台風と火事 2004/9/8
昨日は金沢も台風で吹き荒れた。
お昼頃、かぜはまだ大したことなかったが、雲を見ると無茶苦茶な様子だった。ねじれて引きちぎったような雲がいくつも。多分、高さによって風向きや強さに違いがあり、境目付近で風が大きく乱れていたのだろう。
台風の接近に伴い、風も強くなり、瞬開最大風速は約40m/sec.。時速にすると150km近い。追い風なら、たとえ高速道路を走っていても風に追い越されてしまうことになる。ものすごい風である。

さて、台風で怖いのは火災である、といったら不思議に思われるかもしれない。台風といえば大雨。風が吹くにしても火事を心配する人は少ないことだろう。
しかし、富山や石川などでは、台風の際に雨が降らず乾いた風が吹くことが少なくない。暖かく、湿った南風が高い山を越える際、途中で雨を降らせてしまうため、乾いた暖かい風が吹くことがある。そうなると、風だけが強く、雨は降らない。こういうときに火災が発生すると、風に煽られて火は大きくなり、更に飛び火しやすくなる。以前に富山県での火災では、散居村で家と家が離れているにもかかわらず、飛び火して何軒も焼けてしまった。100m以上離れているのに飛び火してしまったとこともある。台風ではないが、春先の強風で町の半分近くが焼けるような火災が起きたりしている。
台風で火災も心配・・・。ちょっと以外かもしれないが、こういう事情である。
但し、台風で乾いた風になるのは、南風など山越えになるときだけである。西風などの場合はやはり雨も降る。台風といえば大雨・・・。これも当てはまるのが難しいところである。


雪の中で

今年の北陸は穏やかな天候で始まった。昨年の12月は久しぶりの大雪だったのだが、その後大きな雪もなく、積もった雪も少しずつ減ってきていた。それでも雪は多く残っている。特に田んぼなどにはまだまだ残っている。北陸、雪国のイメージからだろうか、寒いように思われているが、気温はそれほど低くはない。日中は気温が上がらないので平均気温としては低いのだが、雲が多いからか最低気温は意外と低くはない。たとえば金沢の1月の最低気温の月平均、0.8度である。名古屋は0.5度なのでそれより高い。東京、大阪、神戸などは2度台なのでそれより低いが、感覚的にはそれほど差はないように思える。一つには、雲が多めなので放射冷却がおきにくく、地面が冷えにくいのだろう。霜柱などもほとんど見られない。とはいえ、晴れ間が続けば放射冷却も起きる。雪があると表面が硬く凍り、人が乗っても沈まなくなったりする。

さて、2日の夕方、ふと外を見ると地面の近くにうっすらと霧がかかったようになっていた。雨の後でもあり、湿度が高くなって雪の近くで冷やされたからだろうか? これと似たような光景、出張の行き帰りに岐阜あたりでも見たことがある。やはり2m程度の高さまでだけの霧。普通の霧とは違い、どこか幻想的な感じだった。
もっとも、車の運転では視界が悪くなり、ちょっと危険ではあるが・・・。

秋の星  2005/10/23

最近、夕方頃の西の空にものすごく明るい星が見える。
最初見たとき、丁度空港のある方向だったので、てっきり空港に着陸する飛行機の着陸灯だと思ったのだが、ほとんど動かないので星だとわかった。これは金星だそうだ。また、夜中にはオレンジ色の明るい星が見える。こちらは火星らしい。

秋になって、星が明るく感じるようになった。
見える星が多くなったか、というと、星を目にするときは街中だったり街灯があったりするのでそれほど多くは見えない。明るい一等星など、星の数から言えばほんのわずかである。それでも、明るく見える、というのは空気が澄んできているのだろうと思う。(火星は接近しているのだけど)

秋の空、昼は高く見えるが夜はなんとなく低く見えるような気がする。

 

