音楽とあんまり関係ない日記 / 2003年4月
by BoogieWoogie Ace Hirota


2003年4月30日(水)
あいかわらず吾妻光良が好きである。最初はせいちゃんに聴かせてもらったSqueezin' and Blowin'だったが、その後Hepcats Jump Againを聴き、先日Stompin' and Bouncin'を買ってきた。つくづくカッコよくおもしろいのである。Jump Bandとしてのカッコよさと詞のおもしろさである。このアルバムでは「齢には勝てないぜ」「俺の家は会社」「A Cottage For Sale 〜 物件に出物なし」あたりが好きである。そもそもタイトルがおもしろいじゃないですか。ほらほら聴きたくなってきたでしょ?数年前に下北沢だったか渋谷だったかどっかでBoppersのライブを見たが、なんとかまた見たいものである。

2003年4月29日(火)
今日は休みで天気もよかったので藤岡町の緑化センターへ行った。ここへ行くのは3度目だと思うが、今日は今までよりだいぶ奥の方まで歩いてみた。するとある小径が石と石灯篭と手水鉢の道になっているのを見つけた。こんなの

とか、こんなの
とか、こんなの
とかがあってたいへん楽しいところであった。ほかにも山の中の古道のような「平成の小径」「昭和の小径」というコースもあって、2時間以上も歩き回った。ハラが減ったので展望レストランでカツカレーを食い、帰ってきたのでした。が、今日はまだ終わらない。さらに思い立って金山の名古屋ボストン美術館へ印象派を見に行ってきたのである。家の近所でバスに乗ったとたんにグースカ眠り、金山に着いたのはもう4時近かっただろうか。金山が終点でよかったなぁと思いつつ美術館へ。ぼくは印象派というのをあまりちゃんと見たことがなかったのだが、たいへん感動したのであった。どうもこううまいこと言えないのだが、近くで見るよりも遠くへ離れていくに従って細かいところが見えてくるような気がするとでもいうのか、近くで見るとおおざっぱな絵のように見えるのに離れていくと写真のように見えてくるとでもいおうか、とにかくすごいというかだまされているというか、なんといおうか、困ってしまう。どう描いているのか知らないが不思議なものである。

2003年4月27日(日)
金曜日は会社の人たちと飲みに行った。それほど遅くはなかったがけっこう酔っ払っていたようだ。土曜日は一人で家の周辺の店をハシゴした。最後に入った店は家から最も近い飲み屋さんだがなんとなく行っていなかった店。気さくな店ですぐ会話に参加したりしておもしろかった。2時過ぎまで飲み、けっこう酔っ払っていたようだ。今日はまだ昼にビール2本、練習から帰って1本。酔っ払っていないのでやっと日記を更新できた。よかったよかった。

2003年4月24日(木)
ここのところ雨がよく降る。それにつれて窓から見える木々の緑がどんどん増えているようだ。葉がたくさん出てきているのだろう。遠くに見えていた建築中のマンションの養生壁がだんだん見えなくなってきた。木に隠されてきた。下の写真にあるようにウチのマンションの南には木が多い。個人の家、教会などのおかげである。家の中の木々もどんどん新しい葉が出てきている。バナナの木も、一枚というか一本というかまだ開いていない棒状の葉が伸び、天井につかえている。鉢を乗せている台をもう少し低いものに替えてやりたいのだが、どうもおっくうである。

2003年4月22日(火)
アマゾンにだいぶやられている。インターネット上の本屋の話である。とにかく便利である。注文すると2〜3日で家に届く。本を画面上で探すのが楽だ。何よりもこれまでに買った本の傾向から「こんなのあるけど、どう?」と勧められる。また欲しくなる。しかも「アマゾンのことを忘れないで〜!」とばかりにメールも送られてくるのでつい見に行ってしまう。1500円(だったかな?)程度買えば送料もかからない。強いていえば宅配された時に家にいることがほとんどなく、再配送を頼むのが面倒な程度だ。ある人と話していたら、会社に送ってもらうという手を使っていることがわかった。それも悪くないかも。

