特急〔白鳥〕の13時間

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〔白鳥〕に関する逸話で有名なものに、「能生騒動」がある。運転開始当初は北陸本線も大半が単線で、列車の行き違いには駅または信号所での停車が必要だった。優等列車の場合、小駅では列車を停めても客扱いをしない「運転停車」となり、自動ドアの列車ではもちろんドアを開けない。

〔白鳥〕上下列車の行き違いは能生(のう)駅とされ、上りが運転停車をすることになった。それを一部の新聞が「上り〔白鳥〕が能生駅に停車」と間違って報じたのがことの発端。

1961年10月1日。町民総出で出迎える中、海辺のちいさな駅に真新しいディーゼル特急が静かに停車。ところがこの上り〔白鳥〕、一向にドアを開ける気配がない。やがて反対からやってきた下り〔白鳥〕と行き違うと、紫煙を残して去ってしまった。町民ただ呆気に取られるばかり――。

現在北陸本線は全線複線化され、この付近の線路も大幅に付け替えられているものの、最終ダイヤで上下列車がすれ違う地点が能生駅付近になったのは、単なる偶然の一致なのだろうか。

[ この話についての補遺 ]

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頸城トンネル内で、下り〔白鳥〕と一瞬の出会い
(筒石〜能生)

トンネル内の駅で知られる筒石(つついし)を通過したところで、デッキに出て進行方向右側を伺う。フルスピードでトンネル内を走行、デッキは騒音渦巻く世界だ。やがて「耳ツン」がしたと思うと、赤とクリーム色の帯が飛んでいった。14時35分、能生駅の東方・頸城トンネル内での一瞬だった。下り〔白鳥〕には、まだ600km、8時間半の道のりが残っている。

梶屋敷(かじやしき)糸魚川(いといがわ)でふたたび車内灯が消え、3つ目の電気区分、交流60Hz区間に突入。485系電車の本領を発揮する瞬間である。一列車で三電気区間を走る定期列車は〔白鳥〕しかないが、その他にも新潟・JR東日本上沼垂区所属の485系は運用範囲が金沢〜新潟〜青森にわたるので、結果的に三電気対応が必要となっている。

でも最近思うのだが、北陸本線に交流電化は必要なのだろうか?

「買収国電」という経緯から直流だった富山港線はともかく、七尾線の電化は113系「直流」電車を交直流改造してまで直流になったし、北陸本線の米原〜長浜間は「アーバン・ネットワーク」組み込みのため直流に変わった。また近く電化される小浜線も直流。結果的に北陸本線は交流電化の支線を全く持っていないのだ。いっそ全部直流に換えてしまえば、少なくとも電車は高価な交直流車を持たなくてもよくなると思うが……突飛すぎます?

14時40分、糸魚川。糸魚川地域鉄道部の中核駅、構内には除雪機関車に「シュプール号」電車・客車の姿も見える。


列車は親不知(おやしらず)にさしかかった。線路もたびたび荒波に途切れたという日本海側最大の難所、いまは長大トンネルで一気に抜けていく。途中の親不知駅には北陸自動車道の高架橋が立ち並び、景観は失われてしまった。親不知トンネルを抜けて市振(いちぶり)を過ぎると富山県になる。立山連峰は厚い雲に隠れている。魚津に停車、富山の都市圏内に入った。

15時33分、富山でまたごっそり降りた。ここからは〔白鳥〕も北陸特急の一員である。

〔白鳥〕は長い間名実ともに特別な列車だった。運転開始当初はもちろん沿線唯一の「特別急行列車」であったし、全線電化が成るまで気動車で残った (残らざるを得なかった、とも言えるが)。電車化されると青森電車区の専用13連となり、新潟以南は〔雷鳥〕など他の列車と列車の向きが、新潟以北では号車番号の振り方が反対。停車駅も他に比べ少なめで、最後まで全車指定席の列車でもあった。

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出発からすでに9時間を経過。
車内には少し気だるい空気が流れる (石川県内で)

富山平野を進み高岡、そこから倶利伽羅(くりから)峠を越えて、石川県。雨は止んだ。右手を濃緑の車体が過ぎ去る。臨時列車ながら日本最長距離旅客列車(1495.8km)となった〔トワイライトエクスプレス〕だ。

津幡(つばた)から能登半島へのびる七尾線の終着は輪島。七尾から第三セクターののと鉄道に委譲されたが、赤字が大きく2001年3月31日で穴水〜輪島間は廃止されることになった。輪島は朝市、輪島塗などで有名な能登半島観光の拠点なのに、列車で行く人がそんなに少なかったのか。次駅の欄に「シベリア」と書かれたお茶目な駅標のある輪島駅、残念ながら訪れることは難しくなった。

金沢駅に近づくと、北陸本線のわきにコンクリートの橋脚が目につく。北陸新幹線の建設現場だ。

16時11分、金沢は高架駅。隣の新幹線ホームに電車が発着する頃、北陸の輸送事情はどう変遷しているだろう。その頃には国鉄の車両は消えてしまっているだろうか、485系に変わって主役の座に就いた「サンダーバード」の運命は。