まるこの日常生活の記録と映画鑑賞記
2000.4.1〜4.10.
3月31日(金)
本日、我が社は年に一度の決算日。なんだかんだと言って、社内はバタバタしている。しかし、こういう日に限って匿名希望くんがデートに誘ってくる。「今日までの招待券が2枚あるから『マグノリア』を観に行こうよ」って。行くでしょう、そりゃ。当たり前でしょう。人間ですもの。私は社内からヒンシュクを買うことを承知でキンコンダッシュを試みた。匿名希望くんと一緒に『マグノリア』を観て、またこの映画について熱く語り合うのさ。うふっ、楽しみ♪ …しかし、世の中はやっぱり上手くいかない。やむを得ない事情のために、匿名希望くんは大幅に遅刻していらっしゃった。上映時間に間に合わなかったために『マグノリア』は断念。代わりに一緒にゴハンを食べることになった。映画もいいけどゴハンも悪くない。結局、何でも良かったりするのさ。
匿名希望くんのリクエストにより、私は生まれて初めて回転寿司屋に入った。正式には“生まれて初めて客として回転寿司屋に入った”である。実は私は学生の時、回転寿司屋でバイトをしていた経験がある。回転寿司屋を内側から見て、そこでインチキ寿司屋のイメージが定着してしまった私は、これまで意識的にそこに客として入ることを避けていたのかもしれない。私がバイトしていた回転寿司屋は、何だかインチキっぽいネタを使っていたし。バイトのコは好きなだけ食べさせてもらえたのだけど、決して美味しいとは言えなかったし、お世辞にも衛生的だとは言えなかったし。その店は今はもう潰れちゃって無いから言えるんだけどね。
でも、回転寿司って面白い。だって、お寿司が回ってるんだもん。カウンターに座って、回ってるお寿司をずーっと見ていたら、匿名希望くんに「何やってんの?」と聞かれた。「お寿司見てるの♪」と答えたら、「ワリカンなんだから、食べなきゃソンだよ」と言われた。彼は既に3皿目に突入している。そ、それはいけない。私は慌てて穴子の皿に手を伸ばした。すると、ふと私の頭の中をあの日の悲しい思い出がよぎる。あの日は『マグノリア』は観れたけど、お寿司が食べられなかった。今日は『マグノリア』は観れなかったけどお寿司を食べている。これは何と言う因縁なのだろうか。
穴子寿司は予想以上に美味しくて感動してしまった。回転寿司も侮れない。しかし、ここで私は落とし穴に気がついた。私が昔バイトしていた店はどの皿も100円だったのに、この店は皿の絵柄によって値段が違う。欲望のままに食べたいものをガンガンいってしまうと、時にとんでもない高価なネタを掴まされることがあるのだ。それはいけない。自分の欲望を押さえ、いかに安いネタを選りすぐって食べるかが回転寿司の達人になるコツだと匿名希望くんも言う。私はこの前の時に涙を飲んで諦めさせられサーモンは堪能したが、ほたてが載っていた皿は高級そうだったので手を出すことが出来なかった。私も達人にならねば。まだ1回目だもの。これからだもの。
明日は『トイ・ストーリー2』を観に行く予定なので、夜はビデオで『トイ・ストーリー』を観て予習した。この映画を観るのは3年半ぶりで2回目。2度観てもやっぱり面白い。特にバズ・ライトイヤーのマジぼけぶりが最高に可笑しい。ディズニーは表向きは子供向けの作品でありながら、大人にしか分からないネタで笑わせてくれるのが嬉しいし、この作品では“嫉妬”とその感情が引き起こしてしまう醜い行為なども描かれていて、とても奥が深い。それに、最後にはしっかりと泣かせてくれる。『トイ・ストーリー』1作目は、私の中ではレベル5だ。果たして2作目は? 明日が楽しみだな♪
3月30日(木)
月曜に休暇を取ったので、火曜、水曜は当たり前のように残業。でも今日は木曜日。誰が何と言おうと映画を観に行く日なのさ♪ 映画館の上映スケジュールをザッと見て、『救命士』を観に行くことに決定した。混んだ劇場が好きでない私は、1000円のサービスデイには、あまり人が集まらない映画を選んで観ることにしている。しかし、今日の映画は激混みだった。ニコラス・ケイジって、そんなに人気があったっけ?
