2001年1月はこの3公演

 


サモ・アリナンズ プロデュース「マクガフィン」

ザ・スズナリ 12/27〜1/8
1/6(土)ソワレ観劇。座席 A-4

作・演出 倉森勝利
構成 小松と倉森勝利ブラザーズ

 1946年、ウィーン。顔を隠した男とトレンチコートの男(山内圭哉)が暗号を巡り、取り引きを行なっている。しかし、取り引きはこじれ、暗号を頭の中に締まったまま、顔を隠した男は、崖から転落してしまう。
 それから6年の歳月が流れた1952年アメリカの片田舎。妻リンダ(久米淳子)、息子アンディ(佐藤貴史)と暮らす高所恐怖症のダグラス・クラーク(小松和重)は、監視されているような光る目に脅えながらも、幸せな日々を送っていた。このダグラスこそ6年前に崖から落とされた顔を隠した男、アドルフ・シュトロハイムであった。しかし、ダグラスは昔の記憶を失っており、アドルフとしての記憶は一切なかった。しかし、アドルフの頭の中にある暗号が欲しいガッツ組織のくにお(久ヶ沢徹)と本牧レディ(平田敦子)はピーターとデヴ夫人と名乗り、隣人となり機会をうかがっていた。
 そんなある日、息子アンディが誘拐される。ダグラスはアンディを救い出す為に、ニューヨークへ向かう。ダグラスの記憶を狙うガッツ組織と国の組織のロバート(高木尚三)とジョーズ(大政知己)、そしてトレンチ。ダグラスは高所に登ると殺人マシーンでもあったアドルフの記憶が蘇る・・・。決戦の場所は、自由の女神の炎の部分。ダグラスは高所恐怖症を克服して、アンディを救い出す事ができるのか?暗号は誰の手に渡るのか?

 モチーフはアルフレッド・ヒッチコック。『めまい』『鳥』『北北西に進路をとれ』『サイコ』などが随所に盛り込まれている。電車のシーンで登場する新聞紙には、ヒッチコックの絵が描かれているという、細かな点も嬉しい。題名の『マクガフィン』を日本語で表現すると“しかけ”と言っていたが、真実を隠す為にトラップを仕掛けるみたいな感じなのか。ただし、“マクガフィン”って言葉はくせもので、ヒッチコックが作る物語にたびたび登場しているのに、その意味は不明確らしい。登場人物にとっては重要な事柄らしいが、観客にとってはどんなに考えても意味がないもの、それが“マクガフィン”らしい。それを題名に持ってきてしまうあたり、さすがと言いたい。ヒッチコックを知る人間には、たまらなくツボを刺激されたに違いない。ただし、どんなに凝った作りをしても、芝居の核となっているのは、いつものチープでくっだらないサモアリ魂。サスペンス物なのに緊張感がまるっきりない。しかし、そのパンツのゴムが伸びたようなユルユルな芝居がいいのである。そして、それを効果的に引き出す狭いスペース。本当にくっだらない空気を肌で感じられる狭いスペースでのサモアリは、天下無敵である。毎回書くので、これっきゃないのかよーと言われそうだが、今回のスズナリはその点においてはgoodな空間であった。あのくらいのスペースが本当にいい。

 サモアリは役者の個性も際立っていて、その点でも楽しめる。小松、倉森、久ヶ沢、平田と演技はへたくそだが、そのおかしさはピカ一。時々素になり演技を忘れて笑いまくる小松の姿に、「芝居を馬鹿にしている」と批判の声も聞くが、それがサモアリのおもしろいところでもあるので、批判の声など気にせず、どんどん笑いまくって欲しいと思う。そんなくだったない劇団が一つくらいあったっていいのではないか。サモアリには、21世紀もユルユルのままつっ走ってもらいたいもんだ。

 今回もサモアリと劇場スペースの関係は反比例しているとヒシと感じた。劇場が広くなればなるほどつまんなく感じるというか・・・。今回のスズナリは良かったんだけどね。サモアリの芝居と劇場スペースの関係にはどうしてもこだわりがあるので、次回の本多劇場の公演はパスだわな。


