音楽とあんまり関係ない日記 / 2003年3月
by BoogieWoogie Ace Hirota


2003年3月30日(日)
「グッと朝方」などと言っていたのもつかの間、土日はすっかり夜型だった。昨日は柳津方面の河原で恒例のバーベキュー。昼からビールを飲み、肉を食い、ソフトボールに興じたあと、岐阜市内の友人の家へ行き、夜のふけるまで遊んで帰って結局帰宅は1時半頃。今日は朝から娘と遊び3時過ぎに一度帰宅。30分ほど昼寝をしてシャワーを浴び、海部郡は美和町の「Bar Ba Pa Pa」というおかしな名前のバーへ向かった。Lou & The Bar Fly Bandと長久手Slim & Red Hotのライブである。ぼくはこのRed Hotの一員でもあるのだ。遅い時間まで音の出せる店で、片づけをして店を出たのは1時過ぎ、家に着いたのは2時近くだった。昼間からビールを飲みながら味噌煮込みを食ってテレビを見ながら昼寝したりしていた土日が懐かしい。

2003年3月28日(金)
今週は後半グッと朝型の生活になり、毎晩12時頃には床に着くという健康的な生活になった。今日は10時半過ぎまで会社で仕事をしていたので、家に着いたのは11時過ぎである。一服してこの日記を書き始めたら、もうおネムの時間である。

2003年3月27日(木)
昨日は猛烈に眠くって12時前に寝てしまった。そのせいで今朝は6時半頃には目覚めた。コーヒーを飲みながらニュースを見て、珍しく洗濯機も回した。ふと今日は月に一度の段ボールなどが捨てられる日であることを思い出し、引っ越してきて始めて段ボールや古雑誌、牛乳パックを捨てた。北側の部屋に1年以上も積み重ねられていたのである。三文ほど得をしたような気になった。その後はCDを聴いたりもしていたのだが家にいてもヒマなのでちょっと早めに会社に出かけた。平日の朝っぱらから洗濯をするなんてあんまり珍しいことだったためか、夕方から雨が降ってきた。たぶんぼくのせいです。

2003年3月26日(水)
昨日は歓送迎会があった。二次会へは7〜8人で行ったのだが、酒を飲んでいたのはぼくと1〜2人だろうか。若い人はあんまり酒を飲まないようだ。2時頃まで飲み、家に帰ってかろうじて歯だけ磨いて即ベッドへ。朝は二度寝してしまい、なんとかシャワーだけ浴びて出社。3時には寝ていたはずだからそれほど寝てないわけではないのだが…。そんなわけで今日は眠い一日であった。
以下翌朝追加。CNNで例のアメ-イラ戦争のニュースを見ていると、どうもこう、スポーツニュースと同じ感覚で番組づくりをしているように思えてしょうがない。まるでNFLのレポートを見ているようである。選手の紹介をするかのように戦車や戦闘機のスペックが出てきたり、ベンチレポートのように現地中継が入ったりである。先にニュースづくりの基本形があってそれがスポーツにも戦争にも使われているというだけ、ということなんだろうけど。

2003年3月24日(月)
スローブルースHPの掲示板でマスターが先日のぼくらのライブについてほめちぎってくれている。おほめにあずかって光栄です。ほとんど聴いちゃいないお客さんの前でやったり、それならまだいい方で、ほとんどお客さんのいない客席に向かって演奏したりというつらい思い出も、このあいだの土曜日のような暖かいお客さんたちやマスターのようなうれしいおほめの言葉で報われるというものです。ほんとにああいう時に、ステージというのはお客さんや周りの人たちと一緒に作っていくのだなぁ、と感じます。ただ問題は、ぼくらの場合、だからといって必ずしも演奏の質が高くなるというものではない、ということでしょうか。

