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1月30日(金) 幾たびも「麟之介」
・昨年、掲示板で、匿名希望氏から、山田風太郎「呪恋の女」の原型と考えられていた「鞆絵と麟之介の物語」の後編部分をみつけた旨の書込みをもらって、4年越しで、この作品の初出問題は決着がついたようだと書いた。(昨年12月24日のWhat's New?参照)。
 実は、その後、匿名希望氏(リアルで知っている方)から、メールを戴き、掲載誌の写しまで頂戴した。テキスト比較を後回しにしているうちに随分時間が経ってしまって、情報を戴いた方には申し訳ない。
 戴いたテキストは、既にやよいさんから頂戴していた前半部分に続くものであり(「前号の梗概」として前半のストーリー紹介がされている)、現行「呪恋の女」として知られる作品の後半部と同一のものだった。したがって、「呪恋の女」−「鞆絵と麟之介の物語」の初出は、
 「鞆絵と麟之介の物語」(前半) 「くいーん」昭和22.12
 「鞆絵と麟之介の物語」(後半) 「くいーん」昭和23.5
となり、昭和27年7月号に掲載された「呪恋の女」は、「鞆絵と麟之介の物語」の改題再録であることが確定した。
 偶然にも、この件に関し、まったく初めての方から、「くいーん」の後半部分を送りましょうか、という申出が今月になってからあり、そのシンクロニシティには、驚いた次第。当然のことながら、知っている方は知っているということではあるのだが。
 掲載誌をお持ちというその方からの情報によれば−
掲載誌は『くいーん』の第2巻第4号。(裏表紙には「第二巻第四号」と表記がある)しかし、これは極めて怪しいもので、奥付には「VOL.2 NO2」と刷り込んであるというから、カストリ雑誌特有のいい加減さ。その上この奥付には「1948年5月10日印刷納本 1947年5月17日発行」などという、タイムスリップでもしなければ、不可能なデータが記されているとのこと。
 ちなみに、手元の写しによると、前半掲載号の奥付けは、「VOL.1 NO5」「1947年12月10日印刷納本 1947年12月15日発行」とある。
 12月から翌年5月まで、5か月も間が連載の間が空いているのが訝しかったのだが、定期発行もままならなかったカストリ雑誌特有のいい加減さと思えば、納得もいく。
 「呪恋の女」は、作家の単行本には、『跫音 自選恐怖小説集』 角川ホラー文庫(平7.4)に初収録され、『怪談部屋』 山田風太郎ミステリー傑作選8 光文社文庫(平成14.5)で読むことができるが、現在流布している「呪恋の女」のテキストを、「鞆絵と麟之介の物語」と比較してみると、若干の異動があるようだ。
 例えば、幻怪な奇譚に結末部分でM博士が解説を加える部分。
(結末に触れざるを得ないので未読の方は御用心!)

「呪恋の女」版
「あれは三重の人格分離症だ。…
−君達は、三歳の頃の自分と現在の自分とが同一の自分であると、どうして確信することが出来るか?それは生まれてから死ぬまで休息せず、睡眠せず疲労せず連綿不断に続くところの意識の奥地の生理活動の感のせいだ。それが断裂するのは、何もああいう精神病の場合のみに限らない。」

「鞆絵と麟之介の物語」版
「君達も気がついたらう、あれは薬も要らぬ三重の人格分離症(デベルゾリューセン)だ。−人間は、三歳の頃の自分と現在の自分とが同一の自分であると、どうして確信することが出来るか?それは生まれてから死ぬ迄休息せず睡眠せず疲労せず連綿不断に続くところの、意識の奥地の生理活動の感のせゐだ。凡ゆる刹那の意識は一瞬間前の意識をこれは己の同族だ、己と同一自我に属するものだと直感する。この意識の流れの不断性は、あの心臓の鼓動よりももつと緊密な一筋の糸のやうなものだ。カントは、これを次から次へと打撃を与えてゆく無数の運動球に例えてゐる。この自我意識の脈波が稀に断たれると、断裂以前の意識流は他人のそれと同じものに感じられるのだ。これが断裂するのは(以下略)」(原文は旧字。原文ルビはかっこ書きで表示。以下同じ。)

