筆坂秀世『悩める日本共産党員のための人生相談』
Q&A形式による悩む力を鍛える『日本共産党』第2弾
筆坂秀世と私の経歴・立場の違いからくる主張の隔絶度合
(宮地作成)
〔目次〕
1、著書の概要紹介
5、リアルで現実的な相談と公正穏健的な共産党批判回答、その限界点
〔関連ファイル〕 健一MENUに戻る
『筆坂秀世「日本共産党」出版をめぐる動向』筆坂証言があぶりだした3真相
『筆坂秀世「政治的暗殺事件」とその謎とき仮説』「脅迫ファックス」に即時屈服
『筆坂「政治的暗殺」から「外部飲酒禁止令」へ』党運営に関する『哲学の貧困』
行政調査新聞『あきれた粛清劇、筆坂氏失脚の深層』
wikipedia『筆坂秀世』
TAMO2『悩める日本共産党員のための人生相談−読書1』 『読書2』 『読書3』
日本共産党・民青同盟悪魔の辞典『筆坂著書へのコメント』多数
産経新聞−筆坂秀世事件3連載 人、瞬間(ひととき)あの反撃元参議院議員
人、瞬間−あの言葉元参議院議員 人、瞬間−あの事件元参議院議員
1、著書の概要紹介
これは、新潮社・著者からの内容紹介である。
離党から三年。元最高幹部の著者のもとに、いまだ次々と舞い込む、赤裸々な悩み事の中身とは──
「頑張っても『赤旗』は減る一方です」、「党員の高齢化が止まりません」、「まずは党内格差問題を何とかして」
貧困問題、『蟹工船』ブームを追い風に党員一万人増(!?) でも、「革命戦士」たちの悩みは尽きないようで…。一般党員から現役議員まで、全国から届いた数々の相談に党歴39年の著者が懇切丁寧にお答えします。
全体は、5章からなっている。悩める現役党員による相談・Qにたいする回答・Aの構成である。
第1章、「しんぶん赤旗」編
第2章、「悩める支部活動」編
第3章、「お金の悩み」編
第4章、「議員はつらい」編
第5章、「幹部への不満」編
この著書を読む前提として、著者経歴とともに、セクハラ嫌疑による機関罷免処分・参議院議員辞職強要問題における筆坂秀世問題=筆坂失脚の深層の謎解きをしておく必要がある。
〔小目次〕
1、著者経歴
1、著者経歴 筆坂秀世(ふでさか・ひでよ)
1948(昭和23)年兵庫県生まれ。高校卒業後、三和銀行へ就職。18歳で日本共産党に入党する。25歳で銀行を退職し専従活動家へ。国会議員秘書を経て参議院議員となり、共産党ナンバー4の政策委員長となるもセクハラの嫌疑をかけられ、2003年議員辞職。2005年7月に離党。
党財政300億円の実態から宮本顕治引退の真相まで、「革命政党」の全貌をつづった『日本共産党』(新潮新書)を2006年4月に刊行しベストセラーとなる。共著に『参議院なんかいらない』(幻冬舎新書)、『私たち、日本共産党の味方です』、『どん底の流儀』(情報センター出版局)などがある。
私は、筆坂秀世問題を、代々木党本部常幹内における、特に、不破哲三・市田書記局長と、浜野副委員長=3代目代々木のベリアら3人が直接関与した「政治的暗殺事件」と位置づけている。その謎に満ちた経緯と推理内容については、別ファイル3つで検証した。
『筆坂秀世「日本共産党」出版をめぐる動向』筆坂証言があぶりだした3真相
『筆坂秀世「政治的暗殺事件」とその謎とき仮説』「脅迫ファックス」に即時屈服
『筆坂「政治的暗殺」から「外部飲酒禁止令」へ』党運営に関する『哲学の貧困』
行政調査新聞『あきれた粛清劇、筆坂氏失脚の深層』
ちなみに、この筆坂問題との関連で、代々木のベリヤ3代目人物が判明・浮上したので、一言書く。戦後日本共産党史の謎解きをする上で、裏側の粛清事件と粛清指令者・執行者の役割はきわめて大きかったからである。その経過の中で、筆坂秀世事件も位置づける視点が要る。
(1)、初代代々木のベリヤは、言うまでもなく、袴田里見である。1955年六全協から3年後・1958年、第7回大会において、宮本顕治主流派は、宮本綱領を、代議員40%の反対で、採択できないという屈辱的な敗北を味わった。1961年第8回大会に向け、宮本顕治は、袴田里見と宮本秘書団私的分派を駆使し、中野重治中央委員他一人を除く40%代議員全員を、宮本綱領批判の分派活動規律違反などをでっち上げ、査問・除名・降格・任務変更などの大粛清で排除しつくした。これが宮本顕治の第1次党内クーデターだった。その中心的な粛清執行者は、宮本顕治の秘密指令で動いた袴田里見だった。
(2)、2代目代々木のベリヤは、宮本秘書団私的分派の中心中央委員小林栄三である。彼は、宮本顕治のスパイ査問事件問題における袴田証言をめぐる問題で、私的分派ボス宮本顕治の指令で忠実に行動し、宮本との合作論文でっち上げをした。そして、初代ベリヤ袴田を査問・除名し、その大キャンペーンで大活躍した。宮本顕治は、その功績で、彼を中央委員から、幹部会員を飛び越え、常任幹部会員に2段階特進させた。
共産党『袴田自己批判・批判』「3論文」と「党史」
それ以降、彼は、宮本顕治批判の邪魔者を粛清する政治的暗殺事件をすべて手がけた。しかし、その粛清執行者は、兵本達吉査問シーンで精神的な破綻を見せた。1999年、兵本査問5日間20時間の最中に、兵本達吉から「いい加減なでたらめを言うな」と怒鳴り返され、その途端に、査問委員小林栄三が泣き出し、しょうべんを漏らした。この事実は、兵本がリアルに証言している。
ただし、それ以前の1994年と97年、宮本秘書団私的分派ボス宮本顕治は、脳梗塞で2回倒れ最高権力者活動が不能になった。bQ不破哲三にとって、絶好のチャンスが到来した。小林栄三は、不破哲三による宮本引退強要・宮本秘書団私的分派全員解体クーデターにあたって、宮本私的分派の中心メンバーでありながら、宮本と私的分派を裏切って、不破クーデター側に変節・党内転向をし、自己保身・生き残りを謀った。その裏切り功績の結果、常任幹部会員としての残留を許され、引き続き、ベリヤ的任務を遂行していた。もう一人、私的分派の宮本秘書室長と2人が宮本秘書団分派活動を全面自白し、不破クーデター側についた。小林栄三の精神異常発生によって、彼は、党内粛清任務を遂行できなくなった。
