特急白鳥の13時間

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5002M〔白鳥〕とすれ違う列車 (金沢〜大阪)
※ 旅客のみ(山科〜大阪は優等列車)、駅間は推定含む
5357M 野々市〜松任
2859M 松任〜加賀笠間
354M 小松 [追い抜き]
4023Mスーパー雷鳥23号加賀笠間〜美川
361M 寺井〜明峰
9Mしらさぎ9号動橋〜加賀温泉
5363M 加賀温泉〜大聖寺
4025Mサンダーバード25号牛ノ谷〜細呂木
37M加越7号大土呂〜北鯖江
243M 鯖江〜武生
4027Mスーパー雷鳥27号武生〜王子保
245M 今庄〜南今庄
4029M雷鳥29号南今庄〜敦賀
11Mしらさぎ11号敦賀
4031Mサンダーバード31号新疋田〜近江塩津
430M 近江中庄〜近江今津
4035M雷鳥35号近江高島〜安曇川
1558M 近江舞子
434M 蓬莱〜和邇
4037Mスーパー雷鳥37号小野〜堅田
4001日本海1号唐崎〜西大津
1562M 西大津〜山科
4039M雷鳥39号京都
4041Mサンダーバード41号摂津富田〜茨木

北陸本線は特急街道。大阪・名古屋・米原から特急列車が(きびす)を接して金沢へ、能登へ、富山へ向かう。国鉄色の帯も度々右側の窓外を飛んでいく。〔白鳥〕も、すれ違う列車たちもみな順調に走っている。

福井・石川県には中規模の温泉地が多く、〔白鳥〕は金沢から松任(まっとう)小松芦原温泉(あわらおんせん)加賀温泉……とこまめに停車し、温泉帰りの客を拾う。空いていた座席が少しずつ埋まっていった。

大聖寺(だいしょうじ)を過ぎると、福井県。京福電鉄の電車が左にみえると福井17時04分着。天気は、時折雲間から青空も見えるくらいに回復した。

17時14分鯖江(さばえ)は上りだけ停車、つづいて武生(たけふ)。始終点の大阪〜新大阪を別とすると、長い道中で1回だけの連続駅停車だ。

今庄(いまじょう)を過ぎ北陸トンネルに突入すると、モーターのうなりがひときわ高くなった。次第に足を速めてきた上り〔白鳥〕はここでついにトップスピード130km/hに達する。

17時40分着、敦賀で日が沈み暗くなった。出発から11時間半。夜が明ける前に乗った列車に、日が暮れてもまだ乗りつづけている。こんな経験も、日本ではもうできなくなる。新幹線を含め、ほとんどの列車は4〜5時間で走りおえてしまう。

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一瞬暗くなった車内、遠くに琵琶湖の水面が光る
(近江塩津〜永原)

試運転中と見られる新「サンダーバード」683系の脇を通り、上り列車は、新疋田(しんひきだ)へ向かってループ区間に入る。下り線をまたぎ、ぐんぐん登りながらトンネルで右に転回し、敦賀の町をひととき左手に眺め、またトンネルを抜けて登りきったところが新疋田。すっかり暗くなったが、頑張って写真を撮る人の姿があった。でもフラッシュ炊くのはダメですよ。そもそも届かないでしょう。

近江塩津(おうみしおつ)で湖西線に入ると、ほどなくきょう3回目の交直セクション。みたび暗くなった車内から琵琶湖の北岸が望める。やがて灯が点き直流区間、そして最高速度130km/h区間に入る。上りだけ停車の近江今津(おうみいまづ)を出て、高架線をさらに飛ばす。


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夜の帳が降りた京都に到着 (2001. 2. 25)
[Nikon F5, AF Nikkor 50mm F1.4D, RDPIII]

右側をブルーの車体が飛び去った。〔日本海1号〕、今朝東能代でもお目にかかった列車である。毎日運転の列車どうしで2回の離合があるのはこの組み合わせだけになった。旅の長さを改めて感じた。ほどなくトンネルに入り、抜けると山科、京都府まで来た。あと一息。

京都18時38分着。降りる客がかなり多く、また写真撮影など見にきた人も多い。都会だな。ここまでほぼ定時を守りつづけてきたが、ここで2分ほど遅れての発車となった。もっともJR京都線は遅れることが多いので、原因はこれだけではないかもしれない。

東海道本線(JR京都線)に入ると列車本数は比べ物にならないほど多く、頻繁に新快速・各駅停車とすれ違う。どれも全力疾走、〔白鳥〕も最後の力を振り絞って力走を続ける。山崎を過ぎるとついに大阪府。

終点を目前に新大阪に停車、淀川を渡るといよいよ終着、大阪。「お疲れさまでした、まもなく終点大阪です……」鉄道唱歌チャイムが鳴って、放送が長い旅の終わりを告げた。19時09分、その行程からは無いに等しい、約3分の遅れであった。


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大勢のファンが先頭部に集まり名残を惜しむ (大阪)

寂しいとも、疲れたとも思わなかった。ただ、ずっとつながってきた千キロの線路の上をほんとに正確に走ってきたんだな、正直すごいなあ、と実感した。


東梅田-天神橋筋六丁目-淡路-上牧 … 山崎 10:42-(747T)-10:47 高槻

翌日、高槻〜山崎に行った。時折雪が舞うような微妙な天気だったが、そのうちおだやかに晴れた。

大阪への回送を上牧付近で見て、山崎のカーブへ。ざっと数えて70〜80人、下り〔白鳥〕はカメラの放列の前を颯爽と走りぬけていった。


伝統の列車は、この5日後の運転を最後に消えた。東京でWWWやニュースを見ていた私の想いは、「とうとう終わったか」という程度の、感傷と言うには大げさすぎるもの。最後の回送を見に行くか、ちらと頭をかすめたが、結局止めた。

あのとき、あそこで撮れたのに、とか、あの時決断が早かったら、などと考えもしたけれど、結局のところ一過性の熱にも似た症状だった、と時が経つほどに思えてくる。私の〔白鳥〕への入れ込みようはこのくらいが精一杯、というか、これでちょうど良い程度だったのかもしれない。


参考資料

特記以外撮影 = 2001.2.24, Nikon COOLPIX990