日本共産党が自然死と衰弱死に至る展望
自然死の2段階展望と衰弱死の2010年代予想
2つの概念区別と具体的シミュレーション3つ
(宮地作成)
〔目次〕
1、加藤哲郎「日本の社会主義自然死」概念=日本共産党の自然死
1、「科学的社会主義」を名乗る基本路線・体質・人事の無変化化石政党
2、選挙11連続惨敗結果と自己保身目的の詭弁・隠蔽選挙総括政党 (表1、2)
3、党勢力5項目の推移−全分野でのじり貧的瓦解・衰弱死進行政党
4、党運営−批判・異論党員粛清と離党拒絶の党内民主主義抑圧政党
3、自然死と衰弱死という概念2つの区別と具体的シミュレーション3つ
2、自然死に至る2段階展望の具体化とシミュレーション2つ (表3、4)
3、衰弱死に至る党勢力5分野解析と2010年代シミュレーション (表5)
4、唯一残存するコミンテルン型共産党の消滅過程追跡の意義 (表6)
1、日本共産党は、資本主義世界で唯一残存するコミンテルン型共産党なのか
2、レーニンの前衛党5年2カ月間とは、数十万人大量殺人犯罪政党だったのか
3、日本共産党=大量の政治的殺人犯罪政党消滅過程追跡の意義 (表7、8)
〔関連ファイル〕 健一MENUに戻る
10年議席数−1・得票数−84万票・得票率−1.70%
MF生『10年参院選−共産党の都道府県別成績』得票数・率とも各地で大幅後退
『総選挙比例代表05年→09年結果比較』定数55%に削減→自然死の展望
『選挙10連続惨敗と共産党自然死の方向性』大転換・解党か、自然死かの選択
得票率10%以上小選挙区数96年190→162→65→52→09年28
『第25回大会中央委員会報告・決議の行間を読む』党勢力5分野データ
1、加藤哲郎「日本の社会主義自然死」概念=日本共産党の自然死
加藤哲郎は、2002年、論文『日本の社会主義運動の現在』を発表した。彼は、末尾において、「日本の社会主義はいったん自然死」と提言している。全文を読めば分かるように、その自然死という概念は、日本の社会主義=日本共産党の自然死を指している。重要な指摘なので、4章の骨子・抜粋と末尾の一節を載せる。
加藤哲郎『日本の社会主義運動の現在』末尾−日本の社会主義はいったん自然死
1、はじめに−「社会主義」と「共産主義」
第三インターナショナル(コミンテルン)=国際共産主義運動は、21世紀の今日から見れば「大きな失敗」であったが、20世紀の日本においても、「社会主義」とは、主としてコミンテルン=共産党系の思想・運動、およびソ連や東欧の「現存した社会主義Actually existed Socialism」の国家・経済体制と理解され、受容されてきたので、ここでは「日本の社会主義運動」を日本共産党を中心としたものとして扱う。
2、ポスト冷戦期の日本共産党
1989年の「ベルリンの壁」崩壊と91年のソ連解体で、世界の共産党は、消滅の一途を辿っている。旧来のコミンテルン、コミンフォルムの伝統を引いた国際共産主義運動は、基本的に消滅した。北欧、イギリス等では共産党が自主解散し、イタリア共産党は左翼民主党に変身して、社会主義インターナショナルに加盟した。かつての「モスクワの長女」フランス共産党は、スターリン主義的過去を自己批判し生き残ろうとしているが、3分の2の党員を失い、弱体化した。
その中で、なぜ発達した資本主義国である日本で、共産党が生き残り得たのだろうか。これは外国からみると、奇妙な状況だろう。しかし、これにはいくつかの根拠がある。
以下、加藤哲郎は、4つの根拠を分析している。
3、日本共産党の自己矛盾
しかし、以上に述べた存続理由の全てが、実は同時に、日本共産党に自己矛盾と衰退をもたらす要因にもなっている。
以下、加藤哲郎は、自己矛盾と衰退をもたらす7つの要因について、詳細な検証をしている。
4、社会主義運動の展望と課題−20世紀日本の教訓
このように、日本共産党、社会民主党がなお政治勢力として存続しているとはいえ、日本における思想および運動としての社会主義は、21世紀の入り口で、風前の灯である。国家ないし経済体制に転化する可能性は、全くない。
戦前・戦後の党資金の出所や、宮本顕治が1933年に関わった「スパイ査問致死事件」についても新たな史資料が出てきて、2002年夏の党創立80周年を前に、党史の再検討を迫られている。フランスで『共産主義黒書』が大きな話題になったように、ソ連・東欧の「現存した社会主義」の歴史に加えて、日本共産党の80年の歴史も、日本の社会主義運動にとっては「20世紀の負の遺産」となりつつある。
イタリア共産党の場合は、こうしたコミンテルン的過去を清算して、左翼民主党=社会民主主義に変身し、フランス共産党も「自己批判」して、過去に党から追放・除名された人々を「名誉回復」し、復帰をよびかけることまで行った。しかし日本共産党はなお、そこまでコミンテルン的過去から脱皮することができず、党機関誌『前衛』の名前を変えることをいったん発表しながら、適当な代替案がなくて、なおそのままで存続している状態である。このような方向では、遅かれ早かれ日本の「社会主義」はいっそう衰退し、すでにゲットー化している現状から、脱する展望はない。
そして、そもそも「世界ブルジョアジー対世界プロレタリアート」というコミンテルン的階級闘争図式は、宗教や民族や階級内の社会層(階層)を、生産手段の所有・非所有に還元してすべてを階級関係に従属させることで、現実の20世紀の歴史的展開には、無力だった。ましてや、女性の解放を階級闘争に従属させてきた点で、政治的に誤っていた。
今日では、国家主義の延長上で地球的プロレタリア独裁・集権的計画経済を夢見るよりも、ローカルなコミュニティでAssociationを構想し、そのネットワーク型共生のなかで多国籍企業や国家への抵抗を考える方が、はるかに社会主義的である。いいかえれば、政治的民主主義と市場経済を前提とした、「国家中心主義」に対する「社会中心主義」ないし「市民社会主義」としての社会主義である。
「現存した社会主義」の歴史的教訓の一つは、思想の自由・文化的多元主義が、社会主義にとって不可欠だということであった。それは、社会主義の定義そのものにも適用されねばならない。「何が社会主義であるか」をも、後世の歴史の審判に委ねる、思想的寛容が必要である。
その意味で、日本の社会主義はいったん自然死し、新たな名前で再生することが、課題となっている。
2、日本共産党とはどういう政党なのか−実態的性格規定
このテーマについては、別ファイル多数で分析してきた。詳細は、そのリンクで検証する。
〔小目次〕
1、「科学的社会主義」を名乗る政党で、基本路線・体質・人事の無変化化石政党
2、選挙11連続惨敗結果と自己保身目的の詭弁・隠蔽選挙総括政党 (表1、2)
3、党勢力5項目の推移−全分野でのじり貧的瓦解・衰弱死進行政党
4、党運営−批判・異論党員粛清と離党拒絶の党内民主主義抑圧政党
1、「科学的社会主義」を名乗る政党で、基本路線・体質・人事の無変化化石政党
日本共産党とは、「科学的社会主義」を名乗る政党である。創立以来、「マルクス・レーニン主義」を名乗る政党だった。それを個人名だからとして、日本語名「科学的社会主義」に変更したが、その基本路線・体質を全面堅持している。隠蔽・略語・日本語名変更により、基本路線・体質を放棄したと錯覚している有権者・ジャーナリスト・左翼知識人が多い。しかし、裏側の実態は、一つも放棄しておらず、ヨーロッパの共産党のように、放棄宣言をまったくしていない。
1989年〜91年、「社会主義」を名乗った体制・「マルクス・レーニン主義」を名乗った政党は、10カ国でいっせい崩壊した。資本主義ヨーロッパにおいて、「マルクス・レーニン主義」を名乗った政党も崩壊するか、放棄宣言をした。フランス共産党も、マルクス主義の理論と実践は、ソ連・ソ連共産党崩壊の根本的な原因だったとし、党大会で全面否定・廃棄した。ポルトガル共産党も、プロレタリアート独裁理論と実践は、マルクス・レーニン主義の基本的誤りだったとして、1994年党大会で放棄宣言をしている。
21世紀、東方の島国においてのみ、「科学的社会主義」を名乗るマルクス・レーニン主義政党が、唯一生き残っている。しかも、基本路線・体質を何一つ変えようとも、放棄宣言をしようともしない。その様相は、まさに無変化化石政党そのものである。
