日本共産党90周年の根本的な逆説
国際共産主義運動関係を基準とした5時期分類
第5期、孤立恐怖から党独裁・党治国家4つとの関係復活政党
(宮地作成−6部作第5期、1998年〜現在)
〔目次−6部作6 第5期、孤立恐怖から党独裁・党治国家4つとの関係復活政党〕
1998〜2012 15年間、90年間中の16%期間
1、1997年、宮本引退強要=不破哲三の党内クーデター→不破・志位・市田体制 (表12)
2、1998年、日中両党の和解・友党関係回復=人権犯罪・一党独裁を含め内政不干渉
3、2000年、朝鮮総連を党大会に招待=朝鮮労働党との友党関係回復
4、党独裁・党治国家の中国・ベトナム・キューバ共産党・朝鮮労働党と友党関係
5、中国共産党・ベトナム共産党とは不破・志位中心で何回も理論交流
〔6部作1〕、日本共産党90周年の概要=根本的な逆説
〔第1期〕、ソ連共産党支配下の反国民的隷従政党−1922年創立〜45年敗戦〜49年
〔第2期〕、ソ中両党支配下の反国民的隷従政党−1949年中国成立後〜67年決裂
〔第3期〕、隷従脱出の受動的な完全孤立政党−1967年決裂後〜70年代後半
〔第4期〕、ユーロコミュニズムに急接近→逆旋回→再孤立−〜97年宮本引退
〔第5期〕、孤立恐怖から党独裁・党治国家4つとの関係復活政党−1998年〜現在
〔関連ファイル〕 健一MENUに戻る
『不破哲三と中国共産党との関係経緯』ファイル多数
『不破哲三の宮本顕治批判』(秘密報告)宮本引退強要・宮本私的分派解体の宮廷革命
日中共産党和解加藤哲郎『世代かわって柔軟路線』 『脱「孤立」柔軟路線』
『北朝鮮拉致(殺害)事件の位置づけ』党大会に朝鮮総連招待=朝鮮労働党との関係回復
1、1997年、宮本議長引退強要=不破哲三の党内クーデター→不破・志位・市田体制
(表12−第5期) 孤立恐怖から党独裁・党治国家4つとの関係復活政党
政党の性格 |
期間 |
時期の内容 |
経過 |
5、孤立恐怖から党独裁・党治国家 4つとの関係復活政党 |
98〜2012 15年間 16% |
日中朝3党との 友党関係回復 キューバ共産党も |
1997年、宮本議長引退強要=不破グループによる宮本秘書団私的分派解体の宮廷革命→不破・志位・市田体制 1998年、日中両党の和解・友党関係回復=人権犯罪を含め内政不干渉 2000年、朝鮮総連を党大会に招待=朝鮮労働党との友党関係回復 東アジア残存3党支配の党独裁・党治国家だけとの友党関係、党独裁・党治国家のキューバ共産党とも友党関係 中国共産党とは不破哲三中心で何回も理論交流。ベトナム共産党とは志位和夫 |
期間の比率%は、2012年党創立90周年を基準とした分類
不破哲三の党内クーデター=「宮廷革命」とその実態、経緯については、下記ファイルのリンクで詳述した。
『不破グループによる「宮廷革命」第21・22回大会、1997年、2000年』
『1997年第21回大会、「宮廷革命」=党内クーデター、67歳』(表1、2)
2、1998年、日中両党の和解・友党関係回復=人権侵害犯罪・一党独裁を含め内政不干渉
日中両共産党の首脳が32年ぶりに手を握り合った。両党首脳は、文化大革命時期にののしり合っていた過去がうそだったかのような和解劇を演出した。もっともかつての「国際共産主義運動内の同志」的関係に後戻りしたわけではない。以下の内容は、当時の朝日新聞解説や加藤哲郎解説を参考にしている。
(1)江沢民書記は、同じ「共産党」を名乗りながら、相違は残して互いに実利を得ようという「新型の党関係」とした。(2)不破哲三は、「日本の政党の中で、最も共通の言葉で語り合える仲になった」と自賛した。両党がそれぞれに描く戦略が色濃く映る。両党ともこの和解を、「孤立」に追い込まれた過去を清算し、脱「孤立」という柔軟路線に大転換をした。国際共産主義運動も崩壊した。ともに名を捨てて実を取った姿が浮かび上がる。日中両党それぞれの狙い、思惑はどこにあったのか。
