レーニン『国家と革命』の位置づけ

 

革命ユートピア小説と革命ユートピア小説の系譜

 

(宮地作成)

 〔目次〕

     はじめに

   1、チェルヌイシェフスキー  革命ユートピア小説

   2、ドストエフスキー      革命ユートピア小説

   3、レーニン           革命ユートピア小説

   4、ザミャーチン         革命ユートピア小説

   5、ジョージ・オーウェル    革命ユートピア小説

 

   6、勝野金政           現実に出現した革命ユートピア国家体制への告発文学

   7、ソルジェニーツィン     現実に出現した革命ユートピア国家体制への告発文学

 

 (関連ファイル)                    健一MENUに戻る

    『ドストエフスキーと革命思想殺人事件の探求』3DCG6枚

    『スターリンは悪いが、レーニンは正しい説の検証−レーニン神話と真実1〜6』

    『レーニン「国家と革命」の誤り』ファイル多数

    『ザミャーチン「われら」と1920、21年のレーニン』3DCG12枚

    『オーウェルにおける革命権力と共産党』3DCG7枚

    『ソルジェニーツィンのたたかい、西側追放事件』3DCG9枚

    宮地徹『Grafic World3DCG原画多数

 はじめに

 この内容は、レーニン『国家と革命』の理論的検討や批判ではない。この著書はレーニンが書いたことの中で、もっともユートピア性の高いものなので、ユートピア小説の系譜に位置づけるという論旨である。1989年〜91年、東欧・ソ連10カ国とその前衛党がいっせい崩壊した。14カ国中、残存するするのは、中国共産党・ベトナム共産党・キューバ共産党・朝鮮労働党の4つだけになった。21世紀の20XX年において、残存する4つのレーニン型暴力依存・一党独裁・党治国家がすべて崩壊した暁には、レーニンの『国家と革命』はユートピア小説のジャンルの中にも正当に位置づけられよう。

 

 ユートピア小説といえば、歴史的に無数ある。人類は、古来からユートピア幻想に憧れてきた。それは、様々なユートピア小説を産み出したと共に、現実を反映した逆ユートピア小説も受け入れられた。ハックスリー『すばらしい新世界』のアンチ・ユートピア小説もその一つである。資本主義政治経済の弊害は、そこからの脱出選択肢・オルタナティブとしての社会主義・共産主義幻想を思想・運動面で活発にした。

 

 それは、ユートピア小説ジャンルの一部として、共産主義幻想に基づく革命ユートピア小説を産み出した。チェルヌイシェフスキー『何をなすべきか』とレーニン『国家と革命』の2つである。しかし、社会主義運動の高揚において、その一側面として暴力革命テーマとテロル問題も浮上してきた。理論・運動だけでなく、体制としてのソ連が出現した。そこでのレーニン・ボリシェヴィキの大量殺人犯罪と、一党独裁・党治国家における共産党犯罪も現実のものとなった。それらの思想・運動・体制は、必然的に革命ユートピア小説を産み出した。ドストエフスキー、ザミャーチン、オーウェルらの革命ユートピア小説の系譜である。

 

 以下、5人の系譜を時系列で検討する。チェルヌイシェフスキー、ドストエフスキー、レーニン、ザミャーチン、オーウェルである。チェルヌイシェフスキーとレーニンの2人は、革命ユートピア小説になる。ドストエフスキー、ザミャーチン、オーウェルら3人は、革命ユートピア小説である。

 

 なお、勝野金政は、ソルジェニーツィンより前に、スターリン強制収容所囚人としての文学をいくつか執筆・出版した。彼は、スターリン体制告発の世界的先駆者である。その内容やシンポジウム記録はリンクにある。ソルジェニーツィンは、現実に出現した逆ユートピア国家体制を膨大なデータ・証言によって告発した。よって、この2人の著書は、ユートピア小説と異なるので、別ファイルのリンクのみにする。

 1、チェルヌイシェフスキー 革命ユートピア小説

 彼は、1863年『何をなすべきか』で、ナロードニキの革命理論、運動に基づく革命ユートピア小説を書いた。そこでの水晶宮の描写は革命後の社会を具体的に、バラ色に想像している。1861年の農奴解放令以来、ヴ・ナロード運動は先鋭化した。チェルヌイシェフスキーの『何をなすべきか』がロシア・インテリゲンチャの人気を集めていた。

    チェルヌイシェフスキー『何をなすべきか』

    google『チェルヌイシェフスキー』

 2、ドストエフスキー 革命ユートピア小説

 1849年、28歳のとき、フーリエらの社会主義思想に共鳴し、ペトラシェフスキー事件に連座し、シベリア流刑となった。彼は、チェルヌイシェフスキーの革命ユートピア小説『何をなすべきか』に対し、1964年『地下室の手記』によって、地下室の住人というロシア人の国民的根源像を対比させ、ユートピア水晶宮の世界とその「浅薄な活動家たち」を徹底して批判した。その水晶宮ユートピア批判と活動家像批判の延長上に、『罪と罰』のラスコーリニコフが誕生してくる。さらに『悪霊』、『カラマーゾフの兄弟』の『大審問官』伝説で、革命思想殺人事件を探求し、革命の四重底、五重底を洞察し、革命逆ユートピア小説のジャンルを確立した。もちろん、ドストエフスキーの諸作品の奥行きは深く、このジャンルに収まりきらないことはいうまでもない。

