他力本願政党に変質と赤色信者の思考停止羊化
「自力」主張政党→2つの他力への依存症政党に変質
革命組織・共産党は人間を思考停止羊化させるという3作家の洞察
赤色信者21.5万人の思考停止羊化
(宮地作成)
〔目次〕
1、「自力」主張政党=「党勢拡大!」の連続指令→赤旗大量減紙N100万部割れ
〔他力1〕、「アベノミクス」強化本願→唯一の批判票受け皿政党狙い
〔他力2〕、他野党の消滅・分裂・弱体化継続本願→「唯一の自共対決?」
2、革命組織・共産党は人間を思考停止羊化させるという3作家の洞察
1、ドストエフスキー『悪霊』『カラマーゾフの兄弟』−ナロードニキ批判
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革命ユートピア・逆ユートピア小説の系譜
選挙投票行動時だけの一時的軒下雨宿り先
2014年、共産党からの永続的離脱傾向継続・増幅
12月度H−1844・N−9511 →N100万部割れ↓
総選挙比例代表得票数606万2942÷N1人当り6.14≒98万7449部↓
解散総選挙ニュース yahoo雑誌(243) 読売衆院選2014
毎日『衆院選:「白紙委任していない」自民に投票100人アンケート』
(2013年7月21日参院選結果)
軒下・一時的雨宿り+共産党からの永続的離脱
7月度H5411部減・N22204部減、8月度H904部減・N6271部減
議席15→5→4→3→3→8 比例代表5人当選順位−7、16、26、35、46
アベノミクス批判有権者激増+受け皿政党自滅・分裂=批判票選択肢2つ
(1)政治不信と棄権投票率5.31%激減+(2)共産党への軒下・一時的雨宿り
参院選13年結果 総務省 yahoo 読売 朝日 毎日 産経 時事
〔小目次〕
1、「自力」主張政党=「党勢拡大!」の連続指令→赤旗大量減紙N100万部割れ
〔他力1〕、「アベノミクス」強化本願→唯一の批判票受け皿政党狙い
〔他力2〕、他野党の消滅・分裂・弱体化継続本願→「唯一の自共対決?」
1、「自力」主張政党=「党勢拡大!」の連続指令→赤旗大量減紙N100万部割れ
志位は、党大会決定・常幹決定の度毎に、「自力! 自力が足りない!」と叫んできた。「自力」とは何か。それは、党員拡大・赤旗HN拡大を指す。
ところが、「自力」は、1980年以降、35年間にわたって減り続けるばかりである。ついにN100万部割れになった。
日本共産党とは、選挙投票行動時だけの一時的軒下雨宿り先になった。2014年、共産党からの永続的離脱傾向継続・増幅している。
2014年12月度H−1844・N−9511 →N100万部割れ↓ 志位は、14年赤旗びらきにおいて、総選挙比例代表得票数がN1人当り6.14票と公表した。総選挙比例代表得票数606万2942÷N1人当り6.14票≒98万7449部↓である真相を告白した。もちろん、志位の真意は、総選挙結果によって、赤旗拡大対象者が無限に広がったと宣伝することである。しかし、この告白内容は、支部・党員騙しペテンである。
ただし、党費納入党員21.5万人は、誰も「総選挙結果によって、赤旗拡大対象者が無限に広がった」と騙される者はいない。選挙投票行動時だけの一時的軒下雨宿り投票有権者とは、その名前も分からないからである。具体的な対象者リストにはなりようがない。
(表1) 13年10月〜14年7月の赤旗公表毎月HN増減パターン
第1次党勢拡大大運動→第2次党勢拡大大運動→26回大会
第26回大会前・少量拡大→後・大量減紙→「躍進月間」2カ月半
|
第1次 |
第26回大会前−少量拡大 第2次 |
26回大会後−大量減紙 |
躍進月間2カ月半 |
|||||||
|
15カ月 |
10月 |
11月 |
12月 |
1月 |
2月 |
3月 |
4月 |
5月 |
6月 |
7月 |
HN |
4354 |
2251 |
4509 |
7660 |
611 |
7909 |
後退 |
後退 |
? |
2814 |
9600 |
H |
1541 |
263 |
594 |
1860 |
95 |
2146 |
後退 |
後退 |
増勢 |
440 |
1600 |
N |
2813 |
1988 |
3915 |
5800 |
516 |
5763 |
後退 |
後退 |
後退 |
2374 |
8000 |
第1次「党勢拡大大運動」2011年7月4日〜12年9月
前代未聞の連続拡大運動期間15カ月間→結果HN4354大量減紙
第2次「党勢拡大大運動」2013年9月〜14年1月
10月〜12月党大会前〜1月=4カ月間の少量拡大は+15031部
第26回大会直後2月度早くもH2146減・N5763減=計7909減
→3月度HNとも後退・部数沈黙=2月度以上の大量減紙か?
→4月度HNとも後退・部数沈黙=2月度以上の大量減紙か?
2月〜4月度〜5月15日、HN合計3万4748部減
『党勢後退テンポに志位悲鳴→「躍進月間」5月15日〜7月末』
第26回大会後4カ月間−党員99.6%、3068人離党・死亡
HNとも97.2%・4カ月間で3万4748部減紙
第26回大会前・少量拡大部数+15031部は、党大会後の4カ月間HN合計3万4748部減で丸ごと吹っ飛んでしまった。
「躍進月間」2014年5月15日〜7月末−拡大目標HN合計3万4748部以上
→5月度H増勢・Nわずかに後退・部数沈黙・党員入党決意者?681人
→6月度H+440・N+2374・党員入党決意者1529人
→7月度H+1600・N+8000・党員入党者3000人近い
「月間」中HN+12410→減紙未回復2万2370部
(表2) 「躍進月間」直後からも大量連続減紙
「躍進月間」直後・8月度H−1151、N−3921、入党決意者?+531
9月度H−784、N−2763、入党決意者?+525
10月度H−714、N−2497、入党決意者?+587
12月度H−1844、N−9511、入党?+452
|
〜14年11月1日赤旗まつりまで |
〜2015年4月統一地方選まで |
統一地方選後〜 |
||||||||||
|
8月 |
9月 |
10 |
11 |
12 |
1月 |
2月 |
3月 |
4月 |
5月 |
6月 |
7月 |
8月 |
HN |
5072 |
3547 |
3216 |
3607 |
11355 |
|
|
|
|
|
|
|
|
H |
1151 |
784 |
719 |
781 |
1844 |
|
|
|
|
|
|
|
|
N |
3921 |
2763 |
2497 |
2826 |
9511 |
|
|
|
|
|
|
|
|
累計 |
|
8619 |
11835 |
8228 |
19583 |
|
|
|
|
|
|
|
|
14年11月1日赤旗まつり〜2015年4月統一地方選
「月間」中HN+12410→「月間」直後3カ月間−11835=差引HN+575部。
第26回大会後12カ月間、減紙未回復4万1953部→12月以降で、減紙部数膨らむ?