2003年3月23日(日)
朝起きてコーヒーを飲みながら下の日記を書き、そのままWebでニュースなどを見て、テレビを見たりCDを聴いたり。ちょっと寒いな、と思いながらも窓を開けたままでぐだぐだと部屋の中で一日を過ごした。途中パンを食べたりお茶を飲んだり。夕方からはF1マレーシアGPの中継があったのでテレビに集中。その後少し昼寝をし、洗濯物を取り込み、バンドの練習へ。終わってからみんなと晩飯を食い、スタジオの近所の銭湯で昨日のアルコールを抜く。サウナでキムタクの話題のドラマを初めて見た。10分ずつ途切れ途切れ。先ほど帰宅。缶ビールを開けて、たぶんこのまま寝るでしょう。ぼくはこういう休日が大好きです。さらに、ちょっとした散歩と喫茶店でコーヒーなどがあってもいいな。

2003年3月22日(土)
スローブルースでライブをしてきました。いつものように3ステージでしたが、一つめはちょっとバランスが悪かったかな。ハイハットの具合が今一つだったので交換してちょこっとミュートもして、全体のバランスを調整したので、二つめからはなかなか良くなったのではないでしょうか?思った以上にたくさんのお客さんに入ってもらえて、しかもみんな聴いてくれているではないですか!拍手も盛大ではないですか!お客さん暖かいじゃないですか!マスターにも気にいってもらえて6月に次のステージの予定を入れていただけました。うれしいですねぇ。調子にのってビールをしこたま飲んでしまい家に帰って即寝だったので、この日記は翌朝更新になってしまいました。へへへ。

2003年3月21日(金)
春日井へおやじの墓参りに行ってきた。30H足らずの距離でふだんだと40〜50分なのだが今日は1時間半もかかった。ぼくの家からそこまでには八事霊園周辺、平和公園周辺と二つの大きな墓地を通るのが通常の道筋である。自分もその一人なので仕方がないのだが、とにかくすごい量のクルマだった。それに加えて、山手四谷通りが地下鉄工事で車線が減少し、クルマが動けなくなっていた。春らしく暖かかったためもあろう、東山公園の周辺も込み合っていた。郊外へ出かけるらしきクルマも多く、橋や踏切の手前はひどい渋滞だった。最後は高蔵寺へ入るすぐ手前で東谷山フルーツパークに向かうような感じの大渋滞で、さすがに辟易して裏道に逃げ込んだ。往復2時間か2時間半もかけても、目的の墓参りは10分とかからないものだ。そういうものなのかもしれないが、どうも納得がいかない。

2003年3月20日(木)
昨夜、会社の先輩Kさんがウチに来た。今日の会議に出席するために前ノリでウチに泊まっていくことになっていた。ぼくより三つほど歳は上であるが、友達のような感じの人である。延々と明け方まで話をしていたのだが、やっかいなことにこの人は一滴も酒を飲まない。夜12時だろうと3時だろうとコーヒーいれてくれ、の一点張りである。ぼくも最初はコーヒーを一緒に飲んでいたのだが、その後ビール、日本酒と切り替えていった。たいていは一緒に飲んで酔っぱらって眠くなって寝るものだが、この人には通用しない。いつまででもシラフである。というわけで今日は眠い一日でした。

2003年3月18日(火)
マンションの管理人さんが我が家の前2ヶ月の水道使用量がそれ以前に比べ倍ほどにも増えている、漏水やメーターの故障だと困るのだが思い当たる節はありやなしや、と尋ねてきた。実は我が家の洗浄機能付き便座の具合がここ数カ月悪く、水がきちんと止まらなかった。まあ便器の中でチョロチョロ、という程度なので放置するという方針をとっていた。その話を聞いても、チョロチョロ程度であっても24時間休みなく何日も落ち続けるとそれはそれで結構な量になるのだなぁ、などと感心していた。ところが管理人さんに水道料金早見表というものを見せられてがく然とした。それまでのぼくの使用量はほとんどが基本料金部分でまかなわれており、量に従って増える部分はほとんどなかったことがわかった。そしてその従量制の部分は量が増えると単価があがるという仕組みになっており、結局普段が3,500円程度だったものが今回は15,000円近い金額になっている。4倍以上である。まったく頭を抱えましたね。チョロチョロあなどるまじ。