『宮本最晩年の議長室室長・現幹部会員岡宏輔登場』不破に密告した第二の男発覚
『不破哲三の「宮廷革命」、第21、22回大会』1997、2000年の党内クーデター
(3)、3代目代々木のベリヤになったのが、不破クーデターの不破側について、宮本秘書団私的分派全員解体=解任・降格の平和的粛清を分担した浜野忠夫である。彼は、袴田里見・除名→小林栄三・精神異常の後を受け継ぎ、代々木のベリヤとなった。
浜野忠夫は、不破クーデターにおける粛清功績で、日本共産党副委員長に昇格した。3代目として、党内粛清を4件も手がける中で、不破哲三の「これは君の任務だ」という指令を受け、5件目となる筆坂秀世の「政治的暗殺事件」の全経過を担当した。この経過については、別ファイルに載せた。
『常幹の筆坂粛清担当者の特定=浜野忠夫』5件の粛清事件を担当
筆坂秀世は、『週刊新潮9月22日号』における「日本共産党への弔辞」で次のように証言した。不破・志位・市田・浜野らは参議院議員辞職に関する記者会見指令を中止指令に逆転させた。筆坂は、それにたいし、記者会見要求をしたが、常幹4人は拒絶した。筆坂要求をなだめに、筆坂宅に来た浜野にたいし、筆坂妻が猛抗議すると「すみません、すみません」と床に頭をすりつけんばかりに謝った。彼の謝罪と行為は、これが、不破・志位・市田・浜野ら4人による筆坂秀世「政治的暗殺事件」だった真相を、はからずも証明している。
産経新聞『人、瞬間−あの言葉元参議院議員』浜野謝罪シーン
しかも、レーニン型の犯罪的組織原則政党においては、党中央粛清執行者名は、絶対秘匿で、裏側で銃殺・政治的殺人・政治的暗殺などをしなければならないのに、浜野忠夫は、筆坂攻撃論文発表によって、うっかりと、3代目代々木のベリヤであることを自己暴露する誤りまでも犯してしまった。
これら3人の推移を書いたのは、レーニン型前衛党における民主主義的中央集権制・分派禁止規定という党内民主主義を抑圧する犯罪的組織原則政党においては、ジェルジンスキー→エジョフ→ベリヤという党内外粛清任務執行者を絶対的に必要としたからである。資本主義世界で最後に残存する日本共産党も、ソ連共産党と同じく、代々木のベリヤ3人を党内裏側で活躍させてきた。
5章全体には、多数のQ&Aが載っている。その内、いくつかの相談・Qだけを、ごく一部ピックアップし、私の簡単なコメントを付ける。詳しくは、リンクによる説明にする。このファイルは、筆坂回答・Aを載せない。それぞれの回答がかなり長いからである。もっとも、(1)宮地コメントと、(2)筆坂回答・Aの立場・内容は、最後に書くが、根本的な違いがある。
ただし、筆坂回答・Aの内容や回答姿勢は、率直で好感が持てる。それだけに、党費を納入し続けている25万党員にたいする説得力は高い。彼らの悩む力を鍛える上で、ぜひ読んでほしい著書である。一方、党費納入拒否・党内離脱党員14.5万人が読んだら、物足りなさを抱くかもしれない。私の場合は、それらの面で、著書を高く評価しつつも、限界を感じる。
Q 新聞拡大にがんばっても、元読者にもう一度新聞を取ってもらうばかりで新規開拓ができません。しかも一カ月、三カ月という短期読者ばかりです。こんなことを何十年も繰り返していると、本当に空しくなってしまいます。たくさん「赤旗」を拡大している人がいますが、彼らはどうやって読者を増やしているのでしょう。
Q 「赤旗」を増やし、党員を増やさなければ共産党は大きくならない−。そう言われて、もう一〇年も、二〇年も必死にやってきました。党員は頑張っているのです。でも結局、「赤旗」の部数は減り続けています。もう疲れ果てました。
〔宮地コメント−赤旗拡大〕
1959年以降、宮本顕治・党中央は、赤旗拡大目標を決定し、全中間機関が数字を具体化し、日報・週報・月報で拡大成績を点検・追及する党活動を全党に強制してきた。この計画的党勢拡大運動・路線は、1980年をピークとし、完全に破綻している。それは、大衆運動を放棄し、事実上の拡大一本足政党に共産党を変質させた。データにあるように、減るばかりで、党員が空しくなって、もう疲れ果てるのは必然的結果である。
もはや、この誤った路線を放棄させるしかない。しかし、意見書を出しても、握りつぶされ、なんの効果もない。となれば、党勢拡大サボタージュ党員になるしかない。誤った路線に従う必要・義務はないからである。
(表1) 歯止めのきかない党勢力減退=読者大量離脱
年 |
80 |
82 |
85 |
87 |
90 |
94 |
97 |
00・9 |
04・1 |
06・1 |
08.7 |
大会 |
15 |
16 |
17 |
18 |
19 |
20 |
21 |
22 |
23 |
24 |
6中総 |
HN |
355 |
339 |
317.7 |
317.5 |
286 |
250 |
230 |
199 |
173 |
164 |
(151) |
内H |
54 |
50 |
40 |
35 |
(30) |
(28) |
(26) |
||||
内N |
232 |
200 |
190 |
164 |
(143) |
(136) |
(125) |
||||
増減 |
−16 |
−21.3 |
−0.2 |
−31.5 |
−36 |
−20 |
−31 |
-26 |
-9 |