12月度H−1844・N−9511 →N100万部割れ↓
14年総選挙比例代表得票数606万2942÷N1人当り6.14≒N98万7449部↓
〔他力1〕、「アベノミクス」強化本願→唯一の批判票受け皿政党狙い
13年参院選議席躍進結果と2014年総選挙13議席躍進結果とも、共産党の「自力」で勝ち取ったものでない。それは、日本共産党が、選挙投票行動時だけの一時的軒下雨宿り先になった事実を証明している。なぜなら、「自力HN」が、1980年以降、35年間にわたって減り続けるばかりだからである。2回の国政選挙議席増加結果と、「自力HN」とは、反比例の関係になっている。
議席増加結果は、共産党がアベノミクス批判票の唯一の受け皿に浮上したことが原因だった。有権者にとって、投票先がなくなった。投票する政党がない。(1)棄権するか? (2)それとも、一番嫌いだが、党内民主主義抑圧破壊政党・党内犯罪無数の日本共産党に絶望的な選挙投票行動時だけの一時的軒下雨宿り先にするか。
3つの選挙種類が異なるが、ここでは時系列データにした。種類ごとのデータは、それぞれの別ファイルにある。(表)の増減は同種選挙の比較である。
(表3) 衆院選・参院選・都議選12連続惨敗データ
→13年東京都議選・参院選議席倍増
年 |
種類 |
議席 |
得票数・万 |
得票率・% |
備考 |
|||
増減 |
増減 |
増減 |
得票数増の真相 |
|||||
00年 |
衆院選 |
26→20 |
−6 |
663 |
−47 |
11.23 |
−1.32 |
|
01年 |
都議選 |
26→15 |
−11 |
74.8 |
−5.5 |
15.63 |
−5.7 |
|
01年 |
参院選 |
15→5 |
−10 |
432.9 |
−386.6 |
7.91 |
−6.69 |
|
03年 |
衆院選 |
20→9 |
−11 |
459 |
−204 |
7.76 |
−3.47 |
|
04年 |
参院選 |
5→4 |
−1 |
436.3 |
+3.4 |
7.80 |
−0.11 |
実質数万票減 |
05年 |
都議選 |
15→13 |
−2 |
68.0 |
−6.7 |
15.57 |
−0.06 |
|
05年 |
衆院選 |
9→9 |
±0 |
492 |
+33 |
7.25 |
−0.51 |
実質30.1万票減 |
07年 |
参院選 |
5→3 |
−2 |
440.8 |
+4.5 |
7.48 |
−0.32 |
実質17.7万票減 |
09年 |
都議選 |
13→8 |
−5 |
70.7 |
+2.7 |
12.56 |
−3.01 |
実質13.2万票減 |
09年 |
衆院選 |
9→9 |
±0 |
494.4 |
+2.4 |
7.03 |
−0.22 |
実質15.5万票減 |
10年 |
参院選 |
4→3 |
−1 |
356.3 |
−84.4 |
6.10 |
−1.38 |
|
12年 |
衆院選 |
9→8 |
−1 |
368.9 |
−125.4 |
6.13 |
−0.90 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
13年 |
都議選 |
8→17 |
+9 |
61.6 |
−9.0 |
13.61 |
+1.05 |
得票数9.0万激減 |
13年 |
参院選 |
3→8 |
+5 |
515.4 |
+159.1 |
9.68 |
+3.58 |
得票数・投票率は比例代表。参院選半数改選議席→当選議席
このデータを見ると、2000年以降、東京都議選だけでなく、衆院選、参院選においても、日本共産党は、衆院選2回の±0議席を除いて、議席と、得票率をすべて減らしている。総選挙・参院選・都議選の得票数増加5回は、投票率アップによるもので、実質的には、(表)備考欄のように5回とも得票数を減らしている。実質的得票数減少5回データを合わせれば、得票数も11回連続惨敗政党になった。
ところが、2013年東京都議選において、共産党は議席倍増8→17に躍進した。投票率激減により、得票率+1.05増えた。しかし、得票数は9万0881票激減した。
さらに、13年参院選においても、共産党は議席倍増3→8に躍進した。
共産党常幹は、総選挙結果の評価を公表した。
共産党常幹総選挙の結果について/
(表4) 6回目の小選挙区比例代表並立制総選挙
年 |
比例議席 |
得票数(万票) |
得票率(%) |
96 |
24 |
727(小) 710(比) |
13.08(小) 12.55(比) |
00 |
20 |
735(小) 663(比) |
12.08(小) 11.23(比) |
03 |
9 |
484(小) 459(比) |
8.13(小) 7.76(比) |
05 |
9 |
494(小) 492(比) |
7.25(小) 7.25(比) |
09 |
9 |
297(小) 494(比) |
4.22(小) 7.03(比) |
12 |
8 |
470(小) 368(比) |
7.87(小) 6.13(比) |
14 |
20 |
704(小) 606(比) |
13.30(小) 11.37(比) |
前回比 |
+12 |
+234(小) +238(比) |
+5.43(小) +5.24(比) |
この性質にたいし、(1)2013年参院選結果にたいし、多くの人が的確に指摘している。(2)2014年総選挙結果の見方も同じであろう。朝日世論調査にあるように、「野党魅力なし」有権者が、(1)政治不信と棄権・比例代表投票率52.65%に激減+(2)共産党への選挙投票時だけの軒下・一時的雨宿りだった。しかも+(3)「野党魅力なし」=「受け皿政党の壊滅・消滅」のさらなる増幅があった。
朝日『自民大勝理由「野党魅力なし」72% 朝日新聞世論調査』2014年
·
『世論調査―質問と回答〈12月15、16日実施〉』2014年
共通する基本的な見方は、次である。アベノミクス批判有権者激増+受け皿政党自滅・分裂=批判票選択肢2つ(1)政治不信と2013年参院選における棄権投票率5.31%激減+(2)共産党への軒下・一時的雨宿りだった。
次は、『日本共産党・民青同盟悪魔の辞典』の2013年8月25日参院選後に載った記事である。ただし、共産党京都府委員会は、後に共産党HPから、下記箇所を削除してしまった。その後、再掲載をした。
京都民報 経済問題への提言で有名な浜矩子同志社大教授インタビューなのだが。これはすごい!
