/ 旧暦の話(2) 旧正月、伝統的七夕の日、旧盆、中秋の名月 / ユリウス暦とグレゴリオ暦 / |
旧暦の話(1) |
旧暦で需要のあるのは、旧正月、旧盆、旧七夕、中秋の名月、十三夜だけです。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
伝統行事は新暦で実施されています。 中国の農暦による休日は、春節、端午節、中秋節の三つだけです。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
二十四節気は太陽暦です。農業に大切な季節にあっているのは、太陽暦です。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
日本の旧暦は後述するように、現行のグレゴリオ暦以前の暦ですが、一般に、明治の改暦時まで使われていた、 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
天保暦を指します。天保暦は1872年12月31日 ( 明治5年12月2日 ) まで使われていました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
その翌日の旧暦12月3日をもって新暦 明治6年 ( 1873年 ) 1月1日に改められました。 布告 (旧暦11月9日) から | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひと月程の急激な実施でした。このため明治6年以降でも、混乱を避けるため旧暦併記が続けられました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1910年 ( 明治43年 ) の官暦から旧暦併記が廃止されました。 ( 旧暦完全廃止 ) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
天保暦まで使っていた時間帯は、京都の東経135度46分 ( UTC+9:03 ) でした。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
現在の「旧暦」は、東経135度の日本標準時 ( UTC+9 ) を使い、また、天体の位置計算の方式の違いや均時差の。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
関係もあり、「天保暦」と同一ではありません。また明治の改暦以降は、如何なる公的機関も関与していません。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
月の異称 ( 和風月名 ) も元来は、旧暦の月名でしたが、新暦の各月に割り当てて使っています。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
現在の太陽黄経 ( 二十四節気 雑節 十二星座 ) / 二十四節気は太陽暦です。旧暦(太陰太陽暦)を補正するものです。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
六曜迷信カレンダー ( 暦と迷信 ) / 六曜は旧暦に寄生しているだけのものです。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
旧暦1月1日は、太陽黄径330度、雨水の直前の新月の日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
東アジアでは、元来は立春(24節気=太陽暦、太陽黄径315度、2月4-5日)が正月であったけれど太陰太陽暦を採用して | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
きたため、正月と立春は、ほとんど一致しませんでした。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
この旧暦正月を現行の太陽暦に置き換えた場合、1月22日ごろから2月19日ごろまでを移動していることになり | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
雨水(24節気=太陽暦、太陽黄径330度、2月18-19日) の直前の新月の日という定義が成立しました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
旧暦は新月を1日とし、1朔望月をひと月としているため、立春を正月に固定することもできず、太陽年とのズレによる | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
24節気が太陽暦なのに、1日程度の誤差があるのは天文現象であるため日付を挟む事があるからです. | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
24節気は、太陰太陽暦の季節とのズレを修正するために考案された太陽暦です。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
72候も古代中国考案で、24節気をさらに細かく分けたものです。江戸時代に渋川春海らによって日本版の「本朝七十二候」 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
が作成されました。現在の七十二候の名称は主に1874年(明治7年)版 「略本暦」に掲載されたものが使われています。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