救急救命士のフランク(ニコラス・ケイジ)は、もう何ヶ月もの間、人の命を救えていないことを気に病んでいた。そして彼が救えなかったローズという名の少女の亡霊につきまわれ、「なぜ私を救ってくれなかったの?」と問い掛けられる日々が続いていた。そんなある日、フランクは心拍が停止してしまった老人を見事に蘇生させる。その老人が生きていてくれることが、自分の救いにもなると彼は考えたが…。
世のため、人のために夜中じゅう働いている救命士が体験した3日間を描いた作品。救急救命士というのは、重病人を救急車で病院まで運んで行くだけの仕事ではない。病人を病院に届けるまで、その命は彼らの処置にかかっているのだ。人命を救っているいう誇りとは裏腹に、手を尽くしても目の前で死んで行く人間の幻影に悩まされるフランク。正常な人間だからこそ、徐々に精神状態がおかしくなっていく。この作品が言わんとしていることはよく分かる。でも、私には何とも退屈な作品だった。精神を病んだ人間や、ヤクでラリった人間が観た幻覚を映像にしてしまう作品には、どうしてもついていくことが出来ない。観ていて 『ラスベガスをやっつけろ』を思い出してしまった。
この作品は、娯楽作品ではない。自分自身の精神を侵されつつも、なお人命救助に走り回らなければならないひとりの男の心の中を描いた作品。好きな人はものすごく好きだと思うが、受け入れられない人は全くダメだろう。いつも必ずエンドロールが終わり会場が明るくなるまで席を立たない私だが、この作品では久しぶりにエンドロールが流れている最中に席を立ってしまった。 レベル1.5
3月28日(火)
駅の自転車置き場で、また私の自転車が倒されていた。一体、なんなんだー。せっかく元に戻っていた前カゴは、たった1週間で再び歪んでしまった。また元通りにならないかな。もう一回くらい奇跡が起こらないかな。
家に帰ってネットに繋いで、3日ぶりに自分のページのカウンターを見たら驚いた。わずか3日でカウンターの数字が1700も増えている。そんなバカな。だって私のページに来る人は、せいぜい1日に100〜130人くらいだよ。私が更新をストップしていた2月の中旬にも、一日で300もカウンターの数字が増えて驚いたことはあったけど、今回は1500も誰かの手によって故意に数字が増やされている。誰が? 何のために? 私の熱心なファンの人が必死にリロードしたのだろうか。それとも、クリックの練習場として使われたのか。どうでもいいけど、たとえ1500回クリックしても、私が更新しない限り中身が変わることはございません。(←開き直ってどーする?)…ってゆーか、1500回もクリックしたら腱鞘炎になっちゃうよん。
3月27日(月)
予告通りのアカデミー賞休暇。仕事とアカデミー賞とどっちが大事と聞かれたら、やっぱりアカデミー賞だもん。やっぱりこういうものは生で見ないとね。睡眠も充分に取ったし、準備は万端。10時前にはテレビの前に座り込んだ。
キャメロン・ディアスのドレス、胸が開きすぎ。アシュレイ・ジャッド、すごい奇麗♪ 痩せてるキアヌはやっぱりカッコいいね〜。オープニングのいつものビリー・クリスタルのパロディフィルム大好き。ビリー・クリスタルは“俳優”というより、“アカデミー賞の司会のおじさん”というイメージが私の中で定着してしまった。でも、いつもながら同時通訳じゃちゃんとギャグが伝わってこない。
今回は放送権がNHKからWOWOWに移ったので、今までとはちょっと趣向が違う。永井美奈子はあんまり好きじゃない。でも、何で岡田真澄が出てるのだろう。不思議。どうせなら、去年、突然NHKからアカデミー賞インタビュアーを降ろされた別所哲也(ベッシー)を出して欲しかったな。
アカデミー賞受賞式は、いつも5〜6時間の長丁場だ。賞の発表の間に古いフィルムの上映などされると、ついついダレてしまい、知らぬ間に眠ってしまっていた。不覚だ。昨夜はあんなに寝たのに。目が覚めたらスタジオでは「26の賞のうち、16の賞が決定しました」とか言っている。もうそんなに発表になっちゃったのかい? 私、5個くらいしか観てないんですけど。それでもメゲずに続けて観ていたら、また眠ってしまった。気付いたら、ラスト3つの賞の発表になっていた。全く、何のために休暇を取ったのか分かりゃしない。結局、助演男優賞と主演女優賞を誰が取ったか分からないまま番組は終わってしまった。WOWOWさん、最後に全ての賞のおさらいくらいしてよ。NHKはいつもやってくれたじょ。
夜の9時からは、3時間のダイジェスト版の放送。観たら、もう字幕が付いてるじゃない。偉いぞ、WOWOW! 今までNHKは生放送で同時通訳、夜のダイジェスト版では声優を使った吹き替え、一週間後にようやく字幕版で放送してたのに。居眠りしてしまった昼間のリベンジ!ということで、再挑戦することにした。やっぱりビリー・クリスタルのパロディフィルムは字幕版で観ないとね。でも、時々入るスタジオの解説がウザい。もう結果を知ってるくせに、わざとらしく予想ごっこするのはやめて欲しい。しかし気付いたら、またラスト3つの賞の発表になっていた。何と、知らないうちにまた眠ってしまったようだ。何やってんだか…。で、結局、最優秀主演女優賞は誰が取ったの?