-13.3 |
1980年は、ピーク時点で、HN355万部になった。1990年は、東欧・ソ連10カ国と前衛党のいっせい崩壊時点である。ヨーロッパの共産党は、東欧・ソ連の前衛党犯罪情報の津波を受け、ほぼ全滅した。日本においても、赤旗読者が、共産党から大逃散し続けている。このデータは、日本共産党のじり貧的瓦解テンポの証明となっている。
『〔じり貧的瓦解段階1〕赤旗HN歯止めのない28年間減退』データ分析
Q 私は今五〇歳ですが、居住支部はほとんど老人クラブ状態です。年寄りは文句ばかり言って口は達者ですが、体は動かさないので、結局ビラ配りも新聞配達や集金も全部私たちがやらなければなりません。
〔宮地コメント−宮本・不破による民青破壊クーデターと高齢化〕
青年・学生は、共産党になんの魅力も感じなくなっている。党員高齢化の遠因は、宮本・不破による1972年民青破壊=党中央に忠誠を誓う民青幹部に総入れ替えする党内クーデターにある。それが、新日和見主義事件である。
『新日和見主義「分派」事件』その性格と「赤旗」記事
『(真相データ12)宮本・不破による民青破壊犯罪と民青壊滅』壊滅経過(表)
Q 共産党に入って、何十年も「赤旗」の拡大と配達・集金、選挙の時のビラ配りやポスター貼りなどをやってきましたが、その結果が国会では衆議院が九議席、参議院は七議席です。正直言ってむなしくなります。かつては「革命的気概」に燃えていた時期もありましたが、もうそんな気力は残っていません。
Q 共産党は選挙で負けても、「党の政策・主張は正しかった」という総括ばかりです。後援会員の人にそう説明しても、誰も納得してくれません。なぜ負けたときに素直に敗北を認めないのでしょうか。
Q 国政選挙募金、地方選挙募金、党本部建設募金、夏季募金、年末募金−。一年中共産党へのカンパばかりで生活が大変です。
〔宮地コメント−選挙結果、欺瞞的総括、カンパ〕
共産党は、国政選挙において6連続惨敗中である。私は、次回総選挙で衆議院9→7議席に減るとのシミュレーションを出している。現在の志位・市田・不破は、(1)党外にたいして、民主的政策を出している。しかし、(2)党内において、民主集中制・分派禁止規定という党内民主主義を抑圧する犯罪的組織原則を手放そうとしない。日本共産党の本質は、党内外を使い分ける二面的な仮面政党である。
しかも、(3)政権交代阻止路線=自公政権存続支援政党である。かつ、(4)野党選挙協力拒絶路線のうぬぼれた自主孤立政党である。政権交代要求の有権者は、その路線の犯罪性をかなり認識してきた。それら誤った路線を放棄しないかぎり、有権者は共産党から大逃散し続ける。
選挙連続惨敗しても、欺瞞的総括しかしない。犯罪的組織原則政党トップは、党内の横断的水平的批判によって、指導者交代をさせられることは一切ない。複数党員による党中央批判をすべて分派活動規律違反として党外排除できるからである。しかし、国政選挙6連続惨敗結果、欺瞞的総括、多種のカンパにたいし、不満・批判を強める党員は、選挙活動サボタージュ党員化し、さらには、供託金カンパ拒否→党費納入拒否という党内離脱党員に多数がなってきた。党機関が離党申出を拒絶するので、党籍を削除されないままで、党内離脱党員にならざるをえないからである。
『共産党の総選挙、参院選結果データ分析』1970〜2007参院選
『じり貧的瓦解4段階経過と第5段階への転落方針』08年7月6中総方針の表裏
『共産党じり貧的瓦解〔段階4〕赤旗新聞社経営破綻・選挙財政破綻』
01年以降7年間で、党費収入24.6%ダウン、機関紙収入24.0%ダウン
東北・近畿3人目落選=じり貧的瓦解第5段階への転落
離党拒絶対応→党費納入拒否の07年度在籍党員145806人
党内離脱党員36.1%=離党の自由権剥奪犯罪経緯
Q 志位委員長は、国会で格差や貧困問題をしきりに取り上げています。それは大いにけっこうですが、党の専従職員の格差や貧困にも目を向けてほしいです。例えば中央委員長勤務の人は、額は少ないかもしれませんがともかく退職金が出ます。しかし、我々地方の専従者は退職金どころではありません。
Q 党大会や中央委員会総会のたびに長い決定文書が出ますが、とても読み切れません。そもそも、あんな長い文書を毎回発表することが必要なのでしょうか。いつも同じことばかり言っているように思いますし、読まずとも日常の活動になんの支障もありません。
Q 党の決定文書には、独創性というものがまったくないように思います。普段「赤旗」に書いてあることを改めて説明しているだけですし、そんなことは熱心な読者は改めて説明されずとも知っています。
Q 地区委員会総会でいろいろな提案をしても、「前向きに検討します」と言われるだけで、その後の回答を聞いたことがありません。要するに、地区委員会は面倒なことを自らは絶対やらない。上からの指示を下に伝えているだけです。
Q 支部で中央委員会の方針に意見を言っても、すべて地区委員会のところで止まってしまいます。ですから、支部でいくら意見を言っても意味がありません。衆議院の全区立候補方針はようやく改められましたが、あんなことは支部では昔から意見が噴出していました。でも中央委員会総会では、そんな意見は出たことがありません。もしそんな意見を出せば、「日和見主義だ」と非難されたはずです。ところが、いざ中央委員会が全区立候補を見直せば、一斉に方針が変わってしまう。これでは、支部や地区委員会総会でいくら議論しても無意味です。
〔宮地コメント−専従の格差・貧困、党中央決定文書、上意下達システム〕
