しぶけんの超不定期日記2012

しぶけんの“超”不定期日記2012〜

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寺報用原稿(十二月号用)

●編集後記

「大石寺は御堂と云ひ、墓所と云ひ、日目之を管領し、修理を加へ勤行を致して、広宣流布を待つべきなり」(日興跡条々之事)

 七箇年を経て、御影堂の大修復工事が完了した。御影堂は大石寺内の最古の建築物で、約三百八十年の歴史がある。また本行寺の歴史もほぼ同じで、どちらも総本山第十七世日精上人と縁が深い。

 御影堂を寄進したのは、徳川家康の養女であった敬台院で、嫁ぎ先の徳島藩主・蜂須賀至鎮公のもとで日精上人に帰依した。一方、常泉寺本行坊を開創した常泉寺第五代本行院日優は、日精上人の折伏で改衣し、常泉寺、本行寺(坊)、真光寺(坊)が大石寺末となった。[富士年表]

 御影堂と本行寺の因縁を深く拝し奉るとき、本行寺信徒としてこの大慶事を迎えた喜びは愈々倍増し、令法久住・広宣流布に挺身された歴代御法主上人に対する御報恩の念は尽くしがたい。

 言うまでもなく、「広宣流布を待つべきなり」とは座して待つの意ではない。明年は『折伏貫徹の年』。御影堂の威容に相応しい信行を展開し、振り返って、本年は確かに『団結前進の年』だったと言えるように、村上御住職のもと一層の団結を果たしてまいりましょう。

2013/11/20


寺報用原稿(十一月号用)

●編集後記

「日道師云わく、施開廃倶に迹門は捨つ可し」(当流行事抄)

 正慶二年(一三三三)の二月と十一月に、第二祖日興上人と第三祖日目上人が相次いで御遷化され、第四世日道上人が門下の統率に心血を注がれたが、その翌年、日仙と日代が方便品読誦を巡って争論(仙台問答)を引き起こして大衆を巻き込んだ。

 日道上人は裁定を求められ、御宝前の蓮華には、つぼみの花と、咲いている花と、散った花(蜂須)とがあるように、御法門にも三つの立場があるが、何れにおいても方便品は捨てられる(ために読む)のであると所破の義を示され、方便品不読と迹門得道の両極説を退けられた。

 末法の三毒強盛の衆生はともすれば、相手の誤りを糺すつもりが、気がつかないうちに自分自身が別の穴に陥ったり、小善に執して大善を軽んじる誤りを犯したりするものである。近年も、正信会や顕正会などの事例は枚挙に遑がない。

 村上御住職は、常法院様の後を受けて、本行寺新生に心血を注がれている。常法院様の一周忌満山法要も、無事に執り行われました。いよいよ真の僧俗和合・異体同心を確立して参りましょう。

2013/10/20


寺報用原稿(十月号用)

●編集後記

「出る気は入る気を待つ事なし。風の前の露、尚譬へにあらず。」(妙法尼御前御返事)

 米国大リーグの黒田博樹選手は、今季、ニューヨーク・ヤンキースの実質的なエースピッチャーとしてチームを牽引してきた。特に七月は、五度の先発でわずかに二失点の大活躍だった。

 黒田投手は毎回、「今日が最後の登板だ」と思ってマウンドに登るそうである。その謙虚な姿勢が、三十八歳という年齢にして驚異的な適応力と制球力とを生み出しているのだろう。

 この話を聞いて、ふと故日海上人が常々「臨終只今にあり」と信心の心得を御指導下さっていた事を思い出した。また、我々はつい何時までも日海上人がいらっしゃるように思って、そのご高徳に甘えていたのではないかとも思い、今一度反省をした。

 ご住職・村上節道御尊師は、日々の勤行においても、また御報恩御講等の法要においても、これが最期だと思って座に臨まれるそうである。我々も、ご住職様のご指導のもと惰性や慢心を排し、信力と行力とを倍増してまいりましょう。

2013/9/20


寺報用原稿(八月号用)

●編集後記

「富士は郡名なり、実名をば大日蓮華山と云うなり」(産湯相承事)

 平成十五年に国体の一部競技が富士宮市の山宮スポーツ公園で開催され、これに先立って近隣の北山インターや国道が整備されたため、結果的に、平成十四年法華講三十万総登山への参詣の利便性が向上しました。

 世法ではありますが、今般の富士山の世界遺産登録は、富士宮市等の近隣地域一帯に大規模な経済効果をもたらすと期待され、既にツアー客等が大幅に増加中とのことです。

 富士山は正式には多宝富士大日蓮華山といい、これは山頂の火口が八葉蓮華の形状に似る事に由来します。また、火口一周を「お八(鉢)めぐり」とも呼びます。八葉の(日本の)最高地点は剣が峰ですが、これは大石寺の方角を向いているため、逆に大石寺から富士山を眺めると中央に最高点が位置し、美しい左右対称形となります。まさに多宝富士大日蓮華山大石寺は、名実ともに「霊山浄土に似たらん最勝の地」です。

 一方で、東京スカイツリーも、世界一の自立式電波塔です。そして、村上御住職様は立正山本行寺は日本一の講中であると仰せられ、また御法主日如上人猊下も「何かあったら本行寺へ相談に」というお寺になりなさいとの御指南です。山号を安国論から、寺号を寿量品からいただく本行寺は、御住職のもと、南里講頭を先頭に、名実ともに日本一の講中を目指して精進して参りましょう。

2013/7/20


寺報用原稿(七月号用)

●編集後記

 「五千人のうちには入らせ給はぬやうあらじと聞こえかけて帰りにき」(枕草子「小白川といふ所は」)

 寛和二年(九八六年)の夏、藤原済時宅で法華八講が奉修され、清少納言も牛車より拝聴していたが、余りの暑さに耐えかねて退出する事にした。このとき、藤原義懐が「『退くもまたよし』だね」と声を掛けてきたので、「貴方様だって『五千人』の中に入ってしまうかもしれませんよ」と告げて帰った。