3月26日(日)
ヘラルドシネクラブのボーリング大会。ボーリング幹事のジョージアが恒例の遅刻なので、代理で私が受付で名前を告げた。受付のおねーさんに「何名様ですか?」と聞かれたが、自分たちが何人のグループだかよく分からない。仕方ないので「大勢です」と答えたら、「16名様ですね」と返された。そんなに集まったんかい。確か、初めてみんなで参加した7月の大会の時は9名だったな。前回の大会では13名だったよな。今回は86名の参加者に対して私達のグループが16名。ついに全参加者の2割近くを占めるまでになってしまった。これからもパラサイトのごとく、どんどん増殖していくのだろうか。ちょっぴり恐い気もする。
実は、昨夜は更新のためにほとんど寝ていない。ほぼ徹夜状態でボーリング2ゲームはやっぱりキツかった。自慢の魔球も決まらず、ガーター続き。いっそのことブービー賞(6ヶ月の劇場フリーパス)でも狙おうかと目論んだが、そんなに上手く行くもんでもない。結果は74位で何も貰えなかった。仲間のくーちゃんは70位で3ヶ月の劇場フリーパスを、チャックは75位で劇場招待券を3枚ゲット。とっても低レベルの競り合いだが、チャックに僅差で勝ってしまったために商品を獲得出来なかったことがちょびっと悔しい。
かなり無謀だとは思ったが、徹夜明けでボーリングを2ゲームやったあと、『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』を観ることにする。だって、これから平日に時間が取れるかどうか分からないんだもん。でも公開2日目とは言え、予想以上の混み具合に驚いた。狭いロビーには「何が起こっているのだろう」と思わずにはいられない程の人があふれていた。まるでカーニバル状態だ。普段、映画を観ていない人が詰め掛けているのか、劇場の整理番号発行システムを知らない何人かの人からあれこれ尋ねられた。この音楽(このバンドというべき?)って、そんなに人気があるんだ。知らなかったな。
この映画はラテンバンドのステージを追い掛けたドキュメンタリー。曲と曲の間にバンドのメンバーのインタビューが挟んであるという、ただそれだけの作品である。だから、キューバ音楽自体に興味があれば楽しめるが、その音楽を受け入れられなければ、全く面白く無い作品である。ちょっとズレるかもしれないが、ラテン音楽が大好きな私は、以前、何度も足を運んでいた松岡直也グループのコンサートを思い出し、それなりに楽しめた。ストーリーは無いので余計なことは考えなくてもいいし、心地よい音楽がずっと流れているだけなので、徹夜明けの身体にはよく効いた。 レベル3
明日はアカデミー賞授賞式。無事に休暇も取れたし、今日は充分に睡眠を取っておかなきゃ。
3月25日(土)
昨日、仕事を中断して帰ってしまったために休日出勤。でも、朝から雨が降っている。「会社行きたくないよー」とダダをこねていたら、そのまま眠ってしまい、気付いたら既に昼前になっていた。ヤバイ。朝から出勤して夕方4時前には切り上げ、その足で『クッキー・フォーチュン』を観に行く予定だったのに。慌てて支度して昼過ぎに会社到着すると、出勤している人が何人も居た。みんな仕事が好きだねぇ。私は映画の予定がなければ、休日出勤なんてしないゾ。仕事はあくまでも映画のついでなんだから。それでも16時台の回には間に合いそうにないので、19時まで仕事をして夜の回で観ることにする。
仕事をしていたら、17時半頃ナタリーからケイタイに電話があった。「もしもし、まるちゃん? 今、まるちゃんちの近くに居るんだけど、晩ご飯一緒に食べない?」「私、今、会社におりますの」「へ? なんでー?」「お仕事なんですのよ」「まー、それは大変ですこと」「今日はこのあと『クッキー・フォーチュン』を観に行く予定ですけど、ナタリーさんもご一緒しません?」「あら、それはいいアイデアですこと。すぐそちらに参りますわ」 …ということで、適当に仕事を切り上げてナタリーと晩ご飯を食べた後、ふたりで『クッキー・フォーチュン』を観ることとなる。
