日本共産党88年間の党財政データ

 

ソ中両党隷従45年間の党財政現在の党財政

 

(宮地作成)

 〔目次〕

   はじめに−党財政データの意味

   第1期、戦前1922年〜35年党壊滅までのソ連共産党隷従14年間

   第2期、戦前1936年党中央壊滅〜45年敗戦の空白10年間

   第3期、1945年〜56年、シベリア抑留中のソ連共産党隷従11年間

   第4期、朝鮮戦争1950年〜66年ソ中両党隷従17年間→決裂

   第5期、1980年赤旗部数ピーク355万部〜現在の党財政破綻

      〔KM生さんからの感想と意見〕、自主独立路線とそこでの党財政面の評価(追加)

      〔段階1〕、赤旗HN歯止めのない28年間減退

      〔段階4〕、赤旗新聞社経営破綻・選挙財政破綻

 

 〔関連ファイル〕         健一MENUに戻る

    渡部徹  『一九三〇年代日本共産党論−壊滅原因の検討』

    田中真人『一九三〇年代日本共産党史論−序章とあとがき』

           『日本反帝同盟の研究−共産主義運動と平和運動』

    『じり貧的瓦解4段階経過と第5段階への転落方針』08年7月6中総方針の表裏

    『共産党じり貧的瓦解〔段階4〕赤旗新聞社経営破綻・選挙財政破綻』

         01年以降7年間で、党費収入24.6%ダウン、機関紙収入24.0%ダウン

 

 はじめに−党財政データの意味

 

 日本共産党の歴史は、2009年で88年間になる。日本共産党とは、どういう政党なのか。路線・政策・方針からの分析だけでなく、党財政面からの検証をすれば、その性格が浮き彫りになるのではなかろうか。このファイルは、党財政データのみで構成した。ただ、党財政といっても、その収支の内容、背景、ソ中両党による資金援助テーマを含むので、かなり長くなった。詳しい説明のために、多くのリンクも付けた。

 

 88年間といっても、大きく分けて、2つに分類できる。()1922年コミンテルン日本支部創設から、1966年ソ中両党との決裂までのソ連共産党隷従→ソ中両党隷従45年間である。その期間、党財政面でも、コミンテルン=ソ連共産党からの資金援助→ソ中両党からの資金援助に依存するという隷従をしていた。ここには、党中央壊滅=日本支部空白の10年間も入る。これを第1期から、第4期に分類する。()1967年から現在までの自主独立43年間である。党財政面でも、ソ中両党からの資金援助はなく、自主独立だった。

 

 第1期、14年間の党財政データ

 

 部分的データとはいえ、3つの年度資料が発掘・公表された。それらは、いずれも、正確な数値である。ただ、戦前なので、現在の時価換算が難しい。1931年データは、1ヶ月経費の76.6%を、コミンテルンの補助でまかなうという党財政面での隷従政党だった事実を証明した。別の言い方をすれば、お金面での隷従は、路線・政策・人事面でも76.6%の隷従体質を意味した。

 

 例えば、1930年代、日本共産党は、日本国民の反戦平和運動とその統一要求よりも、ソ同盟擁護社会ファシズム路線に基づき、社会民主主義他党派・他反戦平和運動団体社会ファシズムとして破壊・攻撃し、反戦平和運動分裂させる路線・運動に全力を挙げた。軍部ファシズムとの闘争よりも、反戦平和運動分裂策動を優先させた。それが、戦前党史の真相である。

 

    渡部徹  『一九三〇年代日本共産党論−壊滅原因の検討』

    田中真人『一九三〇年代日本共産党史論−序章とあとがき』

           『日本反帝同盟の研究−共産主義運動と平和運動』

 

 第3期、11年間の党財政データ

 

 これは、ソ連共産党・スターリンによる日本人60万人シベリア抑留=大量拉致・6万人死亡期間における党財政である。1945年敗戦=日本共産党再建から、シベリア抑留終了までも、日本共産党は、ソ連共産党隷従1949年以降ソ中両党隷従政党だった。この期間の党財政については、国内データは隠蔽されて、発掘・公表されていない。ソ連共産党による日本共産党にたいする資金援助データだけである。第4期にまたがるデータも含む。

 

 第4期、17年間

 

 ソ中両党隷従時期である。日本共産党は、党史上初めて、朝鮮戦争という侵略戦争への参戦政党となった。その戦費は、()国内における自力調達と、()ソ中両党からの戦費支援額がある。「参戦」戦費は、膨大な額になったはずだが、推計をかなり含む。

 

 第5期、1980年〜現在

 

 この期間における、赤旗部数は、すべて党大会報告なので、正確である。機関紙収入額・党費収入額の推移も、すべて政府にたいする政治資金報告と党中央公表データなので、信用できる。それらは、日本共産党のじり貧的瓦解経過を、党財政面から証明している。

 

 

 第1期、戦前1922年〜35年党壊滅までのソ連共産党隷従14年間

 

 発掘・公表された日本支部党財政データは、下記の3つだけである。そこから見れば、1922年日本支部創立から、袴田里見逮捕による党中央崩壊の1935年までの14年間における日本支部党財政は、ほとんどをコミンテルン=ソ連共産党に依存し、路線・方針の隷従だけでなく、党財政面でも隷従していた。

 

 〔小目次〕

   〔1923年の党財政〕−加藤哲郎発掘・公表のデータ

   〔1928年の党財政〕−風間丈吉データ=市川正一の公判陳述内容

   〔1931年の党財政〕−加藤哲郎発掘・公表のデータ

 

 〔1923年の党財政〕−加藤哲郎発掘・公表のデータ

 

 加藤哲郎は、1923年別の党財政データを発掘・公表した。

 『解放』の再建には5万円の資金が必要だが、我々は掛け値なしで2万円の資金で始めなければならない。我々による『解放』の経営は、共産主義闘争の最善の武器を提供するであろう。

 経営権は、完全に我々のコントロール下にある先の2人のいずれかに移されて、この雑誌の全般的経営計画を完成した。

 

 4人の編集者が任命されるが、そのうち2人は我々の仲間であり、1人は編集長たる力を持っている。財政面の管理は、我々の同志によって行われる。経営の全部門に同志がいるようになろう。著名な社会主義シンパである有能な出版者が、経営のトップにすわるだろう。したがって我々は、この雑誌を合法的なかたちで共産党の完全な支配下におくことができると保証する。

 前述のように、我々はその出発に2万円を必要とする。1万円11月末までに、残りの1万円12月末までに入金されたい。もしも1月までに刊行するためには、1923122までにその資金を調達しなければならない。

 

 同志よ、どうか我々の要請を軽視しないでほしい。この計画をすべて調査し、機会があり次第我々に回答してほしい。

 我々は、我々と共に同志ヴォイチンスキーがこの計画に協力しており、こうした条件についてよく知っていることを、付け加えておく。もしもコミンテルンが認めるならば、彼はこの問題で我々を可能な限り援助してくれると示唆している。

 

 もう一度お願いする。この天の賜りものを入手する絶好の機会を見逃すことなく、しっかり検討してほしい。我々は我々の資金要求の正当性が明らかになると確信している。

 同志よ、どうか急いで検討してほしい。同志ヴォイチンスキーがあなたがたの調査を助け、資金と指令は彼を通じて送られるであろう。

 できるだけ早くお答え頂くよう望んで、共産主義者の挨拶をもって、

  日本共産党執行委員会

                B・モトヤマ(総務幹事) [自著]

                P・ノダ(国際幹事)   [自著]

                J・ヤマダ        [自著]

                A・イシダ        [自著]

                G・アライ        [自著]

 

    加藤哲郎『第一次共産党のモスクワ報告書』→資料23

 

 1928年の党財政〕−風間丈吉データ=市川正一の公判陳述内容

 

 風間は、1928年(昭和4年)の一年間だけの党財政データを、初めて公表した。それによると、当時の日本支部財政は、ほとんどコミンテルンに依存し、人事命令だけでなく、財政面でも隷従していた。戦前の1922年から党中央崩壊の1935年までの14年間を通じて、全期間の党財政は以下の通りだったと推測される。公式党史は、この党財政問題について、沈黙・隠蔽してきた。

 

 下記ファイルの本文データを集計する。ただし、現在の時価換算は難しいので、その数値合計だけ載せる。これは、市川正一陳述内容である。日本円6回・7500円、米貨1回・512弗あった。

 

 風間が言うように、主たる費用は、コミンテルンからの交付金賄われた。責任者たる市川が明確に述べているように、費用の大部分(殆んど全部と云ってよい程)モスコウから来ていた。

 

    風間丈吉『昭和四年始頃の党財政』主たる費用は、コミンテルンからの交付金

 

 〔1931年の党財政〕−加藤哲郎発掘・公表のデータ

 

 加藤哲郎は、1931年のコミンテルン宛報告書でも、党財政データを発掘・公表した。それによれば、党及び同盟の一ヶ月経費合計二、六一〇円中、一ヶ月要求額二、〇〇〇円である。それは、一ヶ月経費の76.6%を、コミンテルンの補助でまかなうというレベルの党財政面でのコミンテルン隷従政党だった事実を証明するデータとなった。

 

       <2>日本共産党の財政予算表

 一ヶ月の経費                      二、三一〇円

  中央委員         5名   一〇〇円づつ    五〇〇円

  労働組合フラクション  6名    六〇円づつ    三六〇円

  技術部員         8名    五〇円づつ    四〇〇円

  大衆団体フラクション 10名    四〇円づつ    四〇〇円

  旅行費           3名  一五〇円づつ    四五〇円

  印刷所費        3ヶ所    五〇円づつ    一五〇円

  資料費                              五〇円

  日本共産青年同盟の一ヶ月の経費           三〇〇円

 

