Last update/2006年11月08日

■What's New... 段々過激になっていく私。誰か止めて!


part1

自分とよく一緒に音を出している人に共通している事に、いわゆる良い音を知っている事、 そしてその自分の良い音を出せる事が挙げられると思っているのだが、たとえば颯田氏のギターは生でもエレアコでも背筋が続々する程の良い音を出します。
その音を認めて同じ音を出したいと、大枚はたいて同じ物を揃えた花立さんも良い音を知っている。
この良い音を出せるというのは、その時点で大きな差をつけていると思うのだが、まあ、好みの問題もあるけれど、なんかパットしないバンドを見るとどこかがいやな音だったりしている場合があると勝手に思っているのである。
最近、BOB MALONE というブルース系のピアニスト&シンガー(弾き語り)と知り合った。本国(アメリカ)で2まいのCDを出していて、最近は、ボズ・スキャッグス、アヴェレージ・ホワイト・バンド、ネヴィル・ブラザーズなどのオープニング・アクトとして全米をツアーしまくっているブレイク寸前のピアニストである。
彼のピアノがこれまたDr,JOHNな感じで、良くなるんですよ。
こんなことがありました。 スペイン倶楽部でのサウンドチェックのとき、彼が弾いた後に、ピアノが会場にどう聞こえているか チェックしたいからお前弾けと言われてちょこっと、ニューオリンズ風をかました時、俺ってこんなにいい音だせたっけ?とちょっと勘違いしました。
でも、本物を聞いた後ってやっぱり何か自分に変化があるのかなと思いました。
その後、ご多分にもれず、僕のピアノも聞いてもらった(セッション)訳ですが、彼いわく、2,3年ロスかニューヨークで、もまれれば日本で(?)間違いなく一流になれると言われたのだが、やっぱりジャズの生まれたアメリカで活動(というかいろんな意味で戦っている)しているやつに言われると、と言うかそういう事がさらっと言えること自体格好良いじゃないですか。ちょっとうらやましい。
じつは、ゲーセンの前世占いで、俺の前世はアメリカ人だったそうだ!
一部で私の練習好きは有名(?)ですが、これにはタイプがあるようです。一つは本番を数多くこなす事が練習にもつながっているタイプと、本番とは別にとにかく弾いていないと気が済まないタイプに大きく別れるようです。僕の場合、ピアノは殆ど自己流の時代が長かったので今そのつけを払っている様な感じです。
でも、それまで弾きたかったものが弾けるようになる喜びというのは、そりゃあ大変な事でそれが楽しくてやっているような所です。一番困るのがツアーというか旅に出たとき練習が思う存分出来ない時がある事ですね。
演奏のある時は、早めに会場に入ってやるのですが、本当に練習なのであまり人には聞かせられない代物なのでちょっと引け目を感じつつ遠慮がちになってしまいます。そうでないときは、電話帳で音楽教室を調べて教室をレンタルします。ヤマハの特約店はさすがに全国に広がっているので、案外よく使う手です。でも、自分はヤマハの講師だから安くしてもらおうと甘い考えは持たない方が良いです。
以前、横浜と四国は高松のヤマハでレンタルした時に、電話で「盛岡でヤマハの講師をやっている者ですが、安くなりますか?」と尋ねた所、「?」みたいな雰囲気だったので、「あっ、結構です」と言ってしまいました。
少しの違いですが、「そんなもんかな?」と思ってしまいました。言っておきますが、練習と言ってもクラシックですよ。何せ初心者ですから。
これは本当に個人的な感想です。誰がどうだ、といっている訳ではありません。
最近、ピアノのすごい奇麗な音を出したいと思っているのですが、特にp、ppの時ですね。
去年、志田先生の主宰する合唱団のお手伝いをさせてもらったとき、全体のバランスからピアノのソフトペダルを使いますかと、聞いたとき「ソフトペダルを使わずに小さい音を出すのがかっこいいのよ」 と言われ、本当に眼から鱗状態でした。
それ以来ソフトペダルを使っていないのですが、これがメチャクチャ難しい! ソフトペダルの音ももちろん悪くないのですが、かっこいいと言われるとやらない手はないでしょう。そうなるとCDを聞いていていてもソフトペダルを使っている所にくると、?と思ってしまうひねくれ者でした。でも、これってちょっと秘密にしてたけど、あまりにもガンガン鳴らす人がいるのでそれも良いのだけれど、なんかピアノが悲鳴をあげている様に聞こえたんです。私には。
もっと堂々と鳴らしてあげたい思っている私です。いつになったら出来る事やら…
バンドの名前をつけるのもなかなか大変で、出来れば人任せにしたい物だ。
でも、今関わっているものを考えて見ると、パートが一人変わっただけで名前が変わってしまう、と言う状態にあります。
本人もよくわかってなかったりして。
ちなみにこのようになっています。