長い間犯罪が起こったことがない平和な小さな町で、夫に先立たれたクッキーおばさんが、拳銃で頭をぶち抜いて自殺した。第一発見者は、クッキーの姪カミール(グレン・クローズ)。彼女は「うちの親戚から自殺者が出るなんてみっともない」という理由で、クッキーの死を強盗殺人に見せかけるように細工を行う。拳銃に残された指紋から、クッキー殺人の容疑者として彼女の身の回りの世話をしていた黒人男性ウィリスが逮捕される。しかし、ウィリスの人柄を知る町の人々は、誰もが彼を犯人だとは思わなかった。
日本というとても平和な国に住んでいる私たちには、この作品のブラックなユーモアは分かり難いかもしれない。この作品は、銃による犯罪が頻繁であるアメリカという国に住みながらも、犯罪などには縁のない、とても平和な町に巻き起こった騒動…という観方をすると面白いと思う。強盗殺人事件が起きた(実は違うのだけど)というのに、あくまでもマイペースな町の人々。「銃による犯罪は起こりうるものなのだ」というお国柄的意識と、「でも、この町では起こるはずがない」という妙な安心感の微妙なバランスが可笑しい。
グレン・クローズが演じたカミールが「自殺はみっともないので殺人に見せかけよう」と目論む理由は、彼女が熱心なキリスト教徒であるかららしいが、その辺の感覚にはやはり理解し難いものがあり、彼女に対してはただの“訳が分からない嫌なおばさん”という印象しか持てなかった。彼女には舞台演出好きであるという伏線が張ってあり、恐らくそれも彼女を動かした理由だと思うのだが、そこまでの彼女の人物表現の中ではそれほど印象が強く残らなかったので、それが観ている途中で結びつかなかったのが残念だった。彼女の偽装工作の理由がもう少しはっきり分かっていれば、もっとこの作品を楽しむことが出来たような気がする。
小品ながら出演している俳優は豪華で、ジュリアン・ムーアがちょっと頭の弱いカミールの妹を、そしてちょっとスレた彼女の娘をリブ・タイラーが演じている。監督はロバート・アルトマン。 レベル3.5
この映画を観ると、すごくコーラが飲みたくなる。だから、帰りにコーラを買って帰った。家に帰って買ってきたコーラを飲みながらメールを開くと、久しぶりに千葉に住む妹からのものが入っていた。それには「『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』の感想を読んでいたら、泣けてきた」と書いてあった。『「なぜ電話の1本もよこさないのだろう」と姉は思うが、妹には電話が出来ない理由があるのだ』というフレーズが気持ちにヒットしたらしい。私は全く知らなかったのだが、彼女は今、耳の病気で病院に通っていて、電話に出るのもつらい状態なのだそうだ。精神的にもかなりヘコんでいたらしい。これが『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』の感想の中で私が書いた、姉妹の持つ不思議なテレパシー。もうひとつ書いてあったことは、私が体調を崩して会社を休んでいた今月の6日と7日、偶然彼女も体調を崩して会社を休んだという。傍から見れば「そんなのどーってことないじゃん」と思われるかもしれないが、こういうことは結構頻繁にあったりする。本人的にはやっぱり不思議な力と思ってしまうのさ。
3月24日(金)
アカデミー賞最有力候補と言われている『アメリカン・ビューティ』の試写会だったので、定時になったらとっとと仕事を中断して帰宅準備。だって、そんなに凄い作品ならアカデミー賞の前に観たいじゃん。仕事は今日でも明日でも出来るけど、映画は今日を逃したらアカデミー賞前に観ることは出来ないもん。
