宮本・上田著作集刊行と2つの狙い・思惑

()破綻財政救済資金源()不破著作集刊行の布石?

現在、不破102冊・志位16冊−宮本15冊・上田10冊

2012年7月から『宮本顕治著作集』、12月から『上田耕一郎著作集』

(宮地作成)

 〔目次〕

   1宮本・上田著作集刊行の赤旗予告−宮本2012年7月から、上田12月から

   2、宮本顕治・上田耕一郎の歴史的功罪→著作集刊行意義の存否

       1宮本顕治・上田耕一郎著作集刊行意義の存否

              不破102冊・志位16冊−宮本15冊・上田10冊 (表1)

       2、宮本顕治の歴史的功罪

       3、上田耕一郎の歴史的功罪−共産党中央専従経歴に見られる多重人格性

       4、宮本・上田が共同正犯の1964年原水禁運動分裂の反国民的隷従犯罪

   3、編集委員リスト疑惑=全員が不破社会科学研究所分派と経歴 (表2、3)

   4、不破哲三・82歳と不破社研分派による2つの狙い・思惑

      〔狙い・思惑1〕、党機関財政破綻の救済策=議員・専従からの別名目カンパ徴収

      〔狙い・思惑2〕、宮本・上田著作集を捨石・単なる布石とし、不破著作集刊行の目論見

 

 〔関連ファイル〕       健一MENUに戻る

     (宮本顕治)

     新日本出版社『宮本顕治15冊のみ』15冊以外絶版措置

     『宮本顕治がしたことの表裏・12のテーマ』戦後の最高権力者期間39年間の表裏

     『宮本顕治』ファイル多数

 

     (上田耕一郎)

     新日本出版社『上田耕一郎10冊のみ』10冊以外絶版措置

     『上田耕一郎副委員長の多重人格性』

     『「戦後革命論争史」に関する上田耕一郎「自己批判書」』

     『上田・不破査問、「自己批判書」公表における奇怪な屈従者の顔』

     石堂清倫『上田不破「戦後革命論争史」出版経緯』手紙3通と書評

     高橋彦博『上田耕一郎・不破哲三両氏の発言を求める』

 

     (不破哲三)

     新日本出版社()『不破哲三102冊』 ()『不破哲三の本』6分野分類・50冊

     『地区財政破綻政党+党資金横領常幹政党=?』津久井の航空写真

       地区専従13年間で458人・33.2%リストラ+毎年6000万円横領常幹

     『不破哲三の出版・印税収入特権と年収特権』掲示板・政治将校による不破財政特権

     『「戦後革命論争史」に関する不破哲三「自己批判書」』

     『不破哲三』ファイル多数

 

 1宮本・上田著作集刊行の赤旗予告−宮本2012年7月から、上田12月から

 

 共産党は、2012年1月、宮本、上田著作集刊行についてを以下のように予告した。

 日本共産党は、今年七月十五日、党創立九〇周年を迎えます。党常任幹部会は、党創立九〇周年を記念する事業のひとつとして、宮本顕治、上田耕一郎両氏の著作集刊行を計画し、次の諸同志からなる編集委員会を任命して、その準備にあたってきました。著作集編集委員会岡宏輔、志位和夫、浜野忠夫、不破哲三、山口富男このほど、編集委員会によって、著作集の内容と刊行予定が決まりました。その概要は、次のとおりです。

 

 『宮本顕治著作集』(全一〇巻)は、七月から隔月で刊行をはじめます。

 第一巻一九二九年〜三三年 第二巻公判闘争の記録 第三巻一九四五年〜四九年 第四巻一九五〇年〜五四年 第五巻一九五五年〜六一年 第六巻一九六二年〜七四年 第七巻一九七五年〜八〇年 第八巻一九八〇年後半〜八四年 第九巻一九八五年〜九四年 第一〇巻 宮本百合子の世界

 

 『上田耕一郎著作集』(全六巻)は、十二月から同じく隔月で刊行します。

 第一巻一九六〇年〜六四年 第二巻七〇年代・日本政治論 第三巻理論戦線での提起と探究(上) 第四巻理論戦線での提起と探究(下) 第五巻安保条約・沖縄問題・日本国憲法論 第六巻アメリカの世界戦略論

 二つの著作集は、各巻ごとに新たな解題を付し、新日本出版社から刊行します。宮本顕治、上田耕一郎両氏の著作集が、広く歓迎され、多くの人々の手もとに届くことを、期待しています。

 

    共産党『宮本顕治、上田耕一郎両氏の著作集刊行について』二〇一二年一月四日

 

 著作集編集委員リストは何を示しているか。この名簿は、志位和夫以外の全員が不破哲三と不破社研分派メンバーである。

 

 

 2、宮本顕治・上田耕一郎の歴史的功罪→著作集刊行意義の存否

 