これらの批判・不満は、従来から一貫して無数に出ている。しかし、それは解決不能である。それら弊害の基本原因は、日本共産党が、党内民主主義を抑圧する犯罪的組織原則政党だということにある。それを手放さないのは、志位・市田・不破らの自己保身目的だけである。民主集中制・分派禁止規定を放棄すれば、党内下部からの横断的水平的批判活動の爆発により、彼らの党内地位・特権が剥奪されるという恐怖に怯えているからである。資本主義世界で、このような自己保身幹部を抱え、犯罪的組織原則に執着する政党は、日本共産党とポルトガル共産党の2党だけになった。
現役党員は、(1)党中央指令どおりに、党勢拡大・選挙活動・カンパだけに取り組み続けるか、それとも、(2)それらへのサボタージュ党員に転換するか、または、(3)党機関が離党申出を拒絶するので、党費納入拒否の党内離脱党員になるという3つの選択肢のどれを採るのかが迫られている。
『共産党がひた隠す党内ワーキングプア・無契約専従実態』失業保険・退職金なし
分派禁止規定は、トップ自己保身目的のみの党内犯罪武器
『なぜ民主集中制の擁護か』党内民主主義抑圧の党内犯罪事例
『ゆううつなる党派』民主主義的中央集権制の4システム
『コミンテルン型共産主義運動の現状』ヨーロッパでの終焉とアジアでの生き残り
ブログでは、TAMO2が書評を3連続で載せている。日本共産党・民青同盟悪魔の辞典『筆坂著書へのコメント』が多数載っている。他ブログは、まだ書いていない。産経新聞は、2冊目著書出版にあたって、3回連載記事を載せた。その連載2回目の情景が、事件の真相を明らかにしている。
TAMO2『悩める日本共産党員のための人生相談−読書1』 『読書2』 『読書3』
日本共産党・民青同盟悪魔の辞典『筆坂著書へのコメント』多数
産経新聞−筆坂秀世事件3連載 人、瞬間(ひととき)あの反撃元参議院議員
人、瞬間−あの言葉元参議院議員 人、瞬間−あの事件元参議院議員
日本共産党は、筆坂秀世『日本共産党』の2006年出版と同時に、不破哲三・浜野忠夫・志位和夫ら3人が揃い踏みをし、筆坂と著書内容にたいし、罵詈雑言を投げつけ、その内容を全面否定した。彼が、共産党批判活動をしないと判断し、離党申出を許可してやったのに、それを彼が裏切ったと、怒り狂ったのであろう。
しかし、党本部内から出された脅迫ファックスに屈服し、筆坂の「政治的暗殺」をしたのは、彼らであり、その怒りは、逆恨みである。今回の著書『日本共産党・第2弾』には、無視・黙殺対応をしているが…。もっとも、前回の筆坂批判大キャンペーンは、著書をベストセラーにする上での宣伝効果が抜群で、共産党員が多数購読した。不破・浜野・志位らこそが、皮肉なことに、ベストセラーに押し上げる立役者の一員となった。
『筆坂秀世「政治的暗殺事件」とその謎とき仮説』「脅迫ファックス」に即時屈服
『共産党の反論全文−不破哲三・浜野忠夫・志位和夫』3人の赤旗論文
それに懲りたか、2008年11月15日出版の今回は無視・黙殺作戦に出たようである。というのも、今回著書は、現役共産党員によるQ &Aなので、前回並の宣伝者に成り下がっては、さらなる逆効果をひき起すと、ひきつっているのかもしれない。不破綱領と情勢とが響きあうと欺瞞的な大宣伝をしている今日、党費納入25万党員にこの著書を読ませないためには、それへの沈黙こそ金である。下手をすれば、その筆坂2冊目著書批判宣伝の逆効果として、志位報告のペテン性が暴かれでもしたら、共産党公表データの信憑性は地に堕ちかねない。
『志位和夫のペテン報告と真相解明計算式4つ』党員拡大数差引のペテン
共産党の47都道府県委員会・316地区委員会・地方議員団HPや、22000支部・共産党員ブログも、党中央の無視・黙殺対応に倣って、沈黙している。2006年筆坂『日本共産党』出版のとき、それらのHP・ブログのほとんどが、不破・浜野・志位による筆坂攻撃に即座に対応し、3人の口調そのままのコピー文を載せまくった。全党が、それらによって、筆坂著書をベストセラーにする大宣伝を手伝った。
今回、2008年『人生相談』出版では、3人ともが沈黙しているので、あらゆる中間機関HP・共産党員ブログもだんまりである。トップが見解を示さないと、下部は、独自批判・見解も出せられない。むしろ、これは、水田洋が規定するように、日本共産党機関・支部は、自主的思考停止機関・支部・党員になっていることの証明ともなっている。民主集中制・分派禁止規定という犯罪的組織原則によって、自分の頭で考える能力を喪失した、または、剥奪された下部機関・党員に変質させられている。
水田洋は、日本共産党の責任について、次のように指摘している。思考停止人間(自分で考え自分の責任で発言する能力のない人間)を生産したことは、戦争責任に続く戦後責任といえるかもしれない。
水田洋『民主集中制。日本共産党の丸山批判』思考停止人間の生産責任
5、リアルで現実的な相談と公正穏健的な共産党批判回答、その限界点
相談・Qは多数あるが、いずれも現役の党費納入25万党員の悩みをリアルに提起している。筆坂秀世の回答・A内容は、まず、相談・Qの実態をそのとおりだと率直に認め、その上で、元常幹・政策委員長・参議院議員→離党を許可された者の立場から、共産党中央委員会側の問題点・誤りを具体的に書いている。回答内容もリアルなので説得力がある。公正穏健的な共産党批判という立場を意図的にとっているので、『日本共産党・第2弾』として、現役共産党員の「悩む力」を鍛える上で、かなり役立つと思われる。ぜひ、彼らに読んでほしい本である。
〔物足りなさ、限界点1〕