 これは清少納言が二十一歳の頃を描いた章段で、貴族階級を中心に盛んに行われた法華八講の様子が記されている。また、中納言義懐との問答は法華経方便品の教相を踏まえている。

 釈尊が広開三顕一の御説法をされようとしたとき、五千人もの大衆が一斉に席を立って退出してしまった。この時、釈尊は「退くもまたよし」として制止せず、その場に残った「復た枝葉無く、純ら貞実のみ有り」の人々に対して法を説くのであると述べられた。

 法華文句によれば、五千起去の原因は、本人の過去からの罪障、未得已得の増上慢、あるいは爾前権経への執着である。また、これからの御説法に悪心を懐き、非難中傷をして周囲に悪影響を及ぼす者も、あらかじめ退出する因縁となる。

 御影堂落慶まで四カ月。本堂の御本尊様とご住職様の背中をしっかり見て、慢心や執着を排し、油断なく精進をして参りましょう。(憲)

2013/6/20


寺報用原稿(六月号用)

●編集後記

 「下至阿鼻地獄の文は、仏光を放ちて提婆を成仏せしめんが為なり」(御書一七二四頁)

 釈尊十大弟子等は、法華経の会座に連なって遂に成仏の記別を受けた。釈尊は上・中・下根の声聞衆に対して、それぞれ法説周・譬説周・因縁説周の三周の説法で巧みに脱益を施し、二乗の成仏を確定された。

 ところが御義口伝を拝すると、序品の六瑞の一つで、釈尊の眉間から白光が放たれると、その光は無間地獄の提婆達多を照らして即身成仏させたと説かれている。釈尊は、法華経の冒頭で真っ先に悪逆の提婆達多を済度されたのだ。

 これは過去世からの不思議な宿縁によるものと拝される。過去世に提婆達多は阿私仙人で、檀王(釈尊)に法華経を教示した。有名な「法華経を我が得し事は…」の採果汲水の古歌は、檀王の阿私仙人に対する千歳給持を詠んだものである。ここに法華経の善悪不二・逆即是順の妙旨が存する。

 我々凡夫には、なぜ善の中から悪が生じるのか理解できない事もある。しかし、自分の善心は相手の命の中にも具わり、相手の悪心は自分の命の中にも具わっている。全ては御仏智と受け止めて、村上御住職のもと、十一月の御影堂落慶に向けて愈々油断なく、精進してまいりましょう。(憲)


2013/5/20


寺報用原稿(五月号用)

●第一回支部総登山

 四月二十二日、本年の第一回支部総登山が挙行され、七百名弱の参加者があった。

 登山者は十二時半に広布坊二階へ集合した。まず、今回初めて支部総登山に参加した方々の紹介があり、二十余名が一言ずつ挨拶をした。

 続いて村上御住職より御挨拶があり、一月十一日の本行寺赴任以来、自身も初めての支部総登山であること、午前中に常法院様、柳澤総講頭さん、先祖代々の墓参をしていると空が明るくなり、朝から強く降り続いていた雨も上がってきたと述べられた。

 一時半より布教講演会があり、担当の宗務院渉外部長・秋元広学御尊師は『異体同心と本因妙の修行』と題する講演で、団結の中心は「広宣流布の根源」たる本門戒壇大御本尊であり、またいつの時代にも血脈嗣法の御法主上人猊下様の御指南に正義(しょうぎ)が現れると述べられた。また、広布流布の絶対条件は各家庭が御本尊様を中心に一致団結して法統相続する事であり、各講中においては、折伏に参加する姿は様々であっても、全員が志を同じくして邁進する事が肝要と指導があった。

 講演会後、村上御住職を先頭に並んで奉安堂へ向かい、三時から全員揃って御開扉をいただき、終了後は順次下山した。

 今回の支部総登山では、時間帯等について普段とは異なる環境・条件も幾つかあったが、随所に仏天の加護を蒙り、これから村上御住職様と築き上げていく本行寺法華講の未来に向けて、記念すべき第一歩となった。布教講演でも述べられたように、様々な立場にある講員が、その違いを乗り越えて一結するのが異体同心である。

 六月二日に挙行される第二回支部総登山には、今回よりも二百名以上の増員を目指し、大勢で参加して参りましょう。


●編集後記

 「礎石」

 大日蓮四月号に総本山御影堂の礎石配置図が掲載されている。礎石とは建物の土台となって柱を支える石である。建物が完成すれば見えなくなり、何時かその存在も忘れられてしまう。しかし、礎石は常に木造建築を湿気等から守っている。

 本行寺復興初代住職・御隠尊日顕上人猊下は本行寺の因縁を鑑みられ、その機関誌に『礎石』と命名あそばされた。その因縁とは、縁の下の力持ちとなって御宗門を支えること、またそのような信徒をあまた輩出することである。

 我々の信心は人から褒められるためにするものではない。ただ御本尊様は全てを御照覧あそばされるから、御本尊様が褒めて下さればそれだけで十分である。その信心は名聞名利や十四誹謗の各項目とは無縁である。

 先月は本行寺復興三代御住職・村上節道御尊師をお迎えして初めての支部登山が盛大に挙行された。本行寺の新たな門出に当たり、諸先輩方が背中で教えて下さった『礎石』の精神を今一度再確認しつつ、僧俗一致・異体同心の信行を展開して参りましょう。


2013/4/20


寺報用原稿(四月号用)

●編集後記

 「本行寺さんらしい戦いを」(礎石三月号一面)

 本年の折伏誓願目標達成御報告の砌、御法主日如上人猊下より、僧俗一致で本行寺らしい戦いを進めるよう御指南を賜りました。

 この「本行寺らしい」との御言葉に、『地涌讃徳』の歌詞を思い出しました。かつて御隠尊日顕上人猊下が作詞された中で、四菩薩の御徳が「風恒の響き」、「帰命の」、「まことの」、「蓮華の(きよ)き姿」と詠み込まれ、また「帰命の楽」について「桜梅桃李ことごとく無作三身の思いあり」と詠われました。