1、中国共産党側の思惑と狙い−脱「孤立」=文革の重荷を解消
中国にとって、日本共産党との関係正常化は、文化大革命で背負った重荷を下ろすという特別な意味があった。「負の遺産」は少しでも清算しておきたい、という党指導部の意向が強く働いたといえる。 文革期、中国は他国の多くの共産党を「修正主義」と批判した。特に日本共産党に対しては、「宮本(顕治書記長=当時)修正主義集団」と名付け、ひときわ厳しい批判を浴びせた。
自ら国際的孤立を招いた中国は文革後、これらの政党との関係修復を図った。1982年の十二回党大会で、胡耀邦総書記(当時)は、(1)独立自主、(2)完全平等、(3)相互尊重、(4)内部不干渉という共産党間関係の四原則を提唱した。それによって、西欧の共産党との関係を回復した。
87年の十三回党大会では趙紫陽総書記が「四原則に照らして、外国共産党やその他の政党との関係を発展させる」と表明、四原則の枠を共産党以外にも拡げた。その後、東欧の社会主義政権崩壊、ソ連解体により、「国際共産主義」の枠組みの方が崩れてしまった。
しかし、日本共産党との問題は残った。過去の干渉を「宜粗不宜細(大ざっぱがよく、細かいのはよくない)」と処理しようとする中国側の姿勢を、日本側・宮本顕治が受け入れなかったからである。今回、中国側が和解に動いた背景には、自らの内部問題にけじめをつけようという強い意識があった。「この党とだけは口もきかないという関係が隣国との間に残っている。こういう不自然さはいずれ、どうしても解消しなければならない」、アジアの「責任大国」になりつつあるのに、断絶状態を放置すれば、文革の後遺症を引きずり続けることになる。
2、日本共産党側の思惑と狙い−脱「孤立」=外交能力アピール
不破哲三の外国訪問は、89年3月に旧ユーゴスラビアを訪問して以来、3年ぶり。その空白が、志位和夫が言う「日本共産党は孤高を余儀なくされていた」状況を物語っている。国内では、国会の野党間協議で「共産党を除く」形が定着し、蚊帳の外に置かれた。外交面では中国ともソ連とも対立していた。89年の天安門事件やソ連崩壊が共産党のイメージを悪くし、「逆風」を受けるという皮肉な状態に陥っていた。
不破哲三は、昨1997年秋の宮本顕治議長引退を機に、「21世紀早期の政権獲得」の目標を掲げ、幅広い支持層獲得に向けて柔軟路線に踏み出した。そのためにも、外国政府や政党とイデオロギーによらない「普通の関係」を結び、外交面でも政権を担いうる能力をアピールすることが必要になった。
日本共産党は参院選で、党史上最高の議席を得た。柔軟路線による党勢伸長が、党外交にも追い風になっていた。関係改善に動いた中国側が、日本共産党が90年代半ばから、野党としての存在感を増している日本の政治情勢をにらんでいることは間違いなかった。
今回の訪中実現まで、日本共産党は中国側の実務者との協議を入念に重ね、慎重に準備を進めた。ただ、その過程や党内の論議はほとんど公表されず、突然、関係修復が実現したような印象を与えた。
アジア経済危機と日本経済の低迷が、中国の元切り下げにつながるかが注目を集める中で、参院選で議席を伸ばした日本共産党が、巨大な政権党である中国共産党と、30年以上の対立を精算して友好関係を回復したことは、今後重要な意味を持つ可能性がある。
この間の両党関係の変化は、双方の世代交代と実利の思惑が結びついて生まれた。日本側・不破哲三は昨年の党大会で長く党を指導してきた宮本顕治に引退を強要した。中国でもケ小平氏が世を去った。両党はそれぞれ市場経済を認め、柔軟な政治姿勢を打ち出してきた。
不破哲三は昨年の党大会で、東アジア重視を新しい柱として打ち出し、宮本流の共産党間外交優先、国際的孤立の路線を軌道修正した。
中国側からすれば、日本とのパイプだった社会党が社民党になって衰退し、新しい日米防衛協力のための指針や歴史認識などで、野党内の地位を高めた共産党との関係を復活させ、政府や自民党以外とのパイプを確保し、日本政治をチェックする足場を築こうということだろう。
