志位・小池=支部・党員破壊犯罪者

 

日本共産党をトゥフタ政党化しつくした男

 

支部・党員破壊犯罪作戦10回目発令

9月15日〜2020年1月末=4カ月半

 

(宮地作成)

 〔目次〕

 1、トゥフタという概念と由来

   1、「党員拡大5カ年計画」という日本語

   2、スターリンが「5カ年計画」の裏側でやったこと

   3、「5カ年計画」が産み出した犯罪的な思想腐敗傾向=トゥフタ

   4、志位「5カ年計画・28万党員→50万党員」が党内に生産する思想腐敗傾向

 2、支部・党員破壊データ9回

 3、志位・小池は、9回データから「嘘と承知の過大拡大数」腐敗実態を認識していたか?

 4、志位・小池→支部・党員破壊犯罪作戦10回目発令(9月15日〜2020年1月末=4カ月半

 5、支部・党員の選択肢

   1、党費納入拒否

   2、赤旗購読中止、赤旗配達拒否

   3、離党通告、支部解党通告

 6、イタリア・フランスと日本の公表党員数と増減の違い

   1、イタリア・フランスと日本の公表党員数と増減の違い

   2、イタリア共産党と党員数減少報告

   3、フランス共産党と党員数減少報告

   4、日本共産党と党大会での一貫した党員数虚偽報告・党員騙し

 7、レーニン型共産党の末路−イタリア共産党・フランス共産党・日本共産党

   1、レーニン1917・10 梶川伸一 『レーニン時代の民衆支配』1991年崩壊

   2、イタリア共産党の経緯と末路

   3、フランス共産党の経緯と末路

   4、本共産党の経緯と末路

 

 〔関連ファイル〕          健一メニューに戻る

   第7回中央委員会総会/志位委員長のあいさつ

   第7回中央委員会総会決議/第28回党大会成功へ、強く大きな党を

   『党員数と党費収入総額とのアンバランス疑惑』

 

 1、トゥフタという概念と由来

 

 〔小目次〕

   1、「党員拡大5カ年計画」という日本語

   2、スターリンが「5カ年計画」の裏側でやったこと

   3、「5カ年計画」が産み出した犯罪的な思想腐敗傾向=トゥフタ

   4、志位「5カ年計画・28万党員→50万党員」が党内に生産する思想腐敗傾向

 

 1、「党員拡大5カ年計画」という日本語

 

 志位10中総報告「届け70.6%」により、2004年度党費納入率68.3%党費納入党員数約28万人が、ほぼ完璧に立証された。それを中間基準にして、志位和夫「50万党員拡大5カ年計画」の達成度を検討する。彼は、公安調査庁に筒抜けの情勢漏洩となる総務省への毎年報告によって、党員現勢が実質で28万人しかいないことを、明確に認識している。その現勢からみれば、「5カ年計画」達成の残りとは、+22万党員拡大計画である。

 

 そもそも、「党員拡大5カ年計画」という日本語を見たとき、私は、ギョッとした。とっさに、スターリンの3次に及ぶ「5カ年計画」とその功罪を想い出したからである。それに関する全体的評価はここでは書かないが、志位和夫は、この日本語を提起したとき、スターリンの社会主義計画経済の犯罪的な側面を、思い浮かべなかったのか。

 

 「5カ年計画」という日本語の共産党的語源としての関連から、やや脱線し、スターリン「5カ年計画」の裏側を考察する。というのも、ソ連崩壊前では、「5カ年計画」は、ソ連国家公表データによって、社会主義計画経済の積極的な側面が評価・宣伝されていた。

 

 しかし、ソ連崩壊後に暴露されたレーニン・スターリンの大量殺人・粛清犯罪データによって、「5カ年計画」の裏側にあったスターリン・ソ連共産党の犯罪と、空想的な誇大計画そのものが産み出したソ連国民・共産党員の思想的腐敗現象が、次々と立証された。また、ソ連国家が公表してきた目標達成統計数字も、多くの架空・ねつ造データを含み、その信憑性を失った。

 

 よって、私がギョッとしたのは、「5カ年計画」という共産党用語が、現在のロシアだけでなく、日本においても、忌むべき、否定的な意味を持つ反対語に転化していたからである。その用語を、志位和夫はあえて党大会決定として使うのかという驚きである。

 

 2、スターリンが「5カ年計画」の裏側でやったこと

 

 〔第1次「5カ年計画」−1928年から1932年〕

 その5年間、()社会主義工業化が急進展した裏側で起きたことは、()農業集団化に抵抗した農民大反乱と、()それにたいする「富農撲滅」名目での農民大虐殺・1000万人粛清だった。

 

 スターリンと共産党は、農民から収奪した穀物・家畜を飢餓輸出し、工業化資金を捻出した。ソ連崩壊後に発掘されたゲペウ記録において、1930年だけでも、14000件以上の「反コルホーズ農民反乱」が発生している。ロイ・メドヴェージェフは、1933年飢饉で600万人が死亡したとした。それは、第1次「5カ年計画」に基づいた、反乱農民飢餓殺人政策の結果だった。

 

 〔第2次「5カ年計画」−1933年から1938年

 まさに、その間の1937年から38年こそ、有名なスターリンの「大テロル」の時期だった。テロルの規模は、メドヴェージェフの推計で、()逮捕・流刑・強制収容所送り500万人から700万人()内死刑100万人と数不明の獄死者である。それは、秘密政治警察NKVDによる強制収容所産業用の囚人・奴隷労働者製造作戦にもよるスターリン・ソ連共産党の犯罪だった。

 

    塩川伸明『「スターリニズムの犠牲」の規模』ロイ・メドヴェージェフの粛清データ

    ニコラ・ヴェルト『ソ連における弾圧体制の犠牲者』飢饉で600万人死亡

    『「革命」作家ゴーリキーと「囚人」作家勝野金政』富農撲滅名目での農民大虐殺

 

 3、「5カ年計画」が産み出した犯罪的な思想腐敗傾向=トゥフタ

 

 「5カ年計画」は、()大粛清・大量殺人・囚人労働産業を伴っただけではない。()それは、必然的に、ソ連全国民とソ連共産党員とに深刻な思想腐敗を蔓延させた。その一つとして、有名な「トゥフタ」というロシア語がある。ジャック・ロッシ『ラーゲリ強制収容所注解事典』(恵雅堂出版、1996年)から、一部引用する。

 

 「トゥフタ−偽物、うそ、ごまかし、見せかけだけの仕事、公式の報告の中ではじめから嘘と承知の過大に見積もった指数。≪トゥフタ」という用語は1920年代半ば、ソロフキー監獄の刑事常習犯の使う言葉の中で初めて現れた。ここからトゥフタという言葉と制度はソ連邦の全ラーゲリに広がり、1930年代終わりには世界初の社会主義国の全土にわたるものとなる。

 

 ≪トゥフタ≫はTFT≫(重肉体労働の頭文字3字)に由来する。ソロフキー島の刑事常習犯はTFTのカテゴリーに入れられると、こう考えたのだろう:≪俺たちにTFTをやれっていうのかい? それならtefetaを見せてやろう!≫。後にトゥフタはこう解釈された:架空労働算出技術。トゥフタ隆盛の環境を生み出したのはレーニンである。トゥフタの誕生は論理的帰結にすぎなかった。生産の収益性と能率によってではなく、計画遂行の量的指標によって、指導職員の評価と報奨の原則があるからである」(P.209)

 

 トゥフタという思想腐敗現象を、世界最初に小説形式でリアルに告発したのは、ソルジェニーツィンの『イワン・デニーソヴィチの一日』である。全世界が、その実態に衝撃を受けた。彼は、()強制収容所内の腐敗実態描写・告発に留まらず、()ソ連国家・ソ連作家同盟の思想腐敗の実態「ウソによって成り立つ社会」規定し、()たった一人で、国家・共産党・KGBに立ち向かった。トップからウソをつき、真実を怖れる体質を持つブレジネフと共産党は、彼を逮捕し、西側追放にした。それは、創作活動の源であるロシアの大地から、作家を引き剥がすという、ソ連文学者たいするもっとも残酷な共産党式生殺し処刑だった。