 医学用語にルビが振られているほか、カントが登場するなど説明が詳しくなっている。これは、「りべらる」掲載時に、説明が煩瑣にすぎると、落としたものか。

「呪恋の女」版
「−しかも珍しい両側異性の真性半陰陽なのだ。」

「鞆絵と麟之介の物語」版
「−而も世にも珍しい両側異性の真性半陰陽なのだ。睾丸(ホウデン)と一緒に卵巣(オヴルアムユウム)も持つてゐる。しなびてはゐるがあの胸には未だ乳房(マンマ)がぶら下がつてゐるだらう」

 この一節は医学的にはさすがに、無理があったのか、削られている。

 これらは、作者が手を入れたと思しい部分だが、次のように「鞆絵と麟之介の物語」版の方が正確だと思われる箇所もある。

「呪恋の女」版
「あれから、間もなく胸を病んで死んだということです。じゃ−」

 「じゃ−」は別れの挨拶か何かわからないが、「鞆絵と麟之介の物語」版では、

「あれは間もなく、胸を病んで死んだと云ふことですぢや」

 単なる老人言葉なのである。

「呪恋の女」版
「石門を出ながら振仰ぐと、「松沢病院梅ケ丘分院」の標札がまだ新しい斎藤茂吉の青山脳病院が戦争の劫火に焼かれ、病棟二棟と、他に無惨に崩れ落ちた幾つかの石楼のみを残してあとは一面の灰燼に帰し、松沢病院の分院と変名してから間もない冬の話である。」

 ちょっと、意味のとりにくいところがあるが、

「鞆絵と麟之介の物語」版
「石門を出ながら振り仰ぐと、『松沢病院梅ケ丘分院』の標札がまだ新しい。−斎藤茂吉の青山脳病院が戦争の劫火に焼かれ、病棟二棟と、他に無惨に崩れ落ちる幾つかの石楼のみを残して、あとは一面の灰燼と帰し、松沢病院の分院と変名してから間もない冬の夕の話である。」

 初出には句点が入っていて明解である。
 子細に比較したわけではないが、今後の定本とする場合に「鞆絵と麟之介の物語」版を参考にすべき点があると思われる。
 

1月29日(木)
・ノワール第2夜。
・『ギルダ』('46・米)
監督 チャールズ・ヴィダー /主演 リタ・ヘイワース /グレン・フォード 
 40年代の美神リタ・ヘイワースの魅力を全開させた一作。ブエノスアイレスにたどり着いたアメリカの流れ者。流れ者の不敵さを見込んでパートナーに拾いあげたカジノのオーナー(ジョージ・マクレディ)が旅行から連れ帰ったのは、男を捨てたかつての恋人だった歌手ギルダだった。ギルダは「男なしでは生きていけない」と奔放な魅力を発揮してかつて恋人を挑発。元の鞘には収まれないとみて、「自分が死んだ後でもあなたを破滅させたい」といい放つ。天使と悪魔の間の行き来するリタ・ヘイワースを中心として、愛を糧として憎しみがいや増す、あるいはその逆の、三者の関係性がとても面白い。「憎しみだけがわたしを興奮させる」というジョージ・マクレディの倒錯的な感情は、若い二人を拾い上げた事態の行く末まで見通した操り神のように−突飛な連想だがクイーンの『十日間の不思議』のようにーも思われる。マクレディは、やや絵空事的な陰謀に荷担しており、官憲に追われて、表舞台から姿を消すのだが、跡目を継いだグレン・フォードのギルダへの「復讐」は、これも倒錯的で、ソフィスケートされた残酷とでもいうべき手段で行われる。しかし、グレン・フォードが再登場し たところで、意想外の決着をつけてしまうのは、全体のトーンからみれば一貫性に欠けるようでもある。というようなもっともらしい感想も、ギター一本で歌われる「それはみんな彼女のせい」という戯れ歌が、再び、艶やかな踊りとともに披露されるシーンを観るだけで、もはやどうでもよくなってしまうのはやむを得ない。全編、抑制の効いた名台詞の宝庫でもある。


