2006年9月はこの6公演

 


イキウメ「プレイヤー」

サンモールスタジオ 8/31〜9/3
9/2(土)ソワレ観劇。座席 D-12

作・演出 前川知大

 ⇒感想は初日観劇(8月)と一緒にしています。

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クロムモリブデン「猿の惑星は地球」

中野ザ・ポケット 9/12〜9/17
9/12(火)観劇。座席 F-8(招待)

作・演出 青木秀樹

 病の友人の為に宇宙へ旅立ったハルコ(奥田ワレタ)は、コールドスリープから目覚めた時、そこが目的の場所ではないと気づく。そこは100年後の地球・・・遺伝子操作で、殺しても死なない体に進化したSARUと、野蛮で知能が低く(言語能力がほぼない)ちょっとの傷ですぐ死んでしまうNINGENが住む世界であった。SARU達は“死”へのあこがれで、「読んだら死ねる本」を必死に追い求めていた。ある日ビルビル(板倉チヒロ)の夢に「読んだら死ねる本」のヒントが隠されていることをジーラ(金沢涼恵)とコーネリアス(久保貫太郎)が発見する。しかし、その夢(=ネタ)のデータはすでに、放送作家のディック(森下亮)に売られた後であった・・・。ネタデータを返してもらいに、ビルビルはノナノナ(重実百合)と共に旅たつ。「読んだら死ねる本」を巡って、“死”とはなんぞやを見つめた作品。

 作品のテンション(役者のテンションも含めて)の高さは好きである。ただ今回はストーリーを追い過ぎたせいか、いつもの不条理な世界感が希薄であった。前回の『ボークを脱げ!』や『ボウリング犬エクレアアイスコーヒー』で見せた、“ストーリーは二の次でクロムの世界感まるだしの作品”の方がクロムモリブデンらしいと思うのは私だけなのだろうか・・・。

 あと新しい役者が増えたことによって(奥田ワレタの復帰は嬉しい)、板倉チヒロ、重実百合、森下亮、金沢涼恵の出演シーンが減ってしまったのは残念でならない。クロムモリブデンは魅力のある役者がいることも好きな要因の一つなのである。彼等の出番が少ないと魅力も半減である。特に今回は重実百合、森下亮の影が薄い。それは、役者がどうとかじゃなくて、魅力を発揮できる配役ではなかったのが大きな原因かもしれないが・・・。

 いつもと変わらなかったのは照明の美しさかな。ここの照明は素晴らしいと思う。照明の床田光世のファンってのもあるけど。って脇道にそれた。それと音も良かった。こういうところのこだわりはクロムモリブデンらしいけどね。あと、SARUが持つ携帯電話機能付きの帯刀ってアイデアも面白かった。映画の『猿の惑星』って未来なのにそういう進化はなかったもんね。まぁ人間の遺産は博士が葬っていたんだけど・・・。

 と、いいところがありつつも、いつもの飛び抜けた面白さがなかったのが残念である。次回はもっともっとクロムモリブデンらしさを発揮した作品を見せて欲しい。


“クロムモリブデン”自分が観た公演ベスト
1.ユカイ号
2.ボーグを脱げ!
3.ボウリング犬エクレアアイスコーヒー
4.猿の惑星は地球
5.カラビニラダ―雪22市街戦ナウ

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スロウライダー「Maggie」

下北沢駅前劇場 9/13〜9/18
9/16(土)ソワレ観劇。座席 D-3(招待)