両党には兄弟党だった特別な歴史もある。日本共産党は、1922年、コミンテルン(国際共産党)日本支部として誕生した。戦前、モスクワとの連絡ルートは常に中国が一番重要で、国際共産主義運動の中でも特別な関係だった。戦後も、日本共産党にとって中国共産党は、ソ連共産党と並んで、善かれあしかれ特別な存在だった。
かつての兄弟党時代、両党関係は常にソ連を強く意識していた。両党断絶の間に日中国交正常化や天安門事件、東欧革命、ソ連崩壊など大きな環境変化があった。過去の対立を一応清算した今回の会談では、隠れた第三の主役がソ連から米国になったのも特徴だ。異例に長い意見交換の中でも、両党は、アジアと世界における米国の存在を強く意識していた。
これまでの共産党は、海外の共産党や革新団体との対外関係しか持てなかったが、今回の中国や、すでに交渉をはじめている韓国との関係樹立といった経験を重ね、国際共産主義運動の枠を離れた、普通の対政府・対政党外交もできる党に脱皮しようとしている。しかし、そうした外交を進めようとすると、コミンテルン以来の伝統や党の組織体質と矛盾が出てくる。本当の脱皮のためには、閉鎖的な民主集中制や党員の権利より義務を優先する党規約を変えるべきだ。
『不破哲三と中国共産党との関係経緯』3回訪問+1回理論研究会
wikipedia日中共産党の関係
インターネット上では、今回の訪中について、多くの党員・支持者が天安門事件・人権問題、中国の核保有をどう考えるかを活発に議論しており、党内問題を党外で議論することを禁じてきた民主集中制は、事実上崩壊しつつある。党指導部にはそうした新しい時代認識と、コミンテルン型伝統からの脱却が求められている。最大の問題点は、両党が合意した内政不干渉である。それは、中国共産党が遂行している(1)多様な人権侵害犯罪と(2)一党独裁という政治犯罪体制を、内政不干渉の名目下で批判しない、実質的に容認するとする関係復活レベルである
それ以降、不破・志位・市田→志位・市田・不破らは、中国共産党による市民権侵害犯罪や党独裁・党治国家という犯罪システムにたいし、批判したことが一度もない。チベット問題、新疆ウィーグル地区問題、鉄道事故などで、報道する場合でも、人民日報の政府発表レベルの記事を転載するだけである。それが、内政不干渉という中国共産党の国内外犯罪容認関係の実態である。
3、2000年、朝鮮総連を党大会に招待=朝鮮労働党との友党関係回復
〔小目次〕
1、2000年11月第22回党大会に「朝鮮総連を来賓」として招待・メッセージ
2、2005年5月24日、共産党員2人の行動の対称性−不破哲三と萩原遼
3、不破哲三の恐怖心=北朝鮮崩壊ケースが日本共産党にもたらす衝撃・ドミノ的崩壊推定
1、2000年11月第22回党大会に「朝鮮総連を来賓」として招待・メッセージ
日本共産党は、日朝両党関係決裂後、初めて「朝鮮総連」を、2000年11月20日の第22回党大会に「来賓」として招待し、「メッセージ」を受けた。それは、どのような政治的意味を持つのか。
朝鮮総連は、北朝鮮系在日朝鮮人の大衆団体である。しかし、その実態は朝鮮労働党の直接指導下にある。朝鮮労働党は、本国に在外同胞担当部署として、統一戦線部(対外連絡部)を持ち、それが朝鮮総連内朝鮮労働党党員グループ、または、非公然組織「学習組」に組織した。民主主義的中央集権制+分派禁止規定というレーニンの犯罪的な上意下達組織原則で、方針・実行指令を出している。北朝鮮系在外同胞人数は、日本に一番多くいることは、自明である。そこで、この上下パイプは、太くて、強力である。もちろん、北朝鮮拉致(殺害)事件には、統一戦線部(対外連絡部)と連携した、朝鮮労働党作戦部・35号室から、朝鮮総連内朝鮮労働党員グループへの指令・関与もあった。