 

    『ソルジェニーツィンのたたかい、西側追放事件』

    ソルジェニーツィン『収容所群島』第2章、わが下水道の歴史

    ソルジェニーツィン『収容所群島』第3章、審理・32種類の拷問

 

 よって、ソ連崩壊後において、「5カ年計画」という共産党使用語は、「スターリンの犯罪、および、誇大計画とウソの統計、思想腐敗現象」と同義語になっている。現在のロシアにおいて、この言葉を口にすれば、たちどころに、「ペッペッ!」という、唾を吐きかける意味の、軽蔑と敵意に満ちた言葉が返ってくる。

 

 4、志位「5カ年計画・28万党員→50万党員」が党内に生産する思想腐敗傾向

 

 彼の「党員拡大5カ年計画」の目標達成期限は、2005年11月である。拡大運動の残り期間は、第23回大会以後で、1年10カ月間である。残り拡大数字は、党費納入28万党員→+22万党員ある。これを達成できると思う専従・党員は、一人もいないであろう。そもそも、彼が発案・提起した2000年11月第22回大会においても、党費納入党員は、〔第三帳簿〕によれば、265269人だった。それを「5カ年計画」で、50万人にせよという発想は、どういう思考スタイル・人格なら出てくるのか。これほど空想的な5年期限つき目標を掲げたことは、日本共産党史上、空前絶後の出来事である。

 

 不破・志位・市田らは、〔第三帳簿〕によって、党費納入党員数28万人実態を熟知している。専従・支部LCも、各組織における党費納入率と長期未結集・行方不明の幽霊党員の実態と比率を、もっと具体的に知っている。よって、志位和夫の達成不可能な空想的「5カ年計画」は、スターリンの「5カ年計画」と同じく、21世紀日本共産党版「トゥフタ」を、(1)党本部専従・赤旗記者・国会議員秘書800人()47都道府県・315地区の中間機関専従3200人()24000支部LC10万人(4)LCを除く党費納入党員18万人の思想傾向の中に、じわじわと熟成せる。

 

 

 2、支部・党員破壊データ9回

 

(表1)地区委員≒支部長1.5万人の参加拒絶数・率

 

HN拡大成果は、ほとんどが地区委員=支部長によるもの

 

減紙率=賽の河原の石積み運動後5カ月間の減紙÷HN拡大数

 

時期−公表地区数315

HN拡大数

成果地区委員数

参加拒絶地区委員

拒絶率

5カ月間減紙

減紙率

根拠

1

11年7月4日〜12年9月、拡大運動連続15カ月間

4354

ほぼ全員0

15000

100%?

30748

5

2

13年9月〜12月党大会前14年1月、5カ月間

15031

15031以下

0

0%?

34748

231.1

7

3

14年5月15日〜7月末、2カ月半

12410

12410以下

2590

17.2

19583

157.8

8

4

総選挙直前14年11月1カ月間

3607

3607以下

11393

75.9

6561

181.9

8

なし

15年4月統一地方選前2月1カ月間

5224

5224以下

9776

65.1

40769

780.4

9

5

15年610日〜9月末、3カ月間半

13045

13045以下

1955

13,0

14756

113.1

 

5中総

6411日〜710日、3カ月間参院選

9145

9145以下

5855

39.0

42489

464.6

10

6中総

6921日〜171月末、4カ月10日間党大会

10029

10029以下

4971

33.1

22532

224.6

11

4中総

8611日〜9月末、3カ月間半

7535

7535以下

7465

49.7

17118

227.1

13

9回計

39カ月間

71672

56672以下

59005

52.0

229624

320.3

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7中総

19915日〜201月末、4カ月15日間

202011428回党大会

143

不可能!

 

 

 

 

 

 

地方議員・候補者以外の一般党員は、ほぼ全員が賽の河原の石積み運動参加拒絶

第2回減紙数は4カ月間数値、第3回減紙数は、5カ月間数値。5中総は2カ月間数値

8回中、拡大最大数は、第2回15031部→4カ月間減紙34748部・減紙率231.1

 

「拡大月間」939カ月間で、HN拡大数716725カ月間減紙229624→差引157952

「拡大月間」方式の全面破綻→志位・小池は無総括・結果隠蔽=組織・党員破壊犯罪トップ

 

 1回・11年7月4日〜12年9月、拡大運動連続15カ月間・HN減紙4354の位置づけ=志位・小池・不破による支部・党員破壊犯罪への変質

 志位は、「大運動」を提起した。それは、コミンテルン型共産党創立90周年記念として、党勢拡大を連続12カ月間やれという指令だった。この連続期間そのものが、狂気の沙汰だった。宮本顕治は、1958年第7回大会以降、党勢拡大運動を数十回〜百回前後指令してきた。不破・志位もそれを継承した。しかし、その運動期間は、2〜3カ月間だけだった。

 

 運動の最初から12カ月間連続党勢拡大運動を設定したのは、党史上初めてだった。党勢拡大期間は、党活動を一本足に矮小化する。それ以上の期間を命令すれば、支部・党員破壊家庭破壊を引き起こした。共産党系ベルト団体活動も停滞し、崩壊していった。

 

    前代未聞2=11年7月4日〜15カ月連続拡大運動期間』

    『前代未聞2つ−15カ月間でも減紙結果、拡大運動期間の狂気的長さ』

 

 「大運動」12カ月期間が終わりに近づいても、大量減紙が続発した。そのままなら、「大運動」を命令しても、大量減紙結果になることが明白になった。なんとか、その悲惨結果を回避できないか。宮本・不破・志位は、1958年第7回大会以降、「党勢拡大運動」を数十回〜百回前後指令してきた。期間後にいつも大量減紙は発生した。しかし、その期間が大量減紙結果で終わったケースは一度もなかった

 

 「90周年記念大運動」が、大量減紙結果に終われば、前代未聞データになる。それどころか、有権者は、資本主義世界最後の生き残り赤色生命体の病状が、回復見込みのないステージに転落した真相を悟る。

 

 とりあえず、「大運動」期間を2カ月間延長するしかない。赤色生命体の死を少しでも先送りしよう。その延命治療方法は、党勢拡大期間延長しか残されていない。ただ、党中央が自ら、数十回〜百回前後の「党勢拡大運動」期間延長を指令したことは、かつてなかった

 

 拡大目標未達成名目で、中間機関が自主的に延長したとするカムフラージュ手口は、数十回使った。しかし、党中央自身が、延長を決定し、命令したのは、これまた前代未聞だった。しかし、いかなる延命治療方法でも使おう。ただし、「延長」という日本語を使わない。→「特別期間」と命名する。

 

    『党勢拡大12カ月間「大運動」と2カ月間「特別期間」結果』

 

 「90周年記念党勢拡大大運動」期間は、結局、11年7月〜12年7月までの13カ月間+「特別期間」2カ月間=15カ月間になってしまった。しかし、赤旗HNは、大量減紙結果になった。その原因を総括することもできない。減紙部数だけは公表せざるをえない。そして、総括に頬かむりしたままで、さらに、「総選挙躍進大運動」と新規名による「党勢拡大大運動」継続するしかない。

 

    12年10月14日5中総志位報告の特徴と党勢拡大結果

      1、13カ月連続党勢拡大「大運動」+延長8・9月結果データ・総括 (表1)

      2、前代未聞2つ−15カ月間でも減紙結果、拡大運動期間の狂気的長さ

      3、15カ月間連続大運動の性質=狂気の沙汰3つ

 

 支部長1万5千人中参加7465参加率50.3=参加拒否率49.7。約半数の支部長か゜「拡大月間」への参加を拒否している。

 

 

 3、志位・小池は、9回データから「嘘と承知の過大拡大数」腐敗実態を認識していたか?