 党及び同盟の一ヶ月経費       合計     二、六一〇円

  「無産者新聞」「無産青年」は補助なくして出版可能なり。

  党は、二、六〇〇円中六一〇円を自給することが出来るが、

  一ヶ月 二、〇〇〇円の補助を要求す

                 一ヶ月要求額    二、〇〇〇円

                               以上。

 

2>日本共産党の財政予算表−1931年度一ヶ月要求額

 

    加藤哲郎『第一次共産党のモスクワ報告書』→<2>日本共産党の財政予算表

 

 

 第2期、戦前1936年党中央壊滅〜45年敗戦の空白10年間

 

 この10年間党中央は壊滅していた。ただ、監獄の共産党活動は、宮内勇らによる多数派結成とその運動があった。しかし、最後の中央委員袴田里見は、袴田批判をする多数派を分派としていた。コミンテルンにおける野坂参三は、袴田報告を鵜呑みにし、多数派とその運動を分派とした。この10年間、コミンテルンからの党財政支援は皆無だった。日本共産党の公認党史も、多数派運動とその意義黙殺している。

 

 党中央壊滅の原因については、たしかに、()当局・特高による弾圧の要因が大きい。ただ、()崩壊には内部原因がある。戦前共産党内部の路線・政策・方針の誤りついての研究・考察が必要であろう。そして、崩壊をもたらした、それら2つの内外要因の比率を測定する必要があろう。日本共産党公認党史は、外部要因たけを崩壊原因とし、内部要因に沈黙・隠蔽してきた。

 

 1928年コミンテルン第6回大会は、社会ファシズム理論・路線を決定した。コミンテルン日本支部は、鉄の規律の上下関係に隷従し、社会ファシズム路線の国内実践をした。具体的には、反戦平和運動にたいする破壊的で犯罪的な誤りとその結果をもたらした。反戦平和運動におけるその誤りの具体例、位置づけが重要となる。コミンテルン=単一国際共産党と日本支部との関係は、民主主義的中央集権制=軍事的集権制に基づく、コミンテルン路線の無条件実践だった。

 

 日本支部は、社会ファシズム路線実践によって、()軍部ファシズムとの闘争よりも、()他の社会民主主義党派・大衆団体との闘争、その殲滅に全力を挙げた。()その誤った路線・犯罪によって、反戦運動内での孤立だけでなく、国民からも見放された。日本共産党こそ、戦前において、左翼・民主勢力の統一破壊し、反戦平和運動分裂させた張本人だったという歴史的事実が判明してきた。

 

 戦後、宮本顕治は、その誤り・犯罪的側面を検証し、研究文献を出版した2人の学者党員渡部徹と田中真人除名した。彼は、その見せしめ的除名=学者党員全員への脅迫によって、その側面の研究途絶させた。彼の心理的背景には、スパイ査問事件などによって、最終的に、日本支部を内部崩壊させた責任・原因に関する自己保身意図が潜む。壊滅の経緯と、その原因分析については、別ファイルで多数載せた。

 

    立花隆『日本共産党の研究』関係『年表』一部、党中央壊滅の経緯

    『1930年代のコミンテルンと日本支部』志位報告の丸山批判

    『反戦平和運動にたいする共産党の分裂策動の真相』戦前共産党史の偽造歪曲

    『転向・非転向の新しい見方考え方』戦前党員2300人と転向・非転向問題

    渡部徹『一九三〇年代日本共産党論−壊滅原因の検討』

    田中真人『一九三〇年代日本共産党史論−序章とあとがき』

           『日本反帝同盟の研究−共産主義運動と平和運動』

    伊藤晃『田中真人著「1930年代日本共産党史論」』書評

 

 

 第3期、1945年〜56年、シベリア抑留中のソ連共産党隷従11年間

 

 スターリン・ソ連共産党による日本国民60万人にたいするシベリア抑留は、11年間続いた。日本共産党は、その期間、ソ連共産党への隷従政党だった。シベリア抑留問題については、別ファイルで検証した。このファイルでは、その期間における党財政隷従テーマだけを載せる。それは、抑留期間中、ソ連共産党から日本共産党への108億円以上の資金援助問題を指す。

 

    『「異国の丘」とソ連・日本共産党』ソ連・日本共産党の犯罪 You Tube『異国の丘』3編リンク

    『シベリア抑留めぐる日本共産党問題』1945〜1955「六全協」

 

 〔小目次〕

 1、ソ連共産党の日本共産党への資金援助

 2、資金援助額の時価日本円換算推計

 3、3回108億円とも「党本部受領」という状況証拠

 

 1、ソ連共産党の日本共産党への資金援助

 

 資金援助年度と額のデータは、「Jiji Top Confidential(時事通信社、2002年1月22日号)に掲載された『名越健郎の20世紀アーカイブス(24)』の一部「ソ連から25万ドルと記述」記事に基づいている。それは、名越健郎が「モスクワで入手した基金リスト」によるもので、出典はソ連崩壊後の「秘密資料」である。ただ、彼は、資料名・文書保管所名を書いていない。しかし、フランス共産党、イタリア共産党は、その「資金援助年度と額」データを事実として認め、党本部が受領したことも正式に認めている。よって、その「秘密資料」の出所と内容の信憑性は証明ずみである。

 

 以下引用する。「ソ連から25万ドルと記述 筆者がモスクワで入手した基金のリストによれば、五一年の緩助総額は三百二十三万ドルで、受け入れ先はフランス共産党が百二十万ドルでトップ。日本共産党も基金から十万ドルを受けた。五五年には総額が六百二十四万ドルに増え、受け入れのトップはイタリア共産党日本共産党も二十五万ドルで六位にランクされている。六三年の援助総額は千五百三十万ドルで、日本共産党の受領額は十五万ドルとなっている。

 

 この共産圏の秘密基金は、ソ連解体前年の九〇年まで維持され、四十年間で五億ドル以上が世界の左翼政党に支払われた。ただし、中国共産党は中ソ対立激化の中で、六〇年ごろ秘密基金から脱退。自主独立路線を強めた日本共産党も六三年を最後に受け取っていない」。

 

 秋月瑛二は、下記ブログで次の引用をしている。

 「名越健郎『クレムリン秘密文書は語る』(中公新書、1994年)によると、コミンテルン後継機関として1947に設立されたコミンフォルム(1956解散)の方針により、「各国の共産主義運動支援の名目」で「ルーマニア労組評議会付属左翼労働組織支援国際労組基金」という「秘密基金」がルーマニア・ブカレストに創設された。

 

 この基金とは別枠で、ソ連から直接に日本共産党に対して195110万ドルが供与された(p.83-84)。上の基金からは日本共産党195525万ドル19585万ドル19595万ドル196110万ドル196215万ドル196315万ドル、が「援助」された(p.84p.91)。

 

 これら以外に、日本共産党を除名された志賀義雄グループ19635000ドル(対神山茂夫を含む)、19735万ドル、が「援助」された(p.84p.92)。

 

 内訳は明確ではないが、この基金からの各国共産党(共産主義者)への「援助」はなんとゴルバチョフ時代の1990まで続いた、という(p.84)。
 日本共産党の<所感派>(徳田球一・野坂参三ら)と<国際派>(宮本顕治ら)への分裂自体がコミンフォルムの1950年の日本共産党の当時の方針批判を原因としていた。
日本共産党が、コミンフォルム=ほとんどソ連共産党、その解散後も上記基金運営の主導権を握っていたソ連共産党財政的にも相当程度に依存していたことは明らかだ。
 志賀グループに対する以外の19511963の日本共産党に対する「援助額」は
累計85万ドル」。

 

    秋月瑛二『名越健郎「クレムリン秘密文書は語る」』09年5月15日、つづき18日

    名越健郎『ソ連・中共からの秘密資金考』2002年1月22日号

 

 シベリア抑留期間は、1945年から1956年までの11年間である。よって、期間中の資金援助は、1951年10万ドルと、1955年25万ドルの計2回35万ドルだった。その資金援助は、当然、(1)各国におけるソ同盟擁護運動の強化と、および各国共産党支援という共通目的とともに、(2)各国別の独自目的を内包している。

 

 日本共産党に与えた35万ドルの、独自目的は何だったのか。それは、約60万人シベリア拉致・抑留犯罪=強制労働・飢え・極寒にたいする日本国民の怒り・早期帰国要求にたいし、日本共産党緩和・欺瞞・抑圧する国内工作への犯罪協力・共犯依頼金という性格も帯びた。日本共産党によるシベリア抑留への欺瞞・抑圧する工作内容は、別ファイルで検証した。

 

    『シベリア抑留めぐる日本共産党問題』1945〜1955「六全協」

 

 35万ドル=下記計算の現在時価87億円を、うやうやしくいただいた「偉大なスターリン」「ソ同盟」讃美者・日本共産党は、上記別ファイル「4つの状況証拠」のように、細川嘉六発言・連日の「アカハタ」記事、野坂参三発言・「アカハタ」社説でもって、また、宮本顕治の『極光のかげに』批判発言でもって、ソ連共産党の拉致・抑留犯罪にたいする積極的な協力者・共犯者となった。それは、ソ連共産党がくれた87億円に見合うレベルの日本共産党ぐるみで行なった見返りの国内宣伝工作だった。

