志位和夫「党員拡大5カ年計画」の欺瞞性と空想性

 

2000年11月〜2005年11月で50万人の共産党

党費納入有無による党員数の三重帳簿の欺瞞

 

5カ年計画マイナス決算総括放棄・隠蔽のトップ党内犯罪

 

(宮地作成−2008年7月加筆・改定版)

 

 ()、このファイルは、2007年9月5中総と、2008年7月11日6中総の志位報告データに基づいて、かなりの加筆・改定をした。ただ、2000年第22回大会から2008年まで8年間のデータ検証になるので、各時期のデータ比較が複雑になっている。

 

 〔目次〕

   1、公表在籍党員数と党費納入党員数の三重帳簿データ

   2、党大会向け第一帳簿の内訳−党費納入有無による党員分類

      1、2006年1月第24回大会公表の在籍党員数−404299人

      2、2007年9月5中総時点の党費納入党員数−63.0%・254708人

      3、長期未結集・行方不明・党費納入拒否の幽霊党員−37.0%・149591人

   3、志位和夫「党員50万人5カ年計画」の欺瞞性と空想性

      1、在籍党員数から見た「50万人党員計画」の欺瞞性と空想性

      2、志位和夫2008年7月6中総における二度目の党員騙しペテン報告

      3、党費納入党員数から見た「5カ年計画」の空想性と犯罪性

   4、5カ年計画マイナス決算と総括放棄・隠蔽による党の変質・退廃 (別ファイル)

 

 (関連ファイル)         健一MENUに戻る

    共産党『大会決議案についての志位報告』05年11月50万党員拡大を再確認

         『第22回大会決議』党員拡大5カ年計画

         『政治資金収支報告』党費の年間総金額のみ、党員数カット

         『5中総』07年9月 『幹部会』12月 『幹部会』08年3月 『6中総』08年7月11日

    『参院選で動く党員と反発サボタージュする党員』評価分裂と半崩壊現象

    『日本共産党の党勢力、その見方考え方』員の分類、未結集計算式

    『日本共産党との裁判第1、2、3部』一面的な拡大追求による未結集激増

    宮地幸子『政治の季節のある青春群像』4・17半日ゼネストと未結集

 

    『「国会で安定した241議席を占める革命」綱領』9議席→241議席の空想的目標

    『北朝鮮拉致事件と共産党の意図的な無為無策路線』末尾・志位机上計算式の空想性

 

 1、公表在籍党員数と党費納入党員数の三重帳簿データ

 

 宮本・不破・志位らは、党員数に関して、1961年第8回大会から、2006年第24回大会における16回の党大会すべてを、三重帳簿システムにより運営してきた。三重帳簿とは、何か。それは、報告相手に応じて、党員数を変えるトリプルスタンダード式帳簿のことである。

 

 〔小目次〕

   〔第一帳簿〕、党大会で公表する在籍党員数の帳簿

   〔第二帳簿〕、大会代議員数を47都道府県委員会に割り当てる党費納入党員数の非公表帳簿

   〔第三帳簿〕、政府・総務省への政治資金規制法による党費納入党員数報告の帳簿

 

 〔第一帳簿〕、党大会で公表する在籍党員数の帳簿

 

 これは、党大会公表用の帳簿である。そこには、長期未結集・行方不明・党費納入拒否の幽霊党員含めた党員数が記帳されている。宮本・不破・志位らは、党大会において、今まで一度も、党費納入党員数報告したことがない

 

 ただ、志位和夫は、2007年9月5中総において、党史上初めて党費納入率63.0%に激減したと真相告白をした。

 

 〔第二帳簿〕、大会代議員数を47都道府県委員会に割り当てる党費納入党員数の非公表帳簿

 

 ()党大会報告在籍党員数と、()大会代議員数割当基準の党員数とは、まるで異なる。党中央書記局は、当然のことながら、47都道府県委員会から、毎月の党費納入党員数を正確に報告させ、党費の党中央分納入をさせている。それは、宮本・不破・志位らが、一貫して、党内向けダブルスタンダードを採ってきたことを示している。

 

 大会代議員数の割り当て基準値は、以前が、党大会3カ月前の党費納入党員300人に一人だった。しかし、最近では、党費納入党員数減少・じり貧的瓦解に伴い、270〜280人に一人に変更している。この原因は、党機関が離党を実質的に拒絶することから生じる党費納入拒否党員数の激増である。

 

 それによって、大会代議員総数を、伊豆学習会館の収容能力に見合う1000人前後に微調整する。2004年第23回大会の代議員は1013人だった。270人に一人なら、党費納入党員数=270人×党大会代議員1013人≒273510人になる。47都道府県常任委員会は、党中央書記局からの指令数値枠どおりに、代議員を濾過・選別し、上意下達の任命をする。

 

    『ゆううつなる党派』代議員の濾過・選別と、上意下達の任命システム

 

 〔第三帳簿〕、政府・総務省への政治資金規制法による党費納入党員数報告の帳簿

 

 共産党も、政治資金規制法によって、()年間収支額とともに、()年間の党費納入党員総数の報告を義務付けられている。宮本・不破・志位らは、党内にたいして、一度も党費納入党員数を公表したことがないのに、総務省・自公政権には、毎年、その数字を報告してきた。

 

 その行為の性格を、彼らの常套手段である除名理由でっち上げ式に、意地悪く言い換えるとどうなるか。それは、宮本・不破・志位ら共産党トップが、()党内や党大会には決して漏らさないのに、()公安調査庁に筒抜けになる政府機関にだけは、党費納入党員数を毎年、通報してきたことになる。もっとも、法律なので仕方ないが、それなら、政府に報告した党費納入党員数を、党大会で公表してもいいはずである。

 

 公安調査庁に筒抜けになってきた年間党費納入党員総数を、党大会や共産党HPで公表しない理由は何か。

 

 公表在籍党員数と党費納入党員数に関するデータを2つ載せる。()内容の説明は、下記でする。なお、党員数・拡大党員数問題について、最終的な公表・報告方針決定権者は、不破・志位・市田ら3人である。このファイルで、志位和夫としているのは、彼が、1994年第20回大会におけるデビュー報告以来、5回連続の党大会決議案報告者だという理由による。

 

    『志位報告と丸山眞男批判詭弁術』異様な党内出世コースと第20回大会デビュー

 

(表1) 〔第三帳簿〕共産党の政治資金報告数値

年・党大会

党費納入党員年間総計

1カ月間平均党員

公表在籍党員数

党費納入率

1987・第18

最高3586808

298901

最高490000

61.0

1990・第19

3448750

287396

480000

59.9

1994・第20

最低3129769

260814

最低360000

72.4

1998

3183233

265269

(380000)

69.8

1999

3163261

263603

2000・第22

3202455

266871

386517

69.0

2001

3245241

270436

2002

3311569

275964

2003

3277392

273116

2004・第23

3223973

268664

403793

66.5

2006・第24

3142808

261900

404299

64.7

20075中総

(254708)