 

 ジャック・ロッシ『ラーゲリ強制収容所注解事典』(恵雅堂出版、1996年)から、一部引用する。

 「トゥフタ−偽物、うそ、ごまかし、見せかけだけの仕事、公式の報告の中ではじめから嘘と承知の過大に見積もった指数。≪トゥフタ」という用語は1920年代半ば、ソロフキー監獄の刑事常習犯の使う言葉の中で初めて現れた。ここからトゥフタという言葉と制度はソ連邦の全ラーゲリに広がり、1930年代終わりには世界初の社会主義国の全土にわたるものとなる。

 

 ≪トゥフタ≫はTFT≫(重肉体労働の頭文字3字)に由来する。ソロフキー島の刑事常習犯はTFTのカテゴリーに入れられると、こう考えたのだろう:≪俺たちにTFTをやれっていうのかい? それならtefetaを見せてやろう!≫。後にトゥフタはこう解釈された:架空労働算出技術。トゥフタ隆盛の環境を生み出したのはレーニンである。トゥフタの誕生は論理的帰結にすぎなかった。生産の収益性と能率によってではなく、計画遂行の量的指標によって、指導職員の評価と報奨の原則があるからである」(P.209)

 

 腐敗実態

 (1)、9回目で、党費納入党員数23万人中、拡大成果党員数は、7535以下・3.2しかいない。党員数の96.8が、志位・小池命令を拒絶した。

 (2)、5カ月間減紙は、17118部・227.1にもなった。それらの数値は、7535人による「嘘と承知の過大拡大数」だったといえよう。

 (3)、9回5カ月間で、HN拡大数716723.2→減紙数229624部・320.3にもなった。このデータは嘘の過大拡大数」であるとともに、「新規の拡大対象者がほぼ皆無」になっていることを推定させる。

 (4)、拡大成果党員7535以下・3.2は、新規の拡大対象者が皆無」なので、元読者に短期購読を頼み込むか、自腹購読、または、架空の拡大申請をした。「拡大月間」が過ぎると、「嘘の拡大数」を含め、それをはるかに上回る「229624部・320.3の減紙申請を出した。」

 

 志位・小池は、9回データを通し、「嘘と承知の過大拡大数」腐敗実態を当然ながら認識していた。そこでは、47都道府県委員長と315地区委員長が「71672の拡大申請」をした。彼らは、「拡大月間」後「229624部・320.3の減紙申請を出した。

 

 志位・小池だけでなく、47人と315人も腐敗実態を認識していた。日本共産党幹部全員が腐敗した。彼ら全員が、支部・党員破壊の犯罪者になった。志位・小池+47人と315人で、日本共産党をトゥフト政党化にする破壊犯罪をした。

 

 

 4、志位・小池→支部・党員破壊犯罪作戦10回目発令

 

   第7回中央委員会総会/志位委員長のあいさつ

   第7回中央委員会総会決議/第28回党大会成功へ、強く大きな党を(28回党大会2020年1月14日

 『7中総決議3、「第28回党大会成功をめざす党勢拡大大運動」を呼びかける。(9月15日〜2020年1月末=4カ月半

 参院選をたたかった党勢は、前回参院選時比で党員93・9%、日刊紙88・9%、日曜版86・7%であった。「持てる力の総発揮」という点でも、6中総決定の討議・具体化支部は83・6%、読了党員は3割強にとどまった。

 

 第7回中央委員会総会として、第28回党大会の成功をめざして、党勢拡大に思いきって集中して、あらゆる力をそそぐ大運動――「第28回党大会成功をめざす党勢拡大大運動」にとりくむことを呼びかける。期間は、党大会を開く1月末までの4カ月半とする。

 

 (1)党員拡大では、すべての都道府県・地区委員会が、第27回党大会時の党員現勢を回復・突破することを目標とする。(党員31→2831万人に回復

 第27回党大会以降、新しい党員を迎えた支部は34・0%にとどまっている。

 

 (2)「しんぶん赤旗」読者拡大では、すべての都道府県・地区委員会、支部・グループが、毎月、日刊紙、日曜版とも増勢し、第27回党大会時を回復・突破することを目標とする。全党的には日刊紙で2万3千人以上、日曜版で12万人以上の増勢に挑戦する。(HN14万3千人以上増勢

 わが党は、1980年ごろを境に、党勢の後退を余儀なくされてきた。

 

(表12181月〜12の赤旗公表毎月HN増減パターン

 

1

2

3

4

5

6

7

8

9

10

11

12

年計

HN

3783

1416

8346

1872

2188

830

2790

51

3966

6682

2172

10717

27298

536

310

431

482

482

66

306

31

503

1875

484

722

 

3247

1106

7915

1390

1706

764

2484

20

3463

4807

1678

9995

 

電子

 

 

 

 

 

 

1706

206

116

137

68

 

 

年計

3783

5199

13114

14986

17174

16344

11848

11693

7727

14409

16581

27298

 

衆後

124477

125893

134239

16858

19046

18216

13720

13565

9599

16281

18453

29170

 

 

(表13191月〜12の赤旗公表毎月HN増減パターン

 

 

1

2

3

4

5

6

7

8

9

10

11

12

年計

HN

2850

5303

11400

沈黙

沈黙

2416

沈黙

沈黙

194

 

 

 

 

450

412

1400

沈黙

沈黙

605

沈黙

沈黙

186

 

 

 

 

2400

4891

10000

沈黙

沈黙

1811

沈黙

沈黙

9

 

 

 

 

年計

2850

2453

8947

 

 

6531

 

 

6337

 

 

 

 

衆後

32020

29567

40967

 

 

38551

 

 

38357

 

 

 

 

6714年衆院選後12113551712月末36カ月間計120694部減

141月第26回大会HN124.11612月末約113万部=3年間で11.1万部減!

赤旗電子版は、別枠計算→2019年部数掲載なし?

〔原因5〕、21.5万党員・1.5万地区委員の賽の河原の石積み運動参加拒絶率激増

 

過去7年間の赤旗HN部数の連続大量減紙データ

 

7年間で赤旗HN部数が増えた年度は皆無

 

HN

(表5)11年度

(表6)12年度

(表7)13年度

(表8)14年度

(表9)15年度

(表10)16年度

(表11)17年度

(表12)8年度

8年間累計

年間結果

53万部減?

27051

33452

41921

32161

31034

46222

27298

292139

(表5) 11年度は推計 (表11)17年度は11月末までの合計

志位は、これらの長期データを隠蔽し、公表したことがない。

 

 

 5、支部・党員の選択肢

 

 〔小目次〕

  1、党費納入拒否

  2、赤旗購読中止、赤旗配達拒否

  3、離党通告、支部解党通告

 

 選択肢として、中間機関や党中央にたいする批判的「意見書」提出の手段はある。しかし、「受領書」だけが来るか、完全な無視になる。もっとも、赤旗拡大に積極的提案の「意見書」提出ならば、きちんと「賛同する返事」が来る。

 

 志位・小池・不破らは、「民主集中制」=democratic centralismを放棄することを絶対にしない。レーニンが創作した党内民主主義を抑圧・破壊し続ける犯罪規約は、彼らにとって最大の自己保身武器であるからである。イタリア共産党・フランス共産党は、1991年・ソ連崩壊後、まずレーニン批判をし、具体的に党内犯罪ケースを挙げ、自己批判をした。同時に、「官僚主義的中央集権制」に腐敗したdemocratic centralism放棄を宣言した。それによって、党中央にたいする批判が噴出し、大量の党員が犯罪規約政党から続々と離脱した。

 

 志位・小池・不破らが、レーニンの党内犯罪規約の放棄宣言をしたら、イタリア共産党・フランス共産党と同じ崩壊現象が頻発し、日本共産党そのものが消滅する。かつて、宮本・不破の論文を雑誌などで批判した学者党員ら3人がいた。宮本・不破は、「党外で異論を公表した」とし、3人を査問し、除名か除籍で党外排除した。赤旗拡大のやり方を批判した「意見書」を出した党員多数をすべて査問し、除名か除籍で党外排除した。

 