2003年4月21日(月)
バナナの木の写真をとってここでお見せしてみたいところであるが、そうなると自分の生活のもろもろの部分が見えてしまうのでどうもゴーサインが出ない。別に見られて困るようなものでなし、割ときれいにしているのでそう恥ずかしいものでもないのだが。「ふーん、バンマスってこういうところで暮らしているのね〜」と思われて別にかまわないのだが。とりあえず天井を向けて折衷案ってことで。ちなみに丸いのは食卓の上の電燈です。


2003年4月20日(日)
金曜日夜の酒で土曜日はややハラが緩く、日中を家の中で過ごして、夜は尾張旭のBossaへ。Lou&TheBarFlyBandでドラムをたたいてまいりました。そこでまたビールをがぶ飲みしてどうも今日もハラがゆるいが仕事で出かけねばならぬので正露丸を服用して仕事をし、夜は練習。帰ってF1を見ながらまたビール。今晩はほどほどにしたいものです。
最近仕事の関係でFOMAを入手。写真が撮れるので、今どきデジカメを持ってないぼくには好都合。ウチのバルコニーからの写真です。なんかちょっと温泉街かなんかみたいだけど。


2003年4月18日(金)
仕事が本格的に忙しくなってきた。会社を出るのが早くて9時、遅ければ11時という日が続くようになった。すると家でメシを自分で作る余裕もなくなり必然的に外食が増えるのだが、そうなるとそのまま酒を飲みに行くことも増えるようだ。2〜3年前の生活に逆戻りである。ただ以前に比べるとやはり歳をとったようで、少し早めに切り上げて2時頃には寝るようになった。大人になったといおうか、体が弱ったといおうか。

2003年4月16日(水)
今年の中日は強い。今日も仕事が遅くまであったため、試合を見ることはできなかったが今はWebで試合結果を見ることができる。便利になったものだ。むかしならスポーツニュースでちょっとでもやっていないものかとテレビのチャンネルをかえまくったものだ。それはそうと、今年の中日である。ちなみに17試合を終えた今日の時点のスタッツを見てみる。得点78よりも失点84の方が多い。本塁打は18本で上から3番目。打率は0.256で上から5番目。防御率は4.50で上から3番目である。ちなみに現在2位の阪神は本塁打こそ中日より2本少ないものの、得点は14点多く、失点は15点少なく、打率は0.289でリーグ2位、防御率は3.70でダントツリーグ1位である。なのに中日は阪神に1.5ゲーム差をつけて首位である。ちなみに個人成績もぱっとしない。打率では上位10位以内に井端がようやく8位で一人きり。20位以内でも13位のアレックスが加わるだけ。打点では20位以内に5人。投手では防御率5位の川上、11位の山本昌といった程度である。いったいどうして?という感じだ。さぞ阪神ファンはくやしかろう。自分の子供が一生懸命勉強していい成績を取っているのに、勉強をしている様子もなくぜんぜんサエないのになぜか成績のよい子と同じクラスになってしまったような気持ちに違いない。しかしぼくたち中日ファンは嬉しい反面、不安である。どう考えてもいいところがないのにトップの成績である。イキオイだけ?それとも運だけ?長くは続かないのではないか?やっぱりねー、ほらごらんなさい、という言葉を用意しながら応援しているのである。

2003年4月15日(火)
今日は昼から会議・打ち合わせの連発であった。それほどキライなわけではないのだが、集中力が求められるというか、ずっと何かを考え続けたりしゃべったり聞いたりするのが続くためなのか、5〜6時間会議が続くとけっこう脳みそがヘトヘトである。思えばそういう会議の後数時間かけて書類をまとめ半徹夜で翌朝書類を出してまた会議、という日が何日も続いた頃もあったなぁ。それにくらべれば今はまだまだ元気である。
日本昭和村という公園がオープンする。かなり山奥の方らしいが名古屋から日帰りで遊びに行くようなところらしい。明日開村式があるのだが仕事でそれを見学に行かねばならぬ。朝10時前に可児の向こうの日本ライン今渡という駅に集合である。8時前には家を出ねばならぬ。ふだん10時近くに家を出ているぼくにとってこれはかなり早い時間である。緊張している。大丈夫だろうか。普通のサラリーマンにとって8時頃家を出るのはそう早いわけではないだろう、よくある時間帯だろう、それに自分自身7時頃起きることも少なくないのだし、とは思うのだが遅れてはいけない、と思うとどうも心配である。なるべく早く寝ようとも思うのだが、よけい寝られないような気もする。ふだんいかにのんびりした生活を送っていることか、と身にしみる。