63.0

 

 この党費納入党員年間総計データは、総務省自治行政局政治資金課に、2004年2月、直接電話確認した数値である。第18・19・20回大会の数値と、最近5年間の数値を調べた。よって、その4カ月後の第23回大会とほぼ同一と考えられる。01年から04年まで党費納入党員は約27万人というのが、共産党側が総務省に報告した正確な数である。2006年度データは、総務省政治資金HPにある。2006年度は2007年9月10日総務省公表数値である。

 

 ところが、志位和夫は、2007年9月5中総において、党費納入率63.0%に減ったと、危機感を込めて報告した。06年1月第24回大会の公表在籍党員数×63.0%≒254708人に激減している。彼が、党費納入率を公表したのは、大げさに言えば、日本共産党史上初めての画期的な出来事となった。よって、2008年現在、党費納入党員は約25万人である。

 

 それによって、彼は、公表在籍党員数の内、長期未結集・行方不明・党費納入拒否党員という幽霊党員は、約15万人、37.0%に膨れ上がった事実の真相告白をした。このように、党機関が離党を拒絶・阻止する政党トップは、21世紀資本主義世界において、レーニン創作Democratic Centralism・分派禁止規定の犯罪的組織原則を手放さない志位・市田・不破らしかいない。

 

 ()1カ月間平均の党費納入党員数=〔第三帳簿〕党費納入党員年間総計÷12カ月間で、計算した。

 ()党費納入率≒〔第三帳簿〕1カ月間平均の党費納入党員数÷〔第一帳簿〕公表在籍党員数の式で、算出した。

 ()2007年党費納入党員数≒第24回大会公表在籍党員404299人×志位5中総報告63.0%である。

 

 〔第二帳簿〕は、非公表なので、〔第一・第三帳簿〕による推計になる。共産党は、HPにおいて、政治資金報告を毎年載せている。しかし、そこでは、政府=(公安調査庁に筒抜け)に報告した〔第三帳簿〕党費納入党員年間総計でさえも発表したことが、一度もない。

 

    共産党『政治資金収支報告』党費の年間総金額のみ、党費納入党員数カット

 

(表2) 公表在籍党員数・党費納入党員数とHN部数

大会

在籍党員数

〔第一帳簿〕

党費納入率

〔第三〕÷〔第一〕

党費納入党員数

〔第三帳簿〕

赤旗HN部数

〔党大会公表〕

1980

15

44

最高355

82

16

48

308

85

17

48

338

87

18

最高49

最低61.0

298901

300数十

1990

19

48

最低59.9

287396

286

94

20

最低36

72.4

260814

250以上

97

21

37

230

98

69.8

265269

2000

22

386517

69.0

(届け70.6%)

266871

(届け272881)

200

04

23

403793

66.5

268664

173

06

24

404299

64.7

261900

164

079

5中総

63.0

254708

087

6中総

最低151

(減紙204)

 

 これは、赤旗HN最高355万部1980年・第15回大会から、減紙204万部によるHN最低151万部2008年7月6中総までの党大会・中央委員会総会別のデータである。〔第一帳簿〕在籍党員数と、赤旗HN部数とは、いずれも、各党大会における公表数字である。151万部という計算根拠は、別ファイルで行った。

 

 党費納入率と党費納入党員数は、〔第三帳簿〕〔第一帳簿〕に基づく推計である。共産党が、総務省にたいし、党費納入党員年間総計数値に関して粉飾決算数字報告をしていれば、このデータを信用できない。しかし、党費納入党員数をごまかすべき理由がなければ、このデータは、共産党が秘密にする〔第二帳簿〕の実態数値を、ほぼ正確に反映している。

 

 空白欄は、政治資金課に問い合わせしなかっただけで、他意はない。それにしても、党員数最高49万人の1987年・第18回大会の党費納入率が、最低の61.0%しかなく、約19万人もが、長期未結集・行方不明の幽霊党員だったという真相を、宮本・不破らはひた隠しにしておいて、「わが党は、ついに49万人になった」と、勝ち誇ったように大宣伝をしていたとは、驚きである。彼らは一種の党内向け詐欺をしたとも言える。(届け70.6%)とは、第23回大会の1カ月前までに、綱領改定案を「届けた」党員数のことで、志位和夫が、2003年12月10中総で報告した。

 

 

 2、党大会向け第一帳簿の内訳−党費納入有無による党員分類

 

 〔小目次〕

   1、2006年1月第24回大会公表の在籍党員数−404299人

   2、2007年9月5中総時点の党費納入党員数−63.0%・254708人

   3、長期未結集・行方不明・党費納入拒否の幽霊党員−37.0%・149591人

 

 1、2006年1月第24回大会公表の在籍党員数−404299人

 

 在籍党員数の最高は、1987年49万人である。最低は、1994年36万人だった。東欧・ソ連崩壊の1990年からの4年間では、13万人が在籍上で激減した。−13万人とは、27%という1/4以上が、正式に離党・除籍になったことである。ただ、ヨーロッパ共産党が、大陸地続きのため、この期間、東欧・ソ連10カ国崩壊の大津波を直接受けて、ほぼ全滅した。それにたいし、日本共産党が27%減少程度で、食い止めえたのは、宮本・不破が、必死でドミノ的崩壊を防いだ逆旋回・クーデター作戦のおかげである。東方の島国の日本共産党が、その時期、高度に発達した資本主義国のレーニン型前衛党として唯一生き残った理由については、別ファイルで分析した。

 

    『不破哲三の宮本顕治批判』ドミノ的崩壊を防いだ逆旋回・クーデター作戦

    『コミンテルン型共産主義運動の現状』日本共産党が生き残った理由

    『北朝鮮拉致事件と共産党の意図的な無為無策路線』日本共産党が生き残った理由

 

 宮本・不破らは、東欧・ソ連10カ国と前衛党いっせい崩壊を原因とする、日本共産党員13万人正式な離党・除籍懲り、慌てた。そのままでは、日本共産党が、ドミノ的にじり貧的瓦解をする過程を自己暴露してしまうと恐れた。それを転換点とし、宮本・不破・志位らは、以後、それ以前にもまして、支部長が提出する()支部党員の離党届・口頭離党表明や、()長期未結集・行方不明党員の除籍実務申請などにたいし、実質的な拒絶をせよと指令してきた。

 

 かくして、日本共産党は、入るはよいよい、出るはこわい=離党が拒絶される犯罪政党変質した。その犯罪性は、暴力革命秘密結社、宗教カルト集団、暴力団と同じである。21世紀資本主義世界の国会議席保有レベル政党を見渡しても、このように離党拒絶をする閉鎖的犯罪政党は、日本共産党ただ一つである。

 