3、党機関財政崩壊危機→救援・救済のための異様な新特別募金訴え
2、選挙11連続惨敗結果と自己保身目的の詭弁・隠蔽選挙総括政党
2010年7月参院選において、日本共産党は選挙11連続惨敗政党となった。ただ、志位和夫は、自己保身目的に基づく詭弁・隠蔽選挙総括を繰り返している。その性質は、支部・党員騙しをする党首の犯罪と規定できる。
(表1) 議席・得票数・得票率と比例代表増減
年度 |
議席 |
得票数 |
得票率 |
||||||
選挙区 |
比例代表 |
選挙区 |
比例代表 |
選挙区 |
比例代表 |
||||
増減 |
増減 |
増減 |
|||||||
1998 |
7 |
8 |
875.9 |
819.5 |
15.66 |
14.60 |
|||
2001 |
1 |
4 |
-4 |
536.3 |
432.9 |
−386.6 |
9.87 |
7.91 |
−6.69 |
04 |
0 |
4 |
-4 |
552.0 |
436.3 |
+3.4 |
9.84 |
7.80 |
−0.11 |
07 |
0 |
3 |
-1 |
516.4 |
440.8 |
+4.5 |
8.70 |
7.48 |
−0.32 |
10 |
0 |
3 |
-1 |
425.6 |
356.3 |
−84.4 |
7.29 |
6.10 |
−1.38 |
議席増減は、改選数=6年前比例代表当選数にたいする増減
比例代表投票率は、07年58.63%→10年57.92%で、−0.71%微減
選挙区・比例代表の合計当選議席は、15→5→4→3→3と減り続けている。参議院議席非改選との合計は9→7→6に減った。
これで、日本共産党は、この11年間に、国政選挙7連続惨敗をした。(1)2000年6月総選挙、(2)2001年参院選、(3)2004年参院選、(4)03年11月総選挙、 (5)07年の参院選、(6)09年総選挙、(7)今回10年参院選における連続敗北・後退である。東京都議選3回敗北を合わせれば、選挙11連続惨敗政党になった。
10年議席数−1・得票数−84万票・得票率−1.70%
MF生『10年参院選−共産党の都道府県別成績』得票数・率とも各地で大幅後退
東京都議選結果は、国政選挙に連動し、首都の有権者投票行動として、国政選挙並みの位置づけをする必要が生まれている。都議選を合わせた日本共産党の選挙11連続惨敗データは何を示すのか。3つの選挙種類が異なるが、ここでは時系列データにした。種類ごとのデータは、それぞれの別ファイルにある。(表1)の増減は同種選挙の比較である。
(表2) 衆院選・参院選・都議選11連続惨敗データ
年 |
種類 |
議席 |
得票数・万 |
得票率・% |
備考 |
|||
増減 |
増減 |
増減 |
得票数増の真相 |
|||||
00年 |
衆院選 |
26→20 |
−6 |
663 |
−47 |
11.23 |
−1.32 |
|
01年 |
都議選 |
26→15 |
−11 |
74.8 |
−5.5 |
15.63 |
−5.7 |
|
01年 |
参院選 |
15→5 |
−10 |
432.9 |
−386.6 |
7.91 |
−6.69 |
|
03年 |
衆院選 |
20→9 |
−11 |
459 |
−204 |
7.76 |
−3.47 |
|
04年 |
参院選 |
5→4 |
−1 |
436.3 |
+3.4 |
7.80 |
−0.11 |
実質数万票減 |
05年 |
都議選 |
15→13 |
−2 |
68.0 |
−6.7 |
15.57 |
−0.06 |
|
05年 |
衆院選 |
9→9 |
±0 |
492 |
+33 |
7.25 |
−0.51 |
実質30.1万票減 |
07年 |
参院選 |
5→3 |
−2 |
440.8 |
+4.5 |
7.48 |
−0.32 |
実質17.7万票減 |
09年 |
都議選 |
13→8 |
−5 |
70.7 |
+2.7 |
12.56 |
−3.01 |
実質13.2万票減 |
09年 |
衆院選 |
9→9 |
±0 |
494.4 |
+2.4 |
7.03 |
−0.22 |
実質15.5万票減 |
10年 |
参院選 |
4→3 |
−1 |
356.3 |
−84.4 |
6.10 |
−1.38 |
|
13以前 |
衆院選 |
9→(7?) |
(−2) |
(定数削減→4?) |
||||
13年 |
参院選 |
3→(2?) |
(−1) |
(定数削減→1?) |
得票数・投票率は比例代表。参院選半数改選議席→当選議席
定数削減?なら、衆院選9→4議席? 参院選3→1議席?
このデータを見ると、2000年以降、東京都議選だけでなく、衆院選、参院選においても、日本共産党は、衆院選2回の±0議席を除いて、議席と、得票率をすべて減らしている。総選挙・参院選・都議選の得票数増加5回は、投票率アップによるもので、実質的には、(表)備考欄のように5回とも得票数を減らしている。実質的得票数減少5回データを合わせれば、得票数も11回連続惨敗政党になった。
3、党勢力5項目の推移−全分野でのじり貧的瓦解・衰弱死進行政党
党勢力には、何が含まれるか。基本は、(1)党費納入党員数・党費納入率、(2)赤旗読者数、(3)支部数、(4)党財政−党費収入総額・機関紙収入額、(5)共産党の指導を明記し、民主集中制を掲げる民青である。これら党勢力5項目の推移は、2〜3年毎に開かれる党大会の公表データにより判明する。ただし、激減しているデータについては、隠蔽するケースも多い。総務省にたいする毎年の政治資金報告書とその9月〜10月公表によって、隠そうとしても、年度毎の(1)(4)数値が判明する。
志位・市田・不破らは、党勢力5項目の長期間推移にたいし、一貫して隠蔽してきた。長期推移の総括もまったくしない。短期間の前党大会との比較、前回国政選挙との比較だけである。なぜか。それを公表すれば、5項目全分野でのじり貧的瓦解・衰弱死進行政党である真相を自己暴露することになるからである。
私は、長期データの推移こそ、「科学的社会主義」を名乗る政党の展望を証拠づけると考えている。10年1月第25回大会データと08年度総務省報告がその根拠となる。そこからの結論は、東方の島国に唯一残存し、「科学的社会主義」を名乗るマルクス・レーニン主義政党は、党勢力の5項目すべてにおいて、じり貧的瓦解を続け、衰弱死へのテンポが歯止めのない進行をしているということである。
党員数・党費収入総額との矛盾=ペテン疑惑、読者30年間連続逃散
4、党運営−批判・異論党員粛清と離党拒絶の党内民主主義抑圧政党
あらゆる政党にたいする評価基準は、2つがある。(1)党外に向けた政党の路線・政策である。(2)党内における党運営の方針・実態である。評価の基本理念は、いずれも民主主義になる。
「科学的社会主義」を名乗るマルクス・レーニン主義政党は、(1)党外にたいし、民主的政策を主張し、宣伝している。そのため、多くの有権者やジャーナリスト・左翼知識人は、その政党が民主的政党だと評価し、国政選挙比例代表においても、07年参院選440万人・09年総選挙494万人が投票してきた。ただ、10年参院選で共産党比例代表投票者は、84.4万人減り、356.3万人に激減した。
しかし、(2)「科学的社会主義」を名乗る政党の党運営の実態はどうなのか。党内において、民主的党運営がなされているか、民主主義が貫徹されているのかどうか。この政党の党運営の基本原理は、一貫して、Democratic Centralism・民主主義的中央集権制と分派禁止規定である。この原理は、「社会主義」を名乗った体制・マルクス・レーニン主義政党の10カ国におけるいっせい崩壊と、ヨーロッパの資本主義国共産党すべての崩壊・大転換によって、党内民主主義を抑圧する犯罪的組織原則だったことが証明された。
日本共産党の党運営実態は、批判・異論党員粛清と離党拒絶を続けてきた党内民主主義抑圧政党だということを証明している。(1)(2)が背反する政党にたいする評価をどうするのか。ただ、党運営の実態・真相は、民主集中制・分派禁止規定により、党外に漏れ出さない。その実態を党外に暴露すれば、「科学的社会主義」を名乗る政党は、その党員を瞬時に、査問・粛清するからである。
