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点と点をつなぐ線などというものは残念ながら主観外に実在しない。 点さえ主観外に実在しないのだから。つまり、線とは主観的思考の 世界において生み出された単なる概念に過ぎないのである。 |
「物体Aの運動」を考える場合、「運動」はデータであり、とらえ 方である。「運動」は「動いている物体A」自体ではない。大体、 「物体A」と名付けて、その物体に注目することがすでに主観的作 業。「位置」や「軌跡」も言わずもがななのである。 |
そうか、そうだったのか。「時刻」というのも主観的作業なんだ。 ほら、「過去」は消滅するけど、「時刻」は残るでしょ。だからだ よ。そりゃそうだろうな、「時刻」なんてものが主観外にあるはず がない。と言うことは、「時間間隔」も主観的作業か。 |
数学の近似はなぜ有効なのか?それは、完璧な円、完璧な 正方形などが現実には存在しないからであろう。 |
境界線は全く主観的だ。「物自体」という限定も全く主観的であるが、客観的にも有効ではある。 |