 志位和夫は、第24回大会において、党員数404299人と公表した。ところが、問題は、専従4000人、24000支部LC(指導部)10万人なら誰でも知っているように、党大会公表数字とは、あくまで、()名簿上の在籍党員数であって、()それは多くの長期未結集・行方不明・党費納入拒否の幽霊党員を含んでいる。彼らは、その実態を、党費納入状況と支部会議出席率によって、毎月体験している。

 

 2、2007年9月5中総時点の党費納入党員数−63.0%・254708人

 

 志位和夫は、第23回大会1カ月前2003年12月10中総において、綱領改定案を「届けた」党員数を、70.6%と公表した。「届ける」という作業は、まったく初歩的な任務である。党費納入党員の100%には、必ず届く。となると、「届けた」党員70.6%−党費納入党員69.0%≒1.6%になる。第22回大会在籍党員386517×1.6%≒6184人である。これは、長期未結集・党費納入拒否党員だが、「届け」に行けば、綱領改定案だけは受け取るが、離党を拒絶されている党員数である

 

 その時点、第22回大会長期未結集・党費納入拒否党員は、在籍党員―党費納入率69.0%・266891人=119646人いた。その内、どれだけが、支部が届にきた綱領改定案拒否したか。119646人―受取6184人受取拒否党員は113462人・94.8%もいた。彼ら113462人は、私の体験から見ても、もはや閉鎖的反民主主義的党運営の日本共産党には絶対に戻らないレベルにある。志位・市田・不破らの暗黙の指令に基づいて、党機関が「再説得せよ」と離党を受け付けないのは、在籍党員数を減らしたくない自己保身による党内犯罪の性質を持つ。

 

 そもそも、共産党は、綱領改定案や大会決議案について、「読了率」を問題にしてきた。そして、10中総でも、「大会決定の読了率が3割から4割という水準」と嘆いた。「届ける」という初歩的な運動をやったり、その比率を集約・報告したことは、かつて一度もない。

 

 彼は、2007年9月5中総において、党史上初めて、党費納入率を公表した。その数値として、63.0%に激減したと、危機感を込めて、党費納入率アップを訴えた。党費納入率は、(表2)のように、()2000年第22回大会69.0%()2004年第23回大会66.5%()2006年第24回大会64.7%()2007年9月5中総63.0%と一貫して、じり貧的瓦解で落ち込んでいる。

 

 2000年の党費納入率69.0%―2007年9月党費納入率63.0%「5カ年計画」スタート後7年間−6.0%の激減となった。2006年1月第24回大会党費納入率64.7%と比べても、20カ月間で、―1.7%と減り続けている。よって、第24回大会公表在籍党員404299人×63.0%=党費納入党員数も254708人激減した。

 

    志位和夫『10中総』2003年12月、「届けた」党員数70.6%と公表

    志位和夫『5中総』2007年9月、党費納入率63.0%と報告

 

 これらのデータは、資本主義世界最後に残存するするレーニン型前衛党の実態を全面的に暴露した。それらは、()赤旗部数最高355万部からの、215万部・57.4%減紙2008年7月6中総時点で151万部激減()国政選挙6連続惨敗()党費納入率の一貫した低下・党費納入党員数激減()次回総選挙の小選挙区170の立候補やめリストラの裏側にある赤旗激減による新聞社経営破綻・選挙財政破綻など、あらゆる面で、フランス共産党大転換前のイタリア共産党と同じペースで、じり貧的瓦解政党段階に突入・転落しつつある真相を証明した。

 

 3、長期未結集・行方不明・党費納入拒否の幽霊党員−37.0%・149591人

 

 幽霊党員数に関する従来の計算式は次だった。(1)〔第三帳簿〕÷12カ月間≒1カ月間党費納入党員数。(2)〔第三帳簿〕1カ月間党費納入党員数÷〔第一帳簿〕≒年間党費納入率。(3)100%−年間党費納入率≒党費の長期未納党員率となる。

 

 (表1、2)のにように、最近7年間における党費の長期未納・党費納入拒否党員率データは、31.0%→33.5%→35.3%→37.0%となっている。これは、日本共産党員の31%→37が、長期にわたって党費を払わなくなったことを、日本共産党側が完全証明した対総務省報告データと5中総データである。

 

 三重帳簿システムをどう考えたらいいのか。それは、宮本・不破・志位らが、党内には一切秘密にして、一方の裏側で、政府総務省自治行政局政治資金課にたいしてだけ、正確な党費納入党員数を知らせるという通報行為をしているというわけである。というのも、彼らは、この数値が、政府機関の公安調査庁という「共産党の敵」に筒抜けになることを、百も承知で、情報漏洩をしていることになるからである。「法律だから」というのなら、党内や党大会でも、公安調査庁に筒抜けになる通報数字を堂々と情報公開すればいい。それを党大会で公表しない理由は何か。

 

 ところが、志位和夫は、2007年9月5中総において、日本共産党史上初めて、党中央側が党費納入率63.0%と公表した。よって、〔第三帳簿〕からのややこしい計算をしなくてもよくなった。彼は、幽霊党員が、37.0%・149591人激増したと真相告白をしたからである。

 

 〔幽霊党員37.0%となる根拠〕、各支部の実態と私の個人的体験

 

 現在、知人友人の現役党員・地区委員から私が聞く支部状況でも、ほとんどが、軒並み30%以上の長期未結集・行方不明・党費納入拒否の幽霊党員を抱えているのが実態である。私の個人的体験からも、それを証言できる。やや長くなるが、以下、私が、なぜ党費納入率にかくもこだわるのかという理由の一つを書く。

 

 私は、60年安保入党世代である。1960年代前半、私は、3年間の損害保険会社勤務・全損保労働組合役員・愛労評幹事・民間経営共産党支部長をしていた。そこから引き抜かれて、名古屋の民青地区委員長を1年半やった。そこは、愛知県最大の地区だったが、共産党地区委員会から天下り任命された専従が、私をふくめ3人いた。民青専従は、昔も今も、共産党が任命するのが当然の常識である。私は、労働運動と共産党活動の経歴しかなく、民青に入ったこともない。役員選出の地区同盟会議に、いきなり、25歳でサラリーマン姿の私が新しい地区委員長として、登場したので、「どこの馬の骨だ」と、当初はかなり反発を買った。

 

 民青は、年齢卒業・学校卒業によって、とりわけ班の同盟員数の入れ替わりが激しい組織である。民青専従の生活費は、同盟費の地区収入分だけで充当しなければならない。民青新聞の収入分は、未納も入れると収支とんとんでほとんどない。ということで、私の民青専従費は、損保会社時代年収の4分の1に下がっていた。

 

 連日深夜までの活動の中で、専従3人の生活のためにも、私たちは、必死で同盟費を集めた。地区は、1000人以上の名古屋大学民青班・日本福祉大学民青班などの巨大組織やいくつかの大学班と経営班多数を抱えていた。よって、年齢卒業・学校卒業を常時確認し、即座に除籍・転籍措置もし、95%以上の同盟費を集めていた。夏・年末カンパも訴えた。しかし、活発な地区活動の費用支出を最優先にするので、3人の人件費遅配が蓄積し、1年半で、6カ月分が遅配となった。3人とも、一人身だったので、私は地区委員長としてのいたらなさを謝って、6カ月分全額をカットした。まあ、その間、生きて、活動してこれたからいい、というのが、3人の青春時代の心境だった。