ソ連・ソ連共産党が崩壊するまでの75年間、レーニン・トロツキーによるロシア革命・ソヴィエト勢力数十万人の大量殺人犯罪や、根本的テーマのウソ詭弁が国外・党外に漏れでなかった原因は、この犯罪的な党運営原理にあった。プロレタリアート独裁国家を名乗った国内におけるソヴィエト勢力・労働者のストライキ件数・ストライキ労働者殺人データは、ニコラ・ヴェルトがソ連崩壊後に「レーニン秘密資料」やアルヒーフ(公文書)から発掘・公表するまでまったく秘密に隠蔽されていた。E・H・カーでさえも、それを1件も発見できなかったほどである。
東方の島国に残存する「科学的社会主義」を名乗る政党の党運営の実態から、この政党が批判・異論党員粛清と離党拒絶の党内民主主義抑圧政党だという真相が、有権者やジャーナリスト・左翼知識人から完璧なほどに隠蔽されてきた。ただ、彼らにおける日本共産党は民主的政党だという錯覚・誤解は次第になくなりつつある。もっとも、その錯覚解消テンポはまだ遅いが。
この政党評価の基準は、(1)党外向けの民主的政策有無よりも、(2)党運営において民主主義が貫かれているかどうか、反民主主義的な党運営かどうかを基本にすべきではないのか。私は、「科学的社会主義」を名乗るマルクス・レーニン主義政党とは、資本主義世界において唯一残存する反民主主義政党だと判定している。その将来展望は、「社会主義」を名乗って崩壊した体制・政党としての東欧・ソ連10カ国と、「マルクス・レーニン主義」を名乗って崩壊したヨーロッパの共産党すべてと同じく、自然死と衰弱死しかない。2つの概念の区別は次に分析する。
61年第8回大会から50年間つづく党内民主主義封殺システム
日本共産党常幹と党内犯罪=党内民主主義抑圧・粛清
レーニンのクーデター政権崩壊危機における分派禁止規定の犯罪的誤り
離党拒絶対応→10年度在籍党員中党費納入拒否15220人
3、自然死と衰弱死という概念2つの区別と具体的シミュレーション3つ
〔小目次〕
2、自然死に至る2段階展望の具体化とシミュレーション (表3、4)
3、衰弱死に至る党勢力5分野解析と2010年代シミュレーション (表5)
加藤哲郎は、2002年、日本の社会主義=日本共産党の自然死という概念を提起した。ただ、それはまだ抽象的なものだった。それ以降、8年が経過し、2010年代に入った。その間、日本共産党は躍進どころか、あらゆる指標において、後退・衰退している。
(1)、衆参院国政選挙・東京都議選では、2000年から10年参院選にかけ、選挙11連続惨敗結果だった。2013年までに、衆参院選挙・東京都議選がある。基本路線・体質無変化の化石政党で、自己保身目的による欺瞞的詭弁選挙総括を10連続する党首の犯罪政党のままなら、それら3選挙のいずれも惨敗し、選挙14連続惨敗政党になる確率が高い。
(2)、党勢力も全分野で、じり貧的瓦解=衰弱しつつある。党勢力とは、党費納入党員数・赤旗読者数・支部数・党財政・民青数の5分野の数値と質的実態という量・質の総体を指す。赤旗30年間連続減紙データを筆頭とし、すべての量的数値と質的実態が衰退している。志位和夫の党大会公表党員数40.6万人は真っ赤なウソで、党費納入拒否者・党内離脱党員14万8598人をそののまま加算した架空の数値である。委員長が総務省にたいしては08年政治資金報告書で党費納入党員数25万7402人と報告しておいて、党大会では支部・党員騙しの架空数値加算ウソをつくこと自体が、衰弱進行政党の象徴的表れでもある。
私は、以前のいくつかのファイルにおいて、自然死概念を日本共産党の国会議席数を基準としてきた。ただ、日本共産党の党勢力5分野すべてにおける衰弱テンポも上がってきた。自然死と衰弱死とは、同義語的概念ではある。しかし、国会議席数の減少展望と、党勢力5分野における全面的衰弱進行とは、やや異なる面もある。
そこで、私の勝手な区別になるが、(1)国会議席数減少テンポを自然死と規定し、(2)他の党勢力5分野衰弱スピードを衰弱死として、区別する。それらを、唯一残存するコミンテルン型共産党が、東方の島国において消滅していく過程に関する2つの概念とする。
2、自然死に至る2段階展望の具体化とシミュレーション2つ (表3、4)
共産党の国会議席は、東京都議選を含む選挙11連続惨敗結果により、2010年時点で、衆議院9・参議院6に激減してきた。国会議席面で、日本共産党が自然死に至る過程を2段階に分ける。
〔小目次〕
〔自然死第1段階〕、衆参院国会議席がいずれも3議席以下に転落
〔自然死第2段階〕、衆参院国会議席が合計で4以下に転落
(表3) 総選挙−当選7ブロックだけの当落シミュレーション
(表4) 参院選−2013・16年当落シミュレーション
〔自然死第1段階〕、衆参院国会議席がいずれも3議席以下に転落
衆参院国会議席が、合計で6議席以下になる。この議席数では、国政にたいする影響力を喪失し、完全な泡沫政党に転落する。国会内外の政党間力関係でも、共産党が何を提起・主張しようとも、無視されるか、あざ笑いの対象になる。
2013年までの衆参院国政選挙までは、持ちこたえるとしても、その次の衆参院国政選挙結果はどうなるか。民主党は、マニュフェストにおいて、衆参院議員定数削減を公約している。その成立内容によっては、〔自然死第1段階〕展望が具体化する。
共産党は、衆参院国政選挙とも、300小選挙区・47都道府県選挙区で当選できなくなっている。衆議院180−11ブロック・参議院48という比例代表でしか当選できない政党である。衆参院議員定数削減は、経費削減を求める有権者の要求に合致もしている。小選挙区・選挙区定数削減と比例代表定数削減の比率がどうなるかは不明である。しかし、比例代表定数面の一部削減は、法案の成立次第である。
その場合、共産党の衆議院9・参議院6→衆議院3・参議院3に転落する可能性があるかどうかになる。民主党公約の衆議院比例代表定数180→100削減のケースで、2013年までの4年任期内次期総選挙の共産党議席数の予想は、下記に載せた。ただ、〔自然死第1段階〕展望=衆議院3議席は、その次の2017年以内の総選挙で実現する。
日本における政党規定は、政党助成法と政治資金規正法にしかない。それによれば、政党とは、国会議席合計が5議席以上で、得票率2%以上である。イタリアのように、得票率4%未満政党には、国会議席を配分しないという選挙規定はない。
合計4議席以下になれば、公職選挙法における「政党」扱いがなくなる。たんなる「無数の政治団体の一つ」に転落する。それは、選挙上でも政党優遇措置を剥奪される。政見放送が制約を受ける。総選挙において、重複立候補ができなくなる。
日本共産党は、このような悲惨な事態に陥る可能性があるのか。もちろん、衆参院議員定数削減法案にたいし、共産党は全面反対する。大宣伝をする。しかし、国会内の政党間力関係で、泡沫政党の主張は無視される。また、定数削減・国会議員歳費削減問題は有権者の要求にもかなっている。小選挙区制導入時点、志位・市田・不破らは、その制度にたいし、憲法違反・ファシズムと批判し、大キャンペーンを展開した。しかし、そんな批判内容は誤ったレッテルだったし、有権者の共感も得られないままで、無力だった。
私は、衆参院国会議席の定数削減そのものに、経費削減の立場から賛成である。ただ、定数削減数の内訳として、(1)衆議院では比例代表と小選挙区、(2)参議院でも比例代表と選挙区の半分ずつの比率で削減すべきという主張である。詳しくは、別ファイルで検討した。
次期総選挙の4年任期は、2013年9月である。それ以前に解散・総選挙があると思われる。次回参院選は、2013年7月になる。総選挙が参院選前になるか、同時選挙になるかは分からない。まず、次期総選挙のシミュレーションから始める。
(表3) 総選挙−当選7ブロックだけの当落シミュレーション
ブロック |
定数 |
当選 |
得票率 |
当選順位 |
定数削減予想 |
05年→09年 |
05年→09年 |
×55%? |
|||
東北 |
14 |
1 |
6.24→5.89 |
13位→14位最下位 |
→14落選/8 |
北関東 |
20 |
