1974年03月 ヤマハ発動機(株)入社  技術部実験3課に配属される
RD250/350の75年モデル開発を担当
左:RD250(75年型)
右:RD350(75年型)
フレームワークの基本レイアウトは、当時の市販レーサー”TZ”と同じで、ハイテンションパイプを使用していた。
【詳しくは第1話で】
1974年11月 RD250/400の開発
 ・400のエンジンマウント及び、排気ジョイントのテストを担当
【詳しくは第6話で】  
1975年04月 引き続きRDを担当
 ・騒音対策の走行試験ライダー担当
左:RD250(76年型)
右:RD400(76年型)
フレーム構成はRD250/350とほぼ同じダブルクレードルフレームで、前後の重量配分が大きく変更され、操縦性が向上したモデル。国内よりもアメリカでの販売実績が好調だった商品ですが、RDに限らず、欧米と日本とでは得てして逆の評価・販売が起きる物です。その為、アメリカを意識したモデルになっていく。
【詳しくは第8話で】
1976年04月 RD400白バイの開発担当
 ・耐久車のテストライダーを務める
写真は手元にありません。
【詳しくは第12話で】
1976年07月 パッソルの開発を担当 
 ・オイルポンプの吐出量実験担当
 ・エンジン性能テスト担当
ホンダのロードパルに対抗して出されたのがこのスクーター”パッソル”。原チャリと言えばスクーターであり、今に続くスクーターの原点はこのパッソルと言えるでしょう。シートの防振対策他を行った”D”を含め150万台を販売する
企画から生産までが1年を切り、試作車(部品)が揃ってから4ヶ月あまりで生産に入ったのは、当時としては驚異的なスケジュールでした。
CMキャラクターは八千草薫さん
【詳しくは第18話で】
1977年02月 パッソーラの開発を担当
 ・エンジン性能テスト担当
 ・キャブレター開発担当 
パッソルの後を受け、上級車として開発。一回り大きい車体に0.5馬力アップのエンジン+2段オートマチック。フロントバスケットも標準装備した。
CMキャラクターは桃井かおりさん
【詳しくは第25話で】
1978年02月 キャロット、リリック、マリックの開発を担当
 ・エンジン性能テスト及びキャブレター開発担当
左からリリック、マリック、キャロット。3機種ともエンジンベースは同じだがレイアウトが微妙に違う。
リリック・・・このエンジンレイアウトには苦労し、一番手が掛かった。それだけに可愛い奴。
マリック・・・こちらは優等生。エンジンの出来自体は一番まとまりがあった。
キャロット・・・営業お待ちかねのロードパル対抗車。パッソルと同時期に開発開始→開発中止→再開発→販売と、曲折のあったバイク。
【詳しくは第30話で】
1979年02月 ポエットの開発を担当
 ・エンジン選定及びマフラー一次試作テスト担当
修理に入ったポエットを掲載
残念ながらシートはオリジナルでは有りませんが、エンジンは好調です。
デザインは最悪っ! しかし、中身はとても良いんです。
エンジンベースはメイト系を採用。ピストンリードのチャッピィの3.5馬力に対し、ポエットはクランク室リードで3.6馬力を発揮。〜当時は馬力的に不利と言われていました。
馬力の目処を付け、設計・企画段階のチャッピィベースをメイトベースに変更させた。
3段オートマは優れものです。
【詳しくは第35話で】
1979年06月 キャブグループに異動
 ・RD400燃料噴射テストの実験担当
【詳しくは第36話で】
1979年10月  ・XS400を使ったキャブレターの基礎研究、実験担当
【詳しくは第41話で】

「開発物語」の連載も今回で終わりです。長らくお読み頂き、また、ご指導ご鞭撻頂いた方々にこの場を借りてお礼申し上げます。

書き始めた当初は、こんなにも長編になるとは思ってもみませんで、A4標準で130ページ相当にも達する内容に自分自身驚いているのですが、長編故に最初から読み返していると、記憶違いや分かりづらい文章、書き足さなくてはならない部分も多くあり、加筆・校正を必要としている部分が少なくありません、順次更新をしていき、本年(2004年)中には単行本化したいなと希望を持っています。〜自費出版というレベルではありません。

なお、今後は「開発物語ーAfter」として、考察を織り交ぜた技術評価を行っていこうと考えています。その折りにはまた、ご愛読の程よろしくお願いいたします。

それでは一旦ペンを置きます、ありがとうございました。