筆坂秀世は、回答・A内容として、悩める共産党員が相談する問題点・誤りの根源が、民主集中制にあると、随所で指摘している。しかし、民主集中制を放棄すべきとの見解を提起していない。となれば、相談・Qの根本的な解決案を示していないことになる。日刊紙発行を廃止せよとは提起している。それなら、もう一歩踏み込んで、ポルトガル共産党を除くヨーロッパすべての共産党のように、民主主義的中央集権制を放棄すべきと、なぜ主張できないのか。そして、民主集中制・分派禁止規定を放棄すべきではないかというような相談・Qをカットしているとも思われる。そのような悩みの相談・Qがまったくなかったとは考えられないからである。これらに筆坂秀世と著書内容の物足りなさ、限界がある。
ただし、党費納入25万党員にたいする回答・Aレベルなら、これでいいのかもしれない。私の上記コメント・レベルのように、党内民主主義を抑圧する犯罪的組織原則政党という回答をすれば、党費納入を続けている党員の「悩む力」を鍛える上で、逆効果で、反発をかうかもしれないからである。
〔物足りなさ、限界点2〕
一方、党大会公表在籍党員約40万人中の党費納入拒否・党内離脱党員37.0%・14.5万人が読むと、かなりの物足りなさを抱くかもしれない。というのも、彼らのほとんどは、党内民主主義を抑圧する党運営に批判を持ち、それへの不満から、民主集中制を放棄すべきとする立場に至っているとも考えられるからである。私の共産党専従13年間の体験からも、それら14.5万人が党に戻ることはもはやありえない。となると、彼らも、筆坂著書レベルに限界点を感じるかもしれない。
〔物足りなさ、限界点3〕
また、党費納入25万党員といっても、相談・Q多数におけるように、年中無休のような党勢拡大指令・拡大成績点検にたいする党勢拡大サボタージュ党員、国政選挙6連続惨敗結果と欺瞞的・責任転嫁総括6回に呆れ果て、怒った選挙活動サボタージュ党員が激増している。彼らは、党費を納入し続けてはいても、実質的な第2種・党内離脱党員となっている。彼らも、筆坂著書レベルにたいし、同じような物足りなさ、限界点を感じるかもしれない。
6、筆坂秀世と私の経歴・立場の違いからくる主張の隔絶度合
主張の隔絶度合は、筆坂秀世と私ら2人の経歴・立場の違いから生じている。ただし、隔絶度合とその原因・経緯を書くが、筆坂著書2冊目を党費納入し続けている25万党員に読んでほしいという気持ちはなんら変わらない。
〔小目次〕
1、筆坂秀世−常任幹部会員・参議院議員・党中央政策委員長・bS
2、宮地健一−名古屋中北地区常任委員(=5つの地区委員長)・県選対部員
1、筆坂秀世−常任幹部会員・参議院議員・党中央政策委員長・bS
筆坂秀世は、党中央常幹だった。彼は、代々木党本部内からの脅迫ファックスに屈服した不破・市田・浜野らによる「政治的暗殺事件」によって、2003年、機関罷免処分・専従解任・議員辞職を強要された。しかも、弁明の記者会見要求を拒否・禁止され、夜逃げ的引越までも命令された。しかし、彼は、それ以前に、一度も、宮本・不破・志位路線・政策に反対・批判したことがなかった。その態度と客観的役割は、2006年までの上田耕一郎副委員長と同じである。筆坂秀世も、民主集中制・分派禁止規定という党内民主主義を抑圧する犯罪的組織原則政党の忠実な中心幹部bSだった。上田耕一郎とともに、誤った左翼反動路線政党トップの一人として、それらの路線・政策を支持し、推進していた
『上田耕一郎=犯罪的組織原則政党副委員長としての客観的役割』
事件後、彼は、日本共産党中央委員会の問題点・誤りの根源や、党費納入25万党員の悩み・相談Qを発生させる基本原因が、民主集中制にあると気付いても、分派禁止規定とともに、それらを放棄せよとの主張を一度もしていない。批判をしても、放棄を主張しない。そこに、筆坂秀世の限界がある。日本共産党のじり貧的瓦解データもごく一部しか示していない。常幹だったのだから、もっと詳細な極秘資料を持っているか、記憶しているはずだからである。それら極秘資料を全面公表しないところにも、共産党支持・存続支援という彼の限界が伺える。
私との決定的な違いは、筆坂秀世が除名処分・除籍でなく、離党申出を許可された常任幹部会員だったことである。日本共産党史上、このような党内地位にあった党中央幹部にたいし、宮本・不破・志位・市田らが離党申出を許可したケースは、かつて一度もなかった。もっとも、離党申出をした常幹・党中央トップレベルの幹部は、これまで一人もいなかった。これも、筆坂事件の謎の一つである。
謎と言うのには理由がある。それを4つのケースから検証する。
(1)、古在由重教授や葦牙・霜多正次のように、離党届を出したのに、それを恣意的に受理しないで、半年以上や4カ月間も放置し、規律違反をでっち上げて、除籍措置をした件がある。これらは、別ファイルで検証した。宮本・不破・志位らは、除籍措置を、実質的で簡便な除名処分として乱用している。
『なぜ民主集中制の擁護か』除名か、除籍=実質的で簡便な除名処分か
『平和委員会・原水協粛清事件』古在由重離党申出→離党不許可→除籍
『葦牙批判大キャンペーンと粛清』霜多正次離党申出→離党不許可→除籍
簡便な除名処分という意味は、次である。通常の除名は所属支部において、除名是非の討論・決定を必要とする。とくに、党中央批判を原因とするような分派活動規律違反容疑の除名処分にたいし、反対意見噴出で支部そのものが崩壊してしまうケースが多い。それにたいし、除籍措置は、規約に基づく規律違反処分でない。かつ、支部の討議・決定を必要とせず、党機関が支部を飛び越えて、一方的に除籍を決定できる簡便さを指す。
支部にたいしては、除籍措置=党籍剥奪をしたとの事後通告だけですむ。それは、宮本・不破・志位らによる党中央批判党員の処刑済みを事後通知する党内犯罪と同じ性質を持つ。古在や霜多の離党不許可→除籍の実態は、処刑済みの事後通知だった。