1 |
6.64→6.26 |
12位→12位/20 |
→12落選/11 |
東京 |
17 |
1 |
8.84→9.61 |
9位→8位/17 |
→8当選/9 |
南関東 |
22 |
1 |
6.84→7.00 |
12位→12位/22 |
→12最下位当選/12 |
東海 |
21 |
1 |
6.32→5.83 |
13位→12位/21 |
→12落選/11 |
近畿 |
29 |
3 |
9.66→9.56 |
8、19、29位→8、16、26位 |
→8、16当選/16 |
九州沖縄 |
21 |
1 |
5.80→5.27 |
15位→16位/21 |
→16落選/11 |
計 |
180 |
9 |
7.25→7.03 |
→当選4人/100 |
衆議院議員比例代表定数削減比率は、100÷180≒0.55となる。11ブロックの現定数×55%≒各ブロックの予想定数である。55%への機械的計算を、総選挙05年→09年結果ですれば、共産党議席当落シミュレーションはどうなるか。キーポイントは、定数削減法案成立後の次期総選挙における共産党の得票率、順位である。
共産党09年当選7ブロックだけを、55%への定数削減として推計する。05年、09年当選順位・得票率は、総務省HPデータにある。ただし、このデータは、次期総選挙における他党派得票率、順位の上下による共産党当落との相関関係を計算に入れていない。
総選挙09年結果 総務省→(12)比例代表党派別議席配分表
総選挙05年結果 総務省→(12)比例代表党派別議席配分表
(1)、落選予想4ブロック
東北定数14→8に削減。05年13位→09年14位最下位当選→次期14位落選/予想定数8
北関東定数20→11に削減。05年12位→09年12位当選→次期12位落選/予想定数11
東海定数21→11に削減。05年13位→09年12位当選→次期12位落選/予想定数11
九州沖縄定数21→11に削減。05年15位→09年16位当選→次期16位落選/予想定数11
北関東・東海は、得票率がアップし、順位が上がれば、当選できる。しかし、北関東ブロックの得票率は、03年6.64%→05年6.64%→09年6.26%へとダウンした。東海ブロックの得票率は、03年6.73%→05年6.32%→09年5.83%へと連続ダウンしている。
(2)、当選予想3ブロック
東京定数17→9に削減。05年9位→09年8位当選→次期8位・最下位の1つ上当選/予想定数9
南関東定数22→12に削減。03年11位→05年12位→09年12位当選→次期12位最下位当選/予想定数12
近畿定数29→16に削減。05年8、19、29位→09年8、16、26位当選→次期8、16位最下位当選、1人落選/予想定数16
3ブロックで、5人→4人当選・1人落選の当落予想になる。
しかし、南関東ブロック立候補者志位和夫が、最下位当選12位でなく、13位以下に順位下落なら、共産党党首は落選する。すでに、03年11位→05年・09年12位へと下落してきた。近畿ブロック2人目も最下位当選で、17位以下に順位下落なら、当選は1人のみになる。近畿ブロックの得票率は、03年10.75%→05年9.66%→09年9.56%へと連続ダウンしている。
共産党は、2013年まて4年間任期以内の次期総選挙も、選挙協力拒絶政党路線のままである。また、連立政党側からも、資本主義国最後に唯一残存するレーニン型前衛党=民主集中制・分派禁止規定堅持という党内民主主義抑圧政党にたいし、(1)個々の政策テーマでの賛同を求めることがあっても、(2)選挙協力・協定を呼び掛けることはありえない。
その時、09年に続き、総選挙得票率が5連続ダウンする確率が高い。すでに、総選挙・参院選・東京都議選において、得票率が11連続ダウンしている。2000年以降の10年間、共産党は3種類選挙において、得票率がアップしたことは一度もないからである。
2013年までの次期総選挙において、現在9人→4人当選・1人落選の当落シミュレーションになる。任期4年の2017年前次々期総選挙になれば、得票率は連続ダウンする。当選見込みは、3人以下に減る。「科学的社会主義」を名乗る反民主主義政党=自己保身目的の欺瞞的詭弁選挙総括を10連続してきた党首の犯罪政党は、衆議院において、3議席以下という自然死に直面する。
(表4) 参院選−2013・16年当落シミュレーション
年 |
比例代表得票率 |
比例代表定数48中−ドント式当選順位と落選 |
||||
増減 |
1人目 |
2人目 |
3人目 |
4人目 |
||
01 |
7.91 |
−6.69 |
8 |
20 |
32 |
45 |
04 |
7.80 |
−0.11 |
9 |
22 |
35 |
47 |
07 |
7.48 |
−0.32 |
10 |
23 |
36 |
49以下落選 |
10 |
6.10 |
−1.38 |
13 |
28 |
43 |
60位で落選 |
13 |
(減る) |
(減る) |
(落選?) |
(落選) |
||
16 |
(減る) |
(減る) |
(落選) |
(落選) |
2013年・16年当選順位と当落予想は、改選定数48→28に削減のケース
2人目が29位以下にダウンすれば、13年当選は1人目だけになる
ただし、どれだけの定数削減数と比率になるのかは、民主党・自民党・みんなの党らによる国会内力関係によって決まる。3党とも、定数削減方向では一致している。
比例代表定数48における共産党の2010年当選順位下落スピードは3人ともきわめて激しい。4人目は、60位で落選した。3年後の2013年参院選になっても、共産党得票率が、4回の下落傾向から見て、もはやアップすることはない。3年後2人目28位のドント式順位は下落する。
MF生『10年参院選−共産党の都道府県別成績』得票数・率とも各地で大幅後退
2010年参院選結果は、改選4→3議席となり、−1議席の敗北だった。しかも、2013年、参院選前までに、比例代表定数40削減法案成立なら、改選定数48→28? になり、順位29位以下は落選する。共産党の改選者3→当選2〜1?になる。
それには、比例代表定数内のドント式当選順位がかかわる。07年順位は、10、23、36位だった。それが、10年当選者は前回より1人減の3人だが、10年当選順位は13位、28位、43位となっており、3人目が危うい滑り込みといえる。市田忠義は04年選挙では個人名得票数19万9930票だったが、今回10年は8万3806票と半減以下。順位も9位から13位に下げた。
比例代表改選定数28に削減されれば、2013年参院選において、日本共産党の参議院当選は1議席になる。というのも、10年順位ダウン傾向からは、2人目の28位が、29位以下になる確率が高く、1人目しか当選できないからである。非改選3議席も、2016年参院選でも2人が落選する。日本共産党という「科学的社会主義」を名乗る反民主主義政党は、参議院において、6年後、議席合計2以下という自然死を迎える。
第25回大会は、「2010年代を党躍進の歴史的時期」にすると高らかに宣言した。満場一致50年間政党の濾過・選別代議員1060人は、全員が賛成挙手要員よろしく、代議員証を誇らしげに掲げた。志位和夫は、2010年代の展望について、日本全国の自治体・行政区すべてで、得票率10%以上獲得決定を指令した。しかし、この決定は、総選挙結果から見て、支部・党員騙しの荒唐無稽で空想的な目標である。というのも、総選挙300小選挙区において、得票率10%以上獲得は、小選挙区数96年190→162→65→52→09年28に激減しているからである。
『得票率10%以上の空想性と第2次党員騙し』自治体・行政区すべて
志位和夫の空想的社会主義展望に倣い、私も、2010年代における国政選挙回数を試算する。
2010年代に国政選挙が何回あるか。総選挙は、2013年前の解散を含め任期4年なので、多分3回になる。参院選は、2013年・16年・19年の各7月に3回ある。衆参院議員定数削減法案が成立すれば、共産党は〔自然死第2段階〕に転落する確率が高い。
3、衰弱死に至る党勢力5分野解析と2010年代シミュレーション
