UP DATE .2006.3/2
第23回 酒器
君をさがしている
なんと3年3ヶ月振りの更新になります。その間私はバーテンを辞めて骨董屋になりました。サイトの方も階層構造の大幅な変更をしましたし、
自分の立場は確かに変わった筈です。でもこのコンテンツの存在自体反故にするつもりはありませんでしたし、絶えずいちコンテンツとしてクレジットしたままでおりました。
何より酒とのつき合いは変わらず続いています。生業ではなくなった分だけもっと気軽なつき合いになったかもしれない。
あの頃は「この素晴らしい酒文化を広めたい」なんて大義を掲げて書いてました。それが私の日常の姿でもありましたから。 ただ、今はそんな大層な気持ちはありません。単純に素晴らしいお酒の世界を個人的に享受している。楽しんで酒を呑んでいる。 それだけです。それだけなんですけど、そんな自分が素敵だなと感じた事を戯れ言として綴っておく。他のカテゴリでもいつもやってることを ここでも気が向いたら続けていこうと思ってました。
日常の酒
ジョブチェンジした後の酒のやり方はどんなもんか?というとさして特別なことはありません。寒い時季は日本酒がメインになり、
食べ物によってはワインを持ち出し、夜を楽しむ時にはスコッチやバーボン。気まぐれで好きな酒を取っ替え引っ替えしております。
酒を呑む機会も、呑まない日は数える程ってくらいですから相変わらず。尤も弱くなったようですぐ酔っちゃいます。
その分グラス一杯をより大切にやるようになったかな? と本人は思ってるんですが、そんなのは自分で評価することではありませんね。
相変わらずお酒に対してだけは謙虚みたいです(笑)
でもカクテルは滅多に作らなくなった上に、呑みに行くにしても田舎ですから車が必須。そうなるとどうしても出不精に鳴らざるを得ないわけで、 なんともご無沙汰。同時にワインもボトル一本を一人じゃオーバーボリュームでして、好きなのに呑む機会が減っちゃったかなぁ。 まあ在庫には常にしてるので、なかなか開封できないってところなんですね。「呑んでこそ酒」を信条にしてるクセにね。まあ呑めばいいってもんでもないですから。
猪口
そんな代わり映えのしない日常で、久しぶりに書く気になった『お酒について語らせて』。単に訪れた気まぐれでございます。
とは言っても昔から連綿と続く出来事がございまして・・・ ・・・
実は酒を生業にするずっと前、酒の世界に魅了された いち酒呑みとして、自分が惚れ込めるお猪口・ぐい呑みというものが欲しかったんです。 お酒をよりおいしく頂きます為に必要な酒器への拘り。それは呑むに際して当然の準備であります。カクテルグラスの広く開いた口、 本体に熱を伝えない為の脚、ワイン・ブランデーグラスを始め、それぞれの酒にマッチした機能的な造詣・材質・それらが生み出す機能美。 そういうのは上げて説明していけば至極尤もで、誰にも分かり易いものだと思います。で、そういうのには機能的にも長けていて 広く認められる羨望を持っているメーカーもあるわけですね、バカラとか。それらを求めて所有したくなるというのも まあごく自然の欲求ですね。 日本酒をやる場合はどうでしょうか? 前述のグラス達のように、味わいとして美味しく呑む為だけなら、機能美としてだけなら 弾き出される答えは決まってくることでしょうね。そう、機能美だけならガラス製が理に適ってます。特に香りが高く デリケートな精米歩合の高い贅沢な酒などは冷やして置くことが求められますし、利き酒の際に邪魔しない材はgoodです。 でも日本酒には徳利から注ぎ、猪口で受けて頂くという、面倒でも素敵な酒の儀式ってのがございます。誰か大切な友人や身内、 心許せる人と交わすそれは、決して酒だけじゃないわけです。お互いの気心なんかも交わしてるんですね。加えて酒ってのは 作り手である杜氏のみならず、元は自然の恵み、天の恵みです。八百万の神によって成り立つこの国において、大和の酒ってのは 格別な思いを以て接することが出来るわけですよ、我々日本人にとって。そんな特別な拘りをもってやれる酒には、 特別な拘りや遊び心も併せて楽しみたい。そんな日本酒の酒器とは、はたしてどんなもんなんだろうか? ってことなんです。
父が骨董屋
20歳の頃バーを通しお酒の世界に魅せられて、恐らくは洋酒中心に嵌っていた頃からぐい呑み・盃はずっと求めていました。でもずーと
自分がどんなもんが欲しいのか分からなくてね。そして年月が経って店を持つことになって、父と共に作ろうかという事に。