“サモ・アリナンズ”自分が観た公演ベスト
1.ガッツ団
2.ロボイチ
3.マクガフィン
4.ホームズ
5.スネーク・ザ・バンデット
6.蹂躙

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イデビアン・クルー「フリムクト」

シアタートラム 1/11〜1/14
1/13(土)観劇。座席 F-9

振付・演出 井手茂太

 暗闇の中、一筋の道がライトに映し出される。静寂・・・そこを歩き続ける一人の女性。立ち止まり、ふっと後ろをフリムクト・・・静寂は止み、人々が思い思いに交差する。それは、街の一角を切り取った風景なのか、女性が歩んできた風景なのか・・・。そんなオープニングで始まる。・・・彼氏を愛する女、後ろをフリムクト彼氏を愛する他の男性の姿があった・・・など振り向いた時に見える世界を絶妙な構図、素晴しい踊りで表現した公演。

 まず、オープニングの素晴しさに感動した。静から動への変化、個々の動き、全体の構図、どれを取っても素晴しいの一言である。その素晴しさに目を奪われ、風邪を引いた訳でもないのにゾクゾクと鳥肌が立ちまくった。前作『不一致』のオープニングに匹敵する出来であったと言える。まぁ比較してしまうと、『不一致』の方が上なのだが・・・女と男と男って感じのシーンもいい。細かな指の動きから、大げさとも言える踊りまで、全てが緻密に計算されていて一つの構図に収まっている。素晴しい。このシーンで同性愛者的立場の男を演じた中村達哉のホモセクシャルな動きも絶妙であった。ただ、それに続く海辺っぽいシーンは正直言って眠くなってしまった。ここさえなかったらと思う。その後に続くアップテンポの曲を集団で踊るシーンは、とてもおかしくて好きだ。専門用語がわからないので、群舞と言ってしまうが、バラバラの動きを見せたかと思うと奇麗に統一した動きに変化する。全体としてしっかり計算された動きが素晴しいのである。今回は、この群舞が少なかったのが残念でならない。

 ダンサーに目を移すと、今回は、特に斉藤美音子の美しさが目を引いた。群舞が少なかった分、ダンサー個人に目が行ってしまったのだろうか、とても輝いて見えた。しかし、私個人としては、今回も本橋弘子のコケティッシュな動きにメロメロである。他にも気になったダンサーがいたが、以前の様に“白いブリーフに名前”というスタイルではなかったので、ダンサーの顔と名前が一致しない。せめてパンフに顔写真を載せてもらえると嬉しいのだが・・・と思った。


“イデビアン・クルー”自分が観た公演ベスト
1.不一致
2.コッペリア
3.包丁一本
4.フリムクト
5.ウソツキ 改訂版
6.ウソツキ

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少年社中
「Phantasmagoria ファンタスマゴリア」

早稲田大学大隈講堂裏劇研アトリエ 1/25〜2/4
1/27(土)観劇。座席 自由(3列目中央)