日本共産党が躍進した要因と、今後期待することはありますか。
「アベノミクス」を真っ向から批判し、憲法改正や原発推進をすすめる自民党政治に対し、明確な反対姿勢を貫いたことが集票力の高まりにつながった。日本共産党という党がなければ、反自民票の確たる受け皿が何もない。そんな危機的な政治状況の中での選挙でしたね。つまり、「他に投票するところがないから入れた」という層からの集票だったということです。
今回の選挙では「まさか自分が共産党に投票するとは考えてもなかった」という人が悩みに悩んだ末、絶望のはけ口のような形で共産党に投票したケースもあったと思います。
そのような側面から日本共産党は目をそらしてはいけない。民主党は自分たちの敗因をしっかり見据える必要がありますが、共産党も自らの勝因を誤解しないようにしなければいけない。真価が問われるのはこれからです。変に舞い上がって冷静さを失わないようにしてほしい。政治に関する責任の重さは与党も野党も同じです。鋭い切り口と広い視野をもって政策批判を展開していく。それが仕事です。
〔他力2〕、他野党の消滅・分裂・弱体化継続本願→「唯一の自共対決?」政党
共産党の国政選挙議席2回躍進のもう一つの原因も、「自力」でない。他野党が、アベノミクス批判票受け皿にならなかった。それは、他野党が消滅・分裂・弱体化したままだったからである。その「他力2」が原因だった。共産党は、国政選挙2回において、他力本願政党に変質した。このデータはいちいち書くまでもない。
解散総選挙ニュース yahoo雑誌(243) 読売衆院選2014
「自力HN」は、35年間減り続けている。(1)国政選挙議席2回躍進と、(2)「自力HN」は明白な反比例関係になった。志位は、どうすればいいのか。他力本願政党に変質するしかない。それは、志位が、他野党が消滅・分裂・弱体化継続を願う他力本願政党=「唯一の自共対決?」政党というウソつき党首を続けることである。
2、革命組織・共産党は人間を思考停止羊化させるという3作家の洞察
3作家は、彼らと同時代の革命組織、共産党の直接間接体験をした。それを通じ、革命組織・共産党は、人間を思考停止羊化させると洞察した。それらをアンチユートピア小説に昇華させた。下記は、3作家に関する私(宮地)のHPリンクからの抜粋である。
〔小目次〕
1、ドストエフスキー『悪霊』『カラマーゾフの兄弟』−ナロードニキ批判
1、ドストエフスキー『悪霊』『カラマーゾフの兄弟』−ナロードニキ批判
彼が生きた1870〜80年代は、ナロードニキの活動が活発だった。レーニンは、マルクス主義理論とともに、ナロードニキの革命思想・体質を受け継いだ。
『ドストエフスキーと革命思想殺人事件の探求』3DCG6枚 『電子書籍版』
『悪霊』
五人組の一人、シガーレフには、革命後の未来社会共同体構想を語らせる。その内容は「人類を二つの不均等な部分に分割することを提案しているのです。その十分の一が個人の自由と他の十分の九に対する無限の権利を獲得する。で他の十分の九は、人格を失って、家畜の群れのようになり、絶対の服従のもとで何代かの退化を経たのち、原始的な天真爛漫さに到達すべきだというのですよ」というものである。これはラスコーリニコフの非凡人思想をさらに掘り下げたものとなっている。ドストエフスキーはナロードニキらの革命が成功した暁には、十分の一が結成する党派が支配する逆ユートピアとなることを洞察した。
もう一人の主人公ピョートルは、スタヴローギンから強い思想的影響を受け、彼を「僭主」と仰ぐ。そして善悪=人間規範を超えた革命のために秘密結社を作る。ピョートルは革命運動の組織者、実践的指導者である。彼は「ぼくらは破壊を宣言する」「山をならして平地にする」「服従を組織する」とし、さらに革命運動のためのスパイ制度を設けようと考える。その拠り所になるのが全国にくまなく広がっている五人組網だとし、個人的テロルでなく、党派による権力奪取を提起する。
五人組とは、その後「細胞」と呼ばれる革命基礎組織のことである。党派を結合させる力について、ピョートルはまず党派内官僚システムと感傷主義をあげる。そして「ところで、最後に最も重要な力は---ほかじゃない。自分自身の意見に対する羞恥である。これは一切を結合させるセメントである。実に素晴らしい力だぜ! 実際だれ一人の脳中にも、自己の思想というものが一つも残らなかったとは、一体まあ誰が努力した結果なんでしょう?」と強調する。ドストエフスキーは、ネチャーエフ事件を契機として、革命党員には自分の意見への羞恥心を持たせる、即ち自分の思想を持たず、与えられた思想のみを忠実に守る党員を党派内に作り出すことこそが、革命組織を結合させる最大の組織原理となると、『悪霊』を書いた1970年に考察した。
ピョートルは、同時に強烈な独善性を備えている。彼は「最初の一歩を発見して、その一歩をいかに踏み出すべきかを知っている人間はただ一人、ロシアにただひとりしかいない。そのただ一人がぼくなんだよ」と宣言する。それはたんなる自信過剰を超えて、独善的、うぬぼれ的体質が革命指導者の本質的特徴として性格づけられている。
彼は、自らが結成した党派を強固に基礎づけるためには、五人組の一人シャートフを裏切者、密告の恐れのある者として、平然と計画的に殺害する党派指導者である。シャートフ殺害後、彼は殺害共犯の革命家を前にして「きみたちの進む道は、ただいっさいの破壊---国家と道徳の破壊あるのみである。そして賢者は自分たちの仲間に加え、愚者はどんどん馬蹄にかける。それをきみたちは心苦しく思ってはいけない。これから先でも数千人のシャートフが進路に横たわっているでしょう」と演説する。ドストエフスキーは、徹底した破壊、道徳の破壊を是認する革命理論の結末には、革命運動内部での大量殺人が発生する悲劇を読み取った。
『悪霊』 「三つの角燈がこの場を照らしていた。シャートフはふいに短い
絶望的な叫びをもらした。ピョートルがしっかりとした正確な手つきで彼の額
にじかにピストルを当てると、ぐいと押しつけるようにして、引き金を引いた」
『悪霊』末尾 (スタヴローギンに)「私には見える・・・現(うつつ)のように見える」
チホンは魂を刺しつらぬくような声で叫んだ。「いまだかってあなたは、哀れな、破滅
した若者よ、新しい、さらにさらに強烈な犯罪に、いまこの瞬間ほど近く立っておられ
