北朝鮮拉致事件と共産党の意図的な無為無策路線

 

『不破議長に聞く』が逆証明した金正日擁護の参院選政策

 

(宮地作成)

 

 〔目次〕

   1、社会主義国家犯罪体験と日本国民の認識激変

   2、共産党の拉致事件政策にたいする有権者の認識変化過程

   3、不破哲三・緒方靖夫がすぐできるのに、絶対やろうとしないこと

   4、意図的な無為無策路線と有権者の7月参院選審判

     1)北朝鮮拉致事件解決のための具体的行動実績、妨害行為の存否

     2)前提条件なしの交渉開始の国会質問、北朝鮮への提案とその性格

     3)拉致被害者家族・家族会との直接接触を一貫して拒絶

     4)日朝首脳会談以後の沈黙を「節度」とすりかえる不破式詭弁

     5)六カ国協議への丸投げによる無為無策路線の言い訳

     6)いかなる制裁措置・法案にも反対の無為無策路線とその本質 社民党の意見大分裂

     7)北朝鮮型社会主義崩壊の恐怖に怯える不破哲三

     8)『不破議長に聞く』パンフ販売運動と有権者の7月参院選審判

 

 (関連ファイル)         健一MENUに戻る

    共産党『どう考える 北朝鮮問題 不破議長に聞く(4)』六カ国協議をどう見るか[1.7]

         『どう考える 北朝鮮問題 不破議長に聞く(3)』日本共産党の態度(2)[1.6]

         『どう考える 北朝鮮問題 不破議長に聞く(2)』日本共産党の態度(1)[1.5]

         『どう考える 北朝鮮問題 不破議長に聞く(1)』外交目標を“複眼”でみる[1.4]

    共産党『北朝鮮問題』2002年8月からの北朝鮮関連発言・記事

 

    『北朝鮮拉致(殺害)事件の位置づけ』朝鮮労働党と在日朝鮮人、日本共産党

    『拉致事件関係ファイル・リンク』健一MENU

    加藤哲郎『拉致・核開発問題リンク集』

    中野徹三『国際刑事裁判所設立条約の早期批准を』拉致被害者救済のために

          『共著「拉致・国家・人権」の自己紹介』藤井一行・萩原遼・他

    藤井一行『日本共産党と北朝鮮問題』萩原遼への措置、兵本達吉への批判・除名

    黒坂真  『日本人拉致問題と日本共産党』北朝鮮批判・共産党批判ファイル多数

    れんだいこ『日朝政治史「拉致事件」考』

 

    朝日『拉致事件』 『核問題』 読売『北朝鮮』 毎日『北朝鮮』 日経『拉致問題』

    RENK『救え!北朝鮮の民衆』 RENK『東京』

    HP『朝鮮民主主義研究センター』 『北朝鮮問題リンク集』

    HP『北朝鮮難民救援基金』 『カルメギ』 『北朝鮮に情報公開を求める市民の会』

    Yahoo『朝鮮総連と拉致事件』 『朝鮮総連と帰国事業』 『朝鮮総連と朝鮮労働党』

    Google『朝鮮総連』 『朝鮮総連と朝銀問題』 『朝鮮総連と日本共産党』

 

 1、社会主義国家犯罪体験と日本国民の認識激変

 

 〔小目次〕

   1、ヨーロッパにおける社会主義・前衛党の国家犯罪体験と国民の認識変化

   2、マルクス主義前衛党犯罪にたいする日本有権者の間接的体験

   3、東方の島国日本における2回目の社会主義国家・前衛党の国家犯罪体験

 

 1、ヨーロッパにおける社会主義国・前衛党の国家犯罪体験と国民の認識変化

 

 ヨーロッパが、東方の島国日本と決定的に異なる政治的・地政学的環境の一つは、ソ連・東欧と地続きで、そこには、亡命者が数百万人いることである。ロシア革命当時の亡命者約200万人、さまざまな東欧動乱時の数十万人ずつの亡命者である。とくに、1970年代以降、ソ連・東欧社会主義の停滞が表面化する中で、その絶望的な腐敗マイナス情報が、ヨーロッパに大量に直接流入した。ソ連・東欧10カ国における権力を握ったマルクス主義前衛党の腐敗・硬直体質は、再生不能の域に達してきた。

 

 その直接情報を通じて、ヨーロッパ資本主義国民・有権者の社会主義国・レーニン型前衛党に関する認識は、リアルになった。それは、犯罪的国家・人権抑圧・自国民大量殺人の共産党という判定である。イタリア共産党・フランス共産党・スペイン共産党・イギリス共産党は、国民の認識レベルの圧力を受けて、かつ、自らの直接間接体験によって、前衛党存在価値への危機感を募らせた。その共産党じり貧的崩壊の恐怖から生まれたのが、コミンテルン型共産主義運動の再生・刷新を求めた、1970年代のユーロコミュニズム運動だった。

 

 しかし、ヨーロッパ諸国有権者の共産党認識レベルの圧力によって、各国共産党の党勢力、選挙得票数は、歯止めのない減退を続けた。その結果、北欧を含むすべてのヨーロッパ共産党が、マルクス・レーニンのプロレタリア独裁理論・暴力革命理論は、完全に誤った犯罪的理論と実践だったとして、公然と放棄宣言した。ポルトガル共産党を除いて、すべての共産党が、レーニンのDemocratic Centralismは、「党の統一を守るのには役立ったが、党内民主主義を抑圧・破壊する誤った組織原則だった」と、これも公然と放棄した。フランス共産党は、党名だけ残っているが、プロレタリア独裁理論とDemocratic Centralism、マルクス主義の放棄宣言をしているので、もはやレーニン型共産党ではなくなっている。

 

 それらのレーニン型共産党は、マルクス・レーニン主義理論と断絶して、社会民主主義政党になるか、解党した。社会主義運動に関する一つの歴史的解釈がある。それは、ヨーロッパ社会主義運動の長い歴史から見れば、社会民主主義的傾向が主流だったのを、そこから、レーニンらが暴力革命・武装蜂起権力奪取を唱え、一分派として、社会主義運動を分裂させ、コミンテルン型共産主義運動を創設したという見方である。レーニン・ボリシェヴィキの側こそ、犯罪的な暴力革命分派だった。分裂した暴力革命分派が、自らの自国民大量殺人犯罪・前衛党腐敗によって内部崩壊し、本来の社会民主主義的潮流に再統合したというのが、その内容である。

 

 もっとも、まだ、4カ国の残存する社会主義国・共産党と、高度に発達した資本主義国において唯一残存する日本共産党がある。ヨーロッパでの終焉にもかかわらず、なぜ、アジアにだけ、レーニン型共産党が、4党も、生き残っているのかについては、別ファイルで分析した。

 

    『コミンテルン型共産主義運動の現状』ヨーロッパでの終焉とアジアでの生き残り

 

 2、マルクス主義前衛党犯罪にたいする日本有権者の間接的体験

 

 東方の島国日本には、ヨーロッパのように、ソ連・東欧からの亡命者はまるでいない。そこからの情報は、出版物による間接的なものである。1989年〜91年の東欧・ソ連崩壊以前、日本では、まだ、社会主義神話・レーニン神話が有力で、政治学・歴史学・経済学分野では、マルクス主義者、共産党員が大きな影響力を持っていた。

 

 しかし、東欧革命・ソ連崩壊後、日本の1億261万有権者の社会主義国・前衛党の国家犯罪に関する認識は、ヨーロッパなみにリアルになってきた。それまでの情報も含めて、テレビ映像・新聞雑誌・書籍を通じて、権力を握ったマルクス主義者たちによる共産党犯罪情報が溢れ出た。

 

 (1)、スターリンの4000万人粛清=逮捕、拷問、銃殺、強制収容所送り、囚人労働などの驚くべき共産党犯罪の実態である。

 (2)、毛沢東の文化大革命における数百万人殺害犯罪、数百万人餓死、下放運動の戦慄的な体験も明らかにされた。

 

 (3)、東ドイツの秘密政治警察シュタージの規模、ルーマニアの秘密政治警察セクリターテの恐怖の全国民監視システムの完備などである。とりわけ、シュタージ職員は、東ドイツ市民1600万人中、数十万人を抱え、その公式・非公式のシュタージ協力員は、最低でも200万人いたと推定された。成人市民においては、5、6人に一人の割合で、共産党が全国民監視網を張り巡らした恐怖の犯罪国家だった。

 

 (4)、ソ連崩壊後、レーニンの犯罪が、「レーニン秘密資料」・膨大なアルヒーフ(公文書)公開によって、暴露された。レーニンは、権力奪取1カ月後に、秘密政治警察チェーカーを創設し、その3年後、28万人体制に拡大した。私の推計では、レーニンは、彼の誤った路線に抵抗・批判した自国民を数十万人殺害するという前衛党犯罪を強行した。殺害対象は、レーニンの一党独裁政権の誤りに抵抗したすべての勢力だった。農民・労働者・兵士・聖職者・知識人などすべての階層数十万人を、殺害・銃殺・強制収容所送り・国外追放したという前衛党犯罪である。レーニンの大量殺人犯罪に関する詳細は、7つの別ファイルで分析した。

 

    『「ストライキ」労働者の大量逮捕・殺害とレーニン「プロレタリア独裁」論の虚構』

    『「赤色テロル」型社会主義とレーニンが「殺した」自国民の推計』

    『「反乱」農民への「裁判なし射殺」「毒ガス使用」指令と「労農同盟」論の虚実』

    『レーニン「分派禁止規定」の見直し』逆説・1921年の危機

    『ザミャーチン「われら」と1920、21年のレーニン』クロンシュタット水兵反乱関連

    『聖職者全員銃殺型社会主義とレーニンの革命倫理』

    『「反ソヴェト」知識人の大量追放「作戦」とレーニンの党派性』

 

 東欧革命・ソ連崩壊後の間接的情報による体験は、日本有権者のマルクス主義前衛党認識・社会主義国家認識にどのような変化をもたらしたのか。

 

 まず、権力を握ったマルクス主義者・政党は、マルクスの根本的に誤ったプロレタリア独裁理論に基づいて、少数派権力の維持・強化のために、必然的に自国民の秘密政治警察的監視と大量殺人に行きつくという政党認識である。そして、社会主義国家とは、犯罪国家システムだったという認識である。

 

 ソ連・東欧10カ国とそのマルクス主義前衛党の崩壊を受けて、資本主義ヨーロッパでは、共産党がドミノ的に崩壊・大転換・解党した。宮本・不破は、ヨーロッパなみの共産党崩壊の恐怖に恐れ慄いて、さまざまな詭弁で、危機脱出を図った。「ソ連の崩壊をもろ手を挙げて歓迎する」「10カ国は社会主義でなかった」「社会主義への道を踏み出した国ぐに」「資本主義を離脱した国ぐに」なとどと、意味不明で、非科学的な日本語を使って、生き残った。

 

 しかし、日本の有権者・マスコミは、崩壊した10カ国・残存する4カ国を、「社会主義国家・マルクス主義前衛党」と、今も思っている。不破式の詭弁日本語を使う有権者やマスコミはいない。党費納入28万党員でも、「社会主義をめざす国ぐに」と言う人は、共産党専従4000人以外にはいない。これらの日本語は、共産党中央と専従だけが、恣意的に用いる詭弁である。

 

 3、東方の島国日本における2回目の社会主義国家・前衛党の国家犯罪体験

     シベリア抑留事件と北朝鮮拉致事件という直接体験

 

 第1回目、シベリア抑留60万人拉致・6万人極寒(マローズ)殺人事件

 

 これは、1945年日本敗戦から56年にかけて、スターリン・ソ連共産党が行なった、日本人60万人シベリア抑留・大量拉致犯罪、未必の故意による6万人のシベリア極寒(マローズ)殺人犯罪だった。当時の日本共産党は、ソ連共産党に完全従属状態で、これに批判せず、むしろその犯罪を擁護した。犯罪弁護人は、徳田球一・宮本顕治・野坂参三ら共産党トップメンバーである。それどころか、ソ連共産党の支援政策により、日本共産党は、シベリア抑留帰り入党者数千人、数億円の抑留者からのカンパを代々木党本部で受け取るという、シベリア抑留によって具体的な恩恵を受けた唯一の政党となった。

 

    『「異国の丘」とソ連・日本共産党』60万人シベリア抑留・6万人殺人犯罪

 

 このシベリア抑留体験が風化しかかかっていたのを、再提示したのが、劇団四季のミュージカル『異国の丘』だった。もちろん、これは、ヒューマニズム精神に基づく創作で、反共的意図で作られたものではない。しかし、この『異国の丘』は、若い有権者に、社会主義国家と共産党の犯罪事実を再認識させる上で画期的な意義を持っている。

 

 シベリア抑留・6万人極寒(マローズ)殺人は、日本国民が直接体験した初めての社会主義国家犯罪だった。それによって、その家族・親類を含めれば、数百万人が、社会主義ソ連は犯罪国家であり、ソ連共産党は犯罪政党であるとの具体的認識を持った。

 

 第2回目、北朝鮮拉致(殺害)事件による認識激変

 

 シベリア抑留は、59年も前の60万人拉致・6万人殺人事件であるが、北朝鮮拉致事件は、現在、未解決で進行中の事件である。これは、中学生の横田さんを初め、数十人から百数十人拉致という社会主義国家北朝鮮・朝鮮労働党・金正日による国家犯罪・前衛党犯罪として、国民的怒りを呼び起こした。

 

 別ファイルでも書いたが、この犯罪と日本の朝鮮植民地化による国家犯罪とは、まったく別問題であり、次元が違う。この事件が全面解決すれば、それにたいする謝罪と補償をすることは、当然のことである。その規模とスタイルは、韓国に行なったのと同じやり方になる。

 

    『北朝鮮拉致(殺害)事件の位置づけ』

 

 ヨーロッパでは、ソ連・東欧からの数百万人の亡命者たちが、社会主義国家・マルクス主義前衛党の権力犯罪行為と欺瞞性を、自らの直接体験として、ヨーロッパ諸国民に伝えた。今日、日本では、帰国した5人とその家族、未解明の百数十人の社会主義国家犯罪の被害者とその家族がいる。

 

 東欧革命・ソ連崩壊後では、これが、日本の1億261万有権者が、社会主義国家と社会主義政党の犯罪を直接体験した初めての事件である。この認識規模と怒りの深さは、日本国民によるマルクス主義前衛党犯罪の認識史上空前のスケールになっている。有権者のこれに関する認識レベルを、朝鮮労働党と同体質の日本共産党、不破・志位らがどう受け止め、どう対応してきたのか、および、有権者の共産党認識がどう変化してきたのかについて検討する。

 

 

 2、共産党の拉致事件政策にたいする有権者の認識変化過程

 

 1945年敗戦以降における日本共産党と朝鮮労働党との長期の全般的な関係経過については、別ファイルで分析した。このファイルでは、視点を限定する。それは、北朝鮮拉致事件とそれにたいする日本共産党の対応の経過、および、有権者の日本共産党への認識変化過程という分析である。これは、2004年まで、4つの時期に分類できる。