 桜梅桃李の個性的な美しさのように、村上御住職のもとに異体同心して広宣流布に励む本行寺支部の姿そのものが、巧まずして自然に全国法華講の手本となるのであれば、これ以上に喜ばしく、また誇らしいことはありません。

 御住職様は、新生本行寺の未曾有の戦いが、一歩も道を踏み外すこと無きよう、一日一日を命懸けで指揮されています。新年度を迎え、いよいよ支部全体が総決起してまいりましょう。

2013/3/20


寺報用原稿(三月号用)

●編集後記

 「彼のあつわらの愚凝の者どもいゐはげましてをとす事なかれ」(聖人御難事・新編一三九八頁)

 熱原法難について、日興上人より報告を受けた大聖人は、捕縛された農民二十名が無事に釈放される見通しは暗く(よからんは不思議)、極刑の可能性も高い(わるからんは一定)と御判断になり、言い励まして最後まで退転者を出さぬよう(墜とす事なかれ)厳命されました。

 取り調べと称して念仏への改宗を迫る拷問は苛烈を極め、遂には中心者三名(神四郎・弥五郎・弥六郎)が斬首されましたが、法華講衆は御聖意に沿い奉って一人の退転者も出すことなく、その唱題の声は愈々高まるばかりでした。そのため、遂には悪鬼入其身の平左衛門も恐れをなし、残りの十七名を追放しました。真の団結が天魔に打ち勝ったのです。

 大先輩方の偉業を信心の鑑(かがみ)として、村上御住職のもと、各地区・各班が一層の団結前進をはかりましょう。


2013/2/20


寺報用原稿(一月・二月合併号用)

●本行寺復興第二代住職 常法院日海上人葬儀

 本行寺御住職・高野日海御尊能化は、十二月上旬より肺の療養のため、病院にて静養につとめられましたが、十二月十日午前十一時五十分に御家族・御弟子様方が唱題される中、今者已満足とて安祥に御遷化されました。

 御尊能化は、昭和三十八年四月十二日に大阪府堺市の本伝寺より本行寺へ赴任されました。以来、四十九年八カ月の長きに亘り住職を務められました。平成二年三月に能化に昇進されるまでは墨東阿闍梨永済(えいさい)房と称され、又この度、御法主日如上人猊下より上人号を賜り常法院日海上人となられました。

 常法院様は十二月一日に満八十四歳の誕生日を迎えられたばかりで、法臘七十三年に及ぶ宗門の重鎮でありました。

 十二月十日、訃報が支部内外に伝達され、午後三時過ぎより重役・常泉寺御住職・藤本日潤御尊能化の導師で枕経があげられました。十一日、十二日は本堂で藤本重役の導師にて仮通夜が執り行われ、信徒多数が参列し読経・唱題・御焼香を申し上げました。

 本通夜・本葬儀は、十三日・十四日に本堂にて、御法主日如上人猊下の大導師のもと、御隠尊日顕上人猊下の御出仕を賜り、厳粛に執り行われました。通夜・葬儀には、全国より総監・八木日照御尊能化をはじめ実に多くの御僧侶方が御見えになり、また連合会役員等も多数参列されました。

 通夜は十三日午後七時半より厳粛に行われました。御法主上人猊下の御退座の後、引き続き八木総監の導師で読経・唱題があり、更に藤本重役の導師で読経・唱題がありました。 葬儀は十四日午後九時半より厳粛に行われ、引き続き八木総監の導師で納めの御経が行われました。再び両猊下のお出ましのもと、参列者一同で御遺体に御別れをし、午後一時に出棺となりました。御遺骨が帰着すると午後三時半より、御法主日如上人猊下の大導師のもと初七日法要が懇ろに執り行われ、御葬儀の一切は滞りなく終了しました。


●編集後記

 「一句も神(たましひ)に染ぬれば咸(ことごと)く彼岸を資(たす)く、思惟・修習永く舟航に用たりと云云」(椎地四郎殿御書)

 突然の訃報に接し天を仰ぐと、金色に輝く銀杏並木からのぞく青空は何処までも澄み渡り、そして高かった。しばし茫然と立ち尽くすと、ふと常法院様が当御書を引かれ、南無妙法蓮華経こそが生死の大海を渡る大船と御説法される大きなお声が聞こえたようだった。

 昨年十二月二日、執事様が全地区誓願達成を報告されると、常法院様は「思ったより早かったな」と仰せられ、殊の外、お喜びだったとの事。この一言に、四十年ぶりの快挙をどれだけ心待ちにされていたかと拝察するものである。

 最善の御恩返しが間に合ったのは、仏祖三宝尊の御加護はもとより、常法院様の御指導と執事様の激励で、三年前頃より徐々に折伏の気運が高まり、今春頃からは門前・街頭折伏と多面展開され、本行寺の新しい布教体勢が整ってきた事が大きい。

 本年は、新住職・村上節道御尊師の厳格な御指導を受け切って一致団結し、折伏誓願目標を早期完遂して、御法主日如上人猊下様と、常法院様の墓前に、御報告を申し上げましょう。

2013/1/20


寺報用原稿(十二月号)

●編集後記

 「一念三千を識らざる者には、仏、大慈悲を起こし、五字の内に此の珠を裹(つつ)み、末代幼稚の頸に懸けさしめたまふ」(観心本尊抄末文)

 昔、刺繍(ししゅう)の達人があり、その作品は珍重されていたが、娘達は総じて不得手で後継者に恵まれなかった。晩年に至り孫娘の一人に大器を見出したが、成長を見守る時間はなかった。