 

 2、資金援助額の時価日本円換算推計

 

 2回で35万ドルといっても、私自身、イメージが湧かないので、日本円の2009年現在時価に換算する。ただ、できるだけ正確な推計にするため、やや面倒な計算をする。資本主義国共産党への資金援助は、すべて「ドル建て」だった。

 

 (1)、当時の「為替レート」をまず確認する。1949年4月25日から1971年1月までは、「固定相場制」で、「1ドル360円」だった。1971年から「スミソニアンレート」で、「1ドル308円」になった。現在のような「変動相場制」に移行したのは、1973年以降である。よって、日本共産党への資金援助ドルは、すべて「1ドル360円レート」である。

 

 (2)、次に、各「資金援助」年時点の「ドル→円換算額」「現在時価円」にさらに換算する。その場合の「換算基準」を、1)、2002年現在のフルタイマーの平均給与額と、2)、「厚生省の帰還者にたいする仮定俸給額」という2つで、換算倍率を出する。1)を、大学新卒初任給相当の200000円と仮設定する。2)は、年度によって異なり、物価スライド式で引上げている。1949年100円、1949年末300円に引上げ、1951年は1000円だった。1955年、「軍人恩給法の改正」において、それを『一般公務員と同程度に引上げた、12000円ベース』(『援護五十年史』P.115)とした。1963年は、シベリア抑留問題は終わっているので、一応、当時の大学新卒初任給相当の20000円とする。

 

 (3)、これらに基づく『資金援助額の現在時価換算の計算式』は以下になる。

 1951年 200000円÷当時俸給1000円=200円()

       10万ドル×360円×200倍=7200000000≒約72億円

 1955年 200000円÷当時俸給12000円=16.6円()

       25万ドル×360円×16.6倍=1494000000≒約15億円

 1963年 200000円÷当時給与20000円=10円()

       15万ドル×360円×10倍=540000000≒約5億円

 

 これら3回のほかに、資金援助が2回ある。第1回資金援助は、別ファイル1945年「野坂要請・ディミトロフ承認」によるものである。この額は不明で、日本共産党が「モスクワ機密資料」で詳細な会見内容を発見しているのに、額だけを隠蔽している可能性もある。第2回は、別ファイルに載せた1949年シベリア抑留帰国者による共産党カンパ約21億円」で、その事実上の資金援助を加えると、日本共産党は、ソ連共産党から5回も資金援助を受けていた。

 

 これらの事実は、日本共産党が、1945年から1955年「六全協」までの期間に限って見れば、思想的組織的に、偉大なスターリン崇拝、ソ同盟盲従政党というだけでなく、党財政的にもソ連共産党従属状態のマルクス主義政党だったことを、数値的に証明している。5回を合わせたのが、次の(表)である。

 

(表1) シベリア抑留期間中のソ連共産党から日本共産党への

資金援助回数と額推計(共産党カンパも含める)

ソ連援助額

為替レート

当時の1円

現在時価

受領

共産党側弁明

1

2

3

4

1945

1949

1951

1955

(隠蔽?)

(カンパ)

10万ドル

25万ドル

360

360

360

 

666円・倍

200円・倍

16.6円・倍

(?億円)

21億円

72億円

15億円

党本部

党本部

党本部

党本部

「野坂要請」

 

「大村領収書」

「北京機関」

35万ドル+?

360

108億円+?

党本部

5

1963

15万ドル

360

10円・倍

5億円

党本部

「野坂、袴田ら」

 

 108億円+?億円」といっても、これまた巨額すぎてイメージが湧かない。そこで、イメージ比較できる物を捜す。それは、2002年第1期工事完成の「日本共産党本部ビル」である。第1期の総工費は約85億円である(中日新聞、2002年7月17日)。いうなれば、日本共産党は、地上11階地下1階のビルを、ソ連共産党に丸投げ発注して、タダで作ってもらったと同じような資金援助額になる。

 

 ちなみに、2002年本部ビルへの「党員や後援者からの寄付は25億円を上回った(同新聞)。2002年党員数は公表430000人であるので、党員一人あたりの寄付額は、5814円である。一方、1949年のシベリア抑留の犯罪被害者から、ソ連共産党と日本共産党ぐるみで、半ば強制的に収奪したカンパ総額は、「赤旗梯団」33隻の50%・32700人からの約21億円だった。犯罪協力・共犯政党が、ソ連共産党のおかげで、手に入れた拉致被害者からの一人あたりカンパ額は、64220円だった。

 

 ところが、この5回とは別個に、日本共産党自身が認める、ソ連共産党にたいする資金援助の「要請」「受領」がある。『日本共産党の七十年・年表』にある。しかし、現日本共産党は、それら「要請」「受領」を、すべて「北京機関」、または、ソ連内通者個人としている。1958年5万ドル1959年5万ドルという秘密文書の金額そのものの存在ついては、隠蔽している。

 

(表2) ソ連共産党からの別個の資金援助回数と額

秘密文書6回75万ドル金額受領の隠蔽・ウソ

年月日

形態

機関・個人

内容

年表

秘密文書

1

1952.9.6

受領

北京機関

ソ連資金を受け取ったという大村英之介名義の受領証。「北京機関」の指導下にあったものへの資金援助を証明

P.140

2

1954.1

受領

北京機関

ソ中両党の財政的従属下「北京機関」が「党学校」設置(関係者千数百人〜二千人)

P.143

3

1955.1.13

要請

北京機関

「日本共産党中央委員会北京局」として、5人の署名で、ソ連共産党中央委員会に資金援助を要請

P.145

25万ドル

1958

(秘密文書)

5万ドル

1959

(秘密文書)

5万ドル

4

1961.11.1

要請

野坂参三

ソ連共産党第22回大会に団長野坂、副団長宮本が出席。野坂はモスクワに残留して、ソ連側に資金援助を要請

P.169

10万ドル

5

1962.3.1

受領

袴田里見

袴田、イズベスチヤ特派員に接触。ソ連からの資金援助を催促。7月14日付「受領書」

P.170

15万ドル

6

1963.5

受領

袴田里見

袴田、ソ連の国家保安委員会(KGB)から5万ドル相当額を受領。ひきつづき6月にも(五中総での路線転換のくわだてへの「論功行賞」の性格をもつ)

P.175

15万ドル

 

 (表1)(表2)のデータの一部が、時期的に見て、同一資金援助になる可能性もある。しかし、日本共産党は、それについて触れていない。(表2)の6件中、日本共産党が、資金援助額を明記しているのは、袴田の5万ドル相当額だけである。下記の秘密文書の金額データ意図的に隠蔽している。名越が発掘・公表しているからには、日本共産党も秘密文書の金額データを知っているはずである。

 

 名越が発掘・公表した、ソ連共産党、基金からの日本共産党にたいする資金援助累計85万ドルを再確認する。時期に幅があるので、時価換算はしない。(表2)と比べると、宮本・不破・志位らの隠蔽・ウソの度合が浮き彫りになる。

 ()1951に、基金と別枠で、ソ連共産党から10万ドルが供与された(p.83-84)。

 ()1955に、上の基金から、25万ドル19585万ドル19595万ドル196110万ドル196215万ドル196315万ドルが「援助」された(p.84p.91)。

 ()1963に、これら以外に、日本共産党を除名された志賀義雄グループ5000ドル(対神山茂夫を含む)、19735万ドルが「援助」された(p.84p.92)。

 

    秋月瑛二『名越健郎「クレムリン秘密文書は語る」』09年5月15日、つづき18日

 

 (表1)(表2)から見ると、ソ連共産党は、日本共産党への資金援助政策を、3つの作戦で執行し、「ドル建て」支出をしている。

 

 第1作戦。世界戦略に基づき、すべての資本主義国共産党・左翼政党にたいし、1951年から40年間で、五億ドル以上を支出した。それは、米ソ冷戦を勝ち抜くための、イデオロギー戦争軍事資金だった。ソ連共産党は、1951年、55年、63年の資金援助を、世界各国共産党本部機関に向けて、ソ同盟擁護を絶対条件としていっせいに支払い、正規の受領書を出させた。その場合、自国民4000万人・外国共産党員約1万人粛清実績を誇り、世界に冠たる秘密政治警察ゲペウ、NKVD、KGBが、個人のねこばばや少数派分派の詐欺的受領に騙されるはずがない。

 

 日本共産党は、「ソ連共産党の各国共産党への同時資金援助機密資料」の存在そのものを否定したことは一度もない。なぜなら、フランス共産党やイタリア共産党が、その存在とともに、自党の党本部受領を、3回とも正式に認めているからである。そこから見ると、日本共産党が、3回とも、党本部受領したことは確かである。

 

 一方、アメリカCIAも、ソ連共産党を上回る額で、世界各国の保守政党に、米ソ冷戦・イデオロギー戦争軍事資金で、共産主義に勝ちぬくための栄養補給をした。日本の自民党など保守政党には、日本共産党への108億円以上のCIA援助資金が注入されたはずである。1950年から3年間の熱い朝鮮戦争時期における、米ソからの後方兵站補給基地日本の保守政党・左翼政党にたいする資金援助方法・額のデータが完全に発掘され、それを比較研究できる日が来ないであろうか。革命革命阻止も、お金なしではできない20世紀だった。

 

 第2作戦。各国共産党別の作戦に基づいて、随時支出する資金援助である。資金援助要請内容を検討して、党本部宛、またはソ連派分派宛に提供する。日本共産党が、ソ連共産党と路線対立し、「自主独立」するようになってからは、志賀「日本のこえ」などソ連派分派宛に資金援助をした。