 

 〔小目次〕

   〔第1期〕1972年〜96年、朝鮮労働党との関係断絶期、拉致犯罪大量発生期

   〔第2期〕1996年〜2002年9月17日、水面下関係回復期、断絶からの路線転換

   〔第3期〕9月17日〜2003年11月、日朝首脳会談から総選挙惨敗の1年2カ月間

   〔第4期〕2004年1月〜7月11日、『不破議長に聞く』シリーズから参院選投票日

 

 〔第1期〕1972年〜96年、朝鮮労働党との関係断絶期、拉致犯罪大量発生期

 

 1972年、金日成個人崇拝運動の日本共産党への強要、分派工作。朝鮮労働党との関係断絶

 北朝鮮国内における金日成個人崇拝運動とともに、朝鮮労働党は、日本のあらゆる政党・団体にも、60歳誕生日贈り物運動を強要した。すべての政党とともに、共産党にたいしても、党本部だけでなく、全都道府県委員会・地区委員会事務所にも、直接乗り込んで強要した。共産党系の民主団体のすべてにも強要した。その尖兵となったのは、朝鮮総連である。朝鮮総連は、朝鮮労働党の日本出先機関であり、その幹部はほぼ全員が、朝鮮労働党党員である。総連内部の非公然組織「学習組(がくしゅうそ)」は、明白な朝鮮労働党日本支部で、現在も総連活動の全権力・全人事を握っている。

 

 贈り物運動だけでなく、金日成の主体思想を絶賛し、日本国内での讃美者拡大運動も展開した。日本共産党員にも、金日成支持者を作ろうと画策した。これは、ソ連共産党・中国共産党による日本共産党にたいする内政干渉・分派結成策動に次ぐ、3回目の権力を握ったマルクス主義前衛党の犯罪行為だった。自国共産党こそ、真理を認識・体現している世界唯一・最高の共産党であるという、うぬぼれ思想は、レーニン型前衛党のすべてが保有する体質である。レーニンが創作した前衛党理論こそ、さまざまな共産党犯罪の思想的根源となった。

 

 1972年、朝鮮労働党分派疑惑に基づく、「新日和見主義分派」事件のでっち上げ

 宮本顕治は、ソ連共産党・中国共産党・朝鮮労働党との共産主義友党関係を、すべて断絶した。彼は、日本共産党内に、明確に作られ、資金援助も受けたソ連共産党分派、中国共産党分派の全員を粛清した。彼は、その経験則に依拠して、党内に朝鮮労働党分派が結成されたか、されようとしているとの強迫観念に囚われた。そこから、党中央と異なる理論・見解を書くジャーナリスト・学者や党中央路線から外れたような大衆闘争重点の運動をする共産党系民主団体を、すべて分派疑惑の対象にした。異論・異端分子を探り出す彼の嗅覚は、天才的だった。

 

 疑惑の影を持つ党員たちとして、彼の視覚に映ったのは、ジャーナリスト高野孟・評論家川端治2人と、民青中央グループの半数・川上徹や全学連グループだった。党中央委員では、広谷俊二だった。宮本顕治は、念入りな事前調査を自らも行ない、自分の感性・嗅覚を過信して、彼らを、朝鮮労働党分派グループと断定した。それによる数百人のいっせい監禁査問と100人の党員権1年間停止処分・民青幹部追放は、宮本顕治による対民青クーデターだった。このでっち上げ党内犯罪については、別ファイルで分析した。

 

    『「新日和見主義分派」事件』600人査問・100人処分の冤罪・粛清犯罪

 

 1977・78年、北朝鮮拉致事件が頻発

 拉致犯罪の目的・背景については、別ファイルの通りである。拉致被害者家族が訴えても、外務省・政府・マスコミは、まったく取り上げようとしなかった。

 

    『北朝鮮拉致(殺害)事件の位置づけ』

 

 1987年11月、大韓航空機爆破事件

 1988年1月、日本共産党宮本顕治が、「それは、北朝鮮が起した事件」と指摘

 この北朝鮮犯罪の指摘は、マスコミの注目を集めた。ただ、彼の発言は、関係断絶期だったからできたことである。

 

 1987、88年、共産党参議院議員橋本敦の国会秘書兵本達吉の独自調査活動

 兵本達吉は、橋本敦議員秘書を20年間していた。党と議員の了解の下に、彼は、拉致被害者家族、警察を独自調査し、拉致は北朝鮮の犯罪との確信を持った。フジテレビ『拉致ドラマ』は、その真相に迫った最初の3人の活動をリアルに描いた。

 

    Google検索『フジテレビの拉致ドラマ』拉致ドラマと日本共産党

            『兵本達吉』北朝鮮拉致事件と兵本達吉と除名理由

 

 1988年3月、共産党参議院議員橋本敦の国会質問

 橋本参議院議員は、兵本達吉秘書の詳細な調査データに基づいて、2人で質問項目を準備し、参議院で具体的に拉致問題を質問・追及した。梶山国家公安委員長は、「北朝鮮による拉致の疑いが濃厚」と回答した。

 

 朝鮮労働党との共産主義友党関係断絶期だったので、()宮本顕治による「大韓航空機爆破は北朝鮮が起した事件」との指摘、(2)兵本秘書による独自調査・家族会結成活動、()兵本調査データによる橋本参議院議員の国会質問・追及ができたと言える。ただ、「赤旗」やマスコミも、それらをスクープとしては、取り上げなかった。有権者も、真相が分からず、拉致被害者家族は、孤立無援の状況に置かれたままだった。有権者の日本共産党認識も、この関係断絶期間、朝鮮労働党・金正日との関係という面で、とりたてての変化はない。

 

 〔第2期〕1996年〜2002年9月17日、水面下関係回復期、断絶からの路線転換

 

 〔第2期〕にたいする基本視点、日中朝3党関係回復の見方考え方

 

 この時期は、日本共産党側から分析するだけでは、一面的になる。この期間のすべての動向を、日本共産党・中国共産党・朝鮮労働党という日中朝3党の共産主義友党関係回復面から国際的に把握することが必要である。3党それぞれの思惑=党利党略が、表面上・水面下の関係回復を進行させた。ベトナム共産党は、ソ連共産党認識でかなり異なるので、3党関係から外された。

 

 ソ連・東欧10カ国崩壊とその前衛党壊滅、資本主義ヨーロッパにおけるコミンテルン型共産党運動の終焉は、国際共産主義運動を完全崩壊させた。ソ連・東欧崩壊が暴露したことは、レーニン型共産党と国際共産主義運動とは、名目上の平和・友党関係とは裏腹で、一種の国際的な犯罪・収奪関係だった。各党関係の本質は、それぞれの党利党略・打算が最優先された、仁義なき利権獲得・収奪闘争、自国・自党路線の押し付け闘争だったということである。国際支援活動には、その裏側に、党利党略、権力を握ったマルクス主義者たちの国利国略と支援規模に見合うレベルの取引があったことを、崩壊した歴史が具体的なデータによって証明した。

 

 国際共産主義運動のあまりもの完全崩壊とその継続は、東アジアに残存する2つの一党独裁型社会主義国・前衛党と高度に発達した資本主義国において唯一生き残っている日本共産党にとって、やはり不利であるとの共通認識が、日中朝3党間に芽生えてきた。3党間の党利党略に基づく、水面下の腹探り合いと交渉が、数年間、秘密裏に行なわれた。その秘密交渉で、とりあえず合意したことは、近い将来の共産主義友党関係回復時期に向けて、相互の批判言論・批判行為を自己規制しようという、汚い取り決めだった。

 

 3党の党利党略は、どのような内容だったかを検討する。

 ()、日本共産党

 日本共産党は、1980年以来、歯止めのない党勢力減退を続けていた。不破哲三・国際局長緒方靖夫の側は、それをなんとか食い止める一つの手段を、国際的孤立からの脱出としての日中朝3党関係の復活に求めた。それによる国内の共産党支持者やマスコミ関係にもたらす柔軟路線利益について、狸の皮算用をした。ただ、金正日が、2002年9月17日、北朝鮮拉致事件を認めたことは、大誤算で、一党独裁型前衛党国家の犯罪的本質と実態について、完全に読み誤った。それにたいする日本の1億261万有権者の強烈な怒りと、それが水面下関係回復をした日本共産党にも直接向けられることについても、傲慢な無知ぶりをさらけ出した。

 

 ()、中国共産党

 中国とは、中国共産党が私的所有している反民主主義的な一党独裁国家である。しかも、ベトナムと並んで、事実上崩壊した社会主義である。国家の基本的性格は、社会主義経済体制が崩壊した、共産党一党独裁型の資本主義国家である。中国政府の国際政策は、中国共産党の路線に完全従属したものである。中国にとって、国際問題の一つの悩みは、北朝鮮の暴発と国家崩壊である。

 

 朝鮮戦争の血友同盟があるにしても、金正日の核開発とそれを使った体制温存の核脅迫政策は容認できない。ソ連崩壊後、ソ連からの支援が途絶えて、中国からだけの援助だけでは、経済崩壊を支えきれない。十数万人の現脱北者問題だけでなく、北朝鮮が崩壊したら数百万人の難民流入という危機が目に見えている。崩壊を救えるのは、日本のお金だけである。対韓国レベルの経済援助額を現在時価に直すなら1兆円≒100億ドルが、金正日の手に渡る。

 

 「前提条件なしで、日朝正常化交渉を開始せよ(=早く100億ドルを渡せ!)」という日本世論を形成する上で、その先頭に立つはずの日本共産党との共産主義友党関係回復は、緊急課題に浮上してきた。しかし、「邪魔者」は宮本顕治である。彼は、日本共産党にたいする分裂工作・分派活動について、中国共産党がきちんと自己批判表明をすることを、絶対必要条件と固執する、当時を体験した頑固者だった。彼が、なんらかの形で倒れるまでは、自己批判抜き・棚上げのままでの、虫のいい関係回復は成立できない。ところが、中国共産党と不破哲三双方にとって、まことに都合よく、1997年、宮本顕治が脳梗塞で倒れ、再起不能に陥った。

 

 ()、朝鮮労働党

 北朝鮮とは、朝鮮労働党・金正日が私的所有している犯罪的な一党独裁軍事国家である。その国家の7つの特徴は、別ファイルで分析した。金正日・北朝鮮の唯一・最大の国家目的は、いうまでもなく、金正日犯罪体制の維持・国際的体制保証である。そして、経済崩壊を救えるのは、日本の1兆円≒100億ドルしかないと、喉から手が出るほど、欲しがっている。そのためには、中国共産党の党利党略と同じく、「前提条件なしで、日朝正常化交渉を開始せよ」という日本世論を形成する上で、その先頭に立つ日本共産党・不破哲三の利用価値が増大した。

 

 1996年暮、橋本参議院議員秘書兵本達吉の拉致問題調査・家族会結成動向への嫌がらせ

 兵本秘書は、橋本議員の了解の下に、拉致犯罪調査・拉致被害者家族会の結成をする行動を活発化した。それにたいして、党中央国際部・書記局・国会対策部は、彼を、何回も呼び出し、質問し、報告文書提出要求をした。彼は、それを通じて、党中央が、それ以上の北朝鮮拉致犯罪調査・家族会結成活動を中止せよとの嫌がらせだと悟った。

 

 この時期、日中朝3党関係回復の水面下交渉が当然始まっていた。この嫌がらせは、不破哲三・国際局長緒方靖夫らによる北朝鮮拉致事件批判・摘発活動の自己規制犯罪の一環として、位置づけられる。

 

 1997年9月前、宮本顕治が脳梗塞で倒れ、党活動再起不能→不破哲三らが彼に引退強要

 1997年9月、第21回大会で不破体制に移行、不破グループが宮本秘書団私的分派の解体に成功

 この経過については、2つの別ファイルで検討した。

 

    『不破哲三の宮本顕治批判』〔秘密報告〕日本共産党の逆旋回と4連続粛清事件

    『不破哲三の第2回・宮本顕治批判』〔秘密報告〕

 

 1998年6月21日、中国共産党との共産主義友党関係を正常化

 1998年7月21日、北京で、不破哲三と江沢民総書記との会談

 ソ連・東欧10カ国崩壊によって、国際共産主義運動も、完全崩壊していた。日本共産党も、国際的に完全孤立状態にあった。新議長不破哲三は、東アジア版コミンテルン型共産主義運動の再建・復活の野望に乗り出した。孤立からの脱却路線である。中国共産党側の党利党略とも一致したことによる、華麗なる共産主義友党関係回復の手打ち式だった。

 

     加藤哲郎『世代かわって柔軟路線』日中共産党和解

     朝日『脱「孤立」柔軟路線』日中共産党和解

 

 問題は、中国共産党との正常化交渉・成立のテーマの一つとして、日本共産党と朝鮮労働党との共産主義友党関係も正常化するという課題が、どう話し合われたかということである。1998年時点、北朝鮮拉致事件は、まだ一部の運動に留まっており、日本のマスコミ・有権者の大問題になっていなかった。北朝鮮の核開発問題も表面化していなかった。不破哲三は、中国共産党と同じく、金正日とも手を結び直す上で、基本的な障害はないと決断した。彼は、朝鮮労働党・金正日と共産主義友党関係を結ぶ手を次々と打った。

 

 私の推定をのべる。中国共産党と不破哲三・国際局長緒方靖夫らは、日中共産党の共産主義友党関係正常化と同時に、秘密契約を結んた。その内容は、次の通りである。以下の仮説は、きわめて辛口である。しかし、これらは、2004年1月『不破議長に聞く』に至る経過、中国共産党と日本共産党に関して、健一MENUに載せた一連の私の「逆説党史」認識、および、国際共産主義運動裏側における各国共産党関係間の犯罪共犯行為の認識に基づいている。

 

 (1)、日本共産党と朝鮮労働党との共産主義友党関係も、同時に正常化する。その上で、日本共産党は、日本政府が国交正常化交渉を、「無条件」で、直ちに開始せよという日本国内キャンペーンを、分担・展開する。拉致問題については、意識的に取り上げない。

 (2)、中国共産党は、朝鮮労働党・金正日にたいして、日本政府との国交正常化交渉を開始するよう働きかける。

 (3)、日本共産党は、とりあえず、朝鮮労働党の日本出先機関である朝鮮総連との関係を回復し、それを通じて、実質的な朝鮮労働党との水面下関係を回復する。

 

 (4)、日本共産党内部において、北朝鮮批判をしたり、北朝鮮拉致事件を追求しているような党員・国会議員秘書を排除する。『邪魔者は殺せ』というのは、レーニン型共産主義運動の鉄則である。具体的には、元ピョンヤン赤旗特派員萩原遼と、国会議員秘書兵本達吉の2人である。

 

 (5)、日本の国会質問、「赤旗」記事などでは、「前提条件を付けずに、まず日朝国交回復をせよ」と主張する。その真意は、拉致事件の解決と現在時価1兆円の金正日体制支援の経済援助とを同列に置くことである。それは、身代金要求誘拐犯罪国家・金正日にたいして、1兆円の身代金を日本政府が、事前に払うべきという金正日体制救援の主張である。