そろそろ暖房の季節・・・  2005/10/23

会社で立ち上がったとき、顔の辺りにふと熱気を感じた。
パソコンの熱? そう思ったのだが、パソコンは多くがノートPCでディスプレイも液晶。熱気を感じるほど発熱する機器は無い。

この熱気、空調のものだった。少し前までは空調といえば冷房。そのときの温度設定は28度だった。秋になり、外気温との差を無くすのにややさげていたが、その日は27度だった。10月になって外気温はだいぶ下がったけど、室内は人の熱気とパソコンの熱(個々の発熱は少なくても、台数は多い)とで、冷房で動いていたのだが、設定が自動になっていたため、その日は気温の低下で弱い暖房になってしまったのだ。
さすがにまだ暖房の時期ではないし、28度にまであげる必要は無い。すぐに設定を切り替えて温度が上がらないようにした。

私の場合、車通勤なので夜の帰宅時などは冷え切った車の空調が暖房になることは前からあったが、建物の空調でも暖房になる時期になったようだ・・・。山はもう紅葉だそうだけど、見える範囲ではまだない。だけど、冬も近いことを感じた。

こいのぼり 2005/5/8

こいのぼり、初夏の風物詩としては最高のものの一つだと思う。
しかし、いざ揚げるとなると、これは大変である。まずポールを立てる必要があるが、大きなこいのぼりの引きに耐えるものとなると、これが結構大変である。そして、朝晩の上げ下ろし。これも毎日となると、大変である。
私の家にもこいのぼり一式はある。今の住まいは町の中なので無理だが、実家は田舎の家。だから庭はある。しかし、揚げようにも庭が狭い。正確に言うと、面積はあるのだが、木や家のこともあり、広い空間というのがない。揚げられないことはないのだが、目が離せない。だから、揚げたのは数えるほどである。

でも・・・有るのに押入れに寝かせておくのも、と思って今日、公園で揚げてきた。揚げる、といってもまさか公園にポールを立てるわけには行かない。揚げる手段はもちろん(?)凧である。
空撮にも耐える凧なら、こいのぼりを空に揚げるだけの力はある。が、公園ゆえ、安全のこともある。万一のことを考え、骨のない凧にした。この凧の揚げ糸にこいのぼりを2匹、つないで揚げる。風は弱めであったが、なんとか揚がってくれた。風が弱め故、何度も引いたりしながらであったが、ある程度の時間、揚がってくれた。
公園でのこいのぼり。さすがに人目は引く。凧の祭りではこいのぼりは結構見られるのだが、公園ではまずやらないだろう。なんだか、人集めのイベントをやっているような気分になるが、人の注目を集める、というのも悪くはない、と思い始めるようになってしまった。

こいのぼりを見てやってきた男の子のお父さん、”こいのぼりの上げ下ろし、大変なんですよね・・・”とても実感がこもっていた。空で泳いでこそのこいのぼりであるが、やはり現実は厳しいのである。


注意: 
こいのぼりを凧で揚げること、技術的にはそれほど難しくはないのですが、大きな凧が必要で、糸の引きも強くなります。また、公園には子供たちも数多くいます。そういう中で揚げるのは、凧の経験が必要であることをご理解ください。

花粉症・・・ 2005/3/23

花粉症である・・・。
今年は花粉が特に多いそうだが、それを実感してしまう。いつもなら、鼻水が少しと目のかゆみが少し、となるのだが、今年は目のかゆみがすごい。充血もしている。くしゃみも多い。
風邪などでくしゃみが出ることはあるが、たいていは単発である。だか、今年の花粉症、連発が多く、時には数回続くこともある。くしゃみ、食事中などではちょっと注意しないといけないが、そういう時はあまり出ないのは幸いである。
しかし、やなのは、くしゃみが出そうででない、という中途半端な状態である。豪快にくしゃみをしてしまえばすっきりするのに、出そうで出ない、となると鼻の奥がむずがゆいような状態が続く。
中途半端なのは・・・やはりいやなものである。

待ち遠しい春だったけど、こればかりは・・・。初夏が待ち遠しい・・・?