2003年3月17日(月)
今日の昼過ぎ会社の友人Sさんとお茶をした。友人といっても彼はもう40過ぎで、ぼくにとって先輩ということになる。Sさんは2ヶ月ほど前ぎっくり腰を患い、大変な目に遇い、今日久しぶりに出社してきた。Sさんは一人暮らしなのだが、家でぎっくり腰になって動けなくなったそうだ。本当に動けなかったらしく、なんとか携帯で救急車を呼んだものの玄関まで行くことができずカギをあけられず、弟を呼び、カギ屋さんに開けてもらってなんとか運び出されとりあえず入院した、ということを聞いたのがもうひと月も前。今日の話はその後も大変だったという話である。その2月の中ごろにはだいぶよくなってコルセットをつけて会社の近くまで来ていて会話をしたのであるが、その後また病状は悪化し、結局手術をしたそうである。手術というのは椎間板の内側の部分にレントゲンの動画をみながらレーザーの管を差し込んでいき、内部を焼くのだそうな。焼いて内圧が下がると出っ張った部分が引っ込んでいくのだということだ。それが、椎間板にいたるまでの道のりは局部麻酔が効くのでいいのだが、椎間板の中の部分を焼く時はずいぶん痛かったらしく、足などがビクンビクンと動いてしまうほどだそうだ。しかもどういうわけだかレーザー治療は保険がきかないらしく、40万円近くもかかったということで、痛いわ辛いわ金はとられるわ、年明けからまったくツイてない話だ。しかも入院している間にこの御時世で彼の持ち株はガンガン下がりもうやってられないよぅ、と彼は力なく笑うのであった。

2003年3月16日(日)
いつもの休みのように昼間を過ごした。昨日のうちに掃除や洗濯は済ませていたので午前中はのんびりとコーヒーを飲みながらテレビを見たりし、昼過ぎに散歩がてらそば屋へ行き天ぷら入りの味噌煮込みで昼食。帰りにスーパーに寄りいろいろ買い物をし、家へ帰ってビールを飲みながらテレビを漫然と見つつうとうとしたりした。いつもとちがうのはここから。阿部ちゃんとやっているRed HotのステージがJoeであるため、ブギウギの練習前に店に行って少しだけ合わせ、それから練習へ。練習終了後また新栄へ行き、Bar Fly Bandのステージを見、Red Hotのステージをこなした。ジョーマスやいぬい君も気に行ってくれたようでよかったよかった。でも正直言って3〜4時間もタイコを叩いているとちょっと疲れるな。もう歳だな。

2003年3月15日(土)
今日は午後をThomas Kunishimaと遊んで過ごした。Thomasはもともとの知り合いでもなんでもなく、今日の昼過ぎ自転車で鶴舞公園あたりをぶらぶらしていたら声をかけてきたので話をし始めたという、イタリア系のヤツだ。たぶん国籍としてはイタリア、フィレンツェなんだと思う。お互いにヒマだったというだけで、最初は立ち話、それから喫茶店、次にヤツの家、それからCountry Joe へ連れていき、最後にDa Carloでピザを食い、別れたのは12時過ぎだった。ヤツの話はイタリア語混じりの英語と日本語で、わけのわからないことも多い。それとベーシックな部分でどうも日本とか日本人を蔑視している感があり、むかつく時もあったが、なかなか面白いヤツであった。カフェラテをおごらされたがヤツの家ではシャンペンをしこたま飲ませてくれたりした、いいヤツであった。彼の日本観を変えられなかったのはちょっと残念であるが、なかなか面白い週末の午後であった。ああ疲れた。

2003年3月14日(金)
しんどく長い一週間であった。ぼくの仕事は4月から猛烈に忙しくなることになっており、その前哨戦のようなものがすでに始まってきたのである。そんな中、会社の先輩が留守録をしくじったぼくにF1のビデオを貸してくれた。なかなか面白い意外なレースであった。レギュレーションの変更や雨上がりの天候やアクシデントなどで荒れていた。フェラーリがとうとう負けた−、という印象である。圧倒的に強いはずだったフェラーリはバリチェロのリタイアとミハエルのアクシデントで表彰台に上がれなかったのである。しかし不思議なのはミハエルのアクシデント。車体の横についている空気の整流用の板というのが外れてしまい、解説によるとクルマを地面に押し付ける力が弱くなって遅くなるという話なのだが、タイム的にはあんまり遅くなっている様子がないのである。ほんとにあの板は必要なのか?優勝はクルサードなのだが、先頭に立ったクルマが次々トラブルやアクシデントに見舞われる中で、たまたまトラブルが彼にはなかったので結果としてずるずると勝ったという、地味な優勝である。ちなみにぼくの応援するジャックのいるBARチームは9位10位とやっぱり振るわない。がっかり。