たことはありませぬぞ!」「あなたは救いの道を求めて、新たな犯罪にとびつかれる」
ドストエフスキーは、この事件に基づいて、「ネチャーエフ式人物、党派」の革命思想、倫理観、組織原理、殺人是認思想を掘り下げた。『罪と罰』では、ラスコーリニコフの老婆とその妹殺人に対する良心の呵責のプロセスを掘り下げ、革命思想による殺人実行者において“魂の救済はありうるか”というテーマを暗示した。それに対して、この『悪霊』では、革命思想殺人事件における殺人実行になんら良心の呵責をも感じない革命家像を浮かび上がらせた。スタヴローギン、ピョートルも五人組メンバーのほとんども、「善悪の存在しない」革命倫理観の持ち主、道徳を破壊し、人間規範の存在しない革命党派とした。
このような性格を持った党派による革命と、自由獲得後の党派支配社会はどうなるのか、そこでの神の存在=人間規範は存在するのか、という根本的テーマは、『カラマーゾフの兄弟』中の『大審問官』伝説となって、さらに深く追求される。
『カラマーゾフの兄弟』中の『大審問官』伝説
伝説の登場人物は、体制の権力者である枢機卿・大審問官と1500年ぶりに地上に戻ったイエスの2人だけである。その背景人物像として、(1)1500年前に自由を宣伝したイエス・キリスト、(2)自由を与えられた群衆、(3)その後イエスの教えを「修正した」大審問官ら「われわれ」、(4)その支配党派に与えられた自由を差し出す群衆、そして(5)「枢機卿である大審問官によって一度に焼き殺されたばかりの、ほとんどまる百人におよぶ異端者たち」が配置されている。そこでせりふを言うのは、大審問官一人で、イエスは沈黙のままで追放されるという構成になっている。現代でいう“一人芝居劇”のユニークな作中劇である。
『大審問官』の冒頭 「神の栄光のために国じゅうで毎日のように焚火が燃えさかり、
「壮麗な火刑場で心あしき異教の徒を焼きつくす」という異端審問のもっとも恐ろしい
時代だ」「おびただしい数にのぼる住民の前で、ほとんどまる百人におよぶ異端者
たちが、枢機卿である大審問官によって一度に焼き殺されたばかりのところなんだ」
そして、大審問官らの党派支配の正当性を「今や、まさしく、人々はいつの時代にもまして自分たちが完全に自由であると信じきっているけれど、実際には、その自由をみずからわれわれのところへもってきて素直にわれわれのもとに捧げたのだ」とする。そして大審問官らが与える奇跡、神秘、権威は人々をして「われわれを『神に仕える』から『神とみなす』ようになるだろう」と断言する。
ドストエフスキーは、革命権力下での直接体験をしていない段階で、ナロードニキの革命思想と運動が、そのまま発展し、権力を奪取したとき、革命権力と国家宗教とが合体した最高権力者像「大審問官」が生まれることを洞察した。「われわれ」という支配党派による独裁体制を洞察した。自由を差し出さない「異端者100人」を火焙りにする「赤色テロル」を想定した。
『大審問官』 15世紀すぎて再び現われたキリストと、彼を捕らえた大審問官
「人々がわれわれのために自由を放棄し、われわれに服従するときこそ、
はじめて自由になれるということを、われわれは納得させてやる」
一方で彼は「人間は反逆者である」との基本認識を持っている。その認識に基づいて、彼ら党派に自由を捧げない「まる百人におよぶ異端者を一度に焼き殺し」、革命後社会での絶対服従を強要する。
彼は自由を宣伝したイエスと比較して、「お前が人々を説得するのに用いたと同じその自由をわしも説得したことがあるし…。わしは引き返してお前の偉業を修正した人々の群れに加わった」とする。革命先導者の沈黙を前に置いて、自由=革命の理想の追求から、体制支配者への「修正」をも認める。
さらに、彼は、革命社会支配者の自らの苦悩も認める。その苦悩の内容とは「われわれはキリストに従順であり、キリストのために支配しているのだというつもりだ。彼らをふたたび欺くわけだ。この欺瞞の中にこそ、われわれの苦悩も存在する。なぜならわれわれは嘘をつきつづけなければならないからだ」というものである。もちろん、この「苦悩」は、ラスコーリニコフの良心の呵責とは異なる。
ドストエフスキーは、この『大審問官』伝説を通して、自由を獲得した革命後の社会の様相と、そこでの群集と支配党派への分裂を見通した。群集による革命の獲得物と革命党派によるその簒奪、独裁を、「自由」と「服従」という言葉で象徴させた。破壊と殺人を是認し、それを手段として達成された「自由」獲得後の革命社会は、おそるべき逆ユートピアになることを洞察した。
ドストエフスキーは、この大審問官に2つのイメージを持たせた。一つは国家と国家宗教の党派的権力具現者であり、かつ事実上の無神論者である。その根底にはローマカトリックとその思想批判がある。もう一つは、革命による権力獲得後に革命先導者の教えを修正し、群集から自由を剥奪し、独裁党派に自由を捧げない異端者百人を火焙りにする革命党派指導者である。『悪霊』では、権力奪取前の破壊と殺人を遂行する革命党派とその群像を描いた。『大審問官』伝説では、権力獲得後の革命国家における独裁党派指導者の複雑な内面的思考と人間像を抉り出した。
残念ながら、ドストエフスキーは、1881年に死去し、『偉大なる罪びとの生涯』第二部は書かれなかった。まさに、その年、アレクサンドル二世が、ナロードニキ「人民の意思」派によって暗殺された。
1879年4月2日、ナロードニキが、アレクサンドル二世を狙撃。ナロー
ドニキから「人民の意志」派が成立し、皇帝列車、宮殿の爆破を実行。
1881年1月28日、ドストエフスキー死去。アリョーシャをツアーリ暗殺
テロリストとする『カラマーゾフの兄弟』の続編・第2部は未完に終わる。
1881年3月1日、ナロードニキの一つ「人民の意志」派が、皇帝アレク
サンドル二世をペテルブルグのエカチェリニンスキー運河岸で爆殺。
1887年5月20日、レーニンが17歳のとき、兄アレクサンドルらの学生グループ
が、皇帝アレクサンドル三世暗殺未遂事件で逮捕。兄を含めて5人が絞首刑。
1918年7月17日、レーニンは、スヴェルドロフ、トロツキーと協議の末、皇帝
ニコライ二世の処刑を指令。エカチェリンブルグで一家全員を「裁判なし射殺」。
ザミャーチンは、レーニンと同時期で、ソ連において、ソ連共産党体験をした。
『ザミャーチン「われら」と1920、21年のレーニン』3DCG12枚 『電子書籍版』