冬の必需品、その2? 2005/1/16
雪国の履物は?
ブーツやスノートレーナーなどと言われているものが結構使われている。
しかし、一番安心できるのは、やはりゴム長である。高さがあるから、少々の積雪でも平気で、ズボンの裾を塗らす心配がない。完全防水なので、水がしみることもない。更に、靴底の溝が深く、滑りにくい。雪の中で一番安心できる履物である。唯一つ、やや冷えやすいことが欠点だろう。これは厚手の靴下でカバーすれば良いのだが、もっと寒いところでは少々厳しいかもしれない。
ゴム長、非常に使いやすいのだが、 実際には短めの靴を履き、裾などを濡らしながら足元が不安な人が多い。転ばないように、足元を気にして、ぎこちない歩き方になっている人が多い。ファッションとすればゴム長は最悪であることは言うまでもない。が、機能としては最高である。
かっこいい靴を履きながら、いかにも足元を気にしながら、という不恰好な歩きをするくらいなら多少見た目が悪くても、と思ってしまう。目的地までゴム長で行き、そこで履き替えられれば一番良いのだけど。

雪国の履物、たとえば普通の革靴のようで防水をきかせ、更に滑り止めの溝をしっかりさせたものも売っている。が、デザイン的にいまひとつで、たとえばこれで東京出張に、というとためらってしまう。幸い、私の場合は小松空港を使うことが多く、そこは雪が少なめなので、空港までゴム長で行き、車を降りるときに普通の靴に履き替えている。最近は駅も駐車場が使いやすいので同じようなことが出来るだろう。


兼六園入口で、貸し長靴の看板を見た。絵はゴム長?
坂もある兼六園。庭園であるから除雪には限りがある。たしかに短い靴では歩きにくいだろう・・・。
兼六園近くの店の前で・・・。

亀の雪すかし  2004/ 2/ 8

先週末からまた雪が降り、私の家の周りでは20cm位積もっている。この位ならばあまり影響はないのだが、それでも雪すかしはやった方が良い。さしあたって邪魔になるのは駐車場の中だが、圧雪になっているので急ぐこともない。天気予報では午後から雨、となっているのでいまのうちに歩道もよかしておいた。
雪すかし、いろんなやりかたはあるが、私の場合、スコップで約30cmごとに切ってから捨てる。押し固められていない比較的軽い雪が高く積もっているなら、30cm角の立方体を切り出し、それをすくって投げる、といった感じである。この30cm、というのは、スコップの幅である。
今日は歩道だったので高く積もっているわけではない。高さにして10cmもない。だけど、押し固められているので重い。まず手前の右に差し込む。硬いので勢いをつけないと跳ね返される。つきは奥、そして左。これで3方が切り出せたことになる。あとは手前からすくって捨てる。幅30cmでは歩道としては狭いのでその隣も捨てる。そうすると約60cm。二人並んだ歩くのは無理だが、譲り合えばすれ違いもできる。
2回捨てて30cm進むことになる。1回捨てるのに上から3回2回、雪を切ってから。それを2回で30cm。1m進むのに約6回。まるで亀のような速さである。だが、これ以上急ぐとどうなるか? それは疲れるのが早まり、途中で休息が必要になる。だけど、この亀のような雪すかしでは疲労がたまりにくく、長い間続けられる。この方が結局は早くなる。
実は似たようなこと、NHKのテレビ、プロジェクトXでもやっていた。これは送電線の鉄塔での作業のこと。若い人がさっさと登り作業を進めようとしたところ、登りきる前に体力が消耗し、休みながら何とか上ったが、疲れ果てて上では作業にならなかったとのこと。そのとき、”あの人の作業を見習え”といわれたのがかなりの年の人。登る早さはまるで亀のよう。一つ一つの動きがとてもゆっくりしている。だが、休まずに作業と続けている。そして、気がついたら(若い)自分よりずーっと早く仕事が終わっていたと。この場合、ゆっくりした動きのほかに事前に地上で同じ作業をあらかじめ行って手順を確認するなど、他の要素もあるのだが、疲労に関しては雪すかしと共通するものがあるな、と思いながらテレビを見ていた。
雪すかし、1度に進むのはわずかだが、確実に進む。そして休みなく・・・。なんだかウサギと亀の競争みたいである。ただ・・・。今回の雪は重かった。それだけ春が近いのかもしれないが、休まずに進むはずの亀の手が時々止まってしまった。もう少し体を鍛えた方がよいのが、それとも無理をしない方がよいのが・・・。