TRIO MUSIC
 北田了一(p)、畠山芳幸(b)、岩泉大司(d)

TRIO MUSIC 2
 北田了一(p)、畠山芳幸(b)、山内協(d)

TRIO MUSIC 3
 北田了一(p)、佐藤弘基(b)、岩泉大司(d)

The CYBERS
 北田了一(p)、桜井勝(b)、岩泉大司(d)

The HYPERS
 北田了一(p)、桜井勝(b)、山内協(d)

カルテット ミュージック
 那須尚平(g)、佐藤哲(b)、北田了一(p)、岩泉大司(d)

GOMA チャントリオ
 北田了一(p)、下田耕平(b)、岩泉大司(d)

JJRストロベリー・ミルク・デラックス
 花立純(v・g)、颯田淳(g・v)、北田了一(kb・p)
 高橋佐登子(cho)、桜井勝(b・cho)、岩泉大司(d・Per)

と、こんなにいっぱいあってどうしましょう。
その名前の由来ですが、TRIO MUSIC については畠山氏の命名で単純にトリオの音楽なのでそうした、といっておりました。
私としては、チック・コリアのアルバムからいただいたのかと深読みしてしまいちょっと気に入り使うようになりました。
あんまり定着してしまったので、メンバーが変わっても使っている状況です。
それがもとで、4人でやるからカルテットだ、と言う事でカルテット・ミュージックと半分冗談の様な名前も出来てしまいました。(命名は、私の予想ではヤマハ仙台支部の嘉村スタッフでは)
GOMAシリーズも、細かくなっていてこちらの方はごまのページの方でやってもらいましょう。
JJRは皆さんご承知の通りメンバーの頭文字からとったのですが、後から参加したメンバーには、いちごとか牛乳とか豪華とかついてちょっとうらやましい。

本当はバンドの名前ってあまり個人的にはごだわらないのですが、北田了一トリオ、とか北田トリオと書かれたときになんかぴったり来ないんですね、これが。あくまで、私個人の感想なので・・・・
熊本は天草へいってきました。サックスの宮崎君(ラジオ・スイング)の郷里と言う事で呼ばれて演奏してきました。
行くときはおりしも台風10号が九州に上陸、なんて冗談じゃないよ!(鬼瓦権蔵)って感じでしたが上陸寸前に着陸って感じで何とか着きました。
天草と言うのは、天草諸島の相称でいくつかの市町村からなっています。ので天草市ではなく、一番の中心は本渡市と言うところで、そこでやってきました。
演奏はいつもの通りの素晴らしい物ですが、さすが南国、桜の木一本に一つ花が咲いていました。
それと、焼酎はさすがに絶品。特に市販されていない物は最高でした。
それにしても、羽田空港の駐車料金のすごさには思いっきりびっくりしました。
最近、身内の間で私のページに主張が出てきたと、話題になっています。
普段思っている事を書いているわけですが、時間が経てば色々変わる訳なので、たとえば来週辺りはどうなっているか解りません。
でも、個人的な事なのでこんなやつも居るのかと、鼻であしらってやってください。