 〔小目次〕

   1宮本顕治・上田耕一郎著作集刊行意義の存否

   2、宮本顕治の歴史的功罪

   3、上田耕一郎の歴史的功罪−共産党中央専従経歴に見られる多重人格性

   4、宮本・上田が共同正犯の1964年原水禁運動分裂の反国民的隷従犯罪

 

 1宮本顕治・上田耕一郎著作集刊行意義の存否

          不破102冊・志位16冊−宮本15冊・上田10冊

 〔小目次〕

   1、不破哲三こと上田建二郎による宮本顕治・上田耕一郎著書かなりの絶版措置

   2、上田建二郎の出版特権と、宮本・上田耕一郎著書絶版措置→再出版計画の謎 (表1)

   3、レーニン、宮本顕治・上田耕一郎が「書いたこと」と「したこと」=党内外犯罪との隔絶・乖離

 

 1、不破哲三こと上田建二郎による宮本顕治・上田耕一郎著書かなりの絶版措置

 

 2012年の現時点において、宮本顕治・上田耕一郎の著作集を刊行する意義があるのか。しかも、日本共産党は党勢力6分野で全面的な衰弱死過程に突入してきている。不破哲三は、2012年現在、新日本出版社から、自分の著書を2種類に分けて載せさせている。()全体で102冊出版・掲載し、かつ、()6分野に分類した50冊別掲載させている。

 

 一方、彼は、1997年宮本議長引退強要=党内クーデター後、宮本顕治著書を15冊以外、すべて絶版にしてしまった。また、弟・不破哲三こと上田建二郎は、兄・上田耕一郎著書も10冊以外、すべて絶版にさせてしまった。

 

    新日本出版社()『不破哲三102冊』 ()『不破哲三の本』6分野分類・50冊

              『宮本顕治15冊のみ』 『上田耕一郎10冊のみ』

 

 弟・建二郎は、中国・チュニジア訪問の著書を3冊出版させ、広告している。一方、兄・耕一郎のキューバ訪問では、そっけない赤旗記事だけで、その著書出版もさせなかった。しかも、兄・耕一郎の好評著書『先進国革命の理論』絶版にしている。3人の出版比率は次である。上田建二郎−上田耕一郎−宮本顕治=102冊−10冊−15冊という異様な比率をどう考えたらいいのか。

 

 2、上田建二郎の出版特権と、宮本・上田耕一郎著書絶版措置→再出版計画の謎 (表1)

 

 ()1998年、不破哲三は、山と渓谷社から『私の南アルプス』など2冊を出した。()2005年、彼は、新潮社から『私の戦後六〇年−日本共産党議長の証言』(1785円)を出版した。そこにおいて、彼は、自分の著書を130冊以上と書いた。()2012年新日本出版社は、不破哲三の本として、102冊表紙付で載せている。()2012年の新日本出版社HPは、「不破哲三の本」として6分野分類・50冊のリスト別枠で載せている。

 

 新日本出版社とは、事実上の党中央出版局である。その社員は、党本部勤務員扱いになっているからである。新日本出版社の有田芳生が『日本共産党への手紙』(教育資料出版会、1990年)の出版で、査問・除籍になったのは、党本部勤務員としであった。

 

 不破哲三は、自分の著書・講演・講義録・野党外交記などすべてを、無条件で、新日本出版社から出させている。本にする前に、それらを『前衛』『経済』に掲載させてきた。党中央の他幹部が出版するとき、書記局や出版局などによる事前検閲・書き直し・出版許可を受ける。不破哲三は、一人だけフリーパスで100%を出版できる。彼と他役員との比較を見れば、彼の出版特権は歴然となる。2012年の新日本出版社これらHP102冊は、出版年順になっている。(表1)は、2012年8月時点のデータである。

 

(表1) 不破哲三と他3人の出版著書データ 1997年→07年→12年

名前

冊数97年→07年→12年

出版年

最新著書名と経歴

不破哲三

9697102

197012

03年議員引退。06年議長引退→常幹・社会科学研究所所長留任

志位和夫

131416

199112

07『ベトナム−友好と連帯の旅』『日本共産党とはどんな党か』

宮本顕治

261515

196702

02『獄中からの手紙』。他著書全面削除199497脳梗塞

上田耕一郎

101010

199106

06『人生の同行者−対談集』。2006年党中央役員引退

 

    新日本出版社()『不破哲三102冊』 ()『不破哲三の本』6分野分類・50冊

            『志位和夫16冊』 『宮本顕治15冊のみ』 『上田耕一郎10冊のみ』

 

 宮本顕治について、新日本出版社は、15冊以外の著書を載せていない。それは、不破哲三指令により、党中央出版局である新日本出版社が、それらすべてを絶版にしたことを意味する。これも、不破グループによる1997年第21回大会から2001年第22回大会にかけての2段階宮廷革命の傍証ともなるデータである。それは、不破哲三らが、宮本顕治の議長引退強要・宮本秘書団私的分派解体クーデターを成功させた結果の証明ともなる。