2010年1月第25回大会は、どの都道府県、どの自治体・行政区でも、「10%以上の得票率」を獲得できる党を成長目標とした。それは、2000年第22回大会における「党員50万人拡大5カ年計画」に続く、支部・党員騙しの第2次空想的社会主義シミュレーションである。
志位和夫は、5カ年計画期限の05年になっても、その達成結果と総括を公表せず、沈黙と隠蔽を続けている。これは、選挙11連続惨敗結果にもかかわらず、自己保身・欺瞞的・詭弁選挙総括を10年間続けている党首の1番目犯罪と同じく、党首の2番目犯罪という性質を持つ。
『志位和夫「党員5カ年計画」の欺瞞性と空想性』党員数の三重帳簿の欺瞞
その成長目標決定が、なぜ支部・党員騙しという党首の3番目犯罪になる根拠はあるのか。総選挙300小選挙区中の10%以上獲得小選挙区の激減データこそが、その犯罪証明になる。志位和夫は、得票率10%以上小選挙区数の5回分激減データを一度も報告していない。
得票率10%以上小選挙区数96年190→162→65→52→09年28
それら5回分を公表した上ならともかく、それに沈黙・隠蔽したままで、満場一致挙手要員1060人代議員に成長目標を決定させるのは、党首の犯罪そのものである。この党大会決定は、「科学的社会主義」を名乗る政党が、限りなく、支部・党員騙しをしつつ、空想的社会主義政党の本質を剥き出しにしてきたことを示すメルクマールになった。
2010年代=2020年1月までの10年間において、日本共産党の党勢力5分野は、躍進するのか、それとも、5分野いずれも後退・衰退を続け、衰弱死に至るのか。上記の実態的性格規定とその衰退継続データは、衰弱死に至る道程を暗示している。
志位・市田は、党費納入率63.0%公表や、供託金基金3.5年分の納入額4億4550万円公表をした。その金額は、供託金基金納入拒否・不服従党員58%真相を推計させた。赤旗部数激減データも党大会で公表している。一方、隠蔽・沈黙するデータをもかなりある。ウソの党員数も党大会公表をする。その制約もあるが、党勢力5分野の2010年代展望=機械的なシミュレーションを試みる。その基礎データは、第25回大会公表数値や各中央委員会決定と、総務省政治資金報告書である。
ただし、分野によっては、比較期間が異なる。そこで、それらを1年間数値に換算した。それらが同じテンポで衰退するとの推計で、2020年までの10倍にした。もちろん、同じテンポとは、仮定にすぎない。これは、志位和夫による支部・党員騙しの空想的社会主義10年間シミュレーションにたいするアンチ・シミュレーションである。衰退テンポが10年間中に加速する確率も高い。そのケースでは、20年衰弱度データはもっと変わる。
『第25回大会中央委員会報告・決議の行間を読む』党勢力5分野データ
(表5) 党勢力5分野2010年代展望=シミュレーション
5分野 |
比較年度 |
数値 |
比較期間 |
1年間換算 |
10年間シミュ |
20年衰弱度 |
1、党員数 |
00第22回 2008 |
266871 257402 |
8年−9469 |
−1183 |
−11830 |
245572 |
2、読者数 |
00第22回 10第25回 |
199.0万人 145.4万人 |
10年−53.6万人 |
−5.36万人 |
−53.6万人 |
91.8万人 |
3、支部数 |
1995 2008 |
28000 22000 |
13年−6000 |
−461支部 |
−4610支部 |
17390 |
4、党財政 |
党費2001 2008 機関紙01 2008 |
12.6億円 9.1億円 291.7億円 215.5億円 |
7年−3.5億円 7年−76.2億円 |
−0.5億円 −10.8億円 |
−5億円 −108億円 |
4.1億円 107.5億円 |
5、民青数 |
1972 現在 |
20万人 2万以下? |
38年−18万人 |
−550人 (07年) |
−5500人 |
1.4.万人 |
2001年・08年の数値は、共産党が総務省に報告した政治資金報告書データ
支部数08年データは、中央委員会報告。民青07年データは民青大会報告
衰弱度とは、10年後の2020年1月推計→衰退テンポが加速すれば?
このシミュレーションにおける最大の衰弱死危機の引き金は、(1)赤旗読者数激減と、(2)それに伴う機関紙収入激減である。毎年の党財政は、約83%を機関紙収入に依存してきた。1980年赤旗ピーク355万部→20年後の2000年199.0万部→その10年後の2010年145.4万部→また10年後の2020年1月91.8万部となる。ピーク時点にたいし、30年間連続減紙政党なので、今後10年間で赤旗部数が増えることはない。さらに減り続ける。党勢拡大サボタージュ党員数・支部数の比率は、10年間でさらに高まる。
2020年1月91.8万部−1980年355万部=−263.2万部になる。40年間で、263.2万人・74.1%もの読者が、唯一残存するコミンテルン型共産党を嫌って、大逃散することになる。崩壊・解党選択の4610支部によって、赤旗配達・集金システムも破綻する。
赤旗が40年間連続減紙し、機関紙収入も2008年215.5億円→2020年107.5億円へと、107.5億円・49.9%に半減すれば、党財政が完全に破滅する。職業革命家4000人専従の給料は遅配どころか、欠配になり、2000人以上大量リストラに追い込まれる。レーニン型職業革命家の党は崩壊する。日本共産党は、党財政面が引き金になって、衰弱死に至る病状が劇的に悪化する。
党中央広報部は、1998年、代々木党本部専従800人と中日新聞に公表した。それは、他党との比較で桁外れに異様な規模である。他党の党本部職員は何人いるのか。2010年7月25日中日新聞記事によれば、10年参院選後時点、自民党は約170人で、政権政党・民主党には職員約90人しかいない。
「科学的社会主義」を名乗る政党が800人とは、政権党の9倍もいる。官僚主義的中央集権制システム政党なら、これだけの代々木官僚数が必要になるのか。
10年後の2020年1月までの5分野データは、どのように公表されるのか。
(1)、党大会が2〜3年に1回ある。そこでは衰弱進行データを一定発表せざるをえない。その回数は、参院選の3年間隔にほぼ照応する。これもシミュレーションをすれば、2013年7月参院選前に第26回大会、2016年参院選前に第27回大会、2019年参院選前に第28回大会になる。これら2010年代党大会3回において、衰弱死進行の病状が浮かび上がる。
(2)、総務省にたいする政治資金報告書は毎年9〜10月に公表される。共産党HPは、党費総額を載せるだけで、党員数を隠蔽する。しかし、総務省HPは、志位和夫が報告する党費納入党員数を載せる。315地区の党員数・党費総額の詳細も、公安調査庁に筒抜けになる。毎年公表される10年間分の党費納入党員数・党費収入総額の変動データは、日本共産党の衰弱度合→衰弱死に至る道程を年毎に証明する。
4、唯一残存するコミンテルン型共産党の消滅過程追跡の意義
〔小目次〕
1、日本共産党は、資本主義世界で唯一残存するコミンテルン型共産党なのか (表6)
2、レーニンの前衛党5年2カ月間とは、数十万人大量殺人犯罪政党だったのか
1、日本共産党は、資本主義世界で唯一残存するコミンテルン型共産党なのか (表6)
イタリア共産党は、1976年からソ連崩壊の1991年にかけ、マルクス・レーニン主義を全面批判し、すべて放棄した。共産主義再建党は、マルクス・レーニン主義擁護で分裂した。
その後、2008年総選挙において、イタリア有権者は、マルクス・レーニン主義・「左翼」概念に執着し、死語を放棄もしない共産主義再建党など時代錯誤4政党にたいし、国会議席を141→0議席に全滅させる投票行動をした。マルクス・レーニン主義堅持の共産主義諸政党は、有権者意識の激変に無頓着だった。
『イタリアで共産主義諸政党が国会議席全滅』141→0議席に全滅
フランス共産党は、すでに、(1)プロレタリアート独裁理論・(2)民主主義的中央集権制・(3)マルクス主義の3つをレーニンの誤った理論と実践だったとして、党大会で放棄宣言をしている。ポルトガル共産党は、1974年、ヨーロッパの筆頭で、プロレタリアート独裁理論を放棄した。共産党名称を名乗るこの2党もマルクス・レーニン主義に基づくコミンテルン型共産党と言えない。