恩人は「堂々とした四角い額」を持ち、「禿げ頭の、ソクラテスのように禿げた頭をもった男で、その禿げた所に小さな汗のしずく」があった。一方、私D−503号のガラス張りの部屋の右手に「隣人」のガラス張りの部屋があった。その隣人はいつも本を読んでいた。「彼の禿頭はこぶがあったり、凸凹している。額は巨大な放物線である」「額の上にはっきりといくつかのしわを見た……黄色い判読できないような何行かの文字のようなしわ」があった。
ザミャーチンは、恩人と隣人の共通する頭部の特徴について繰り返し描写している。同一人物を、(1)最高指導者で、死刑執行人としての恩人と、(2)いつも読書、執筆している隣人とに分類して、二元的に描いている意図は明白である。この頭部描写によって1920、21年のレーニンを暗示した。これは、レーニンの有名な写真である。
一方、体制側は、「オペレーション局」で全成員の脳外科手術をいっせいに強行した。国家新聞は「諸君は病気なのである。その病気の名前、それは想像力である。単一国科学の最新の発見によって想像力中枢の存在が明らかになった。その脳神経節のX線による三回の焼灼を受ければ、諸君は想像力病を治癒しうるのである。急げ、全員急いで大外科手術を受けよ。大外科手術万歳、単一国万歳、恩人万歳」とキャンペーンをした。また「全成員は手術を受けに出頭すること。欠席者は恩人の機械の所管するものとなろう」と脅迫した。
他方、街角には、<機械打倒、手術打倒>の紙がいたる所に張り出された。
宇宙船乗っ取り反乱鎮圧後のある晩、私をふくめ人々の全部が「想像力摘出手術証明書不携帯」のかどで逮捕され、テーブルに縛り付けられ、大手術を受けさせられた。「私D−五〇三号も、頭から何か刺のようなものが引き抜かれ、頭の中が軽くなり、空になった。正確に言うなら、空ではなく、異質なもの、微笑をさまたげられるようなものは何もなくなった。微笑は正常な人間の正常な状態である」。
『われら』「想像力摘出手術」 「全員急いで大外科手術を受けよ、恩人
万歳!」「私も、想像力摘出手術証明不携帯のかどで逮捕され、テー
ブルに縛りつけられ、大手術を受けさせられたのである」(298頁)
「ガス室」における反乱者たちの拷問シーンが描かれた。ソルジェニーツィンは、『収容所群島』「審理」において、レーニンのチェーカー、スターリンのNKVDによるレーニン型共産党が行なった32種類の拷問を克明に描いた。そして、この小説は「明日彼らはみな恩人の機械に至る階段を昇るであろう」……という反乱の鎮圧で終わる。
ソルジェニーツィン『レーニン型共産党が行なった32種類の拷問』
『われら』「ガス室とガラスの鐘」 「その日の晩、あの方、恩人と同じテーブルに
座っていた。私は(初めて)有名な「ガス室」にいたのだ。あの女性が連れてこられ
た。彼女はガラスの鐘に入れられた。鐘の中から空気がポンプで抜き取られると、
彼女は頭をうしろへそらし、眼を半分閉じ、唇を噛みしめた。彼女は引き出され、
電極の力を借りて、急速に意識を回復させられ、また鐘の下に入れられた。かくし
て三回反復された。しかし、彼女は依然として一語も語らなかった。」(299頁)
ザミャーチンは、「自分自身を押しつぶし、膝を折って」という言葉で、レーニンの腐敗状態を文学的に表現した。1905年革命・戦艦ポチョムキンの反乱以来の同時代をたたかってきたボリシェヴィキ仲間の視点から、彼は、「その方の巨大な鉄の手」と書いて、レーニンのスローガンを否定しただけでなく、レーニンを殺人者と規定した。それにたいして、レーニンは彼を逮捕させただけでなく、ゴーリキーらの運動によって釈放した後も、彼が小説を発表する言論出版の自由権を全面剥奪し続けるという報復をした。彼の小説は『われら』が最後になった。スターリンもレーニンの報復措置を継承した。レーニン、スターリン、ソヴィエト作家同盟とも、ソ連文学史から、ザミャーチンの作品だけでなく、作家の存在そのものも完全に抹殺した。
『われら』 「恩人は、ソクラテスのように禿げた頭をもった男で、その
禿げた所に小さな汗のしずくがあった」「その方の巨大な鉄の手は、
自分自身を押しつぶし、膝を折ってしまっていた」「明日、彼ら(反逆
者)は、みな恩人の処刑機械に至る階段を昇るであろう」(299頁)
彼は、スペイン内戦に義勇兵として参加した。フランコとたたかって、統一戦線政府を構成していたのは、2つだった。(1)ソ連共産党の支援・干渉を受けていたスペイン共産党と、(2)カタルーニヤを地盤とした労働者組織ポウムである。ジョージ・オーウェルは、ポウムの一員になった。フランコとの戦争+ポウムを攻撃するソ連共産党・スペイン共産党との戦闘という複雑な二重のたたかいになった。
統一戦線政府内部における二重のたたかいの経緯は、オーウェルの『カタロニヤ賛歌』に生々しく語られている。その内容は、ケン・ローチ監督映画『大地と自由』にもなった。彼は『1984』を、1948に「84」と逆にし執筆した。その時期は、スターリンの全盛期だった。彼は、(1)スターリン情報・ソ連実態データと、(2)スペイン内戦の直接体験に基づいて、有名な『動物農場』と『1984』を書いた。
『オーウェルにおける革命権力と共産党』3DCG7枚 『電子書籍版』
「オーウェルにおける革命権力と共産党」というこの文のテーマから彼の3作品を見る。
(1)、『カタロニア讃歌』は、フランコとのたたかいを描いただけではない。反ファシズム側における2つの勢力間の争いについての、現地からの、もっともすぐれたルポルタージュ文学である。内戦の一方であるスペイン共和国政府内で、一つの勢力は、スペイン共産党とスターリン派遣秘密政治警察NKVD、ソ連軍事顧問団2000人、国際旅団だった。ヘミングウェイやアンドレ・マルローは、それに直接参加しなかったが、国際旅団の側に立って取材し、たたかった。
もう一つは、マルクス主義統一労働者党のPOUM義勇軍やアナキスト系全国労働連合CNTだった。そして、オーウェルは、POUM義勇軍に参加していて、共産党と軍事顧問団、その警察組織による権力簒奪過程を目撃した。そして、彼らが、反ファシズムでともにたたかっている最中のPOUM、CNTなどの他党派を粛清していく過程を描いた。オーウェルは、その粛清=「共産党による人間狩り」をつぶさに体験し、運よく共産党、その支配下警察に逮捕されずに、夫婦でスペインを脱出した。