1月28日(水) 『十字砲火』
・HMM3月号2003年翻訳ミステリ回顧。「私のベスト3」は、この時期のベストとしては、他人があんまり挙げていない作を挙げるが勝ち。その意味では、HMM翻訳短編ベスト3を選んだ小山正や、川出正樹、杉江松恋、千街晶之、若島正といった各氏の挙げる作が気になる。難波弘之のベストはイイ。
・『十字砲火』('47・米) 
監督 エドワード・ドミトリク /主演 ロバート・ミッチャム /ロバート・ライアン/ロバート・ヤング 
 永年の封印を解かれて日本初公開になった頃、かなり話題になったことを覚えている。小味のミステリ映画としてみるとー。二次大戦も終結、復員兵が帰還しはじめている頃に起きた殺人事件。被害者と酒場で知り合った復員兵のいずれかが犯人らしいが、一人が失踪している。警察や軍曹の捜査によって、関係者の数人の回想がフラッシュバックで描かれ、事件の全容が次第に明らかになるにつれ、真の犯人が浮かび上がってくる。しかし、酒場で知り合って2時間しか経たない人間を、人は殺せるものだろうか−。フィンレイ警部(ロバート・ヤング)は、自らの祖父の体験に基づき、それは可能だと断言する。事件関係者に捜査の協力を求める際に、警部が語る言葉に映画のテーマが集約されている。冒頭の暗闇の殺人から、ラストの暗闇まで、画面は黒と白の強いコントラストが支配し、暗鬱のトーンに包み込まれる。失踪した復員兵の語る酒場女とのサイストーリーにも虚脱感、閉塞感が色濃い。三人ロバートはいずれも好演。そのテーマ性ゆえ、米国で3か月上映後、一切の上映を禁止されたという曰くつきの問題作。


1月27日(火) 影なき男
・キーラーは、国書第15期(2020頃)か。(藤原編集室日記)。長生きしなくては。
・仕事一段落、BSでやった『ヒッチコック:天才監督の生涯』を観る。影響を受けた監督や主演女優、娘(パトリシア・ヒッチコック)のインタヴューと名作のシーンを交えつつ、名匠の足跡を辿る。もうその作品世界は神格化されているが、映画は興行的当たり外れのある、なまものであり、気まぐれな観客の嗜好に一喜一憂しつつ、娯楽性と作家性双方が追求されていったことに、改めて気づかされる。同時代には当たり前だった、戦略的な宣伝屋としての顔も今は、忘れられがちかもしれない。
・『影なき男』 ('34・米)
監督 W・S・ヴァン・ダイク/主演ウィリアム・パウエル 
 マーナ・ロイ ダシール・ハメット原作(未読なんです、これが)。主演二人が演じるニック&ノラ夫妻のキャラクターが大評判をを呼び、全6作のシリーズ化もされた第1作。'39に登場するジェイク&ヘレンのジャスタス夫妻の先駆けといったところか。富豪の娘ノラと結婚したニックは探偵稼業から足を洗ったが、彼の名探偵ぶりを披露してほしいノラの期待に応え、ある殺人と科学者失踪事件の捜査に乗り出す。ファイロ・ヴァンス役者だったパウエルは、のんしゃらんな嫌々探偵を好演。奇天烈な人物が次々と登場し(科学者一家の狂いっぶりは凄い)、弾むような会話が繰り出されるノリは、スクリュー・ボールコメディ的。変人入り乱れる夫妻のパーティのシークェンスのどたばたも見事だが、皆を集めてさてという、謎解きシーンが圧巻。各人のキャラクターが立っているだけに、関係者が夫妻のディナーに次々と現れ、ニックの推理に反応していくところが極めて、コミカルかつスリリングなのだ。おまけに、給仕は扮装した刑事たち。ニューヨークの有閑夫婦は、名犬アスタとともに「探偵ごっこは楽しい」を体現している。