 

 第3作戦。ソ連工作員・NKVDやKGBスパイ個人宛の「スパイ報酬」である。シベリア抑留において、ラーゲリ政治部は、アクチブ・専従者にたいし、強制労働免除・食糧特別支給だけでなく、毎月100ルーブルを支給した。ラーゲリ・チェキスト機関は、抑留者内のチェキスト養成スパイにも、「密告内容レベル」に応じて、「密告報酬」を支給した。それは、日本の公安調査庁が、「共産党内スパイ」に、毎月定額、および「密告内容レベル」に応じて、数万円前後の「密告報酬」を支払っているのと同じである。

 

 しかし、NKVDやKGBが、日本共産党員スパイ個人にたいして、時価数億円の「成功報酬」を払うなどという、馬鹿げた大判振る舞いをすることなどは、絶対にない。それは、アメリカCIAでも同じである。「指導者暗殺テロなどの成功報酬額」は、別である。(表2)の「袴田、五万ドル相当額を受領。ひきつづき六月にも(五中総での路線転換のくわだてへの「論功行賞」の性格をもつ)」などという日本共産党の判断は、まさに論外である。なぜなら、上記換算式で計算すると、1億8千万円になり、そんな馬鹿げた「個人向け成功報酬額」はありえないからである。

 

 名越健郎は、上記記事で、「1993年志位談話」を載せた。ソ連を通じた秘密資金問題では、日本共産党も独自調査を行い、93年に志位和夫書記局長名の次のような談話を発表した。「党としてソ連共産党に資金を要請したことはないし、党財政に資金が流入した事実はない。ソ連公文書によれば、五五年二十五万ドルが日本共産党に拠出されたことになっているが、仮にそうした資金の流れがあったとしても、党として要請したり、受け取ったりしたものではない。受け取りの対象となったのは、党に隠れてソ連と内通した野坂参三袴田里見らであり、それはわが党への干渉、破壊の意図と結び付いている」。

 「しかし、この談話には具体的な証拠は示されていない。党の最高指導者で、漬貧な生活を送っていた野坂氏が、巨額の資金を独り占めしたと考えるのは無理があるといえよう」。

 

 この1993年志位談話は、従来から宮本顕治、不破哲三らが弁明してきた内容とまったく同一である。論旨は、武装闘争も、ソ連共産党資金援助の受領も、党分裂時期の「徳田・野坂分派」「袴田」らがやったことであり、(現在の)党はまったく関知しない。(現在の)党にはなんの責任もない、というものである。そこで、その日本共産党弁明のウソを検証する。

 

 第1回、1945年の「?億円」は額が判らないので、除く。また、第5回の「約5億円」は、1963年であり、シベリア抑留期間でないという理由で除き、3回分の「党本部受領」を論証する。

 

 3、3回108億円とも「党本部受領」という状況証拠

 

 〔小目次〕

   第2回、1949年、「共産党カンパ」約21億円の「党本部受領」

   第3回、1951年、世界向け第1次「ソ連資金援助」中、約72億円の「党本部受領」

   第4回、1955年、世界向け第2次「ソ連資金援助」中、約15億円の「党本部受領」

 

 第2回、1949年、「共産党カンパ」約21億円の「党本部受領」

 

 上記計算と換算式の額である。ただ、カンパ拠出率50%、厚生省支給の一律1000円から一人平均100円拠出という基礎推計が変われば、時価総額も変わる。20%前後の一時入党者は、もっと多額を出しているはずである。『抑留記』をいろいろ調べたが、今まで、私のように、こんな推計をした人は誰もいないので、データ不足の式ではある。「マッカーサー文書」には、捜せばなんらかのデータがあるかもしれない。ただ、アメリカ人研究者ウィリアム・ニンモも、その「文書」を調査しているのに、『検証―シベリア抑留』で、カンパ総額推計を書いていない。

 

 この推計総額に一定の変動があるとしても、「党本部受領」については、ほぼ確定的である。「赤旗梯団」33隻の舞鶴帰国の度毎に、代々木参り集団入党式が行なわれた。その歓迎には、ほとんど、徳田球一書記長、野坂参三政治局員、伊藤律政治局員らが出迎えていた。その場で、伊藤律は、「諸君らはよい時に帰ってきた。なぜならば九月までに売国吉田内閣を打倒するからだ」と述べている(『捕虜収容所』P.254)33回の度毎に、党本部が、アクチブ・専従者たちから、多額の共産党カンパ正式に受領したことは、間違いない。

 

 第3回、1951年、世界向け第1次いっせい「ソ連資金援助」中、約72億円の「党本部受領」

 

 1950年6月25日に北朝鮮軍が韓国への武力南進を開始した。朝鮮戦争は、スターリン・毛沢東・金日成が仕組んだ社会主義3国家による侵略戦争だった。スターリンと毛沢東は、後方兵站補給基地日本において、日本共産党を後方かく乱武装闘争に利用し、戦争を有利にする一手段にしようと企んだ。スターリン・毛沢東崇拝・盲従の日本共産党と全党員は、当時の隷従的な党関係の下で、武装闘争指令に巻き込まれた。そこでの約72億円の「党本部受領」は事実であろう。

 

 第4回、1955年、世界向け第2次「ソ連資金援助」中、約15億円の「党本部受領」

 

 宮本顕治は、常任幹部会責任者就任目的のためには、手段を選ばなかった。彼は、ソ連共産党・中国共産党が注文・指令した、すべての条件をのみ、NKVDスパイ野坂参三とトップ・ペアを組んだ。そして、その六全協を「党の統一を一定回復した会議」と、大ウソの宣伝をし、党史の偽造歪曲をした。以上から、1955年15億円党本部受領もまた、完全な事実である。

 

 

 第4期、朝鮮戦争1950年〜67年ソ中両党隷従17年間→決裂

 

 〔小目次〕

   1、朝鮮侵略戦争と日本共産党のソ中両党隷従・指令による「参戦」

   2、戦費支出内訳と収入の自力調達、ソ中両党による戦争資金の援助

      1戦費支出内訳の推計(表3)

      2戦費収入内訳の推計(4、5)

 

 1、朝鮮侵略戦争と日本共産党のソ中両党隷従・指令による「参戦」

 

 1950年6月25日朝鮮労働党・ソ連共産党・中国共産党は、朝鮮戦争を開始した。これは、党独裁・党治国家という社会主義3国家が、世界史上初めて起こした南朝鮮武力統一の侵略戦争だった。日本共産党は、1949年中国社会主義国家成立につれて、ソ連共産党隷従だけでなく、ソ中両党への隷従政党になった。

 

 隷従は、路線・政策・方針だけでなく、党財政面でも、ソ中両党からの資金援助を受けた。もちろん、日本共産党は、戦前・戦後を通じて、その資金援助・党本部受領事実を全面否定してきた。1950年の日本共産党にたいするコミンフォルム批判は、スターリン執筆が証明されている。それは、日本共産党を朝鮮侵略戦争に「参戦」させる目的の秘密指令だった。

 

 しかし、コミンフォルム批判の受け留めをめぐって、日本共産党は、主流派と国際派とに分裂した。朝鮮戦争「参戦」どころではなくなった。しびれを切らしたスターリンは、武装闘争に決起しない日本共産党にたいし、「宮本らは分派」裁定を下した。そのスターリン外圧によって、1951年11月五全協で統一回復をしたというのが、党史の真実である。統一回復は、1955年六全協ではない。

 

 宮本顕治ら国際派中央委員7人全員自己批判・復帰し、統一回復をした五全協武装闘争共産党は、日本国内で、全国的な武装闘争を展開した。その性質は、ソ中両党命令に隷従した日本共産党による、朝鮮戦争の兵站補給基地日本における武力撹乱戦争行動だった。統一回復した日本共産党は、党史上初めて侵略戦争への参戦政党となった。これらの経過は、別ファイルにおいて、詳細な検証をしている。ここでは、第4期における党財政面での隷従ソ中両党からの日本共産党への資金援助時期・額党本部受領データのみを載せる。

 

    『朝鮮戦争と武装闘争責任論の盲点』朝鮮侵略戦争に「参戦」した統一回復日本共産党

    『宮本顕治の「五全協」前、スターリンへの“屈服”』武装闘争実践データ追加

    『嘘つき顕治の真っ青な真実』五全協共産党で中央レベルの活動をした証拠

 

 2、戦費支出内訳と戦費収入の自力調達、ソ中両党による戦争資金の援助

 

 〔小目次〕

      1戦費支出内訳の推計(表3)

      2戦費収入内訳の推計(4、5)

 

 日本共産党「軍」は、傘下の軍事組織・戦闘部隊すべてを、日本全土で出撃させ、朝鮮戦争に参戦した。合法と非合法という半非合法体制を作った。党内実権は、非合法の軍事委員会が握った。それは、朝鮮侵略戦争に参戦する「軍」だった。そして、後方基地武力かく乱戦争行為を、朝鮮半島でたたかう3つのマルクス主義前衛党軍と共同し、朝鮮戦争期間の62%の間、続けた。その1年9カ月間、日本における参戦を遂行するのには、莫大な戦費を必要とした。その支出と収入の推計をする。

 

 ソ中両党は、1955年六全協にたいし、日本共産党が武装闘争の具体的総括をすることの禁止秘密命令を出した。フルシチョフ・毛沢東らは、「極左冒険主義の誤り」というイデオロギー総括だけを許した。当然、朝鮮侵略戦争参戦戦費も完璧に隠蔽させた。以下は、多数の武装闘争データから、その支出戦費額と、戦費収入額を推計した。