 

 不破哲三が、宮本顕治・上田耕一郎著書を絶版の墓場を掘り起し、甦らせる意図はなにか。一旦、廃棄処分にした2人の著書を「著作集」として宣伝し、売ろうとする狙いはどこにあるのか。絶版=廃棄処分の墓場・新日本出版社の「ごみ箱」をかきまわし、そこから2人の著書→著作集を甦らせるに当って、宮本顕治・上田耕一郎の功罪を検証する。はたして、絶版=廃棄処分の墓場から甦らせる意義があるのか。

 

 3、レーニン、宮本顕治・上田耕一郎が「書いたこと」と「したこと」=党内外犯罪との隔絶・乖離

 

 それ以前の問題点として、コミンテルン型共産党指導者()「書いたこと」と、()「したこと」との隔絶・乖離のテーマがある。私は、何度も書いているが、民青・共産党専従15年間時期熱烈なレーニン信奉者だった。「レーニン全集」の基本文献ほとんど、「レーニン10巻選集」を3廻り熟読した。しかし、レーニンが「書いたこと」だけからは何の誤りにも気づかなかった批判も持たなかった

 

 1991年ソ連崩壊後「レーニン秘密資料」6000点やアルヒーフ(公文書)が発掘・公表されてから、初めてレーニンが「したこと」誤り=数十万人大量殺人犯罪やウソ詭弁犯罪を知った。レーニンが()「書いたり、演説したこと=全集と、()「したこと=秘密資料」隔絶・乖離について知り、その対比・研究をし始めたのは、愚かにもソ連崩壊1991年後からだった。それらをHPに載せ始めたのは、ようやく60歳になってからだった。

 

    『20世紀社会主義を問う−レーニン神話と真実』宮地ファイル32編+転載ファイル56編

    『ウソ・詭弁で国内外の左翼を欺いたレーニン』レーニンのウソ・詭弁7つを検証

    『「赤色テロル」型社会主義形成とその3段階』レーニンが「殺した」ロシア革命勢力の推計

    『レーニンの大量殺人総合データと殺人指令27通』大量殺人指令と報告書

 

 宮本顕治・上田耕一郎ら2人が()「書いたり、演説したこと」を、新日本出版社の「絶版ずみごみ箱」から甦らせても、()「したこと」=2人がした無数の党内外犯罪との隔絶・乖離を検証する材料にはならない。「レーニン全集」が、レーニンのウソ詭弁犯罪・数十万人大量殺人犯罪を検証する材料にならないのと同じである。

 

 ウソ詭弁犯罪者レーニン「レーニン全集」を今さら購読しようとする日本共産党員はいないであろう。それと同じく、不破哲三こと上田建二郎が、いったん「絶版ずみごみ箱」に投げ込んだ著書を購読する党員は、忠誠派党員・議員や専従以外ほとんどいないと思われる。故人2人の著書は、「絶版ずみごみ箱」から甦らせるレベルの価値などない日本共産党員読ませる価値などない。ただ、2人を「絶版墓場」から甦らせれば、2人とともに、弟・建二郎を合わせ美化する効果は多少ともあるかもしれない。

 

 2、宮本顕治の歴史的功罪

 

 1、功績

 

 宮本顕治は、1967年ソ中両党との決裂まで、ソ連共産党支配下→ソ中両党支配下の反国民的隷従犯罪政党の指導者だった。決裂行動は評価できる。彼は、その行動を「自主独立」と性格づけ、大宣伝した。しかし、その性質は「自主独立」でなく、正確には()ソ連共産党の干渉・ソ連分派形成策謀と日本共産党分裂危機()中国共産党・毛沢東の干渉・日本共産党を4つの敵とする攻撃、中国共産党分派形成策謀と日本共産党分裂危機からの、やむをえない受動的なソ中両党からの離脱決断だった。

 

 イタリア共産党のように、国際共産主義運動やマルクス・レーニン主義路線からの離脱でなかった。しかし、功績としては、()党勢拡大と()機関紙赤旗拡大による党財政確率に貢献した。ただ、日本共産党にたいする国民・有権者の評価は、ソ連=レーニン創設の社会主義国家をまだ理想とする錯覚、「レーニン神話」が存続した時期までだった。

 

 東欧・ソ連10カ国の経済停滞・人権侵害・言論の自由弾圧事例が、ヨーロッパ全域とともに、日本にも知れ渡ってきた。ヨーロッパすべての共産党とともに、日本共産党も、1980年代でピークを迎え、それ以降一貫して党勢力が減退しはじめた。

 

 赤旗部数も1980年をピークとし、2012年までの32年間減り続けている。日本共産党は、賽の河原の石積み拡大政党に転落した。党勢拡大成果は、宮本顕治の功績があるにしても、実質的には「レーニン神話」や社会主義国家幻想を背景にしていた要因のお蔭があったと考えられる。