反ファシズム側における2つの勢力の対立と争いは、複雑で、なかなか理解しにくい面がある。とりわけ、スターリン時代全体で、オーウェル側の見解はほぼ完全に否定され、抹殺されてきた。しかし、1995年、ケン・ローチ監督のイギリス・スペイン・ドイツ合作映画『大地と自由』が、オーウェルの『カタロニア讃歌』をベースとしてつくられた。それは、スペイン内戦を描いた感動的な作品として、ヨーロッパ映画大賞など国際的に多くの賞を取った。スペイン内戦に興味のある方には、おすすめの映画である。
(2)、『動物農場』において、武装蜂起権力奪取シーンは小説の冒頭だけで、全体はその革命権力の維持・強化システムの形成過程と、権力を簒奪していく「豚族」(前衛党)の腐敗過程をロシア革命史にそって歴史おとぎ話化した。スターリン時代の歴史を念頭において読めば、これほどリアルで、簡潔な歴史小説はないほどである。イギリスでは、もっとも分かり易く、優れた英語文章の小説と高く評価されている。
(3)、『1984年』では、1948年、スターリンの大テロルがその10年前に一段落した時点での革命権力体制が完結、恒久化し、前衛党の絶対的支配とその絶対的腐敗過程が浮き彫りにされる。『1984年』は、オーウェルの作品の中で一番読まれていて、有名である。ストーリーは3部に分かれている。
第三部の舞台は、法と秩序を担当する「愛情省」の監獄である。そこでの思想警察・党内局党員オブライエンによる、党員政治犯ウィンストンへの殴打、尋問、自白、拷問部屋や「101号室」での洗脳拷問が描かれる。その洗脳過程は、戦慄すべき人間改造工程である。オブライエンは、「権力とは、人間の精神をずたずたに引き裂いた後、思うがままに新しい型に造り直すということだ」と宣告する。
『1984年』 101号室でのネズミによる拷問 「ネズミが君の顔面に飛び
かかってまっしぐらに食い込む。頬を食い破って舌をがつがつ食うこともある」
「ジューリアにやってくれ! 自分じゃない! 彼女をどんな目に合わせても構わ
ない。顔を八つ裂きにしたっていい。しかし俺にじゃない! ジューリアにだ!」
(歌声)「生い茂る栗の木の下で、俺はお前を売り、お前は俺を売った――」
『1984年』において、支配者は「偉大な兄弟、Big Brother (B.B.)」、党内局党員、党外局党員という15%である。被支配者は85%という圧倒的多数のプロレ階級である。階級をなくし、すべてを平等にするとした革命社会は、またたく間に、特権化した15%の独裁政党が85%を支配する別の階層社会に変質させられる。
『1984年』 「偉大な兄弟があなたを見守っている」
「党への忠誠を除けば、愛もなくなるであろう、“偉大な
兄弟”への愛を除けば」 (党の3つのスローガン)「戦争
は平和である 自由は屈従である 無知は力である」
革命権力は、「個」の抹殺を通じて、恒久体制となる
『悪霊』で、「(支配者以外の)他の十分の九は人格を失って、家畜の群れのようになり、絶対の服従のもとで、何代かの退化を経たのち、原始的な天真爛漫さに到達すべきだというのですよ」と、ドストエフスキーは、完結した体制を洞察した。「個」の主張、個人的行動は「革命権力とナロードニキ党派」への異端行動となる。
『われら』において、主人公D-503号は「覚え書」を40まで書くが、すでにこれは反逆行動で、I-330号との恋愛もそうである。彼は「覚え書」にこう書いた。「私でなく<われら>である。<われら>は神に、<われ>は悪魔に由来する。すべての人も私も単一の<われら>なのであるから」。
『1984年』でも、主人公ウィンストンは日記帳を買い、書くが、その行為がテレスクリーンに見つかれば、強制収容所送りになる社会である。党員は全員が、極度に簡略化された統一規格言語「ニュースピーク」で話し、同じスローガンを叫び、二重思考「ダブルシンク」をしなければ、直ちに密告され、思想警察に逮捕される。拷問室での洗脳拷問過程で、オブライエンは言う。「党を倒す方法はないのだ。党の支配は永久なのだ」。オーウェルにおいては、「権力のための権力」党は、独裁権力維持・強化のため、支配者側にいる全党員の「個」の抹殺をも極限まで遂行するマシーンとなったのである。
『1984年』 「ウィンストンは公開裁判の被告席に立ち、
一切を自供し、見境もなく他人を告発していた」 「自分の
後ろには一人の武装看守が従っていた。長い間、待ち侘び
ていた弾丸が、自分の頭蓋骨を貫いて行くところであった」
〔小目次〕
日本共産党員とは、資本主義世界で最後に生き残っているコミンテルン型共産党の赤色信者のことである。日本共産党員はどれだけが残存しているのか。データはいろいろ変動している。最新の数値は、(1)2010年第25回大会会時点赤色信者40.6万人→(2)2012年8月都道府県委員長会議秘密報告21.5万人に激減してきた。
志位は、14年11月12日、都道府県委員長会議において、14年1月第26回大会後実績データを報告した。「党大会以降、8300人の新たな党員を迎えるなど、党に新鮮な活力が広がっていることは重要です」。この党員拡大数は、志位のペテンである。そのペテン性を検証する。彼は、「第26回大会後4カ月間−党員99.6%、3068人離党・死亡」と報告している。
『党勢後退テンポに志位悲鳴→「躍進月間」5月15日〜7月末』
第26回大会後4カ月間−党員99.6%、3068人離党・死亡
14年11月25日2中総時点なら、大会後10カ月間である。機械的にシミュレーションをすればどうなるか。4カ月間×2.5倍×3068人離党・死亡≒7670人離党・死亡になる。8300人新党員−7670人離党・死亡≒差引+630人しか増えていない。
一方、(表5)のように、2010年第25回大会以降、2014年1月第26回大会までの4年間において、公表党員数でも、40.6万人→30.5万人へと、10.1万人・24.8%激減した。
しかも、志位秘密報告における実質党員数21万5922人だった。党費納入拒否党員は、私(宮地)の専従13年半体験からも、もはや党に戻ることがない。
(党員数のウソ)=31.8万人でなく→秘密報告における実質党員数21万5922人
もう一つ、「入党」か「入党決意者」の区別不明である。「入党決意者」数値は、虚偽報告がかなり含まれている。「入党決意」を党員にしただけで、「入党申込書」を出さない人もいる。それを加算した数値が新党員8300人である。これらを合わせ、志位報告はペテンと言える。