2003年4月14日(月)
MTVの'90s特集というのを見ていたのだが、どうも知っている曲やバンドが少ない。というより、ほとんど知らないといってもいい。考えてみると1990年はぼくが会社に入り働き始めた年であり、新しく発売されたCDをほとんど買わなくなって、流通量の少なくなっていたLPを買っていた頃である。思えばその頃はDocument盤、Yazoo盤、Wolf盤とかの1920年代とか30年代のJag BandやRagtimeを好んで聴いていた頃であり、ぼくの人生の中でも最も音楽的には浮き世離れしていた頃という気もする。鏡味さんの店を本笠寺から鶴舞、千種と追い掛けていった頃である。考えてみればつくづく鏡味さんも浮き世離れしたした人である。たまに店を訪れては話をして帰ってきたりするのだが、マイペースと言おうか、スタイルを変えない頑固者と言おうか。それでいてちゃんと店が流行っているところを見ると、ちゃんと世間を見ながら商売をしているのだろう。ちなみに知らない人のために言うと鏡味さんは当時は輸入レコード屋さん。今はちょっと変わった古本屋さんである。

2003年4月13日(日)
先週もそうだったのだがどうも金曜日から日曜日にかけて忙しいらしい。この日記の更新が滞りがちである。今日も実際には月曜日の朝の更新である。何が忙しいかといえばご想像の通り酒を飲んでいるのである。だから正確には忙しいというより更新作業をできる状態にないのだ。金曜日は会社の重役と飲み、さらに同年代の同僚と2時過ぎまで飲んでいた。土曜日は家の近所の店でハシゴしながら飲み続けていた。昨日は疲れが出ていたのか、家でビールを2本ほど飲んだらそのまま寝てしまったようだ。どうにもだらしのないことである。

2003年4月10日(木)
昨日の話、ぼくは単なるおもしろい映像として見ていたのだが、今日のニュースなどでそれが「歴史的」「象徴的」出来事として思ったより大きく報道されているのを見て、そうか、タイヘンなことだったのだな、と思った。ロープの長さが足りんぞーとか叩いても壊れんぞーとか、そんな話ではなかったのである。フロに入っている場合ではなかったのである。でもやっぱり個人的には彫像が倒れる瞬間よりも前の、興奮した人々のドタバタ騒ぎの方がおもしろかったのだが、そのシーンはその後のニュースでは流れない。ちょっと得した気分である。

2003年4月9日(水)
今、イラクからの生中継でバグダッド市内の広場に立つフセインの彫像を倒すべく集まっている群集が映されている。不謹慎かも知れないがこれがかなりおもしろい。この彫像は5〜6メートルぐらいの円柱の台の上に立つ5メートルほどの像である。はしごをかけて台の上にのぼって苦労して首にロープを掛けたはいいが、このロープ、まったく長さが足りず地面まですら届かない。とても引き倒せるようなものではない。そのうち見ていたうちのひとりがこれではちょっと、と思ったらしく、どこからか大型のハンマーを持ってきて、台を殴り始めた。コンクリートらしき台の表面は少しずつ剥がれ落ちるものの、直径2〜3メートルはありそうな台は丈夫で、いっこうに埒があかない。しかしもしあそこで倒れたらそれはそれでけが人が出てたいへんなことだろうな、と思っていたら、さすがに彼らも嫌気がさしたらしく2行ほど前の文を書いているあたりでやめてしまった。そうこうするうち戦車が足下まで連れてこられ、どこかからワイヤーらしきものも持ってこられこんどは像の足に括りつけられた。人の輪が少し下げられ戦車が動き始めた。ちなみに戦車の上も鈴なりの人である。しかしこれもムリらしくこう着状態である。あきたのでフロにでも入ろ。
フロから出てしばらくすると、戦車の力でこの彫像は倒され、おちた像の上で群集が踊っていた。象徴的な瞬間であった。