 

 2、党内外犯罪歴

 

 以下は、別ファイル「宮本顕治がしたことの表裏・12のテーマ戦後の最高権力者期間39年間、1958年〜97年」の〔目次〕である。クリックをすればジャンプする。

 

     はじめに−戦前と、戦後2つの時期による3区分

  第1区分、戦前1933年5月から12月検挙まで8カ月間の党中央委員活動

   1、戦前1930年代の宮本顕治と党史の偽造歪曲・隠蔽

   2、スパイ査問事件と袴田里見除名・逸見教授政治的殺人事件

 

  第2区分、50年分裂と五全協主流派への自己批判書提出復帰・武装闘争指導関与

   3、五全協武装闘争共産党と宮本顕治の自己批判復帰・関与

   4、謎とき・大須事件と裁判の表裏=宮本顕治の敵前逃亡犯罪

   5、宮本百合子と顕治との関係破綻とその隠蔽

 

  第3区分、1955年六全協から1997年不破哲三による議長引退強要まで

   6、第8回大会61年綱領めぐる問題 58年40%不支持大会から満場一致大会のカラクリ

   7、宮本秘書団私的分派形成と上田不破査問・自己批判書公表事件

   8、党内民主主義抑圧の閉鎖的中央集権制システム完成・強化

   9、各種除籍・除名など党内犯罪としての他粛清事件

  10、丸山眞男批判大キャンペーン

  11、晩節85歳、1994年第20回大会における四重の誤り

  12、死語「自主独立路線」賛美合唱とその本質・前後経過の隠蔽

 

 3、上田耕一郎の歴史的功罪−共産党中央専従経歴に見られる多重人格性

 

 上田耕一郎が、2008年10月30日、81歳で死去した。彼の歴史的功罪と、彼の共産党中央専従経歴に見られる多重人格性を、私や他のファイルに基づいて検証する。共産党公式評価や、マスコミ・ブログは、ありきたりの追悼パターンどおりで、彼の功績面しか書かない。彼が理論的に優れ、庶民的だったことは事実である。その面では、私も高く評価している。

 

 しかし、宮本顕治死去の功罪評価と同じく、上田耕一郎の問題点・誤り・党内犯罪の側面にたいし、沈黙・隠蔽することは間違いである。

 

    『上田耕一郎副委員長の多重人格性』

 

 というのも、彼は、地区専従を経ないで、いきなり共産党中央本部の理論幹部専従に抜擢され、幹部会員→常任幹部会員→06年まで副委員長を務め、宮本体制の中心幹部だったからである。よって、彼は、最高権力者期間39年間宮本顕治の問題点・誤り・党内犯罪の側面にたいし、半ば一心同体であり、彼の党内犯罪については、弟・上田建二郎=不破哲三とともに、兄弟揃って、共犯者の役割を果たした。

 

   1、共産党中央専従以前の仕事−『戦後革命論争史』出版、ベストセラー

   2、党中央専従時期における『戦後革命論争史』絶版→上田・不破査問事件

   3、党中央幹部会員→常任幹部会員・副委員長時期の党内犯罪加担・遂行者

   4、上田耕一郎の多重人格分析と犯罪的組織原則政党副委員長としての客観的役割

 

 1、共産党中央専従以前の仕事−『戦後革命論争史』出版、ベストセラー

 

 これが一番有名な仕事で、著書はベストセラーになった。しかし、その出版経緯が、私への石堂清倫の手紙3通で明らかになった。これらの手紙とともに、下記で、著書の絶版経緯と、宮本顕治が発動したネオマルクス主義研究者粛清事件=通称ネオ・マル粛清の一環として上田・不破査問事件の発生の謎を解明する。

 

著者上田耕一郎のみ、上下巻・各350円

    石堂清倫『上田不破「戦後革命論争史」出版経緯』手紙3通と書評

 

 2、党中央専従時期における『戦後革命論争史』絶版→上田・不破査問事件

 

 宮本顕治は、最高権力者としての反党的分派活動宮本秘書団私的分派を形成しつつも、一方で、党中央理論幹部の不足、レベルの低さに悩んでいた。そこで、上田・不破兄弟による『戦後革命論争史』の理論水準に目を付けた。

 

 しかし、他方で、それを討論・準備した石堂清倫ら反党分子を毛嫌いし、その内容に強烈な批判を抱いた。それだけでなく、上田・不破兄弟が、宮本綱領を歪曲し、構造改革路線の理論家に逆戻り・変節することに恐怖と猜疑心を抱いた。

 

 絶版の経緯と、上田・不破査問事件の異様さについては、不破哲三の口を借りて、詳述した。ただし、正確なデータは不足しているので、様々な基礎情報による私の推理に基づいている。日本共産党が、じり貧的瓦解5段階→国会議席ほぼ0という自然死→崩壊をし、代々木党本部内の極秘資料が発掘・公表されれば、この正確な謎解きができる。