 (6)、「拉致問題の解決なくして、国交正常化はありえない」というような優先順位をつけた保守反動の世論とたたかう。

 (7)、「北朝鮮バッシング」「家族会の横暴」との世論を喚起し、それに同調するマスコミ・学者と、ひそかに連帯する。

 

 1998年6月3日〜8月10日、橋本参議院議員秘書兵本達吉にたいする5回・20時間査問と除名

 1998年6月21日、日中両党正常化合意が成立していた。1998年7月21日、不破哲三と江沢民との共産主義友党関係正常化宣言は、最後の手打ち式である。兵本達吉査問と除名は、日中朝3党合意に基づく、共産主義的な『邪魔者は殺せ』式の国際的謀略犯罪の一つだった。除名理由などは、いくらでもでっち上げることができる。このような見方は、私の、コミンテルン・コミンフォルムにおける国際的な数十万人粛清・大量殺人犯罪データの認識や、私自身の除名理由でっち上げ内容に基づいている。

 

 1999年1月と11月、不破哲三の国会質問とその論旨

 これこそ、日中朝3党合意に基づく、「前提条件をつけずに、日朝正常化交渉を開始せよ」とした要求だった。その本音は、北朝鮮社会主義を救え(=金正日に早く100億ドルを渡せ!)という論旨である。不破哲三は、国内世論の「拉致問題の完全解決なしに、日朝国交正常化はありえない」とする前提条件つき世論を、保守反動的意見としてたたかった。1億261万有権者にたいして、どちらの主張を採るのかと選択を迫った。

 

    不破質問『北朝鮮との正式の対話と交渉のルートを』1999年1月と11月の2回

 

 2000年4月、元赤旗外信部副部長萩原遼の『朝鮮と私、旅のノート』出版を規律違反とした査問

 党中央は、出版行為と内容を規律違反として、何回も査問した。北朝鮮批判と日本共産党問題を書いて、「文春文庫」で出版したことを反党的規律違反ときめつけた。この査問事実は、『さざ波通信』掲示板にも出ている。ただ、党中央は、彼を規約上の処分にしなかった。無処分の理由は不明である。彼は、今も、現役の共産党員である。

 

 これ以前の1988年12月、赤旗編集局長は、当時赤旗外信部副部長・元ピョンヤン赤旗特派員の萩原遼を突然、解任・更迭した。彼が、解任理由を問い質すと、編集局長は、「解任理由を言えない。とにかく更迭だ」と通告した。彼は、怒って、その場で、赤旗記者を辞め、アメリカに渡って、評価の高い『朝鮮戦争、金日成とマッカーサーの陰謀』(1993年、文芸春秋社、13万部発行)を出版した。ただし、更迭理由告知を拒否するという異様なやり方の背景は、不明である。その通告ルートから見ると、そこに、宮本顕治か不破哲三による解任・更迭指令があったことは、間違いない。その後、不破哲三は、萩原遼を朝鮮総連批判で除籍した。

 

    『不破哲三が萩原遼を朝鮮総連批判で除籍』

    宮地幸子『萩原遼「拉致と核と餓死の国、北朝鮮」を読む』

    藤井一行『日本共産党と北朝鮮問題』萩原遼への措置、兵本達吉への批判・除名

 

 2000年11月20日、朝鮮総連代表を日本共産党第22回大会に来賓招待・メッセージ

 党大会に朝鮮総連を招待したことは、関係断絶後、初めてのことだった。朝鮮総連とは、朝鮮労働党の日本出先機関であり、内部の非公然組織「学習組」は、朝鮮労働党の日本支部である。朝鮮総連幹部は、ほぼ全員が朝鮮労働党党員であることは周知の事実である。この出来事は、(1)中国共産党との公然とした正常化公表ではなく、(2)朝鮮労働党との半公然の正常化公表だった。北朝鮮拉致事件で世論が沸騰してきたので、不破哲三・国際局長緒方靖夫は、(1)(2)を使い分ける手口を用いた。

 

 朝鮮総連の行動については、本国朝鮮労働党の指令・許可を受けた朝鮮総連内朝鮮労働党党員グループ「学習組」がすべてを決定する。よって、第22回党大会来賓参加・メッセージは、(1)日本共産党による正式招待と、(2)朝鮮労働党の朝鮮総連参加応諾という日朝両党の歴史的な2党関係の修復合意に基づく行為である。

 

 2000年11月21日「しんぶん赤旗」『不破委員長、朝鮮総連代表と懇談』(共産党HPから削除)

 

説明: 【写真】朝鮮総連代表と懇談 11月21日「しんぶん赤旗」記事の抜粋と写真

 『日本共産党の不破哲三委員長は二十日、第二十二回党大会の開会に先立ち、在日本朝鮮人総連合会の南昇祐(ナム・スンウ)副議長、金明守(キム・ミョンス)国際局部長と懇談した。日本共産党の志位和夫書記局長、緒方靖夫国際委員会副責任者、西口光国際局長が同席』。

 

 

 

 

 

 

    Google検索『朝鮮総連と韓徳銖』 『朝鮮総連と日本共産党』

 

 2001年2月23日「しんぶん赤旗」『韓徳銖・朝鮮総連議長の死去で、不破議長が弔電 緒方国際局長が弔問』 (宮地注)共産党は、2月9日、この記事全文を削除した。

 2001年3月4日「同」『朝鮮総連議長の告別式に志位委員長が参列、献花』

 

 事実上の日朝両党の共産主義友党関係復活を証明する証拠は、3つある。

 第一、2000年11月20日、朝鮮総連代表を日本共産党第22回大会に来賓招待し、メッセージを受けた事実である。しかも、形式的なメッセージ受け取りどころか、不破・志位・緒方ら日本共産党トップが勢揃いし、総連幹部に写真のような大歓迎の出迎え儀礼を捧げて、個別懇談をした。他国共産党には、こんな最高儀式をしていない。それは、1998年6月21日中国共産党との共産主義友党関係を正常化、および、1998年7月21日、北京で、不破哲三と江沢民総書記との会談レベルに匹敵するものである。この個別懇談こそ、日本共産党と朝鮮総連=朝鮮労働党との実質的な関係回復会談だった。

 

 第二、韓徳銖議長が、朝鮮労働党幹部であることは、公然たる事実である。党大会来賓招待だけでなく、彼の死去にたいし、日本共産党として、『(1)不破議長が弔電・(2)緒方国際局長が弔問』『(3)志位委員長が告別式参列・献花』をしたという行為は、日朝両党の共産主義友党関係復活事実を完全証明している。

 

 第三、2000年11月以降、日本共産党は、北朝鮮・金正日批判を意図的にやらず、北朝鮮拉致事件関連の赤旗記事も極度に少なくした。この姿勢転換は、日中朝3党合意を執行し、拉致犯罪にたいして、意図的な無為無策路線=実質的な金正日体制擁護路線に転換したことの証明である。

 

 2002年9月12日、志位委員長の「拉致は疑惑の段階」発言

 9月17日の日朝首脳会談日程が公表されていた。日本世論・マスコミは、一部マスコミ・学者を除いて、ほぼ「拉致問題の解決なくして、正常化なし」という条件つき交渉方針で一致していた。拉致犯罪は、確定的な証拠も挙がって、「事実の段階」になっていた。志位論旨の本質は、事実の段階を否定して、金正日体制を擁護するという犯罪加担発言である。金正日が、1兆円≒100億ドル欲しさに、拉致犯罪を一部認める大バクチに打って出るという性格の持ち主であることを、志位和夫は完全に読み誤った。

 

 1億261万有権者の日本共産党認識

 有権者は、これら一連の経過と日本共産党の対応を見聞きして、不破哲三・志位和夫らにたいし、強烈な疑惑と不信感を抱くようになった。有権者の認識は、日本共産党が、北朝鮮拉致事件にたして、日中朝3党の連携による、腰の引けた、沈黙の左翼政党ではないのかとなってきた。その疑惑は、〔第3期〕における日本共産党の意図的な無為無策路線によって、不破哲三・志位和夫らは、金正日体制擁護・拉致犯罪隠蔽支援政策を、日本国内において宣伝する政党であるという確信を持たせるまでになった。

 

 〔第3期〕2002年9月17日〜2003年11月、日朝首脳会談から総選挙惨敗の1年2カ月間

 

 2002年9月17日、日朝首脳会談で金正日が拉致犯罪を一部認める

 これには、1億261万有権者が驚くとともに、北朝鮮型社会主義の手口と実態・本質に強烈な国民的怒りを持った。以後の経過は、マスコミで報道されているとおりである。

 

 2002年9月、日本共産党による一片の形式的な拉致事件批判声明発表

 この簡単な声明やいくつかの談話以外に、なんの北朝鮮批判論文や拉致被害者救出の行動も起こさなかった。

 

    共産党『北朝鮮問題』2002年8月からの北朝鮮関連発言・記事

 

 2003年9月、総選挙に向けて北朝鮮拉致事件政策の意図的欠落路線

 総選挙政策を遅ればせに出した。そこに、北朝鮮の核開発問題について、これまた形式的な批判政策を書いた。しかし、驚くべきことに、北朝鮮拉致事件にたいする解決・拉致被害者救出政策について、一言も書かないという総選挙政策だった。

 

    日本共産党『総選挙特集』「日本改革」を提案、拉致事件解決の政策欠落

 

 2003年11月、有権者の総選挙審判、共産党20議席→9議席惨敗

 有権者は、日本共産党の総選挙路線と政策内容にたいして、ノーを突き付けた。共産党は、議席を、26→20→9と連続惨敗を続けた。5950万投票者は、共産党にたいして、議席占有率1.87%泡沫会派に転落させるという審判を下した。もちろん、審判の基準は、北朝鮮拉致事件政策の存否・可否だけではない。しかし、有権者・投票者は、日本共産党の対応によって、不破・志位・市田らが、金正日犯罪体制支援・擁護の政党、中国共産党・朝鮮労働党と同質の社会主義政党という認識を抱いたという側面が存在したことは事実である。

 

 2003年12月、共産党10中総・総選挙総括でも北朝鮮拉致事件政策を意図的欠落

 総選挙20→9議席惨敗を「後退」とした。惨敗原因を、表面的な2つの遅れとした。その総括の政策問題検討に、北朝鮮拉致事件政策について、一言も触れないという、異様な総括を発表した。

 

    『共産党の選挙4連続惨敗結果と原因分析』

    『共産党の総選挙連敗総括と参院選方針』

 

 〔第4期〕2004年1月〜7月11日、『不破議長に聞く』シリーズから参院選投票日

 

 2004年1月4日、赤旗『不破議長に聞く、どう考える北朝鮮問題』4回シリーズ発表

 この内容は、日本共産党の参院選政策となるものである。不破哲三は、北朝鮮拉致事件にたいする共産党の参院選向け基本路線・政策を、早くも1月4日赤旗インタビュー形式で、1月13日第23回大会の前にもかかわらず、独断であらかじめ提起した。

 

 この長大な4回連続インタビューを掲載した意図・背景を考える。不破哲三は、総選挙9議席惨敗結果にうろたえた。さすがに、彼も、北朝鮮拉致事件にたいする無為無策路線・沈黙政策のままでは、7月参院選が危ういと、遅れ馳せながら気付いた結果が、この4回インタビューである。しかし、彼は、総選挙時期情勢や有権者心理について、実にさまざまな読み誤り、失態を犯した。それについては、まったく無反省である。

 

 それらの読み誤り、失態事項を確認する。

 (1)、筆坂・志位問題で説明責任果たさず、臭い物にフタ態度で、1億261万有権者・マスコミの反感と強烈な不信をかった。

 (2)、解散・11月総選挙というほぼ確定の情勢を読み誤って、11月22日に第23回大会を招集した。解散翌日に、ようやく党大会延期を決定したが、もはや手遅れとなった。総選挙総括でも、その失態に頬被りして、党員の憤激をかった。

 

 (3)、金正日が拉致犯罪を自白した後も、一片の形式的な批判声明を発表しただけで、意図的な無為無策路線=金正日体制擁護姿勢を、11月総選挙まで、堅持した。5950万投票者が、その意図的な沈黙政策から、金正日・朝鮮労働党と日本共産党とは一心同体の犯罪政党・犯罪支援政党という認識を抱いたことを無視・蔑視した。

 (4)、有権者の政権交代要求を誤りときめつけ、「政権交代しなくてもいい戦略」により、全小選挙区300人立候補によって、結果的に、自公政権延命戦略の政党となった。その左翼反動戦略にたいする有権者の怒りと共産党離れを察知する能力を欠いた。

 

 2004年1月13日、第23回大会で43年ぶりの全面改定綱領を採択

 不破哲三は、その内容や中国講演も含めて、将来展望として、中国・ベトナム・レーニン「ネップ」を讃美した。そして、革命綱領として、「国会で安定した241議席を占める革命」という空想的戦略を打ち出した。これによって、1億261万有権者の共産党支持を一挙に拡大でき、共産党議席の大躍進を勝ち取れると錯覚した。有権者心理・マスコミの冷めた軽蔑視線を読み取る上で、無知無能ぶりをさらけ出した。

 

    不破哲三『綱領改定についての報告』(全文)

    志位和夫『大会決議案についての報告』(全文)

 

 これらの党首の迷走・連鎖失態・有権者心理への無知無能ぶりを、どう考えたらいいのか。

 赤旗『不破議長に聞く、どう考える北朝鮮問題』4回シリーズは、共産党の参院選政策の一つである。しかし、その内容は、7月に投票してもらうべき1億261万有権者の心理について、またまた無知無能ぶりを露呈している。その検討は、以下にする。

 

 

 3、不破哲三・緒方靖夫がすぐできるのに、絶対やろうとしないこと

 

 1、日本共産党の国際路線・政策決定における不破・緒方の役割

 

 〔第2期〕路線転換以後、国際路線・政策を決定し、発言し、諸外国に行っているのは、不破・国際局長緒方靖夫の2人ペアである。とくに、日中朝3党関係回復の表裏シーンに登場するのは、2人が中心である。

 

 不破哲三は、(1)1998年7月21日、北京で、江沢民総書記との会談した。(2)、2000年11月21日、第22回大会中、来賓の朝鮮総連代表と個別懇談。(3)、2001年2月23日、韓徳銖・朝鮮総連議長の死去で、不破議長が弔電、緒方国際局長が弔問。()、2002年8月26日から5日間、中国訪問をした。中国社会科学院で『レーニンと市場経済』という学術講演をし、マルクス・レーニン研究学者扱いを受けた。『北京の5日間』を出版した。

 

    日本共産党『不破哲三の中国訪問』写真、講演内容など

 

 緒方靖夫は、(1)1998年6月21日、日中両党関係正常化成立までの水面下交渉に当たった。(2)、1999年12月、北朝鮮訪問超党派代表団に、共産党代表として参加。(3)、2000年11月21日、第22回大会中、来賓の朝鮮総連代表との個別懇談に参加。朝鮮総連・朝鮮労働党との水面下交渉に当たった。(4)、『不破議長に聞く、どう考える北朝鮮問題』のインタビュアーをした。

