グアム旅行記

2001年1月26日〜1月29日

ホテルからの様子今回のグアム旅行のクライマックスは、飛行機に乗る前のあの出来事だったような気がする。

そう、あの時は、大西君(ベトナム、ミャンマー編参照)ら一部を除き、京都駅に集合し、最終の「はるか」に乗って関西空港に行こうということになっていた。私はそのとき仕事が若干忙しかったため、午後7時前に職場を脱出し、急いで家に戻り、荷物を担いで、京都駅に向かった。そこで切符を買おうとしていると、そこにはスカッシュサークルの大御所、40の独身貴族、ヨッシーこと吉木さんがいた(2001年10月結婚!)。2人で駅構内に入り、辛うじて売れ残っていた駅弁を買い、「はるか」が出発するホームへと向かった。どうやら最初にわれわれ2人が到着したようで、その後、メンバー達がゾロゾロと揃ってきた。いつもの熊ちゃんや橋爪君等々。

そうして人が揃うとまもなく、はるかが到着し、出発するまで残り2分となる頃、あの最長老ヨッシーが切符を無くしたと、困った様子であちこち探している。私の経験上、結局、ポケットのどこかにあると思ったし、もし最終見つけることができなかったとしても、3000円ほどの出費になるが、再度車内で買えばいいと思っていた。

血迷ったのか!ヨシィー

しかし、なぜか、彼は切符売り場の方へ走り去った。それも普段、「体が重いよー」とか「ひざが痛いよー」とか言っているのが不思議なほどの高速ダッシュであった。仕方なく、彼の残していった荷物だけを車内に持ち込んだ。出発のベルがなるも、こちらに戻ってくる様子はない。車掌も出発を遅らせることはできないと怒っている。結局、出発してしまった。この最終の「はるか」に乗り遅れると飛行機には乗れないのである。

友人たちしかしである。あの伝説の技が残っている。そう大西「生き急ぎ」師匠がミャンマー編で実施した新幹線技である。私のホームページさえ、しっかりと読んでいれば助かるのかも知れない。つまり、京都駅から新大阪まで新幹線で行き、「はるか」を追い越すという荒技である。

そして、さすがはヨッシー。だてに歳をくっとらん。彼は見事に実践し、成功し、新大阪駅から私たちのはるかに乗ってきた。ちょっと恥ずかしそうだ。お茶目なヨッシーであった。

ということで、旅行してから2ヶ月以上経過している現時点において、覚えているのはこのエピソードが9割方占めてしまっている。あとは蛇足になる。

泊まったホテルはPICである。部屋自体は大したことはないが、ホテル内でリゾートを完結するために、あらゆる施設が整っていた。滑り台付のプール、テニス、バトミントン、スカッシュ、ラケットボール、体験ダイビング用プール、カヌー、アーチェリー等々。そういったことが無料でというかホテル代に含まれている。利用しなければ損である。そういうことで、体験ダイビングをした。私にとっては初めての経験である。地上で日本語ができるお兄ちゃんが丁寧に説明してもらったお陰で水中でも、それほど緊張することなく、耳抜きができた。これに味を占めて、海に行ったけど(これは70ドルかのオプション料金がいる)、海に酔ってしまい、疲れてしまった。 食事はシーフードのレストランなどにいったが、それほどの感動はなかった。やっぱり食事が楽しいのは東南アジアだなーって思う。

でも、グアムには別の魅力があるわけで、意外とグアムって好きです。

(写真;ホテルの部屋からの様子とスカッシュの仲間達)

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