天井が抜けたような・・・ 2003/12/ 11

”逆転層”と言う言葉、ご存知だろうか? これは気象などで使う用語なのでご存じない方も少なくないだろう。
逆転層・・・普通、気温は高度が高くなると低くなる。これは、高い山などが寒いことからもわかる。しかし、まれに高度が上がると気温も上がる状態になっていることがある。これが”逆転層”である。
逆転層は、冬の寒い朝などに発生しやすい。放射冷却などで地表が冷えたときなどである。逆転層が発生した、といってもこれはあくまでも部分的なものである。ある高さまでは逆転層で高度が上がると気温も上がるが、ある高さ以上は普段どおり高度が上がると気温も下がる、というのが普通である。その高さはそんなに高いわけではない。
逆転層が発生するとどうなるか?
一番よくわかるのが煙である。 煙突などから出た煙、普段であれば、煙はどんどん上昇してゆき、次第に薄くなって見えなくなってゆく。しかし、逆転層があると煙がある高さ以上には上れなくなってしまうのである。これを遠くから見ると、煙がある高さで止まり、そこに溜まってゆくように見える。インクのついた筆を水槽にそっと入れると底にインクがたまる・・・。これを逆さにしたような感じもする。
煙以外では、ある高さより下が、靄がかかったようになっていることもある。だから、”空に見えない天井がある” そんな感じにも見える。
たぶん、こういう光景、見た覚えのある人、多いことだろう。普段は見かけないが、年に何度も発生している。
さて、今日の昼のことである。会社の食堂からふと外を見ると、逆転層が出来ているのが見えた。逆転層は、多くの場合、朝だけ、である。太陽が出て日差しにより地面が暖まってくると逆転層は解消されてゆく。また、風が出てくるとかき消されるようになったりする。だから、昼頃まで、ということはあまりない。
今日の景色、町はずれの工場の煙が溜まってゆくのが見え、町は低い薄い雲がかかったように見える。典型的な逆転層の景色である。今日は次第に曇ってきたので地表の温度が上がらず、逆転層が続いていたのかもしれない。
昼ごろまで、というのは目ずれしいかもしれないが、驚くことでもない・・・。だが、食事中、ふと外を見ると煙が普通に登って行くのが見えた。ついさっきまでは逆転層で空に上れなかった雲が、である。
あれ? と思って町に目を向けると靄が空に向かって上ってゆくのが見えた。ちょうど逆転層が解消されたのだろう。
 空の見えない天井が抜けた・・・。
ちょっと不思議な光景であった。

新年のあいさつは? 2003/1/ 8

帰宅時にラジオを聞いていると、年末年始のことが流れていた。

ある家では、大晦日の夕食は軽く済ませ、元旦に日付が変わる真夜中に除夜の鐘を聞きながら年越しそばを食べるのが慣わしだそうだ。そして、時報と同時に新年の挨拶をする。
日付は言うまでもなく、真夜中の0時に変わる。だから、1月1日の0時から新しい年が始まる、というのはある意味当然のことである。テーマパークなどのいわゆるカウントダウンもこの時間に行われる。真夜中の0時から新年が始まり、この瞬間に新年を祝う。ごく自然なことかもしれない。