 

 日本共産党は、()東欧・ソ連10カ国とその前衛党がいっせい崩壊し、かつ、()ヨーロッパの共産党もほぼ同時に全滅()共産党名を名乗るフランス共産党・ポルトガル共産党も、日本共産党以上のテンポでじり貧的瓦解をしている中で、資本主義世界で最後に生き残っている唯一のレーニン型前衛党である。それは、民主集中制・分派禁止規定という党内民主主義を抑圧する犯罪的組織原則政党である。よって、自然死に至るというこの将来展望は、加藤哲郎も提起しているように、あながち奇想天外な空想でもない。

 

    『「戦後革命論争史」をめぐる大抜擢評価と猜疑心の二面性』

    『ネオ・マル粛清の一つ−上田・不破査問事件』

 

    『「戦後革命論争史」に関する上田耕一郎「自己批判書」』

    『上田・不破査問、「自己批判書」公表における奇怪な屈従者の顔』

    『「戦後革命論争史」に関する不破哲三「自己批判書」』

    高橋彦博『上田耕一郎・不破哲三両氏の発言を求める』

 

 3、党中央幹部会員→常任幹部会員・副委員長時期の党内犯罪加担・遂行者

 

 ()党中央トップの一人となれば、しかも、()上田・不破査問に屈服し、屈辱的な自己批判書のみせしめ的な『前衛』公表をされたとなれば、()それ以降は、宮本顕治の誤り・党内犯罪への加担・共犯者とならざるをえない。加担・共犯という意味は、下記の党内犯罪の発動・指令者は、最高権力者宮本顕治であり、上田耕一郎自身が主導した党内犯罪ではないという実態を指す。

 

 私の共産党専従13年間も同じだった。私の党内犯罪加担・共犯の部署は、愛知県党の半分の勢力を占める名古屋中北地区常任委員・5ブロック責任者(=現在では、地区分割による5つの地区委員長)だった。地区委員長・准中央委員・愛知県副委員長の異様なまでの党内成績主義・党内出世志向により、52人の地区専従9カ月間も連続泊り込み体制で、赤旗の一面的拡大の数字追及をした。

 

 その過程で、私は、5ブロック責任者として、()多数の長期未結集者を生み出し、()専従12人を自律神経失調症にさせ、()かなりの支部を崩壊させ、()規律違反への査問委員としても党内犯罪を遂行した。

 

 上田耕一郎が、党中央トップbRの地位・特権に留まろうとすれば、宮本顕治の党内犯罪指令の共同正犯としての人格が形成される。共産党専従をやめようとしない限り、と同じく、彼も加担・共犯者とならざるをえなかった。

 

 以下それらを確認する。私にたいする宮本・上田の党内犯罪体験もあるので、上田耕一郎の党内犯罪を見過ごすことはできない。しかも、それ以前に、上田耕一郎は、愛知県のU専従への騙まし討ちの専従解任犯罪の加担者・共犯者でもあった。

 

 上耕ファンは、上田耕一郎の理論水準・庶民的人柄という表面だけを高く評価し、犯罪的組織原則政党中央トップとしての裏側を見ることができない。ファンは、このファイルを見て、死者に鞭打つと怒るかもしれない。

 

 しかし、彼は、私の党内闘争・党大会上訴事件にたいする政治的殺人犯罪の共同正犯4人の一人だった。彼は、宮本顕治・不破哲三・戎谷春松とともに、私にたいする政治的殺人者の一人となった。死去した彼を以下のように厳しく批判するのは、彼の殺人行為にたいし、私は生まれて初めての怒髪衝天になって、「日本共産党との裁判」決断したからである。

 

   〔党内犯罪加担・遂行者1〕、1971年、愛知県委員U氏専従解任事件での密告()・共犯者

   〔党内犯罪加担・遂行者2〕、1972年、「新日和見主義事件」査問委員として中心的役割

   〔党内犯罪加担・遂行者3〕、1977年、宮地「党大会上訴」の無審査・無採決・30秒却下議事の張本人

   〔党内犯罪加担・遂行者4〕、1985年、東大院生支部「党大会・宮本勇退決議案」粛清事件の共同正犯

   〔党内犯罪加担・遂行者5〕、1990年、『日本共産党への手紙』出版粛清事件における上田の犯罪加担

 

 4、宮本・上田が共同正犯の1964年原水禁運動分裂の反国民的隷従犯罪

 

 宮本・上田の著作を「絶版墓場」から甦らせるにあたって、2人が共同正犯になった1964年反国民的隷従犯罪も同時に再考する必要がある。1964年、日本共産党は、まだソ中両党支配下の隷従政党だった。ソ中両党決裂したのは、文化大革命時期1967年〜68年である。

 