その前衛党式上下・国内国外関係は、朝鮮戦争時期に、海外からの戦争作戦指令リモートコントロール機能を果した。北京機関徳田・野坂→日本共産党中央軍事委員会・志田→民族対策部(民対)李恩哲・日本共産党中央委員→民戦内の在日朝鮮人日本共産党員グループ→民戦・祖防委・祖防隊にたいする朝鮮戦争後方基地武力かく乱武装闘争指令・実行という指令ルートになっていた。上級機関の決定に無条件で従う軍事的上下関係と同一である。
日朝両党とも、コミンテルン・レーニン型共産党として組織系統は、同一である。北朝鮮系在日朝鮮人大衆団体としては、日本共産党内民戦から、朝鮮労働党指令下の朝鮮総連に、指導政党が入れ替わっただけだった。朝鮮労働党は、現在も戦時・臨戦体制を取っているから、朝鮮総連・学習組」にたいする指令系統は、まさに軍事的上下関係である。
朝鮮総連の行動については、本国朝鮮労働党の指令・許可を受けた朝鮮総連内朝鮮労働党党員グループがすべてを決定する。よって、日本共産党第22回党大会への来賓参加・メッセージは、(1)日本共産党による正式招待と、(2)朝鮮労働党の朝鮮総連参加応諾という日朝両党の歴史的な2党関係の修復合意に基づく行為だった。
日本共産党は、その2年前、1998年7月21日、中国共産党と普通の党と党との関係を修復した。不破哲三は、日中両党関係修復後、中国共産党の支援・助言も得て、朝鮮労働党との関係修復の水面下工作に入った。その水面下ナゴシエーター(秘密交渉人)は、緒方靖夫国際委員会副責任者、西口光国際局長であろう。日本政府側の日朝正常化交渉再開の水面下ナゴシエーター(秘密交渉人)が、外務省田中局長だったのと同じ行為である。
金正日は、(1)日本共産党側の秘密交渉人ルートと、(2)日本政府側の秘密交渉人ルートという2本の糸を、鵜匠が2羽の鵜を操るようにして、成果をあげた天才的な策略型独裁者である。ただし、朝鮮労働党との関係修復をするには、慎重に、第1段階朝鮮総連招待→第2段階中国共産党なみに、直接、朝鮮労働党との関係修復を図ったと言える。日本共産党は、党大会に韓国民団も同時に招待している。しかし、これは、上記の本質を覆い隠すためのいちじくの葉である。
2000年11月21日「しんぶん赤旗」『不破委員長、朝鮮総連代表と懇談』
3月4日「同」『朝鮮総連議長の告別式に志位委員長が参列、献花』
2000年11月21日「しんぶん赤旗」記事の抜粋と写真
『日本共産党の不破哲三委員長は二十日、第二十二回党大会の開会に先立ち、在日本朝鮮人総連合会の南昇祐(ナム・スンウ)副議長、金明守(キム・ミョンス)国際局部長と懇談した。日本共産党の志位和夫書記局長、緒方靖夫国際委員会副責任者、西口光国際局長が同席』。
したがって、この朝鮮総連来賓参加は、事実上の日朝両党の共産主義友党関係の復活と規定できる。また、韓徳銖議長が、朝鮮労働党幹部であることは、公然の事実である。党大会来賓招待だけでなく、彼の死去にたいし、日本共産党として、(1)不破議長が弔電・(2)緒方国際局長が弔問、(3)志位委員長が告別式参列・献花をしたという行為は、日朝両党の共産主義友党関係復活事実を象徴している。
Google『朝鮮総連と韓徳銖』
不破哲三の著書『北京の5日間』を読めば分かるように、普通の党と党との関係という説明は、表向きの詭弁である。国際共産主義運動が世界的に完全崩壊した現在、不破哲三が工作していることの実態・本質は、当面、完全孤立状態からの脱出作戦として、1998年7月21日以来の、日本共産党・中国共産党・朝鮮労働党という3党による東アジア版のミニ国際共産主義運動を再構築するという壮大な、かつ、時代錯誤的な構想である。これには、中国共産党側からも、不破哲三にたいするなんらかの示唆・提案、もしくは、同意があったと思われる。
Google『朝鮮総連と日本共産党』