 

 1戦費支出内訳の推計(表3)

 

 (1)、武器の購入・製造・使用・保管の費用

 

 中国共産党から、どのような武器が密輸入されたのかは、資料がない。使用された武器は、ほとんどが火炎ビンだった。銃器の使用は、白鳥事件におけるブローニング拳銃一丁だけだった(『回想』66〜81)。別ファイルでのべる火炎ビン使用数百本から見ると、その製造は千本近いと思われる。ブローニング拳銃使用は、白鳥事件だけであるが、川口孝夫証言や『回想』でのピストル廃棄数を見ると、数十丁を保有していたと推測される。戦前のスパイ査問事件のときだけでも、宮本顕治や特高スパイ大泉などが、3丁のピストルを所持していたことは、宮本顕治自身も法廷で認めた歴史の事実である。

 

 別ファイルのように、爆破事件が、未遂も含めて、16件ある。使用・保有ダイナマイトは、数十本になる。ただ、それらの入手方法が、中国共産党からの人民艦隊密輸ルートなのか、非合法ルートの購入か、ダム工事現場などから盗んだものかは、不明である。これらピストル・ダイナマイトなど武器の購入・製造・使用・保管の費用には、千数百万円かかる。

 

 ()、中核自衛隊員・独立遊撃隊員・祖防隊兵士約1万人の毎月の生活・活動維持費

 

 被レッドパージ労働者や学生などからなる日本人共産党員兵士や在日朝鮮人祖防隊兵士らの生活・活動費である。被レッドパージ労働者12000人の中にいた党員のかなりが、中核自衛隊員・独立遊撃隊員になった。祖防隊兵士を含めた彼らは、自己収入がない。参戦期間は、1年9カ月間であるが、レッドパージから六全協までは、約5年間になる。無収入の軍隊兵士全員に、生活・活動維持費を全額支給するのは、常識である。

 

 1950年1月6日コミンフォルム批判当時、日本共産党は、党員数を236000人と発表した。その内、これら日本共産党「軍」の規模はどれだけだったのであろうか。その支給対象となる戦闘部隊・人数を、500隊・1万人と仮定する(『回想』P.37)。1万人×21カ月間×10万円≒210億円になる。5年間で計算すると、1万人×60カ月間×10万円≒600億円になる。軍隊とは、そもそも、消費するだけの完璧な非生産組織である。1万人の日本共産党「軍」を維持し、数年間活動させるには、膨大な浪費を必要とした。

 

 それ以外に、合法「臨中」と非合法軍事委員会の非戦闘要員は、数千人いた。最低でも北京機関関係を除いて、2000人はいた。2000人×60カ月間×10万円≒120億円になる。それらを合わせると、600億円+120億円≒720億円かかった。

 

 ただし、上記はやや機械的な推計である。私の友人である非合法軍事委員や地下活動専従の話では、党中央や県機関から生活費がほとんど渡されず、知人宅で食事をもらったり、墓場のお供え物を食べたりして、活動を続けたとのことである。

 

 ちなみに、現在の日本共産党専従数は、約4000人である。数字の根拠は、別ファイルで書いた。専従とは、革命綱領に基づいて、日本を社会主義国家にする革命運動に専ら従事する職業革命家のことである。私は、1977年日本共産党との民事裁判を提訴して、除名になったとき、40歳で、専従給与は手取り10万円だった。その額は、友人たちと比べると、1/4だった。専従4000人の平均給与は、現在約10万円から15万円である。共産党の専従年間人件費は、4000人×12カ月間×15万円≒72億円かかる。5年間なら、360億円になる。この比較から見ても、日本共産党「軍」1万人5年間人件費600億円は妥当な数値であろう。

 

    『ゆううつなる党派』日本共産党専従数4000人の根拠と活動・生活実態

 

 ()、地下非合法アジト・合法事務所設置費

 

 中核自衛隊・独立遊撃隊は、全国で500隊あった(『回想』P.37)。党員・シンパ個人の家が地下アジトの基本であるが、アジト用借家もかなりある。現在、日本共産党が公表している地区委員会とその事務所は、三百十六ある。当時は、合法の「臨中」事務所と、非合法の軍事委員会事務所とで、二重組織になっていた。2倍の約700カ所という事務所設置・維持費用を、60カ月間推計すれば、約700カ所×10万円×60カ月間≒数十億円になる。

 

 (4)、非合法機関誌・パンフの出版印刷・配布費用

 

 発行号数が判っているのは、3つである。『平和と独立のために』407号、『球根栽培法』22号〜? 『中核』22号〜?である。他の武装闘争指令の機関誌・パンフには、『人生案内』、『山鳩』、『栄養分析表』、『新しいビタミン療法』、『味の粋−たべある記』、『さくら貝』などがある。これらの発行部数と地下印刷所数データは、現日本共産党が持っている。地下印刷所設備を含めれば、十数億円かかる。

 

 (5)、人民艦隊船舶15隻確保・数千人(数百人?)密航の運行費

 

 密航に使った船舶について、大窪敏三は、「大部分が10トン以下の小型発動機船でね。小型船だから、発見されにくいし、またどこでも接岸できる利点があっわけだ」(『まっ直ぐ』P.218)と証言している。亀山幸三は、「地下財政が、かたっぱしから不動産を売り払い、しかも各部門の現金を一切合財党財政へ収奪したが、その大金はどこへいったのかと、非常に不審に思っていた。(中略)。ようやく謎が解けた。それは、六・六の直後すぐ船を買ったのである。その船は少なくとも中国大陸と往復出来るだけのものであり、それに信頼できる船員も何名か雇い入れたのである。(このことは二、三年前に椎野悦朗にも確かめたが、やはり本当であった)(『二重帳簿』P.284)と書いている。れんだいこHPは、具体的に「人民艦隊15隻」と明記している。

 

 北京機関・党学校に密航した千数百人から二千人、北京機関指導幹部数十人や自由日本放送スタッフ50人、その他を合わせると、中国密航日本共産党員の往復のべ人数は、数千人になる。ただ、日本敗戦で、中国人民解放軍に降伏した兵士のうち、毛沢東思想に共鳴し、帰国せずに残留し、党学校に入った日本人もかなりいる。よって、この数字の中には、その兵士たちも含まれる。党学校の3/4が、その兵士たちとする説もある。となると、人民艦隊による密航の日本共産党員数は、数百人レベルになる。しかし、この比率データも、日本共産党が隠蔽している。

 

 密航党員の中には、北京機関指導部以外にも、帰国後、党中央幹部となった立木洋、工藤晃、榊利夫、聴濤弘や、歴史学者犬丸義一らもいた。彼らも、口を閉ざしている他幹部と同じく、「人民艦隊と党学校の秘密は死んでも話さない」という党機密防衛の気概を誇りとする生き方を貫くのであろうか。

 

 れんだいこHPでは、「人民艦隊15隻」とする出典を書いていないが、それは近似値であろう。船舶購入・船員確保とその人件費、上海・日本間の数十回の往復密航費用も膨大である。人民艦隊は、1950年6・6追放後、ただちに結成された。それは、亀山幸三証言から明らかである。東宝撮影所争議後、党中央文化部員になっていた撮影監督宮島義雄が、人民艦隊で中国にまず渡り、中国共産党の「徳田北京密航」命令を持ち帰った。船員の人件費だけを推計する。15隻の船員100人×20万円×60カ月間≒120億円要る。密航党員は、数百人という説もある。しかし、船舶購入、運行費用を合わせれば、この額は、数百億円になる。

 

 ()、北京機関の維持・運営費

 

 北京機関指導部と要員は数十人いた。伊藤律は、北京機関の建物を記している。「その秘密邸宅は北京西郊にあり、周囲は鉄条網を張った高い塀で、中国公安部隊兵が守備している。その後、新築された専用の大邸宅は、幹部用の二階建ビルだった」(『回想録』P.14、28)。戦争指令部幹部、スタッフが数十人いた。北京機関の存続期間は、6年11カ月間である。北京機関の戦争指令・活動費用、数十人×83カ月間の生活費、専用大邸宅の新築費を合わせると、約10億円になる。

 

 ()、北京機関党学校の維持・運営・生活費

 

 そこには、現日本共産党も認めているように、千数百人から二千人がいた。その運営期間は、3年2カ月間である。学校関係者を含め、日本共産党員千数百人から二千人を教育した。「自由日本放送、党学校などの設備や亡命者らの居住、衣服、食事などの費用はすべてソ連と中国が負担した」(『七十年』P.220)。

 

 二千人収容の学校・住居建設費に十数億円かかる。平均1500人×衣服・食事・教育費の時価10万円×38カ月間≒約57億円になる。その他費用を含めると、100億円を超えたであろう。

 

    サンデー毎日『北京機関・党学校』1961年3月号

 

 (8)、自由日本放送局の開設・運営費

 

 自由日本放送局スタッフが50人いた。日本向け短波放送局の運営期間は、3年8カ月間である。作業班30人、電信班20人だった。放送設備、50人体制の居住、衣服、食事などの費用は「すべてソ連と中国が負担した」(『七十年』P.220)。放送設備費に数億円かかる。50人×居住・衣服・食事の時価10万円×56カ月間≒約2.8億円である。概算として5億円とする。

 