 やがて、孫娘は亡き祖母の背中を追うように刺繍の道へ進んだ。壁にぶつかり長く伸び悩んだが、ふと幼いころに祖母が教えてくれた「毬つき遊びの歌」に刺繍の極意が籠(こ)められている事を覚り、大成するに至ったという。

 日蓮大聖人様は、幼稚な我々の手を取って五字七字の御題目を教えて下さいました。その大慈大悲にお応えするべく、本年は誓願三七〇名を早期完遂し、晴れやかに支部登山と御会式を迎える事が出来ました。

 明年は『団結前進の年』です。住職の御指導もと、まず年末のシンポジウム(新来者百名)を大成功させ、本行寺の真の団結力を内外に示して参りましょう。(憲)


●十一月広布推進会(於妙證寺・十一月十六日)

 十月三十一日に大護寺が支部誓願七十五名を達成、十一月四日に妙縁寺が同百二十名を成就した。更に本修寺は誓願の二倍(三二〇名)に到達した。

 活動報告として、大護寺と妙縁寺の講頭より、誓願達成の喜びが語られた。それぞれ個人の縁に加えて、法話会や街頭折伏を組織的に行った。妙縁寺はインターネットサイトを開設し、その閲覧者が入信した。また妙因寺は、新任の講頭より誓願達成に向けた決意発表があった。

 常泉寺の藤本御住職は、常泉寺では初心者にテント折伏を勧め、個人の縁で折伏するための訓練をしている。各支部の実情に応じた取り組みが大切だが、必ず全支部が誓願達成していきましょうと御指導された。

 芳賀支院長は、東京第一布教区の折伏誓願達成率は百十一%で全国第二位、「臨終只今にあり」との信心で魔を打ち破り、全国第一位を目指して大前進を、と締めくくられた。


2012/11/20


寺報用原稿(十一月号)

●編集後記

 「仏の寿命百二十まで世にましますべかりしが八十にして入滅し、残る所の四十年の寿命を留め置きて我等に与え給ふ」(御書二六八頁)

 『四恩抄』に、仏様の寿命は百二十年だが、釈尊は正像二千年の衆生の為に御命の三分の一を遺し八十歳で涅槃されたと御教示である。宗祖日蓮大聖人は御年六十一歳にて御入滅あそばされたが、本来の寿命は百二十年であらせられるところ、御命の半分を本門戒壇の大御本尊に込められて、末法万年の衆生救済の為に留め置かれたと拝される。

 弘安五年九月、武州池上邸に入られた大聖人は、相承書の御準備の傍ら、病身を押して門下一同に立正安国論を講義され、令法久住・広宣流布へ最期の布石を打たれた。

 十月十三日午前八時頃、枕元の一体仏を退けて大曼荼羅を安置させると、大聖人は一同が唱題申し上げる中、「今者已満足」とて、安祥として非滅現滅の相を現ぜられた。

 当山御会式は、十一月十七日(土)午後六時半より御逮夜法要、翌日午前十一時半より御正当会です。ゆめゆめ欠席なきよう体調に十分気を付け、御報恩謝徳申し上げましょう。(憲)


●十月度広布推進会(十月十八日・於妙縁寺)

 九月三十日に常泉寺が誓願二百六十名を達成、十月十一日に法道院が同九百名を成就した。

 開会挨拶として石井副支院長は、教・行・証とは、いかに御金言があっても、その通りに動かなければ結果は出ないという事だと述べられた。

 活動報告として本行寺の松田壮年部長は、当初は支部内に訪問折伏や街頭折伏への戸惑いもあったが、青年部が率先して結果を出し、壮年部・婦人部の有志も加わって新しい折伏の体勢が整いつつある。青年部を中心にシンポジウムを企画し、十二月二十三日に新来者百名を目指して励んでいると述べた。法道院の副講頭は、昨年末の戦いで折伏は唱題に比例するとの大原則を思い知り、支部が生まれ変わった。先日は、佐々木地方部長をはじめ百名以上が一斉に街頭折伏へ打って出た。池袋中の公園が法道院や常在寺の信徒で一杯だったと語った。

 法道院の八木御主管は、新入信者向けの勤行会や勉強会等を企画し、組織的な育成に取り組みましょう。また、新入信者への御本尊下付は御不敬なきよう十分注意しつつも、一方で時期が延び延びにならぬよう御注意を、と御指導された。


2012/10/20


寺報用原稿(十月号)

●編集後記

「法華本門の正法を信仰せば、四海静謐を致し衆国安寧ならしめんと欲する子細の事」(日行上人申状)

 日本の陸地面積は約三十八万キロ平米で、世界の第六十二番目に過ぎないが、領海と排他的経済水域を合わせると約四八六万キロ平米となり世界第九位である。排他的経済水域は、沿岸から二百海里(ほぼ東京・名古屋間距離)以内の資源(海産物、化石燃料等)の権利を認める国際条約である。

 日本は、この条約で多大な経済的恩恵を受ける半面、広大な水域を安定的に管理・維持する必要があり、隣国との軋轢を避けがたいリスクとして抱えている。このリスクは、経済的・軍事的なバランスの変化、化石燃料の枯渇、国内政治の不安定・国力低下等の要因で高まると考えられるが、人と人が争う一番の根本原因は謗法の害毒である。政治も、経済も動かしているのは人の心だからである。

 十月を迎え国内外寺院・布教所で御会式が奉修される。「正法治国・邪法乱国」を他人事とせず、一天四海本因妙広宣流布を目指し、愈々精進して参りましょう。


●九月度広布推進会(四者対象、於常在寺)

 八月二十八日に本行寺が目標三七〇名を成就し、達成寺院は四箇寺となった。

 活動報告で、常在寺講頭は街頭折伏について、布教区で千名が毎日十名に声を掛けると三年間で延べ一千万人に日蓮正宗の存在が伝わる。また、育成の遅れをチェックし支部全体で支援する体制を整えたと述べた。 妙縁寺の壮年部員は、自身が創価学会を脱会した経験から、洗脳されている人には細かい事よりも、学会のはニセ本尊だと繰り返し言う方が効果的だと語った。 法道院の婦人部員は、先輩から「折伏以外に宿業打開の道は無い」と教えていただき今がある。十月十七日までに支部誓願九百名を完遂すべく、友人への折伏と街頭での折伏を頑張ると述べた。