 そもそも、志位・小池発令の9回「拡大月間」結果データを体験した支部・党員で、4カ月半第27回党大会時を回復・突破することを目標=全党的には日刊紙で2万3千人以上、日曜版で12万人以上の増勢HN14万3千人以上増勢)が可能と思う支部・者は絶無であろう。

    支部・党員破壊データ9回

 

 とりあえず、47都道府県委員会総会、315地区委員会総会が開かれている。中間機関トップは、4カ月半でHN14万3千人以上増勢の目標を提示する。47都道府県×平均50委員=2350人+315地区×平均30委員=9450人は、回復・突破目標達成を絶対不可能と確信しても、全員が賛成の挙手を挙げる。反対・批判意見を言う委員は一人も出ない。志位・小池は、全国集計し、想定通りと喜ぶ。あとは、日報・週報・月報で「お前が自主的に決定した数値をやり切れ」と尻を引っ叩くだけである。

 

 かくして、支部・党員破壊作戦10回目・4カ月半がスムーズにスタートした。志位・小池は、日本共産党幹部全員をトゥフト党員化犯罪の首謀者として振舞う。これを「トップが仕掛ける支部・党員破壊犯罪」以外の規定があろうか。

 

 党費納入党員23 万人→実質15万人はどの選択肢に行くのか。

 

 1、党費納入拒否

 拒否の届けはいらない。支部の財政係ら通告するか、沈黙のまま拒否するだけですむ。

 

 2、赤旗購読中止、赤旗配達拒否

 これも、支部の機関紙係に通告するだけですむ。

 

 3、離党通告、支部解党通告

 これも、支部担当の地区専従に通告すればよい。ただ、支部解党通告のケースて゜は、地区委員長が説得に来るが、通告態度を堅持すれば、地区委員長や専従も打つ手がない。

 

 党内民主主義を抑圧・破壊し続ける政党から離脱をする動機はさまざまである。マルクス・レーニン主義を真理とし、宮本・不破・志位らを尊敬し続ける思考停止羊化した党員もまだいる。疑問を高め、不結集になり、自然離党になる党員も多い。批判・疑問を抱いても、「共産党しかない」と留まる人もいる。

 

 批判・異論を出して、幹部からの対応に違和感を秘めた党員多い。反民主主義の共産党体験をした党員たちは離脱する。ただ、(宮地)のレベルような「共産党体験者」は少ないと思われる。私は、その特異な体験から「宮本・不破・志位、日本共産党幹部全員は、反民主主義者であり、自己保身だけの犯罪者」と規定している。

 

    『日本共産党との裁判』愛知県党における支部・党員破壊実態

 

    志位和夫粛清で出世した男 不破哲三党資金毎年横領常幹 本顕治顕治・百合子疑惑

 

 どの人間も自己保身心情を抱えている。自己保身といっても、いろいろな種類やレベルがある。ひとつの分類として、(1)他人を傷つけたり、不当に排除・破壊するタイプと、(2)他者と関係なく、自分だけの保身がある。

 

 志位・小池・不破の自己保身タイプは、組織内下部の支部・党員を破壊してでも、自己の党内地位・権威を守り、高めることを最優先する犯罪的レベル思考である。現在のテンポで赤旗HN部数が激減し続ければ、支部・党員からの批判が噴出し、地位・権威が崩壊し、追放されるかもしれないとの恐怖に慄いている。Democratic centralismを放棄すれば、最高幹部から追い出されると怯える臆病者である。

 

 レーニン・スターリンこそは、大嘘つき・大量殺人犯罪の心底に抱えた20世紀最悪の自己保身者であり、臆病者だった。

   2、レーニン1917・10 3、レーニン1918、19 4、レーニン1920、21 5、レーニン1922

   6、『レーニン時代の民衆支配』 7、 『国家と革命』 8、スターリン 『オーウェルにおける革命権力と共産党』

 

 

 6、イタリア・フランスと日本の公表党員数と増減の違い

 

〔小目次〕

   1、イタリア・フランスと日本の公表党員数と増減の違い

   2、イタリア共産党と党員数減少報告

   3、フランス共産党と党員数減少報告

   4、日本共産党と党大会での一貫した党員数虚偽報告・党員騙し

 

 1、イタリア・フランスと日本の公表党員数と増減の違い

 

 党員数報告のやり方は、イタリア共産党・フランス共産党・日本共産党でまるで違う。3党における決定的な違いは、()党費納入党員数=党員登録者数だけによる公表か、それとも、()党費納入拒否・党内離脱党員を含めた在籍党員数かである。()イタリア・フランス共産党は、当然ながら、党費納入党員数=毎年の党員登録数で公表してきた。()日本共産党の公表データは、党費納入党員数を隠蔽し、離党拒絶対応→党費納入拒否・党内離脱党員を含めた在籍党員数である。

 

(2) イタリア・フランスと日本の公表党員数と増減の違い

 

3党の年度は、黒太字を基準年とする減少数・増加数比較のためずれる

 

イタリア共産党

フランス共産党

日本共産党

党員登録者数

党費納入党員

差引

累積減少

党員登録者数

党費納入党員

差引

累積減少

党大会公表数

差引

累積増加

47

2252916

1979

760864

1980

440000

71

1510502

82

480000

76

1814317

96

274000

85

480000

77

1814154

163

97

87

490000

最高

78

1790450

23867

98

210000

64000

1990

480000

79

1759295

55022

99

183878

90122

1980

1751323

62994

2000

1994

60000

最低

81

1714052

100265

01

138756

135244

82

1673751

140566

02

97

370000

10000

83

1635264

179053

03

133200

140800

84

1619940

194377

04

125000

149000

2000

386517

26517

85

1595668

218649

05

86

1551576

264741

06

134000

140000

04

403793

43793

87

1508140

306177

06

404299

44299

88

1462281

352035

10

100000

2010

406000

46000

89

1421230

393087

2017

310000

96000

1990

1319905

494412

19

50000

755864

2019

30000

106000

91

共産党崩壊→

左翼民主党

→民主党

党名変更検討

93.4%離党

2020.1

28党大会

2019

28万人

 

 2、イタリア共産党と党員数減少報告

 

 党員数データは、『ウニタ』紙1991年1月31日が出所である。イタリア共産党での党員数減少は、1976年〜90年で、党員数−494412人・党員減少率−27.2%だった。党員減少数とは、新規登録者数との差引数字である。このデータは、後房雄『大転換−イタリア共産党から左翼民主党へ』(P.34)に載っている。

 

 1986年以降、差引の党員数減少テンポが急上昇した。1989年から91年にかけての東欧・ソ連10カ国と前衛党いっせい崩壊と、それらコミンテルン型前衛党犯罪情報の大陸地続き大津波で、()ユーロコミュニズム運動もドミノ的に破綻し、()イタリア共産党も崩壊し、1991年、左翼民主党に大転換した。大転換とは、ユーロコミュニズム運動でも党員数が激減し続け、そこからの必死の生き残り・脱出策だった。さらに、「左翼」も削除し、ただの「民主党」にした。

 

    『コミンテルン型共産主義運動の現状』ヨーロッパでの終焉とアジアでの生き残り

    『イタリア左翼民主党の規約を読む』添付・左翼民主党規約

 

 3、フランス共産党と党員数減少報告

 

 党員数は、党費納入党員数=党員証交付数ほぼ毎年公表する。雑誌『労働運動研究』(労働運動研究所)に掲載された数編の論文で判明した『ユマニテ』紙データだけを載せた。1979年76万864人から、2006年までで、党員62万6864人・81.6がフランス共産党から離党した。18.4%党員しか残っていない。

 

 フランスも、イタリアと同じだった。フランス共産党は、()プロレタリア独裁理論放棄()レーニンの民主主義的中央集権制・分派禁止規定を犯罪的組織原則だった認定し、放棄した。()ソ連崩壊後は、マルクス主義理論も誤りだったとして放棄宣言をした。しかし、()共産党名だけは残している。レーニンの犯罪理論・大量殺人犯罪データを批判し、様々な党改革をしてきた。しかし、国政選挙・機関紙・党財政・党員数どは、日本共産党以上のテンポじり貧的瓦解をしている。