 放送設備については、藤井冠次が、『伊藤律と徳田・北京機関』(P.160)で、次のように明言している。この時の放送施設は、いうまでもなく中国共産党の援助と協力によって非公然に開設されたもので、前章(胡同の家)とは別に北京市内にあった。出力は五〇キロ、短波周波数は前記の通り、スタジオの外部は平屋木造建であるが、器材は殆ど当時のラジオ放送国際的技術水準を示すもので、マイクロフォンは英国製ヴェロシティ型であった。

 

 但し、解放後まだ間もないため、スタジオの椅子は布地が破れ、中から綿がはみ出しているし、夏冬ともに冷暖房はないため、夏場は日本製の金属ファンの扇風機を弱でかけ放しにして放送するなど万事非常時型であったが、〈抗米援朝〉の大闘争のさ中ではあり、国内的には、国民経済復興の〈三反運動〉を展開している最中なのだから、これだけの施設を提供してくれたのは、文字通りプロレタリア国際主義の連帯観がなければ到底できないことであった。

 

    藤井冠次『北京機関と自由日本放送』人民艦隊の記述も

 

 これらの支出=参戦期間1年9カ月間を含む5年間戦費総額は、推計で時価数百億円ではきかず、千数百億円になったであろう。

 

(表3) 朝鮮侵略戦争参戦戦費の支出分推計

場所

種類

支出額

総額

 

 

日本国内

1、武器の購入・製造・使用・保管の費用

2、中核自衛隊員・独立遊撃隊員・祖防隊兵士約1万人の毎月の生活・活動維持費+非戦闘部隊専従の5年分

3、地下非合法アジト・合法事務所設置費5年分

4、非合法機関誌・パンフの出版印刷・配布費用

数千万円

720億円

 

数十億円

十数億円

 

 

八百億円

海上航路

5、人民艦隊船舶15隻確保・数千人密航の運行費

数百億円

数百億円

 

中国北京

6、北京機関の維持・運営費

7、北京機関党学校の維持・運営・生活費

8、自由日本放送局の開設・運営費

10億円

100億円

5億円

 

115億円

総額

千数百億円

 

 2、戦費収入内訳の推計(表4、5)

 

 1)、“統一回復”日本共産党による戦費自力調達

 

 (1)、党員・シンパからのカンパ 数十億円

 

 これは、合法的な調達である。1950年4月29日、組織分裂前の6回大会第19回中央委員会は、当時の党員数を236000人と発表した。共産党は、団体規制令により、党員数106693人と、当局に届け出た(『回想』P.277)。1949年の総選挙では、298万人の支持者(得票数)を得て、共産党は35議席になった。その党勢力で集めたカンパ総額は、不明である。

 

 しかし、比較推定できるデータが一つある。2002年の共産党・代々木本部ビル新築において、公表在籍党員数43万人共産党の衆院20議席という党勢力で、「本部ビルへの党員や後援者からの寄付は25億円を上回った」(しんぶん赤旗)。党員一人あたりの寄付額は、5814円である。よって、日本共産党軍の戦費として、時価数十億円の合法的なカンパを集めたと推定される。下記(表)の総計を出す上で、これを便宜的に、本部ビル新築カンパと同額の約25億円とする。

 

 (2)、トラック部隊による会社乗っ取り、計画倒産手法の違法な戦費収奪犯罪 799億円

 

 トラック部隊の存在と戦費調達の犯罪活動は、明白な事実である。最高責任者は、日本共産党中央軍事委員長志田重男で、トラック部隊隊長は、元文化部長で、その後、特殊()財政部長になった大村英之介だった。日本共産党関係者では、その事実を、東京都ビューローキャップ・関東地方委員増山太助第6回大会財政部長亀山幸三の2人が証言している。

 

 とくに、元中央委員亀山幸三は、『戦後日本共産党の二重帳簿』(現代評論社、1978年、絶版)の「第7、8章、特殊財政部の実態(1)(2)」(P.275〜332)において、トラック部隊関係の年表を含め、詳細なデータを挙げ、57ページにわたり、その実態を検証している。彼が財政部長()だっただけに、財政部人脈とその情報を生かして、分析したデータは、特殊()財政部の犯罪事実をかなりの程度まで浮き彫りにしている。ただ、戦費収奪犯罪の総件数・総額については書いていない。

 

 そこで、戦費調達犯罪の全概況を、警察庁資料で見る。「トラック部隊とは、企業会社を拠点として、中小企業を相手に資金を収奪するために行なわれたものである。企業グループ常任指導機関(中央、関西、北海道に特殊財政部指導機関)をつくり、組織的計画的に実施され、詐欺、横領、特別背任、外為法違反等多種多様な不法手段により、企業の乗っ取り、計画的倒産等を行なった。それは、昭和二十六年以降数億円を収奪し、党資金として上納流用した知能的、かつ、悪らつな犯罪である。

 

 このうち、警視庁公安部で処理したものは、犯罪件数三〇九件、検挙人員二五人、被害額三億九、九三七万〇二四五円で、証拠品七、〇〇〇点、参考人調べ二、〇九一人に及んだ。さらに本件の取り調べから、元在日ソ連代表部員ラストボロフ大村英之助の手を通じて、日共へ資金援助をしていた事実も明らかになったのである」(『回想』P.242)

 

 1951年当時の1円は、時価200円・倍に相当する。399370245円×200円≒799億円になる。この全額が、大村英之助経由で、日本共産党中央軍事委員会に渡り、後方基地武力かく乱戦争行為の戦費になった。この戦費調達行為の性格は、まさに、“統一回復”日本共産党が、朝鮮戦争参戦中に犯した戦争犯罪そのものだった。

 

   

 

 )、ソ連共産党が支給した、後方基地武力かく乱戦争行為の戦費の党本部受領

 

 (1)、スターリンが“統一回復”日本共産党に与えた朝鮮戦争の戦費約72億円

 

 (表4)は、『「異国の丘」とソ連・日本共産党』に載せたものの一部である。朝鮮戦争の戦費に該当するのは、「1951年の10万ドル=約72億円」である。当時の1円の時価換算計算式は、そのファイルに書いた。

 

(表4) 朝鮮侵略戦争参戦期間中、ソ連共産党から

日本共産党への資金援助回数と額推計

ソ連援助額

為替レート

当時の1円

現在時価

受領

共産党側弁明

3

4

1951

1955

10万ドル

25万ドル

360

360

200円・倍

16.6円・倍

72億円

15億円

党本部

党本部

「大村領収書」

「北京機関」

35万ドル+?

360

87億円+?

党本部

 

 日本共産党は、次の事実を認めている。「1952年9月6日、ソ連資金を受け取ったという同日付の大村英之助名義の受領証。北京機関の指導下にあったものへの資金援助を証明」(『党史』P.140)。資金額を意図的に隠蔽しているが、それが10万ドルであることは、ソ連の国際的証拠文書で明白である。しかも、その月日には、宮本顕治の五全協前、スターリンへの屈服により、“統一回復”日本共産党になっていたことも事実である。

 

 大村英之助は、正規の日本共産党中央委員会特殊(軍事)財政部長だった。ということは、宮本顕治五全協前スターリン裁定への屈服が判明した現在、『党史』記述内容は、約72億円の党本部受領を、皮肉にも証明したことになる。そして、1952年9月6日の日付は、宮本顕治を屈服させた日本共産党が、後方基地武力かく乱戦争行為を遂行しているさなかだった。約72億円とは、スターリンが日本共産党に与えた朝鮮戦争の戦費だった。

 

    『「異国の丘」とソ連・日本共産党』 ソ連共産党から日本共産党への資金援助回数と額推計

    『宮本顕治の「五全協」前、スターリンへの屈服』

 

 (2)、ラストボロフが大村英之助に渡した45万ドル紙幣≒約324億円

 

 彼の経歴を見る。「ユーリー・A・ラストボロフ 元在日ソ連代表部二等書記官として勤務していたが、実はM・X・Dの中佐であった。第二次大戦以降諜報任務に従事、昭和二十五年日本勤務となり、以来多数の日本人工作員を使用してスパイ活動を行なったが、昭和二十九年一月二十四日ベリヤ粛清の余波におそれて米国に亡命した」(『回想』P.242)。

 

 「さらに、トラック部隊事件の取り調べから、元在日ソ連代表部員ラストボロフが大村英之助の手を通じて、日共資金援助をしていた事実も明らかになったのである」(『回想』P.242)。ここでは、資金額を書いていない。

 

 第6回大会財政部長・元中央委員亀山幸三は、『戦後日本共産党の二重帳簿』で、この疑惑をのべている。1)1951年5月、ソ連人ラストボロフ、大村英之助数十万ドルを渡す、日本円にかえて、一部を原野茂一へわたし、葛飾瓦斯の乗っ取り資金にする」(P.276)。2)「新日本産業新聞重役の安田の弗円交換事件は、いわゆる大村英之助とラストボロフとの四五万弗事件の一翼であったらしい」(P.282)。)「トラックにたいする警察の手入れは迅速にせまってきた。志賀談話の直後の九月一六日にはその責任者であった大村英之助検挙された。大村の次の責任者長橋正太郎はすでに八月二六日に中国へ逃亡していた。ソ連大使館員ラストボロフから四五万弗の弗紙幣を大村が受け取っていたこともその頃暴露された。次々に新聞紙上に出るトラック関係の企業名やトラックメンバーの顔ぶれはほとんどが私の知らないものばかりであった」(P.324)。

 

 「四五万弗を受け取っていたことも暴露された」とは、警察庁発表による新聞報道である。それを時価換算する。45万ドル×為替レート360円×200円・倍≒324億円になる。

 

    事件録『ラストボロォフ事件』

 

 ソ連共産党が隷従下日本共産党に与えた後方基地武力かく乱戦争行為の戦費データが、3つになった。これらが、同一なのか、3回がそれぞれ別個なのかは、闇の中である。

 

 1951年、10万ドル=72億円とは、ソ連と東欧各国が拠出して、資本主義国共産党にいっせい資金援助した中の、日本共産党分の額という国際的証拠文書データである。この額を、“統一回復”日本共産党本部が受領したことは、イタリア、フランスなど他国共産党が、同時期の自党本部受領を認めていることからも事実である。

 

 1951年5月、45万ドル=324億円を、大村英之助ラストボロフから受け取ったことは、警察庁発表による新聞報道から見て、事実と考えられる。

 

 1952年9月6日、ソ連資金を受け取ったという同日付の大村英之助名義の受領証について、現在の日本共産党は、その存在を認めつつも、その受領額を隠蔽している。その時期、宮本顕治屈服によって統一回復をしている以上、日本共産党本部の特殊(軍事)財政部長受領は、完全な事実である。

 

 )、中国共産党が支給した北京機関維持費、後方基地武力かく乱戦争行為の戦費

 

 (1)、北京機関維持・運営費 約10億円 中国共産党が全額負担(ソ連共産党負担割合?)