 

 今度は、共産党の地区専従に引き抜かれた。本当は、もっと民青活動を続けたくて、意見を言ったが、「党の決定だ」ということなので、無条件で従うしかない。その名古屋中北地区委員会は、名古屋市中部北部の全10行政区を含み、愛知県党の半分の党勢力を占め、専従52人を抱える巨大地区だった。そこは、複数行政区からなる5つのブロックに分かれていた。ブロックとは、地区委員会機能をかなり持ち、専従数人がいる地区補助機関である。私は、その後、愛知県委員会選対部に移るまでの7年間近く、5つのブロック責任者をすべてやった。それらはすべて、現在、地区委員会に昇格している。よって、私は、事実上5つの地区委員長を歴任したことになる。

 

 民青時代の体験と習慣から、担当ブロックが替わる度に、私は、支部会議とは別に、支部長・組織担当LCに会って、(1)在籍党員数と、(2)長期未結集・行方不明・党費納入拒否の幽霊党員の一人一人の実態を、克明に調査した。そこから判明したことは、1960年代後半から70年代にかけ、党活動が、機関紙HN拡大と選挙活動だけに、極端に一面化していった中で、長期未結集党員が急増していたことだった。しかも、支部LCクラス未結集が多いことだった。その原因も調べて、私は、かなりの未結集LCに直接会いに行き、復帰の説得をした。大きな経営支部は、40%前後の長期未結集・行方不明・党費納入拒否の幽霊党員を在籍党員数に数えていた。もっとも、私の拡大指導・深夜までの連日点検・拡大数字成績追及という一面性の誤りによって、私自身が、長期未結集党員・LCを数十人生み出したという個人責任を負っている。

 

    『日本共産党との裁判第1部、第2部』一面的な赤旗拡大運動と犯罪的な実態

 

 それとともに、1964年4月17日公労協ゼネストにたいする共産党の犯罪的な中止指令において、私も地区常任委員・ブロック責任者として、「ストは謀略」「中止は党中央の決定だ」との犯罪加担をした。党中央の秘密指令とはいえ、私自身の誤ったスト中止強要によって、担当していた国鉄・電通などの労働組合執行委員である共産党地区委員や支部LCなど多数を、長期未結集に追いやった。私は何度も謝罪と説得に行った。彼らから、「あんたや共産党中央が労働者を裏切って、スト破りを指令したことは許せない」と罵倒された。私も、全損保の労働運動において、スト権投票のオルグで、自分の職場や他損保会社の職場集会を駆け回った体験があるので、弁明の言葉もなかった。彼らは一人も戻らず、私を含む共産党専従は、公労協関係の支部を、半ば壊滅状態にさせた。

 

    宮地幸子『政治の季節のある青春群像』4・17半日ゼネスト

 

 4・17スト中止指令問題は、まさしく共産党によるスト破りだった。それは、私の15年間の民青・共産党専従体験における痛恨の犯罪的誤りだった。そこからの関連で、話はやや飛躍する。私の労働運動・スト権投票オルグ活動体験とともに、このスト破り指令体験がなければ、ソ連崩壊後に判明した、(1)レーニンのストライキ労働者の大量逮捕・殺人犯罪、(2)トロツキーの労働の軍事規律化の誤り、(3)レーニン・ジノヴィエフによるペトログラードの全市的ストライキの暴力的鎮圧・スト指導者500人の即時殺害犯罪にたいする、強烈な批判と怒りの感情は生まれなかった。ヨーロッパの労働者たちは、ソ連崩壊後に発掘された、レーニンの労働者ストライキにたいする犯罪的鎮圧・大量殺人報復の実態を認識するにつれて、レーニンを完全に見限った

 

    『「ストライキ」労働者の大量逮捕・殺害とレーニン「プロレタリア独裁」論の虚構』

    『トロツキー「労働の軍隊化」構想と党内論争』2000企業軍隊化でのスト激発と弾圧

 

 長期未結集党員・LCは、ほとんどが口頭で「党をやめたい」と離党を表明する。文書で離党届を出す党員はめったにいない。支部長が、何度説得工作をしても駄目で、やむなく、地区委員会に、長期未結集党員の除籍を申告すると、地区委員長や地区組織部は、必ず「再説得してこい」「行方不明といっても、もう一度調査してこい」と言って、在籍党員数から削除してくれないそれを2、3回体験すると、地区委員長は、在籍党員数が減るのを嫌がっているんだと、どの支部長も悟る

 

 私は、民青時代の即時除籍・転籍実務をする体験があったので、時々、支部長から引き受けて、地区委員長に、支部党員の除籍申し出た。彼は、「除籍など認めない」とは決して言わずに、ねちねちと「再説得・再調査をしたのか」と切り返した。私も、それを数回体験する中で、恥ずかしながら、その雰囲気に屈従して、担当ブロックにおける長期未結集・行方不明の幽霊党員の除籍実務を進める任務を放棄した。私以外の地区専従で、そんな余計な「在籍党員削減実務」をやろうとする者は、いなかった。これは、その地区や地区委員長だけでなく、現在の他地区の話しも合わせて、日本共産党全体の組織体質であると断言できる。

 

 抜本的な解決策は、〔第一帳簿〕在籍党員数公表システムから、〔第二帳簿〕党費納入党員数・納入率公表システムに大転換することである。それは、公安調査庁に筒抜けで通報している〔第三帳簿〕が存在しているわけだから、即座に転換可能な選択肢である。しかし、志位和夫は、東大卒・地区専従体験なしの代々木官僚として、それを断行する勇気を持ち合わせていない。

 

 もっとも、これは、()1961年第8回大会以来、宮本・不破らが、47年間にわたって、()とくに、東欧・ソ連10カ国崩壊による13万人正式離党後に、強化してきた公表システムと体質なので、志位一人だけが負う個人責任ではない。ただ、彼は、2007年9月5中総で、党費納入率63.0%・約25万人党費納入拒否党員数約15万人と、党史上初めて公表した。その行為は、日本共産党員の党費納入拒否率激増=内部じり貧的瓦解現象に基づく危機意識から出たとしても、評価できる。その5中総志位報告は、日本共産党が、党員レベル内部崩壊しつつあるというデータ真相告白となった点で意義深い。

 

 

 3、志位和夫「党員50万人5カ年計画」の欺瞞性と空想性

 

 〔小目次〕

   1、在籍党員数から見た「50万人党員計画」の欺瞞性と空想性

   2、志位和夫の2008年7月6中総における二度目の党員騙しペテン報告

   3、党費納入党員数から見た「5カ年計画」の空想性と犯罪性

 