2003年3月13日(木)
夜7時半過ぎ頃ハラペコで会社を出て、帰りに近くのスーパーに寄った。ハラペコの時というのは買い物には向かない。やたらと買い込んでしまう。おかげで夕食はたいへんなことになった。カツオのタタキ、甘エビ、たらの芽の天ぷら、ほうれん草のおひたし、サラダ、煮豆、たまねぎの味噌汁とご飯。刺身か天ぷらかどっちか片方にすればいいものを両方かごに放り込んでしまうあたりがハラペコ男のなせる業である。8時を過ぎてカツオと甘エビは半額になっていた。あわせても400円ほど。これらをかごに入れてぶらぶら歩いているうち、たらの芽の天ぷらを見つけてしまった。スーパーの惣菜売り場の天ぷらなどそううまいわけはないのだが、ぼくはたらの芽の天ぷらが大好きである。あの手のほろ苦系の野菜が好きなのである。この時カツオと甘エビは戻すべきなのではないか、刺身と天ぷらはやりすぎなのではないか、分不相応というものではないか、と迷わなかったわけではないが、まあ安いしいいのではないかという意見が大勢を占めていたので買ってしまった。そして今、あそこで議論されるべきは金額ではなく腹の問題であったと反省しているのだが、これは人類永遠の課題としてこれからも繰り返されることは間違いない。

2003年3月12日(水)
昨日は深夜にスカパーでビリヤードを見た。スヌーカーというやつである。イギリスでは人気のある競技だそうだが、日本では9ボール以外はほとんど見かけない。ぼくは学生の頃ビリヤードをし始めたのだが、その頃はビリヤードブームでみんな9ボールをやっていたのにもかかわらずへその曲ったぼくと仲間は四つ玉をやっていた。10年くらい前にポケットをやり始めたがローテーションが中心だった。その後8ボールも少しやった後9ボールをやり始めた。最近はあまりやっていないが、やるとすれば9ボールである。いずれにしてもスヌーカーはやったことも見たこともない。ルールも知らないし定石も知らない。そんなぼくでもテレビで見ていると彼らがやたらとうまいことはわかる。台の上にはやたらとたくさん玉があって、ほとんどは赤玉、あといくつかのカラーボールである。どうも赤玉とカラーボールをかわるがわる落とすらしい。赤玉は落ちるとそのままだがカラーボールは落ちてもすぐ元の場所に戻されてしまう。得点はカウントされている。色によって点が違うようだがよくわからない。9ボールの台よりは大きいらしいがそれでも大量の玉があって台の上はたいへんな騒ぎである。その中で狙った玉を玉と玉の隙間をぬってポケットしていくのである。その上次に狙うための場所へ玉を止めるのである。うまい。イギリスのプロの大会らしいからそりゃうまいんだろうが、なんともスゴイものである。

2003年3月11日(火)
先日実家へ帰った時のことである。実家にいる祖母がぼくに何かを探し出し、紙に包んだ何か小さなものを手渡してくれた。ぼくにくれるらしい。この祖母はしゃべることはしゃべるのだが、もう時々何を言っているのか判らない。しかもかなり耳が遠く、こちらからの質問はいっさい受け付けてもらえない。もらった紙包みはなぜかばんそうこうでかなり固く包まれており、苦労してこれを開いた。中から出てきたのは1銭とか5銭とかの貨幣、記念硬貨などである。全部で5〜6枚ほど。名駅のどこかに古銭を扱う店がどこかにあるのを知っているらしく、名駅あたりで仕事をしているぼくに渡したかったらしい。今のお金に替えてくれるらしい、替えたらそれはやるでな、というようなことを言っていた。それを見て母もなぜかどこかから古銭やら記念硬貨やら五百円札や伊藤博文の千円札などを出してきた。ドイツやらトルコやらの小銭まで出てきた。母にインターネットというのはこうして何ごとかを調べるものだ、という教材としてそれらの古銭の値段を調べてみた。古銭屋のサイトというのは初めて見たのだが面白いものである。昭和程度のものはほとんど価値はない。大正、明治で初心者。本格的なのは江戸時代、それ以前らしい。だから昭和初期の1銭玉とか5銭玉というのは5円とか10円とかという程度のモノである。額面の100倍とかの値段ではあるが大したことはないのである。でも通貨の切り替えが戦後あったはずだからほとんど額面通りかよくても10倍程度と考えるべきなのかもしれない。岩倉具視の五百円札で700円とか。1.4倍である。これが100倍なら嬉しいのであるが、まだぼくですら記憶にあるぐらいだからそれほど古くはないのである。札幌オリンピックの記念硬貨は額面五百円だがこれも600円とか700円程度。どうもこの調子だとぼくが生きているうちに価値が高まるようなことはないような気がするのである。