 

 4、日本共産党と党大会での一貫した党員数虚偽報告・党員騙し

 

 日本共産党も、当然ながら、毎年、党費納入党員にたいしてだけ党員証交付をしている。党大会は、1961年第8回大会から2010年第25回大会まで満場一致50年史を継続してきた。反対0・保留0・賛成約1000人で、賛成代議員全員は手に党員証を高く掲げた

 

 代議員の選出基準は、47都道府県委員会にたいし、党大会公表党員数でなく、党員証交付数で割り当てられる。2010年第25回大会の47都道府県委員会にたいする代議員数割当基準は、党員証交付数約25万人の内、約250人に一人である。その結果が、第25回大会代議員数1060人になった。

 

 日本共産党の1994年党大会党員報告数36万人は、東欧・ソ連10カ国いっせい崩壊を原因とする大量離党による。この時点では、党機関自体も崩壊ショックから離党拒絶をしなかった。しかし、12万人もの党員数激減は、それだけでなく、1990年11月、党中央がそれまでの「実態のない党員の解決」を提起し、この際、除籍したことも原因である。宮本・不破は、日本共産党のドミノ的崩壊の恐怖に捉われ、それ以前にもまして完璧な離党拒絶路線に大転換した。

 

 それ以降、16年間の党員数は一貫して「増えている」という党大会報告になっている。差引増減は、最低党員数1994年からの累積増加数値である。党大会代議員らは、2〜4年に1回だけ報告される()「増えている」党員数にたいし満場一致で承認してきた。

 

 ()、イタリア共産党・フランス共産党の場合、党員数とは党費納入党員数・毎年更新される党員登録者数完全に一致している。 ()、ところが、日本共産党の場合、党大会公表党員数は、党費納入党員数・党員証交付数不一致である。不一致どころか、志位報告のように37%の党費納入拒否党員数積み増しにしていく虚偽数値である。ただし、総務省にたいする政治資金報告書においてのみ、日本共産党は、党費納入年間延党員数を報告してきた。共産党HPは、それを意図的に隠蔽している。

 

 イタリア・フランス・日本共産党という3党の党員数は、比較年度にずれがあり、単純には比べられない。しかし、これらの増減数値()を見るだけでも、ウソつき宮本・不破・志位党員騙しの党内犯罪史は明白である。志位・市田・不破ら自己保身トップが、党員に公表するのは、2〜4年に1回の党大会におけるこの虚偽数値しかない。

 

 そこで赤い疑惑が生まれる。志位和夫の党大会時点の党員数報告と、総務省にたいする政治資金報告書の1カ月平均党員数・党費収入額とのアンバランス度合に関する疑惑である。党費収入額は、共産党HP額と総務省額とが一致している。

 

(3)2000年と17年−18年間の比較データ

 

党大会志位報告

総務省政治資金報告書

党大会

党員数

1カ月平均党員数

党費収入

差引

%・党員数真相

2000

22大会

386517

266871

13.2

2008

24大会2年後

404299

257402

9.1

4.1

68.9%、183874

2010

25大会

406000

2017

27大会

310000

226243

6.2

7.0

 

20199

7中総

280000

 

 

 

 

2020

28大会

310000

 

 

 

 

 

 この()データをどう読み取るか。党費収入は、18年間で、13.2億円→6.2億円へと7.0億円も減り46.9%に激減した。党員一人当りの党費納入額が、18年間46.9%に減ることは、私の共産党専従体験から見てもありえない。若干のずれかあるとしても、党費収入総額は、党費納入党員数にほぼ比例する。

 

 政治資金報告書は、金額面で虚偽記載をすれば、「資金法律」なので罰則規定がある。一方、年間延党員数で虚偽記載をしても、法律違反だが、罰則がない。そこから、党費収入総額08年度9.1億円真実と判断できる。年間延党員数→1カ月平均党員数は虚偽報告の可能性がある。それが真相なら、日本共産党というトップ自己保身政党は、党員騙しだけでなく、総務省騙し・法律違反の驚くべきペテン政党になる。

 

 イタリア共産党・フランス共産党は、毎年、『ウニタ』『ユマニテ』で党費納入党員数=党員登録数を公表してきた。党費納入をしない者は、共産党員としてその年度登録されない。当然のことだが、それを党員数に数えることはない。これが世界の全政党の常識である。

 

 日本共産党は、党員数を2〜4年に一度だけの党大会でしか公表しない。志位和夫は、2007年9月5中総において、日本共産党史上初めて、委員長として党費納入率63.0%と報告した。これは政党の常識から外れて、党費納入拒否者37.0%党員として数え続けるシステムでいることの自白をしたことになる。このシステム堅持政党の性質は何か。それは、離党拒絶政党であり、さらには、組織離脱を許さない暴力団的システム・カルト宗教団体的政党に類似する反民主主義政党である。

 

 

 7、、レーニン型共産党の末路−イタリア共産党・フランス共産党・日本共産党

 

 〔小目次〕

   1、レーニン1917・10 梶川伸一 『レーニン時代の民衆支配』

   2、イタリア共産党の経緯と末路

   3、フランス共産党の経緯と末路

   4、日本共産党の経緯と末路

 

 1、レーニン1917・10 梶川伸一 『レーニン時代の民衆支配』

 

 2、イタリア共産党の経緯と末路

 

 各共産党で、その段階も、崩壊形態も様々であるが、レーニン主義の放棄には一定の、共通した段階がある。

 第1段階、レーニンの革命戦略・戦術論、および国家論を最初に放棄

 まず暴力革命、武装蜂起を完全に放棄し、平和移行路線に転換した。これは、マルクス、レーニンが例外的なケースとしてその可能性を言及していた。それにしても、革命基本路線上の戦略・戦術転換である。「敵の出方論」は、暴力革命路線の一つだが、それも完全放棄した。

 その放棄は、同時に議会を通じての革命として、ブルジョア議会主義=ブルジョア民主主義を認めるものだった。レーニンのプロレタリア民主主義優位性論を全面否定し、プロレタリアート独裁理論、レーニンの国家論の放棄に連なるものとなった。

 この革命路線上でのレーニン主義の放棄は、1970年代にほとんどのヨーロッパの党で行われた。プロレタリアート独裁理論は、ポルトガル共産党が最初に放棄した。フランス共産党は1976年第22回大会で放棄した。21世紀現在において、一定の政治勢力をもつ資本主義国共産党の中で、「敵の出方論」を隠蔽・堅持し、かつ、プロレタリアート独裁理論を「プロレタリアート執権」訳語→「労働者階級の権力」→削除・隠蔽に変更して公然と堅持しているのは、日本共産党だけになった。

 第2段階、前衛党組織論の放棄へ必然的に進展

 レーニンの前衛党組織論、なかでも暴力革命、武装蜂起による権力奪取路線に不可分な組織原則としての民主主義的中央集権制=事実上の軍事的集権制については、暴力革命路線を放棄する以上、その組織原則も大転換させるのは当然の成り行きだった。

 そこで時期は様々ながら、民主主義的中央集権制=Democratic Centralismの放棄が、各党でなされた。1989年イタリア共産党、1991年スペイン共産党、1995年フランス共産党が、「その組織原則は、党内民主主義を抑圧した。根本的な誤りだった」と明確な事実認定をし、それを次々と放棄した。最初の第1段階が、東欧革命の前の1970年代に行われたのに対し、この段階は東欧革命の影響を直接的に受けた時期のものである。