2000年11月20日後、志位和夫は、朝日新聞インタビューにおいて、「朝鮮総連とは、今後、意見の違いがあった場合でも、敵対的論争をしないという条件で、関係を回復した」と発言した。いわゆる共産主義友党関係において、「敵対的論争をしない」と約束することは、事実上、朝鮮総連、および、朝鮮労働党にたいして、いかなる批判も公表しないことを意味する。
2、2005年5月24日、共産党員2人の行動の対称性−不破哲三と萩原遼
第一、不破哲三日本共産党議長の行動
彼は、朝鮮総連結成50周年記念パーティーに出席した。そして、6月22日毎日新聞記事にあるように、「祝賀メッセージを金日成・金正日の大肖像画の下で読んだ」。
東京都北区の東京朝鮮文化会館
「しんぶん赤旗」記事『不破議長の出席とあいさつ』5月25日
朝鮮総連内の学習組とは、日本における朝鮮労働党組織であり、総連の中核部隊になっている。学習組メンバーは、全員が朝鮮労働党員である。その組織は、金日成のウソ詭弁に基づき在日朝鮮人93000人の帰国運動を宣伝・扇動しただけでない。それが、金正日の秘密指令に基づいて、金正日直轄の秘密政治警察と連携しつつ、日本人拉致(殺害)事件を遂行した事実は、様々な証言・著書によってほぼ完璧なまでに証明されている。ただ、学習組の正体が総連離脱幹部から何度も暴露されてしまった。金正日は、朝鮮労働党日本支部=学習組にたいし解体したと表向きの公表指令をした。
不破哲三は、それら金正日・朝鮮労働党・朝鮮総連・学習組の犯罪事実を知りつつ、「在日朝鮮人総連合会の五十周年に当り、お祝いのあいさつを申しあげます」と、金正日にたいしエールを送った。彼の言動は、実質的な金日成・金正日賛美だった。帰国運動、北朝鮮拉致(殺害)事件、日本共産党と朝鮮労働党との関係史については、別ファイルで分析した。
『北朝鮮拉致(殺害)事件の位置づけ』朝鮮労働党と在日朝鮮人、日本共産党
『北朝鮮拉致事件と共産党の意図的な無為無策路線』金正日擁護政策
第二、萩原遼「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」名誉代表の行動
彼は「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」名誉代表として、会の声明ビラ「朝鮮総連は『帰国事業』という巨大な誘拐・拉致に責任を取れ―朝鮮総連結成50周年に際して―」を会場近くで配った。ビラの配り方は、毎日新聞記事や写真4枚のように、一枚一枚封筒に入れ、参加者にお読み下さいと言って、手渡ししていたもので、混乱を起こすようなものでは決してなかった。不破挨拶全文とビラ全文は、HP『電脳補完録』に載っている。
HP『電脳補完録』の記事と資料−当日のビラ(全文)、不破議長挨拶(全文)
HP『カルメギ−北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会』名誉代表萩原遼、声明ビラ
不破哲三は、金日成・金正日の大肖像画の下における金正日・朝鮮労働党・朝鮮総連・学習組への自分の声高なエールにたいし、元赤旗外信部副部長・萩原遼が朝鮮総連批判のビラを会場前で配った行為に怒り狂った。
すでに、17年前の1988年12月3日、宮本・不破・志位らは、赤旗外信部副部長でありながら、金日成・金正日批判を赤旗編集局内で抱き続ける萩原遼を、朝鮮労働党・金正日との関係復活の野望から、危険視した。邪魔者は殺せは、前衛党の専従内運営の鉄則である。彼らは、河邑赤旗編集局長の口から、赤旗外信部副部長を解任すると通告させた。萩原遼は、解任理由を問い質した。編集局長は、宮本・不破・志位らの秘密命令通りに、人事についての理由は言えないと突っぱねた。萩原遼は、その手口に憤激して、赤旗記者をやめた。ただし、転籍して居住支部に残った。萩原遼は、この経過を著書『朝鮮と私、旅のノート』(文春文庫、P.205)で明記している。