(表6) 日本共産党とイタリア共産党との比較
4つの原理 |
欺瞞的な隠蔽・堅持方式 |
イタリア共産党 |
プロレタリア独裁理論 |
綱領において、訳語変更の連続による隠蔽・堅持。(1)プロレタリア独裁→(2)プロレタリアのディクタトゥーラ→(3)プロレタリアートの執権→(4)労働者階級の権力→(5)放棄宣言をしないままで、綱領から権力用語を抹殺し、隠蔽・堅持している |
イタリア共産党は、1976年、明白に放棄宣言をした。ヨーロッパでは、1974年、ポルトガル共産党を筆頭として、100%の共産党が、これは犯罪的な大量殺人をもたらし、誤った理論と放棄宣言をした。資本主義世界で、放棄宣言をしていないのは、日本共産党だけである |
民主主義的中央集権制 |
規約において、訳語変更による隠蔽・堅持。(1)民主主義的中央集権制(Democratic
Centralism)→(2)「民主集中制」という略語に変更→(3)「民主と集中の統一」と解釈変更で堅持→(4) 「民主と集中の統一」は、あらゆる政党が採用している普遍的な組織原則と強弁している |
イタリア共産党は、1989年、それは、「党の統一を守るのには役立ったが、一方で党内民主主義を抑圧した」組織原則だと認定し、放棄宣言をした。この反民主主義的組織原則を堅持しているのは、残存する犯罪的な一党独裁国前衛党4党とポルトガル共産党・日本共産党だけである |
前衛党概念 |
規約において、(1)前衛党→(2)規約前文から綱領部分削除に伴い、その中の「前衛党」用語も事務的に削除→(3)不破哲三の前文削除説明で、「前衛党」概念を支持・擁護→(4)l理論誌『前衛』名放棄せず |
イタリア共産党は、1991年、「前衛党」思想を、「政党思想の中で、もっともうぬぼれた、傲慢で、排他的差別的な政党思想だった」と総括し、全面否定した。日本のマスコミは、左(2)を「前衛党」概念の放棄と錯覚し、誤った解説をした |
マルクス・レーニン主義 |
(1)マルクス・レーニン主義→(2)個人名は駄目として、「科学的社会主義」に名称変更し、堅持。不破哲三の『レーニンと資本論』全7巻を見れば、マルクス・レーニン主義そのものの堅持ぶりが分かる。ただ、彼は、さすがにレーニンの暴力革命理論だけを否定した |
イタリア共産党は、1991年、マルクス・レーニン主義と断絶し、左翼民主党に転換した。共産主義再建党は、その擁護で分裂した。フランス共産党も、ソ連崩壊数年後、「ソ連の失敗は、マルクス主義の失敗だった」とし、マルクス主義の立場を取らないと宣言した。 |
日本共産党は、4項目に関して、隠蔽・訳語変更・主義名日本語変更などをしただけで、ヨーロッパの共産党がしたような明白な放棄宣言を一つもしていない。世界的にも、こういう欺瞞的スタイルを採る共産党は皆無であり、いかにも不可思議な政党ではある。そこから、東方の島国の日本共産党だけが、唯一残存するコミンテルン型共産党となった。
『規約全面改定における放棄と堅持』2000年第22回大会、欺瞞的な隠蔽・堅持の詳細
『「削除・隠蔽」による「堅持」作戦』欺瞞的な隠蔽・堅持方式の4段階の詳細
『綱領全面改定における不破哲三の4面相』綱領改定案と討論・代議員選出
2、レーニンの前衛党5年2カ月間とは、数十万人大量殺人犯罪政党だったのか
1991年ソ連崩壊後、レーニンとコミンテルン型前衛党にたいする歴史認識が、「レーニン秘密資料」6000点やアルヒーフ(公文書)発掘・公表によって、次のように、180度逆転換した。
レーニンとは、社会主義革命家でなく、単独権力奪取クーデター指導者だった。ソ連とは、社会主義国家でもなく、党独裁・党治国家だった。レーニンの共産党とは、ロシア革命・ソヴィエト勢力である労働者・農民・兵士数十万人を不当に殺害した大量殺人犯罪政党だった。これらが、東方の島国における共産党員・共産党に投票する有権者を除く、資本主義世界の有権者・研究者の共通認識となっている。
レーニン・トロツキーらは、1917年10月、臨時政府権力とソヴィエト権力という二重権力にたいする単独武装蜂起・単独権力奪取クーデターを強行した。レーニンの最高権力者期間は、1922年12月16日第2回脳梗塞発作で活動不能になるまでの5年2カ月間だった。
レーニンは、プロレタリアート独裁国家・社会主義国家成立と宣伝した。しかし、ソ連崩壊後に「レーニン秘密資料」やアルヒーフ(公文書)で判明した事実は、彼の宣伝が、真っ赤なウソ詭弁だったことを全面的に暴露・証明した。プロレタリアート独裁など初めから存在していなかった。社会主義国家でもなかった。レーニン・トロツキーが創ったのは、社会主義国家とは異質の党独裁・党治国家だった。
『ウソ・詭弁で国内外の左翼を欺いたレーニン』ウソ・詭弁7つを検証
1991年ソ連崩壊後、ソ連国家をどう規定するのかでいろいろな見解が出された。「国家資本主義」論もあったが、否定的意味でのカッコつき「現存した社会主義」規定が多かった。「社会主義市場経済」「市場経済型社会主義」論は、レーニン「ネップ」や中国共産党の現在路線を肯定する不破哲三だけによる詭弁的規定である。ただ、現在の研究者たちは、ソ連が社会主義国家だったとは、もはや誰も言わなくなっている。
日本共産党だけが、資本主義世界において唯一、「スターリンからは社会主義でなくなった。しかし、レーニンの時期は社会主義だった」と規定し、党員・有権者を騙している。ヨーロッパでこんな珍説=偽造歪曲のロシア史を発言すれば、研究者や有権者に軽蔑され、馬鹿にされるたけであろう。
ロシア革命・ソヴィエト勢力である労働者・農民・兵士からの単独武装蜂起・単独権力奪取クーデターだった本質は、1918年5月誤った食糧独裁令の強行→食糧家畜の武力挑発、それに反対・抵抗する労働者・農民・兵士にたいする大量殺人犯罪を伴った。レーニンはそれらにたいし、白衛軍との内戦とその結果としての大量殺人と真っ赤なウソをついて、ロシア史の偽造歪曲をした。レーニン・トロツキーの犯罪的誤りにより、単独権力奪取からわずか3年後、1920年後半から、クーデター政権は、崩壊危機に直面した。
リチャード・パイプスが著書『共産主義が見た夢』で規定しているように、5年2カ月間、トロツキーは、レーニンと一心同体だった。軍事革命委員トロツキーを大量殺人の現場執行者とし、最高権力者・大量殺人指令者レーニンは、(1)土地革命をし、食糧独裁令反対で総決起した反乱農民数十万人を殺害した。(2)ウクライナのマフノ運動農民十数万人も皆殺しにした。(3)1921年ペテルブルグの全市的ストライキ労働者の指導者500人を即時全員銃殺をした。(4)クロンシュタット事件の水兵労働者14000人の全員を銃殺した。(5)ロシア正教聖職者・信徒を各数万人ずつ銃殺・殺害した。殺害された彼らは、白衛軍と関係なく、聖職者を除いて、すべてロシア革命・ソヴィエト勢力メンバーだった。
レーニン・トロツキーは、この期間、最低でも、ソヴィエト勢力数十万人を殺害した。レーニンのクーデター権力=党独裁・党治国家政党は、数十万人大量殺人犯罪政党だったという真相が判明している。リンクで証明したような大量殺人犯罪指令・執行者と社会主義者とは、両立できない。たしかに、レーニンは、マルクスの後継者を名乗り、マルクス主義用語をふんだんに使った。しかし、レーニンは、国内外の左翼を75年間も騙し続けえた天才的なウソ詭弁家だった。このデータ詳細は、私のHPにおける多数のファイルで検証した。
21世紀、東方の島国においてのみ、「レーニン神話」「日本共産党神話」信仰者が異様な数値で残っている。これには、戦前からのマルクス主義理論研究の規模・蓄積、戦前の日本共産党崇拝、自主独立問題経緯、情報隔絶列島という地政学的位置などが原因としてある。
私も、熱烈なレーニン信奉者だったので、「神話の世界」から脱却できない彼らの心境が分からないでもない。私は、『レーニン全集』の基本文献をほとんど読み、『レーニン10巻選集』を3回り熟読し、『なにをなすべきか』を赤旗拡大のバイブルのようにし10回以上読んだ。そして、「レーニン神話」伝道者として、民青・共産党専従を15年間続けた。