人材派遣会社が提供していた試写会だったので、映画の前に『私の転機』というテーマでリサ・スティグマイヤーのトークショーがあった。『はつ恋』、『スペートラベラーズ』、そして今日の『アメリカン・ビューティ』と、今月に入ってからの試写会には必ずゲストが登場している。そして、これはとてもめずらしいことであったりもする。彼女の話を聞いている時に、彼女の誕生日が私と同じであることを知り、これで私と同じ誕生日の有名人は、マイケル・ダグラス、キャサリン・ゼタ・ジョーンズ、中山仁、リサ・スティグマイヤーということになった。隣に座っていたジョージア@まるこっち副親衛隊長(♀)は、リサ・スティグマイヤーの誕生日を聞いた瞬間、「あ、まるちゃんと同じだ」と呟いた。さすが副親衛隊長。誕生日までちゃんと覚えててくれている。
中年サラリーマンのレスターは、会社ではリストラの対象、家庭では妻にも高校生の娘にもまともに口をきいてもらえないダメおやじ。しかしある日、ブロンドでセクシーな娘の同級生に一目惚れをしてしまう。彼女の誘惑にも気付いた彼は会社も家庭も吹っ切り、彼女に好かれたい一心で自分を鍛え出す。
心の裏側に隠した本音、頑なに守り続けてきた秘密、自分を誇張することで凄い人間に見せようとする人、いつの間にか忘れてしまっていた大切なこと、愛を乞う人々… 描いているものが『マグノリア』に似ていると感じた。だから、どちらを先に観るかによって、ずいぶん印象が変わってくるのではないだろうか。私は『マグノリア』を先に観ていたし、そのストーリー構成の上手さに感動させられていたので、確かにこちらもよく出来た映画だとは思うが、全米で騒いでいるほど凄い作品だとは思えなかった、というのが本音である。
昔はそうではなかったはずなのに、いつの間にか社会や家庭によってダメおやじにされてしまった男性が、ある日、娘の友達に恋をする。そして、その日をきっかけに彼は生まれ変わったように生き生きとし始め、彼女に認めてもらうために身体まで鍛え出す。その単純な男性を演じるケビン・スペイシーのスーパー変身ぶりは、観ていて面白い。しかし、そんな彼の感覚というのは男性の方がより理解出来るのかもしれない。長い間忘れていた“恋する気持ち”に目覚め、それによって信じられないほどのパワーを発揮してしまうというのは女性である私にも納得出来るが、どうしても分からなかったのは、その娘を相手に彼が想像の世界に入り込んで行くシーンだった。若い女性を頭の中で裸にしていく、その感覚は男性ならではのものだろう。男と女では性に対する感覚が違うので、どうしても理解出来ない部分が出てきてしまう。この映画は、社会や家庭に疲れたお父さんたちが見ると、かなり主人公に感情移入出来るのだと思う。
人間は社会の中で生きていくために、誰もがさまざまな我慢をしている。そして、いっそのことその我慢を放棄して自分の好きなように生きられたらどんなにいいことかと思うのも、皆同じだと思う。この作品は、そんな願望を叶えたひとりの男性の物語。全てを吹っ切ってしまった人間の気持ち良さが描かれている。しかし、それが周りの人物を巻き込んで様々な事件を起こす。ブラックなユーモアは満載だが、喜劇か悲劇かと言われれば、悲劇である。そういう理由からしても、私は登場人物たちが心の中にあるものをぶちまけることによって癒されていく『マグノリア』の方が好きだった。 レベル3.5
映画のあとは、豪華商品が当たる抽選会。今日の景品はコーチの時計、プラダのポーチ、フェラガモのブレスレットetc.・・・ こういう景品を出すことがスポンサーの人材派遣会社にとってどんな得になるのかは分からないが、とにかく大盤振る舞いである。当たった人は舞台に呼ばれて住所とか名前とか聞かれていた。私も当たって舞台に呼ばれたら、「名古屋市内から来ました〜(←嘘)」と答えようと思ってたけど、何一つかすりもしなかった。前に、懸賞などによく当たる人は愛情運が薄いという話を聞いたことがある。神様は、ひとりの人間にあまり多くの運を与えてはくれないのだそうだ。私はコーチの時計よりも愛情の方が欲しいもん! と、ちょびっと負け惜しみ。