この経過が、しんぶん赤旗記事になると、「一九八九年に赤旗編集局を退職した後も元赤旗平壌特派員の肩書を使い、党外の出版物で、党を批判したり、北朝鮮問題で党とは異なる見解を公表してきました」となる。
2人の共産党員の内、どちらの方が、日本国民の立場に立った行動なのか。不破哲三・河邑赤旗編集局長は、金正日・朝鮮労働党の利益を優先させ、萩原遼・日本国民の利益・要求にたいしてたたかった。その性質は、反国民的犯罪政党と規定できる。
中国共産党は文化大革命で、日本共産党はソ中両党との決裂で、国際共産主義運動においてともに完全孤立した。不破哲三・日本共産党の思惑は、国際的孤立からの脱出作戦である。それとともに、東アジア版ミニ・コミンテルン運動の再構築構想が背後に隠れている。そんな構想などありえないと断定する共産党員・支持者も多い。しかし、党独裁・党治国家3前衛党と非政権・日本共産党という東アジア4党の急接近ぶりは、それを裏付ける証拠ではないか。もっとも、4前衛党とも、矛盾が表面化してきて、崩壊間近がささやかれる時代錯誤の党内外犯罪政党である。
1989年〜91年にかけ、(1)東欧・ソ連10カ国前衛党いっせい崩壊と、(2)ヨーロッパのコミンテルン型共産党全滅が同時に起きた。今後、東アジア4党のどれかが崩壊しようものなら、4党の相互関連性から見て、4前衛党ともが同時崩壊する危険性が高い。ドミノ的同時全滅を防ぐにはどうしたらいいのか。
金正日・朝鮮労働党問題で書かなかった不破哲三のもう一つの党利党略がある。この内容は、彼が、拉致被害者救出にたいして、なぜ意図的な無為無策路線を続けるのかに関する謎解きとなる。
その根底には、北朝鮮型党独裁・党治国家崩壊が、日本共産党の存続に与える決定的衝撃にたいして彼が抱く恐怖がある。残存する党独裁・党治国家は、中国共産党・ベトナム共産党・キューバ共産党・朝鮮労働党の4つに減った。4つの国家は、前衛党が私的所有する一党独裁型の反民主主義的犯罪国家である。それらは、21世紀に入っても、他党殲滅・政党結成不許可・政治犯多数・言論の自由弾圧犯罪をしている異様な反民主主義国家である。
3、不破哲三の恐怖心=北朝鮮崩壊ケースが日本共産党にもたらす衝撃・ドミノ的崩壊推定
朝鮮労働党・朝鮮総連との共産主義友党関係復活に関する不破哲三の党利党略を推理する。その材料として、北朝鮮型党独裁・党治国家が、東ドイツなみに崩壊したら、日本共産党は、どのような衝撃波を受けるのかをイマジンする。ヨーロッパ共産党員・有権者は、大陸地続きで直接の津波を受け、共産党を軒並みに全滅させた。朝鮮半島北部を発生源とする津波は、日本共産党と約1億2百万有権者に直接襲いかかる。(1)東欧・ソ連崩壊時点に、資本主義ヨーロッパが受けた衝撃度は直接波だった。(2)それにたいし、ヨーロッパからはるか離れた東方の島国の日本共産党と有権者が受けたのは、間接波だった。そこに決定的な違いがある。
しかし、隣国の北朝鮮・朝鮮労働党が崩壊すれば、その直接波は東欧・ソ連10カ国崩壊時点にヨーロッパを襲った津波と比べものにならないレベルで、日本共産党に襲い掛かる。東欧・ソ連10カ国いっせい崩壊は、ヨーロッパの資本主義国共産党をドミノ的に同時連鎖崩壊させた。日本では、それが全ヨーロッパ範囲でコミンテルン型共産党が同時連鎖崩壊した現象と認識している有権者は少ない。北朝鮮・朝鮮労働党崩壊は、日本海を隔てているだけで、資本主義国で最後に残存する隣国の日本共産党をドミノ的に連鎖崩壊させる可能性が高い。その根拠と不破哲三の恐怖心を検証する。
〔恐怖心1〕
崩壊と同時の拉致被害者救出とともに、拉致百数十人中の生存者・被殺害者データが判明する。朝鮮労働党・朝鮮総連の犯罪実態、それと同体質・友党関係復活の日本共産党にたいする批判が一挙に高まる。2000年第22回大会前後における日本共産党と朝鮮総連=朝鮮労働党との共産主義友党関係の水面下回復経過が暴露される。それによって、約1億2千万有権者は、日本共産党を、北朝鮮拉致犯罪容認・放置政党と見なす。さらに、意図的な無為無策路線によって実質的秘密支援をした反国民的な犯罪加担政党として、弾劾する。