作・演出 山中隆次郎

 垂池(日下部そう)はバイトを無断欠勤し、先輩の向井(児玉貴志)の家に転がり込んでいた。バイト先のリバティーでデブでブスな女の子・マギー(声:笹野鈴々音)に好きだと告白されたことで、店で二人っきりになるのが嫌で無断欠勤していた(という理由を自ら付けていた)。しかし、本当はバイト先の先輩(?)荒井田(山中隆次郎)の耳を刃物で切りつけてしまったので行けなくなったらしい・・・。垂池は小説『西瓜糖の日々』を日々愛読しており、その世界にどっぷりと浸かったまま、家の中から一歩も外に出ようとしなかった。家には向井の妹・那美(松浦和香子)も住んでいた。垂池は那美に心を寄せていくが、那美にはボーイフレンドの小谷(數間優一)がいた。『西瓜糖の日々』に侵食されていった垂池は、現実と“西瓜糖の世界”の区分けが曖昧になっていき、徐々に錯乱していく・・・。

 インスパイアされたリチャード・ブローティガン作『西瓜糖の日々』を読んだ事がないので、内容を当日パンフより、ちょっと端折って引用させて頂きます。
 【―ここからは想像もつかないほど遠くにある、西瓜糖の世界。そこでは、幾筋もの川が流れ、曜日によって太陽の色も違う。生活に必要な物の多くが7種類の西瓜を煮詰めた西瓜糖によって作られている。人々は西瓜糖世界の中心にある、iDEATH<アイデス>と呼ばれる場所に集まって食事をする。かつての支配者で私たちと同じ言葉を話すことができる虎を絶滅させて以降、世界は<鱒の時代>に入り、人々は自分の欲望を抹殺しながら、iDEATHの微妙な均衡を保っている。しかし、iDEATHの脆い平穏さに疑問を感じる人間は次第に増え、インボイルをはじめとする少数派は、iDEATHを離脱し<忘れられた世界>という、虎の時代の遺物が集められた場所に住み始める。やがてインボイルは虎の時代の復活を叫びながらiDEATHで自殺。インボイルとの共謀を疑われた「わたし」のかつての恋人、マーガレットも、iDEATHの人々につまはじきにされた末、スカーフで首を吊ってしまうのだった…。】
 と書いても、よくわからん。実際に読んでもわからないみたいだけど(薬でラリって書いていたとどっかのHPには書かれてあった)、HPの感想を読むと、その文体(英語)が“美しい”と評判が良かった。ちょっと興味はあるけど、今は読まないと思う。

 で、前述のあらすじはあくまで現実(=“忘れられた世界”)の物語。その同じ舞台でアイデスの世界が展開される。これは観てもらわないと掴み難いと思うが、現実の舞台は向井の家の台所兼ダイニングである。そのセットがリアルに作り込まれている。そこをほぼ全面を隠さんばかりに凹凸のある赤い壁が覆っている(観劇後山中氏に聞いたところ赤い壁は“西瓜”を表現しているとの事。凹凸は種)。これがアイデスの世界である。まさしく垂池の頭の中の世界がそこに実在しているのである。物語上でも二つの世界が交差するが、舞台美術上で同居させてしまう発想には魅せられた。映像なら綺麗に二つの世界を描きわけられるだろうが、この大胆さは舞台でしか表現できない醍醐味と言うか面白味ではないだろうか。現実の世界の住人とアイデスの住人たちの世界が、垂池の頭の中で交錯していくのだが、その両方の住人が同時に舞台上に存在するのを観客も体感する。これこそが垂池の見ている世界だと思う。その錯乱していく様を視覚的に観ることによって、垂池の苛立ちや絶望感、焦燥感が観客にも伝わってくる・・・。それを考えると今回の作品は理解しやすいと言っていいのかも。あっ、他の作品と比較するとって意味で。

 『西瓜糖の日々』をそのまま芝居にするのではなく、垂池が浸っている小説とした着眼点も面白かったと思う。それにより垂池の崩壊と再生を描いた物語となっていた。ただ勿体無いと思ったのが、そうすることによって“アイデスの世界”の描き方が少々弱くなってしまった点である。その甘くて緩い世界感がもう少し伝わってくると、その世界に侵されていく垂池の気持ちも理解でき、さらに現実との対比ができたのではないだろうか。