2003年3月10日(月)
今日はダーツの試合であった。なかなかうまくならなくて勝てないのであるが、今日はちょっとだけ進歩があった。ぼくはダーツとかビリヤードとか、この手のゲームが好きである。型を作って、集中力勝負で、心臓とか筋力への負担がそれほどないもの、というジャンルである。たぶんゴルフもやりだしたら好きなのだと思うが、あれは金がかかるので手を出さないことにしている。思えばうちの父親もゴルフが好きだった。よくは知らないのだが、結構うまかったらしい。しかしぼくの場合、ノミの心臓なので試合に弱い。集中しきれず、ドキドキしているうちに負けてしまっている。困ったものである。ちなみにドラムにもその気の小さいところというのは出てきてしまうことがある。初めてやる店だとか大きい店(Tokuzoクラスね)では数曲終わるまで落ち着かないということになる。ヘタをするとワンステージを棒にふることになる。オリンピックで日本チームが本番に弱いと言われていた、あれと同じである。そんな、ニッポンの期待を背負っているとかというような大層な話ではないのだが。

2003年3月9日(日)
F1の2003年シーズンがオーストラリアで開幕である。時差が少ないので昼にスカパーで生中継だがぼくは実家へ行かねばならず留守録を仕掛けて外出。夕方帰宅しビデオの電源を入れると録画の分数表示が何かおかしい。不安を覚えて1〜2分巻き戻して見てみるとスタート前の映像である。ん?そういえば留守録を仕掛けた時テープの確認をしていない!そういえばテープを巻き戻した覚えも交換した覚えもない!実家でフジテレビの録画放送が目に入ったが見ないように我慢して帰ってきたのに!もう!
バンドの練習から帰ってきて、仕方がないのでラリーWRCの番組を見ている。第3戦トルコである。先日はスウェーデンで雪と氷のレースだった。やつらはF1とは別の意味でスゴイ。雪の上だろうが氷の上だろうが道幅がクルマの2倍程度しかなかろうが直径15Bとかの石がゴロゴロ転がっていようが片側ががけっぷちだろうが逆の側は岩がつきだしていようがとにかく100Hものスピードで走っていく。しかも横にスライドさせながらである。あ、でもタイヤがクルクル滑りながらということはスピードとしては表示ほどはでていないことになるのかしら?まあとにかくすごいのだ。今年からシトロエンが本格的に参戦。ぼくのクルマもシトロエンなのでシトロエンチームを応援している。しかし昨晩の疲れが出てきて眠い眠い。テレビでの観戦も大変である。

2003年3月8日(土)
夜7時頃からせいちゃんとたけちゃん、その後けんちゃんも来てトラックダウン作業をウチでやった。 夜中3時頃までもくもくと。おもろかったけど疲れたな。なんとか終わりましたな。たけちゃんは大きなのっぽの腹時計ってことで。

2003年3月6日(木)
今日はいつもより30分早く会社へ行き、2時間の打ち合わせをこなし、昼飯を食い、昼からバチバチキーボードを叩いて書類を作成し、作成し、作成し、7時半からさらに打ち合わせをし、また書類を作成し、11時過ぎにできた書類をKinko'sに放り込んで終電で帰宅し、茶漬けを食い、風呂に入ったのでもう寝ます。今日はたいへんな日だったっつーことで。

