運営するうえでの国家権力や他の社会集団からの拘束や抑圧からの諸個人の自由を意味する「結社の自由」権に帰属させることには、疑問があるし、さらにこの場合、このような団体の集団としての意志が、内部のルールにもとづいて一応団体意志として成立してさえいれば、それらはすべて「結社の自由」に属するものとして、承認されかねまじき論理の危険を内包している。

 

 一例を挙げるならば、昭和三四年にある労働組合が地方議会選挙に組合員から立候補するものの人数を制限し、六名を統一候補としたのにたいして、組合員の一人が独自に立侯補する意志を表明し、そのために一年間の権利停止処分を受けるという事件(処分をうけた組合員が告訴し、一審は有罪、二審は無罪、最高裁は立候補の自由を基本的人権のひとつとして、原判決を破棄差戻しにした)が北海道で発生したが、ここでは宮本氏がいう組合の「結社の自由」権と、組合員のいっそう根源的な権利とが争われているのである。

 

 また宮本氏は、「目的も活動のやり方も承認して、そこで入ってきているわけでありますから当然、党内においては、それからはみだして分派活動をやったりすることは結社の自由の建て前から見ても、それを公然と裏切るわけであります」と述べているが、ここにもやはり、重大な問題がひそんでいる。

 入党したものは――前衛党の場合にはとくにしかりであるが――、ある目的(日本の革命=さまざまな抑圧からの人民と自己の解放など)の実現のために、平等な同志的組織としての政党に加入したのであるから、入党後は、他の党員と共同してこの共通の目的を達成するため、一面ではみずからの組織の決定と規律に自覚的に従う義務を負うとともに、政策や活動のありかたから、規約(=共通のルール)の変更をも要求できる、当然の権利を持つであろう。そして、内部の議論の自由が抑圧されたり、中央機関が継続して非民主的措置を取ったり、あるいは大目的に違反する重大な誤りが犯された場合には、このような措置や決定に抗議して独自の行動をおこす、ある本源的な権利をも持っているのである(権利はそのなかに抵抗権を含む)。いいかえれば、加入時の規約などの「承認」は、規約改正などを要求するその後の権利をいささかも制約するものではないはずである。

 

 ここでの宮本氏の理論的視界には、構成員の基本的人権から出発して、組織の自己規律権にまで到達する近代民主主義の基本的論理が収められていない。その結果、先の引用文では、結社、政党は、その構成員とはどこか異質な、別個の存在であるかのごとく現われ、もっぱら結社の「権利」(違反者の処分権!)と構成員の義務が説かれるばかりで、構成員の権利、基本的人権については、まったく触れられていないし、少なくとも結社の「権利」と理論的にも媒介されていない。

 

 長谷川氏の文章は、宮本氏のもののまったくの受け売りであり、彼が自由などを論ずる資格のない知的奴隷であることは明々白々である。

 

 こうして生まれた結社は、一定の自由と自治があることは当然だが、しかしそれは、決して絶対的なものではなく、それがより普遍的な人間の権利とその確保に矛盾する場合には、当然ながら、上位の法と、より根源的な人権が優先する。

 

 今回の宮地氏の提訴も、まさにこの一例である。この限り、ある会社や暴力団などの不当・不法な行為が「結社の自由」の名で守られないのが当然である。故に、野坂や日共党幹部の伊藤律中国“放置”事件も、本来訴追の対象となるべきである。この点は、“党”の名目で特権、不正、犯罪が広範に隠蔽され、温存された“現実社会主義”の実態が明らかになった今、さらに資本主義国の政党内でも改めて究明されるべきポイントである。』

 

 (中野徹三ファイル)

     『現代史への一証言・「流されて蜀の国へ」を紹介する』白鳥事件

     『「二〇世紀社会主義」の総括のために』

     『社会主義像の転回』ロシア憲法制定議会解散論理

     『「共産主義黒書」を読む』

 

高橋彦博法政大学教授

 

 長谷川正安氏の無定見振りについての各氏の批判、私には良く理解できました。私も皆さんの驥尾に付して発言します。憲法学者である長谷川氏が、日本国憲法の評価について次の様な節操の無さを発揮していることを私はかつて指摘したことがあります。

 