 ラストのマギーと垂池、マーガレット(笹野鈴々音)と「わたし(芦原健介)」の関係性は非常に良かった。そこから垂池が自らの意志で向井宅を出て行くラストシーンに繋がるのである。スロウライダーには珍しいハッピーエンド。そこが今回は良かったりして。

 ・・・読み直したら、作者が描きたかったものが伝わってないことに気付く。プレスリリースからそこら辺を勝手に引用してしまいます。それなら伝わると思う。
 【全てが不足なく満たされている、けれどなにかが大きく欠けている。その欠落がなんなのかは分からない…。コトバは痩せてしまっている…。目の前で人が泣いていても、どうして泣いているのかがわからない…。モノが沢山溢れているけれど、それはどこか味気ないニセモノのように思える…。いや、もしかしたら、この世界すらニセモノなんじゃないのだろうか…?そんな感覚は、いまの日本の若者の間でとても「リアル」なものです。ブローティガンが「ある種の」ファンタジーとして書いた世界が、東京で「リアル」なものになっている】
 そこから派生した物語を“崩壊”ではなく“再生”として描いたところに、今回はとても好感が持てたのである。


“スロウライダー”自分が観た公演ベスト
1.ホームラン
2.むこう岸はエーテルの国
3.Maggie
4.わるくち草原の見はり塔
5.トカゲを釣る
6.アダム・スキー

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庭劇団ペニノ「UNDER GRAND」

ザ・スズナリ 9/15〜9/20
9/19(火)ソワレ観劇。

作・演出 タニノクロウ

申し訳ありません。まだ書けていません。

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劇団ひろぽん「深夜旅人」

早稲田学生会館B203 9/22〜9/24
9/23(土)マチネ観劇。座席 自由(6列目中央やや下手)

作・演出 吉田武寛

 24歳(中2から10年後だとそんな感じかなぁ)の川上相馬(茶木嵩文)は、「大切なものをお持ちください」と書かれた“夜の世界への招待状”を受け取る。相馬は、その招待状を渡した女性の後姿が久遠月子(大竹絵梨)に似ていたのが気にかかり、故郷へ帰ってきた。
 物語は10年前へ・・・。その日は、月子が東京から転校してくる日であった。ワクワクしながら転校生を待つ戸田充彦(スズキヨウヘイ)と相馬。そんな二人に隣のクラスの山本明美(南の魚座のフレーバー)は、冷たい視線を投げかける・・・。仲良くなった相馬、充彦、月子は幽霊を探しに裏山へ行くことに。そこで地縛霊の善郎(伊藤駿)に出会う。善郎の悩みを解決し成仏させた三人は“幽霊探偵団”を結成し、幽霊を成仏させようと決意する。
 ある日、充彦が真夜中に出かけている事を心配した相馬は、充彦の後をつけてみる。そこで相馬が見たものは、好(このみ:佐野恵子)と会っている充彦の姿であった。相馬は、真夜中に女の子が出歩いている事に疑問を感じ、二人が別れた後、好を追ってみる・・・。しかし、好は、目の前で忽然と姿を消してしまったのであった・・・。
 その後も、明美が霊にとり憑かれる話など幽霊譚が綴られていく。そして招待状を送ったであろう月子の話で終演。

 それぞれ、そこそこ物語は作られていて面白いのだが、幽霊譚を詰め込み過ぎて上演時間が長い、長過ぎである。一番良かった“好の物語(本当のサブタイトルは忘れた)”だけを膨らませても良かったのではないだろうか。

 で、ダメ出しで申し訳ないが、一番強烈に感じてしまったのが、作りが古臭いこと。20年くらい前の芝居を観ているようで、正直驚いてしまった。今でもこんな芝居を、ましてや学生がやっているとは・・・。一番のダメ出しは、説明的なセリフで物語を進行させていくところ。場面転換で「○○は○○へ行った」とか口に出して言ってしまう。そんな演出は過去の遺物だと思っていた。セリフで説明しないで状況を伝えてこその演出だと思うが、ト書き的なものまでセリフにしてしまうのは言語道断。演クラ出身の芝居は、どれも(全て知っているわけじゃないけど)個性があって、凄いって思ってたので、あれれれれって感じであった。