 (2)、北京機関・党学校 約100億円 中国共産党が全額負担(ソ連共産党負担割合?)

 3)、自由日本放送 約5億円 中国共産党が全額負担(ソ連共産党負担割合?)

 (4)、人民艦隊 中国共産党分担分2億円

 

 現在も、密航用船舶数・船員数・往復回数などは不明である。亀山幸三のいう大金額とともに、トラック部隊の収奪犯罪額799億円も人民艦隊に使ったであろうから、日本共産党が支出した人民艦隊費用は、数百億円になった。中国共産党は、密航費用の一部と、上海での受け入れ設備、上海から北京党学校までの旅費を受け持った。その一人あたりの片道総経費5万円×のべ4000人≒約2億円になる。

 

 ()、後方基地武力かく乱戦争行為の戦費の現金支給 ?

 

 下の(表5)のように、ソ連共産党は、現金による戦費援助として、396億円も、日本共産党「軍」に支給している。それと比べると、中国共産党の支給額が、117億円では、ソ連共産党との差額は、396−117=279億円となり、ちょっと釣り合わない。117億円とは、中国本土内における日本共産党「軍」にたいする戦費支出額だけである。よって、中国共産党のそれ以外の現金戦費援助額は、300億円前後になった可能性がある。

 ソ連共産党と同額と仮定する。となると、日本共産党「軍」の参戦戦費収入総額は、1337+279=1616億円になる。

 

(表5) 朝鮮侵略戦争参戦戦費の収入分推計

種類

収入額

総計

備考

日本共産党

の自力調達

党員支持者カンパ

トラック部隊収奪金

25億円

799億円

 

824億円

2002年党本部新築カンパと同額と仮定

警視庁発表39937万円の時価換算値

ソ連共産党

の戦費援助

1951年援助

ラストボロフ→大村

10万ドル= 72億円

45万ドル=324億円

 

396億円

第1次国際資金援助の日本共産党分

警察庁発表新聞報道「ドル紙幣→円換金」

中国共産党

の戦費援助

北京機関

党学校

自由日本放送

人民艦隊

現金支給

10億円

100億円

5億円

2億円

 

 

117億円

 

ソ中両党軍事命令の国内伝達機関

休戦協定後100億円支給の意図()

国外からの参戦鼓舞アジプロの役割

+中国側の船舶・船員提供数十億円()

+他に現金支給の可能性(279億円?)

日中ソ3党

の戦費総額

 

1337億円

 

+中国共産党の現金支給(279億円?)

 

 熱い戦争に参戦=武装闘争をすれば、お金がかかるのは常識である。ところが、今まで、誰も、日本共産党の参戦戦費支出・収入総額を推計しようとした人がいない。具体的データもない。よって、日本共産党の侵略戦争参戦収入戦費1337億円、または、1616億円の額は、あくまで第1次試算である。日本共産党が参戦状況とそのデータ、戦費額を公表すれば、そちらに書き直す。また、中国共産党が崩壊して、北京機関ファイルが発掘されれば、このデータはもっと正確になるであろう。

 

    『朝鮮戦争と武装闘争責任論の盲点』朝鮮侵略戦争に「参戦」した統一回復日本共産党

    『朝鮮侵略戦争「参戦」戦費の自力調達、ソ中両党による戦争資金の援助』

 

 

 第5期、1980年赤旗部数ピーク355万部〜現在の党財政破綻

 

 日本共産党は、じり貧的瓦解をしているのが、現実である。ほとんどのマスコミ、有権者は、志位和夫による「共産党員毎月1000人急増」というペテン報告に騙されている。ペテンという意味は、()赤旗部数については、増減差引数値報告するのに、()党員数については、急増している党費納入拒否党員数・離党党員数との差引数値隠蔽し、入党数のみによる「共産党躍進」偽装宣伝をしているダブルスタンダード演技を指す。じり貧的瓦解の全面分析は別ファイルで行った。ここには、その一部のみを引用する。

 

    『共産党のじり貧的瓦解4段階経過と第5段階への転落方針』

 

 〔小目次〕

   〔KM生さんからの感想と意見〕、自主独立路線とそこでの党財政面の評価(追加)

   〔段階1〕、赤旗HN歯止めのない28年間減退

   〔段階4〕、赤旗新聞社経営破綻・選挙財政破綻

 

 〔KM生さんからの感想と意見〕、自主独立路線とそこでの党財政面の評価

 

 KM生さんからの感想と意見が次のようにあった。その意見の通りなので、了解を得て、そのまま載せさせていただく。ただ、ソ中両党との決裂→自主独立1966年である。その時点における日本共産党の党財政自立を可能にしたデータがまったく公表されていない。赤旗部数と拡大テンポだけである。その党財政データが発掘・公表された時点で、党財政の分析を追加する。

 

 宮地健一様

 6月1日付貴方のHPの「88年間党財政データ」の項拝見しました。感想を申しますと、66年以後宮顕がいわゆる自主独立路線をとれたのは財政面での中ソからの依存脱却があったからであり、この点に触れないのは議論の公正を欠きます。60年代後半から70年代前半に日本共産党・革新自治体ブームが起こったのは、この点への国民の一定の支持があったからであり、それはそれで評価すべきであります。

 

 むろんそれ自体は、貴方ご夫婦が経験されたような「ただでさえ低い下部専従給与の欠配遅配、ノルマ主義的官僚主義」に支えられたものでしかなかったのですが。そしてこのことは、「今日に至る70年代後半以後の若者の日本共産党離れによる党員支持者の高齢化、革新自治体の転覆、日本共産党国会議席の低迷」に繋がっています。何れにせよ、「財政面での自主独立化確立の歴史と背景、そしてその後の失敗破産」について触れられてこそ、貴方のHPの価値も高まるものと確信します。KM生

 

    『なごみ系掲示板』 『さざ波通信』 KM生の投稿多数

 

 〔段階1〕、赤旗HN歯止めのない28年間減退

 

 赤旗HN読者は、共産党からの大逃散が続いている。すべて党大会報告数値だが、2008年7月数値は、6中総・志位報告の%データに基づく推計である。それは、1980年をピークとし、28年間にわたって、一度も増えた党大会がなく、一貫して減り続けている。355万部−151万部≒204万人、57.4%読者が、共産党から大量離脱した。この減紙データからは、今後とも、赤旗HN部数が、党大会時点で増える見通し絶無と断定できる。1980年以前のデータは別ファイルに載せてある。

 

    『日本共産党の党勢力、その見方考え方』1970年以降のデータ

 

(表6) 歯止めのきかない党勢力減退=読者大量離脱

80

82

85

87

90

94

97

00・9

04・1

061

08.7

大会

15

16

17

18

19

20

21

22

23

24

6中総

HN

355

39

17.7

17.5

286

250

230

199

173

164

(151)

内H

54

50

40

35

(30)

(28)

(26)

内N

232

200

190

164

(143)

(136)

(125)

増減

16

21.3

0.2

31.5

36

20

31

-26

-9

-13.3

 

 2007年12月3日、幹部会・志位報告は、5中総による党勢拡大を柱とする「大運動」データを公表した。そして、赤旗HN部数は、前回05年9月11日総選挙時点党勢にたいし、赤旗H90.5%、N89.8%、いずれも約9%減紙と認めた。

 

 2008年7月11日、6中総・志位報告は、前回05年9月総選挙時点党勢にたいし、赤旗H89.9%・3万部減紙、N89.9%・143万部減紙、いずれも約9%減紙で、HN合計16.8万部減紙と認めた。となると、幹部会以降の7カ月間で、日刊紙Hが増えるどころか、さらに0.6%・1500部減っている。志位和夫は、6中総において、日曜版N前進と報告したが、増加部数を言わないままだった。N89.8%−N89.9%=+0.1%増えたということは、7カ月間の差引で、約1200部増やしたことになる。

 

 2009年5月、「しんぶん赤旗」は、2009年3・4月結果において、赤旗部数が連続減紙と報道した。志位和夫が共産党員は毎月1000人増えていると報告しているのに、赤旗部数が減り出したという奇怪なデータは、何を示しているのか。それは、()入党数を上回って、()党費納入拒否党員数=赤旗購読中止・赤旗配達集金拒否党員数増えている実態を反映したデータとなっている。