 常在寺の阿部御住職は、人生の目的は四恩報謝だ。己を有らしめた全ての方々に対して感謝の折伏を。講中とは里芋を洗う樽だ。芋同士ぶつかってお互いに皮が剥ける。接触を嫌がって樽の外に飛び出したら黒いままだ。育成には時間がかかる。誓願早期達成は、育成期間を設ける意味でも重要と御指導された。


2012/9/20


寺報用原稿(九月号)

●編集後記

 「日蓮は日本国の諸人に主師父母なり」(開目抄)

 文永九年春、四条金吾の許に開目抄が届いた。金吾は食入る様に拝読すると、あの夜の光景が脳裡に蘇った――

 半年前の深夜、急報に飛び出すと、大聖人は馬上の人となり西へ連行されていた。大聖人が闇に葬られようとしている!必死で馬の轡(くつわ)に取りすがると、大聖人は泰然とされ、老女がぼた餅を差し出すと「帰りに頂きますよ」と微笑まれた。むしろ役人は遠慮がちで、聞けば途中、大聖人が八幡神を一喝し度肝を抜かれたという。

 しかし、無情にも一行は龍ノ口に到着し、金吾が切腹にて御供をと覚悟すると、首切り役人が太刀を構えた瞬間、江の島の方角より毬(まり)のような強発光体が飛来して辺りは眩(まばゆ)い光に包まれ、気が付けば、役人共は逃げ去る者、腰を抜かす者、あるいは平伏して拝む者等と散々であった――

 あの夜、発迹顕本を目撃した金吾には、誰よりも御書の真意が良く分かった。そして、佐渡訪島と折伏実行の決意を深くしたのだった。

 九月の御報恩御講は法難会を兼ねて奉修されます。大勢で参詣致しましょう。


●八月度広布推進会(四者対象、於妙縁寺)

 四者を対象に開催された。八月十一日に常在寺が誓願目標二百名を達成し、十二箇寺のうち残りは九箇寺。芳賀支院長は、鼓笛A・B隊の全国制覇に続き、折伏日本一を目指そうと呼び掛けた。

 活動報告として、本修寺の学生部員は弟の心臓手術を切掛けに、二年間で二十一名を折伏成就したと語った(大白法八月十六日号参照)。 妙證寺の講頭は、五箇年で一、五二九名の増員目標に対して本年末で約千三百増を達成し、明年には講員五十%増実現の見込み。各家庭の勤行廻りで折伏と育成をしていると報告した。 常泉寺の男子部主任は、テント折伏の成果等について述べた。

 佐々木地方部長は、南里少年部長をはじめ、少年部合宿や中等部・高等部合宿の関係者を労った。

 指導教師を代表して石井副支院長は、四悉檀(ししつだん)とは布教方法であり、その究極は立正安国論である。真剣に唱題・折伏に励む信心にこそ、四悉檀の実践と応用が具わると御指導された。


2012/8/20


寺報用原稿(八月号)

●編集後記

 「塩酢(えんそ)の米麺の味を助くるが如し。故に助行と言うなり」(当流行事抄)

 当家の勤行では、読経(方便品、寿量品)が助行で、唱題が正行です。日寛上人は助行の役割を調味料に譬えられ、正行の功徳を助け顕すと御教示です。

 本山任務の折り、参詣者の御焼香が読経中に終わるようにと御指示がありました。これは、助行である読経中に御焼香を終わらせ、座を整えて正行である唱題に集中するためと拝されます。

 さて、寛師会は毎年九月十八・十九日に奉修され、十八日夕刻には塔の原グラウンドで奉納相撲と花火大会が行われます。これには地元の方も多く訪れ、御塔川を渡ると屋台が並び、市民祭りのような雰囲気です。

 今年は添書登山の御開扉もありますので、法要に参加できない子供連れも日帰り参詣が可能(要乗用車)ですし、また、折伏の縁の方を総本山見学に誘う機会でもあります。東京の明るい夜空とは違い、花火も一段と映えるようです。寛師会に御登山した事のない人は、一度参詣してみましょう。


●七月度広布推進会(四者対象、於法道院)

 本年後半戦の決起大会を兼ねて開催された。前半戦の布教区折伏数は一、六八七名で、達成率六十二%は全国第七位。

 活動報告で、本修寺の地区長は、各曜日の活動内容を定め、毎週これを着実に繰り返し、既に地区誓願の三倍以上を達成と述べた。常泉寺の地区長(七十九歳)は、池袋の公園等を一日十キロ歩いて街頭折伏し、今年は九名が入信と語った。法道院の副講頭は、「折伏センター」を立ち上げ、地区を越えた組織的な新来者対応で成果が向上。ゴールデンウィークに、「大法道院展」を開催し、三日間で新来者百八十名・御授戒三十四名。役職者を中心に「ふくろう隊」を組織し、夕勤行後に街頭折伏と報告した。

 教師代表で法道院御主管・八木日照御尊能化は、折伏数は唱題量に比例する。早期達成の支部は必ず唱題が上がっている。法道院客殿でも、毎日朝八時から夜九時半まで交代で途切れなく唱題している。足腰の強い講中には、少年部・中等部・高等部の育成が不可欠。熱中症に気をつけながら、東京第一布教区は二年連続全支部達成を実現しようと御指導された。


2012/7/20


寺報用原稿(七月号)

●編集後記

 「起きて見つ 寝て見つ 蚊帳の広さかな」(千代女)