 1、在籍党員数から見た「50万人党員計画」の欺瞞性と空想性

 

 まず、2004年1月第23回大会の公表在籍党員403793人5カ年の中間点基準とする。そして、50万人にする上での在籍党員党員+96207拡大計画の性質を検討する。志位和夫は、2000年11月第22回大会において、党勢拡大に関して党員拡大を重点にすると路線大転換をし、「党員50万人5カ年計画」を提案した。その大会後、第23回大会までに、3年3カ月間=39カ月間あった。その間、どれだけ増えたのか。

 

    共産党『第22回大会決議』2000年11月党員50万人拡大5カ年計画

 

 彼は、第23回大会において、「43000人の入党者を迎え、党員403793人になった」と、党員拡大成果と党中央路線転換の正しさを誇った。実際の差引数字は、43000人どころか、2004年度・403793−2000年度・386517=+17276人が増えただけだった。()入党者数だけを報告して、()離党・除籍・党費納入拒否者数を、故意にカットした。それは、真相として、43000−17276=離党・除籍・党費納入拒否党員が25724人いたことを暴露した。

 

 ところが、彼は、赤旗HNについて、200万部−減紙27万部≒現在173万部と、差引数字で報告している。これは、重点の党員を差引数字にせず、入党者数だけにし、赤旗HNは差引数字にするという、二重決算報告である。

 

 志位和夫は、なぜ、このような姑息な二重決算スタイルの報告をしたのか。()赤旗HNの減退は、党収入の90%を占める機関紙代金問題があるため、隠しようもない。しかし、()党員拡大は、第22回大会において、赤旗拡大重点路線から「党員拡大5カ年計画」を最重点にすると路線転換をした。よって、党中央の正しい計画は、着実に成果を挙げており、党員P+43000人になったという二重決算書の詭弁を使いたくなったのか。東大卒業と同時に、民間経営労働者体験や地区専従体験もパスして、いきなり東京都委員会官僚→代々木官僚になった彼らしい手口とも言えるが、なにかその心情に憐れさも感じる。

 

 民間会社の株主総会で、社長・役員が、このように卑劣で自己保身的な二重決算書を報告しようものなら、総会は大混乱に包まれ、怒号が飛び交い、即座に社長解任になる。第23回大会代議員1013人は、誰一人として、この決算報告スタイルに怒声も批判の声も挙げなかった。そこに隠された体質は、さすがにレーニン創作のDemocratic Centralism・分派禁止規定という党内民主主義を抑圧する犯罪的組織原則政党のもの言える。

 

 ただ、彼が、このような二重決算書にしたのには、今後に向けた意図的な、党員だましの目的もある。50万共産党の目標達成期限は、2005年11月である。第23回大会を中間点とすれば、あと1年10カ月間=22カ月間で、未達成96207人を差引で拡大しなければならない。党員差引数字を隠蔽しておいて、今までの3年3カ月間=39カ月間で、増やしたのが、P+43000人と報告すれば、どうなるのか。志位和夫の「党員拡大50万人5カ年計画」は、達成可能で、彼が重点を、赤旗拡大から党員拡大に大転換させた路線は、やはり正しかったと、党大会代議員1013人、および、党費納入28万党員に錯覚させることができる。

 

 それでは、もし、赤旗HN差引−27万部報告と同じように、在籍党員数は差引+17276人増えただけと報告していたなら、党費納入28万党員はどう受け止めるか。赤旗減紙270000÷党員拡大17276≒15.6倍となる。()在籍党員が差引1.7万人増えても()赤旗HNが拡大した党員の15.6倍も減っていることになり、志位和夫の路線大転換の失敗・破綻が、5年間の途中で早くも、全党に暴露される。

 

 「党員拡大5カ年計画」への重点転換が、いかに空想的な代々木官僚的発想で提起されたのかを、全党員が悟る。その結果、50万党員計画など、絶対に達成不能目標だとして、全党員が、やる気を失い、志位和夫の指導性・計画立案能力に見切りをつける。共産党委員長としての自己の権威失墜・破局を、当面避け、引き延ばすのには、全党をペテンにかける手口しかない。これが、二重決算書の本質である。

 

 2、志位和夫2008年7月6中総における二度目の党員騙しペテン報告

 

 しかも、志位和夫は、2008年7月11日6中総においても、またまた同じ党員騙しペテンの手口を使った。彼は、2007年9月5中総からの10カ月間で、9000人の新入党員を迎えたと報告した。それを受けて、ほとんどのマスコミが、その数値から、『蟹工船』ブームも連想し、共産党は前進していると報道した。多くのブログも、新入党員9000人=共産党の躍進と書いた。

 

 しかし、これも、党費納入拒否党員数との差引に沈黙し、隠蔽した数値である。差引実態はどうなのか。このペテン暴くのには、こまかくややこしい計算を必要とする。8年間において、比較する時期・期間も複雑なので、説明が難しい。

 

 上記(表1)のように、06年1月第24回大会〔第三帳簿〕党費納入党員数は、261900人・党費納入率64.7%だった。07年9月5中総で志位和夫は、党費納入率63.0%と、その激減ぶりを危機感込めて報告した。というのも、「5カ年計画」決定の2000年第22回大会の党費納入率が、69.0%だったからである。それ以後の7年間で、なんと、6.0%も党費納入率が激減した。

 

 それでは、2007年5中総時点の党費納入党員数は何人になったのか。公表在籍党員×63.0%=254707人である。それは、党中央が党史上初めて直接に認め、公表した党費納入率に基づく党費納入党員数の計算式である。第24回大会後の期間20カ月間で差引すると、党費納入党員数増えたどころではない減っている。その証拠は、党費納入率も、20カ月間で、64.7%63.0%1.7%減っている事実である。

 

 06年1月党費納入党員数261900人−07年9月党費納入率63.0%・254707人=20カ月間党費納入をする共産党員は7200人も減っている。志位和夫は、その後の幹部会報告においても、党費納入率がさらに下がっているとし、党費納入向上を訴えた。それは、党費納入党員数が減るペースが、20カ月間以上にもわたって止まっていない危機意識告白したことになる。それは、フランス共産党党員激減ペースと同じになってきたとも考えられる。

 

 ただし、減ったという意味・実態は、()在籍党員数そのものが減ったことではない。その数値に変動はない。志位・市田・不破らが在籍党員数削減をさせない。というのも、()志位・市田・不破らは、日本共産党内部じり貧的瓦解の危機感から、党員拡大重点路線に転換している。よって、中間機関幹部全員は、その指令・拡大成績数字追及7年間にわたり常時うけ、支部長が提出する支部党員の離党表明・除籍措置認めないで、受付を拒絶するからである。

 

 ()その結果、党籍は残させられ、離党表明をした党員たち党費納入拒否党員への転化を決断するからである。彼らは、同時に、支部会議不参加・赤旗購読拒否という共産党員削られないまま幽霊党員となる。その幽霊党員たちは、上記で計算したように、約15万人に膨れ上がっている。