スターリン体制下だったら、それは、ロイ・メドヴェージェフの調査データのように、革命政党が遂行した現役共産党員100万人銃殺と同じ意味を持つ処刑である。
(2)、都道府県委員・地区委員長クラスの専従が、離党申出をしても、めったに離党の許可をしない。監禁査問の末、除名処分にする。私の専従時期、愛知県委員・尾西地区委員長・衆議院選挙候補者が離党申出をした。私は、1年間、そこの地区常任委員をしたことがあったので、彼の経歴・人柄をよく知っている。尾西地区は、准中央委員の名古屋中北地区委員長の地元だったので、極端な赤旗一面的拡大の誤りが、中北地区に次いで、准中央委員の直接介入指導によって、ストレートに貫徹されていた。中北地区専従52人中、12人がその誤りで自律神経失調症病人になったのと同じく、その地区でも同一病人が何人も発生していた。
離党申出の理由は、「もう疲れた」ということだった。彼も、同じ病気になっていたのかもしれない。しかし、愛知県常任委員会・党中央は、それを口実と疑った。彼を監禁査問にし、親類に検事がいたこということで揚げ足をとり、スパイだとでっち上げ、除名処分にした。そして、全県党に除名決定書を回した。それを読んだが、彼がスパイ=親類検事への共産党情報漏洩をしたという具体的証拠は何も書かれていなかった。彼がスパイ行為をやるようなタイプでないことを、私が証言する。このやり方が、専従=職業革命家の組織離脱を許さない秘密結社的革命政党の通常の手口である。ましてや、それよりはるか上の党内地位にいて、常幹という最高幹部にたいし、離党申出の許可をしたケースなど一度もない。
(3)、本人からの離党申出を許可するケースもある。田口富久治教授は、1994年、宮本顕治による丸山眞男批判キャンペーンに強烈な批判・異論を抱き、離党届を出した。党中央は、規律違反をしていないかを確かめた上で、離党を許可した。この事実は、本人の直接証言を私が聞いたので間違いない。筆坂秀世にたいし、常幹は、2005年、離党後の共産党批判をしないかどうかを判断し、離党を許可した。また、筆坂秘書が、常幹による筆坂処分の誤りに怒って、離党申出をしたのにたいし、それも許可した。これらの事実は、筆坂が証言している。
Wikipedia『田口富久治』田口富久治離党申出→離党許可
『筆坂秀世「日本共産党」出版をめぐる動向』筆坂証言があぶりだした3真相
『筆坂秀世「政治的暗殺事件」とその謎とき仮説』離党申出→離党許可
古在や霜多、愛知県尾西地区委員長、田口・筆坂・筆坂秘書のケースに見られるように、暴力革命秘密結社・政党の伝統から、離党・組織離脱は、離党申出の瞬間からほぼ自動的に成立するのではない。それは、革命政党の党機関が、許可・不許可を決定する事柄なのである。この秘密結社的な鉄の規律運用をわきまえていないと、日本共産党による離党・組織離脱を許さない党内犯罪システムを理解できない。
(4)、さらには、一般支部党員の場合、離党申出をしても、党機関が離党を拒絶するケースが圧倒的に多い。党員50万人拡大運動最中に、在籍党員数が減るのを怖れて、「もっと再結集の説得をしてこい」という口実で受け付けない。もし、離党申出を自動的に許可し、地区の在籍党員数が大量に減少しようものなら、党中央→都道府県委員会のルートで、打撃的批判・罵倒が降り注ぎ、満座の前で、その専従・地区委員長が屈辱的な自己批判を強要されることへの恐怖を何度も実体験しているからである。これが、党勢拡大数値目標成績アップだけを一面的に追求・点検する上意下達政党の日常的党運営スタイルである。
志位和夫は、2007年9月5中総において、党費納入率63.0%と報告した。これは、委員長が公式発表した日本共産党史上初めての画期的なデータだった。それは、党費納入拒否党員が37.0%いる真相を告白したことを意味する。その人数は次である。06年第24回大会公表の在籍党員数404299人×党費納入拒否37.0%≒党費納入拒否の在籍党員数149591人となる。
これは、日本共産党が離党の自由権を剥奪=組織離脱阻止をしているカルト団体的な犯罪的組織原則政党であることの証明である。このテーマとデータは、HPに載せた別ファイルで詳細に検証した。
離党拒絶対応→党費納入拒否の07年度在籍党員145806人
党内離脱党員36.1%=離党の自由権剥奪犯罪経緯
それら離党の自由権剥奪149591人への対応や、上記他の離党申出不許可→除籍、除名ケースと比べ、最高幹部だった筆坂離党許可はきわめて異様である。志位・市田・不破・浜野ら4人は、なぜ、いかなる思惑で、日本共産党史上初となる党中央最高幹部bSの離党申出をあっさりと許可したのか。このテーマは、筆坂事件の謎を解くキーポイントの一つとなるので、検証する必要がある。
彼ら4人にとって、離党を許可してやった筆坂が、まさか1年も経たないうちに、『日本共産党』出版で反逆するとは、まったくの想定外だった。そのあっさり許可の原因2つを考察する。もっとも、許可に至るまでの経緯・真相は、あっさりでなく、紆余曲折があったと思われるが、それについては、共産党と筆坂側も書いていない。
〔原因仮説1〕
彼らが、筆坂の人格を軽視し、おとなしく泣き寝入りするタイプと見くびっていたのかもしれない。さらには、自分たちの自己保身目的の誤った党内犯罪=「政治的暗殺事件」が、彼と夫人のプライドをどれほどまでに傷つけたのかを想定できないほどの代々木官僚的な人間的腐敗タイプに転落していたのか。夫を暗殺した4人にたいする筆坂夫人の怒りの気持ちを読めない官僚になっていたのか。ブハーリン夫人アンナ・ラーリナは、ソ連崩壊過程の1989年、スターリンによって1938年銃殺された夫の死後名誉回復・党籍回復決定をたたかいとった。