 起きて見ても寝て見ても蚊帳(かや)が広いなあ、と直訳しても意味は分からない(文)。広く感じられるのは、これまで川の字で一緒に寝ていた夫と子供がいないからであり(義)、詠む心は最愛の二人に相次ぎ先立たれた女性の深い悲しみである(意)。

 一篇の俳句でも、文・義・意を踏まえなければ観賞できない。甚深の御法門を習う際は尚更である。

 故に宗開両祖は、「此の経は相伝に有らざれば知り難し」(一代聖教大意)、「何としても此の経の心をしれる僧に近づき弥(いよいよ)法の道理を聴聞して信心の歩を運ぶべし」(新池御書)、「当門流に於いては御抄を心肝に染め極理を師伝し」(日興遺戒置文)云々と再三御訓戒あそばされている。

 御書を読まない者ほど「御書直結」(創価学会)等と公言して憚(はばか)らないが、我々は御講、勉強会、御書講、夏期講習会等、御僧侶より正統の御法門を聴聞する機会を大切に、愈々の精進をして参りましょう。



●六月度広布推進会(四者対象、於常在寺)

 五月末で布教区の折伏誓願達成率は四九・九%であった。本修寺が目標百六十名を、妙證寺が目標二百二名を達成した。また、地方部長はその他の特筆事項として、法道院の月間折伏百三十四名と、本行寺青年部の誓願達成を挙げられた。

 石井副支院長は開会挨拶で、唱題を怠ると使命を忘れて傲慢になると述べられた。

 活動報告で、本修寺の地区長は、折伏第一位の地区との合同座談会を行い、所属地区も遅れを取り戻したと話した。妙證寺の婦人部班長は、舅の十七回忌で、反対してきた弟夫婦と妹夫婦が御授戒を受けたと述べ、嫁いでからの苦労と今の喜びを語った。常泉寺副講頭は二年間で十一名を折伏したと述べ、育成は相手をお寺に馴染ませる事だと語った。

 常在寺の阿部御住職は、「教主釈尊出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(崇峻天皇御書)の「振る舞い」とは不軽品二十四字の礼拝行であり、これは街頭折伏・訪問折伏の心構えである御指導された。

 芳賀支院長は閉会挨拶で、折伏も育成も次があると思わない真剣勝負だと述べられた。


2012/6/20


寺報用原稿(六月号)

●編集後記

 「一、寿量品の長行をバリバリ上げる。二、出来ない約束はしない。三、名前を呼ばれたら「はい」と元気よく返事(挨拶)をする。」

 たけの子会の三つのお約束を、今懐かしく思い出す。

 宿坊の勤行では、本行寺の子供達は大人の前に整列し、御経本も見ずに大きな声で読経・唱題するので、御住職様や他支部の方が目を丸くして驚かれ、それが子供心に誇らしかった。

 出来ない約束をしないとは、約束は守れなければ嘘(うそ)になってしまう。嘘には、有るものを無いという嘘と、無いものを有るという嘘があるが、後者はより悪質である。一番悪い嘘は謗法である。

 本行寺鼓笛隊は全国に先駆け昭和三十七年に発足、子供たちの躾(しつけ)と、大人たちの折伏を鼓舞する役割を果たしてきた。御妙判には「礼楽前に馳(は)せて真道後に啓(ひら)く」(開目鈔等)とある。

 自分もまた人の親となり今は子育ての真っ最中。本堂に集う子供達が、皆揃って広布の人材に育ちますように。



●五月度広布推進会(婦人部対象、於常泉寺)

 五月十二日昼、常泉寺で開催された。

 布教区の折伏は四月末で一千名を超え、達成率三十八%であった。

 活動報告として、本修寺の地区婦人部長は、年間目標三十名に対し毎月十名を背水の陣で達成し現在六十四名と述べた。妙證寺の副婦人部長は入信以来二十年、家族と自身の大病を全て折伏で乗り切り、今は生きる喜びで一杯だと語った。常泉寺の副婦人部長は、週一回の五時間唱題と月二回の十時間リレー唱題で街頭折伏に臨み、これまでに十四名を成就したと話した。

 地方部婦人部長は、街頭折伏には「三十分の法則」があり、人の流れは三十分で入れ替わるので、同じ場所でも三十分後には新たな折伏対象者が出てくると激励された。

 本修寺の菅原御住職は、折伏とは一切衆生救済の慈悲行であると同時に、自身の過去遠々刧の罪障を消滅する最高の仏道修行である。支部や地区の具体的な目標を意識し本堂の御宝前で唱題すれば、必ずや御本尊様が折伏するべき人を教えて下さると御指導された。


2012/5/20


寺報用原稿(五月号)

●編集後記

 「我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ」(開目抄下)

 右御文は日蓮大聖人の三大誓願と呼ばれ、柱・眼目・大船はそれぞれ主徳・師徳・親徳を示し、開目抄の結文である「日蓮は日本国の諸人に主師父母なり」(御書五七七頁)と対応する。

 ところが身延派等では、信心と国語力の著しい欠如により「日蓮は日本国の諸人に親しき父母なり」(録内)と誤読し人本尊の開顕を拝する事ができない。

 御相伝により日蓮大聖人を三徳兼備の御本仏と拝する我らが日蓮正宗総本山大石寺では、四月十日に大聖人御影堂の上棟式が執り行われ、明年十一月の落慶法要も準備が着々と進んでいる。

 この大功徳で、必ずや平成二十七年の法華講員五十%増、平成三十三年の法華講八十万人体制の確立は成し遂げられてゆくのですから、我々も御遺命の広布実現に向けて折伏成就を御本尊様に誓願して参りましょう。