(表5) 党員数激減データ公表への突然転換
2回目2014年党費納入党員数急減→10.1万人減公表
|
2010年 1月第25回大会 |
2011年 11月末総務省報告 党費納入党員数 |
2012年 5月全活 7月90周年講演 |
2012年 8月都道府県委員長会議 秘密報告 |
2012年 11月末総務省報告 党費納入党員数 |
2014年 1月第26回大会 |
党員数 |
40.6万人 |
24万7157人 |
31.8万人 |
党費納入率67.9% 21万5922人 |
24万3044人 |
30.5万人 |
累計 |
|
|
-8.8万人 |
−19.1万人 |
|
-10.1万人 |
% |
|
|
21.6%減 |
47.0%減 |
|
24.8%減 |
党費納入党員数は、秘密報告のように、実質党員数21万5922人・党費納入率67.9%だったことを、志位は自白した。30.5万人−21.5922万人=8万9078人もの党費納入拒否党員数のさばを読んで、支部・党員を欺いた。ただし、実質党員数・党費納入率は、2012年8月時点の党員数31.8万人にたいする志位秘密報告数値である。それ以降、志位は、党費納入率を隠蔽している。
(党員数のウソ)=31.8万人でなく→秘密報告における実質党員数21万5922人
私(宮地)の名古屋中北地区・愛知県党専従13年半の実体験から見ても、いったん党費納入拒否党員になれば、党費納入党員に戻ることはほぼ100%なかった。私は数十人の党費納入拒否党員に直接会い、共産党への復帰を説得した。しかし、彼らは、それぞれの理由で一人も戻らなかった。志位は、いつまでウソつき・ペテン党首を続けるのか。
志位和夫は、2012年8月3日、都道府県委員長会議→同日、幹部会を開き、「8・9月党勢拡大運動延長」を決定した。そして、全党に15カ月間連続拡大運動継続を指令した。
「共産党・民青悪魔の辞典」は、8月7日、次のデータを「都道府県委員長会議・こっそり危機的状況も秘密報告」としてブログに載せた。
大運動と特別期間終了直後に行われた都道府県委員長会議。赤旗に載らない報告は以下の通り
(1)、機関誌滞納額は一月から七月累計で1.7億円。滞納ベストスリーは長野1800万、京都1200万、兵庫800万!もともとベストスリーは京都長野大阪だったが、兵庫の伸びが目立つ
(2)、一月から六月の党費納入口数前年比23200口の減
(3)、7月の党費納入率67.9パーセント(ここ重要w)
(4)、日刊紙未購読党員数33.7パーセント
共産党・民青悪魔辞典『都道府県委員長会議・こっそり危機的状況も秘密報告』
(3)、7月の党費納入率67.9%なら、31.8万人×67.9%≒実質党員数21万5922人となる。もともと、党員数40.6万人というあまりにも見え透いたウソをつき続けられないと、31.8万人に変えた。それにしても、31.8万人も依然としてウソだった。2010年度政治資金報告書の党費納入党員数25万人も真っ赤なウソだったと思われる。
志位和夫は、どこまで支部・党員騙しの党員数に関するウソをつくのか。20数年間約40万人→2010年1月党大会40.6万人→11年11月末総務省宛25万人→12年5月全活・7月90周年講演31.8万人→12年8月3日都道府県委員長会議秘密報告7月の党費納入率67.9%・実質党員数21万5922人だった。
2014年1月第26回大会時点も、12年8月都道府県委員長会議秘密報告7月の党費納入率67.9%が同じだと仮定する。
第26回大会30.5万人×党費納入率67.9%≒実質党員数20万7095人になる。20万7095人÷2010年1月党大会40.6万人≒51.0%とほぼ半減している。2014年1月第26回大会の党費納入率が不明なので、正確さに欠けるが、党員数が激減中なのは間違いない。それは、総務省政治資金報告における党費収入総額り激減データと対応している。
1年間で、党費収入−2795万円、機関紙収入−7億7132万円
(表6) 共産党政治資金収入分18年間の総務省公表データ
繰越金・預貯金残高とも14年間連続激減データ
年 |
党費収入 |
機関紙誌書籍収入 |
収入合計 |
繰越金 |
預貯金残高 |
1995 |
13.4 |
277.9 |
311.0 |
69.4 |
52.9 |
96 |
14.3 |
270.4 |
304.0 |
69.2 |
59.1 |
98 |
13.7 |
272.6 |
308.5 |
83.0 |
68.0 |
99 |
13.6 |
256.0 |
302.3 |
86.0 |
71.2 |
2000 |
13.2 |
281.1 |
327.8 |
74.1 |
62.5 |
01 |
12.6 |
291.7 |
342.8 |
67.5 |
56.8 |
02 |
12.6 |
282.1 |
334.2 |
53.2 |
15.2 |
03 |
12.1 |
260.0 |
307.1 |
44.4 |
11.1 |
04 |
11.3 |
251.2 |
300.6 |
20.7 |
11.1 |
05 |
10.9 |
240.7 |
284.1 |
11.3 |
5.9 |
06 |
10.0 |
230.9 |
281.9 |
22.0 |
8.2 |
07 |
9.5 |
221.5 |
264.8 |
22.7 |
7.1 |
08 |
9.1 |
215.5 |
249.6 |
22.2 |
15.1 |
09 |
8.9 |
214.1 |
246.2 |
16.2 |
6.9 |
10 |
8.2 |
206.2 |
237.4 |
10.6 |
4.5 |
11 |
7.7 |
199.4 |
234.1 |
12.6 |
4.5 |
12 |
7.2 |
203.4 |
245.5 |
10.4 |
6.4 |
13 |
6.9 |
196.1 |
225.4 |
11.9 |
4.4 |
単位は億円。収入合計は、寄付・借入金などを含む
00年不破規約綱領路線確立・赤旗年度途中値上増収→01年赤旗年度当初からの値上増収
繰越金とは、その年度から翌年への繰越金額・百万円以下切捨て―99年最高から連続激減