2003年3月5日(水)
ふっふっふ。たけちゃんのおかげでずいぶん日記の更新がしやすくなったバンマスブギウギエース広田です。BBSに始めましてな方の書き込みがあって嬉しい限りです。
さて、実は前の文とこの文の間には30分ほどの時間が経っており、その間に風呂に入ったり、冷蔵庫へ向かったり、ビールを出したり、栓をあけてグビッとやったりしているわけです。で、冷静に今日の日記の書き始めやBBSへのお返事カキコを見るとずいぶんテンションが高い。テンションは高いが内容がない。まさに空回りである。だいたい普通のサラリーマンをしていて、そうそう毎日書き残すようなドラマティックなこととかロマンティックなこととかファンタスティックなこととかがあるもんじゃないんです。まあ、今日は空回りな日だったということで。

2003年3月4日(火)
今日は寒かった。ぼくは暑がりであることや家から駅まで近いこと、また駅から会社へは地下街を通ることもあり軽い気持ちでシャツにジャケット程度のいでたちで出勤したのだが、寒い寒い。やっぱりというか思った通りというか、もはやほとんど映画を見ることはなくなった。そして今週末にはF1が開幕、オーストラリアGPである。さっきまではそれにあわせた特集番組を見ていた。今は音楽系のチャンネルで古いプロモーションビデオの番組。Paul McCartneyとMichael Jacksonの"Say, Say, Say"がやっているのを見ながら日記更新である。先日マイケルの顔が崩れてしまってタイヘンだ、気持ちが悪いという話をしていたが、この'83年の映像ではまだぜんぜん可愛い顔をしている。20年も前のことだからなあ。どうもポールの特集らしく、"So Bad""No More Lonely Night"と続く。今日は散漫な内容であるが、散漫な日だったということで。

2003年3月3日(月)
今日はひなまつりである。それとはまったく関係なく川名あたりのSimonという店でダーツをしてきました。そもそもぼくがダーツをやり始めたのはStrawHatの影響である。今日は試合でなかなかがんばったと自分的には思うのだが、まあ結果としてはあっさりというかぼろぼろというか軽くあしらわれて負けたという感じでチーム(チームストローハットである)も負けました。まだまだフォームが固まっておらず、どうも投げ方が一定していないので、むべなるかな、である。しかしああいう緊張感みたいなものはなかなかいいものだなぁ。

2003年3月2日(日)
3月である。今日は練習の後スタジオの近くの風呂やへ行った。以前はちょくちょく行っていたこの銭湯はスーパーでない銭湯である。しかしサウナとか露天風呂とかもありスーパー銭湯的な銭湯なのでなかなか気にいっている。が、やはりスーパー銭湯とは決定的に違うことがあるのである。スーパー銭湯ではほとんど見かけない「体に模様の入った人たち」が多いのである。まあ町中というせいもあるかも知れないが、例えば今日は4人ほどもいた。7〜8人も入ればいっぱいという小さめのサウナに4人ものこういう人たちと一緒に入っているとなかなか緊張感も高まる。しかもどうも全員が同じ仲間というわけではないらしく、どうも2人ずつ2組に分かれるらしい。彼らは言動が荒っぽく、仲間の背中を平手で突然叩いたり怒鳴るような大声で呼び掛けたり露天風呂でたばこを喫いながら持ち込んだ缶ビールを飲んでいたりする。携帯でしゃべっていたりもする。ぼくのような気の小さな人間にはちょっと落ち着けない雰囲気なのである。といいつつも2時間ほどものんびり入浴して帰ってきたのであるが。

2003年3月1日(土)
録音した音源をトラックダウンするために家にたけちゃん、せいちゃん、メイ(せいちゃんの愛娘)がやってきた。昼頃から作業をしていたのだが、2時頃腹が減ったので近所のマクドナルドへ昼飯を食いに行った。帰宅後続けようとするとメイがむずかりだして帰っていってしまった。というわけで、今日のトラックダウンは一曲しか進みませんでした。しかし、その後家に残ったたけちゃんがようやく家のMacのFetchを設定してくれたのである。そして今やこの更新をMacでやっているというわけである。嬉しいことだ。
CDのジャケット案その1:

この写真は今はなきLittleLukeでの演奏である。よくみるとたけちゃんウッドベース!

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