ここで父の存在が骨董屋として大きくなるんです、自分にとって。
父が骨董を仕事とするようになったのはもっと昔でした。自分が中学生の頃にはもうやってたくらい。で、 自分も骨董は生業にする前から普通の人に比べれば少なからず関心があった筈です。ただ、 あまりに身近な人物がそれの数寄者である。それも所有すること適わぬ生業としている。当時の自分は父を、 物の良否の判断をドライに下す先生だと思ってみてました。よっぽどの品でない限り、取り立てるようなものは在りはしないのだ、と。 何しろ店名の頭に「古美術ギャラリー」なんて冠を付けてるわ、テレビにも出てる有名な先生は来るわしてるんですからね。 そんなんですから骨董の事なんてあんまり聞けないんですよ。どんな品物でも一言二言で済む話しじゃない。 ひとつを知ろうとすればその生い立ちや、関連する周囲の状況、それは歴史や時代背景、当時それらを手にした人々、造った人々、 あらゆる文化を熟知した上でなければ的確に把握できない。一瞥しただけで見て取ろうなんて興味では到底理解出来るわけがない。 そんな気持ちで伺いを立てても「さて何から話していいものか・・・」ってことになりかねないと思うから、何も聞けないし 迂闊なことも言えないって感じでした。今思い返せば。そうだ、ある意味小さな火種は燻ってるのに、決して触れないようにしてたのが 私にとっての骨董かもしれませんね、うん。 でもなにかひとつ、好きになれる酒器、ぐい呑みはひとつでいいから持ちたいと思っていたわけです。何しろ酒なんて低俗と捉えられているモノを、 いやいやそんなことはないんですよと、この文化は人間の営みとして非常に奥深く尊いものなんですよと思っていましたからね。 でも焼物って何十種類とあるじゃないですか。信楽だとか備前だとか。その上で大きさ・形状・色まで絡ませたら選択肢は無限になる。 いったい自分はどんなぐい呑み・盃が欲しいんだろうか? 分からないんですね。そもそも本当にガラスじゃなくて良いんだろうか? なんて堂々巡りもしちゃったりして。 実は日本酒に併せて、酒器の歴史についても通り一遍は調べてました。それらと町人文化とを結びつけるところまでを考えれば、 今思うとお粗末なもんでしたが色々な角度から捉えてみたもんです。その上で当時父は酒を呑みませんでしたから、欲するところ・温めるべき 本質については自分こそが分かるだろう、何より自分の欲求からきてることだ。そう思い、結局父にそんな話しを切り出したんですね。 最初に気になりだしてからは大分時間が経ってたと思います。今から8.9年前の事です。 まあその時の話しでは答えなんか見つかるはずもなく。ただそれからしばらくして、父がいくつかのぐい呑みや猪口を持ってきてくれたんですよ。 でも当時、それらを見てもちっとも心がときめかなかった。実は自分の店で親しいお客さん相手に何度か供したこともありましたが、 お出ししてて特別な感慨も覚えなかったんです。それからずーとお気に入りのぐい呑みを探すも巡り会えませんでした。 それは世間に在るそれと、というより 自分の中の欲する物に巡り会えないということですね。ま〜だ自分が欲しい形状・性質が判らないまんまなんですよ。
今は自分も骨董屋
その後自分が骨董屋になって、やっぱり生業なわけですから好きであっても所有することは叶わない立場です。でもまあ色々見えるようになって、
一口に骨董と言っても様々在る中で自分は気の軽い、昔の普通の人が使っていた「生活骨董」というのを中心に扱ってます。
本来は特別でもなんでもない品物。お酒で言えばビールや普通の一升瓶の日本酒ですよ。ブランデーや高級ワイン・高級スコッチ
なんて手に出来ないところの者ですよ。
ところが世の中の景気が変わると、ちょっとイイモノが下々の所にまで降りて来てくれるんです。士農工商って身分制度があった時は 求めることさえ許されなかった刀や献上手の古伊万里だって持てるようになるんです。僕らでも大吟醸や年代物のスコッチ、ビンテージ物のワインを呑めるんです。 それと同じで「用の美」にも評価の高い品があるし、古伊万里やちょっとした道具類を扱えるようになるんですね。 それでも日常に根ざした品が中心ですし、上手(じょうて)の物といいうのはその中から生み出され鍛錬されていった品なんですね。 そうすると自然に焼物なんかも扱う機会が増えて、自分の中では出来るだけカテゴリを線引きしないようにはしているんですが、 焼物については特に目を掛けていただけるようになっているみたいです。実は骨董屋としての私の真骨頂は別に在るつもりなのですが、 カテゴリとして焼物への造詣が深いと思って頂けるのは有り難いことですし、自負する部分は勿論あります。