 21世紀現在、一定の政治勢力をもつ資本主義国共産党の中で、民主主義的中央集権制を堅持しているのは、日本共産党とポルトガル共産党の2党だけになっている。

 第3段階、コミンテルン型共産主義そのものの放棄としての解党、転換、党分裂

 ただし、民主主義的中央集権制の放棄を経ずに、解党になった党もある。かくして現時点では、イギリス、オランダ、ベルギー、イタリアでは、いわゆるレーニン主義型共産党はない。スペイン、フランスに共産党があり、イタリアに共産主義再建党はある。しかし、いずれも民主主義的中央集権制を放棄している。それは、レーニンが断定した「共産党であるかどうかの試金石」を廃棄したことを意味する。よって、これら3党も、もはやレーニン主義型共産党ではない。ポルトガル、アイルランド2国にDemocratic Centralism型共産党が残っているだけである。

1976年、大会で「プロレタリア独裁」の用語を放棄した。

1986年、「そのたびごとに決定される多数派の立場とは異なる立場を公然たる形においても保持し、主張する権利」の規定を行う。
1989年、第18回大会、民主主義的中央集権制を放棄し、分派禁止規定を削除
た。
1991年、第21回大会、左翼民主党に転換した。同年12月、少数派が共産主義再建党を結成した。
1996年、総選挙で中道左派連合政権が誕生した。左翼民主党21%、共産主義再建党8.6%の得票率で、「オリーブの木」全体では、319議席を獲得した。
1997年、第2回党大会における党員数は68万人で、このうち女性党員が28.5%を占める。

       その後、左翼民主党→民主党に転換した。

 

    『イタリア左翼民主党の規約を読む』左翼民主党規約の全文添付

  第4、民主主義的中央集権制と断絶→指導部統制の原理と多元主義

 第4に、民主主義的中央集権制と断絶し、かつその本質的側面としての一枚岩主義否定し、指導部統制の原理と多元主義を承認した。

 前文では「指導者主義的ではなく、寡頭制的ではなく、上部主導的ではなく、諸潮流へ結晶化していない政党であることを望む」とした。従来の指導原理と指導実態を4点に分析し、その否定を明確にした。そして「多元主義で民主主義的な党、自らの内部分岐や相違を価値、資源として生きる党、外部に対して開かれた党であることを望む」、「政治的決定における多数決の規則はさまざまな政治的、文化的立場の自律的な形態や手段をも含む多元主義の完全な承認を基礎とする」として多元主義を公然と承認した。

 民主主義的中央集権制および分派禁止規定放棄は、そこにさまざまな側面をふくんでいる。 後の規約条文でも触れる権利義務条項でも決定的な転換内容をもっている。ここではその権利義務条項以外の2つの点を触れておきたい。

 1中央集権制を否定し、指導部統制という原理を導入

 オッケットは次のように言明している。「民主主義的中央集権制は、たしかに派閥主義的堕落阻止した。しかしさまざまな思想が、綱領の自由な表明を行うためには、常に不可欠な指導部を統制のもとにおくという点において大きな限界をもっていた」、「指導部の統制は、実効的な耐えざる民主主義的統制のもとにおかれなければならない。

 民主主義的統制迅速で効率的な決定は相互に補完しあう」。 民主主義的中央集権制の功罪の両側面についてはっきりと規定し、それに基づいて中央集権制断絶するのみでなく、明確に指導部統制の原理を打ち出したこと、条文でその指導部統制の措置を具体化したことは、原理上の転換として重要である。

 2、民主主義的中央集権制表裏一体としての一枚岩主義を否定し、多元主義を確立

 一枚岩主義とは、民主主義の本質的要素である異論、批判の包摂の論理欠けており、逆に党内において異質物排除の論理、もしくは、異論者・批判者除外した同質的な状態を固定し、結晶化する体質を示すものである。その組織内での批判の自由は規約文面上だけのまったく形式的なものに変質する。全員起立の嵐のように続く拍手、どの大会でも満場一致の採決などは民主集中制型組織内での反対派の権利封殺の象徴的現れである。

 それに対して、自らの内部分岐や相違を党にとって価値、資源として積極的に位置づけるという所に、意見の相違の評価について、もしくは旧来の用語で言う「分派」の評価について、発想の根本的転換がある。

 それのみでなく、「多数決の規則は・・・多元主義の完全な承認を基礎とする」という具体的な中身が、また画期的なものである。冒頭に触れたように、第19回大会でも、第20回大会でも、大会代議員、中央委員の選出は、3つの大会議案の得票に比例配分されて行われた。各段階の次期指導機関の選出もその3つに比例配分で行われた。

 さらに、多元主義の一つともいえる女性と男性の党の面でも後で詳しく検討するが、両性間の不均衡是正として、各性が中央委員会で40%以上、代議員においては3分の1以上を占めることとなった。そこでは男性リストと女性リストの2つの候補者リストに基づいて、その比率になるよう話し合いで決定された。

 党内にこのような形で比例代表制を持ち込むことを、即ち多元主義と結合した多数決原理の導入を、党内民主主義のまったく新しい画期的段階を作り上げると見るのか、それとも「分散主義の極致」と見るのか、見解が分かれる所であろう。

 ただ、この民主主義的中央集権制分派禁止規定放棄に止まらず、さらに一歩進めて明白な多元主義の承認へ発展、転化するには、イタリア共産党内部での長い党内論争の歴史があり、それが党内で成熟してきていたものが明文化されたものといえる。

 1990年の第19回大会も、1991年の第20回大会も、大会議案として3つが提案された。その背景には党内に組織されてない潮流が存在していたのであり、第19回大会議案を作るため初めて「組織された潮流」が形成され、それが3つの議案となって出現した。そして各議案提案者がセンターを作り、支部レベルにも幹部を派遣し、選挙運動をした。党内民主主義のあり方としての多元主義の承認において、その出発点となったのは、1966年の第11回大会でのイングラオ発言だった。

 イングラオはその大会で ()政策、路線上の対抗報告、()「異論の公開」、即ち指導機関における論争を党の底辺、さらには党の外部へ知らせるべきという要求を行った。彼の要求は拒否され、激しい攻撃を受けたが、イングラオは指導部から排除されなかった。そして指導部内における異論の存在が政治的事実として確立され、認知され、党内にイングラオ派というべきものが形成されていった。

 他方でそのライバルとして「右」においても同様のエリア=右派が成立していった。その後、大会や中央委員会をふくめる各段階での討論が公開され、さらには集会、新聞、雑誌などで多数派の方針とは異なる立場を表明することが事実上承認されていく中で、諸潮流の存在とそれらの間の論争という事実はイタリア共産党内において徐々に市民権を獲得していった。

 こうして、オッケットの中で、思想的理論的な諸潮流の対抗を、積極的なものとして生かすような党内民主主義のあり方が志向されていった。その歩みはイングラオ発言を出発点として成熟していき、1986年第17回大会「そのたびごとに決定される多数派の立場とは異った立場を公然たる形においても保持し主張する権利」が規約に規定され、1989年第18回大会では「民主主義的中央集権制」と「分派活動の禁止」が削除され、そして第19回大会では、事実上の潮流が「組織された潮流」に変わり、3つの大会議案となって現れ、かつ比例代表制による代議員選出、中央委員選出となった。

 以上の経過は、後房雄編著『大転換』第3章に詳細に分析されているが、そこにおける党内民主主義のあり方はまさに異論を排除せず、尊重するという政治文化の質を反映しているものともいえよう。次のオッケット報告がその「組織された潮流」の意義を説明している。「さまざまな構成要素が正統性をもって組織され、公然と存在していることは、イデオロギー的化石化阻止し、そしてとりわけ指導集団の政策を絶えず正当化するものとしてのイデオロギーの使用阻止するための保障なのである」(4)

 この「組織された潮流」をいぜん「分派」ときめつけ、排除し、「多元主義」に対して「分散主義」というレッテルを貼り全面否定する日本共産党=宮本・不破・志位らと、それらに積極的価値を見いだす左翼民主党との間には、党内民主主義のあり方について180度異なる価値観が存在する。現存した社会主義および国家、社会、党の組織運営原理としての民主主義的中央集権制の歴史的破産という事実を前にして、いずれの価値観を選択すべきなのか。

 

 3、フランス共産党の経緯と末路

 

    フランス共産党、議席減で「改革必要」党名変更を検討 - 大紀元時報 81年公表71万人→党員5万人93%が離党

    ル・モンドフランス共産党、未来のない90周年』

       30年間で40万人→公式に現在10万人に激減 (81年公表71万人→現在公表10万人なら、61万人・86%が離党?)