それでは、私のバンド遍歴へもどうぞ。
私の変な性格第2段。
自分は、はやり物が嫌いである。というかはやり物に乗ってしまうのが嫌いである。
タイタニックなどは最近ようやっとサントラ盤を買う、などと大変である。
ただ、普通にしていればそれとなく耳には入ってくるので、別に焦って手に入れなくともおもっている。
ただ、困っているのは、周りのほとぼりが冷めてから手に入れて、やっぱりいいじゃねーか!
となるのである。
やっぱり変!
下のJJRの所にも書いたのですが、私の洋楽遍歴をちょっと紹介します。
一番古い記憶では、ちまたは GS(グループ・サウンド、ガソリンスタンドではない)ブームの真っ只中。うちの母親がラジオを聞くのが好きで、気に入った曲をよく買ってきていました。
そんな中に当時のGS・タイガース・スパイダース(シャープ・ホークスまではなかった)のシングルがありましたが、子供心にひっかかったのが(当時5・6才!)ショッキング・ブルーのヴィーナス。中間のあーとフレーズを歌っているところをユニゾン(まあ、一緒に歌っていたわけだが)すると微妙にずれて気持ち良いことが解って(今で言うディチューン効果ですか)
よく歌っていました。
もう一つはモンキーズ。当時テレビ番組もあって数枚買ってもらいました。
それと、これはその後の展開に重要なポイントになるのだがベンチャーズ。特にいすを箸で叩いて8ビートを炸裂させていた記憶は鮮明である。恥ずかしくもなく、家の裏の公園に向かって聞かせていたのである。
おまけはナット・キング・コール。
当時レコードの行商が定期的に家にきてレコードをおいていったのだが、その時のレコードのリストがクロード・チアリ(今娘が教育TVの幼児向けの英語の番組に出ている)とペペ・ハラミジョのカップリング。
ベンチャーズとサンディ・ネルソン(ドラムなのだが良く分からん)のカップリング。
そしてナット・キング・コール。当時の耳にはナット・コールは非常に官能的に聞こえ10年以上聞けなかった。それが今やナット・キング・コールショウのビデオ全6巻を揃えるほどのファンになるとは・・・・
このシリーズは面白そうなので、続きはまた後程。  続編はこちら
実は幼稚園の時には、園にあった足踏みオルガンで見よう見まねで猫踏んじゃったを弾けた記憶がある。
音を出す事には興味があったらしい。その後、しばらくは記憶がないのだが小学校3年の頃突如として何か自分の楽器が欲しくなり、なぜかエレクトーンを買ってもらう。これがひょッとすると全ての始まりかもしれないが・・・
(実は小学1・2年のとき、ブルーチップ(!)の景品でウクレレと地球儀のどちらかを交換出来るとなったのだが、なぜか妙な向学心を出し地球儀にしてしまった。これがウクレレだったら私の人生はちょっと変わっていたかもしれない)
エレクトーンを買いに東山堂(この時からの付き合いである)に行き子供心に親に負担を掛けまいと一番安い(Bー2B!)物を買ってもらう。
買ってもらったは良いが、弾き方が良く分からずこりゃ習った方が早いなと言う事でヤマハの門を叩いたのであった(ヤマハともこの時からの付き合いである)。
当時のレパートリーというのがいわゆるイージーリスニングと呼ばれる物がほとんどで、何かの参考にと買った数少ないエレクトーンのレコードの曲も映画音楽やクラシックをアレンジした物、ラテン(といってもマンボ・ビギン・ルンバとまるでストリップのバックみたいなもの)が中心で、それしかなかったというものあって小学生のくせに「マイ・ウエイ」や「ある愛の物語」などのフランシス・レイもの、など好んで(?)聞いたり弾いたりしていた。
そんな中同級生は歌謡曲に目覚めていて、自分はエレクトーンを習っているのにはやりの曲を一つも知らないとショックをうけ、しばらく明星の世界にお世話になるのである。
当時買った物というと、フィンガー・5(県民会館にみにいって妙子ちゃんと握手した!)なぜか郷ひろみの「よろしく哀愁」など。
しかし、自分でレコードを買える(といっても少ない小遣いのなかで)ようになった時、第一次ディスコブームが勃発。Banzaiの「ビバ・アメリカ」「チャイニーズ・カンフー」ホット・ブラッド(メンバーはBanzaiとほとんどおなじでは)の「ソウル・ドラキュラ」は私の心を捕らえて離さなかった。この辺りがインスト指向の原点ではと思う。
ここで一つ大事なポイントがあるのだが、当時のヤマハのテキストにはポプコンや世界歌謡祭に出た曲を使う事が多く(今でもそうだが)ちょっとフォークっぽい曲もあったのだが、当時というと今で言うニューミュージックが出るか出ないかで、オフコースの「群集の中で」なんて言う暗い(最初から?)曲も弾いた記憶がある。
ここで重要なのは、この頃フォークの世界にメジャー7th、マイナー7thのあの甘美な響きが蔓延してきた事である。当然私もそれを通じて、またフランシス・レイを通じてその甘美な響きの虜になったのである。とにかくCトライアドでは物足りずメジャー7thでないと満足できない体にされてしまったのである。
次にきたのが、中学に入ってすぐの「哀愁のヨーロッパ」。そうサンタナである。
実はこれも母親が買ってきたのであるが、すでに私の物である。
あの日本人好みの4度進行。甘美な官能のギター。もう聞き倒しました。
本来ならすぐにアルバム「アミーゴ」となるのだが、そんなことのしらなかったので FM からエア・チェック(今こんな言葉使わない!)したテープもよく聴いたものである。
実はこの頃からサルサっぽいいわゆるラテン物にも開眼していた様だ。
そして、オールナイト・ニッポンで知ったQueen。ヤング・ミュージック・ショウのKiss。
学校の昼の放送でかかった「Smoke on the water」そうDeep Purple。ハードな路線にはまって行く。
しかしこの頃とにかく色々聴いていたのは確かで、スティービー・ワンダーやアースなどのブラック。ピンク・フロイド、ELPなどのプログレ。マイケル・フランクスもこの頃から聴いている。
もう一つ忘れちゃいけないのがポール・モーリア。県営体育館まで見に行き、隠し録りに成功。今でも持っている。