3月23日(木)
昨日のキンコンダッシュのツケは容赦無く回ってきた。明日は『アメリカン・ビューティ』の試写会が控えているので再びキンコンダッシュしなければならないし、月曜日は“アカデミー賞休暇”を目論んでいるので、今日はエンドレスで残業である。しかし、普段は100人もの社員がひしめくフロアで最後のひとりになってしまうのは淋し過ぎるので、私以外の最後のひとりが帰る時に一緒に退出しようと考えた。残業をしてるといいこともある。上司にはコーヒー牛乳をオゴってもらえたし、同じ課の人たちがみんな帰ってしまったのに残っている私を見て可哀想に思ったのか、よその部署の部長が100円お駄賃をくれた。それで充分にやる気を出してしまえるのだから、使い易いOLである。
最後まで私と残っていた後輩くんが22時30分には退出準備を始めたので、私も仕事を切り上げることにした。彼に「メシ食いに行くから付き合ってよ」と誘われ、一緒に晩ゴハンを食べることにする。彼が「どーしてもハンバーグが食べたい」と言うのでリクエストのハンバーグレストランに入り、23時過ぎからハンバーグ定食を食べた。普段はこんな時間にハンバーグなんて考えられないが、しっかり食べておかないと、あと1日の労働に身体が持ちそうにない。あと数時間でまた会社に行く準備をしなければならないのかと考えると、憂鬱にもなってくる。そんな時、私が映画好きなのを知ってる後輩くんが「この前ようやく『マトリックス』を観てさ」と、映画ネタを振ってくれたので、ちょっと気分も晴れた。
結局「オレが誘ったから」と、後輩くんがそれもオゴってくれると言う。私は基本的に「オゴる」と言われた時には相手が誰であろうと拒否しない性格なので(相手はきっとオゴりたいんだな、と都合よく受け取ってしまう)、素直に「ありがとー」と答えた。オゴりに縁があった一日だった。
3月22日(水)
ジョージア@まるこっち副親衛隊長(♀)の誘いで『スペーストラベラーズ』の試写会。試写状に堂々と監督と主演の安藤政信くんの舞台挨拶ありと書いてあるとのことだったので、仕事はめちゃめちゃ忙しかったけど、何が何でも行く決心をした。だって『キッズ・リターン』で、すっかり安藤くんにホレちゃったんだもん♪ …ということで、仕事を途中で放棄し、無謀を承知でキンコンダッシュ。「明日になれば何とかなるさ」と安易に考える人間なのさ。
会場に着くと、入口では厳重な(?)カメラチェックと引換えにプレスシートがもらえた。コレクターとしてはちょっと嬉しい。でも、こんな画が「これでもか!」と言わんばかりにバーンと載ってて、バックカラーが黄色でハデハデ。電車に乗って持って帰るのはかなりハズかしい気もする。プレスシートを見たジョージアが「あ、池内博之も出てるんだ〜」と言うので、「それ、誰?」と聞いたら、「ドラマの『GTO』とか、色々出てるじゃん。ほら、このコ」と教えてくれた。でも、知らない。だって、私はドラマを含めて、普段はほとんどテレビを観ない人だもん。「ふーん、知らない。タイプじゃないし」って答えたら、「まるちゃんは、興味がないと見向きもしないね」と笑われた。だって、マユゲを細くカットしてる男の人の顔って好きじゃないんだもん。ただそれだけ。(それとも、あれが彼の自前なのか?) プレスシートを見たら、私は中山仁と誕生日が一緒だった。別に自慢することではないし、自慢にすらならない。でも、これで私と同じ誕生日の俳優は、マイケル・ダグラス、キャサリン・ゼタ・ジョーンズ、中山仁、ということになった。
舞台挨拶は映画終了後とのことだった。何度か舞台挨拶を観たことはあるけど、私にとっては映画終了後の舞台挨拶というのは初めてのパターン。でも、観る側の立場からすれば、そっちの方が嬉しい。だって、やっぱりネタばれありの面白い話が聞きたいもん。映画を観る前に仕入れた業界通のなすカレーのたれ込み情報によると、「スペトラ期待しすぎるべからず」。『踊る大捜査線』のスタッフが作ったという作品。予告編は面白そうだったから、それなりに期待はしてたんだけどな。「期待しすぎるべからず」と言われれば、それなりの心構えが出来るもんだ。