1月20日(火) 『気狂いピエロ』
・先日、DVDの中古ソフトを探しにいったが、幾つかの中古CD屋には、全然数がない。ブックオフは、映画は2棚くらい。アミューズというCD屋では、中古も結構品数があった。新作は、タワー・レコードがカルトコーナーがあったりして、結構な品揃え。
・DVD屋で貰ったフリーペーパーに『キャンディ』がDVD化というのが出ていた。おしゃれエッチ エディションとして、オリジナル・パンティがつくという(7800円)。リンゴスター出ていて、ビートルズファンも観たいだろうし、そんなの誰が買うんだよ完全な販売戦略ミスだと、独りごちていたら、タワー・レコードでは、品切れの文字。世の中のこと読めてないなー。
『気狂いピエロ』('65) 仏
監督/゛シャ・リュック・ゴダール 主演/ジャン・ポール・ベルモント アンナ・カリーナ 
 このヌーヴェルバーグの代表作について語られるとき、原作のライオネル・ホワイトの小説「Obssesiom」について言及されることがないのは、なぜか。原作が、この映画のように、色彩と光の饗宴、絵画や詩句の引用に満ちたコラージュ的な作品であるかもしれないではないか。というのは冗談だが、同じくライオネル・ホワイト原作であるところの『現金に体を張れ』('57/)について、「できのいい生徒がつくった映画だが、それ以上のものではない」と評したというコダールは、キューブリック監督にひそかな対抗意識をもっていたような気もする。それにしても、徹底的に物語的緊張には欠けたフィルムには違いない。殺人を犯した男女の逃避行の果て、女によって別な犯罪に巻き込まれ、男は女を殺すという原作の骨格らしきものは残っているが、映画の中で家具のように放置されている死体のように、事件はただそこにあるだけで、エピソード間の連関は意図的に、なおざりにされる。アンナ・カリーナは南仏の海岸で『二年間の休暇』のごとき二人きりの生活に倦み果てる。彼女の最大の不満は、服が着替えられないことであり、いつも同じドレスを着ている彼女は、確かに裸体に近づいてい っているように見える。彼女は、ジュール・ヴェルヌの冒険小説のような生活とはさよならして、歓楽と銃弾に明け暮れる夜の世界、犯罪映画の世界に物語を引き戻そうと叫ぶが、ファム・ファタールであることを宿命づけられていたはずのアンナ・カリーナは、物語を統制することはできない。バリの暗闇とは対比的な陽光の下、事件はただそこに断片として転がされるのみ。それでも、表面の意匠を超えて、切実に迫ってくるものがあるのは、宿命の女神になりきれなかったアンナ・カリーナの運命同様、フィルムノワールであることをかすかに志向しつつフィルムノワールになりきれない映画の身の捩りが、切なく美しいからかもしれない。


1月19日(月) 犯罪都市 
・『ラスベカス・ストーリー〜犯罪都市』 ('51)
監督/ロバート・スティーヴンソン /主演 ジェーン・ラッセル ヴィクター・マチュア 
 バスト100cm超、ジェーン・ラッセル主演の犯罪メロドラマ。かつてのラスヴェガスの歌姫だったジェーンが金満家の夫(ヴィンセント・プライス)とラスヴェガスを再訪。徴兵で別れた副保安官(ヴィクター・マチュア)と再会し、焼けぼっくいに火がつく。実はみせかけの資産家だった夫が賭博の金策に走るさなか、融資を求めていたクラブ経営者が殺害される。容疑は夫にかかり、副保安官は事件を担当することに−。あからさまに、ジェーン・ラッセル売出し映画で、水着やシャワーシーンを披露。時に純真な笑顔をみせるのだが、能面ぽい表情が多くていまひとつニュアンスに欠ける。ヴィクター・マチュアも鼻白むような美丈夫で、肉体派同志の共演にはあまり好感がもてず。ホギー・カーマイケルの弾き語りは良かった。この時代では珍しいと思われるヘリコプターVS自動車のアクションシーンあり。


1月16日(金) 『アフリカの女王』
・鉄人更新来たーっ。
・新年会。雪かき4時間とか、6時間とかいった話が飛び交う。マンションで車もないので、自分は雪かき業務は免除されているのだけれど。朝刊で好きなウィンタースポーツのアンケート記事があって、除雪で十分という主婦の答えに笑った。
・C.S.フォレスター『終わりなき負債』(小学館)購入。サンデータイムズベスト99にも選ばれた犯罪小説。
・『アフリカの女王』 ('51・米・英)
監督/ジョン・ヒューストン 主演/ハンフリー・ボガート キャサリン・ヘップバーン 
 原作は、そのC.S.フォレスター。「アフリカの女王」とは、蒸気船の名前。英国人牧師が宣教中の東アフリカの部落が一次大戦の余波に巻き込まれて、独軍の攻撃で灰燼に帰す。兄の牧師を失った娘が、出入りしていたおんぼろ蒸気船の無骨な船長とともに、二人きりでアフリカの大河を航行していくという川下り映画。娘は、蒸気船に魚雷をつけて遥か河口にいる独軍の軍艦に突っ込めという、或る意味無茶苦茶な注文を出すのだが、そんな要求を出せるのが勝ち気なヘップバーンで、従ってしまうのが、無骨なボガートというところか。急流、エンジントラブル、ぶよ、ヒル、葭の湿地帯と次々とトラブルに見舞われながら、二人の絆が深まっていく描写が楽しい−という古き良き時代の冒険ロマンス。教訓は、首のロープが締まるまで、諦めるな。