 まだ一作しか観てないのに偉そうなことを書いてしまって申し訳ない。まだまだ成長過程だと信じての言葉だと思って欲しい。次回公演は3ヶ月後の12月・・・ちょっと間がなさ過ぎって気もするけど、がんばって欲しい。

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げんこつ団「ジャンボリー」

下北沢駅前劇場 9/21〜9/24
9/23(土)ソワレ観劇

作・演出 吉田衣里

申し訳ありません。まだ書けていません。

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カリフォルニアバカンス「信玄と三角錐」

MODeL-T 9/23〜9/24
9/24(日)マチネ観劇。座席 自由(2列目上手の方)

作・演出 佑里沢満人

 池袋西口にあるカフェ“MODeL-T”。そこで彼女を待ち、お茶を飲んでいたヤスカワ(大口達也)は、偶然やってきた高校時代の同級生(室野尚武)に出くわす。男はなにやら怪しいモノの販売員らしく、カバンの中から“三角錐” と“武田信玄のサイン”を取り出す。ヤスカワは仕方なく信玄のサインを購入する。男が去り、そのサインをテーブルに置いていたところ、信玄好きな女(田中美穂)がやってきて、武将について語り始める。実は、その女も“信玄のサイン”を買わされたらしい・・・。そんなところへ、彼女(清水智香子)がやって来る。そして予感通りに、好きな人ができたから別れて欲しいと別れ話を切り出される。その上、好きになった相手はヤスカワのおじいさんだと追い討ちをかける・・・。次にやってきたのが、世界騙されやすさ選手権に出場しようとする男(宮健一)とそのトレーナー(富岡利佳子)。案の定“信玄のサイン”を持っていた・・・。そんなヤスカワを巡る奇妙な人々の物語。約30分。

 「三角錐」を買うか、「武田信玄のサイン」を買うかで、ストーリーが変わる。今回は信玄編のみを観劇。これが、大満足のくだらなさ・・・。不条理と言うより、キ○ガイすれすれの人物像が面白い。これこそカリバカの本領発揮ではないだろうか。役者もいつもと違って(失礼な発言は大目に見て!)自然に演じていたのもよい。いつも変なオーバーアクションで作品を台無しにしているので、今回くらいの壊れ方がベストだと思う。

 ただ、上演時間が30分なので、人物像を掘り起こすまでには行ってない(当たり前か)。しかし、それだからこそ、偶然喫茶店で隣り合わせになった奇妙な奴らというシチュエーションを堪能できる。企画の勝利って感じかなぁ〜。こんな企画を密かに続けて欲しい。


“カリフォルニアバカンス”自分が観た公演ベスト
1.もしも島田が願うなら
2.甲虫とゴシップ
3.パジャマと毒薬
4.Dalix〜ダリの経験〜
【番外公演】
信玄と三角錐

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青年団若手自主企画「World's end」

アトリエ春風舎 9/25〜10/2
9/30(土)マチネ観劇。座席 自由(5列目中央:招待)

作 鈴木大介
演出 西村和宏

 内戦状態が続いている、とある国。そこに居合わせた6人の日本人。5人の女性(亜紀:荻野友里/晴香:後藤麻美/サキ:小林亮子/カナ:立蔵葉子/多香子:堀夏子)と1人の男(沢木:明石修平)。ある日、目覚めると6人は、シェルターの中に閉じ込められていた。彼女、彼らは、旅行客であったり、ボランティアだったり、ジャーナリストだったり・・・しかし、どうしてここに閉じ込められたのかわからない。内戦が激化したのか?核ミサイルが発射されたのか?・・・警告音が鳴り響いている。食器の数から察するに、このシェルターは5人用である。と言うことは、6人のままだと二酸化炭素濃度が高くなり、全員死ぬという警告なのか・・・ 残された時間は無い。追い詰められた状況で6人が取った行動は・・・。