 

 彼は、日中朝3党関係正常化の水面下ナゴシエーターだった。一方、代々木党本部勤務員・赤旗記者・国会議員秘書800人中のかなりが、彼を「語学の筆やん」と囁やいている。それは、「筆坂と同じごますり」という蔑称である。筆坂常任幹部会委員・参議院議員の特技は、「宮本顕治の卓球相手上手、密告、ごるりによる党内出世」だった。それにたいして、緒方靖夫常任幹部会委員・参議院議員の特技は、「東京外語出の語学上手、密告、ごますりによる党内出世」という幹部評価によるものである。卓球と語学の違いを除いて、タイプや党内地位が同じという見方である。もっとも、宮本顕治引退後も、Democratic Centralismという党内民主主義抑圧・破壊組織原則がある以上、4000人専従内、および、800人党本部専従内において、新しい最高権力者にすり寄る「密告・ごますり」幹部が輩出するのは、しごく当然のことと言える。

 

    日本共産党『緒方靖夫HP』

 

 2、2002年9月17日日朝首脳会談以降、不破・緒方がやったこと、絶対やろうとしないこと

 

 別ファイルの(表)を、一部訂正して再確認する。不破哲三が、1996年以降、とりわけ、2002年9月17日以降、北朝鮮拉致事件にたいして、意図的な無為無策路線=金正日体制擁護路線をとっていることは明白である。

 

(表) 日本共産党がやったこと・絶対やろうとしないこと

北朝鮮拉致事件

やったこと

やろうとしないこと

1、日朝両党共産主義友党期

  19451970.3.31よど号事件

  〜1972

(この期間、拉致作戦は開始されていない)

2、日朝両党関係決裂期

  19721996

  1972金日成誕生祝贈物強要・分派工作

  1977・78「拉致作戦」開始〜

1988.1、宮本顕治が、大韓航空機爆破事件は、北朝鮮が起したと指摘

198788、橋本敦参議院議員の国会議員秘書兵本達吉が、党と橋本議員の了解の下に、拉致被害者調査、家族会結成に動く

1988.3、橋本議員が、兵本調査データに基づいて、まとまった拉致問題の国会質問を初めてした

橋本議員の国会質問以外、何一つ具体的行動を起していない

3、事実上の共産主義友党回復期

  19962002.9.17

1998.7.21、不破哲三は、中国共産党と共産主義友党関係を回復した

1999.112、不破哲三衆議院議員が、2回、国会で、無条件で日朝国交正常化をせよとの質問をした

2000.11.20、日本共産党は、党大会に朝鮮総連来賓招待・参加をさせたことにより、朝鮮労働党と事実上の共産主義友党関係を回復した

警察庁を呼んで、「拉致の証拠を見せよ」と要求した

2002.9.12、志位委員長は「拉致は疑惑の段階」と発言した

不破国会質問は、橋本議員の拉致問題追及質問と決定的に異なっている。拉致問題棚上げ要求であり、その追及をしていない

警察庁を呼んだ以外、何一つ具体的行動を起していない

4、金正日の拉致13人承認後

  2002.9.17〜現在

橋本・不破2人の国会質問行動と内容の大宣伝キャンペーンを展開した。「しんぶん赤旗」「共産党HP」「全戸配布ビラ」数千万枚、「宣伝カー」千数百台以上で、共産党こそが拉致問題解明に取り組んできた政党と主張している

 

 

外為法改正案を含め、北朝鮮にたいするいかなる経済制裁にも反対した

2人が国会質問をした」との大宣伝キャンペーン以外、何一つ具体的行動を起していない

1)、日本共産党の「朝鮮労働党の拉致犯罪批判の大論文」公表 ―していない

2)、朝鮮総連経由での朝鮮労働党への具体的要求つきつけと「公開質問状」発表 ―していない

3)、朝鮮総連の拉致事件への関与疑惑の独自調査団結成と調査開始 ―していない

4)、よど号グループの即時日本強制送還要求を、一片の談話でなく、朝鮮総連=朝鮮労働党に、直接突き付ける ―していない

5)、拉致被害者家族への面接調査と、家族会が行なっている署名運動への全面協力 ―していない

6)、帰国者5人の生活保障要求の政府への具体的提案 ―していない

)、拉致議連 ―最初から参加していない

8)、外為法改正案を含め、いかなる経済制裁にも反対、独自の被害者救出対案の提出 ―していない

 

 この路線は、スターリン・ソ連共産党による日本国民シベリア抑留60万人拉致・6万人極寒(マローズ)殺人犯罪にたいして、当時の日本共産党トップ、徳田球一・宮本顕治・野坂参三らがとった犯罪加担言動の誤りと同質のものである。

 

    『シベリア抑留とソ連・日本共産党』60万人拉致・6万人殺人犯罪への日本共産党の加担

    『北朝鮮拉致(殺害)事件の位置づけ』日本共産党と朝鮮労働党との関係史

 

 

 4、意図的な無為無策路線と有権者の7月参院選審判

     日本共産党=金正日犯罪体制擁護・朝鮮労働党支援の革命綱領政党

 

 『不破議長に聞く、どう考える北朝鮮問題』は、日本共産党の北朝鮮政策・北朝鮮拉致事件政策の基本である。それとともに、その内容は、7月参院選の北朝鮮問題に関する選挙政策を提起したものである。よって、その参院選政策の内容を、拉致問題解決行動の実績と根本的解決策=拉致被害者全員救出策の有無に限定して検討する。

 

 〔小目次〕

   1、北朝鮮拉致事件解決のための具体的行動実績、妨害行為の存否

   2、前提条件なしの日朝交渉開始の国会質問、北朝鮮への提案とその性格

   3、拉致被害者家族・家族会との直接接触を一貫して拒絶

   4、日朝首脳会談以後の沈黙を「節度」とすりかえる不破式詭弁

   5、六カ国協議への丸投げによる無為無策路線の言い訳

   6、いかなる制裁措置・法案にも反対の無為無策路線とその本質 社民党の意見大分裂

   7、北朝鮮型社会主義崩壊の恐怖に怯える不破哲三

   8、『不破議長に聞く』パンフ販売運動と有権者の7月参院選審判

 

 1、北朝鮮拉致事件解決のための具体的行動実績、妨害行為の存否

 

 積極的な解決行動の2件

 ()、1988年3月、橋本参議院議員が、橋本国会議員秘書20年歴の兵本達吉調査データに基づいて、まとまった拉致問題の国会質問を初めてした。政府は、「北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚」と答弁した。政府側見解の本音は、「北朝鮮による拉致犯罪は明白な事実」と実質的に断定したことである。これは、日朝両党関係の断絶期だったからできた。

 (2)、2002年9月17日後、抗議声明やいくつかの抗議談話を「赤旗」に発表した。真相解明、被害者への謝罪と補償要求を「赤旗」に掲載した。

 

    共産党『北朝鮮問題』2002年8月からの北朝鮮関連発言・記事

 

 日本共産党は、橋本国会質問・一片の赤旗声明掲載という2つ以外の具体的な解決行動は、何一つしていない。逆に、解決運動の妨害・関係者排斥行為を行なった。

 

 意図的な解決運動妨害・関係者排斥行為の4件

 (1)、1996年暮、橋本参議院議員秘書兵本達吉の拉致問題調査・家族会結成動向にたいして、上記のような嫌がらせをした。これは、拉致事件解決・被害者救出運動に取り組む国会議員秘書にたいする意図的な妨害行為だった。その性質は、事実上の救出運動中止指令である。

 

 (2)、1998年6月3日〜8月10日、橋本参議院議員秘書兵本達吉にたいする5回・20時間査問と除名をし、兵本批判の大論文を次々と発表する大キャンペーンを行なった。彼の被害者救出・家族会結成活動が除名理由の真相であることを隠蔽して、別件逮捕式の除名理由をでっち上げた。

 

    Forest『兵本達吉除名理由は拉致問題ではないのか』

 

 ()、2000年4月、元赤旗外信部副部長萩原遼の『朝鮮と私、旅のノート』出版にたいして、そこで北朝鮮批判と日本共産党問題を書いた行為を規律違反とする査問をした。彼は、北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会名誉代表でもある。これは、北朝鮮・朝鮮労働党擁護路線への転換に基づいて、北朝鮮批判著書を出版するな、「カルメギ」運動もやめろという脅迫行為である。そもそも、北朝鮮・朝鮮労働党の実態・本質を熟知しているベテラン共産党幹部・赤旗記者は、彼ら2人以外に一人もいない。兵本・萩原という北朝鮮犯罪追及運動のプロフェッショナルな共産党員を排斥せよとしたのが、日中朝3党秘密合意の一つである。あるいは、なんらかの秘密合意に基づいた、不破哲三の自己規制的な『邪魔者は殺せ』という政治的殺人行為である。

 

    カルメギ『北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会』名誉代表萩原遼

    萩原遼『金正日 隠された戦争』新刊の概要・目次、寄稿欄−批判メールへの党回答文

 

 (4)、2003年9月12日、フジテレビが「拉致ドラマ」を放映した。共産党は、9月30日、名誉棄損の謝罪と損害賠償1000万円を要求する提訴をした。そして、フジテレビ批判の大論文を発表するキャンペーンを展開した。その大論文は、故意に拉致問題に一言も触れず、ドラマ全体の評価を何一つ書かず、もっぱら、兵本夫妻による除名理由会話という数秒間のシーンだけを問題にし、その数秒間によって1000万円相当の損害を日本共産党が蒙ったという攻撃である。これは、マスコミにたいして、今後、拉致ドラマを制作するなという北朝鮮擁護路線を背景とした脅迫行為でもある。一体、120分ドラマ中の数秒間シーンが、共産党に、1000万円の損害を与えたということを、1億261万有権者の誰が信ずるのか。それこそ、北朝鮮擁護姿勢を剥き出しにした詭弁である。

 

    れんだいこ『共産党の訴状と兵本達吉の反論講演』

 

 これら被害者全員救出運動妨害・関係者排斥行為4件の性格は、日本共産党が、日中朝3党の水面下秘密合意に基づいて、北朝鮮・金正日体制擁護、北朝鮮拉致事件解決運動妨害をする政党に路線転換したことを証明するものである。

 

 2、前提条件なしの交渉開始の国会質問、北朝鮮への提案とその性格

 

 (1)、1999年1月・11月、不破哲三が、2回、国会で、「前提なしの日朝交渉を開始せよ」と質問した。

 (2)、1999年12月、緒方靖夫が、北朝鮮訪問超党派代表団に、共産党代表として参加した。その場で、代表の一人である穀田常任幹部会委員が、不破哲三と同一趣旨提案の発言をした。北朝鮮は、共産党発言に大いに喜んだ。

 

 (3)、2003年、総選挙で、不破2回の国会質問こそ、日朝首脳会談を開かせる先駆的な共産党功績であると、大宣伝した。

 (4)、2004年1月4日、不破4回シリーズ()でも、不破質問と北朝鮮訪問の共産党「前提つけるな」発言が、政府間交渉のルートを開いたと、自画自賛している。

 

    共産党『どう考える 北朝鮮問題 不破議長に聞く(3)』不破質問と穀田発言

 

 本当にそうなのか。不破国会質問と北朝鮮への提案の性格を検討する。不破哲三は、共産党橋本議員質問への政府側答弁によって、拉致事件は、もはや「疑惑の段階」ではなく、事実上北朝鮮がやったと、関係断絶期の1988年質問・答弁時点に、認識できていた。

 

 1999年不破質問時点、拉致被害者の具体的状況証拠が多数浮上してきた。一方、北朝鮮・金正日は、ソ連崩壊8年目で、ソ連からの支援途絶によって、経済破綻が激化し、日本からの1兆円≒100億ドルなしには、体制崩壊が現実化する危機に陥った。その情勢を受けて、1996年、日中朝3党の思惑=党利党略が合致した。日本政府も、外務省が朝鮮労働党Xと水面下秘密交渉を進めていた。世論も、拉致被害者救出目的の日朝交渉をせよとの声が激増した。世論・るコミの意見は、「拉致問題の解決なくして、国交正常化なし」という前提条件つき交渉開始要求である。

 

 不破質問・穀田提案は、「日朝正常化交渉の中で、北朝鮮への補償と拉致問題の解決を、同時に進めよ」である。それは、有権者・るコミ・拉致被害者家族が掲げる、前提条件つき交渉開始要求を誤りとして、それと対決する政策だった。日朝首脳会談後1年数カ月間における金正日の拉致犯罪にたいする対応は、彼が、拉致被害者を日本拠出100億ドル経済援助との取引交換条件カードとしていることを、完全に証明した。1977・78年における日本人百数十人拉致の当初目的は、別ファイルで分析した。現在は、それと異なる目的のカードにしている。彼は、それを、身代金1兆円略取目的の誘拐犯罪カードとして利用している。その性格の犯罪国家・誘拐犯人金正日にたいして、「前提なしの日朝交渉を開始せよ」との質問・北朝鮮への提案は、まさに、身代金略取目的の誘拐犯罪に加担し、支援する応援歌となっている。

 

 3、拉致被害者家族・家族会との直接接触を一貫して拒絶

 

 直接接触・調査をしたのは、橋本議員秘書兵本達吉ただ一人である。彼をでっち上げ理由で除名した後も、共産党幹部・議員で、家族会と接触したり、拉致帰国者を訪問した者は、誰もいない。兵本秘書が、他2人とともに、家族会結成で奮闘したのは、「拉致ドラマ」の通りである。その家族会結成当日、橋本参議院議員も、彼の秘書兵本とともに、出席することが決定していた。ところが、橋本議員は、参加をドタキャンした。その原因は、不破哲三が、彼の出席をまずいとして、ドタンバキャンセルを指令したことである。家族会が行なった国会議員全員にたいするアンケートにたいして、共産党議員全員が、「拉致は国家テロ」と回答した。国家テロと認定した被害者家族に、会おうともしない政党とは何なのか。これも、北朝鮮擁護路線の現れである。

 

 被害者・家族との接触拒絶方針の理由は、もう一つある。それは、不破哲三が、共産党の裏側方針として、家族会・救う会を反共市民団体とし、その運動を反共市民運動と認定していることによる。家族会の一部の人が、共産党の無為無策路線に不信を持って、共産党批判の発言をしていることは事実である。公明党支持者もいる。

 

 周知のように、共産党が無党派層との連携、無党派市民運動と連帯すると言うのは、前提条件付きの連携である。それは、共産党を批判せず、共産党を支持する団体・運動と、反共市民団体や反党分子を含む運動とを、峻厳に分別し、前者と連帯するが、後者を排斥し、接触も拒絶するという二枚舌路線である。その方針によって、拉致帰国者・家族会とは、絶対に会わないというのが、不破哲三の犯罪加担方針のもう一つの背景である。橋本議員をドタキャンさせた真の理由は、この二枚舌方針である。

 