旧暦と迷信 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
旧暦自体は、昔の科学であり、作成当時の最新科学を動員したものでした | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
暦の初期形態は数詞が考案されるより以前に作られたため、同じく初期形態の文字が割り当てられ漢字は表意文字として | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
発達していくため、色々な意味が付加されていきました。哲学の初期形態であった五行思想の発生と発達の影響も多大な | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ものでした。 天体の運行が超越的存在の意志であり、地上の気象はもとより、災害、戦争、個人の吉凶禍福に至るまで | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
支配しているという考えかたは、古代メソポタミアの時代から存在していました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
魔術から科学が分離し、占星術から天文学が分離して、迷信と無知蒙昧の時代から、より合理的、普遍的な思考が可能に | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
なった現代に、今なお、迷信を増殖、創作して商売にする人々が居り、それにのせられて信じてしまう人達が居るのは | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
驚くべきことです。 日本では、遣唐使の廃止以降、日本の独自文化が発展し、暦も独自の進化を遂げていきました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
また一方、暦の作成を朝廷の陰陽寮が独占し、陰陽道による迷信の付加も行われてきました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大安、仏滅などの六曜は、明治の改暦後に盛んになったものです、二十四節気は、太陽暦であり、太陰太陽暦では | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ありません、旧暦と言われるものは同一の暦法が連綿と受け継がれてきたものではなく、より合理性を求めて修正改編を | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
繰り返してきたものです。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
月の異名は、本来旧暦の各月に付けられたものでしたが、明治の改暦後、新暦の各月に割り振ったため、正月や盆が、 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
新暦で行うか旧暦で行うかで、月遅れということが発生しました。しかし太陰太陽暦は、単純に新暦と一ヶ月ずれている | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
のではなく、閏月の存在によって振幅があり、この複雑感を悪用して、神秘めかして商売をする連中が存在しているのです。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
二十四節気については、別にページを設けています。 / 現在の太陽黄径 ( 二十四節気 雑節 十二星座 ) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
六曜迷信についても別のページを作成しました。六曜迷信カレンダー / | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
旧暦に興味を持った人必読のサイトがあります。 【外部リンク】 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
日刊☆こよみのページ 2009/08/05 号 / 毎日新聞「旧暦どっぷり」について / 農事と旧暦 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
毎日新聞「旧暦どっぷり」について、2 / 暦注のあれこれ / 六曜 / 六曜のこと | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
六曜から旧暦の日付を知る方法 / 六曜の由来と意味 etc. - Yahoo!知恵袋 / 暦注のあれこれ / | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
『迷信的暦注(めいしんてきれきちゅう)』の意味と定義 - JLogos / 暦注 - Wikipedia / 暦注 - CyberLibrarian / | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
暦注の話・・・六曜(ろくよう) / 暦注の話・・・六曜 (追加) / 【迷信】(めいしん) / | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
旧暦 迷信 - Google 検索 / 旧暦入門(第1回) / 旧暦入門(第2回) / 旧暦入門(第3回) / | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