    フランス共産党の党改革の動向と党勢力』「進歩のための統一協定」運動とその結果

 

 1976年、第22回大会で「プロレタリア独裁」理論を放棄した。

 1985年、第25回大会頃より、党外マスコミでの批判的意見発表も規制しなくなる。

 1994年、第28回大会で、民主主義的中央集権制・分派禁止規定を放棄した。賛成1530人、反対512人、棄権414人という採決結果だった。この大会を機にマルシェ書記長は引退した。代わったユー全国書記は、「民主主義的中央集権制・分派禁止規定は、統一と画一性を混同し、誠実な共産主義者でも意見が異なれば、これを打倒し、隔離すべき敵であるかのように扱った」と自己批判した

 ソ連崩壊の数年後、「ソ連の失敗は、マルクス主義の失敗だった」とし、マルクス主義の立場を取らないと宣言した。

 

 1996年、第29回大会で、「ミュタシオン」(変化)を提唱し、党改革を図る。

 2000年3月、第30回大会で、一層の改革を進めるため、7つテキストを決定し、それへの党員の意見表明は3万人以上に上った。

 2003年4月、第32回大会で、党史上初めて対案が提出され、45%の支持を得た。党改革派が主流だが、反対は2派で、党改革への異議提出派である。

 

 選挙では、2002年6月、総選挙第1回得票率は、4.91%だった。それは、1981年総選挙得票率16.13%の3分の1以下であり、1997年総選挙得票率9.88%の半分に激減した。フランス下院議席は、35議席から、21議席に減った。これらの結果は、「ルペン問題」の影響があったとはいえ、フランス共産党史上最大の敗北だった。07年6月、下院議席は21→18議席へとさらに減った

 

 2007年春、大統領選挙でビュフェ議長は、70万7268票、得票率1.93%で党史上最低だった。それは、1981年大統領選挙得票率16.13%の8分の1以下への激減だった。

 

 党員数は、1979年76万864人、96年27万4000人、98年21万人、99年18万3878人、2001年13万8756人、03年13万3200人、04年12万5000人へと、一貫した党員減退を続けている。06年は13万4000人へと微増した。党費納入党員数=党員証交付数でほぼ毎年公表するので、1979年と比べ、党員62万6864人・81.6がフランス共産党から離党した。18.4%党員しか残っていない。

 

 党員数−『ル・モンド』記事の間違いか? (81年公表71万人→現在公表10万人なら、61万人・86%が離党?)

 

 フランス共産党の公表党員数は、1979年76万864人、81年71万人、96年27万4000人、98年21万人、99年18万3878人、2001年13万8756人、03年13万3200人、04年12万5000人へと、一貫した党員減退を続けている。06年は13万4000人へと微増した。党費納入党員数=党員証交付数でほぼ毎年公表するので、1979年と比べ、06年までに党員62万6864人・81.6がフランス共産党から離党した。18.4%党員しか残っていない。

 

 ル・モンド記事のように、2010年12月現在、フランス共産党公表で党員数10万人に激減している。その記事によれば、30年間4分の3が離党したとなっている。それなら、数字が明確でないが、1981年には40万人がいたことになる。81年公表党員数は、71万人である。ル・モンド記事の30年間4分の3が離党というデータは間違っているのかもしれない。

 

 〔『ル・モンド』の間違い1?〕、30年間でなく→20年間の間違い

 

 30年前1981年公表党員数は、71万人である。2010年公表党員数は、10万人である。いずれも、公表数なので、正確である。30年間とすれば、1981年から2010年までに、71万人−10万人≒約61万人が大量離党したのが真相ではなかろうか。その数値なら、4分の3が離党というデータにならない。もし、4分の3が離党というデータが正しいのなら、40万人→現在10万人で、30万人が離党したという数値になる。40万人時点は、公表党員数がないが、20年前の1991年だったのではなかろうか。

 

 〔『ル・モンド』の間違い2?〕、4分の3が離党でなく→7分の6が離党・85.9%離党の間違い

 

 30年間離党数となると、離党61万人÷1881年71万人≒85.9%が離党になる。7分の6が離党というデータになる。フランス共産党は、離党届・党費納入拒否党員すべてを、自動的に離党処理=党籍抹消をしてきた。20年前の1991年党員数については、フランス共産党HPにアクセスし、直接問い合わせするしかないが。

 

 フランス共産党は、2013年2月第36回大会を開いた。党員数13万人と報告された。全国書記にピエール・ローランを再選した。

 

    Wikipedia『フランス共産党』 HP『フランス共産党』

 

 日本共産党のように幽霊党員15万人を含めた在籍党員数公表ではない。フランス共産党のような公表スタイルにすれば、日本共産党党員数は、07年5中総志位の党費納入率約63%報告からの計算では、25万人になる。15万人・37%は、党費納入拒否・行方不明と、党機関により離党申請の拒否・握り潰しをされた架空党員数である。志位・市田・不破らは、党大会ごとに、よくぞ、幽霊党員15万人込みの水増し決算報告をするものだと、その厚かましさに感心し、かつ、その臆病な真相隠蔽ぶりに哀れさを抱く。

 

 機関紙「ユマニテ」は、第二次大戦直後は40万部あった。しかし、60年代から80年代まで、15万部、1997年では、6万部、2001年は4万5千部に減少している。05年は5万1639部に増えたが、増収になっていない。週末版(日曜版)8万部がある。

 

 財政危機・破綻も深刻になっている。ル・モンド記事などによると、2001年ユマニテの累積赤字は5000万フラン・約8億円になった。04年赤字が270万ユーロ・約4億2660万円で、05年が赤字300万ユーロ・約4億7400万円だった。2001年5月18日のユマニテ再建計画は、民間企業3社の出資を受けることを決定した。()出版社アシェット社、()放送局TF1、()ケス=デパルニュ銀行の3社から、資本金の20%を出してもらって、発行を存続する。それらは、左翼系の会社ではない。さらに、ユマニテ記者・社員190人中、50人をリストラで解雇する。

 

 これら、選挙、党員数、機関紙、財政危機・破綻のデータ全体は何を示しているのか。それは、レーニン型前衛党5原則3つを放棄しても、共産党名=うぬぼれた前衛党体質を維持し続ける限り、フランス共産党のじり貧的瓦解を食い止めることが、もはや出来ないことを証明ている。

 

    『フランス共産党の党改革状況と党勢力』

    アルチュセール『共産党のなかでこれ以上続いてはならないこと』

    福田玲三『民主集中制の放棄とフランス共産党』 『党史上初めて対案提出』003年

 

 4、日本共産党の経緯と末路

 

 1、支部数の経緯と末路

 志位は、第27回大会中央委報告において、支部数について沈黙した。あいもかわらず、「支部が主役」と唱えているだけである。2.8万→2.0万沈黙?=8000支部崩壊の原因についても総括を回避した。

 

 第25回大会決議は、22000支部数の増減について沈黙した。しかし、13年間6000支部の崩壊・解党行動テンポアップから見れば、崩壊支部が増えていると思われる。かつ、09年3月時点における党員不拡大1万3728・62.4%支部、読者不拡大1万5400・70.0%支部という幹部会決定データは、それらの支部の内、かなりが、()党勢拡大サボタージュ()支部活動の事実上の停止()支部解党行動へと進行している可能性が高い。

 

    (支部数のウソ)=2万支部でなく→3月20日赤旗の実質支部数1万5158支部

 

(4)支部の歯止めがない崩壊現象

 

志位は、第27回大会報告において、支部数データに沈黙

 

年・党大会

支部数と実態

1995年、中央委報告

28000支部。それ以前は、党組織防衛名目で、支部数隠蔽

2000年、第22回大会

26000支部

2003年、中央委報告

25000支部

 

 