 

 フランス共産党には、こんな幽霊党員は存在していない。毎年、党費納入の党員証交付党員数だけで公表するからである。大転換イタリア共産党も、当然ながら、同じ党員数公表システムだった。両党の年度別党員数減少()の証拠があるが、このファイルには載せない。日本共産党とは、世界的に見ても、離党・除籍措置認めず、拒絶する異様に閉鎖的な反民主主義の犯罪的組織原則政党変質している。入党はよいよい、離党はさせない、拒絶するという日本共産党とは何なのか。

 

 20カ月間差引減った党員差引党費納入拒否党員の方が、新入党員数よりも、7200人上回った。6中総報告との比較で、それを10カ月間という半分にして推計する。推計だが、同じペースなら、その後も、増えたどころか、差引で減った党員党費納入拒否党員の方が、新入党員数よりも、3600人上回ったことになる。党費納入党員減り続けているというのが、日本共産党の真実である。

 

 というのも、彼は、さらに、彼は、2008年3月幹部会報告において、党費納入が後退していると報告した。それは、5中総時点の63%=25万党員への激減よりも、半年間で一段と下がったとの真相告白である。

 

    共産党『5中総』07年9月 『幹部会報告』08年3月党費納入さらに後退

 

 機械的な比較推計なので、データとしての信憑性はやや乏しい。しかし、()8年間の党費納入率・党費納入党員数の一貫した歯止めのない減少経過()5中総の党費納入率63.0%激減報告と、()2008年3月幹部会における党費納入後退報告という3つのデータから考えれば、この推計も当てはまると思われる。

 

 となると、比較推計の差引3600人減ったということは、志位報告9000人の新入党員を上回って、党費納入拒否党員が12600人増加していたとなる。それを増えた増えたと一面だけを誇示するのは、党費納入拒否党員の差引上回り現象隠蔽する党員騙しの志位式ペテンではないのか。志位報告は、()党費納入党員だけでなく、()ほとんどのマスコミや、()共産党支持系ブログや多くの左翼系ブログまでをも欺く絶大なペテン効果をもたらした。

 

 もっとも、このような表裏からのややこしい計算をしようとするのは、私の民青・共産党専従15年間の表裏体験がなければ、発想することすらできないと思われる。よって、6中総後も、党費納入党員・共産党支持者・マスコミは、共産党の前進・躍進報告信じ込まされている。しかし、志位和夫は、このような騙しのテクニックが、次回総選挙でも、有権者にたいし通用すると信じているのだろうか。

 

 3党費納入党員数から見た「5カ年計画」の空想性と犯罪性

 

 〔小目次〕

   1、「党員拡大5カ年計画」という日本語

   2、スターリンが、「5カ年計画」の裏側でやったこと

   3、「5カ年計画」が産み出した犯罪的な思想腐敗傾向

   4、志位和夫「5カ年計画・28万党員→50万党員」が党内に生産する思想腐敗傾向

   5、不破・志位・市田らの空想的目標とその犯罪性

 

 1、「党員拡大5カ年計画」という日本語

 

 〔第三帳簿〕数値と、志位10中総報告「届け70.6%」により、2004年度党費納入率68.3%党費納入党員数約28万人が、ほぼ完璧に立証された。それを中間基準にして、志位和夫「50万党員拡大5カ年計画」の達成度を検討する。彼は、公安調査庁に筒抜けの情勢漏洩となる総務省への毎年報告によって、党員現勢が実質で28万人しかいないことを、明確に認識している。その現勢からみれば、「5カ年計画」達成の残りとは、+22万党員拡大計画である。

 

 そもそも、「党員拡大5カ年計画」という日本語を見たとき、私は、ギョッとした。とっさに、スターリンの3次に及ぶ「5カ年計画」とその功罪を想い出したからである。それに関する全体的評価はここでは書かないが、志位和夫は、この日本語を提起したとき、スターリンの社会主義計画経済の犯罪的な側面を、思い浮かべなかったのか。

 

 「5カ年計画」という日本語の共産党的語源としての関連から、やや脱線し、スターリン「5カ年計画」の裏側を考察する。というのも、ソ連崩壊前では、「5カ年計画」は、ソ連国家公表データによって、社会主義計画経済の積極的な側面が評価・宣伝されていた。

 

 しかし、ソ連崩壊後に暴露されたレーニン・スターリンの大量殺人・粛清犯罪データによって、「5カ年計画」の裏側にあったスターリン・ソ連共産党の犯罪と、空想的な誇大計画そのものが産み出したソ連国民・共産党員の思想的腐敗現象が、次々と立証された。また、ソ連国家が公表してきた目標達成統計数字も、多くの架空・ねつ造データを含み、その信憑性を失った。

 

 よって、私がギョッとしたのは、「5カ年計画」という共産党用語が、現在のロシアだけでなく、日本においても、忌むべき、否定的な意味を持つ反対語に転化していたからである。その用語を、志位和夫はあえて党大会決定として使うのかという驚きである。

 

 2、スターリンが、「5カ年計画」の裏側でやったこと

 

 〔第1次「5カ年計画」−1928年から1932年〕

 

 その5年間、()社会主義工業化が急進展した裏側で起きたことは、()農業集団化に抵抗した農民大反乱と、()それにたいする「富農撲滅」名目での農民大虐殺・1000万人粛清だった。

 

 スターリンと共産党は、農民から収奪した穀物・家畜を飢餓輸出し、工業化資金を捻出した。ソ連崩壊後に発掘されたゲペウ記録において、1930年だけでも、14000件以上の「反コルホーズ農民反乱」が発生している。ロイ・メドヴェージェフは、1933年飢饉で600万人が死亡したとした。それは、第1次「5カ年計画」に基づいた、反乱農民飢餓殺人政策の結果だった。

 

 〔第2次「5カ年計画」−1933年から1938年

 

 まさに、その間の1937年から38年こそ、有名なスターリンの「大テロル」の時期だった。テロルの規模は、メドヴェージェフの推計で、()逮捕・流刑・強制収容所送り500万人から700万人()内死刑100万人と数不明の獄死者である。それは、秘密政治警察NKVDによる強制収容所産業用の囚人・奴隷労働者製造作戦にもよるスターリン・ソ連共産党の犯罪だった。

 

    塩川伸明『「スターリニズムの犠牲」の規模』ロイ・メドヴェージェフの粛清データ

    ニコラ・ヴェルト『ソ連における弾圧体制の犠牲者』飢饉で600万人死亡

    『「革命」作家ゴーリキーと「囚人」作家勝野金政』富農撲滅名目での農民大虐殺

 

 3、「5カ年計画」が産み出した犯罪的な思想腐敗傾向

 

 「5カ年計画」は、()大粛清・大量殺人・囚人労働産業を伴っただけではない。()それは、必然的に、ソ連全国民とソ連共産党員とに深刻なな思想腐敗を蔓延させた。その一つとして、有名な「トゥフタ」というロシア語がある。ジャック・ロッシ『ラーゲリ強制収容所注解事典』(恵雅堂出版、1996年)から、一部引用する。