    『ドストエフスキーと革命思想殺人事件の探求』3DCG6枚

    google『ドストエフスキー』

 3、レーニン 革命ユートピア小説

 レーニンは、チェルヌイシェフスキーの水晶宮ユートピアを愛読し、同じ題名の『なにをなすべきか』で革命党組織論を展開し、ドストエフスキーの『悪霊』を「反動的小説」ときめつけた。ドストエフスキーの『悪霊』について次のように発言した。『悪霊』のような反動的な小説を読む時間は私にはない。この小説によってネチャーエフのような人の存在がおとしめられている。ネチャーエフのような人はわれわれにとって必要だったんだ(1943年、雑誌「三十日間」に掲載)。ネチャーエフとは、ナロードニキ革命組織内での裏切り者を殺害した指導者で、その事件をドストエフスキーは『悪霊』で、その殺人心理と革命家の倫理を鋭く批判的に探求した。

 レーニンのロシア文学観は1908年、レフ・トルストイを分析して、創造的芸術家への自分の見解を詳しく論じたレベルにも見られる。レーニンにとってトルストイは必要だった。なぜなら、トルストイはロシアの知識人の無力さ、無意味さを彼に示してくれた鏡だからである。「ロシア革命の鏡としてのレフ・トルストイ」という題のこの論文は、レーニンがこの作家を革命という観点からのみ見ていたことがわかる。

 

 (トルストイは)、一方では、ロシアの生活の比類のない画像を提供したばかりでなく、世界文学の第一級の作品を提供した天才的な芸術家。他方では、キリストをばかみたいに信じている地主。一方では、社会的な虚偽と偽りにたいするすばらしく力強い、直接的で心からの抗議、他方では、「トルストイ主義者」、すなわち、公衆の面前で自分の胸をたたきながら、「私は醜悪だ、私はけがらわしい、しかし私は道徳的自己完成を求めている。私はもはや肉を食わず、今は揚餅を食べている」という、ロシアの知識人と呼ばれる生活に疲れた、ヒステリックな意気地なし

 レーニンは、それらのロシア文学にたいし、『国家と革命』において、少数派の職業革命家指導の下で国家権力という暴力装置を暴力革命で奪取し、旧国家機構を粉砕し、議会制度を廃止し、少数者による暴力的独裁=プロレタリアート独裁で権力を維持し、しかるのちに国家を死滅させることができるという、高度に理論的装いをこらした革命ユートピア小説を執筆した。憲法制定議会における議席獲得率24%の少数派ボリシェビキが、憲法制定議会第1日目で武力解散するという不法なクーデターで奪取する暴力装置=国家を、そのクーデター勢力が自らの手で死滅させることができる…という驚くべき空想的な社会主義ユートピア像を描いた。

 しかも、暴力依存型権力の管理・官僚制へのレーニン的オプティミズムは20世紀最大の誤解といわれるほど、その後の社会主義国家の官僚制増殖に無力だった。国家死滅どころか、どのように『奪われた権力』になっていったのかは、ダンコースが分析している。『国家と革命』全文を読めば、そのユートピア性とレーニン的オプティミズムがよく分かる。この全文をHPに掲載したTAMO2に敬意を表する。

 加藤哲郎教授は『東欧革命と社会主義』(花伝社、1990)で、マルクス、エンゲルス、レーニンを比較検討した、本格的で詳細な『国家と革命』批判を展開している。これは、不破哲三のレーニン批判(2000年)の10年前である。その一節だけ引用する。それは、一九一七年八〜九月、ロシア革命の渦中で書かれた。それは、「マルクス主義の国家学説と革命におけるプロレタリアートの諸任務」と副題され、一八四七年以降、七〇年間のマルクス主義国家学説をあとづけ、理論的に整理し、実践的に方向づけている。いわば、「思想・運動としての社会主義」の国家論的総括がおこなわれている。それは、ロシア革命の勝利後、指導者レーニンの名声に支えられて、スターリンの支配する時代に、マルクス主義国家論のバイブルとされた。

 一九六〇年までに、ソ連国内で、四六の言語で一八八回、総計六五五万部が刊行されたほか、世界の多くの言語に翻訳され、普及していった(国民文庫版新訳『国家と革命』、一九六五年、一八〇〜一八一頁)。しかし、『国家と革命』で唱えられていたこと、「プロレタリアートの独裁」が「半国家」であり社会主義のもとでは「非政治的国家」から「国家の死滅」に向かうという構想は、実現されなかった。現実に存在するロシア・ソヴェト国家は強大化する一方で、官僚制化、党と国家の癒着、参加と民主主義の形骸化、労働者・民衆への抑圧が、常態化していった。第二次世界大戦後、ソ連の外へと広がった、現存社会主義の他の国々でも、同様であった(P.111)。加藤哲郎は『一つの国家論入門』でも、『国家と革命』批判を行っている。