〔恐怖心2〕
北朝鮮帰国者9.3万人中、3万人以上死亡、内1万人が日本人帰国者専用強制収容所送りになった実態と虐待・虐殺の実態が暴露される。朝鮮総連と日本共産党の帰国運動加担度の責任が追及される。再び日本に帰った者から、北朝鮮型党独裁・党治国家の犯罪が、数万人規模の口で暴露される。これらは、ソ連・東欧からヨーロッパに亡命した数百万人が持ち込んだレーニンのウソ詭弁・大量殺人犯罪情報量レベルに匹敵する。帰国者たちは、日本人有権者が初めて見聞きする生々しい金日成・金正日犯罪データを直接提供する。
〔恐怖心3〕
北朝鮮内部における朝鮮労働党の北朝鮮2400万国民への抑圧・収奪・53階層差別と、金正日による意図的な350万人餓死殺人犯罪の真相が、日本有権者に知れ渡る。金正日の350万人餓死殺人については、萩原遼が調査・仮説証言をした。それと関連し、レーニンの根本的に誤った食糧独裁令による500万人餓死中の250万人政策的餓死殺人犯罪、スターリンの600万人餓死殺人犯罪の真相追究と研究も進む。
〔恐怖心4〕
有権者は、もともと、日本共産党と朝鮮労働党とは、同質・同類のマルクス・レーニン主義型前衛党と認識している。不破哲三が、いくら「北朝鮮は社会主義をめざす国ぐに」に含めないという詭弁日本語を使っても、それに騙される有権者は一人もいなくなる。もはや共産党員でさえも騙されない。日本有権者は、不破哲三が第23回大会改定綱領で掲げた「社会主義・共産主義」展望と、現存した北朝鮮型犯罪国家の実態とが、同一と見なす。日本共産党とは、犯罪的な社会主義国家実現をめざす革命綱領政党であるとの審判を下す。不破哲三が「社会主義の青写真を描かない」と逃げの手をいくら打っても、有権者は、日本共産党の社会主義展望=崩壊し、暴露された北朝鮮型党独裁・党治国家の実態と判定する。
〔恐怖心5〕
北朝鮮型党独裁・党治国家崩壊と犯罪実態暴露、および、拉致被害者・北朝鮮帰国者たちの日本帰国による証言という直接の津波を受け、2012年度の日本共産党テリトリーから、国政選挙の共産党投票者・赤旗日刊紙読者24万人・党費納入25万党員の「21世紀型逃散」現象が、全国各地で、いっせいに、あるいは、三々五々に、発生する。もはや、日本共産党の内部崩壊と党外逃散とを食い止めうる手段は見つからない。革命綱領政党の共産党テリトリーに境目はない。しかも、日本共産党からいっせい逃散する現象の性質は、党独裁・党治国家東ドイツからの大量亡命、北朝鮮からの脱北者数百万人という、国境を越えての「逃散」現象と類似性を持っている。
〔恐怖心6〕
総選挙・参院選・地方選で、日本共産党に投票する有権者は激減する。日本共産党は、現在の衆議院9議席・1.87%泡沫会派から、ついに、国会議席壊滅政党に無限接近する。リストラ専従33.2%で残存専従2700人、国会・地方議員約2793人は、次第に霧散する。不破哲三は、党資金横領年6000万円の特権を失う。
よって、北朝鮮が崩壊したら、一番困り、ドミノ的連鎖崩壊の恐怖に怯え、金正日体制を、このまま、なんとか維持したいと願っているのは、3つある。それらは、(1)不破哲三の日本共産党、(2)中国国家を私的所有し、北朝鮮大量難民流入に怯える中国共産党、(3)経済共倒れ危険のある韓国の3つである。これらのイマジンは、辛口だが、ジョン・レノンの逆発想も、現実に成り立つ。
不破哲三の恐怖心こそ、意図的な無為無策路線、六カ国協議への丸投げ路線の謎を解くカギである。
『北朝鮮拉致事件と共産党の意図的な無為無策路線』金正日擁護政策
4、党独裁・党治国家の中国・ベトナム・キューバ共産党・朝鮮労働党と友党関係