そして巡り会い
そんな現在の自分。日常の一環で、品物の整理整頓をしておりました。そうしたらいつか父から渡された猪口が出て来ました。
大半は陶芸の域を出ていない、「佳く見せよう 格好良く見せよう」という作為に溢れたものです。うまいこと焼いてはいるんですけどね、
あくまでも陶芸教室のそれですよ。作ってる本人が「造る」という造作も含めて楽しむことは出来るけれども、製作の工程を知らない者でも
楽しめる逸品になっているかと言うとハイとは言わせないぞという品。
当時ときめくこともなかった自分を思い浮かべながら「まあ的確な判断をしたもんじゃないか、流石骨董屋の卵」なんてほくそ笑んじゃいました。 ところがその中の一点に、唯ならぬ輝きを認めます。お椀を逆さまにしたような造形に、粉引(こびき)と言って胎土の上に白泥を塗って化粧した技法のぐい呑み。 なんとも言えない枯れた、それでいて上品な佇まいなんです。今度は苦笑いですよ。 で、何も言わずにそれを父に見せました。父は件の経緯を完全に失念していたようで「いいね」と言うだけでした。確かに良い出来です。 実はぐい呑み・猪口の本当に良い出来、心を完全に無防備にして許せる作品なんてのはなかなか無いもんなんです。少なくとも自分には そんな品を目にする縁がほとほとない。 ただ、この猪口の出来がいくら良いからと言っても、どうやらNumberの好みではないようです。とはいえ今の感覚・感性を以て これで実際に酒を呑んだらどんな感じだろう? そういう興味と欲求は強く持っているのですが、自分はそれらを抑えて早速値札を貼り付け 展示陳列いたしました。今、もの凄い自分自身の欲と戦っています。何故そんなことをするのか? これはと思う酒をチョイスして注ぎ、 呑んじゃえばいいじゃないか? いや、呑むべきだろう! そうは思うのですけどね。 先ず、これが自分の好みの物ではないと 酒呑みとしての自分の感性が言うこと。そして今は、佳い物を 解って貰える人の元に巡り合わせるお手伝いをする骨董屋 としての立場である自分の拘りです。酒に加えて焼物の事もちょっとは分かってきていると思うのですが、だからこそ これからも探していく事になるんでしょうねぇ、まだ見ぬ君。酒呑みとして お気に入りの猪口・ぐい飲み。 |
NO
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タイトル
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第1回 | カクテル(ラムちゃん登場)改訂版 |
第2回 | ウイスキー(琥珀色の思いで) 改訂版 |
第3回 | お酒と対峙する(与太話) 改訂版 |
第4回 | ジン(末期の酒) 改訂版 |
第5回 | カッコイイ男の酒 女の酒(NOZOMIの 夜はこれから) |
第6回 | ラム(彼女を愛する理由) 改訂版 |
第7回 | マティーニ(ボトルのお酒) 改訂版 |
第8回 | カウンターをはさんで 前編(NOZOMI 初めての・・・) |
第9回 | カウンターをはさんで 後編(タンカレー氏 登場) |
第10回 | YUKOのキューバ紀行(YOKOHAMAのYUKOさんからの寄稿文です) |
第11回 | 復刻ラガー |
第12回 | 日本酒(ちょっとそこのお嬢さん) |
第13回 | お帰りなさい(NOZOMIの一時帰国) |
第14回 | CMを作ろう(その国では 蝉の声は聞こえない) |
第15回 | ラガービールに想いをはせて(南風の詩声) |
第16回 | 想いでのK-Port(やっと見つけた やきとり屋さん)テレビ朝日出演記念コラム |
第17回 | スペシャルインタビュー(バックNumber改訂に寄せて) |
第18回 | オリジナルカクテルについて(新作 オリジナルカクテル誕生) |
第19回 | 不健全な大人たち(青少年有害社会環境対策基本法を知って) |
第20回 | 女性とお酒 (お酒を愛する全ての女性へ 女性を愛する全ての男性へ) |
第21回 | 君へ (どんなお酒でも 女の子だと思ってみなさい) |
第22回 | ビール (ビールについて何故語れない?) |