その時期は、ソ連崩壊前だったので、レーニンの理論的誤り・前衛党理論におけるうぬぼれにもまったく気付かなかった。彼の「外部注入論」というエリート意識をそそのかす犯罪理論に気付くどころか、私自身も、有権者・支部・党員を見下し、指導してやるというエリート意識に毒されたうぬぼれ専従だった。
その点で、レーニンの前衛党理論こそ、世界政党思想史上で、もっとも犯罪的な理論だったと言えよう。それは、ソ連国内だけでなく、全世界と日本にも深刻な悪影響をもたらした。さらには、「反帝・反スタ=反日共」と言いつつ、前衛党思想・理論を受け継いでしまった日本の新左翼諸党派も、それが運動・組織の壊滅をもたらす要因の一つにもなった。彼らは、「複数前衛党」論までも唱え、「スターリンは悪いが、レーニン・トロツキーは正しい」という誤ったロシア史認識に捉われていた。
私も、トロツキーやドイッチャー著書、『レーニン最後の闘争』などをかなり読んだ。ソ連崩壊前という時期的制約もあって、トロツキー評価においては、スターリンとの関係でしかトロツキーを見ないという視野狭窄症に陥っていた。しかし、ソ連崩壊後の「レーニン秘密資料」発掘・公表により、トロツキーとレーニンとは一心同体であり、軍事革命委員トロツキーも大量殺人犯罪執行者で、天才的なウソ詭弁家だった事実・データに確信を持った。
レーニンが、大量殺人犯罪者で、天才的なウソ詭弁家だったという認識に私が到達したのは、(1)私の日本共産党との裁判体験とともに、(2)ソ連崩壊後に発掘・公表された「レーニン秘密資料」6000点や膨大なアルヒーフ(公文書)に基づく研究文献をすべて収集し、検証し、HPでまとめた結果である。これら日本共産党との闘争・批判活動体験がなく、かつ、20世紀ロシアの研究・検証作業をしようともしない信仰者は、ヨーロッパの共産党員や有権者と違い、いつまでも、「レーニン神話」を放棄できないと思われる。
『私の21日間の監禁「査問」体験〜日本共産党との裁判体験』第1〜8部
『レーニンの大量殺人総合データと殺人指令27通』大量殺人指令と報告書
『レーニン・トロツキーによる数十万人大量殺人犯罪データ』ファイル多数
3、日本共産党=大量の政治的殺人犯罪政党消滅過程追跡の意義
〔小目次〕
1、日本共産党内での大量の粛清事実=政治的殺人犯罪政党という規定への賛否
2、大量粛清時期の2分別−1961年第8回満場一致大会前の粛清と後の粛清 (表7、8)
1、日本共産党内での大量粛清事実=大量の政治的殺人犯罪政党という規定への賛否
日本共産党とは、1922年、国際共産党・コミンテルンの日本支部創立以降の全歴史から見て、コミンテルン型共産党そのものである。大量殺人犯罪政党の系列に連なっている。そして、レーニンの大量殺人犯罪事実・データについて完璧なまでに沈黙・隠蔽している。
ヨーロッパの有権者は、こんな沈黙・隠蔽で騙されたり、投票したりしない。しかし、どうも、「科学的社会主義」を名乗る政党の(1)党費納入25万党員、(2)共産党投票の07年参院選有権者440万人→10年参院選で激減したが356万人と、(3)共産党支持を公然表明する左翼知識人は、いまだに「レーニン神話」を残存させているようである。
彼らは、スターリン評価においてなら、4000万人粛清という大量殺人犯罪者事実を評価基準にしている。しかし、不思議なことに、レーニン評価においては、彼がロシア革命・ソヴィエト権力の労働者・農民・兵士への数十万人大量殺人犯罪者であるかどうかを基準にしていない。その原因は、たんに、レーニンの大量殺人犯罪データを知らないのか。それとも、知ろうともしないというレーニン信仰に基づく心情的拒否者たちだからなのか。いかなるレーニン批判、とくに大量殺人犯罪者データにも、頭から拒絶反応を示すタイプなのか。
国際共産党・コミンテルンの日本支部→戦後日本共産党は、レーニンの大量殺人犯罪政党の系列といっても、銃殺など肉体的殺人でなく、大量の粛清=政治的殺人犯罪政党というデータを残してきた。それを2つの時期に分けて検証する。ここでは、戦前共産党における粛清事件については書かない。
ただ、粛清を、政治的殺人犯罪と規定する日本語にたいし、違和感を抱いたり、大げさで誤りとする人も多いかもしれない。しかし、宮本・不破・志位らによって、査問・除名・除籍・規律違反処分をされたり、離党拒絶を体験した党員なら理解できると思われる。粛清直接体験の有無によって、犯罪かどうかの認識が大きく異なる。
2、大量粛清時期の2分別−1961年第8回満場一致大会前の粛清と、後の粛清
〔第1期、1950年コミンフォルム批判から、1961年第8回大会前までの大量粛清事件〕
(表7) 党員数、総選挙議席、大量粛清事件3回
年 |
事項 |
党員数 |
総選挙 |
大量粛清ケース |
1945 1946 1947 1949 |
12.1 第4回大会 2.24 第5回大会 12.21第6回大会 |
(発表) 1181 (発表) 6847 (推定) 70000 (徳田) 200000 |
5 4 35 |
|
1950 1951 1952 1953 1954 |
1.6 コミンフォルム批判 2.22 四全協 10.16五全協 12 全国軍事会議 7.27朝鮮戦争休戦協定 12 全国組織防衛会議 |
(発表) 236000 (推定) 75000 (推定) 73000 (推定) 62000 |
0 1 |
・ソ連崩壊後、スターリン執筆=実質的な朝鮮戦争「参戦」武装闘争指令との証明→分裂 ・(第1回)、主流派が劉少奇の植民地型武装闘争路線を決定→分裂中、相互の査問・除名・規律違反処分の報復=千数百人規模? 離党数万人? ・宮本顕治ら国際派中央委員7人全員が自己批判書提出で主流派に屈服→統一回復。宮本は武装闘争共産党に参加・加担 ・ソ中両党命令に隷従し、火炎ビン武装闘争の瞬時停止 ・(第2回)、点検運動2回→相互査問・除名=千数百人規模? 離党数万人? |
1955 1958 |
7.27 六全協 7.21 第7回大会 |
(推定) 35000 (発表) 3万数千 |
2 1 |
・ソ中両党命令に基づく志田重男・宮本顕治の野合会議=武装闘争の誤りを表面的に認めた ・党大会代議員445人中、40%が党章の宮本綱領案に反対。採決持ち越し。 ・(第3回)、61年第8回大会までに40%・178人のほぼ全員を除名・規律違反処分・降格で粛清。中間機関・細胞レベルでも、数百人粛清。離党数千人。61年は最初のスターリン型満場一致党大会。 |
(表)の事項・党員数データは、警察庁警備局『回想』巻末の「日本共産党年表」(P.276〜283)掲載の数字である。それを私が抜粋し(表)に編集した。(発表)数字は、日本共産党の正式発表である。(推定)数字は、警察庁警備局側のものである。第7回大会発表が「党員数3万数千」なので、それ以前の(推定)数字も近似値といえる。「党員数236000人」は、1950年4月29日、第19回中央委員会総会の発表数字である。
2つの(発表)数字を比較する。236000人−3万数千≒−200000人である。党員残存度は、3万数千÷236000人×100=15%となった。この−20万党員、−85%のほとんどは、その後も、日本共産党に戻らなかった。総選挙は、35議席から、全員落選0を経て、1議席になり、得票数は、1/3に激減した。大衆団体も、数字的データはないが、崩壊・解散、および会員数が激減した。党員数と同じように、共産党系大衆団体数・会員数も85%が崩壊・激減したと推定される。
〔第1期〕における大量粛清事件は(表)のように3回あった。査問・除名・除籍・規律違反処分だけでも合計数千人〜数万人、その関連による離党を合わせると、間違いなく数万人になったと思われる。このような粛清回数・規模は、資本主義ヨーロッパのどのコミンテルン型共産党にもない。それは、日本共産党だけの特異な現象であろう。
それでは、3回にわたる大量の政治的殺人犯罪者は誰なのか。その中心指導者は4人である。徳田球一・野坂参三・志田重男・宮本顕治らこそが、大量の政治的殺人犯罪指令・遂行の張本人だった。ただし、4人の犯罪時期は重なるときも、別個にもなる。
(表8)大量の政治的殺人犯罪者4人がしたこと
殺人犯罪者 |
役割・性質 |