でも、私個人としてはちょっと違和感がある。私の家では、新年の挨拶は元旦の朝である。朝起きたときの挨拶、これが”おはよう”に代って”新年おめでとう”となる。そして、お雑煮などを用意した新年最初の食事の時にも、改めて”新年おめでとう”と言って食事が始まる。
でも、実際は元旦の0時、実は起きているのが普通である。紅白歌合戦などを見て、これが終わるとすぐに0時になってしまう。家族も大抵起きている。だけど、その瞬間は別になにも変わった事はしない。テレビなどでは”新年明けましておめでとう・・・”といってはいるが、それでも、”うちには関係ない”という感じである。大晦日の24時、25時といった方がイメージとしては近いのかもしれない。

新しい1日は日の出から始まる。実際の日付は夜中に変わっているのだが、私はこの考えが好きである。家族のみんなもそうなのだろうな、なんて思う。 だから当然、新年は元旦の夜明けから・・・。とはいえ、この考え方、減ってきてるのだろうな・・・。

新年の挨拶、みなさんの家ではどうですか?

 

なにか出そう? 2001/5/23

夏が近づくとだんだんと怪談話が増えてくる。最近は古典的な怪談よりも、心霊スポットみたいな、身近な(?)話題が多いように思う。ちょっと別世界のような感のある怪談よりも、その方が近親感みたいなもの、あるいは現実の中の話、ということでよけい恐怖感があるかなかな? などと思う。

とはいっても、私の場合、霊的なことは、実はあまり信じない方である。不思議な現象、といった感じのことを経験したことがないわけではないが、それをわざわざ霊に結びつけて考えたりしない、ということである。
たとえば、写真に変なものが写っている、などというのはよくテレビなどで見る。解説では、心霊写真、などともっともらしく言ってはいるが、ほとんどはわざわざ霊を持ち出さなくても説明できるものばかりである。それでも、もっともらしい説明(こじつけ?)を聞いていると、信じてしまう人もいるかな? などと考えてしまう。
また、事故の多発する道路があって、そこはかってお墓だった、というのもよく言われる話である。しかし、事故の多発する道路、というのは、大抵は道路自体に問題があることがほとんどである。無理な設計をしてしまえば、そこがお墓であったかどうかに関係なく、事故は多発する。実際、そういう場所があり、道路の形を見直して改修したとたんに激減した例もある。
とまあ、私はこういう考えの人間、である。

だからだろうか? いわゆる心霊現象に出会ったことはほとんどない。が、それでもそれに類すること。全く経験していないわけではない。
これは、ある地方のビジネスホテルに一人で泊まったときのことである。そこへは夜遅く着いて、ほとんどそのまま眠るだけ、みたいな感じで泊まったのだが、部屋の感じがなんとなく変なのである。深い理由はない。壁、窓、バスルーム、ベット・・・どれを見てもへんなところはない。だけど、なんとなく違和感があったりする。違和感、であって決して霊的なものを感じた、なんて事では全くない。違和感の原因は分からないが、強いて言えば、配置などがちょっと不自然な感じなのかな? と思うくらいである。これも、角部屋だからかな?などろ思っていた。
でも、これが気になったのだろうか? 眠ってしばらくして、いわゆる金縛りに合ってしまった。これは久しぶりのことだ。おそらく、たいていの人は最初に感じた違和感と合わせ、霊的なことに結びつけるかもしれないが、私は金縛りは平気である。これは、起こっている本人には不快だが、脳が目覚めたのに体が眠っている状態だから、というのが定説である。だから、私はこの位では驚かない。そのまま気にしないで眠ってしまった。
それでも、部屋のことが気になったのだろうか? 窓の外に人がいる夢を見たりした。(これは完全に夢、である。窓の形が違って見えたのだから)
やっぱり、部屋の違和感が気になったのかな・・・などと思いながらチェックアウトした。でも、変な夢を見たりしながらも、結局、妙な寝不足みたいなことは感じなかったのだから、普通どおり眠ったのだろう。
ただ・・・霊を気にする人がいたら、飛び出しただろうな、なんて思ったりもした。霊が妙に気になったりする人・・・。この程度に考えてみればどうだろうか?