そんな中で、ジャズ・ロック・ソウルのジャンルを融合した都合の(私にとって)良い音楽、クロスオーバーが注目を集める。中学3年の冬、Deep Purpleの「In Rock」と「Stuff」を一緒に買ってきたのは、ちょっと自慢である(?)。この辺りから、いわゆるジャズに傾倒して行くのである。
高校に入ると、まず言わなくてはいけないのがカシオペア。
洋楽ではないが洋楽指向のメンバーによって作られたカシオペアの音楽は洋楽といっても良いとして、話を進める。
その頃、ご多分にもれずバンドを組もうなどと考えメンバーを集め始め、同じような指向を持ったのが集まり始めていた。
あれは忘れもしない、教育会館2階会議室。カシオペアの歴史の中にも度々登場するコンサートである。
本来、東山堂の楽器の展示会のゲストとしてデビュー間もないカシオペア(といってもすでにアルバム2枚目を出していたが)がまねかれた。我々は最前列に陣取りそのかっこよさに非常にショックをうけそれ以来、カシオペアは私の音楽形成に多大な影響を及ぼしている。(ヤマハの講師の関係で野呂さんのセミナーでセッションしたとき、デビュー当時のコピー本にサインしてもらったのは私の家宝である)
そして初めてバンドを組むに至るのである。
当時のメンバーは殆ど高校の同級生でドラムだけ他校生に 頼んでいた。ギターの関浩志はその昔NHKFMの坂本龍一の番組でデモテープを取り上げられる。
また、ベースの那須野満はアルタード・ステイツのメンバーとして又、スタジオミュージシャンとして川本真琴 などのレコーディングに参加するなど私を除き輝かしい活躍をしている。
しかし、ここでジャズに決定的な関わりを持つ出会いが訪れる。
エラとサッチモのデュオである。FM で偶然聞いたのがそもそもの間違いの始まりであった。
それ以来、当時のコマーシャルでブレイクしたヘレン・メリルのあれ(長いので省略)、バド・パウエルの クレオパトラの夢を始め、のめり込んで行くのである。
その次のショックはチック・コリア。 これには参った。
これはどうしたものかと、唯一コピーをさせてもらったミュージシャンである。 その後は、我々の世代が皆頭をやられたものは、一通りやられているのである。