1月14日(水)  祭りの後で
・終日、猛吹雪。列車も一時ストップして、職場では、早退者も出る。
・光文社文庫、松尾由美『銀杏坂』、江戸川乱歩『新宝島』、『「宝石」傑作選』『利休の密室』購入。
・もぐらもちさんから、先日の異常アクセスの謎解きを頂戴する。
「それは多分先頃わいせつ図画頒布で出版社社長に有罪判決が出たコミック『蜜室』を誤変換した方々ではないかと…そんなに大勢いたのですか(笑)」
とのこと。わははは。この記事ですか−。そうそう、13日の午後から急に検索してくる人が増えてたのです。御来場いただいた方には、気の毒でした。しばらく、サイト名を蜜室系にしとこうかな。


1月13日(火) 密告&増殖
・更新もしていないのに、本サイト始まって以来のアクセスあり。検索サイトから「密室」を検索してたどり着いている人が多数の模様。どこかで密室祭りでもあったのか。
・ともさんから、密告。自分のところだけでも忙しいのに、ほんと、ありがとうございます。 ものは、第3回富士見ヤングミステリー大賞受賞作、田代裕彦『平井骸惚此中ニ有リ』。窓枠には釘がさされ、部屋の外には作家の妻がいたという状況。自室からは出られないはずなのに、作家は庭の木で首を吊っていたという不思議な事件。密室内からの脱出、そして事件の解決は単純ですが庭というもう一つの密室ができる点がおもしろいとのこと。みすべすにも書かれていましたが、ヤングアダルト小説としては久々にヒットの本格ミステリの由。早速購入してきました。
・DVD関係で、黒白さんから掲示板に書込みをいただく。それと、我がHDD師匠、電網からプチ失踪中?だった店主からの貴重な書込みです。 二つ併せて読むと、改めて、恐るべき機械を購入してしまったものだと思う。
 当方も、早くも、録画10本、購入ソフト3本、借りたソフト2本を超えている・・。


1月11日(日)  ミステリ界のエド・ウッド
・アーネストさんから、前出の柳下毅一郎氏のサイトに「ハリー・スティーブン・キーラーファンページ」というコンテンツがあるのをご存じですかというメールをいただく。全然気づいてませんでした。キーラーの名前は、殊能氏のサイトや昨年出たM.K氏の『ある中毒患者の告白』で眼にしてはいたのだが、こんな素敵な日本語サイトがあるとは。
 「ミステリ・ジャンルにおける崇高なる狂える天才」「ミステリ界のエド・ウッド」と評されるというキーラーの魅力がビンビンと伝わってきます。キーラー独特の語りの作法らしいwebworkというのがよく判らなかったのだが、ここを観てなんとなく納得。キーラーの復刻を出している出版社がエド・ウッドの小説の評論を出しているというのが、世界は繋がっているというか−。
 『ある中毒患者の告白』では、キーラーの長編8作がレヴューされていて、どれもとんでもなさそうで、かつ、魅力的だった。ロバート・エイディの本にも5つの長編と1つの短編が不可能犯罪物としてリストアップされていて、そっちの方からも気になる。キーラーは、決して最初から「エド・ウッド」だったわけではなくて、『ある中毒患者の告白』で言及されているサザランド・スコットの『現代推理小説の歩み』を参照してみると、「スタイルは独創的」、代表作と思われる『The Amazing Web』は「真に偉大な推理小説といってよいものである」と褒めちぎられ、ミステリオールタイムベスト25に『樽』や『アクロイド殺害事件』といった諸名作と並んで掲げられている。
 ハリー・スティーブン・キーラー、果たして、狂気か天才か−代表作くらいは翻訳が出ないものか。小学館にアンケートで出そうかな。