不破哲三は、中国共産党が支配する党独裁・党治国家と内政不干渉の合意をした。さらに、残存するベトナム・キューバ共産党・朝鮮労働党とも友党関係を回復した。しかし、内政不干渉の実態とはなにか。4国家ともが、(1)党独裁・党治国家を堅持する政治犯罪体制である。別政党を創ろうとする運動は禁止され、それをした国民・活動家たちは、牢獄にいる。中国・ベトナムは、政治体制を党独裁・党治国家としで堅持し、(2)経済面では資本主義市場経済路線を推進している。
党独裁・党治国家という政治犯罪システムと資本主義市場経済を併存させている。彼らは、その矛盾システムを社会主義体制と自称している。しかし、社会主義とは似ても似つかない政治・経済システムである。不破哲三は、最初、社会主義市場経済と規定していた。しかし、それでは、日本の有権者を説得できない。そこで、最近は、市場経済を通じて社会主義を目指す中国・ベトナムというウソ詭弁を使うようになった。ただ、北朝鮮は社会主義国家ではないと弁明している。
日本の財界・経営者は、経済・貿易面から中国・ベトナムとの関係を重視している。しかし、有権者で日本を中国・ベトナムの政治犯罪体制にしようと考える人は一人もいない。中国共産党のインターネット規制とその強化実態は、下記リンクのように世界中に知られ、批判されている。
ダラムサラ通信『中国303人による08憲章と憲章全文』一党独裁終結要求
思いつくまま『08憲章−中華連邦共和国憲法要綱』一党独裁終結要求
google『チベットに自由を!』 チベット問題 『中国のチベット虐殺』 新疆ウイグル
(中国共産党のインターネット規制強化と実態)
『グラムシの分析と警察機関化した共産党』中国共産党と日本共産党の2党の犯罪
加藤哲郎『「社会主義」中国という隣人』共産党一党独裁以上の意味はない08年3月
中華的雑記帳『中国のインターネット規制(1)』 『同(2)』
Google『中国 言論統制 ネット規制』
5、中国共産党・ベトナム共産党とは不破・志位中心で何回も理論交流・出版
日本共産党と中国共産党とは、何度も理論交流をしている。その中心は不破哲三である。その時系列の経過・内容を、下記リンクのように、毎回「しんぶん赤旗」や不破著書で宣伝している。彼は、中国に招待され、「学術講演」で絶賛され、マルクス・レーニン主義研究の世界的権威とうぬぼれ、舞い上がっている。それに関し、不破哲三は自分の著書を100冊も出版させている。
志位和夫も、ベトナム共産党と、理論交流を活発化し、3回もしている。
共産党『不破哲三議長の中国訪問』02年8月 『学術講演「レーニンと市場経済」』02年
共産党『中国共産党との会談終了/日本の情勢について不破議長が発言』05年12月
新日本出版社『不破哲三102冊』『日中理論会談で何を語ったか』06年3月
共産党『不破哲三−「学術講演」内容』全文、06年5月訪問
しんぶん赤旗『不破所長−中国社会科学院で「学術講演」』06年5月
しんぶん赤旗『ベトナム共産党』02年、06年、11年
しんぶん赤旗『志位委員長とベトナムのルア政治局員との会談』12年5月
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〔関連ファイル〕
『不破哲三と中国共産党との関係経緯』ファイル多数
『不破哲三の宮本顕治批判』(秘密報告)宮本引退強要・宮本私的分派解体の宮廷革命
日中共産党和解加藤哲郎『世代かわって柔軟路線』 『脱「孤立」柔軟路線』
『北朝鮮拉致(殺害)事件の位置づけ』党大会に朝鮮総連招待=朝鮮労働党との関係回復
〔6部作1〕、日本共産党90周年の概要=根本的な逆説
〔第1期〕、ソ連共産党支配下の反国民的隷従政党−1922年創立〜45年敗戦〜49年
〔第2期〕、ソ中両党支配下の反国民的隷従政党−1949年中国成立後〜67年決裂
〔第3期〕、隷従脱出の受動的な完全孤立政党−1967年決裂後〜70年代後半
〔第4期〕、ユーロコミュニズムに急接近→逆旋回→再孤立−〜97年宮本引退
〔第5期〕、孤立恐怖から党独裁・党治国家4つとの関係復活政党−1998年〜現在