旧暦入門(第4回) / 旧暦入門(第5回) / 旧暦入門(第6回=最終回) / | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
六曜は、明治の改暦後、急速に迷信化したものです。 / 暦注について〜大安・仏滅って何? | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
旧暦のいろいろ 旧暦の毎月1日の六曜の定義 / 雑学コーナー・六曜について六曜は誰が決めているのですか。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
迷信「六曜」の中の数学? / 六曜迷信カレンダー / | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
旧暦計算 任意の年月日の旧暦、月齢、月相を表示します。 |
このスクリプトは旧暦計算サンプルスクリプト 原作は高野英明氏、 |
JavaScriptに移植が旧暦計算スクリプト Version 1.5長野 隆氏によるものです。 |
2033年問題 |
旧暦の2033年問題(No.0195) こよみのページ / |
旧暦と六曜を作りましょう(No.0190) こよみのページ / 新暦と旧暦の変換計算(長期) こよみのページ / |
2069年まで対応している旧暦と新暦の対応表表示 (通用期間:1870-2069年) こよみのページ / |
2033年問題では閏7月案と閏11月案がありますが、 平成23年(2011年)2月6日に「一般社団法人 日本カレンダー暦文化 |
振興協会(暦文協)」という団体ができ、ここが旧暦2033年問題について、閏11月を推奨するという発表をしました。 |
他に音頭取りをする団体もなく、閏11月になんとなく決まっていきそうな気配です。 |
当サイトを含め多くのサイトが利用させてもらっている高野英明氏、 Toshifumi Inoue氏のスクリプトは閏7月を採用して |
いるので閏11月採用の暦と違いが出ることになります。しかしどちらが正しいというものではありません。 |
旧暦2033年問題について - 国立天文台暦計算室 / 旧暦2033年問題 suikawiki / |
このページ冒頭の暦は2033年8月に閏7月、34年2月に閏1月を設定しています。 |
年間月相カレンダー |
2024年の朔弦望 | ||||||||
下弦 |
朔 |
上弦 |
望 | 下弦 | 朔 | 上弦 | 望 | |
1月 |
1月04日 | 1月11日 | 1月18日 | 1月26日 | ||||
2月 |
2月03日 | 2月10日 | 2月17日 | 2月24日 | ||||
3月 | 3月04日 | 3月10日 | 3月17日 | 3月25日 | ||||
4月 |
4月02日 | 4月09日 | 4月16日 | 4月24日 | ||||
5月 |
5月01日 | 5月08日 | 5月15日 | 5月23日 | 5月31日 | |||
6月 |
6月06日 | 6月14日 | 6月22日 | 6月29日 | ||||
7月 |
7月06日 | 7月14日 | 7月21日 | 7月28日 | ||||
8月 |
8月04日 | 8月13日 | 8月20日 | 8月26日 | ||||
9月 |
9月03日 | 9月11日 | 9月18日 | 9月25日 | ||||
10月 |
10月03日 | 10月11日 | 10月17日 | 10月24日 | ||||
11月 |
11月01日 | 11月09日 | 11月16日 | 11月23日 | ||||
12月 |
12月01日 | 12月09日 | 12月15日 | 12月23日 | 12月31日 |
Luna Calendar | |||||||||||||||||||||||||||||||||
| |||||||||||||||||||||||||||||||||
イスラム暦、旧暦、農暦の共通項は月の満ち欠けを基にした暦であるところにあります。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
ただし旧暦、農暦は太陰太陽暦であり、イスラム暦は純太陰暦であるという違いがあります。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
西洋の旧暦 ( 現行グレゴリオ暦の前の暦 ) はユリウス暦で、すでに太陽暦でした。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
日本の旧暦、中国の農暦は上図のように、新月を1日として天文計算で決めています。但し日本では公的機関は一切関与していません。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
廃止されており、グレゴリオ暦を使用しています。また農暦として流通しているものも、辛亥革命以前にはあった主に道教由来の | |||||||||||||||||||||||||||||||||
迷信要素は完全に禁止され、無くなっています。台湾で発行されている農暦にはこの迷信要素を残したものがあります。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
旧暦は天保暦の、農暦は清朝の時憲暦のルールで運用を続けています。天保暦は明治の改暦で廃止されました。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
イスラム暦 ( ヒジュラ暦 ) は、新月の後、月が最初に裸眼目視で観測できた日を1日としています。 ( 日没が一日の始まりです。) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