1月10日(土) 本屋でウィスキーを
・3日続けて雪。今年の正月は雪が少なかったのに、一挙に2月の積雪の水準になったらしい。千歳は飛行機が一部ストップ。その余波で、WJプロレスの選手が来られなくなって10日の開催は延期とか。事実上のラストマッチらしいのに、一人先着していた長州力が無人の会場に佇む姿は涙を誘う。
・HDD&DVDレコーダー到着。黒白さんによれば「悪魔の機械」か…。さっそく、配信される番組表で映画を数本録画予約。ジャンルごと、時間帯ごと等の番組表があり、番組内容のキーワード検索もできるので、とても便利。
・買っておいた『三つ数えろ』のDVDを観る(1500円と安価。これは本よりいいかもしれない)。日本語字幕と英語字幕、字幕なしが選択できるし、映画は32の章のどこからでも観ることができる。まあ、こんなことに驚いているのは、自分くらいだろうが…。さらに、びっくりしたのは、以前ここでも触れた1945年版がお蔵入りして、バコールの大根演技のためリテイクとなり、1946年版が誕生した経緯を両者を比較して解説する映像まで入っているのである。リテイクのおかげで、オーウェン・テイラー殺しが訳がわからなくなったことまでは触れていなかったが、カットされたマーロウと検事の会話のシーンも少し観ることができた。しかし、ほとんど、プロットに関係ないが、珍本探しの客(マーロウ)が美人の書店員(ドロシー・マローン)にウィスキーを勧めるシーンは、いいですなあ。


1月9日(金) 宇陀児の密室
OKさんのサイトで、柳下毅一郎『興行師たちの映画史/エクスプロイテーション・フィルム全史』サポートページを知る。今後、こういう著者自身によるネットサポートが増えていくかもしれない。同サイトから自分のいい加減な感想にまでリンクが貼られていて心拍数上がる。
・ようっぴさんから、今年も早々と4点の密告がありました。
○乙一「血液を探せ!」 *密室内での刺殺
○(乙一「Closet」)(『ZOO』(集英社)) *微妙だがドアに関する細かい議論あり
○都筑道夫「六本足の午(うま)」(集英社文庫) *怪奇連作だが密室にはケリがつく
○坪田宏「緑のペンキ罐」(『甦る推理雑誌I 「宝石」傑作選』) *浴室が密室
 新刊の『「宝石」傑作選』から早くも、摘示。仮収蔵庫に入れておきます。リスト更新が滞っていて、申し訳ないことです。
・大下宇陀児『子供は悪魔だ』(昭33・講談社ロマンブックス)を入手したので(結構なお値段)、以前教えてもらった2編を。
「売春巷談」
 売防法施行前夜を背景に、売春婦が語り手・探偵をつとめるという異色作。謎解きよりは、業界の内幕物?としての方に比重があるが、不可能状況に近い設定が出てくる。
 ホテルの2階の窓からの目撃者がいる状況で、男性が狙撃。近くに落ちていたピストルに男性の指紋はない。周囲に人影はなかった。犯人はどのように犯行を成し遂げたのか。不可能性が強調されていない点で微妙だが、監視者のいる不可能状況ともいえなくもない、というところか。
「山は殺さず」
 山で死亡した弟の秘密を探る娘が、過去の誘拐事件の謎に突き当たり・・。誘拐事件の方は、郵便をとりに出ていった数分の間に、赤ん坊が誘拐されるが、続き間には、家族がいて、赤ん坊のいた部屋の窓は、すべて施錠されていたという状況。密室であることは強調されるが、トリックは他愛ない。探偵役の娘と兄の描き方が爽やかな点、不良少年の描写が印象に残る。



1月8日(木) 購入本から
・何日かぶりに本屋に行くと得した気分になる。購入本から。
ジョイス『フィネンガンズ・ェイクT』(河出文庫) 一巻物と思って、家でよくみたら、全四巻だった。4Pほど読んでみたが、さながら長編現代詩。文庫化は快挙だが、通読することはなさそう。大江健三郎の序文を読んだからいいか。
カルヴィーノ『宿命の交わる城』(河出文庫) タロットカードを物語生成マシーンに見立てた実験作。 ゲイビー・ウッド『生きている人形』(青土社) デカルトの人形から20世紀のサーカス見せ物人形まで扱った、イギリス若手女流によるアンドロイドに関する精神史。メアリ・シェリー、チェス指し人形、エジソンやメリエスの人形やら続々登場、してきて、なかなかたまらないものがある。