 共産党の二枚舌方針を証明するデータは、過去にいくらでもある。3つの例のみ挙げる。

 (1)、1968年、小田実が、東京知事選の応援演説で、共産党を含めた既成政党批判の応援演説をした。宮本顕治は、それに怒り狂って、小田実批判と反共市民運動批判の大キャンペーンを展開させた。志位和夫もその論文を書いて、宮本顕治から高く評価された。

 

 (2)、1982年1月20日、文学者の反核声明問題と民主主義文学同盟作家中里喜昭の「お願い人」参加問題がある。「核戦争の危機を訴える文学者の声明」が発表され、マスコミでも大きな反響をよんだ。この声明は34名の「お願い人」が文学者たちに署名をおねがいして、約500人の賛同をえたものだったが、文学同盟では中里喜昭が「お願い人」の一人になっていた。ところが、「お願い人」のなかに「反党分子」が一人入っていた。長崎の中里にたいして、党中央文化部長が、「お願い人」などになった責任を追及するきびしい電話をした。理由はいうまでもなく、「お願い人」のなかに反党分子が一人入っているということだった。

 

    『不破哲三の宮本顕治批判』〔秘密報告〕民主文学4月号問題事件と中里喜昭

 

 (3)、1990年9月14日、「古在由重先生を偲ぶつどい」が、1400人以上の参加で開かれた。彼は、1984年の原水協問題で共産党方針に反対し、離党届を出した。しかし、共産党は、それを不受理扱いとして、彼を除籍にした。それは、事実上の除名処分だった。新日和見主義分派事件の被処分者川上徹は、その会の事務局・司会者だった。共産党は、彼を呼び出し、被除籍者古在の誤りを免罪するような会に、党員を参加させるな、川上は事務局・司会をやめろ、これは党中央決定であると、命令した。彼は、その決定を拒否して、除籍になった。この経過の詳細は、『査問』(P.198)に載っている。

 

    川上徹『同時代社通信』著書『査問』全文掲載

    『不破哲三の宮本顕治批判』平和委員会・原水協への一大粛清事件、古在除籍

 

 よって、不破哲三の拉致被害者・家族会との接触拒絶は、金正日犯罪加担路線に基づくとともに、拉致被害者救出・北朝鮮帰国者救援運動とその団体を、共産党に敵対する反共市民運動・団体として、排斥せよという犯罪的政党の本質を剥き出しにした路線から出たものである。彼にとって、共産主義友党関係回復をした朝鮮労働党・北朝鮮を批判する運動・団体はすべて、日本共産党にも敵対する反共市民運動・団体なのである。

 

 4、日朝首脳会談以後の沈黙を「節度」とすりかえる不破式詭弁

 

 シリーズ()の末尾で、不破哲三は、日朝首脳会談後の1年数カ月間、無発言・北朝鮮批判の大論文無発表をしてきた理由をのべている。その一部をそのままピックアップする。沈黙の弁明個所は、私が太字にした。

 

    共産党『どう考える 北朝鮮問題 不破議長に聞く(3)』日本共産党の態度(2)[1.6]

 

 「不破 こういう外交交渉というのは、問題の性格から言って、簡単に論評するわけにゆかない事情があるんであるよ。私たちは、日本と北朝鮮のあいだで、水面下をふくめて、どんな交渉がおこなわれているか、その情報の全体を知る立場にないし、交渉の当事者ではないわけであるから。

 

 そういう立場のものが、いわば交渉の外部から、あれこれと論評したり、こうするのはまずい、こうやるべきだ、などの意見を言い始めると、交渉そのものに予想外の悪い影響を与える場合もある。

 

 交渉の局面局面で、ここはどうかなとか、感じたり考えたりすることは、もちろん、いろいろある。しかし、交渉の目的そのものでは、政府と私たちのあいだに見解の違いはないわけであるから、局面的なことについては、意見があっても、発言を控える節度が大切だと思って、私たちは、その節度をずっと守っているんである。」

 

 不破哲三が北朝鮮批判無発言・批判論文無発表の弁明とする「節度」は、1億261万有権者にたいして、説得力を持つのか。日本共産党は、ソ連など五カ国軍戦車によるチェコ・プラハの春弾圧行為や、中国文化大革命問題などで、ソ連共産党批判・中国共産党批判の長大論文を何回も発表してきた。今回の北朝鮮拉致事件に関連して、橋本参議院議員秘書20年の兵本達吉批判、「拉致ドラマ」批判で、やはり長大論文を何回も発表している。「発言を控える節度」とは、何なのか。それは、兵本批判キャンペーン、「拉致ドラマ」批判キャンペーンの大論文を次々と発表しても、北朝鮮・金正日・朝鮮労働党の拉致犯罪そのものにたいする批判キャンペーン、大論文発表を、意図的にしないで、むしろ、金正日犯罪擁護・支援の犯罪加担路線を隠蔽するという不破哲三特技の詭弁日本語である。

 

 5、六カ国協議への丸投げによる無為無策路線の言い訳

 

 シリーズ(4)は、六カ国協議にたいする評価である。不破哲三は、ここでも、沈黙・無批判の「節度」を守っている。六カ国協議の意義と限界を、拉致被害者全員救出可否という観点から、シビアに検討する必要がある。

 

    共産党『どう考える 北朝鮮問題 不破議長に聞く(4)』六カ国協議をどう見るか[1.7]

 

 六カ国協議国家のうちで、まず、中国と北朝鮮は、マルクス主義前衛党が私的所有する反民主主義的・犯罪的な一党独裁国家である。2党は、日本共産党と日中朝3党の秘密合意ができている。一党独裁が犯罪的という理由は、2党が、国内において、他政党を殲滅し、新政党の結成を認めず、その運動をする者、団体を逮捕・殺害・強制収容所監禁するという犯罪行為を続けているからである。

 

 フランス下院は、2004年1月24日、国民議会における中国胡錦濤主席の演説にたいして、下院議員577人中337人・60%が、中国の言論の自由弾圧、人権弾圧を批判して欠席の抗議をした(朝日2004年1月28日記事)。六カ国協議にたいする反民主主義的な2党・国家の党利党略は、上記にのべた。

 

 不破哲三が丸投げの期待するように、六カ国協議の意義は大きい。しかし、その最大・唯一のテーマは、北朝鮮の核開発阻止である。北朝鮮拉致事件の被害者全員救出テーマは、日本・北朝鮮を除く4カ国にとって、はっきりいって付け足しである。それは、中国政府=中国共産党が、日本政府代表や訪問団にたいして、六カ国協議のテーブルに、北朝鮮拉致事件を載せないよう何度も主張していることからも証明できる。その面で、国家を私的所有している中国共産党の拉致犯罪加担の立場は明快である。

 

 しかも、中国は、六カ国協議議題調整の仲介役国家である。そのような姿勢の仲介・調整役共産党には、拉致被害者救出支援は、まったく期待できない。日本・北朝鮮以外の4カ国の本音=国利国略・党利党略は、はっきりいって、金正日が核開発路線を放棄しさえすれば、拉致事件が解決しなくとも、金正日犯罪体制が存続していい、むしろ、存続してほしいという路線である。

 

 北朝鮮が、東ドイツ並の崩壊、または、暴発をしてもらっては困る、当面は金正日体制存続がいい、拉致被害者完全救出ができなくてもかまわない、というのが、アメリカ・中国・韓国の切実な国利国略・党利党略である。ロシア・プーチンは、利権狙いである。

 

 なぜなら、北朝鮮が、東ドイツのスタイルで崩壊したら、大量難民流出・経済崩壊・治安問題で、最大の被害を受けるのは、隣接の中国と韓国だからである。西ドイツ・レベルの経済体力を持たない韓国経済は、連鎖倒産状態に陥る。金正日が暴発したら、韓国ソウル住民200万人とともに、在韓アメリカ軍37000人が甚大な被害を蒙る。その恐怖のイマジンを振り払うコースは、アメリカ・中国・韓国にとって、核開発さえやめさせられれば、金正日体制を存続させることしかない。3カ国の国益にとって、北朝鮮内の強制収容所5個所・10万人の人権侵害や、韓国からの数百人の拉致、日本からの百数十人の拉致という人権侵害・誘拐犯罪の根本的解決などは、とるにたらない、優先順位の低い課題である。

 

 よって、不破哲三が、わざとらしく、六カ国協議に、北朝鮮拉致事件の完全解決の期待をかけ、沈黙の「節度」を守るのは、まったくの誤りである。彼は、国家を私的所有している中国共産党・朝鮮労働党の党利党略にたいして、共産主義友党関係回復政党として、故意に目をつぶっている。アメリカ・韓国の国利国略が、日本人拉致被害者全員救出テーマを、核開発阻止と同じレベルの最重要課題になどしていない実態にたいして、一言の分析もしていない。彼は、いつから、アメリカ帝国の誠意・善意を信頼するマルクス主義前衛党党首に転向したのか。

 

 六カ国協議の意義とともに、国利国略・党利党略による限界を見極めて、核開発阻止と同レベルに、()日本人百数十人拉致・()韓国人500人拉致・()北朝鮮強制収容所5カ所の政治犯10万人・(4)脱北者十数万人・()北朝鮮帰国者9万3千人差別・里帰り拒絶という国際的な人権犯罪解決のテーマを、六カ国協議の2大テーマとすべきと、日本共産党がそれこそ一大キャンペーンをすべきではないのか。不破哲三は、その先頭に立って、得意な大論文を次々と発表すべきではないのか。その大論文を、弱腰の日本政府、中国共産党・朝鮮労働党・朝鮮総連に直接突きつけ、他国大使館に出向いて、直接要求をしたらどうなのか。

 

 祖国帰国事業は、1959年から1989年まであり、総計で93346人、内、日本人妻1831人を含む日本人約6600〜6800人が帰国した。そのうち、3万人が死亡し、日本人帰国者専用強制収容所に1万人が入れられていたという証言も出た。日本共産党は、北朝鮮を「地上の楽園」と絶賛し、帰国運動の大応援をした。不破哲三には、「偽りの花園」運動にたいする重大な個人責任がある。

 

 ちなみに、私が北朝鮮拉致(殺害)事件や祖国帰国事業に関して、HPファイルを書いたり、不破哲三を強く批判するのには、一般的立場だけでなく、一つの具体的理由がある。それは、私自身、名古屋の民青地区委員長の頃、帰国するかどうかで迷っていた在日朝鮮人の親しい知人に、映画『チョンリマ』の情景や北朝鮮社会主義のすばらしさを話して、その一家が帰国したという体験をもっているからである。帰国後の情報は何もない。その件について、自己の責任を自覚している。金日成のウソを知らなかった共産党員・民青地区委員長とはいえ、その家の前を通るとき、今も心がうずく。なんとしてでも、拉致被害者と北朝鮮帰国者を救出すべき義務と責任を負っているという立場にある。そこから見ると、不破哲三は、拉致被害者救出を本気で願っているのかを疑わざるをえない。

 

 本気どころか、不破哲三は、六カ国協議の意義という一面だけを、故意に過大評価し、他面における各国・2党の現思惑による限界を無視している。そして、あたかも、六カ国協議の場で、拉致被害者全員救出策ができるかのような錯覚を振りまいて、六カ国協議に丸投げするという犯罪的なインタビューをしている。「節度」という不破式詭弁日本語も使って、意図的な無為無策路線の言い訳をしている。

 

 ただし、六カ国の国利国略・党利党略を、逆利用すべき日本側の外交取引カードが1枚だけある。言うまでもなく、1兆円≒100億ドルである。日本を除くアメリカ・中国・韓国・ロシアが、六カ国協議に望むのは、北朝鮮の核開発阻止である。その交換カードは、北朝鮮・金正日体制存続の保証とエネルギー・食糧支援である。それさえ実現できれば、金正日犯罪体制の現状維持を容認するという下心を秘めている。しかし、それだけでは、北朝鮮の経済崩壊を救えないことも熟知している。4カ国は、北朝鮮にたいして、巨額な経済支援をする余裕もなく、その義務もない。日本政府だけが、1兆円≒100億ドル規模の支払い能力と賠償義務を負っていることを、4カ国は知っている。しかし、いくら体制保証をしても、エネルギー・食糧支援だけでは、北朝鮮の経済崩壊を食い止めることはできない段階にきていることについても、4カ国は認識している。彼らも、日本側外交カードの効力を無視できない。

 

 金正日は、六カ国協議にたいして、核開発放棄と体制保証・エネルギー・食糧支援との同時交換を要求している。一方、彼は、日本政府にたいして、事実上、拉致被害者帰国と1兆円≒100億ドルとの同一テーブル交渉と同時交換を要求している。不破哲三は、金正日の同一テーブル要求に従え、そして、経済制裁に反対すると、質問・提案・インタビューをしている。今や、日本共産党は、拉致問題の解決なしに、国交正常化はありえないという前提条件つき交渉方針にたいして反対し、金正日要求に同調する唯一の政党となった。日本世論におけるこの不一致、反対政党がある限り、日本側の外交取引カードは、十分な威力を発揮できない。

 

 6、いかなる制裁措置・法案にも反対の無為無策路線とその本質

 

 共産党国会議員は、家族会のアンケートにたいして、「拉致は国家テロ」としつつも、「制裁に反対、他の方法」と回答した。2004年1月29日、衆議院金融財務委員会で、「外国為替法改正案」が、共産党だけの反対で通過した。2月9日、国会でも成立した。改正内容は、日本独自の判断で北朝鮮への送金停止を可能にするという対北朝鮮経済制裁法である。2002年度の送金は40億円あった。第2の経済制裁法は、万景峰号などの北朝鮮船舶を想定した「特定外国船舶入港禁止法案」(仮称)が想定されている。共産党の対北朝鮮経済制裁への一切反対路線とその根拠、および、別の被害者救出対策の存否を検討する。

 

    佐々木憲昭『外為法「改正」反対』6カ国協議の国際合意に反する

 

 共産党の理由は、六カ国協議において、「平和的解決のプロセスの中で、状況を悪化させる行動をとらない」という合意がされているから反対という言い分である。拉致事件の解決は、国際的に行なうべきだと提案している。それなら、日本国家独自の別個の対北朝鮮行動を具体的に提案しているかというと、何もしていない。不破哲三は、何の独自解決策も意図的に出さず、六カ国協議に丸投げしている。

 

 反対意見をのべたのは、佐々木憲昭議員である。彼は、「ムネオハウス」丸投げ実態を国会で暴いて、一躍有名になった。ところが、今回は、拉致被害者全員救出のための日本独自の制裁法案に反対して、救出思惑を欠いた六カ国協議に、救出を丸投げした。彼は、無責任な反対意見によって、アメリカ・中国共産党・韓国と同一レベルの金正日犯罪体制存続願望の弁護士に成り下がった。彼が、別個に被害者完全救出の独自対案を出しているのなら検討の余地がある。それを出さずに、反対だけを言うのは、不破哲三の無為無策路線に追従した「ごますり」メンバーになったこと、家族会・救う会・拉致議連に敵対する国会議員となったことを実証した。

 