サウディアラビアの公式暦であるウンム・アルクラー暦は天文計算で決められています。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
なお、この項、表題のLuna Calendarは太陰暦のことで、太陰太陽暦はLunisolar Calendarと言いますが、純太陰暦はイスラム暦しかなく | |||||||||||||||||||||||||||||||||
一般的には、Luna Calendarで太陰太陽暦のことを指しています。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
旧暦について |
旧暦に関して |
旧暦に関してトンデモ説を流している一派がありますので注意して下さい。 |
いつの時代にも迷信を創作流布する者。それに引っかかり信奉する者は絶えません。 |
今回のオカルト旧暦教の場合は、事実と異なる、しかし、いかにもありそうなでたらめを流布しているものです。 |
正しい情報はこちら「旧暦」は現在の暦より季節に合っているの?(国立天文台) / 旧暦と二十四節気のページ / |
「オカルト旧暦教」の命名者は高島俊男氏です。 高島俊男著『お言葉ですが…(9) 芭蕉のガールフレンド』(文藝春秋刊) |
日刊☆こよみのページ / |
迷信暦 |
1872年(明治5年)の太政官布告によって迷信暦は禁止されました。(太陰暦ヲ廢シ太陽暦ヲ頒行ス明治5年11月9日太政官布告第337号) |
しかし、この時はまだ迷信ではなく禁止の対象外であった六曜が急速に迷信化していきました。 |
1941年(昭和16年) 5月31日、内務省検閲課は「迷信暦」の発売を禁止。偽暦記事掲載出版物取締まりを通達しました。このときは六曜、 |
九星、十二直、二十八宿、方位、吉凶を占うものはすべて対象となり禁止されました。 |
二次大戦の敗戦による、現行の新憲法によって保証された、信教の自由、言論出版の自由に便乗して、迷信を飯の種にしていた連中が、 |
これらを復活させてしまいました。現在、トンデモ説を流している連中は、また別系統のようですが、事実と異なるデタラメを流布させ、 |
結局のところ、出版、講演で金になっている訳で、本を買い、講演会に出かけた人は、ご祈祷会へ出かけ、お札を買ってきたのと同じ |
ことです。「シンプルライフ、スローライフ、地球にやさしい」などという呪文は要注意です。 |
暦と迷信 / 暦注について〜大安・仏滅って何? / 六曜のこと / カルト - Google 検索 / ニセ科学 - Google 検索 / |
二十四節気は太陽暦です |
時計も印刷物もない時代には、約29.53日で朔望を繰り返す月は、月日の流れを知る目安でした。しかし、これでは季節のサイクル |
約365.24日とは、(29.53X12=354.36)でずれていってしまいます。このため古代メソポタミアの時代から365.24日に近づけるための |
工夫がなされました。それが、閏月の導入で太陰太陽暦です。紀元622年に始められたヒジュラ暦以外の、ルナカレンダーは全てこの |
太陰太陽暦です。閏年には、1年が13ヶ月になってしまい農作業のような季節と関係の深い事柄のために、太陽の運行に基づいた二十四 |
節気、つまり太陽暦の併用を行いました。西洋では、紀元前にジュリアスシーザーによって、太陰太陽暦であるローマ暦から太陽暦で |
あるユリウス暦へ改暦されました。 日本では明治の改暦で、中国では、清朝の滅亡でグレゴリオ暦への改暦が行われました。 |
二十四節気は太陽暦です。季節のサイクルに合致しているのは、太陽暦です。 |
旧暦の二十四節気? 日刊☆こよみのページ / 農事と旧暦 / 24節気は太陽暦である / |
メトン周期 閏月の挿入 |
太陰太陽暦では季節との整合性を保つため、19年に7回の閏月を挿入しますが、この19年の周期をメトン周期と呼びます。これは、 |
19太陽年は235朔望月にほぼ等しいというもので、(紀元前433年)アテナイの数学者メトンが発見しました。この太陽年と朔望月の |
倍数がほぼ同じになることは、古代メソポタミアの時代から、日食や月食を予測するためのサロス周期として知られていました。 |
中国ではメトン周期は章法( 默冬章 )と呼ばれ、独自発見か、東漸かは不明です。 また、太陽暦(シリウス暦)を使用していた |
古代エジプトでは、1年を365日としていたことからくる季節のずれが、約4年で元に戻るソティス周期が知られていました。 |
旧暦と農暦 |
させたものです。また、日本人の手になる最初の暦、貞享暦 は、元の授時暦を元に、時差の修正を したものですが、その授時暦自体、当時 |
世界最先端のアラビア天文学を取り入れたものです。 中国の農暦は、時憲暦の要素を、現代天文学に加えたものですが、時憲暦をwikipedia |
で検索し、中国語のページへ移動すると、農暦というタイトルのページに転送されます。時憲暦=農暦ということでしょう。この時憲暦は、 |
明末、清初にイエズス会宣教師のアダム・シャールによって編纂されたもので、西洋天文学の成果が 取り入れられたものです。 |
天保暦法とラランデ暦書 |
貴重資料-NAOJ Library 大学共同利用機関法人 自然科学研究機構 国立天文台三鷹図書室 / |
ラランデ(仏 1732-1807)による天文学の一般的教科書 Astronomie' 1764年 全3冊が、オランダで翻訳され日本に入ってきました。 |
この本を「ラランデ暦書」と称し、この「ラランデ暦書」の和訳書「新 巧暦書」を基にし、ペイポ(蘭)の天文書の翻訳書「西暦新編」 |
を参考に、編纂した新暦が天保暦です。 |
江戸時代の天文観測 / 近代天文学のはじまりと大阪 / |
日本の旧暦 |
暦法 | 作成者 | 開始年 | |
元嘉暦 げんかれき | 輸入品 | 692 | 持統天皇6年(692年)から元嘉暦と儀鳳暦を試用のため並用 |