 

 それは、党費納入率が下がっている、全力でアップさせよという中間機関向けの書記局通達でも証明された。党費納入率は、志位報告63.0%→63.9%→再びダウン?%してきた。37.0%・14.5万人が、党費納入拒否をしている政党とは何なのか。14.5万人もの離党届・組織離脱申出拒否し続け、それを含め、党員数40万人党大会で報告し続ける政党とは、何か。その本質は、欺瞞的で、カルト宗教団体的な犯罪的組織原則政党ではないのか。日本の有権者・マスコミは、いつまで、このペテン許すのか。

 

 〔段階4〕、赤旗新聞社経営破綻・選挙財政破綻

   01年以降7年間で、党費収入24.6%ダウン、機関紙収入24.0%ダウン

   共産党の財政的瓦解スピードアップのデータ

 

 〔小目次〕

   1、日本共産党政治資金の収入分官報公表データ

   2、党費収入の激減が示すもの=レーニン型前衛党の財政的破綻データ5つ

   3、機関紙誌書籍収入のじり貧的激減が示す赤旗新聞社の経営破綻

 

 1、日本共産党政治資金の収入分官報公表データ

 

 日本共産党HPの政治資金データは、1995年以降の12年間を載せている。1997年はなぜかない。官報公表データの内、収入分のみ()にした。ただ、共産党HPは年間党費納入者数を意図的に削除していて、官報にしかない。その数値は、私が官報から直接調査し、別ファイルに載せた。共産党は、2007年度政治資金データを、9月12日に公表したので、追加した。

 

(表7) 日本共産党政治資金の収入分官報公表データ

党費収入

機関紙誌書籍

収入合計

収支差引

備考(宮地)

1995

13.4

277.9

311.0

+4.6

96

143

270.4

304.0

0.1

党費納入のピーク

98

13.7

272.6

308.5

0.3

99

13.6

256.0

302.3

+3.0

本部ビル建設前の建物資産5319.8億円

2000

13.2

281.1

327.8

11.9

赤旗の年度途中値上げ増収

01

12.6

291.7

342.8

6.5

赤旗年度当初からの値上げ増収

02

12.6

282.1

334.2

14.2

赤字決算数年は本部ビル建設の借入金・支出

03

12.1

260.0

307.1

8.7

04

11.3

251.2

300.6

23.7

05

10.9

240.7

284.1

9.3

06

10.0

230.9

281.9

+10.6

党費・機関紙収入最低建物資産109.2億円

07

9.5

221.5

264.8

+0.7

08912公表

08

099公表の予定

単位は億円、百万円以下は切り捨て。収支差引のマイナスは年度赤字決算

 

    共産党『日本共産党の財政−政治資金収支報告』95年〜06年

    共産党『日本共産党の2007年政治資金収支報告』07年分−08年9月12日公表

    総務省『日本共産党の平成19年度政治資金報告書』定期公表→共産党→1の2頁

 

 総務省への共産党平成18年度・2006年度報告書における党費年間総額と党員数年間延べ総数の正確な数値を書いておく。()党費年間総額10億623万8426円()党費納入党員数数年間延314万2808人である。

 

 総務省への共産党平成19年度2007年度分報告は、2008年9月12日にあった。()党費年間総額9億5138万84268485円()党費納入党員数数年間延310万1919人である。

 

 この(表7)は、資本主義世界で最後に残存するレーニン型前衛党において、()党員の党内離脱=党費納入拒否実態と、()赤旗読者の共産党からの大逃散=赤旗購読拒否実態を、官報公表の財政13年間データによって証明している。

 

 ポルトガル共産党は、犯罪的組織原則としてのDemocratic Centralism・分派禁止規定を手放さないでいるにしても、1974年に、レーニン型前衛党かどうかの試金石とされたプロレタリア独裁理論と実践誤りとして、ヨーロッパの共産党において、最初に放棄宣言をした。フランス共産党は、各党大会において、民主主義的中央集権制・プロレタリアート独裁理論・マルクス主義3つとも誤りだったとし、明白な放棄宣言をした。最後に残存という意味は、21世紀資本主義世界において、レーニン型前衛党の5原則を隠蔽・訳語変更しつつ欺瞞的な全面堅持をしている日本共産党しか残存していないという現実のことである。

 

 2、党費収入の激減が示すもの=レーニン型前衛党の財政的破綻データ5つ

 

 〔財政的破綻データ1〕、13年間の収入ピークは1996年の143億円である。最低は2007年9.5億円になった。13年間で、−3.9億円・29.1%減った。この激減比率はきわめて高い。具体的な党員数は、別ファイルで計算した。

 

 〔財政的破綻データ2〕、共産党HPが意図的に削除・隠蔽している党費納入党員数の比較をしてみる。1998年度官報の党費納入党員数は26万5269人である。2007年9月5中総で志位和夫は、党費納入率激減%を報告し、それにより、党費納入率63%=党費納入党員数が25万4708人に減ったと証言した。比較年度がややずれるが、07年25万4708人−98年26万5269人=13年間−10556人・−4となり、それらが離党を拒絶され、党員在籍のままで党費納入拒否をする党内離脱・幽霊党員となっていることになる。

 

 〔2つのデータからの疑惑〕、ただ、これら2つのデータのがかけ離れている。〔データ1〕は、共産党HPなので、正確と思われる。というのも、政治資金規正法による総務省への正式報告なので、金額面をごまかせば、罰則に該当するからである。しかし、29.1%も党費収入が減っているのに、党費納入党員数が4%減という数値は釣り合わない。となると、真相は、党費納入党員数29.1%減っているのではないか、官報での党員数だけはごまかしているのではないかという疑惑が発生する。私の共産党専従体験からも、個人別党費額13年間−29.1%も下がることはありえないからである。

 

 党費収入と党費納入党員数とは、基本的に比例すると考えられる。となると、98年党費納入党員数265269人×70.9%2007年度党費納入党員数188075人となる。() 以前は28万人と推計していた。()5中総における党費納入率激減63.0%志位報告によって25万人と訂正した。()それが約19万人になるのだろうか。

 

 3、機関紙誌書籍収入のじり貧的激減が示す赤旗新聞社の経営破綻

 

 機関紙誌書籍収入は、()赤旗日曜版、()赤旗日刊紙、()月間雑誌数誌、()新日本出版社書籍からなる。ただ、黒字()日曜版だけである。()日刊紙は筆坂秀世も証言しているように恒常的赤字になっている。()は以前10誌を赤字による廃刊にしたように、『前衛』を含めほとんどが赤字である。()書籍も不破哲三のレーニン賛美著書など多数が赤字出版である。

 

 よって、()日曜版収入の激減推移として、赤旗新聞社経営破綻を検証する。それを赤旗の料金値上げ時期の前と後に分ける。

 〔値上げ前〕、1995年〜99年の5年間

 99年度256.0億円−95年度277.9=5年前比−21.9億円・−7.9%の年間減収になった。比較時期がややずれるが、赤旗日曜版Nの党大会報告数は、2000年164万部−1994年200万部=6年前比−36万部・18%減った。機関紙収入のじり貧的減少と赤旗HNの歯止めのない減退とは比例している。その経営破綻に直面し、不破・志位・市田らは、2000年途中から、赤旗HNのカラー写真化を名目にし、赤旗料金値上げを決行した。

 

 〔値上げ後〕、年度当初からの値上げ2001年〜07年の7年間

 07年度221.5億円−01年度291.7億円=7年前比−70.2億円・24.0%の年間減収になった。比較時期がややずれるが、赤旗日曜版Nの党大会と07年5中総報告数は、2000年9月164万部−2007年5月120万部=7年前比−44万部・27%減った。値上げ後も、機関紙収入のじり貧的激減と赤旗HNの歯止めのない減退とは比例している。値上げ増収効果は、瞬く間に消えた。

 

 〔通算〕、1995年〜07年の13年間

 07年度221.5億円−95年度277.9億円=13年前比−56.4億円・20.3%の年間減収になった。黒字の赤旗日曜版が今後とも増加見通しが絶無なので、赤旗新聞社の収入合計が増えることはもはやない。今後10年間新聞社経営は破局を迎える。全般的な経営破綻に陥り、10雑誌廃刊を含む機関紙誌の経費節減程度では追いつかない。職業革命家の党というレーニン『なにをなすべきか』理論に基づく4000人専従体制のリストラも始まった。

 

 それら13年間に及ぶ赤旗新聞社経営じり貧的瓦解データの当然の結果として、選挙財政も破綻した。316地区機関が、300小選挙区立候補を支え、供託金300万円事前準備するシステムも財政的に破滅した。不破・志位・市田らは全小選挙区で候補者を決定せよと指令してきた。しかし、小選挙区供託金300万円自力で公示前に調達できる地区機関は激減した。

 

以上  健一MENUに戻る

 〔関連ファイル〕

    渡部徹  『一九三〇年代日本共産党論−壊滅原因の検討』

    田中真人『一九三〇年代日本共産党史論−序章とあとがき』

           『日本反帝同盟の研究−共産主義運動と平和運動』

    『じり貧的瓦解4段階経過と第5段階への転落方針』08年7月6中総方針の表裏

    『共産党じり貧的瓦解〔段階4〕赤旗新聞社経営破綻・選挙財政破綻』

         01年以降7年間で、党費収入24.6%ダウン、機関紙収入24.0%ダウン