〔別の原因仮説2〕
別の原因も、あっさり許可について考えられる。彼ら4人は、当然ながら、「政治的暗殺」という自らの党内犯罪の性質を熟知していた。セクハラ・スキャンダルから党全体=自分たちトップを守るためには、筆坂暗殺もやむをえないと決断した。しかし、そのやましさ、後ろめたさは残る。しかも、臭いものに蓋方針を貫徹し抜くには、暗殺の事後処理がさらに必要となった。
(1)、筆坂による弁明の記者会見要求を拒絶・禁止した。(2)、マスコミから身を隠せと、夜逃げ的引越を命令し、表札を出すことも禁止した。(3)、代々木出勤の再開許可後も、一度だけ論文執筆・掲載を許可したが、それ以外は仕事を与えず、代々木内窓際専従として飼い殺しにした。(4)、議員歳費・常幹給料を剥奪し、一般専従並み給料という捨扶持だけを恵んだ。(6)、弁明も一切許さないままで、党本部専従800人によるセクハラ常幹・議員へのさげすみの目にさらし、代々木という針の山に毎日出勤させた。
彼は、2003年からの2年間、その屈辱とプライド破壊処遇に耐えた。しかし、もはや、我慢の限界に至った。彼の離党申出とその固い決意にたいし、4人は、もし、従来の手口どおり、離党を不許可にしたら、筆坂夫妻が何をしでかすか分からないと、不安と恐怖に捉われた。離党を許可してやったら、そのまま表札も出さず、マスコミからの逃亡者として余生をすごすかも知れないと虫のいい期待を抱いた。そして、「政治的暗殺」の2年後、2005年、元常幹・参議院議員・政策委員長・bSという最高幹部レベルの離党申出を、日本共産党史上初めて許可した。
2、宮地健一−名古屋中北地区常任委員(=5つの地区委員長)・県選対部員
それにたいし、1967年、私は愛知県党・名古屋中北地区において、准中央委員・愛知県副委員長の地区委員長による極度に一面的な党勢拡大指導の誤りにたいし、地区あげての数十人による批判活動の先頭に立ち、それを1カ月間続けた。しかし、批判側常任委員3人中の一人による裏切り・密告によって、批判運動は分派活動と逆転させられた。私はその首謀者と断定され、21日間の監禁査問を受けた。
『私が受けた「監禁査問」21日間の壮絶』24時間私語厳禁、トイレも通院も監視つき
第1部『私の21日間の“監禁”「査問」体験』「5月問題」〜第8部まで
2年後の1969年、私たちが批判した地区の誤りだけでなく、全県党的な犯罪的誤りが発覚した。私は再び、愛知県党あげての批判活動の中心になった。その過程1年間において、名古屋中北地区・愛知県党の誤りの根源として、党中央の一面的党勢拡大の誤りへの批判を、拡大地区常任委員会・拡大県委員会総会・県党会議などの正規会議で約10回、粘り強く発言した。
しかし、私を含め、党中央の誤りをもっとも鋭く批判した専従3人は、次々と宮本顕治による専従解任報復を受けた。他2人は、報復的解任専従の作法どおり、泣き寝入りした。私は報復批判の意見書を3回・数百枚提出し、党内闘争を1年8カ月間行った。1977年第14回大会に警告処分・専従解任報復を撤回せよとの党大会上訴まで提出した。
上田耕一郎は、党大会議長として、宮地上訴を無審査・無採決・30秒で却下する議事運営をした。彼は、宮地政治的殺人事件における宮本・不破・戎谷とともに、党内殺人事件の共同正犯者となった。私は、上田耕一郎を筆頭とする殺人行為にたいし、生まれて初めての怒髪衝天となって、「日本共産党との裁判」を決断した。
宮本・不破・上田らは、憲法の裁判請求権行使を直接の理由として、憲法違反の除名をした。さらには、裁判中、1カ月間以上の尾行・張り込みをし、除名キャンペーンを展開し、愛知県の4万人都市・岩倉市在住の共産党員約100人にたいし、宮地夫妻へのシカトを実行させた。日本共産党は、これらによって、憲法改悪阻止を唱える裏側の本質として、反憲法犯罪政党であることを露呈した。
第3部『宮本書記長の党内犯罪・中間機関民主化運動鎮圧、粛清』
第4部『「第三の男」への報復』警告処分・専従解任・点在党員組織隔離
第5部『宮本・上田の党内犯罪、「党大会上訴」無審査・無採決・30秒却下』
第6部『宮本・不破の反憲法犯罪、裁判請求権行使を理由とする除名』〜第8部
たしかに、これらは、特殊ケースとも言える。党中央批判専従にたいする宮本・不破・上田の報復・排除行為にたいし、これほどまでに党内で抵抗し、民事裁判までしてもたたかったケースは、聞いたことがないからである。しかし、宮本・不破・上田らが遂行した行為の本質が、日本共産党とは犯罪的組織原則政党そのものであることを、私にいやがおうでも認識させた。
その批判は、1989年からの東欧・ソ連10カ国と前衛党のいっせい崩壊の衝撃で一段と深まった。「レーニン秘密資料」6000点を初め、崩壊後に発掘・公表された文献をすべて収集し、読み漁った。なかでも、2007年出版の稲子恒夫『ロシアの20世紀』における膨大な極秘資料とコラムを繰り返し研究した。これは、日本で出版された画期的な分析・基礎資料と言える。
稲子恒夫『ロシアの20世紀−年表・資料・分析』「はしがき」「あとがき」他7編
私は、熱烈なレーニン信奉者だった。専従15年間やその前から、『レーニン全集』の基本文献をほとんど読み、『レーニン10巻選集』を3回り読み、『なにをなすべきか』を赤旗拡大指導の必要から10回熟読した。多数の『レーニン伝記』を含め、それらの著書内容を正しいと信じて疑わなかった。映画『戦艦ポチョムキン』を7回観た。ドストエフスキー・ザミャーチン・ショーロホフを初め、ロシア・ソ連文学のかなりを読んだ。