うどんで感じる季節 2001/3/11

今日は良く行くうどん屋の事を書いてみようと思う。このうどん屋、小松市の郊外にある。メニューがちょっと変わっていて、ここの主力はうどん鍋である。このうどん鍋、鍋焼きうどんとはちょっと違う。客席にはガスコンロが埋め込まれていて、そこに鉄鍋に入ったうどんが冷たいまま出され、コンロに火をつけて煮えるのを待って食べる。そんなうどんである。

この店は全ての席が座敷になっている。大広間みたいではなく、小さく仕切られているので落ち着いた気持ちで食事ができる。メニューは、というと蕎麦もあるがやはりうどんが中心である。
ここで私が注文するのはやはりうどん鍋。鍋で煮るからだろうか、汁は同じものだと思うが、種類によって違った味になったりして食べ飽きない。
うどん鍋は冷たいまま出てくるので、注文するとすぐに出てくる。とはいえ、煮立つまでちょっと間が空くので、鍋と一緒にお茶とお茶菓子が出される。だいたい食べ終わることにはうどんが煮立ち始めているので丁度よい、といった感じにある。うどんの方は、鉄鍋のままでは食べられないので、小さな器に取って食べることになる。そして、最後はおじやにして食べる。
値段はちょっと高くて、種類にもよるが、だいたい1,600円以上になる。うどんとしてはちょっと高いな、という気もする。が、質が高いこともあり、味は非常に良い。それに、店員の質が高いこともあって、とても気持ちよく食事できるので、つい何度も足を運んでしまう。また、他にもそう思う人が少なくないようで、土日はいつ行っても混んでいる。お茶やお菓子など、うどん以外のものが付いているから高いのだ、という意見もあると思う。多分、そのとおりなのだろう。でも、ここではお菓子などを出すときにいつも軽い一言を添えて出してくれる、そんなお店なのでとても気持ちよく食事できる。だから、そんな不満は感じない。で、つい何度も行ってしまうのだ。

さて、”うどんで感じる季節”である。この店のメニューには、定番ともいえる通年ものがまずある。牛肉、天ぷら、味噌ぶた、釜揚げ、木の葉、カレー・・・。ごく普通のものからちょっと変わったもまである。これに加えて、季節ものがある。春には筍、秋には松茸、、そして冬には鴨、クリームシチュー、翌春の雛祭り・・・。鍋ではないが、夏にはそうめん、春には雛ちらし寿司などもある。季節感あふれる名前に引かれて内容を聞くと、店員さんは丁寧に説明してくれる。これがまた、おいしそうに説明してくれるのだ。季節もの、ということもあり、ついつい注文してしまったりする。注文しないまでも、壁の色紙に書かれているのを見るだけでも季節を感じてうれしくなる。加えて、お茶と一緒のお菓子。もちろん季節に合わせて用意してくれる。今の時期は桜。甘みを抑えた上品な味で、きれいな桜の色をしたお菓子が桜の葉で軽くくるんで出される。そんな感じでちょっと季節を先取りしたお菓子が出てくる。更に、おじやの上には軽く季節のものが載せてある。小さな花のときもあるし、紅葉だったりもする。今の時期はふきのとう。この苦みにはまだ慣れてはいないのだが、季節感としては最高である。そして、漬け物も自家製で、季節に合わせて変えてある。漬け物は好きな方ではないのだが、ここのだけはつい手が出てしまう。だから、うどんなのにずいぶん季節を感じることが出来る。