 ソ連核実験再開をめぐり、それまで、日本共産党「いかなる国の核実験にも反対」路線を堅持していた。しかし、突如、180度逆転換させた。その原因は、原水協世界大会に参加していたソ連共産党代表団・中国共産党代表団が、「ソ連の核実験は防衛的なものである。しかも、死の灰をほとんど出さないきれいな核実験だ」と強烈に主張したことである。

 

 ソ中両党隷従政党党首の宮本顕治は、「ソ連核実験を支持せよ」との国際的命令屈服した。そして、被爆国日本原水爆禁止運動分裂させる反国民的隷従犯罪者変質した。

 

 副委員長上田耕一郎は、宮本顕治命令を受け、「ソ連の核実験は防衛的なものである」との『前衛』論文で大宣伝キャンペーンの先頭に立った。しかも、「アメリカの核実験は汚く黒い。しかし、ソ連核実験は美しく白い」との秘密口頭発言も党内で宣伝した。ただ、「きれいな核実験」と発言した証拠はない。この経緯については、別ファイルで詳細な検証をしたので、これ以上書かない。上田耕一郎も、宮本顕治と同列で、原水爆禁止運動分裂させた反国民的隷従犯罪者である。

 

 彼ら2人を美化するような著作集刊行は、2人の反国民的隷従犯罪偽造歪曲・隠蔽する企みになる。彼らの原水爆禁止運動分裂犯罪の結果は現在までも続いている。

 

    はじめに−運動と理論面における共産党3回の誤り・分裂犯罪

    〔1回目〕、1963年、ソ連核実験賛否での原水爆禁止運動分裂犯罪

     1、1962年、ソ連の核実験再開と「いかなる国の核実験にも反対」賛否の論争

     2、1963年、「ソ連核実験は防衛的な実験」で支持との共産党主張で原水禁運動分裂

         1原水禁運動分裂の経緯と分裂の主犯=ソ中両党隷従時期の日本共産

         2、反国民的分裂犯罪の共同正犯者=宮本顕治・内野統一戦線部長・上田耕一郎

         3、支持の表裏理由−表「防衛的」、裏側党内口コミ「死の灰が出ない、きれい」

 

 

 3、編集委員リスト疑惑=全員が不破社会科学研究所分派と経歴

 

 編集委員リストは偏っている。志位和夫以外は、全員が不破社研分派メンバーである。岡宏輔、浜野忠夫、不破哲三、山口富男の経歴を見る。

 

 ()、岡宏輔は、赤旗論文で自ら告白したように、宮本顕治が脳梗塞で引退させられる直前までの宮本議長秘書室長だった。不破哲三が宮本顕治に引退を強要し、宮本秘書団私的分派を解体させた1997年党内クーデターにおいて、は宮本秘書団分派を裏切り、全員の分派活動を密告した。

 

 小林栄三・上田仁・岡宏輔ら3人の宮本秘書団私的分派メンバーが、裏切り・密告をすれば、分派他メンバーは全面自白をせざるをえなかった。岡宏輔は、密告の論功行賞で幹部会員に昇進させてもらった。そして、今回、他4人は常任幹部会員だが、岡1人だけが幹部会員なのに、党史資料室責任者の立場で編集委員にさせてもらった。

 

    『宮本最晩年の議長室室長・現幹部会員岡宏輔登場』不破に密告した第二の男発覚

 

 ()、浜野忠夫は、不破党内クーデターグループの中心メンバーだった。その功績で副委員長に抜擢された。そして、筆坂秀世粛清をはじめとし、初代代々木のベリア袴田里見→2代目小林栄三→3代目代々木のベリアになった。不破哲三が浜野のベリア的役割を漏らし、認めている。代々木のベリアとは、歴代の代々木内粛清という赤黒い秘密任務を遂行してきた政治的殺人者のことである。

 

    『筆坂秀世「日本共産党」出版をめぐる動向』筆坂証言と3代目代々木のベリア浜野

 

 ()山口富男は、何度も、不破への茶坊主インタビューにおいて、不破賛美の提灯持ちをしてきた。

 

    共産党『中央委員会の機構と人事』→社会科学研究所13人リストと部署

 

(表2) 社会科学研究所リスト13人と中央役員・部署

名前

年齢

中央役員

党中央部署

備考

不破哲三

79

常任幹部会員

社会科学研究所長

2012182

山口富男

55

常任幹部会員

社会科学研究副所長

不破へ茶坊主インタビュー者

緒方靖夫

62

常任幹部会員

副委員長、国際委員会責任者

不破中国・チュニジア訪問同行

笠井亮

57

常任幹部会員

政策委員会副責任者

衆議院議員

小池晃

49

常任幹部会員

政策委員会責任者

参院落選→東京知事選立候補

足立正恒

71

中央委員

学術文化委員会・宗教委員会責任者

 

川田忠明

50

中央委員

平和運動局局長、国民運動委員会

 