しかし、(1)「レーニン秘密資料」、発掘・公表された膨大なアルヒーフ(公文書)に基づく研究文献多数や、(2)稲子恒夫著書のレーニン極秘資料データは、東欧・ソ連10カ国と前衛党崩壊事実のショック以上に、レーニンの大量殺人犯罪、ウソ・詭弁、誤った理論を暴き、衝撃を受けた。レーニン信奉度合の強烈な揺り返し・反動から、レーニンが最高権力者5年2カ月間でしたことの真相研究にのめり込んだ。
そこからの結論として、私のレーニン批判レベルは、レーニンがしたことの全面否定=反革命クーデター説にまで深化している。それは、次を意味する。1917年10月とは、社会主義革命でなく、臨時政府権力とソヴィエト権力という二重権力双方にたいするレーニン・トロツキーらによる単独武装蜂起・単独権力奪取クーデターだったという歴史認識が、ソ連崩壊後における世界・日本の研究者ほとんどの常識になっている現実がある。
さらに、稲子恒夫著書が日本で初めて載せた画期的で膨大な極秘資料=レーニンが意図的に隠蔽し抜いた共産党犯罪データがある。それらを厳密に検証すれば、単に10月クーデターというのに留まらず、レーニンが最高権力者5年2カ月間でしたことの性質は、他党派殲滅路線・遂行によって、政治的民主主義・複数政党制・三権分立を廃絶させた反革命クーデターという規定にならざるをえない。
他党派殲滅路線・遂行の極秘資料とその性質
レーニンがしたこと=政治的民主主義・複数政党制への反革命クーデター
1921年クーデター政権崩壊危機とレーニン選択の4作戦
レーニンがしたこと=少数分派転落・政権崩壊に怯えた党内クーデター
よって、私のHPは、日本共産党批判とともに、根本的なレーニン批判という二本立てになった。党費納入を続けている25万党員は、それらのファイルにたいし、強烈な違和感と拒否感を持つと思われる。党費を忠実に納入し続ける党員の思想は、その根底に、スターリンは悪いが、レーニンは正しいという不破哲三式のレーニン賛美・中国共産党賛美論を共有しているからである。
それにたいし、党費納入拒否の在籍党員149591人は、もはや不破哲三のレーニン賛美論も否定しているのかもしれない。となると、私の日本共産党批判・レーニン批判の論旨にたいし、一部に賛同する可能性もある。日本共産党とは、ソ連崩壊後17年経って、(1)レーニン賛美者不破哲三を信じ、党費納入を続ける25万人と、(2)党籍名簿だけ残されている党内離脱党員149591人の2つに内部分裂している政党と規定できよう。日本共産党は、党員63.0%と、党員37.0%とに内部で割れている2分裂政党として見るかどうかである。
21世紀の資本主義世界において、東方の島国にだけ、犯罪的組織原則政党が残存すること自体が、日本の政治を民主化するうえで、重大な障害になっている。加藤哲郎が指摘するように、日本共産党はじり貧的瓦解をさらに続け、国会議席0という自然死に至るのが正しい展望ではないのか。彼は、HPファイル『日本社会主義運動の現在』の末尾で、社会主義と言いつつも、その内実として日本共産党の展望=自然死について、次のように結論付けている。社会主義を日本共産党と置き換えて読めば、そのまま当てはまる。
「現存した社会主義」の歴史的教訓の一つは、思想の自由・文化的多元主義が、社会主義にとって不可欠だということであった。それは、社会主義の定義そのものにも適用されねばならない。「何が社会主義であるか」をも、後世の歴史の審判に委ねる、思想的寛容が必要である。その意味で、日本の社会主義はいったん自然死し、新たな名前で再生することが、課題となっている。
加藤哲郎『日本の社会主義運動の現在』末尾の自然死
筆坂秀世と私の主張との隔絶は、(1)彼が謎に満ちた「政治的暗殺事件」を体験し、強烈な屈辱を受け、プライドを極限まで破壊されたとしても、最高幹部であるのに、離党申出を許可された党員と、(2)21日間の監禁査問を受け、宮本・不破・上田らによる党内犯罪連続によって、「政治的に殺害」された党員という違いが根底にある。
とは言っても、日本共産党のじり貧的瓦解第5段階=次回総選挙に向けて、筆坂著書2冊は、党費納入をやめない現役共産党員25万人の「悩む力」を鍛える上で、きわめて貴重で、役に立つと推薦できる。もちろん、私は、筆坂秀世の出版活動が正当なものとして、かつ、謎の離党許可をされたとしても、常幹体験に基づく貴重な内部告発として、応援している。
ただ、党機関によって、離党の自由権を剥奪されている党費納入拒否の党内離脱・在籍党員名簿残存の149591人にたいして、05年離党許可をされた筆坂著書は、どのような影響をもたらすのか。彼は、離党の自由権剥奪犯罪にたいし、06年までの副委員長上田耕一郎と同じく、幹部会員・常幹としての責任はなかったのか。
離党拒絶対応→党費納入拒否の07年度在籍党員145806人
党内離脱党員36.1%=離党の自由権剥奪犯罪経緯
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〔関連ファイル〕
『筆坂秀世「日本共産党」出版をめぐる動向』筆坂証言があぶりだした3真相
『筆坂秀世「政治的暗殺事件」とその謎とき仮説』「脅迫ファックス」に即時屈服
『筆坂「政治的暗殺」から「外部飲酒禁止令」へ』党運営に関する『哲学の貧困』
行政調査新聞『あきれた粛清劇、筆坂氏失脚の深層』
wikipedia『筆坂秀世』
TAMO2『悩める日本共産党員のための人生相談−読書1』 『読書2』 『読書3』
日本共産党・民青同盟悪魔の辞典『筆坂著書へのコメント』多数
産経新聞−筆坂秀世事件3連載 人、瞬間(ひととき)あの反撃元参議院議員
人、瞬間−あの言葉元参議院議員 人、瞬間−あの事件元参議院議員