ここ数日、北陸は雪だった。この店の裏にはちょっとした竹藪もある。竹藪の中にちょっと古い石があり、今日はその周りにうっすらと雪が積もって見えた。その手前には、品のいい焼き物が数点。暖房がちょっと押さえられ、寒さも感じる店の中から熱い熱いうどんを食べながらの雪景色。でも、体が温まってくると店内に飾ってあるネコヤナギなどの草花が春を感じさせてくれた。
いつ行っても心配りの行き届いたお店である。

そらにのる 2001/3/4

先週朝のラジオで雪の上を歩くこと、が話題になっていた。
雪は柔らかく、スキーやかんじきでもなければ沈んでしまって歩けないのだが、時々堅くなってその上を歩けるようになる。それは、表面が軽く溶けた後に気温がぐっと下がったときなどで、表面が凍り、堅くなるのである。凍り方にもよるが、大人が乗っても沈まない位に凍ることもある。私が子供の頃は、一冬に数回、こういう状態になったように覚えている。田舎のことで田んぼも多かったから、そんなときは学校に行くのに道路を無視して最短距離で歩くことができた。

これを、富山のうちの近所では”そらにのる”と言っていた。語源はわからないし、いまとなっては調べることも難しそうだ。だけど、そらは”空”かな? と私は思っている。そらにのることが出来るとき、それは深夜から朝にかけて晴天の時に限られる。だから、朝は快晴。絵の具を塗ったように濃い青空になる。そして、雪はもちろん純白。まるで雲の上のような雰囲気になる。だから雲に乗る、みたいなイメージで空に乗る、と言い始めたのかな、なんて思っている。
さて、そらにのる、しっかり凍っていると自転車でも平気である。ほぼ真っ平らな広い広い平地を自転車で自由自在に走り回る。これまた爽快である。とても単純な遊びなのだが、この爽快感は格別のものがあった。田んぼだから畦や用水路もあるが、お構いなしに走り抜けられる。田んぼの中の道は除雪してなかったりするが、これもただのでこぼこ。全然気にしないでそのまま走り続ける。体も軽く、ほんとに雲の上を走っているような感じになったものだ。
だが、これには落とし穴もある。気温が上がると雪は溶け始める。そらにのるとき、これは表面だけが凍っている状態なので、溶け始めると表面が割れるような感じで沈み始める。それともうひとつ。凍り方が弱いとやはり沈む。今朝は大丈夫、と最短距離で歩き始めて田んぼの真ん中で沈み始めたら・・・。雪まみれ、というほどではないのだが、やはり冷たい。
そらにのる・・・。子供の時の楽しい思い出である。

氷室 2001/1/2

氷室は、”ひむろ”と呼ぶ。これは、冬の雪を貯めておいて夏に氷として使うものである。丁度今頃、雪を半地下の穴に積め、わらなどで断熱して保存する。金沢では江戸時代に行われていたそうで、保存した雪は将軍などにも献上されたそうだ。
氷室は、製氷技術の発達などで一時途絶えていたが観光目的もあって金沢郊外の湯涌温泉で復活した。今日、最初の雪の運び込みが行われたそうだ。雪、といっても汚れた雪ではだめなので、地面が完全に雪に覆われてから出ないと作業できない。今年は先々週の始めに大雪となったので結構溜まっているようだ。とはいえ、雪はやわらかなので固めながら間をおいて何度も運び込むそうだ。もちろん断熱がしっかりしているわけではないから、夏には相当少なくなっているだろう。とても贅沢なものだったに違いない。でも、製氷ができる前は、夏に氷を手に入れようとすれば、この方法か、高山から運んでくるかしかない。そんな時代、夏に食べる氷の味はどんなだったろう。ごく一部の極上流の人たちだけ。ちょっと想像が難しい。
この氷室、夏は6月の終わりごろに”氷室開き”となる。これも、金沢の夏の風物詩。このころには氷室饅頭が和菓子屋の店頭に並ぶ。

なお、兼六園にも氷室の跡があり、現在は池になっている。

風に吹かれて  季節のはなし