●四月度広布推進会


2012/4/20


訃報

在家の方ではありますが、私にとって師匠のような方でした。

正護院惣徳日進大居士

謹んで御冥福をお祈り申し上げます。

昨年四月、肩骨折を機として総講頭を辞任され、自宅療養中は長年のお疲れを癒すかのようにお休みになられる事が多かったと伺っています。昨年末には一時飲食不能で衰弱し、余命年内との医師宣告でしたが、点滴で劇的に回復し法華講連語会結成五十周年に当たる本年を迎えられました。四月に検査入院をしましたが、本人の希望で御自宅に戻り、その間は孫達が代わる代わるマッサージなどをしていましたが、それが最期の一週間となり、普通のおじいちゃんという感じで臨終を迎えられました。

お通夜・お葬儀に全国から参列された人の数は知れませんが、初七日の御塔婆供養申し込みは四百本以上あり、常泉寺の所化さんも総出し徹夜で書き上げて下さったそうです。

御火葬では、綺麗に焼け残った喉仏(第二頸椎)に袈裟衣(第一頸椎?)を着せて、火葬場の方も珍しいので余程の善行を積まれた方ですねと仰ったそうです。また頭蓋骨の耳の穴も綺麗に残っており「耳根得道」を象徴しているようだったとの事でした。

なお、この生前戒名(大居士号)は御隠尊日顕上人猊下の御在職中に賜ったとのこと。

2012/4/29


寺報用原稿(四月号)

●編集後記

 「大地は厚けれども不孝の者をば載せず」(撰時鈔)

 『刑部左衛門尉女房御返事』(一五〇三頁)に示される釈尊と地神の問答によれば、大地を支える地神にとって不孝の者の住所は腰が折れるほどに重たく、その大地を投げ捨ててしまおうかとの瞋りを生じるため、不孝の者が住む大地は常に揺れ動くのだという。

 未曾有の大地震から一年が経った今も、東日本では大きな余震が頻発している。行方不明者数は未だに三千名を越え、原発・放射能の問題は解決の目処が立たない。また、首都圏では直下型地震も懸念されている。

 今我々が為すべき事は、国土に充満する謗法、特に最大の不孝である創価学会のニセ本尊を退治し、一刻も早く国土を浄化する事である。



●三月度広布推進会(青年部対象、於法道院)

 二月までの布教区の折伏は五四七名、達成率二〇・七%であった。

 石井副支院長は開会挨拶で、壮年部は要・柱・重鎮といわれるが、広宣流布を目指して「動く」壮年部でありたいと述べられた。

 活動報告で、本修寺の地区長は七年間、地区員の御講出席率三〇%を維持し、爆発的な折伏をしていると述べた。本行寺の板橋さんは、病床の父を折伏し切れなかった自身の不甲斐なさを懺悔して立ち上がり、真言宗の宿業を断ち切ると語った。常泉寺の地区主任は、度重なる訪問で正信会員の心が動いた経緯を話した。

 高野住職は布教区教師を代表して、信心があるから折伏をするのではなく、折伏をするから信心が燃え立つのだ。この信心はいつの世にか成仏する教えではなく、入信したての人が「私は信心をはじめました」と語り、それを折伏親や班長さんがサポートしていく異体同心の組織戦こそが仏の振る舞いだと御指導された。

2012/3/20


寺報用原稿(三月号)

●編集後記

 「なんでこんなに悲しい思いをしなければならないのですか?」(読売新聞二〇一一年四月二十三日国際欄)

 東日本大震災を体験した七歳の少女がイタリアの国営放送RAIに出演したローマ法王・ベネディクト十六世に質問をしたところ、その回答は「私も自問しており、答えはないかもしれませんが、神はあなたと共にあります」との趣旨であった。要するに、「分からない」との答えだ。

 そもそも全知全能の神が天地創造をしたのであれば、なぜ地震や津波が起きるのか。ローマ法王の曖昧模糊とした回答には、因果撥無の西洋外道の本質と限界が良く表われている。

 我々は、この情けないほど無責任な邪法邪師の邪義こそが人々の邪知邪見を増長させ、国土に三災七難を招いている事を明らかにし、真の仏国土建設に向けて邁進してまいりましょう。



●第二十七回地方部総会(常泉寺)  二月十九日(日)昼、常泉寺で開催された。

 体験発表で、本修寺の松岡さんは、第四子の心臓手術を機に、折伏以外に子供を助ける術は無いと悟り、昨年一家で四十二名を折伏成就したところ、東大病院の医師が「今の医学では説明がつかない」と驚くほど回復したと語った。常泉寺の佐藤さんは、創価学会から離れて、何も知らずに御本尊様だけを御持ちしている学会員が大勢いる。大震災翌日に一人を救う事が出来たと報告した。法道院の小川さんは、パニック症候群で十二年間近所しか歩けなかったが、熱心な友人に連れられて御授戒を受けてから驚くほど回復し、御登山にも三度目の挑戦で成功をした。入信してから八カ月で、家族を含め十二名の折伏が出来たと述べた。

 星野副委員長は祝辞で、足腰の強い講中の第一歩は家族の団結であり、朝一番早く勤行する人に家族全員が合わせるのが基本だと述べた。

 八木日照御尊能化は御祝辞で、現代の一凶たる創価学会への折伏を強調され、昨年大白法に掲載された破門二十年の特集記事や、宗門が発行するリーフレットをしっかり活用するよう御指導された。

 佐々木地方部長は、二年連続全支部折伏達成を合言葉に僧俗一致・異体同心で折伏に励み、芳賀支院長のもと全国一位を目指そうと決意を述べた。



●二月度広布推進会(青年部対象、於法道院)

 平成二十四年の布教区折伏誓願数は二、七一二名で、一月の入信者は三二九名であった。

 活動報告で、妙證寺の副地区長は、六年前に一世帯から始まった名古屋地区が、毎月執事様出席で座談会を開催し八十四名になった。自身も怪我を乗り越えスキーの世界選手権で好成績を残したと述べた。本行寺女子部の加藤班長は、眷族を巻き込んで職場後輩の折伏が叶った喜びを語った。法道院の学生部員は、学生部で志願して唱題会の導師マイクを勤めたところ、その功徳で青年部の成果百八名のうち二十八名を成就したと述べた。