儀鳳暦 ぎほうれき | (〃) | 697 | 文武天皇元年(697年)から使用 |
大衍暦 たいえんれき | (〃) | 764 | 吉備真備が737年に唐から持ち帰った。 |
五紀暦 ごきれき | (〃) | 858 | 大衍暦を改暦する前の4年間のみ併用して試用 (正規採用せず) |
宣明暦 せんみょうれき | (〃) | 862 | 823年間継続して使用。この間、中国では何度も改暦があった。 |
貞享暦 じょうきょうれき | 渋川春海 | 1685 | 初めて日本人の手によって編纂された和暦。授時暦を参考。 |
宝暦暦 ほうれきれき | 土御門泰邦 | 1755 | 貞享暦にわずかな補正を加えたもの。 |
寛政暦 かんせいれき | 麻田剛立、高橋至時 | 1798 | 西洋天文学書の漢訳書『暦象考成後編』を参考にした。 |
天保暦 てんぽうれき | 高橋景保、渋川景佑 | 1844 | 『ラランデ天文書』の蘭訳書を和訳『新功暦書』を完成。 |
明治の改暦以前に使用された暦。このうち、最後の 天保暦 が、狭義の旧暦です。しかし現在、旧暦とされているものは | |||
移行。グレゴリオ暦改暦以前の暦を総称するものとして農暦という言葉が作られました。 | |||
そして同じく最後の時憲暦が、狭義の農暦です。更に、農暦も日本の旧暦と同様に現代天文学に時憲暦の要素を加味したものです。 | |||
なお、農暦を農業暦の略、あるいは農業向きの暦と取る人がいるようですが、全くの誤解です。 / 「農暦」という名の誤解 | |||
西洋では、グレゴリオ暦以前の暦、ユリウス暦が旧暦ということになりますが、ユリウス暦も太陽暦です。 | |||
ユリウス(ジュリアス・シーザー)の改暦より前のローマ暦は太陰太陽暦でした。 | |||
古代、正月は冬至でした。 立春正月になってからも、中国皇帝が冬至に"天壇"で天を祭る 儀式は続けられました。 | |||
暦を発行することと、天を祭ることは中国皇帝だけの権限であって属国の国王である朝鮮国王には許されませんでした。 | |||
暦は中国皇帝の権威を表すものであったため、中国では、科学的要請以外に皇帝の代替わりなどで頻繁に改暦が行われてきました | |||
日本では、渤海使が持ち込んだ宣明暦を823年間継続して使用しましたが、この間も、朔旦冬至を到来させたり、回避させたりする | |||
ための改暦が行われました。宣明暦 は823年間使用して貞享暦に改暦した際、ズレはわずか2日でした。 | |||
日清戦争で、日本のおかげで、歴史上初めて独立を達成した 朝鮮は大韓帝国を樹立、皇帝を自称、天を祭る"圜丘壇"を建設しました。 | |||
冬至(朔旦冬至) - Wiki / 天壇 - Wiki / ユール - Wiki | |||
旧暦と月相 |
旧暦の"ついたち(朔日)"は新月ですが、月相、月齢、輝面比は時々刻々変化しています。 |
通常 新聞などに掲載されている月齢は正午の月齢を使用しています。そうでない場合は何時の月齢であるか表示されています。 |
旧暦時代の時刻は各藩に天文方が置かれ天体観測によって時報が行われて、その地での0時に日付が変わりました。 |
全国的な正規の暦は、京都を原点としたものでした。 不定時法 ( 明け六つ、暮れ六つ ) 計算 |
世界的にも地図と時間の統一(子午線の統一)が始まるのは、産業革命以後のことです。 |
イスラム暦、ユダヤ暦は日没から1日が始まります.なおイスラム暦、ユダヤ暦は旧暦ではなく、現行の西暦と並行して使われています。 |
これは宗教的理由によるもので、キリスト教でも東方教会系はユリウス暦を使用します。 |
グレゴリオ暦も近代以前は連日、宗教関連の節日で埋め尽くされていましたが、近代に至り、教会暦、典礼暦として分離されました。 |
本来科学である暦に、日本では陰陽道が、中国では道教が迷信を付加させてきました。 |
暦、季節の移ろいは、人々の日常に密接に結びついたものであるだけに、天体の運行の秘密を握っていると自称することは |
権力の正統性を証明するものと考えられました。 |
二十四節気、中国農暦、イスラム暦については、別ページを作成しています。 |
月の満ち欠けカレンダー |
月相カレンダー ( 月相 、 明け六つ、暮れ六つ計算 ) / 今月の朔弦望 ( 月の満ち欠け、潮の満ち引きの仕組み ) |
イスラム暦カレンダー |
ヒジュラ暦 (1) / ヒジュラ暦 (2) / ヒジュラ暦 (3) / |
ヒジュラ太陽暦、ペルシャ暦 |
イラン暦 グレゴリオ暦変換 / アフガン暦 グレゴリオ暦変換 |
中国農暦カレンダー |
台湾農暦と台湾の祝日 / 中国農暦 / 香港農暦と香港の祝日 / |
アブラハムの宗教の暦 世界の宗教暦 / アブラハムの宗教年表 |
アブラハムの宗教の暦 相互変換 ( イスラーム、ユダヤ教、キリスト教、ロシア正教の暦を変換 ) |
二十四節気 / 春分 秋分 夏至 冬至 の日時 |
現在の太陽黄径 ( 二十四節気 雑節 十二星座 ) / 春分 秋分 夏至 冬至 の日時 / |
メコンの旧正月 ( タイ、ラオス、ミャンマー、カンボジア )とベンガル暦 |
メコンの旧正月 / 水かけ祭り / ホーリー祭 ( インドの水かけ祭り ) / ベンガル暦 |
暦と迷信 |
六曜迷信カレンダー 六曜カレンダー、十干カレンダー / |
座標原点 地図と時間の統一、世界の一体化 |
緯度0度、経度0度の地点を見る / |
フランス革命暦(共和暦) |
フランス革命暦と10進化時間 / |
ユダヤ暦カレンダー / ユリウス暦とグレゴリオ暦 |
ユダヤ暦 西暦 変換 / ユリウス暦とグレゴリオ暦 |
仏暦 西暦 変換 / インド太陽暦 / エチオピア暦 |
タイ仏暦 西暦 変換 / インド国定暦 西暦 変換 / エチオピア暦 |
Fudaraku Voice |