 長谷川氏は、1957年の著作『憲法学の方法』(日本評論社)で、日本国憲法について「昭和憲法のもとでは、相当程度の日本の革命化は可能なのではないかという気がする」との見解を述べていました。日本国憲法を「絶対視」することを拒否しながらも、「軽々しく現憲法を手段化すること」を排斥するのが長谷川氏の見解でありました。ところが、同じ出版社から10年後に出した1968年の著作『新憲法学の方法』では、事情説明がないまま、旧著で日本国憲法の持っている可能性を評価した部分が全面削除されているのです。この変更は何によってもたらされたものであったのでしょうか。

 

 私はその間に発表された不破哲三氏のある論文に注目しています。不破氏は、『現代の理論』誌1959年5月号で「日本の憲法と革命」を発表し、そこで、日本国憲法体制下における社会主義への移行の可能性を否定しました。当時、構造改革論の高揚期にあり、不破氏も、上田耕一郎氏とともに、かなり構造改革派に接近していたのですが、ある地点で止まり、現代マルクス主義派からの翻身を明らかにするにいたりました。不破氏が、構造改革派の機関誌として登場した『現代の理論』創刊号で、日本国憲法体制下における社会主義への構造改革の可能性を否定する内容の憲法論を発表したのは、不破氏の翻身宣言にほかありませんでした。

 

 不破氏は、この1959年の論文「日本の憲法と革命」で、日本国憲法の限界を指摘し、社会主義憲法制定の必要性を論じたのでした。不破氏は、この論文で「護憲」論を否定し、事実上、「改憲」論の立場を選択したのでした。また、不破氏は、この論文で「此岸としての社会主義」追求の視点を放棄し、ソ連モデルの「彼岸としての社会主義」観念に固執する立場を確定したのでした。長谷川氏は、不破氏のそのような翻身と選択と確定に追従し、その結果、先に見たような憲法論の転換を行なったのであると私は見ています。

 

 長谷川氏の日本国憲法論の説明されない転換が、不破論文の出現によるものであったとする理解を、私は、『歴史学研究』誌の1990年4月号に発表しています(『日本国憲法体制の形成』青木書店、1997年所収。P.63.)。その後、私のこのような理解に異論が提起されたことはないようです。そのような経過を踏まえて、私はあえて言いたいのですが、長谷川氏は一人の研究者として、この間、約半世紀の自らの学問が日本共産党の方針に追従するものであったことについて、深刻な反省をすべきではないでしょうか。

 

 『「長谷川意見書批判」の手紙・メール』を見て知ったのですが、長谷川氏は、本年3月23日に、国会の憲法調査会で、「90年代にソ連が解体するとは思わず、・・・私もばかだったということは認めないことはありません」と発言したとのことです。しかし、長谷川氏が反省すべきは、ソ連社会主義についての事実認識の誤りだけではないのではないでしょうか。長谷川氏は、より根底的には、日本共産党の方針に盲従することが進歩派学者の進歩派であることの証であると思い込んでいた、自らの学問の方法の誤りについてこそ、深く反省すべきではないでしょうか。

 

 今日の日本共産党は、状況対応の論理から、これまでの原則的立場を次から次へと崩しています。憲法論としても、これまでの「腑分け論」(前掲拙著を参照)をなし崩しの方法で転換させているように見受けられます。日本共産党が、日本国憲法体制の下でも、象徴天皇制の形態を存在させたままでも、社会化を進行させ、社会化が進展した日本社会に新たな社会主義の姿を見出すことが可能であると、「第三の道」を選択するのは時間の問題であると思われます。長谷川氏が43年前に、若い憲法学者としての素直な感性と学問への真摯な姿勢の下に提起した「軽々しく現憲法を手段化すること」を排斥した判断の的確性が、そこで確認されることになります。同時に、長谷川氏が学問に携わる者としての良心を放棄した此の間の経過についての責任が、そこで問われることになるのではないでしょうか。

 

 (高橋彦博ファイル)

     『共産党はどこまで伸びるのか』

     『逸見重雄教授と「沈黙」』(添付)逸見教授政治的殺人事件の同時発生」

     『川上徹著「査問」の合評会』

     『論争無用の「科学的社会主義」』 高橋氏除籍問題

     『上田耕一郎、不破哲三氏の発言を求める』

以上

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    『長谷川意見書』

    『日本共産党との裁判第7部』

     第8部・完結世界初革命政党専従の法的地位「判例」