孤児院で育った保(金城武)、誠(安藤政信)、功(池内博之)は、銀行強盗を企てる。5分間で銀行を襲い、奪った金で“楽園”を探しに行こうと計画したのだ。ライフルを手に閉店間際のコスモ銀行に乗り込んだ3人だったが、そこにはびっくりパーティのために警察官の扮装をした銀行員、元刑事長の警備員、本物の国際的テロリストが居合わせ、事態は予想外の方向へと進んで行く。
フジテレビPresentsということなので、出演者も深津絵里、渡辺謙、浜田雅功、筧利夫、鈴木砂羽、ガッツ石松、大杉漣と、実に賑やか。舞台劇がベースになった作品であり、予測しない方向へどんどんと進んで行くコメディという点で、観ていて『ラヂオの時間』や『奇人たちの晩餐会』を思い出した。テレビのスタッフが作った映画なので、画的にはやはりテレビっぽいが、こういう上手い展開でドツボにはまって行くコメディは嫌いではないので、“なすカレーたれ込み情報”に反して、結構楽しんで観ることが出来た。しかし、それもラストの10分まで。コメディなんだから、最後に最高のオチをつけて笑わせてくれなきゃ。いきなり泣かせに入っちゃうとはどーゆーこと?? 原作の舞台脚本にも、あんな“泣かせ”があったのだろうか。せっかく面白い気分に浸れたのに、台無しにされたような気がした。“なすカレーたれ込み情報”間違いなし。 レベル3
映画上映後、予告通りに本広克行監督と安藤政信くん、それと何て名前だったか忘れちゃったけど、プロデューサーが舞台に登場。安藤くん、なんて華奢なんでしょ。ヒョイって突ついたら、ヒュ〜って倒れちゃいそうな雰囲気だ。それに色白で、照れなのかもしれないけどクネクネして仕草が女のコみたい。監督は、最後の“泣かせ”について「『あれ? どうしちゃったの?』とお思いの方も大勢いらっしゃると思いますが、映画を2度3度と観ていただければ、その意味が分かります」と言っていた。どう聞いても、苦し紛れの言い訳のような気がする。
しかし、最近は映画のエンドロールの一番ラストにパスワードが出て、それを入れるとオフィシャルサイトの裏画面に入れるっていうサービスが多い。この『スペーストラベーラーズ』もそう。しかも、入口で配られた“コスモ銀行”のクレジットカード風のメンバーズカードには別のパスワードが書いてあって、それを入れるとまた違う裏画面が見られるというオマケも付いている。なかなか凝ってるね。
試写会が終わって駅に着いた私は、世にも不思議なものを見た。私の自転車は駅の自転車置き場で2度、3度と倒されているため、前カゴが歪んでいる。おまけにこの前、廃品回収に出す雑誌や新聞を積め込んだ状態で激しく倒したため、見るも無残な姿になってしまっていた。自分で元の形に直そうとしたけど、相当な力を加えなければ簡単に直るようなものではなさそうだったので、諦めてそのままにしておいた。少なくとも、今朝まではそういう姿だった。しかし、夜、駅に着いて自転車置き場で私が見たものは、前カゴがちゃんとした形に戻っている私の自転車だった。一瞬、目を疑った。これは怪奇現象なのだろうか。それとも誰か知らない人が黙って直してくれたのか。誰が? 何のために? 嬉しい。でも、ちょっとキモチ悪い。
3月21日(火)
久しぶりにえびちゅに会ったら、彼は怪しげなガイジンになっていた。なるほど、カウボーイハットを欲しがるわけだ。
ずーーーーっと気になっていた映画『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』をようやく観た。クラシック音楽ものなので、ヴァージン・シネマとかユナイテッド・シネマとか音響のいい劇場で観たかったが、えびちゅがおごってくれると言ったので、お世辞にも音響が良いとは言えないM地下劇場(名古屋近郊の方はよくご存知で…)で観ることになった。SRDのサウンドもタダには代え難いと思ったのだけれど…。