2003年4月8日(火)
まだ始まったばかりであるが、今シーズンは比較的プロ野球を見ている。ドラキチというほどではないがもともと野球観戦は好きである。衛星放送で中日の試合を中心に、パ・リーグの試合なども見たりする。今日は中日−阪神戦を見ていたのだが、甲子園での試合のせいかアナウンサー、解説ともに阪神応援トークであり、イライラさせられる放送であった。だいたいいつの間にか地上波の巨人の試合のほとんどが巨人寄りトークが定着し、ムカついていたのにここでもやっぱりそれか、という思いである。プロ野球放送の視聴率は年々落ちているそうだ。これまで巨人以外のファンはしかたなく巨人の試合の放送を見ていたのに、放送で巨人ファンのおしゃべりを聞かされるのに嫌気がさして見なくなったのではないかと思うのだがどうだろうか。早急に誰かがなんとかすべき問題だと思う。

2003年4月7日(月)
4日分書かねばならぬ。がんばろう。金曜日。部署異動に伴い机を動かす準備であった。自分の位置は数メートル動くだけだが何人もの机を動かすので結構タイヘンである。夜は最近会社をやめた後輩と遅くまで飲んだ。土曜日。二日酔いで動く気がしなかったが、昼頃味噌煮込みを食いに出かけ、その後昼寝をして少し回復したところでCountryJoeでライブ。また飲んだ。日曜日。10時過ぎに起きて洗濯などをして、覚王山祭りに出かけた。アフリカ系のタイコの人たちやサンバチームやトルコ系の屋台。なんでこう民族系の出し物が多くなるのだろう?不思議である。イヌイくんの屋台でパンを買い、途中でビールを買って歩きながら飲み、たけちゃんのお母さんの店で苔玉を手に入れ、帰宅。昼寝をした後、夜はあべちゃんとCountryJoeでバンド。Lou & The Bar Fly Bandと共演である。月曜日(今日)。会社内で引っ越し。机や棚を動かし、くたびれた。夜は恒例のダーツ。また負けたが、ちょっとだけ調子のよい波も来たのでまずまず。忙しかったような、そうでもないような4日間であった。そして明日はぼくの誕生日である。こんな日々を過ごしているうちいい歳こいてしまった。お祝い、忠告、説教その他カキコ受付中です。

2003年4月3日(木)
昨日だったか、フィアットの新しいクルマのポスターを見かけた。イタリア語ならムルティプラというクルマである。かなりヘンな形である。どう間違っても日本のメーカーが作らないだろう、という感じである。どうもあのあたりの感覚は日本人とはまったく違うように思う。フロントガラスの下部とボンネットの間が少しあいておりそこにライトらしきものがある。ヘッドライトとは別である。また、それほど大きいクルマではなさそうだが、3+3の6人乗り。気になる方はここへどうぞ。ぜひ一度見て感想を聞かせてほしい。

2003年4月2日(水)
昨日は火曜日だったが、朝礼があったり新年度だったりでどうも月曜日っぽいなぁ、と思っていた。なんでプロ野球がやってんだ?とか思っていたが、火曜日だからやっていて当たり前である。ところが昨日の午後は休んだせいか、今日はまた休み明けの月曜日のような感じであった。毎日が月曜日である。そしてまた先週に引き続いて、土日に遊び呆けた勢いのまま月曜日はダーツ、昨日は晩飯のあと酒を飲みに出かけたりと週の前半で力を使い果たした観がある。まだ今は11時であるがすっかりおネムである。明日は朝から新入社員教習の講師をせねばならぬ。なんで新入社員につきあって早よから会社へいかねばならんのか、と少々むかつきながらもう寝よう。

2003年4月1日(火)
4月である。新年度に入り、朝礼が催され、社長の講話があった。また、組織の変更に伴って辞令が配られた。ぼく自身は社内の情報システムなどを扱う地味でのんびりした部署から、お客さんを担当する企画の部署へ異動である。2年後の万博を控えて企画の部署は人手が足りないところへ放り込まれた形であり、きっと忙しくなることだろう。中間管理職的な立場でもあり、若者も育てねばならない。そんな緊張感の漂うところであるが、新しい上司にいきなり早退を申し出て昼から平針に免許の書き換えに行ってきた。あと1週間で誕生日を迎えるのだ。今回は違反者講習ではないので1時間程度で終了。しかも次の更新は5年後の平成20年である。ちょっとうれしい。

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