 

 「トゥフタ−偽物、うそ、ごまかし、見せかけだけの仕事、公式の報告の中ではじめから嘘と承知の過大に見積もった指数。≪トゥフタ」という用語は1920年代半ば、ソロフキー監獄の刑事常習犯の使う言葉の中で初めて現れた。ここからトゥフタという言葉と制度はソ連邦の全ラーゲリに広がり、1930年代終わりには世界初の社会主義国の全土にわたるものとなる。

 

 ≪トゥフタ≫はTFT≫(重肉体労働の頭文字3字)に由来する。ソロフキー島の刑事常習犯はTFTのカテゴリーに入れられると、こう考えたのだろう:≪俺たちにTFTをやれっていうのかい? それならtefetaを見せてやろう!≫。後にトゥフタはこう解釈された:架空労働算出技術。トゥフタ隆盛の環境を生み出したのはレーニンである。トゥフタの誕生は論理的帰結にすぎなかった。生産の収益性と能率によってではなく、計画遂行の量的指標によって、指導職員の評価と報奨の原則があるからである」(P.209)

 

 トゥフタという思想腐敗現象を、世界最初に小説形式でリアルに告発したのは、ソルジェニーツィンの『イワン・デニーソヴィチの一日』である。全世界が、その実態に衝撃を受けた。彼は、()強制収容所内の腐敗実態描写・告発に留まらず、()ソ連国家・ソ連作家同盟の思想腐敗の実態「ウソによって成り立つ社会」規定し、()たった一人で、国家・共産党・KGBに立ち向かった。トップからウソをつき、真実を怖れる体質を持つブレジネフと共産党は、彼を逮捕し、西側追放にした。それは、創作活動の源であるロシアの大地から、作家を引き剥がすという、ソ連文学者にたいするもっとも残酷な共産党式生殺し処刑だった。

 

    『ソルジェニーツィンのたたかい、西側追放事件』

    ソルジェニーツィン『収容所群島』第2章、わが下水道の歴史

    ソルジェニーツィン『収容所群島』第3章、審理・32種類の拷問

 

 よって、ソ連崩壊後において、「5カ年計画」という共産党使用語は、「スターリンの犯罪、および、誇大計画とウソの統計、思想腐敗現象」と同義語になっている。現在のロシアにおいて、この言葉を口にすれば、たちどころに、「ペッペッ!」という、唾を吐きかける意味の、軽蔑と敵意に満ちた言葉が返ってくる。

 

 4、志位和夫「5カ年計画・28万党員→50万党員」が党内に生産する思想腐敗傾向

 

 彼の「党員拡大5カ年計画」の目標達成期限は、2005年11月である。拡大運動の残り期間は、第23回大会以後で、1年10カ月間である。残り拡大数字は、党費納入28万党員→+22万党員ある。これを達成できると思う専従・党員は、一人もいないであろう。そもそも、彼が発案・提起した2000年11月第22回大会においても、党費納入党員は、〔第三帳簿〕によれば、265269人だった。それを「5カ年計画」で、50万人にせよという発想は、どういう思考スタイル・人格なら出てくるのか。これほど空想的な5年期限つき目標を掲げたことは、日本共産党史上、空前絶後の出来事である。

 

 不破・志位・市田らは、〔第三帳簿〕によって、党費納入党員数28万人実態を熟知している。専従・支部LCも、各組織における党費納入率と長期未結集・行方不明の幽霊党員の実態と比率を、もっと具体的に知っている。よって、志位和夫の達成不可能な空想的「5カ年計画」は、スターリンの「5カ年計画」と同じく、21世紀日本共産党版「トゥフタ」を、(1)党本部専従・赤旗記者・国会議員秘書800人()47都道府県・316地区の中間機関専従3200人()24000支部LC10万人(4)LCを除く党費納入党員18万人の思想傾向の中に、じわじわと熟成させる。

 

 5、不破・志位・市田らの空想的目標とその犯罪性

 

 思想腐敗現象である「トゥフタ」形成要因は、「党員拡大5カ年計画」だけではない。不破・志位・市田らが決定した第23回大会の目標のほとんどが、空想的で、まったく達成不可能な数字になっている。

 

(表3) 2004年第23回大会が決定した空想的拡大目標

拡大課題

現勢

拡大比率・達成目標

残り目標

拡大達成残り期間

1、赤旗HN

173万部

130%・225万部

52万部

5カ月間04年6月24日

2、参院選得票数

総選挙458万票

133%・610万票

152万票

6カ月間・04年7月11

3、党費納入党員

  在籍党員数

1)275964

2)403793

181%・50万人

124%・500000

224036

+96207

22カ月間・200511

22カ月間・200511

4、衆議院議席

9議席

2678%・241議席

232議席

21世紀の遅くない時期

 

 1、中間機関幹部・支部LCのトゥフタ幹部化〕

 

 これらの目標は、空想的というだけでなく、レーニン創作のDemocratic Centralism・分派禁止規定という党内民主主義を抑圧する犯罪的組織原則の下では、犯罪的な性質を帯びる。なぜなら、その組織原則の共産党において、2004年2月中に開かれた、下りの党会議・支部総会が、各現勢に基づいて、党大会決定に比例した拡大比率・達成目標、残り拡大目標を決定することが義務づけられるからである。

 

 よって、2月中に、47都道府県党会議・316地区党会議・24000支部総会は、()赤旗HNを5カ月間で130%拡大する目標数字、()総選挙票よみ・支持者カードを6カ月間で133%拡大する目標数字、()在籍党員数を22カ月間で124%拡大する目標数字を、決定した。これまでの拡大期間と増減数字から見て、残り期間内に残り拡大目標を達成することが、絶対に不可能であることを、中間機関の下り党会議代議員数万人と支部LC10万人は、心の中で確信的に思っている。

 

 それでも、それらの会議に参加した彼らは、面従腹背で、空想的な拡大目標・期限賛成する。決定した以上、その後は、党中央や上級機関は、下級機関・支部にたいして、その建前の決定数字を遂行せよと迫る。決定した側も、追及する側も、とうてい達成不可能な目標と、腹の中で思いつつ、共産党の拡大4課題をやり遂げる構えを固持する。達成期限が来て、まるで拡大できていなくても、不破・志位・市田らは、未達成の根本原因、目標そのものの空想性・欺瞞性について、決して総括しない。中間機関も、上級に倣えとして、無総括で、頬被りを決め込む

 

 こうして、不破・志位・市田らの4課題の空想的拡大目標決定と追及は、日本共産党版「トゥフタ」を生産し、日本共産党全体を思想腐敗に引きずり込む犯罪性を帯びる。これは、()異論・批判を持つ党員個々粛清という党内犯罪どころか、()それよりもはるかに大掛かりな党幹部全員の思想を腐敗させる不破・志位・市田の党内犯罪行為の性質を持つ。