ヒラリーとジャクリーヌは幼い時から仲の良い姉妹だった。姉のヒラリーはフルート演奏でいつも優勝する優等生。チェロの演奏がなかなか認められない負けず嫌いの妹・ジャクリーヌは、姉に追いつくべく一生懸命に練習を重ね、やがてその腕をメキメキと上達させていった。そして、いつの間にかジャクリーヌの演奏の評価はヒラリーを追い越していた。成長したジャクリーヌはプロの音楽家として成功を納め、世界中を演奏旅行で飛び回る。一方、ヒラリーは音楽家の道を捨てて結婚することを決める。仲の良かった姉妹も、心のすれ違いを感じ始めていた。数年後、田舎で幸せな家庭を築いていたヒラリーのところへ突然ジャクリーヌが訪ねて来る。ヒラリーはジャクリーヌの精神状態が普通でないことに気付くが…
16歳でデビューし、天才チェリストと呼ばれながら音楽活動を続けていたジャクリーヌ・デュ・プレの輝かしい10年間の裏側にあったもの、そして26歳で“多発性硬化症”という難病に冒されて42歳で死に至るまでの人生を、姉・ヒラリーと、本人・ジャクリーヌの両方の視点で描いた作品。実在した若き天才音楽家の一生を『奇跡の海』のエミリー・ワトソンが演じ、この物語の原作を書いた姉のヒラリーには『エイミー』のママ、レイチェル・グリフィスが扮している。原題は“HILARY and JACKY (a true story)”。つまり、この作品は単純にひとりのチェリストの生涯を描いたものではなく、仲の良かった姉と妹の物語になっている。
仲の良い姉妹は不思議なテレパシーで通じ合っている。突拍子もないことなのに同時期にふたりで全く同じことを考えていたり、同じ部屋で唐突に同じ歌を歌い出し、びっくりして顔を見合わせたり。妹とそんな経験のある私は、ヒラリーとジャクリーヌの不思議な結びつきは大いに理解出来たし、姉の持っているものは何でも欲しがる妹の姿と、そんな妹に“譲ること”が役目であるという姉のしがらみもよく分かった。もしも精神的に参っている妹に「あなたのダンナと寝たい」と言われたら、私だったらどうするのかな、と考えずにはいられなかった。
人間は自分の視点でしか物事を見ようとしない。しかし、物事には必ず“表”と“裏”がある。「なぜ電話の1本もよこさないのだろう」と姉は思うが、妹には電話が出来ない理由があるのだ。この作品は、最初に姉の視点で見た妹が語られる。チェリストとして世界を手に入れながらも、姉が築いてきたささやかな幸せまでもを欲しがる妹は、ワガママを通り越して悪人にも見える。しかし、あとで妹自身の視点でもって、その裏に何があったのかを語ることにより、全てのワガママな言動が納得させられていく。輝かしい名声と共に家族をも忘れてしまったと思われていたジャクリーヌが、ひとりきりでどんなに淋しい生活を送っていたか。私が全編を通して一番涙が出たのは、異国からジャクリーヌが実家に洗濯ものを送りつけたエピソードだった。
映画の構成は上手いし、役者の演技も本物のジャクリーヌの演奏を使った音楽も素晴らしい。ただ、ジャクリーヌが26歳で発病してから42歳で亡くなるまでの16年間を駆け足で見せすぎ、闘病生活の時間の長さを感じることが出来なかったことだけが残念だった。 レベル4
SRDのサウンドもタダには代え難いと思ったが、1800円を払ってもこの映画はSRDサウンドの劇場で観るべきだった。そしたら、もう0.5ポイントは評価も上がっていたかもしれないね。『バニラ・フォグ』をヴァージン・シネマに観に行った時にやっていたこの作品の予告編の音楽は、鳥肌ものの素晴らしさだったもん。
2000.3.11.〜3.20.
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