田村一志

47

中央委員

宣伝局次長

 

盛美彰

55

中央委員

「前衛」編集長

 

田川実

45

准中央委員

書記局員、国際委員会委員

 

辻慎一

45

准中央委員

書記局員、学術文化委員会事務局次長

 

谷本諭

39

准中央委員

政策委員

 

小野秀明

社会科学研究所事務局長

 

中央役員・年齢と党中央部署は、第25回大会時点、共産党HPに記載したデータ

 

(表3) 実質的な不破分派メンバーの他リスト4人

名前

年齢

中央役員

部署

備考

市田忠義

67

常任幹部会員

書記局長

浜野忠夫

77

常任幹部会員

副委員長、人事局長=粛清も担当

小林栄三→3代目ベリア

上田均

75

常任幹部会員

財務業務委員会責任者

元宮本秘書団分派→留任

岡宏輔

62

幹部会員

党史資料室責任者

元宮本議長室室長→昇進

 

 この人選とリストからは、次のようなかなりの疑惑が生まれる。

 

 

 4、不破哲三・82歳と不破社研分派による2つの狙い・思惑

 

 〔小目次〕

   〔狙い・思惑1〕、党機関財政破綻の救済策=共産党議員・専従・忠誠派党員からの別名目カンパ徴収

   〔狙い・思惑2〕、宮本・上田著作集を捨石・単なる布石とし、不破哲三著作集刊行の目論見?

 

 〔狙い・思惑1〕、党機関財政破綻の救済策=共産党議員・専従・忠誠派党員からの別名目カンパ徴収

 

 党機関財政が破綻してきた。なにか、それを救済する手口はないか。すでにあらゆるカンパを党費納入25万党員義務づけてきた。()党本部建設カンパ・()総選挙・参院選・地方選カンパなど多種類の選挙カンパ・()専従一時金夏0.5カ月・冬1.5カ月の合計2カ月分カンパ・()専従給与遅配埋合せカンパ・()選挙ポスターカンパ・()供託金支援基金年間1200円・()中間機関事務所建替カンパなどである。しかし、カンパの集まりが悪くなっている。

 

    『地区財政破綻政党+党資金横領常幹政党=?』

       地区専従13年間で458人・33.2%リストラ+毎年6000万円横領常幹

 

 供託金支援基金などは、党大会決定にもかかわらず、市田書記局長が告白したように、党費納入25万党員の半数が提出拒否をしている。物品を売るという別名目のカンパでないと党員はもはや出さないという危険が高い。故人2人の著作集なら物品を売るので買うかもしれない。

 

 しかも、その売上額は、()党中央と、()47都道府県委員会・315地区委員会の破綻した党財政を潤すはずである。中間機関にも総額の一部を配分すれば、専従は必死になって、議員・専従・忠誠派党員に売り歩くと思われる。これにより、破綻した党機関財政を一定救済できよう。さらには、()経営危機に陥っている新日本出版社=党中央出版部も売上金の一部で潤うはずである。

 

 しかも、すでにそのからくりがブログとそのコメント多数で暴露されてしまった。

 

    共産党・民青悪魔の辞典『宮本顕治・上田耕一郎選集、党機関の書籍担当はビビってますw

 

 昨日の赤旗に出た宮本顕治と上田耕一郎選集の記事、新日本出版社大丈夫か? との趣旨でエントリを書いたが、「認識が甘い!」とお叱りのメールをいただいた。メール送信者曰く、自分は都道府県委員会の書籍担当・・・党の本を売る係だとか。

 

 なんで叱られたかと言うと党は、こういう本を売れと言う時、こう言うんだ!たとえば「これ、定価5000だ。それを3900円で卸すから一冊売れば都道府県委員会は1100円の儲けになるだろ。『宮本顕治選集』なら10冊だから一セット売ったら11,000円党機関の財政に貢献できる。

 

 赤旗日刊紙より割がいいだろ? だから売ってね」ざけんじゃねぇ!誰も買わないから、結局常任その他が「すまない、みんな原価(ここでは一冊3900円)でいいから買ってくれ」ということになって、買わされるんだ・・・で、腹立つから俺はその足でブックオフに持って行って10冊丸ごと売り飛ばし、払った39,000円のうち3,900円は回収するぜ・・・これ内緒。

 

 〔狙い・思惑2〕、宮本・上田著作集を捨石・単なる布石とし、不破哲三著作集刊行の目論見?