 しかし、それは、片やファシズムという全体主義国家思想と体制が蔓延していただけに、全世界にレーニンの革命ユートピア小説愛読者を広げた。

    加藤哲郎『一つの国家論入門』『国家と革命』の理論的検討と批判

    『スターリンは悪いが、レーニンは正しい説の検証−レーニン神話と真実1〜6』

    『レーニン「国家と革命」の誤り』ファイル多数

    wikipedia『ウラジミール・レーニン』

 4、ザミャーチン 革命ユートピア小説

 ロシア革命の現実を体験し、レーニンの“小説”に対し、1921年『われら』で恩人、守護局支配、反乱鎮圧の肥大国家権力=秘密警察支配管理社会という革命逆ユートピア小説を対比させた。革命によって獲得された筈の「自由」「幸福」の内容がどのように変質させられたかを、ドストエフスキーの洞察を継承しつつ、SF小説のスタイルで告発した。それはレーニン批判にとどまらず、スターリン体制を洞察した内容にもなっている。SF小説というスタイルだけに、守護局システムは意図的に誇張して描かれ、宇宙船インテグラルの反乱もその目的、綱領、計画がやや抽象的で、具体性に欠ける所がある。

 しかし、それらをSFスタイルでなく、現実のものとして書けば、直ちに粛清されていたであろう。それでなくとも『われら』は、反ソ宣伝のもっとも悪質な代表的作品として、ソ連崩壊前まではソ連国内での一切の出版を禁じられ、ザミャーチンの存在さえもソ連文学史上で抹殺されていた。

 ただ『われら』の思想には、上述のような権力をとったマルクス主義は「自由」「幸福」概念を逆転させるという政治的告発の他に、もう一つの側面がある。1920、21年時点では想像上、理論上でしかない宇宙船建造が可能となる生産力、科学技術の発達時代になれば、逆に<われ>というアイデンティティは希薄化し、<われら>となる、即ち科学技術、社会管理システムの進歩と人間倫理、文化総体の進歩とが反比例の関係になるのではないかとした科学技術、生産力発達管理社会への強烈な批判がある。

    『ザミャーチン「われら」と1920、21年のレーン』3DCG12枚 『電子書籍版』

 ハックスリーの『すばらしい新世界』のアンチ・ユートピア小説に共通するものがある。その点で、『われら』はドストエフスキーの思想を継承しながら、彼を超える、もう一つの普遍的洞察を提示したアンチ・ユートピア小説ともいえる。

 ザミャーチンの『われら』はロシア革命の内部で、ロシア語で書かれ、ソ連国内における最初のレーニン批判・告発文学作品として忌み嫌われ、抹殺され、正当な評価がなされていない。ドストエフスキー、ザミャーチン、オーウェルの愛読者の私としては、この文でザミャーチンの再評価、ソ連崩壊後の名誉回復を図ろうとした。つい熱が入りすぎて、レーニン批判も考慮に入れたため、長すぎた政治的『われら』評論になってしまった。

 5、ジョージ・オーウェル 革命ユートピア小説

 彼は、ザミャーチンの影響も強く受け、その評論も書き、革命逆ユートピア小説をさらに充実させた。『カタロニア賛歌』に描かれたスペイン内乱での個人的体験を基にして、スターリン批判を強め、『動物農場』『一九八四年』という不朽の名作を書いた。「今後とも残る英語小説」というイギリスのアンケートでは、ジョージ・オーウェルの『一九八四年』は、いつもベストテン上位に入るほど著名である。

    『オーウェルにおける革命権力と共産党』3DCG7枚

    google『ジョージ・オーウェル』

 6、勝野金政 現実に出現した革命ユートピア国家体制への告発文学

    『「革命」作家ゴーリキーと「囚人」作家勝野金政』

    稲田明子『勝野金政WEB記念館』シンポジウム記録他ファイル多数

 7、ソルジェニーツィン 現実に出現した革命ユートピア国家体制への告発文学

    ソルジェニーツィン『収容所群島』第2章、わが下水道の歴史

    ソルジェニーツィン『収容所群島』第3章「審理」32種類の拷問

    『ソルジェニーツィンのたたかい、西側追放事件』3DCG9枚 『電子書籍版』

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 (関連ファイル)

    『ドストエフスキーと革命思想殺人事件の探求』3DCG6枚

    『スターリンは悪いが、レーニンは正しい説の検証−レーニン神話と真実1〜6』

    『レーニン「国家と革命」の誤り』ファイル多数

    『ザミャーチン「われら」と1920、21年のレーニン』3DCG12枚

    『オーウェルにおける革命権力と共産党』3DCG7枚

    『ソルジェニーツィンのたたかい、西側追放事件』3DCG9枚

    宮地徹『Grafic World3DCG原画多数