 私の立場は、拉致被害者百数十人救出のために、北朝鮮への武力攻撃を除いた、ありとあらゆる政治的経済的制裁を、国際的に、かつ、日本独自にも強化すべきという意見である。金正日は、日本からの1兆円≒100億ドル獲得を目指すカード3枚をちらつかせている。それは、(1)核開発・テポドンカード、(2)拉致被害者百数十人カード、(3)北朝鮮帰国者9万3千人カードである。それら3枚にたいして、日本国家は、1兆円≒100億ドル賠償・経済援助カード1枚しかない。しかも、この額は、拉致被害者全員救出が解決すれば、北朝鮮2400万国民に支払うのは、対韓国と同じく、国民的合意になる。ただ、犯罪者金正日に払うかどうかは考慮の余地がある。現在の膠着した情勢の打開策として、六カ国協議による国際的圧力だけでなく、日本独自に行なえる政治的経済的制裁カードを持つのは、当然ではないのか。

 

 金正日は、自己の犯罪的政治体制維持の国際的保証と、1兆円≒100億ドル獲得による経済立て直しという二本立ての政治・経済目的に固執して、3枚のカード操作をしている。とりわけ、拉致犯罪指令の張本人金正日が拉致被害者を帰そうとしない以上、日本が、それらの犯罪的カードを放棄させるに足る政治経済制裁カードを何枚も製作するのは、国際的政治外交取引上の常識である。秘密裏の金正日擁護政党でなければ、制裁強化カードに反対しないはずである。無為無策のままで、制裁法案に反対し、逆「ムネオハウス」ばりに、今度は自分が六カ国協議に丸投げした佐々木憲昭議員は、「人民」から「国民」に変わった政党代表といえるのか。

 

 経済制裁法案に反対している党員、在日朝鮮人も、かなりいる。その気持ちや論旨は理解できる。しかし、それに反対するのなら、別の打開策を具体的に提起したらどうなのか。反対意見をいろいろ見ても、経済制裁カード効果を上回るレベルの被害者救出策カードについて、誰一人として、提案していない。それは、日本人・在日朝鮮人として、無責任きわまる拉致被害者放置路線ではないのか。六カ国協議の場による拉致被害者救出は、現在の国利国略・党利党略という限界によって、見通しが暗い。救出効果がある別の救出策も提案せずに、無為無策のままで、経済制裁カードに反対し、六カ国協議に丸投げするのは、金正日犯罪体制の維持加担・支援政策と同じ性質を持つ。

 

 拉致犯罪人金正日の3枚カードに対抗する経済制裁カードを持つことへの反対意見党員、および、佐々木憲昭は、国際的救出策の一つとしての「国際刑事裁判所条約批准・提訴」問題も提案していない。中野徹三と藤井一行が、それを強く主張している。私は、この主張を支持する。

 

    中野徹三『国際刑事裁判所設立条約の早期批准を』拉致被害者救済のために

    中野・藤井・萩原『拉致・国家・人権』北朝鮮独裁体制を国際法廷の場へ

    藤井一行『国際刑事裁判所関係サイト』

 

 同じ共産党員でも、不破哲三・佐々木憲昭と正反対の意見を出版している萩原遼がいる。彼は、北朝鮮批判・日本共産党問題を書いて出版したという反党的規律違反者として、査問されたが、無処分のままで、なお現役党員である。萩原遼は、中野徹三・藤井一行と共著で『拉致・国家・人権』(大村書店、2003年11月)を出版した。彼のテーマは『北朝鮮と金正日政権にどう対処するか?』である。その末尾の一節を、そのまま引用・転載する。

 

 「萩原遼 制裁は爆撃よりも強い

 

 金正日政権の無法な核脅迫に対抗するために、アメリカの一部で主張される北朝鮮の核施設爆撃は、逆効果しか生まない。朝鮮戦争のさいの経験からアメリカが攻撃してくれば無条件に団結し困苦欠乏に耐える北朝鮮国民である。そうなれば金正日の思うつぼである。金正日と北人民を離反させるのが最上の策であるのに、逆に団結させることになる。金正日の挑発に乗ってはならない。爆撃は日本国民の幅広い支持も得られない。韓国も同様である。もっとも効果ある手段は上述した徹底した制裁である。

 

 制裁は、かつて南アフリカの白人少数政権がとってきたアパルトヘイト政策(黒人差別政策、黒人奴隷制度の現代版)に科したように、平和的合法的な正義の行動である。北朝鮮は、制裁は宣戦布告とみなすと脅しをかけているが、平和的合法的な正義の行動に対して不法な暴力を仕掛けてくるときは、狂犬を棍棒で叩きのめすまでである。

 

 アパルトヘイト盛んなりし一九八九年、イギリス連邦外相会議に提出された「サンクション(制裁)レポート」(ペンギン・スペシャル一九八九年、ロンドン、邦訳なし)はつぎのように主張している。「われわれは制裁こそが、アパルトヘイトを終らせるもっとも効果的な平和の道であると確信する。アパルトヘイトは終らねばならない。それは終るだろう。そのためには数百万人の人命の犠牲をもいとわない。しかしアパルトヘイトは真正なる交渉の過程を通じて平和的手段によって終るであろう」「真正なる交渉の過程」についてレポートはいう。

 

 国連によって科された制裁は、武器、石油、ハイテク機械などの禁輸、南アフリカとの貿易の停止、などをふくんでいるが、これではまだまだ不充分であるとして、さらなる制裁の強化を呼びかけた。すなわち各国政府にたいし、南ア管理下のすべての企業にたいしても制裁を加えること、「特別制裁強化部隊」を作り、制裁やぶりに懲役を含む罰則を科すことなどである。これらの圧力こそが真正なる交渉に導くと主張する。そして、幾百万の名もなき人々が、南アと関係ある銀行とは取引を拒否すること、店屋で売っている南アの果物は買わないだけでなく、店の主人にその種の果物は扱わないように説得すること、その他のできるすべてのことをおこなうこと、こうした人々の圧力、人々の連帯こそがアパルトヘイトを終らせる究極の制裁行動であると呼びかけている。

 

 経済制裁は当然ながら南アフリカの白人のみならず大多数の黒人にたいしても苦痛を与える。北朝鮮に制裁を発動するとさらに多くの人々を餓死させるといって反村する“人道主義者”がいる。この種の意見にたいしても、アパルトヘイトと闘った南アの黒人指導者の言葉が参考になる。ジンバブエ生まれの南ア育ち、アフリカ最初のノーベル平和賞受賞者であるアルベルト・ルツーリ氏の言葉である。ルツーリ氏は、一九六〇年に最初に制裁を提唱した人である。

 

 「南アフリカにたいする経済制裁は、アフリカ人に苦しみを与えることはまちがいない。だが、われわれは確信している。もしもその方法が、われわれのこうむっている血みどろの日と苦痛を短縮するのであるならば、その犠牲を喜んで払うだろう。いかなる場合においてもわれわれはすでに苦痛をこうむっているのである。私たちの子供たちはこれまでに栄養失調に置かれ、どんなに控えめに言っても、アフリカ人は警察に思いのままに殺されているのである」

 

 こうした断固たる闘いの結果、いまわしいアパルトヘイトに終止符が打たれ、一九九四年には全人種の参加する初の制憲議会選挙で、二十六年間の投獄にも屈しなかった反アパルトヘイトの闘士ネルソン・マンデラ大統領が堂々と登場した。

 北朝鮮の金正日政権の無法と闘う、生きた実例がここにある。」(P.288〜290)

 

 党費納入28万党員は、北朝鮮にたいする政治的経済的制裁策の強化にたいして、共産党員萩原遼の賛成意見を採るのか、それとも、共産党員不破哲三・佐々木憲昭のいかなる制裁にも反対の意見を採るのか、その選択が、7月参院選に向けて、問われている。

 

 社民党中央・国会議員団が、外為法賛否をめぐって、意見大分裂

 

 社民党中央は、外為法賛否問題で、賛成態度を決定し、2004年1月29日、衆議院金融財務委員会で社民党として賛成した。社民党衆議院議員団は、本会議で賛成した。ところが、2月9日参議院本会議において、社民党参議院議員団は、福島党首を含めて、5人全員が、賛否のボタンを押さずに棄権した。この経済制裁は、北朝鮮拉致被害者救出策の一つとして日本政府が独自執行することを可能にする制裁法案である。

 

 もちろん、金正日が、2002年9月17日の日朝首脳会談後、直ちに、拉致被害者全員を帰していれば、こんな経済制裁法案の必要はなかった。六カ国協議国家の国利国略・党利党略によって、そのテーブルにおける拉致被害者全員救出策に限界があるからには、日本独自の救出策を持つのは、当然のことである。また、経済制裁法を成立させたことによる日本独自の制裁決意は、六カ国協議国家にたいして、核開発阻止と拉致被害者全員救出とを同一の2大課題レベルにせよとする圧力道具となる。

 

 日本が、北朝鮮にたいして、1兆円≒100億ドルを払わなければ、北朝鮮経済がどうなるのか、六カ国協議参加の3国家と2つの一党独裁政党国家は、分かっているのか、という国際外交カードになる性質を持っている。とりわけ、六カ国協議テーブルに、拉致被害者救出テーマを乗せることに、一貫して反対している議題調整・仲介役の中国政府=中国共産党にたいする断固たる抗議カードとなる。その世論にたいして、社民党中央内・党内意見が、トップの国会議員内で完全対立した。

 

 国会議員レベルにおいて、賛成・棄権という大分裂が表面化した裏には、2つの背景がある。7月参院選に向けて、()民主党との連携を強めるのか、それとも、社民党の独自性をもっと発揮するのかという戦略である。(2)参院選政策の重要な一つとして、1億261万有権者のニーズが、経済制裁法案に賛成か、それとも、反対なのかの有権者心理判断である。もう少し、露骨に言い換えれば、経済制裁法案への賛否どちらの立場・政策の方が、社民党員が参院選で動くか、そして、得票数・議席が増えるのかという、崩壊過程政党の深刻な悩みに基づく大分裂である。

 

 日本共産党における共産党員萩原遼と共産党員不破哲三・佐々木憲昭の意見分裂

 

 このテーマは、7月参院選において選挙5連続惨敗が確実視されている日本共産党にも当てはまる。経済制裁強化意見の共産党員萩原遼に賛同する党員と、いかなる制裁にも反対し、拉致被害者救出策の対案も出さないままで、六カ国協議に丸投げする共産党員不破哲三・佐々木憲昭に従う党員とが、どのような比率で党内分裂を水面下で発生させるのかという問題である。ただし、この意見分裂は、Democratic Centralismという党内民主主義抑圧・破壊組織原則がある以上、社民党のようには、まるで表面化しない。

 

 改選比例区8議席・改選選挙区7議席→比例区のみ3議席当選の惨敗シミュレーションが出ている。その参院選情勢において、4連続惨敗過程政党・24年間でHN半減の182万部減紙過程政党に留まっている共産党員は、経済制裁法案賛否のどちらを参院選政策として正しいと選択するのか。共産党員萩原遼の方が正しいと判定する党員の比率がどれだけを占めるか。それらの党員は、不破哲三・佐々木憲昭の政策判断・有権者ニーズ測定を誤りとして、参院選活動のやる気を失う。形式的な票よみ数字だけを、支部LCに電話報告して、実質的な選挙サボタージュを選択する。

 

 かくして、共産党員不破哲三・佐々木憲昭の金正日擁護路線・参院選政策は、北朝鮮型社会主義の崩壊過程と平行する、日本共産党の内部崩壊過程を促進する。不破哲三は、1億261万有権者のニーズに敵対してまで、一体なぜ、これほど、金正日擁護路線・政策に固執するのか、彼は何に怯えているのか。

 

 7、北朝鮮型社会主義崩壊の恐怖に怯える不破哲三

 

 「社会主義をめざす国ぐに」という不破式詭弁日本語

 

 日中朝3党の共産主義友党関係回復の経過と、そこに至る3党の党利党略については、上記で分析した。そこでは、日本共産党の思惑を、国際的孤立からの脱出、東アジア版ミニ・コミンテルン運動の再構築とした。そこで書かなかった不破哲三のもう一つの党利党略がある。やや長くなるが、それを推理する。この内容は、彼が、拉致被害者救出にたいして、なぜ意図的な無為無策路線を続けるのかに関する謎解きとなる。

 

 その根底には、北朝鮮型社会主義崩壊が、日本共産党の存続に与える決定的衝撃にたいして彼が抱く恐怖がある。残存する社会主義国のマルクス主義前衛党は、中国共産党・ベトナム共産党・キューバ共産党・朝鮮労働党の4党である。4つの国家は、前衛党が私的所有する一党独裁型の反民主主義的犯罪国家である。それらは、21世紀に入っても、他党殲滅・政党結成不許可・言論の自由弾圧犯罪をしている異様な反民主主義国家である。

 

 不破哲三は、第23回大会の綱領改定報告において、「いろいろ質問があったが、北朝鮮は社会主義ではない。中国・ベトナム・キューバは、社会主義をめざす国」と規定した。「社会主義をめざす国ぐに」とは、不破式詭弁日本語である。この舌を噛むような日本語を使う党員は、4000人専従以外、皆無である。党費納入28万党員のほぼ全員が、4カ国は社会主義国家と思っている。1億261万有権者も、全員が、北朝鮮を含めて、社会主義国家と認識している。不破式詭弁を使うるコミ関係者は、一人もいない。この日本語は、宮本・不破の恐怖心を言語化したものといえる。彼らは、何に怯えたのか、どんな恐怖に打ち震えているのか。

 

 国際共産主義運動の世界的崩壊のドミノ現象・時期の再確認

 

 そこで、崩壊のドミノ現象・時期を再確認する。その詳細は、別ファイルでも分析してある。

 1989年、東欧革命で8カ国の社会主義国家が崩壊し、前衛党もすべて壊滅した。ゴルバチョフの中国訪問は、天安門事件の引き金になり、ケ小平は、中国型社会主義のドミノ的崩壊の恐怖に怯え、大量殺人を行なった。北朝鮮型社会主義は、東欧と同質で、ソ連軍戦車の下で、ソ連軍大尉金日成を送りこんで作られた基盤脆弱なソ連衛星国型国家である。金正日は、東欧並のドミノ的崩壊をかろうじて切り抜けた。しかし、彼は、北朝鮮崩壊時になったら、チャウシェスク夫妻銃殺と同じ目に会うと、戦慄した。

 

 1991年、ソ連型社会主義国家が崩壊し、ソ連共産党も壊滅した。モンゴルも崩壊した。ソ連崩壊後、北朝鮮にたいするソ連援助は完全にストップした。食糧・エネルギー事情が急激に悪化した。それを引き金として、東欧並の大量亡命や反乱が勃発する危険が、一挙に高まった。そこで、金正日は、反乱防止策として、3つの戦略をとった。

 