まあ、面白いのはこの辺までかと思います。 ご質問、または賛同される方はご一報ください。
私のひねくれた性格を物語る上でいつもたとえに出すのが、自分は人に誉められるのが、大嫌いである。と言う事である。
特に見知らぬ(向こうは自分を知っているらしいのだが)人から「いやー、よかったよ」などと言われると、お前何が良かったんだよとにっこりしながら、心の中で悪態を突いています。
これだけでもものすごく性格が悪いのに、相手が酔っ払っていたりするとしかとします。もう最低の性格ですね。
これで、ありがとうございます。またよろしくお願いします。
なんて、にっこり言えた日にゃあもうこいつを応援してやろうじゃないかなんて人がいっぱい周りに増えるんだろうけど、(どこかの誰かみたいに、って言うとまた敵を作ってしまう)世渡り上手にちょっぴり嫉妬したりして……

でも、自分はまだまだ何も弾けていないのは確かな事でピアノもろくに弾き切れていないと思っている所に「よかったよ」と言われるのは何か嫌みに聞こえたりして、最低の性格と自分でも思います。
なんちゃって!
先日、こんな事がありました。お店の常連の人が自分の姪を連れてきました。
彼女はなんでも東京方面のちょーお嬢様大学のピアノ科に籍を置いているそうです。
その彼女を店に紹介したくて帰省中の時に連れてきました。
さぞやお立派なピアノを聞けると思ってましたが、いざふたを開けると自分が持ってきた譜面(と言う事は多少練習しているはず)にも関わらずまあ、よく止まるんです。
常連(叔父)のリクエストには、譜面があればと言うので店にあった曲集(編曲してある)を貸してあげたのだが、これはさらにまともに弾けない。
店がひま(?)だったので、貸し切り状態でほかのお客さんに迷惑がかからなかったので良かったといえばそれまでだが。

本当にピアノ科在籍なのだろうか?
だとしたら、お金がもったいないと素直に思った。
そうでないとしたら、周りはその気にさせない方が彼女の為だと思うのだが・・・・
JJRストロベリー・ミルク・デラックスと言うバンドは、いろんな意味で盛岡を代表する(というよりは、盛岡と言う土地柄をあらわしている)バンドではと今年になってから思うようになってきました。
最初は私と花立さんと2人だったのですが、事業拡大を計っていくうちに大所帯になってしまいました。(そのうちJJRの歴史でも作りますか)
どこが代表しているかと言うと、それぞれ10年以上(佐登子嬢を除く当たり前や!)のキャリアとそれこそ盛岡では名の知れたバンドに属し、そんなミュージシャンが集まっているのがJJRである。
でも、このメンバーで出す音と言うのが何というか盛岡な音なのですよ(どんな音じゃ!)
良い悪いではなくて、このメンバーじゃないと出ないんですよ。
これってすごく大事な事だと思うのですが。
でも一つ気になる事があって、私を除くほとんどが実はフォークの人なのです。
自分が洋楽中心の事もあっていわゆるフォークの洗礼を受けていないので、颯田氏の曲をやるときなど、自分の勝手なアプローチでやってしまってりして大丈夫かな?と思う瞬間もあるのですが、それがJJRの面白い所と自分だけ勝手に納得しましょう!
でも、自分の周りにフォークから入った人、結構います。
さすが、NSPを生んだ一ノ関!あんべを生んだ釜石!高橋研を生んだ盛岡一高ってか!
(ニュー・サディスティック・ピンクの略だって事知っている俺はなに? でもこれって我々の世代では常識でしょ!)
盛岡という街は、いわゆるミュージシャンがプロとして活動(録音や制作から、箱バンまで)場所、場面が極端にありません。
もちろん、その少ない場面で立派に仕事をされているひともいらっしゃいます。
ほかの土地から盛岡にいらした方は、そのアマチュアと呼ばれる人たちのレベルの高さにびっくりします。(中には、本当にアマチュアなやつもいますが)結局、仕事が極端に少ないので昼にちゃんと堅気(?!)の仕事をしつつ残りの時間で音楽活動をする人がほとんどです。
ただ、昔のように若手を育成する場所(箱バンが一番手っ取り早い気がするのですが)がほとんどなく、私がこの業界での最年少みたいな感じで早15年。
若手育成に力を入れない私も私ですが、ちょっと見込みのあるやつは皆、中央へいってしまいます。(尋成がんばってるか!おまえはやっぱりアメリカにいけ!)
結局私が業界最年少者として早15年。どうなっているのでしょう。
上でもちょっと触れていますが、盛岡のひと(?)はよくプロとアマチュアを非常に意識しています。
そんなことを言うと、私は完全にこの仕事で生活しているのでプロと呼ばれるのですが、本人はちょっとその区分けに抵抗を感じております。
自分は、ジャズを弾いている時も演歌で呼ばれた時もJJRでリハをしているときも楽器を弾いているときはプロだとかアマチュアだとかそんなことは考えた事はありません。
なんて言うとそんな奇麗事いってんじゃないよといわれそうですが、確かに交通費とか今月の支払いはとか金銭的なことは考えますが、自分がその場でできること、もっと良いものにするにはどうしたら良いかと考える事の方が多いですね。
下でも触れていますが、内容(体調)はともあれ音を出していると不思議と機嫌が良かったりします。
北田君はプロだからといわれる瞬間もあるのですが、あれはちょっと恥ずかしいですね。
自分はそんなことで小さい事で音楽をやっている訳でもないのですよ。
逆に言うと、アマチュアだからと逃げる事も出来るわけで、そんなことを言う人に出くわすと、すごく寂しいです。そんなこと言わないでください。
少なくとも、自分の周りにいるミュージシャンは一緒に音を出して楽しいから一緒にやっている(しょうがなく遊ばれている話もある)のです。皆そんなプロ云々なんてことは気にしていないはず(本当か?)である。
ピアノで演奏に行くと次の様なことがよくあります。