 閉塞状態のシェルターの中の狂気(現在)を描きつつ、途中で何度かに分けてシェルターに入る前(過去)の物語が挟まれる。とある国で起こっている内戦を傍観しながら(日本人の自分たちには“関係ない”とでもいいたげな)、彼等はくだらない話をし続ける・・・。この過去の無責任感と、1人を殺せば残りの5人は生き延びると考え始める(実行し始める)現在の狂気とのコントラストにより「世界が終わるのと、自分が死ぬのは同じだと思う」というキャッチコピーが生きてくる。
 しかし、外(過去)の話とシェルター内(現在)の区分けがイマイチ伝わらない。警報音で区別は付けていたが、正直その音が不快だったのか、意識から外れている時が随分あった。鳴っているから今の話しなんだ、とは思わずに、どっちの話しだと疑問に思った時に、あぁ鳴っているみたいな感じで意識する。その程度だから不快さも我慢できたのかもしれないが、やはり照明で差を付けるとか、シェルター外なら雑音を入れるとかで、もう少し区分けを明確にして欲しかった。

 この物語は、“自分が助かるためなら、自分以外の誰かが死んでも構わない”“地球のどこかで戦争が起こっていても、自分が参戦しなければ関係がない”そんなところから“世界が終わるのと自分が死ぬことは同じだと思う”というテーマを導き出しているのだと思う。それは明確に伝わるのだが、だからと言って。何か心に触れるものがあるのかと言ったらなかったのである。それは“今の日本”を描いているだけで、そんな事は誰もが判っている事ではないだろうか・・・。なんか、そう思ってしまったからである。
 あっ、あと警報は単なる○○○○だったってオチも物足りない。

 で、あと考えたのだが、とある外国ではなく、舞台を日本にしても面白かったのではないだろうか?という事。日本の方が日本人だけがシェルターに入るってことも自然だし、何故という理不尽さも増すのではないだろうか。何故閉鎖したのか、外の様子はどうなのだろうか、日本が戦争を始めたのか、とかとか。警報の字が読めないのも、シェルターがどこ産だかわからない(アラビア語が書かれてあったり)ってことで日本語のマニュアルを探すという事での展開も成り立つ。そしてもう一つ。不能な男という状況より、ゲイが混じっていたほうが話も膨らむのではなかろうか。それもまだ男性自身を切り取ってないゲイ。不能ではないので未来への希望はある。でもその気が起きない。このシェルターが“箱舟”だったとしたら、未来の行方はどうなるのか?って点でも発展しそうな気がするのだが・・・ちょっと笑いに走ってしまうかもしれないか・・・でも、そこから“他人には無関心な日本人”像がさらに浮かび上がってくるように感じるのだが、どうだろう。

 付け加えるようで申し訳ないが、役者は皆、個性があって素晴らしいと思った。

 余談だが、当日パンフのあいさつ文を読み、死ぬ時に自分は何を食べたいだろうか?という事を開演までに考えた・・・。でも思いつかない。結論としては“何を食べたいか”ではなくて“誰と食べたいか”の方が重要であろうという答えが出てきた。好き嫌いがないのが幸い(災い?)して死ぬ時は何を食べてもいいと思える。でも大好きな人がおいしく食べる姿を見て食べるものが一番おいしいのではないか。だからそれを最後にしたい。最後の(最高の)幸せはそれだと思う(誰を想い描いているかは内緒・・・)。でも、その時が突然訪れたらどうだろう・・・。いつも大好きな人と一緒にいるとは限らない。そんなことを考えている内に開演となったが、そんな気持ちもこの芝居には重要な要素であった。

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