1月7日(水) 『エド・ウッド』
・『エド・ウッド』 ('94・米)
監督/ティム・バートン 主演/ジョニー・デップ マーティン・ランドー 
 伝記も読んで、映画のサントラも持っているのに、ビデオを観るのは、最後になってしまった。冒頭いきなり、テルミンの演奏が流れて、おお。C級映画をとり続けた服装倒錯者である「史上サイテーの映画監督」の伝記映画であるにもかかわらず、時にコミカルに時にドラマテックに、映画づくりの高揚感を伝えてくるのは、オーソン・ウェルズになれなかった反天才という視点がしっかりしているせいだろう。ベラ・ルゴシをはじめ、一癖も二癖もある人物が磁石に吸い寄せられるように、エド・ウッド周辺に集まってくるあたりの呼吸が秀逸。悲惨な晩年を描かず、「プラン9・フロム・アウタースペース」の完成をもって幕としたもの、娯楽映画としては正解と思われる。しかし、この映画、もう10年前の映画なのか…。

1月5日(月) DVD 
・仕事始め。
・帰りに、DVDレコーダーを買いに行く。昨年、ハードディスク録画と鑑賞にはまっているという白梅軒氏に、それは何?と聞いて、時代遅れぶりに驚かれたが、去年突然通いだしたレンタルビデオ屋でDVDソフトの興隆を間の当たりにして、欲しくなったのある。ポケミスの『刑事マディガン』の解説(河原畑寧)に、同名映画のビデオを探して苦労したくだりが書いてあって、ビデオが、DVDによって、今やほんの片隅に押しやられる時代だから仕方ないか、と書かれている。近所のレンタル・ビデオ屋は、まだ、そこまで行っていないが、早晩、同様の状態になることは間違いなさそう。ビデオ観てるのは、「一過性」と評するムキもあるが(サイ君)、うちのビデオが2局しか録画できない状態が続いていることも併せて、購入につきサイ君を説得。かなり嬉しい。1年くらいでかなりスペック的にも挙がっているようで、最長300時間録画とかいうやつで10万円を切っている。CD屋に行くと、1500円くらいから、往年の名画からマニアックなものまで広いジャンルのソフトを売っていて、目移りしてしまう。まあ、ソフトを買う必要はないのかもしれないが・・。


2004年1月4日(日) 新春飲み会
・本年もよろしくお願いします。
・正月は、本当になにもせず。酒飲んで、TV観て、実家廻っているうちに終わってしまった。何もしないのが、正月の愉しみとはいえ、ここまで、ダラダラしているのは、問題か。
・3日の日は、飲み会。岩井大兄、高橋将、あっちゃんと、珍しく某大推理研4人が揃った。リーブルなにわを出るなり、岩井大兄が道端で4000円拾って幸先よいスタート。・3日の日は、飲み会。岩井大兄、高橋将、あっちゃんと、珍しく某大推理研4人が揃った。リーブルなにわを出るなり、岩井大兄が道端で4000円拾って幸先よいスタート。昔は、このメンバーらで、拾ったネギ使って部室で湯豆腐をやったこともあったよな、としばし懐旧に耽る。既に出来上がっている高橋将のつてで鮨屋へ。主人が高橋将に丁重に挨拶。一同、高橋が日々接待焼けして築き上げたステイタスに感服すること、しきり。さらに、店員に「マスターに言って適当にもってきて」と鷹揚に命じて、一同「ごち」の期待に胸を震わせる。既に酩酊状態に入った高橋が、割引券を取り出し、「一人3000円割引だぜ」といって自慢げに見せつける。確かに1人3000円割引と書いている。刺身少々と魚、焼酎2本しか来ていないので、こりゃおお釣りで毛ガニがくるかも、と思っていたところ、勘定は、2万8000円。割引券を使い、岩井大兄が血涙流しながら、拾った4000円を放銃しても、一人3500円 。三人の怒声渦巻く混乱の中、つぶれた高橋は先に帰ってしまう。その後、電車通りの醤油ラーメン専門店、ホテルオークラのバー、ススキノのスナックと流れる。岩井大兄は、今年は、ニュー岩井を見せてくれそうだ。