ライブハウスのピアノは大体状態があまり良くありません。
たばこや空調による極端な温度差、ピアノにとってよくない事ばかりです。
調律代も結構するし、グランドならまだしもアップライトと言うところも少なくありません。
バラードをやるときはちょっと勇気がいります。
でも、ピアノはピアノです。弾いていると、とりあえず何というか、ほっとします。

会館などのピアノは、いってみれば、その会館の見栄もあってか、大体はフルコン、またはセミコンクラスのそれはもう立派なピアノがおいてあります。
国産はもとより、S社やB社などのピアノも最近は少なくありません。 でも、そういう時の内容は昼夜2回公演のものだったりします。とっても、欲求不満になったりします。リハの時間の合間を見ては、好き勝手に弾いて、やっぱりいいなあと浸ってしまいます。

でも、基本的にピアノを弾いているのが好きなので、内容はなんであれ気が済んでいるあたり、 単純というか、だからとりあえず、なんでもやっているところです。
ここ10年以上、夜店でピアノをひいているわけですが、 私の性格から考えてよくもっているなと思うときがあります。
いま弾かせてもらっている店はマスターもサックスを吹くれっきとしたジャズ・ミュージシャンなので居心地がよく、あまり切れることはないのですが、、、、
でも、この仕事を長くやっていると、(もとスクエアの和泉さんもやってらしたとか)何と言うか、たまにやれやれと思う瞬間に出会うことがあります。
たとえば、調子に乗ってジャズを弾いていると、きまってくるリクエストがテイク 5、マイ・ファニー・バレンタイン、枯葉など、ちょースタンダード。
枯葉などはわざとシャンソンにして、マイ・ファニーにいたってはごていねいに、ヴァースからひくと至れり尽くせりですが、テイク5はなかなかキーが大変で、クレオパトラにいたっては、どうするんだい!のありさま。リクエストする人にとってはすごく、大事な曲と言うのは最近解るようになってきましたが、私の中の認識との“ずれ”に悩むわけです。
さらにもっとすごいのが、渚のなんとかや、憧れがどうしたとかにいたっては、さらにずれてくるのです。

曲が嫌いでは決してなく、むしろ非常によくできていて、演奏している人も非情にしっかりしているミュージシャンと言うのも認めるのですが、あんた、ほんとにこの曲知ってるの?とつっこみたくなるのが、正直なところです。

でも、なんだかんだいって弾いています!
聞いてもらってなんぼ(by 岸三晃)です。

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