12年度機関紙誌の増加額は、12年赤旗日刊紙2900円→3400円への500円値上効果
ドストエフスキー、ザミャーチン、ジョージ・オーウェルは、小説において、自分の直接・間接体験に基づき、革命組織・共産党が人間を思考停止羊化すると洞察した。
日本共産党も、党員・赤色信者21,5万人を思考停止羊化してきた。その経緯は、3人が描いたシーンとほとんど同じである。その党内犯罪・思考停止羊化システムとは、レーニンが創作した党内犯罪組織原則・民主主義的中央集権制=「民主集中制」略語そのものである。
宮本・不破・志位も、党内外から無数の「民主集中制」とは、党内民主主義抑圧破壊システムである、「民主集中制」を放棄せよ、との批判・意見を無視・敵視してきた。放棄すれば、どうなるか。共産党トップの党内犯罪・独裁体制が崩壊することが目に見えている。そんな恐怖の対応はとてもできない。党内で放棄を主張する党員などをすべて査問・除名・除籍し、党外排除をしつくしてきた。
〔抑圧・粛清1〕、党大会に向けた水平発言・横断的抗議行動への粛清
〔抑圧・粛清2〕、専従による公式会議・文書での垂直発言・他行動への粛清
〔抑圧・粛清3〕、学術論文・出版物・文学作品における発言・抗議への粛清
〔抑圧・粛清4〕、労働運動・青年運動・平和運動での発言・抗議への粛清
〔抑圧・粛清5〕、インターネット掲示板発言にたいする粛清手口=査問・除籍
党員で、その党内犯罪システム・対応に批判・不満を抱く者は、党費納入拒否→離党をした。党中央にたいし、その趣旨「意見書」を提出しても、無視・握りつぶされた体験をしたからである。40.6万人→21.5万人(第26回大会30.5万人×党費納入率67.9%≒実質党員数20万7095人)は、党費納入拒否→離党をした。
残存する日本共産党員21.5万人とは、党費納入拒否→離党を選択しない。彼らは、なぜ、志位にたいし、党費納入を続けているのか。彼らは、どのような思考タイプの人間なのか。思考タイプと言ってもいろいろある。
〔タイプ1〕、党中央・志位への無条件忠誠・無批判・思考停止羊化党員約8万人↓
常幹が公表してきた党員数データ数回によれば、党中央「党勢拡大大運動」にたいし、即座に参加し、成果を出す忠誠派党員は約8万人となってきた。しかし、この数値も様変わりした。
『党勢後退テンポに志位悲鳴→「躍進月間」5月15日〜7月末』
第26回大会後4カ月間−党員99.6%、3068人離党・死亡
「月間」中HN+12410→「月間」直後3カ月間−11835=差引HN+575部。
第26回大会後12カ月間、減紙未回復4万1953部→12月以降で、減紙部数膨らむ? 12月度H−1844・N−9511 →N100万部割れ↓ 14年総選挙比例代表得票数606万2942÷N1人当り6.14≒N98万7449部↓
忠誠派党員8万人が、一人あたり赤旗1部拡大すれば、「躍進月間」2カ月半で8万部拡大になるはずである。しかし、結果は、+12410部成果だけだった。忠誠派党員中6万7000人は成果を出していない。多分、参加もしなかった。
なぜか。(1)参院選議席躍進結果は、(2)赤旗拡大部数と無関係だと、忠誠派党員8万人に証明してしまった。もはや、赤旗拡大をしなくとも、国政選挙議席が躍進すると悟った。日本共産党は、2つの「他力」に依存する他力本願政党に変質した。もう、われらは、不毛な賽の河原の石積み運動に参加しなくてもよくなった。赤旗部数が激減し続けようが、関係ない。志位や中間機関の党財政が逼迫するだけで、われらは何もしなくてもよい。赤旗を読み、党費を払うだけで、共産党員としての人生をまっとうしよう。
〔タイプ2〕、批判・不満はあるが、エリート意識が強く、国民を導くのは共産党しかないと思い込み
志位・党中央にたいし、批判・不満は無数にある。しかし、共産党とは、エリート集団である。共産党員であり続けるのは、誇りである。真実・理想を国民に教え込むのは他政党にできない。国民を導くのは、われら日本共産党員しかない。
ただし、賽の河原の石積み運動参加を、今後とも拒否し続ける。不毛な運動には飽き飽きした。そんな志位が唱える赤色呪文に従う気力を失った。
〔タイプ3〕、批判を抱いても、他政党よりはましなので、赤旗を読み、党費を払う
党中央・志位に、強烈な批判を抱えている。しかし、他政党に入党する気にもならない。日本共産党を含め、政治不信がエスカレートしている。「日本共産党が政権をとる→日本革命が起きる」という空想的社会主義の妄想などとは無縁である。
不破綱領・規約など、空想的社会主義に基づく支部・党員騙しの党内犯罪文書でしかない。ただ、離党し、政党と無関係になるのには、躊躇する。
〔タイプ4〕、惰性で党費を100円だけ払う、ただし、賽の河原の石積み運動参加を断固拒否
このタイプは、党費納入拒否→離党を考え、迷っている。支部内のしがらみで、なかなか決断できない。党費1%などばからしい、とりあえず100円でごまかす。離党予備軍である。賽の河原の石積み運動参加=赤旗拡大なんかには、見向きもしない。
参院選・総選挙結果データは、赤旗拡大部数となんの関係もないことが判明した。今後、全党で赤旗部数が激減しようが、どうでもいい。共産党員として、腐敗とレッテルを貼られようが構わない。
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〔関連ファイル〕
革命ユートピア・逆ユートピア小説の系譜
選挙投票行動時だけの一時的軒下雨宿り先
2014年、共産党からの永続的離脱傾向継続・増幅
12月度H−1844・N−9511 →N100万部割れ↓
総選挙比例代表得票数606万2942÷N1人当り6.14≒98万7449部↓
解散総選挙ニュース yahoo雑誌(243) 読売衆院選2014
毎日『衆院選:「白紙委任していない」自民に投票100人アンケート』
(2013年7月21日参院選結果)
軒下・一時的雨宿り+共産党からの永続的離脱
7月度H5411部減・N22204部減、8月度H904部減・N6271部減
議席15→5→4→3→3→8 比例代表当選順位−7、16、26、35、46
アベノミクス批判有権者激増+受け皿政党自滅・分裂=批判票選択肢2つ
(1)政治不信と棄権投票率5.31%激減+(2)共産党への軒下・一時的雨宿り
参院選13年結果 総務省 yahoo 読売 朝日 毎日 産経 時事