2005年、第23回大会、4中総・5中総

24000支部  1995年から10年間で、4000支部が崩壊

()、「政策と計画」を持った支部−22大会90%→23大会52

()、週1回支部会議の支部 22大会25%→23大会19

()、総選挙で支部会議を開いた支部82%、一度も開かなかった支部18

   24000×18%≒4320支部は、事実上すでに崩壊している

   24000432019680支部が残存しているのが、共産党基礎組織の実態

()10年間の支部崩壊度 19680÷28000703%。297%の8320支部が崩壊

20061月、第24回大会

「政策と計画」を持った支部−22大会9023大会52

24回大会50%に後退。「計画」とは党勢拡大数値目標のこと。半分の12000支部が、()「計画」を立てられないレベルに崩壊的ダウンしたのか、それとも、()「計画的党勢拡大」という宮本・不破・志位路線を拒絶し、意識的に「計画の具体化・数値化」をサボタージュする構えに突入したのか。

08年中央委員会報告

22000支部に減少と報告

20101月第25回大会

後援会不結成は、地域支部で72%、職場支部が34。中央委報告は、支部数データに沈黙→その後20000支部に減少と報告

20141月第26回大会

志位は、中央委報告において、支部数データに沈黙。ただ、「5割超支部が新入党員37000人拡大」と報告=5割未満支部が4年間、党員拡大を拒否

8000支部崩壊後の20000支部なら、10000支部が4年間党員拡大拒否実質支部数15158支部なら、7579支部未満が4年間党員拡大拒否

20171月第27回大会

志位は、中央委報告において、支部数データに沈黙。ただ、442%支部が新入党員拡大成果−558支部は3年間党員拡大拒否

2020115日第28回大会

 

 

    『支部活動部分停止→全面停止→解党行動の広がり』末端から党崩壊・解党の進行

    『選挙で動く党員と反発サボタージュする党員』選挙活動の拒否・不参加

 

 2、党員数の経緯と末路

 

 党員−40.6万人30.5万人30万人=7年間で10.6万人・26.1%減に沈黙 党費収入総額・党費納入率激減に沈黙65歳以上50%の超高齢化政党

 志位は、12010年1月第25回大会において、党員数40.6万人と報告した。(2)その後、「実態のない党員」解決をしたとし、31.8万人とした。(3)2014年1月第26回大会において、さらに1.3万人減=30.5万人に減らした。(4)2017年1月第27回大会において、0.5万人減=30万人減らした。

 公表党員数について、疑惑がある。

 (疑惑1)、公表データは、第27回大会時点党員数約30万人、死亡党員数1万3132人、3年間入党2万3000人・44.2%支部のみである。長期データを沈黙隠蔽した。3年間離党数も隠蔽した。55.8%支部が党員拡大0か拒否をしたデータに沈黙した。

 

    第27回党大会での志位委員長の開会あいさつ 「3年間に、全国で1万3132人の同志が亡くなりました。」

 

 (疑惑2)、沈黙隠蔽した3年間離党数を割り出す。(130.5万人+3年間入党2万3000人=32万8000人、(2)32万8000人−2017年1月第27回大会30万人=2万8000人減、(3)2万8000人減−死亡党員数1万3132人=離党党員数1万4868人になっている。離党党員数の方が、死亡党員数より多いデータになる。今後も、このような死亡数・離党数で推移すると思われる。

 

 彼は、党費納入率激減に沈黙した。党費納入総額激減にも沈黙している。7年間で、日本共産党員は、10.6万人・26.1%減った。しかも、マスコミ報道によれば、30.5万人中、65歳以上が、97年20%→2014年50%の超高齢化政党になった。志位報告は、この党員構成の劇的老齢化にも沈黙した。彼は、報告文書において、意図的にこの劇的老齢化データを隠蔽した。

 

 (疑惑3)党費納入率激減データから推計する。志位は、20127秘密報告において党費納入率67.9パーセントと公表した。その党費納入党員実数はどうなのか。実質党員数は、21万5922人になる.党費納入率の公表は、この1回だけである。

 

    (党員数のウソ)=31.8万人でなく→秘密報告における実質党員数21万5922人

 

 (疑惑4)、共産党公表の総務省2015年度データは、党費納入党員実数を明記している。それによると、月平均党費納入党員実数は、23万6351人である。

    2017年 政治資金収支報告/共産党 財務・業務委員会岩井鐵也責任者談話

    日本共産党中央委員会(1/8)〔表紙、収支の総括表、収入(1)PDF

 

党費収入総額機関紙誌書籍収入総額繰越金預貯金残高について、()総務省データと()共産党HPデータは同一金額である。ただ、共産党HPは年間党費納入者数を意図的に削除していて、総務省報告にしかない。

 

(5)共産党政治資金収入分22年間の総務省公表データ

 

繰越金・預貯金残高とも22年間ほぼ連続激減データ

 

党費収入

機関紙誌書籍収入

収入合計

繰越金

預貯金残高

1995

13.4

277.9

311.0

69.4

52.9

96

14.

270.4

304.0

69.2

59.1

98

13.7

272.6

308.5

83.0

68.0

99

13.6

256.0

302.3

86.0

71.2

2000

13.2

281.1

327.8

74.1

62.5

01

12.6

291.7

342.8

67.5

56.8

02

12.6

282.1

334.2

53.2

15.2

03

12.1

260.0

307.1

44.4

11.1

04

11.3

251.2

300.6

20.7

11.1

05

10.9

240.7

284.1

11.3

5.9

06

10.0

230.9

281.9

22.0

8.2

07

9.5

221.5

264.8

22.7

7.1

08

9.1

215.5

249.6

22.2

15.1

09

8.9

214.1

246.2

16.2

6.9

10

8.2

206.2

237.4

10.6

4.5

11

7.7

199.4

234.1

12.6

4.5

12

7.2

203.4

245.5

10.4

6.4

13

6.9

196.1

225.4

11.9

4.4

15

6.4

190.1

238.2

14.3

 

16

6.4

184.4

216.7

12.3

 

17

6.2

179.8

212.6

10.3

 

単位は億円。収入合計は、寄付・借入金などを含む

00年不破規約綱領路線確立・赤旗年度途中値上増収→01年赤旗年度当初からの値上増収

繰越金とは、その年度から翌年への繰越金額・百万円以下切捨て―99年最高から連続激減

12年度機関紙誌の増加額は、12年赤旗日刊紙2900円→3400円への500円値上効果

 

 (党員数のウソ)=31.8万人でなく→秘密報告における実質党員数21万5922人

 30.5万人−21万5922人≒8万9078人が離党を拒絶されている党員数である。彼らは、様々な理由・傷を持っている。もはや党に戻ることはない

 

(6)共産党30年間の党員数報告数値と党費納入率

 

総務省公表−共産党HP非公表

共産党公表

年・党大会

党費納入党員年間総計

1カ月間平均党員

公表党員数

党費納入率

1987・第18

最高3586808

298901

最高490000

61.0

1990・第19

3448750

287396

480000

59.9

1994・第20

最低3129769

260814

最低360000

72.4

2000・第22

3202455

266871

386517

69.0

2004・第23

3223973

268664

403793

66.5

2006・第24

3142808

261900

404299

64.7

2010・第25

3045049

253754

406000

62.5

201111

2965895

247157

406000

62.5

201211

2916535

243044

318000

67.9

201311

2925662

243805

310000

67.9%?

201411

2856189

238015

310000

67.9%?

201511

2836223

236351

310000

67.9%?

201611

2798,064

233172

310000

67.9%?

201711

2714,920

226243

310000

67.9%?

20198

 

 

300000

67.9%?

20199.7中総

 

 

280000

67.9%?

(党員数のウソ)=31.8万人でなく→秘密報告における実質党員数21万5922人

 

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 〔関連ファイル〕

   第7回中央委員会総会/志位委員長のあいさつ

   第7回中央委員会総会決議/第28回党大会成功へ、強く大きな党を

   『党員数と党費収入総額とのアンバランス疑惑』