 

 〔2、忠誠派党員の自主的思考停止党員化〕

 

 ドストエフスキーは、『悪霊』において、ロシア・ナロードニキ運動のネチャーエフ事件を素材にして、革命運動指導者の思想・資質像を洞察した。党派を結合させる力について、主人公の一人ピョートルは、まず党派内官僚システムと感傷主義をあげる。そして、「ところで、最後に最も重要な力は……ほかじゃない。自分自身の意見に対する羞恥である……これは一切を結合させるセメントである。実に素晴らしい力ですぜ! 実際だれ一人の脳中にも、自己の思想というものが一つも残らなかったとは、一体まあ誰が努力した結果なんでしょう?」と強調する。ドストエフスキーは、ネチャーエフ事件を契機として、革命党員には自分の意見への羞恥心を持たせる、即ち自分の思想を持たず与えられた思想のみを忠実に守る党員を党派内に作り出すことこそが、革命組織を結合させる最大の組織原理となると、『悪霊』を書いた1970年に考察した。

 

 水田洋は、共産党の丸山眞男批判にたいする評価で、共産党批判として、次のように規定した。「日本共産党は、最近、丸山眞男が四十年近くも前に書いた共産党戦争責任論に、むきになって反論しているが、『敗軍の将』にも、戦争犯罪の主犯たちとはちがった意味で責任があることはあたりまえだし、丸山の理論を『傍観者の論理』などといって片付けていたのでは、得票率三パーセントの政党の支持はひろげようがないだろう。のこりの九七パーセントは傍観者なのである。こうした排他性をささえる思考停止人間(自分で考え自分の責任で発言する能力のない人間)を生産したことは、戦争責任に続く戦後責任といえるかもしれない。」

 

    『ドストエフスキーと革命思想殺人事件の探求』『罪と罰』『悪霊』『大審問官』

    水田洋『日本共産党の丸山眞男批判』思考停止人間生産の責任

 

 〔3、自主的思考党員のサボタージュ党員化〕

 

 一方、第3の層として、かなりの党員が、2008年までに、()国政選挙6連続惨敗結果と党中央の欺瞞的な惨敗隠蔽総括()28年間にわたる赤旗HNの歯止めのない減退を、実体験し、疑問を深めてきた。そこから、彼らは、共産党トップにたいして、不信を抱くようになった。さらに、彼らトップは、空想的目標を押し付け、その具体化と実践、数字的成果を強要するだけの代々木官僚だと、反発を強め、抵抗のサボタージュをするようになった。

 

 ≪俺たちにTFT空想的目標の党勢拡大をやれっていうのかい? それならtefetaサボタージュぶりを、党勢拡大・選挙運動で見せてやろう!≫

 

 志位・市田・不破ら共産党トップにとって、()赤旗読者・共産党支持有権者が、共産党テリトリーから離脱・逃散し続けてきたことは、自己保身上でも深刻な事態である。しかし、()党員が、空想的目標を軽蔑し、党勢拡大・選挙に動くのをサボタージュし始めることは、政党の内部崩壊現象の決定的第一歩になる。それこそ身を凍らせるような恐怖の事態である。

 

 ただし、高度に発達した資本主義国において、唯一生き残っている日本共産党という時代錯誤のレーニン型前衛党には、Democratic Centralismという党内民主主義抑圧の犯罪的組織原則があるので、反発サボタージュ現象は表面化しない。

 

 第3の自主的思考党員層における「トゥフタ」の発現形態は、いろいろある。()赤旗HN130%拡大や、()党員22万人拡大という空想的計画にたいしては、地区党会議や支部総会の130%具体化目標に、面従腹背で賛成だけを装う。しかし、実際にやる気なんか出ない、動かないというサボタージュをする。

 

 参院選得票目標数133%・610万票拡大では、票よみ・支持者カード数報告において、あまり数字追求されると、()架空の数字報告をするか、()前回選挙時カードで今回確認していない数字を支部LCに電話報告する「トゥフタ」になる。すでに2003年・2005年総選挙において、この傾向がかなり出ていた。この「トゥフタ」なら、上級機関にばれることがない。

 

 その心境は、旧ソ連国民・ソ連共産党員に蔓延した思想腐敗と同質である。不破・志位・市田らは、国政選挙6回の蓋を開けてみて、() 日報・週報システムによる支持者拡大カード集計数字と、()得票数結果の隔絶ぶりに、選挙6回連続で、愕然とした。

 

 1989年東欧革命から1991年ソ連崩壊にかけて暴露された現象は、ヨーロッパから遥か離れた東方の島国日本の有権者、日本共産党員、左翼勢力にとって、寝耳に水の衝撃的な出来事だった。報道されたのは、ほとんどが、東欧における国民が、社会主義国家とレーニン型前衛党から大量逃散・亡命し、それに抵抗した事例だった。さらに、国民が総決起し、腐敗し、国民弾圧の道具となった、犯罪的な一党独裁政権と前衛党打倒した民主主義革命の行為事例だった。

 

 それにたいし、権力を握ったマルクス主義者たちや前衛党の内部崩壊過程や現象は、あまり報道されなかった。しかし、10カ国の社会主義国家・共産党の崩壊は、そこに、(1)国民の逃散・抵抗・反乱という表面に現れた側面とともに、(2)前衛党トップ自らの思想腐敗が、レーニン神話の呪縛Democratic Centralismという反民主主義的組織原則の下で、長期にわたって前衛党員を内部から浸蝕し、同時的に思想腐敗の道連れにしていった過程という、裏側の隠れた側面を含んでいる。

 

 東欧・ソ連崩壊時点に暴露された、これら表裏の両側面が、(1)日本共産党と1億261万有権者との関係、(2)不破・志位・市田らと党費納入28万党員との関係においても、発現しつつあると見るのかどうかで、共産党の現実態にたいする評価が分かれる。

 

 

 4、5カ年計画マイナス決算と総括放棄・隠蔽のトップ党内犯罪

 

    5カ年計画マイナス決算と総括放棄・隠蔽による党の変質・退廃 (別ファイル)

 

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 (関連ファイル)

    共産党『大会決議案についての志位報告』05年11月50万党員拡大を再確認

         『第22回大会決議』党員拡大5カ年計画

         『政治資金収支報告』党費の年間総金額のみ、党員数カット

    『参院選で動く党員と反発サボタージュする党員』評価分裂と半崩壊現象

    『日本共産党の党勢力、その見方考え方』党員の分類、未結集計算式

    『日本共産党との裁判第1、2、3部』一面的な拡大追求による未結集激増

    宮地幸子『政治の季節のある青春群像』4・17半日ゼネストと未結集

 

    『「国会で安定した241議席を占める革命」綱領』9議席→241議席の空想的目標

    『北朝鮮拉致事件と共産党の意図的な無為無策路線』末尾・志位机上計算式の空想性