作・演出 毛利亘宏

 1900年、20世紀まであと半年と迫ったパリでは、万国博覧会が開催されていた。その中でひときわ人気を集つめるパビリオン「ファンタスマゴリア」。そこで若き天才魔術師フーディーニ(佐藤春平)による脱出ショーが行われていた。彼はその場で前人未到の大脱出を成し遂げるはずであったが、ショーの最中忽然と姿を消してしまう。その場に居合わせた友人コナンドイル(井俣太良)は、消えたフーディーニを探しはじめる・・・。
 場面は変わり、2001年、ニューヨーク。コナンドイルの孫を名乗る男(井俣太良、二役)が、とある翻訳家の女性(大竹えり)の元に現われる。彼は、祖父が残した原稿を翻訳して欲しいと女性に依頼する。依頼を受けた次の日、奇妙な電話が彼女の元にかかってくる。彼女は、探偵と誤解されたまま、幽霊を尾行するという仕事を引き受けてしまう。彼女は、好奇心から捜査をはじめるのであったが・・・。
 時は戻り、19世紀。マダムブシコー(加藤妙子)は霊能力を使い、未来を予見し、世界で初めてのデパート“ボンマルシェ”を築き上げる。しかし、彼女の未来を見る力は徐々に失われ始めた。そんな時、彼女の前に一人の男が現われ、未来を見る事が出来る“写真銃”を手渡される。しかし、使う為には鍵が必要であった。男は「私の持つこの鍵を探しなさい」と言い残し消えてしまう・・・。
 フーディーニ失踪を追うコナンドイルは、シャーロックホームズ(田辺幸太郎)の元を訪れる。やがて、過去・現在・生・死が交差し、物語が一直線上に並んだ時、事件の真実が浮かび上がる。

 実在の人物を歴史的背景を織り込みながらも史実を無視し、架空の物語にしているのは、なかなかおもしろかった。シャーロックホームズとワトソン博士が実在の人物であり、ワトソン博士によって記録された現実の物語をコナンドイルが出版社に渡しているという状況設定も物語に幅を持たせた。ただ、シャーロックホームズ役には難アリだったが・・・。田辺幸太郎には悪いが、木村慎一が演じていればもっと味わい深くなったような気がする。木村は退団してしまったのだろうか?彼こそ適役だったのにと思うと残念でならない。

 ラストの二転三転する結末・2つの時間軸が重なるシーンは、ライティング、音響、演出全てにおいて完璧であった。いや、脚本的には動機とかが弱く納得いってないが・・・。ただ、鳥肌もののラストに比べ、それまでの過程(特に前半)がつまらな過ぎる。滑りまくるギャグ。ただでさえこの日は雪が降って寒かったのに、心まで凍えてしまうようであった。つまらないギャグを容認しても、ラストまで持っていく物語展開が長く、退屈過ぎる。謎を持たせて展開して行くところに推理劇(と呼んでいいのだろうか疑問はあるが)の面白さがあるのだろうが、『slow』でも感じたように舞台での推理ものは相当な演出力が要求されると思う。が、毛利亘宏にはまだその力量は不足していると私は感じた。それと共に、前作『光之帝國』が良かっただけに方向性にも疑問を感じる。少年社中の面白さ・魅力は単純明快なスピード感あふれる冒険ものだと思っているのだが、そう思っているのは自分だけなのだろうか?早稲田でやっているうちはいいが、今後一般の劇場に進出した時に(するかは知らないが)、高い金額を出して観たいかと聞かれたら、絶対観たいとは即答できないのが現状である。エンタテインメント性がある劇団なので、もっとその魅力を思う存分発揮して欲しいと感じた。

 再演もあるかもしれないので“真実”をきっぱりとは書かないが、途中、翻訳家の名前を言ってしまったのは、失敗ではないか。それがなければ衝撃もあっただろうに。まぁ、この手の話しは某映画でやってしまったので二番煎じ感は拭えない。ただ、ラストで物語が交差するシーンは舞台ならではの観せ方で魅了された。芝居には芝居でしか出来ない面白さが潜んでいると今更ながら実感した。物語の流れは推理劇であったが、最後はなかなかいい恋愛劇としてみごとにまとめていたと思う。

 それにしても大竹えりはかわいい。と突然書いてしまったが、今回の役のいちずさは大竹えりなればこそ、って感じがした。大竹・井俣・佐藤・加藤と良い役者はいるが、それ以外が成長してこないのが残念でならない。少年社中がもう一歩成長するにあたっての、大いなる課題かもしれない。


“少年社中”自分が観た公演ベスト
1.光之帝國
2.アトランティス
3.アルケミスト
4.ファンタスマゴリア
5.ELEPHANT〜エレファント〜
6.slow
7.ゴーストジャック
8.ライフ・イズ・ハード

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