 浅井地方部青年部長は、自由主義経済が個人主義化して破綻するのは必然で、正直を体とした慈悲こそが、誰もが納得できる心の世界標準であり、国の未来を変革する原動力だと述べた。

 妙国寺の斎藤御住職は、五時間唱題行を続ける中「一切を開く鍵は唱題行」との御指南が身に沁みた。昨年末は不思議な折伏成就が幾つもあったと御指導された。

 芳賀支院長は、閉会挨拶として法華講員から折伏の二字を取ったら法華講員ではないと述べられ、青年部の奮起を促した。

2012/2/20


寺報用原稿(二月号)

●編集後記

 「今は貧窮にして是の小灯を仏に供養す。来世はこの功徳をもって、一切衆生の垢闇を滅除する智慧を得せしめたまえ」(賢愚経)

 難陀は誓願を立てると、釈尊に小さな明かりを御供養申し上げしました。彼女はとても貧しかったので、自らの髪を売って、このわずかな油を買いました。この晩、強風が吹いて須達長者らのお供えした立派な灯火は全て消えてしまいましたが、貧女の真心の一灯だけは何時までも消えずに、仏前を照らし続けました。

 昨年末は、私達も総本山整備事業の特別御供養に真心から参加をさせていただきました。

 その功徳は、自行化他の志によってなお一層光り輝くのですから、本年も支部折伏誓願の早期達成に向けて愈々の精進をしてまいりましょう。



●一月度広布推進会(四者対象、於常泉寺)

 昨年の東京第一布教区は、折伏目標二、一八三名に対し入信者二、七六六名で、達成率は一二六・七パーセントだった。十二月三十日に法道院が六百名を完遂し、全支部が誓願を成就した。また、年末の特別御供養には約八千名が参加した。

 次に、十二支部代表が、誓願達成の喜びや、猊下様が新年の辞で御指南される「足腰の強い講中」の実現への決意を述べた。その中で法道院の副講頭は、誓願達成目前の十二月二十九日夕刻、二名の婦人部員が公園で身なりの整った紳士に声を掛け、「宗教は大嫌い」との答えにも怯まず手を取ってお寺にお連れしたところ、その方は、万策尽きて一時間後には命を絶つつもりだったと言って御授戒を受け、翌日からお寺に通っていると話した。

 法道院の八木御住職は、街頭やインターネットでの折伏により、縁の薄い方々も続々と入信してくる。そのような育成には講中で力を合わせて携わり、濃密なコミュニケーション心がけて欲しいと御指導された。

 芳賀支院長は、閉会挨拶で、昨年は四十八布教区中第五位の誓願達成率だったので、本年は全国一番を目指しましょうと述べられた。

2012/1/20


平成24年新春

 昨年は、年頭に壮年部へ上がって直ぐに長男が誕生し、初めての育児にてんやわんやのスタートだった。5月に御住職に呼ばれて寺報編集長を仰せつかり、最初は手際も悪く試行錯誤だったが、回を重ねる中で自然と形も定まってきたように思われる。仕事の方では某財団法人から委員を委嘱され、最年少の委員として貴重な経験を積ませていただくとともに、年末の特別御供養には当初計画以上の金額で参加させていただけたので、とても有り難かった。お陰様で長男も11カ月で走り回るようになり、出かける度に見知らぬ人からも愛嬌が良いと声を掛けられ、下種に繋がっている。本サイトの定期的な更新は時間的に困難になったが、メール等には対応させていただいている。

 本年は、元朝勤行に母がお連れした中国人の方9名が御授戒を受けられ、連年とは違った緊張感でスタートした。お寺様からは、中高生の育成に携わるようにとのお話があり、中長期的に腰を据えて取り組む覚悟が必要だ。仕事では大学三四年生向けの教科書の分担執筆を依頼されており、時間の遣り繰りが真剣勝負になってくる一年だ。

2012/1/2


寺報用原稿(一月号)

●一月号編集後記

 「別して一結講中異体同心、未来までも相離れ申すまじく候。中に於て一人地獄に落ち入り候はば、講中寄り合い候て救い取るべし。一人成仏せば、講中を手引きして霊山へ引導すべし。その後、北国中の同行乃至日本国中一閻浮提の一切衆生をも、救い取り申すべく候。衆生無辺誓願度と申すは是なり」(妙喜寺蔵)

 この御消息は総本山第三十一世日因上人が金沢法難渦中の信徒へ与えられたものです。「一結講中」の語をもって異体同心の大事を示され、広宣流布に向けて愈々邁進するよう御指南遊ばされています。

 本年は、各自が所属する地区の折伏目標達成に向けて精進するのは勿論ですが、大・中・小の全ての地区が誓願成就して支部全体の大勝利となりますように、御住職様のもと、講中一丸となって異体同心の御祈念をして参りましょう。



●十二月度広布推進会(四者対象、於本行寺)

 開会挨拶として石井副支院長は、信心で「分かり切った内容だ」等と思うのは邪見だと述べられた。また、妙因寺の誓願達成(五十五名)が紹介された。なお、全国では五八四支部のうち五〇五支部がこの日までに達成した。

 活動報告では、大護寺の講頭が、支部結成二十年目で初めて誓願を成就したと経緯を述べた。妙縁寺の婦人部員は、入信以来、家族や経済の問題を解決しながら、折伏成就した体験を話した。常泉寺の講頭は、婦人部を中心に粘り強いテント折伏で機運が高まり、八月の誓願成就以後は、年間目標を二度上方修正したと報告した。

 閉会挨拶として芳賀支院長は、震災後に宗教書籍の出版が増加し、新聞の調査でも、若者を含めて伝統宗教の重要性を感じる人が増えた。御法主上人猊下の下された御命題に時代が呼応し、多くの人々が救いを求めていると述べられ、日本を大きく変える時だと御指導された。

2011/12/19