 〔第1作戦〕、軍事優先を一段と強化した。〔第2作戦〕、核開発でアメリカを挑発し、アメリカが戦争を仕掛けてくると、第2次朝鮮戦争想定の臨戦体制を敷いて、不満回避・抑圧の国内統制をエスカレートした。〔第3作戦〕、萩原遼の調査中仮説によれば、別の反乱阻止策として、53の分別階層のうち、最下位ランクの動揺層を、北朝鮮北東部に強制移住させた。そして、軍隊・秘密政治警察が完全包囲網を敷いた地域内で、食糧配給を途絶させた。その結果が250万人から350万人の餓死である。萩原遼は、その政策を、反乱危険階層を意図的に350万人殺した餓死殺人として、さらなる調査を進めている。原因は兎も角、餓死250万人は、ほぼ定説になっている。

 

    宮地幸子『萩原遼「拉致と核と餓死の国、北朝鮮」を読む』

 

 ちなみに、レーニン時代1921・22年の500万人餓死と、スターリン1930年頃集団農場化時の600万人餓死問題がある。ロシア革命研究者ランメルは、レーニンは、農民反乱地域の250万人を政策的に餓死させたとしている。レーニンの1921・22年時は、それまで飢餓の時代が続いた。マルクスの根本的に誤った「市場経済廃絶」理論と、それをソ連に具体化したレーニンの犯罪的な「食糧独裁令」によって、全国的な3大農民反乱・ペトログラード労働者の全市的ストライキ、クロンシュタット・ソヴィエトの軍隊反乱が勃発し、ボリシェヴィキ一党独裁政権は崩壊の危機に直面していた。

 

 レーニンの時は、天災要因もあったが、スターリンの時は、天災はなかった。スターリンは、重化学工業資金捻出のため、赤軍・秘密政治警察NKVDを使って、80%・9000万農民から穀物・家畜を収奪し、飢餓輸出を強行した。スターリンは、農業集団化に反対・反乱をした小ブル農民が数百万人死のうとも、社会主義建設資金捻出の方を、党と革命にとっての最優先課題とした。スターリンの飢餓輸出結果による反乱農民の餓死殺人は、すでに定説になっている。レーニンは、赤軍・秘密政治警察チェーカーで反乱地域を包囲して、穀物・家畜完全収奪作戦を完遂し、農民反乱・労働者ストライキ・水兵反乱を、金正日と同じ餓死殺人手口で大量殺人をする革命犯罪をした、というのが、私の判断である。

 

    『「赤色テロル」型社会主義とレーニンが「殺した」自国民の推計』レーニン250万人餓死殺人

    『「反乱」農民への「裁判なし射殺」「毒ガス使用」指令と「労農同盟」論の虚実』数十万殺人

    『「革命」作家ゴーリキーと「囚人」作家勝野金政』スターリンの600万人餓死殺人作戦

 

 ただし、3人の違いもある。レーニン・スターリンは、すでに勃発した農民大反乱鎮圧の手段として、かつ、崩壊に直面した一党独裁権力維持を絶対的優先テーマとして、穀物・家畜完全収奪作戦によって、それぞれ、数百万人規模自国民の餓死殺人政策を遂行した。金正日が、完全包囲地域内の食糧配給停止によって、動揺層350万人の餓死殺人政策をやったのは、差し迫った反乱にたいする予防作戦だったことである。仮説の詳細は、萩原遼著書にある。

 

 1989年〜90年代前半、中国共産党とベトナム共産党は、従来路線のままでは、連鎖崩壊が避けられないと悟った。唯一の生き残り策として、2面作戦を採った。(1)、社会主義計画経済を放棄し、資本主義市場経済に大転換した。(2)共産党一党独裁権力を絶対放棄せず、他党結成動向を徹底的に弾圧し、言論の自由を認めないという犯罪的政治体制維持にしがみついた。この政治・経済体制は、もはやレーニン型社会主義と異質な体制となった。それは、共産党一党独裁政治体制と資本主義経済体制とを、共産党・軍隊・秘密政治警察の暴力で無理矢理接着させたという、世界史上初めて出現した異様な政治・経済システムである。国家の性格を名付けるとすれば、共産党一党独裁型資本主義国家である。

 

    『中国共産党のインターネット摘発・管理』他党結成動向・言論の自由を弾圧する犯罪国家

 

 もっとも、2党の一党独裁者たちは、自らの社会主義半分崩壊体制を、市場経済型社会主義、とか社会主義市場経済と名付けている。不破哲三は、それを、「社会主義をめざす国ぐに」と変名し、「市場経済を通じて社会主義をめざす」運動こそ、真理とした。そして、レーニンの「ネップ」、中国共産党、ベトナム共産党の3つと、日本共産党の不破哲三を同列に位置づけ、我こそ、21世紀の偉大なレーニン主義研究学者であるとして、北京で、レーニン「ネップ」讃美の学術講演を披露した。

 

 東欧・ソ連10カ国の社会主義政治・経済体制は、名実ともに、全面崩壊した。それにたいして、中国・ベトナム2カ国社会主義は、片面崩壊、または、事実上の社会主義崩壊国家となった。北朝鮮は、東欧型レベルのままの政治・経済体制として生き残っている唯一の犯罪国家である。キューバの実態はよく分からない。よって、社会主義世界体制14カ国のうち、10カ国が全面崩壊し、2カ国が自らを片面崩壊させ、北朝鮮のみが旧来型の反民主主義的犯罪国家として、全面崩壊寸前の狂気の状態にある。

 

 1989年〜94年、東欧・ソ連崩壊の衝撃波は、東アジアの残存3カ国を襲っただけではない。その歴史的な大津波は、ヨーロッパにたいして、大陸地続きという近距離分だけ、はるかに高く、威力も強烈だった。それは、ヨーロッパの資本主義国共産党のほとんどを壊滅・消失させた。ヨーロッパにおけるコミンテルン型共産主義運動も、1989年から94年にかけて、ドミノ的に崩壊し、終焉を迎えた。ポルトガル共産党のみが、Democratic Centralismという党内民主主義抑圧・破壊組織原則を堅持していると言われているが、最近の実態はよく分からない。総選挙で惨敗を続けている。ただ、ポルトガル国家は、高度に発達した資本主義国のレベルではない。

 

    『コミンテルン型共産主義運動の現状』ヨーロッパでの終焉とアジアでの生き残り

 

 日本共産党が、高度に発達した資本主義国において唯一生き残った3つの理由

 

 東アジア資本主義国の日本共産党にたいしても、東欧・ソ連崩壊の衝撃波が押し寄せた。高度に発達した資本主義国の共産党が全滅したのに、なぜ日本共産党だけが唯一生き残ったのか。その理由はいろいろある。3つだけのべる。

 

 第一、東欧・ソ連崩壊が孕む資本主義国共産党への破壊力が、地続きのヨーロッパ大陸共産党・有権者に直接的打撃を与えたのにたいして、東方の島国の日本共産党・1億261万有権者には、やや間接的打撃だった。るコミ情報が溢れたが、やはり、遠く離れたヨーロッパの出来事だった。ヨーロッパでは、東ドイツの秘密政治警察シュタージの犯罪と規模、ルーマニアの秘密政治警察セクリターテの規模とチャウシェスクの犯罪などが、生身の情報として、亡命者とともになだれ込み、ヨーロッパ全有権者が、共産党犯罪・レーニンの数十万大量殺人犯罪についての認識を共有した。

 

 その有権者の認識レベルは、ヨーロッパ共産党の存在意義を全面否定した。有権者は、各国共産党にたいして、マルクス・レーニンの理論・実践が犯罪的誤りだったとして、その完全放棄を、(1)共産党を連続惨敗させる選挙投票行動や(2)共産党機関紙購読の大量停止によって迫った。ところが、日本の有権者にとって、それらは、まだ生身の情報ではなかった。

 

 第二、日本共産党の宮本顕治は、ケ小平なみの危機洞察力を持ち、かつ、異論者大量粛清体験が豊かな共産党最高権力者だった。彼は、1970年代末から、ユーロコミュニズムに、自ら急接近した。ユーロ・ジャポネコミュニズムとも呼ばれる過程において、その方向が、スターリン批判に留まらず、レーニン批判・Democratic Centralism放棄・社会民主主義路線への大転換に行きつくことを察知した。そこで、彼は、このままでは、日本共産党もドミノ的崩壊してしまうと、恐怖に慄き、東欧革命が勃発する前に、日本共産党の逆旋回を決断した。逆旋回のクーデターが、有名な4連続粛清事件である。

 

    『不破哲三の宮本顕治批判』〔秘密報告〕日本共産党の逆旋回と4連続粛清事件

 

 ただし、ケ小平と宮本顕治2人が選択した、生き残り方向は、まるで異なる。()、ケ小平は、レーニン型社会主義政治・経済体制のうち、経済体制という半分だけを、意識的に自己崩壊させ、中国を共産党一党独裁型資本主義国家に大転換させた。それにたいして、(2)、宮本顕治は、日本におけるユーロコミュニズム傾向支持の学者党員・大衆団体グループ党員たちにたいして、4連続の大粛清をし、かつ、いかなるレーニン路線の自己放棄も拒絶し、むしろ、日本共産党を、文字通りのスターリン型共産党レベルに逆旋回・逆行させた。国民・有権者のニーズを取り入れる面で、2人の旋回方向は、180度対立した。中国が急速な経済発展を始めたのにたいして、宮本共産党は、4連続粛清過程の1980年をピークとして、党勢力PHNは、歯止めのない減退を食い止められず、24年後の2004年第23回大会では、赤旗HNは、173万部と半分以下に激減した。

 

 ケ小平・宮本顕治2人と不破哲三とを比べると、どうなるか。()、不破哲三は、第23回大会全面改定綱領によって、宮本顕治の逆旋回を半分だけ再逆旋回させ、スターリン型共産党体質・レーニン社会主義革命路線を堅持しつつ、それと社会民主主義路線とを接着・折衷させるというエセ科学的な操作をした最高権力者である。柔軟路線取り込みによって、61年革命綱領路線の半分だけを自己放棄し、レーニン社会主義路線・スターリン型共産党体質を堅持するという大転換をさせた面では、不破哲三とケ小平とは同体質の共産主義的人間とも見なせる。

 

    『綱領全面改定における不破哲三の四面相』宮本逆旋回を半分再逆旋回

 

 第三、東欧・ソ連崩壊の衝撃波が来ると、宮本・不破は、党内規律を強化する作戦とともに、ありとあらゆる脅迫日本語や詭弁日本語を創作して、日本共産党のドミノ的崩壊を必死に防いだ。「東欧動乱は、革命でなく、反革命である」「東欧・ソ連問題を聞いて、腰を抜かす党員がいる」と叱咤激励し、「安心立命の境地に立て」と宗教用語まで使って、宮本路線信仰を強要した。さらには、「ソ連の崩壊をもろ手を挙げて歓迎する」「14カ国は社会主義ではなかった」と規定した。ついには、「社会主義をめざす国ぐに」という宮本・不破式詭弁日本語をでっち上げた。2人は、オーウェルの警句「政党こそが言語をもっとも腐敗させる」を、見事に立証した。

 

 日中朝3党は、東欧・ソ連崩壊の第1衝撃波をなんとかしのいで、そのまま、生存できるはずだった。しかし、日本共産党は、2004年第23回大会では、赤旗HNは、ピーク半分以下に激減した。さらには、日本共産党の総選挙9議席惨敗・選挙4連続惨敗・党勢力激減テンポを上回って、北朝鮮型社会主義の崩壊寸前現象が、るる表面化してきた。

 

 体制打倒論と内政干渉

 

 北朝鮮崩壊・暴発がもたらす中国・韓国への打撃度は、上記で分析したように、きわめて大きく、韓国と中国共産党にとって、北朝鮮が崩壊しないことが切実な願望である。アメリカは、金正日が暴発さえしなければ、日本人拉致被害者の完全解決など二の次課題であり、リップサービスとして努力姿勢を見せるだけで、やはり、当面は北朝鮮の崩壊を望んでいない。日本共産党は、北朝鮮体制存続可否について、どのような秘密思惑を持っているのか。

 

 不破哲三は、シリーズ(1)において、「体制打倒論は天下の公理にそむく」「二重に誤った暴論」「内政干渉の論理」ときめつけている。積極的な打倒論は兎も角、共産党員・更迭した元赤旗外信部副部長・世界唯一のピョンヤン特派新聞記者萩原遼は、南アフリカの人種差別体制を、全世界の政治的経済的制裁手段を限りなく強化したことによって崩壊させ、マンデラを大統領にしたと主張している。その世界規模での政治的経済的制裁にたいしても、不破哲三は、「内政干渉の論理」とするのであろうか。

 

    共産党『どう考える 北朝鮮問題 不破議長に聞く(1)』体制打撃論と内政干渉

 

 北朝鮮型社会主義崩壊が、日本共産党にもたらす第2衝撃波のイマジン

 

 不破哲三の党利党略を推理する材料として、北朝鮮型社会主義が、東ドイツなみに崩壊したら、日本共産党は、どのような第2衝撃波を受けるのかをイマジンする。ヨーロッパ共産党・有権者が、大陸地続きで直接の津波を受けて、共産党が全滅したのと同じく、朝鮮半島北部を発生源とする津波は、日本共産党・1億261万有権者に直接襲いかかる。直接波か間接波かが、東欧・ソ連崩壊時点に、ヨーロッパと日本が受けた衝撃度の決定的な違いである。

 

 (1)、拉致被害者の救出とともに、百数十人中の生存者・被殺害者データが判明し、朝鮮労働党・朝鮮総連の犯罪実態、それと同体質の日本共産党にたいする批判が一挙に高まる。2000年第22回大会前後における日本共産党と朝鮮総連=朝鮮労働党との共産主義友党関係の水面下回復経過が暴露される。それによって、1億261万有権者は、日本共産党を、北朝鮮拉致犯罪加担政党と見なし、意図的な無為無策路線によって秘密支援をした政党として、弾劾する。

 

 (2)、北朝鮮帰国者9.3万人中、3万人以上死亡、内1万人が日本人帰国者専用強制収容所送りになった実態と虐待・虐殺の実態が暴露される。朝鮮総連と日本共産党の帰国運動加担度の責任が追及される。再び日本に帰った者から、北朝鮮型社会主義とマルクス主義前衛党の犯罪が、数万人規模で暴露される。これら(1)(2)は、ソ連・東欧からヨーロッパに亡命した数百万人が持ち込んだ前衛党犯罪情報量・レベルに匹敵し、日本人有権者が初めて見聞きする生身の社会主義犯罪データを直接提供する。

 

 (3)、北朝鮮内部における朝鮮労働党の北朝鮮2400万国民への抑圧・収奪・53階層差別と、金正日による意図的な350万人餓死殺人犯罪の真相が、日本1億261万有権者に知れ渡る。金正日の350万人餓死殺人については、萩原遼が調査・仮説証言をしている。それと関連して、レーニンの500万人餓死中の政策的250万人殺人、スターリンの600万人餓死殺人の真相追究と研究も進む。

 