 

 不破哲三は、宮本・上田という故人2人の著作集などを買う党員がどれだけいると皮算用しているのか。そもそも、不破哲三こと上田建二郎は、1997年党内クーデター後、宮本顕治著書15冊以外すべて絶版にしてしまった。兄・耕一郎著書10冊以外絶版にしてしまった。

 

 一方、自分の著書を()全体102冊、()分野別50冊以上も新日本出版社から出版させている。宮本顕治・上田耕一郎の党内犯罪データは無数にある。不破哲三が自ら絶版にさせてしてしまった宮本・上田著書を甦らせ、党員に売りつけるという思惑は失敗する。

 

    新日本出版社()『不破哲三102冊』 ()『不破哲三の本』6分野分類・50冊

 

 故人の絶版著書を新日本出版社の「ごみ箱」からわざわざ甦らすのは、どう見てもおかしい、何か変である破綻している党財政を潤す売上効果もそんなに期待できない。別の狙い・思惑があるのではないか。

 

 不破哲三・82歳は、「科学の目」講演や「古典講座」など、自分のマルクス・エンゲルス知識をひけらかし、「現代のマルクス」と讃えられている。これほどうぬぼれた、自己顕示欲が強烈なトップが形成されたのは、日本共産党史上初めてではなかろうか。新日本出版社HPの()全体102冊、()6分野分類・50冊リストなど、それを象徴している。ただし、それらは、ばらばらの単行本でしかない。

 

 時系列別・分野別の『不破哲三選集』または『不破哲三全集』を出版できないか。それは、『マルクス・エンゲルス全集』『レーニン全集』匹敵する貴重な価値を持つはずである。不破哲三のうぬぼれた性情からすれば、彼がその誇大妄想的な思惑を抱いても不思議でない。

 

 ばらばらの単行本だけでは物足りない。やはり、マルクス・レーニン並に、『私個人の選集、全集』が欲しい。自分の著書を1冊も出版していない輩には、(上田建二郎)の崇高な赤い欲望を理解できないであろう。

 

 現在、102冊も出版している私には、それらをまとめた『不破個人選集、全集』出版させる特権が与えられてしかるべきである。しかも、党外出版社からの要請で出した数十冊も合わせれば、百数十冊にもなる。

 

 しかし、いきなり、『不破哲三選集、全集』を出版するのは、唐突すぎる。まずは、その野心の捨石・布石として、『宮本・上田著作集』を出したらどうなるか。しかも、編集委員には、不破社研分派を配備してある。すでに『不破哲三選集、全集』の出版体制は万全である。

 

 ただ、このような不破・82歳の妄想・野心の心理分析は行き過ぎで誤りと、共産党員・支持者は否定するであろう。彼は、「現代のマルクス」として温情溢れる常幹・社会科学研究所長である。彼の赤い温情には、2つがある。

 

 〔赤い温情1〕、前任者・宮本同志の著書を15冊以外絶版にした、兄なのに上田耕一郎同志の著書も10冊以外絶版にした。これは、私の現102冊と比べ、行き過ぎで、誤った手口だったと、深く反省・自己批判する。

 

 2人が日本共産党指導者・偉大な理論家だったことを、90周年にあたり改めて()党費納入25万人という総務省報告党員、()公表40.6万人という党大会報告党員、()架空党籍を削除した2012年5月「全活」報告の現31.8万人に知らせる。購読を大々的に宣伝し、呼びかける。

 

 〔赤い温情2〕党財政が深刻な破綻状況になってきた。故人2人の絶版からの蘇り著作集売上で、()党中央財政、()中間機関財政を救済し、()専従給与の遅配続きを解消する。()経営危機に陥っている新日本出版社=党中央出版部も潤う。

 

 もっとも、()自分たち夫婦が神奈川県津久井989.72坪=上田建二郎私有宅地で使う毎年6000万円の党資金と()専従給与と別の常幹手当年600万円は一切減らさない。しかし、この90周年記念出版事業多額な売上見込み額によって党機関財政破綻だけはなんとか解決したい。

 

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 〔関連ファイル〕

     (宮本顕治)

     新日本出版社『宮本顕治15冊のみ』15冊以外絶版措置

     『宮本顕治がしたことの表裏・12のテーマ』戦後の最高権力者期間39年間の表裏

     『宮本顕治』ファイル多数

 

     (上田耕一郎)

     新日本出版社『上田耕一郎10冊のみ』10冊以外絶版措置

     『上田耕一郎副委員長の多重人格性』

     『「戦後革命論争史」に関する上田耕一郎「自己批判書」』

     『上田・不破査問、「自己批判書」公表における奇怪な屈従者の顔』

     石堂清倫『上田不破「戦後革命論争史」出版経緯』手紙3通と書評

     高橋彦博『上田耕一郎・不破哲三両氏の発言を求める』

 

     (不破哲三)

     新日本出版社()『不破哲三102冊』 ()『不破哲三の本』6分野分類・50冊

     『地区財政破綻政党+党資金横領常幹政党=?』津久井の航空写真

       地区専従13年間で458人・33.2%リストラ+毎年6000万円横領常幹

     『不破哲三の出版・印税収入特権と年収特権』掲示板・政治将校による不破財政特権

     『「戦後革命論争史」に関する不破哲三「自己批判書」』

     『不破哲三』ファイル多数