4人がしたこと |
徳田球一 |
家父長的個人中心指導 |
恣意的人事手口で、大量の除名・規律違反処分・任務変更。スターリンによるコミンフォルム批判にたいし、当初抵抗・所感派=主流派→スターリンに屈服し、武装闘争路線に転換→4全協で劉少奇の植民地型武装闘争方針を決定。党分裂の張本人の一人 |
野坂参三 |
ソ連赤軍情報部エージェント |
・帰国前にソ連1カ月間滞在→スターリンNKVDの軍隊内組織・赤軍情報部エージェント。フルシチョフ第1書記が、野坂を日本共産党第1書記に任命→委員長・議長→100歳でソ連スパイと発覚し除名。 ・分裂時の相互の査問・除名報復=千数百人規模? 離党数万人への指令・遂行張本人の一人。 ・61年第8回大会までに40%・178人のほぼ全員を除名・規律違反処分・降格で粛清。中間機関レベルでも、数百人粛清。離党数千人を、宮本顕治とともに議長として遂行・承認 |
志田重男 |
火炎ビン武装闘争の軍事委員長 |
・徳田・野坂が中国共産党指令に隷従し、北京機関でっち上げ。半非合法共産党における最高権力者=火炎ビン武装闘争指令の軍事委員長。白鳥事件と3大騒擾事件、全国の火炎ビン武装闘争の指令者。 ・236000人→3万数千への20万人離党=朝鮮侵略戦争加担武装闘争を原因とする党破壊の最高責任者。 ・六全協前、点検運動2回→相互査問・除名・規律違反処分=千数百人規模? 離党数万人の中心犯罪者 |
宮本顕治 |
スターリン盲従の国際派→分派指定→五全協前に自己批判書提出・武装闘争共産党に参加・加担 |
・スターリンの武装闘争指令=コミンフォルム批判を瞬時に支持表明=日本におけるもっとも熱烈なスターリン崇拝・盲従者→徳田・野坂にたいし、武装闘争路線採決・即時開始を要求。徳田だけでなく、宮本との2人が党分裂の張本人。 ・分裂中、相互の査問・除名・規律違反処分の報復=千数百人規模? 離党数万人の張本人側。 ・五全協=武装闘争開始前、宮本顕治は軍事委員長志田重男に自己批判書提出=主流派の武装闘争共産党に参加・加担。統一回復が一九五五年六全協からとするのは、宮本顕治の自己保身目的に基づく最大の党史偽造歪曲犯罪。この偽造歪曲党史を信仰し、残存している党員・左翼がきわめて多い。 ・61年第8回大会までに40%・178人のほぼ全員を除名・規律違反処分・降格で粛清。中間機関・細胞レベルでも、数百人粛清。離党数千人=宮本顕治による第1次党内クーデター。その粛清成果として、61年は最初のスターリン型満場一致党大会。 ・以降、宮本・不破・志位による、50年間満場一致党大会という党内民主主義抑圧犯罪システム確立者 |
このような大量の政治的殺人犯罪を遂行・指令したトップが4人もいた政党とは何か。4人がしたような大量政治的殺人犯罪は、ヨーロッパのコミンテルン型共産党のどこにもない。
なお、袴田里見も3回目大量粛清=党史上初の満場一致党大会でっち上げ目的策謀の中心人物だった。この粛清は、宮本顕治による第1次党内クーデターと規定できる。ただ、彼は、宮本顕治による大量の政治的殺人犯罪指令に忠実な共同執行者=(1)初代代々木のベリヤにすぎなかった。
ちなみに、(2)2代目代々木のベリヤは、宮本秘書団私的分派の中心・小林栄三だった。彼は、多数の査問・粛清任務を原因とし精神を患い、不破哲三によって降格・解任させられた。不破哲三は、(3)3代目代々木のベリヤとして、浜野忠夫を副委員長に抜擢し、筆坂秀世へのでっち上げ粛清などを担当させた。
しかも、スターリンNKVDの軍隊内組織・赤軍情報部エージェントが、フルシチョフ第1書記の任命により、日本共産党第1書記になり、委員長・議長→100歳でソ連スパイと発覚し除名されるまで、トップで居続けたような政党は、ヨーロッパのいかなる共産党にもないであろう。
『野坂参三「NKVD工作員」事実と「シベリア抑留事後承認」疑惑問題』
自己保身目的による党史偽造歪曲犯罪の基礎資料
屈服後、五全協武装闘争共産党で中央レベルの活動をした証拠
小山弘健『61年綱領採択めぐる宮本顕治の策謀』大量の政治的殺人犯罪
フランス共産党のマルシェ書記長による粛清規模はせいぜい数百人と言われている。イタリア共産党は、共産主義再建党と分裂した。スペイン共産党もユーロコミュニズム運動の旗手後、3分裂した。しかし、両党とも、分裂時点・後でも、日本共産党のような相互査問・除名・規律違反処分なとという相互報復犯罪=政治的殺人犯罪を指令・遂行したトップは一人もいなかった。
〔第2期、1961年第8回大会後から、現在までの大量粛清事件〕
宮本・不破・志位らは、非政権政党としての秘密政治警察・幹部会第2事務部を持っている。その党内警察機関を粛清に使っている。この反民主主義政党は、1961年最初の満場一致第8回大会後、千数百人の批判・異論党員粛清という大量の政治的殺人犯罪を遂行してきた。
『グラムシの分析と警察機関化した共産党』日本共産党の警察機関化
HPでいろいろ検証したが、私にたいする粛清事件・新日和見主義事件・4連続粛清事件・他粛清事件にたいする実感は、宮本・不破・志位らによる政治的殺人犯罪事件以外のなにものでもない。なお、下記リンクの1970年代後半〜1985年における『日本共産党の逆旋回と4連続粛清事件』は、宮本顕治による第2次党内クーデターだった。
『私の21日間の“監禁”「査問」体験−日本共産党との裁判第1〜8部』
『新日和見主義「分派」事件』その性格と「赤旗」記事−600人査問・100人処分
『日本共産党の逆旋回と4連続粛清事件』1970年代後半〜1985年
『前衛党式「排除・粛清システム」と「査問」の考察』他粛清事件のファイル多数
資本主義世界の共産党において、イタリア共産党における粛清数はきわめて少ない。大量粛清政党として有名なのは、日本共産党とフランス共産党である。しかし、判明しているデータを比べれば、ソ連の長女と言われたフランス共産党のマルシェ書記長時期による粛清数よりも、宮本・不破・志位による粛清数=政治的殺人犯罪規模の方が桁外れに多い。第1・2期の合計粛清数の比較なら、2桁・100倍以上も違う。日本共産党は、グラムシが規定したように、まさに警察機関化している。
しかも、フランス共産党は、マルシェ書記長引退後、政治的理由による処分・除名ケースをすべて洗い出し、ほぼ全員の処分が犯罪的誤りだったと結論づけ、名誉回復措置を採った。
(1)、1989年〜91年、「社会主義」を名乗った体制・「マルクス・レーニン主義」を掲げた政党は、10カ国で全滅した。
(2)、ソ連崩壊前後、資本主義ヨーロッパのコミンテルン型共産党=「マルクス・レーニン主義」を名乗った政党も、ヨーロッパの有権者によって、全滅させられた。
(3)、21世紀になって、「マルクス・レーニン主義の日本語訳・科学的社会主義」を名乗る政党が、東方の島国においてのみ残存している。
ただし、大量の政治的殺人犯罪政党も、国会議席減少=選挙11連続惨敗政党という自然死段階と、党勢力5分野における全面的衰弱死とに同時突入してきた。
(1)(2)の崩壊シーンや全滅結果だけは判明している。ただ、その党内外における崩壊・消滅過程はほとんど分かっていない。「社会主義」を名乗った体制・政党=党独裁・党治国家内部の腐敗・崩壊、コミンテルン型政党党員の党内抵抗・反乱も不明だった。東欧革命出現によって、国民の反乱が初めて報道された。イタリア共産党の崩壊時点経過はかなり明らかになっているが。
そこで、資本主義世界において、なんとか崩壊しないで、唯一生き延びてきたコミンテルン型共産党=「科学的社会主義」を名乗る反民主主義政党はどうなるのか。この反民主主義政党は、レーニンが大量殺人犯罪を指令・奨励した根源にある犯罪理論・反民主主義体質・少数独裁人事システムをそのまま継承・隠蔽堅持してきた。
この反民主主義政党・大量の政治的殺人犯罪政党が、何を原因とし、どのような党内外要因によって、自然死と衰弱死過程を辿るのか。それらを克明なデータに基づき、長期・時系列的に追跡することは、政治学における政党学の一分野の研究として重要な意義を持つ作業だと考える。
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『第25回大会中央委員会報告・決議の行間を読む』党勢力5分野データ