 (4)、有権者は、もともと、日本共産党と朝鮮労働党とは、同質のマルクス主義前衛党と認識している。不破哲三が、いくら「北朝鮮は社会主義をめざす国ぐに」に含めないという詭弁日本語を使っても、それに騙される有権者は一人もいない。もはや共産党員でさえも騙せられない。日本人有権者は、不破哲三が第23回大会改定綱領で掲げた「社会主義・共産主義」展望と、現存した北朝鮮型社会主義犯罪国家の実態とが、同一と見なし、日本共産党は犯罪的な社会主義国家実現をめざす革命綱領政党であるとの審判を下す。不破哲三が「社会主義の青写真を描かない」と逃げの手をいくら打っても、有権者は、日本共産党の社会主義展望=崩壊し、暴露された北朝鮮型社会主義の実態と判定する。

 

 (5)、北朝鮮型社会主義崩壊と犯罪実態暴露、および、拉致被害者・北朝鮮帰国者たちの日本帰国による証言という直接の第2津波を受けて、2004年度の日本共産党テリトリーから、共産党総選挙比例区投票者458万人・赤旗日曜版読者143万人・党費納入28万党員の「21世紀型逃散」現象が、全国各地で、いっせいに、あるいは、三々五々に、発生する。もはや、日本共産党テリトリーの内部崩壊と逃散とを食い止めうる手段は見つからない。革命綱領政党の共産党テリトリーに国境はない。しかし、この現象の性質は、革命権力国家・東ドイツからの大量亡命、北朝鮮からの脱北者十数万人という、国境を越えての「逃散」現象と類似性を持っている。

 

 ()総選挙・参院選・地方選で、日本共産党に投票する有権者は激減する。日本共産党は、現在の衆議院9議席・1.87%泡沫会派から、ついに、国会議席壊滅政党に無限接近する。専従4000人、国会・地方議員4000数百人は、次第に霧散する。不破哲三は、年収2000数百万円を失う。

 

 よって、北朝鮮が崩壊したら、一番困り、崩壊の恐怖に怯えて、金正日体制を、このまま、なんとか維持したいと願っているのは、()不破哲三の日本共産党、()中国国家を私的所有している中国共産党、()経済共倒れ危険のある韓国の3つである。これらのイマジンは、辛口だが、ジョン・レノンの逆発想も、現実に成り立つ。

 不破哲三の恐怖心こそ、意図的な無為無策路線、六カ国協議への丸投げ路線の謎を解くカギである。

 

 8、『不破議長に聞く』パンフ販売運動と有権者の7月参院選審判

 

 7月参院選とその争点の一つとしての拉致被害者全員救出政策の有無・内容

 

 参院選は、6月24日公示、7月11日投票が確定した。共産党の参院選政策といっても、多数ある。ここでは、拉致被害者救出政策の有無と、それにたいする有権者の参院選審判というテーマに限定する。拉致問題については、いろいろな言い方がある。一般的には、拉致事件と言われる。不破哲三は、「拉致問題」と言っている。私は「北朝鮮拉致(殺害)事件」と規定している。その解決策とは、拉致被害者全員救出政策のことである。

 

 金正日の拉致当初目的は、工作員の対韓国侵入作戦のために、日本人を背のり=工作員を日本人国籍にすりかえることや、工作員の日本語教師に使うことだった。しかし、現在、金正日は、崩壊状態の北朝鮮経済立て直しのカンフル剤として、身代金1兆円≒100億ドル略取カードに目的を転換させた。その金額を払えば、払うとの確約・調印をすれば、拉致被害者を帰してやるという同時取引戦略を採っている。

 

 日本人誘拐犯罪人金正日・朝鮮労働党から、拉致被害者をどういう手段で救出するかの具体的政策が求められている。それには、金正日を、身代金目的誘拐犯罪の社会主義国家元首テロリストと規定するのかどうかが、具体的政策立案の分れ目となる。日本の全政党にたいして、それが、参院選の重大争点の一つに浮上するし、また、させなければならない。参院選に向けた北朝鮮政策としての『不破・北朝鮮パンフ』内容はそれに応えた内容・レベルを持っているのか。

 

 もちろん、絶対的前提条件としての拉致被害者全員救出が、完全解決すれば、1兆円≒100億ドルは、身代金の性格ではなくなり、対韓国レベルの補償・経済支援金という正当な金額として、北朝鮮2400万国民に支払われる。不破哲三の国会質問・パンフ内容は、前提条件をつけずに交渉し、拉致問題解決と補償・経済支援金支払いを同じテーブルでやれ、という論旨である。これは、金正日の戦略とまったく同一である。

 

 そもそも、(1)補償・経済支援金問題は、1945年日本敗戦までの植民地支配時期にたいする謝罪と補償であり、英文法式に言えば、慰安婦問題などを除いて、「過去完了形」問題である。それにたいして、()拉致被害者救出問題は、1977・78年に大量発生し、現在までも拉致・誘拐監禁状態が続いているという「現在進行形」問題である。「時制」が異なる2つのテーマを、同一テーブルで交渉せよ、と要求するのが、金正日と不破哲三の2人である。

 

 2003年総選挙政策・総括における拉致被害者救出政策の位置づけ

 

 2003年11月、総選挙で、共産党は、1988年橋本国会質問と1999年不破国会質問2回を、拉致問題解決の実績として、大宣伝した。しかし、橋本質問は、彼の秘書20年歴・兵本秘書が、拉致被害者調査・家族会結成に動いたデータに基づいた質問項目だった。不破質問の金正日擁護という性格は、上記で分析した。全戸配布ビラ・法定ビラでも、被害者救出の独自政策、具体的な救出行動提案をしていない。また、実際の具体的救出活動を何もしなかった。

 

 2003年12月、総選挙総括10中総でも、拉致問題政策について、一言も触れなかった。むしろ、それを意図的に無視・脱落させた。有権者が、共産党を9議席惨敗させた原因はいろいろある。その一つは、共産党が拉致被害者救出でまったく無為無策路線をとり、沈黙による金正日擁護政党に成り下がったという審判を下し、犯罪加担政党として弾劾したからである。

 

    『共産党の選挙4連続惨敗結果と原因分析』

 

 7月参院選政策と共産党式マニフェスト(政権構想)

 

 2004年1月4日、共産党は、赤旗の北朝鮮問題『不破議長に聞く』を「赤旗」に4日間連載した。それをパンフとして、1月16日発売した。このパンフ販売・普及を、参院選めざす全党運動の一つとしている。全体は上記で検討したので、被害者救出の独自提案・具体的行動案の有無と、それがどのような性格を持つのかを再確認する。

 

 (1)、日朝首脳会談以降1年数カ月間の完全沈黙・北朝鮮批判の大論文無発表を「節度」とし、無為無策がいいと提案している。

 

 (2)、日本政府独自の制裁法案にも反対し、六カ国協議の限界である国利国略・党利党略にたいして、故意に目をつぶって、六カ国協議による被害者救出に丸投げを提案している。共産党として丸投げ政策なので、六カ国にたいして、核開発と被害者救出・北朝鮮国内人権犯罪とを同一レベルの最重要テーマにせよとの要求もしない。拉致問題をテーブルに持ち出すなと日本代表に何度もいう中国政府=中国共産党にたいして、それを重大な誤りであるとの批判もしない。日中両共産党の本音が、北朝鮮・金正日犯罪体制の現状維持であることを、露骨に示した丸投げ路線である。

 

 ()、不破哲三は、共産党独自の被害者救出政策・救出行動を、事実上何もしないことを、宣言している。

 

    共産党『「不破議長に聞く」パンフを緊急出版』一部150円

 

 2004年1月13日、第23回大会における43年ぶりの全面改定綱領は、共産党のマニフェスト(政権構想)である。その構想文言では、北朝鮮問題や拉致問題に一言も触れていない。ただし、不破報告では、「北朝鮮は、社会主義をめざす国ぐにではない」と規定した。彼が否定しようとも、有権者は、北朝鮮が社会主義国家であると認識している。彼の弁明は、新常任幹部会委員21人だけにしか通用しない詭弁規定である。彼も、見え透いたウソを、あまりつかない方がいいのではないか。

 

    不破哲三『綱領改定についての報告』(全文)

 

 彼は、新綱領が、選挙の強力な宣伝武器になるはずだと、綱領改定案の段階から力説している。綱領は、社会主義変革(=革命)政権を提起している。有権者は、共産党が実現しようとする社会主義革命国家が、ソ連・東欧・中国・北朝鮮型の反民主主義的犯罪体制と同一と認識している。そして、2003年6月に綱領案が発表され、るコミも論評していた総選挙時点において、有権者は、共産党を20議席→9議席に惨敗させた。7月参院選を迎えても、共産党の革命政権マニフェストは、投票者を蹴散らすマイナス効果しか生まない。なぜなら、北朝鮮型社会主義の様々な人権犯罪・拉致犯罪を直接体験しつつある有権者で、日本共産党綱領のような社会主義を望んで、新たに投票する無党派層は一人もいないからである。

 

 志位和夫机上計算式にたいする共産党員の反発サボタージュと7月参院選での有権者の審判

 

 不破・志位・市田らは、参院選方針について、総選挙方針の内容を一つも変更せず、政権交代をしなくてもいい戦略を堅持し、47選挙区全区立候補を決定し、候補者未定の沖縄を除く46人の候補者を発表した。しかするコミの参院選シミュレーションは、共産党の選挙区改選7議席→0議席、比例区改選8議席→3議席、改選合計15議席→3議席惨敗としている。それは、総選挙比例区458万票をそのまま得たケースの想定である。志位・市田とも、独自シミュレーションをして、458万票なら3議席惨敗になることを認めている。

 

 うろたえた彼らは、参院選比例区改選8議席→絶対確保5議席という縮小再生産目標に後退させた。それだけでなく、現職3人をリストラして、残り現職3人+新人2人という「市田忠義さえ当選すればいい」という、何ともエゴイスティックな戦術転換を強行した。

 

    『共産党の総選挙連敗総括と参院選方針』現職3人切り捨て=市田救済戦術

 

 総選挙比例区得票数から見ると、それは参院選比例区の3議席分しかないから、133%の参院選比例区得票目標数を掲げよ、と党大会決定をした。赤旗HNが、−27万部となったので、参院選までに、173万部→130%増にせよ、と決定した。それは、3年3カ月間=39カ月間で、27万部減らし続けたが、参院選公示までの約5カ月間で、173×30%≒52万部増やせという志位和夫指令である。志位和夫は、その5カ月間・52万部拡大方針を、2003年12月総選挙総括10中総でも提案していなかった。彼は、いつ、それを決めたのか。朝日新聞にたいして、彼は、458万票を5人確保・610万票にするには、それに比例した赤旗拡大が必要と考えて、「ぶっつけ本番で提案した」と白状している。

 

    志位和夫『大会決議案についての報告』(全文)

    『第23回大会・綱領改定めぐるるコミ論調』朝日1・18記事

      5カ月間で、30%・52万部拡大方針を「ぶっつけ本番で提案した」と白状

 

 たしかに、志位和夫の机上計算式のつじつまは、合っている。

 ()総選挙比例区得票数458万票のままでは、参院選比例区が改選8議席→3人しか当選しない。不破・志位・市田も独自シミュレーションで確認した。参院選では、選挙4連続惨敗中なので、458万票を下回る危険も大きい。選挙区改選7人→0議席になるというシミュレーションも確認してある。

 

 ()比例区改選8議席全員当選をあきらめ、やむなく、現職3人リストラをしてまで、5議席絶対確保に後退した。なぜなら、市田忠義書記局長・参議院議員が落選でもしようものなら、悲惨な事態が党内に勃発するからである。

 

 ()5議席確保でさえも、総選挙比例区458万票→133%の参院選比例区610万票に拡大しなければならない。本音目標は、「市田忠義さえ当選すればいい」という参院選戦略ではあるが、建前として、133%得票数を党内向けに掲げる。

 

 (4)、建前目標を出すからには、票拡大%に比例して、赤旗HN173万部を、6月24日公示日までの5カ月間で、30%・52万部拡大するという建前目標も掲げなければ、つじつまが合わない。この24年間で、HNは、ピーク355万部から、過半数の182万部を失った。第22回大会からの3年3カ月間=39カ月間で、HN拡大40万部−減紙67万部≒差引で減紙27万部だった。しかし、全党員が、参院選に向けて総決起し、党と革命のために献身しさえすれば、参院選公示6月24日までの5カ月間で、HN52万部拡大は可能である。不破・志位・市田指導部の綱領・路線・方針を信頼せよ。

 

 ()在籍403793人党員は、赤旗130%・52万部拡大=比例区票133%拡大に総決起せよ。2月中に、47都道府県党会議・三百数十地区党会議・25000支部総会のすべてが、HN130%拡大目標・支持者133%拡大目標・『不破パンフ』販売目標の数字を決定せよ。都道府県・地区の中間機関は、党大会後、ただちに、書記局にたいして、週報・月報で、目標決定%・目標数字合計、赤旗拡大開始数字、支持者カード集計数字、パンフ販売数字を集約・報告する特別体制をとれ。

 

 このような自公政権延命となる戦略の継続、現職3人リストラ・「市田忠義さえ当選すればいい」戦術への転換、東大卒代々木官僚式机上計算目標押し付け政党、さらには、拉致被害者救出で意図的な無為無策「節度」を強要する不破パンフにたいして、党費納入28万党員はどう動き、または、反発サボタージュをするのか、そして、1億261万有権者は、7月参院選でどういう審判を下すのか。

 

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 (関連ファイル)

    共産党『どう考える 北朝鮮問題 不破議長に聞く(4)』六カ国協議をどう見るか[1.7]

         『どう考える 北朝鮮問題 不破議長に聞く(3)』日本共産党の態度(2)[1.6]

         『どう考える 北朝鮮問題 不破議長に聞く(2)』日本共産党の態度(1)[1.5]

         『どう考える 北朝鮮問題 不破議長に聞く(1)』外交目標を“複眼”でみる[1.4]

    共産党『北朝鮮問題』2002年8月からの北朝鮮関連発言・記事

 

    『北朝鮮拉致(殺害)事件の位置づけ』朝鮮労働党と在日朝鮮人、日本共産党

    『拉致事件関係ファイル・リンク』健一MENU

    加藤哲郎『拉致・核開発問題リンク集』

    中野徹三『国際刑事裁判所設立条約の早期批准を』拉致被害者救済のために

          『共著「拉致・国家・人権」の自己紹介』藤井一行・萩原遼・他

    藤井一行『日本共産党と北朝鮮問題』萩原遼への措置、兵本達吉への批判・除名

    黒坂真  『日本人拉致問題と日本共産党』北朝鮮批判・共産党批判ファイル多数

    れんだいこ『日朝政治史「拉致事件」考』

 

    RENK『救え!北朝鮮の民衆』 RENK『東京』

    HP『朝鮮民主主義研究センター』 『北朝鮮問題リンク集』

    HP『北朝鮮難民救援基金』 『カルメギ』 『北朝鮮に情報公開を求める市民の会』

    朝日『拉致事件』 『核問題』 読売『北朝鮮』 毎日『北朝鮮』 日経『拉致問題』

    Yahoo『朝鮮総連と拉致事件』 『朝鮮総連と帰国事業』 『朝鮮総連と朝鮮労働党』

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